『偽典』とある魔神の主神の槍《グングニル》   作:かり~む

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3話:グレムリンメンバー『上条当麻』

「----上条当麻」

 

 瓦礫の頂に座す隻眼の魔女が口を開く。

 それと同時に、無軌道な雑談を繰り広げていたグレムリンの面々はぴたりと押し黙った。

 

「学園都市のとある高校に通う高校生。能力者開発のカリキュラムでのレベルは0。第三次世界大戦を終結させベツレヘムの星と共に北極海に消えたヒーローにして……、幻想殺しの宿主………、か」

 

 オティヌスの唇が紡いだのは上条当麻という人間を示す要素。しかし、それらの言葉の羅列が少年には異国の言語のように遠く聞こえた。だって、そうだろう。それらの記憶は上条の中には既にない。彼女らが語る『上条当麻』は、今ここにいる『透明な少年』とは別人だ。知らない人間のプロフィールと活躍を聞かされた所で、反応に困るだけだった。

 

「アンタは………」

「オティヌス。どこぞのなりそこないと違って、純粋な魔神といったところか」

 

 オティヌスは上条の右腕に視線を移した。

 幻想殺し。あらゆる異能を打ち消す正体不明の右の掌に。

 

 それから隻眼の魔女は瞼を閉じて、何かを思案する素振りを見せた。

 数秒の後。

 

「……ああ。やっぱ、潰しておくか」

 心底面倒くさそうに、しかし確固たる悪意を瞳に湛えて、オティヌスは瓦礫の山から立ち上がった。

 

「ッッ!!」

 

 上条の全身が危険信号を放つ。身体がこわ張り、これから起こる『何か』に備える。しかし、脳の冷めた冷静な部分は言っていた。無駄だ諦めろ。抵抗は無意味だと。それは正しい。人の身で神に抗うなど、思い上がりに過ぎるのだから。

 

 甘い香りが上条のすぐそばにあった。

 息の触れ合うような至近距離に隻眼の魔女が佇んでいた。

 

 オティヌスは上条の右の掌にそっと指先を重ねる。

 ひんやりとした柔らかな感触が上条の手に伝わった。心臓が早鐘のように鳴る。胃液は逆流しそうだ。少女の華奢な細腕だ。大した力は感じない。なのに上条は少女の手を振り払うことができなかった。

 

「じゃあな、幻想殺し」

 結果として上条の右手に訪れるのは、言い訳の利かない破壊。

 

 ----ではなかった。

 

 

「………おい。なんの真似だ?トール」

「俺は上条ちゃんを気に入ってるんでね。ここで終わるのは、余りに惜しい」

 オティヌスの背後に忍び寄ったトールが、まるで拳銃を頭に押しつけるように、彼女の後頭部に指先を向けていた。

 

「グレムリンを裏切る気か?」

「まさか。アンタらには世話になってる。だけどなぁ、オティヌス。その選択は些か性急なんじゃねぇか?」

「雷神風情が不敬に過ぎるぞ」

 

 背後を振り返ることすらせず、オティヌスは言う。彼女が何かをする必要はないのだ。一言『殺せ』と命令を下せば、周囲のグレムリンメンバーはオティヌスの忠実な駒となって、トールを攻撃する。『戦争代理人』と呼称されるトールでも、魔神に加えこれほどの数の手練れの魔術師を相手にすれば命は無いだろう。

 

「お待ちください。オティヌス様」

だが、そこに更に待ったの声をかける人物がいた。

 

 しゃがれた声だった。

 声の主は、シルクハットを被って杖をついた、燕尾服の老人。

 

 知性を湛えた細い瞳と奇麗に整えられたグレーの髭は、円熟した男性のみに許された気品を醸し出していた。一見すると穏やかな紳士的な物腰だ。しかし、彼を紳士と呼ぶのは語弊があるだろう。奇術師や道化師と言った方が正しい。なぜなら他者を翻弄することこそが彼の本質。常に弧を描いている老親の歪んだ口元からは、子供のような無邪気な悪意が見て取れた。彼こそが神話のトリックスターの名を冠するグレムリンメンバー。

 

「ごきげんよう、上条当麻様。ロキ、とでも呼んで下さいませ。元の名前は既に捨て去りましたので。ああ、しかし、それはここにいるメンバーの大部分が言えることでしたなあ!なんででしょうなあ?!」

 

 彼は息をするように、周りのグレムリンメンバーに対して毒を吐いた。意味は特にない。幾人かのメンバーがロキを睨みつける。名を捨てたのには各々それなりの理由があり、それを他人に指摘されて当然いい気分はしない。

 

「ロキ。貴様の諧謔に付き合うほど私は暇でもないし、気も長くないい。神が寛容とは思わんことだ」

「はい、はい。存じております。存じておりますとも!……オティヌス様、槍の製造のためには使えるものはすべて使うべきです。彼の名と右手はその一助となります」

 

 ロキは大仰に頷きながら、声を張り上げる。

 動作の全てが芝居がかっていた。

 

「そうか?ここで、潰しておいた方がいい気もするが?」

「ほう。ならば、なぜあなた様はベルシに上条当麻を治療する許可を与えたので?」

 

 上条当麻を北極海から引き揚げ、救助したのはトールだ。しかしその後に、落下の衝撃と氷点下に迫ろうという北極の海に傷つけられた上条の身体を治療したのは彼ではなかった。上条当麻は右手に宿った『幻想殺し』によってあらゆる魔術を無効化する。それは己にかけられた治癒魔術も例外ではなく、故にトールは上条の傷を個人で治すことができなかった。彼は殆どの魔術師がそうであるように、魔術での傷の治療には長けていても、科学で傷を癒すことについてはからっきしだった。

 

 困り果てたトールは、グレムリンの科学部主任であるベルシを頼ることにした。学園都市出身である彼は医療全般にも明るい。またかつての『研究テーマ』の関係上、死にかけた人物を生還させることについては学園都市でも五指に入った。ベルシを経由してトールが上条当麻を匿っているという状況はオティヌスの耳に入ることになった。

 

「ベルシはグレムリンの科学部の主任。ある意味ではあなた様と同等の価値を待つ『槍の製造』の中心です。彼を上条当麻の治療に任せれば、その分だけ計画は遅延することになる。そもそもながら、かのヒーローを邪魔だと思うならば、最初から治療の許可なぞ与えず、見殺しにすればいい。推測するに、最初は彼を生かして利用するつもりだったのでしょう?」

 

 笑みを濃くしながら、ロキは言う。

 オティヌスは目を細めた。

 

 

「どうだったかな」

「貴女様は気まぐれですからなあ。神とは得てしてそういうものです。………、オティヌス様。貴女様は迷っておられる。故にロキめは具申いたします」

 

 恭しく頭を下げロキは言う。

 

「彼を処理することはいつでもできます。ならばこそ、彼が命ある内にできることを考えるべきでしょう。知恵の神の名を冠する貴女様ならば、どちらが賢い選択か分かるはず」

 

 加えて言うなら、今の上条当麻は記憶の一部が欠如している。

 その事実はきっとグレムリンに利することになるだろう。

 

 

「お前の言い方はいちいち癪に障る。が、まあ良い。一理ある。それに、今のでおおよそこいつの底は見れた。………下手に壊して、基準点が厄介な持ち主に移動するよりは、手元で管理できる今の方がマシ……か」

 

 後半の言葉は囁くように小さく誰にも聞かれることはなかった。

 

 オティヌスは上条の右手から指先を離す。

 上条の口から安堵のため息が零れた。

 上条に背を向けて、瓦礫の山を登りながらオティヌスは言う。

 

「よかろう、上条当麻。グレムリンに入るがいい」

 

 そこに上条の意志はなかった。

 彼が言葉を発することはなく、全ては他者の思惑の元、彼の行く末は決定した。

 

「…………、俺に拒否権はないんでしょう?」

 そんな理不尽にも程があるこの事態を、上条は意外にも素直に受け入れていた。

 

「ああ。断るのは命の喪失と同義だ。トール。帰りの道を案内してやれ」

「了解、行こうか。上条ちゃん」

 

 上条のコートの袖を引きながら笑いかけるトールの頬には、一筋の汗が流れていた。オティヌスの言葉に意を唱えるのは、それほど緊張したのだろう。

 目の前の恩人にまた借りができたことを、上条は理解した。

 

「ああ、イドゥンはそのまま残ってください。次の仕事を伝えたいので」

 眠くなってきたのだろうか。

 二人の後ろについて、部屋から出ようとしていたイドゥンにロキは言う。

「ちっ」

 イドゥンは隠すことなく舌打ちするが、それを拒否することはなかった。

 

 部屋から出る直前に、上条はまだ言うべきことを言っていなかった事に気付いた。

「あの、ありがとうございました」

 

 上条は頭を深く下げる。

 それは、グレムリンの面々に対してであり、何よりもその首魁、オティヌスに対する感謝の礼だった。

 

「………貴様に礼を言われる覚えはない。貴様を北極海から引き揚げたのはトールであり、その後の傷を手当したのはベルシだ」

「ですけど、俺を治療する許可を与えてくれたでしょう?よく分からないけど、俺の右手と俺自身は貴女方にとって良くないものだったはずなのに。だから、貴女たちは俺の恩人です」

 

 上条の言葉をオティヌスは鼻で笑った。

「はっ。ならば、その恩くらいは返すんだな。その退魔の力、精々役に立てよ」

 

 話は終わりだ、さっさと去れ、そう言うように彼女は顔を背けた。

 こうして、上条当麻はグレムリン所属の退魔師となった。

 

 

 

 

 

 上条当麻がグレムリンに加入した次の日の朝。

 

 

 ベルシはグレムリンの隠れ家の一つ、オールボーの古びたアパートメントの自室にいた。ベルシは黒のタートルネックの上から真っ白なコートを羽織った陰気な男だ。短く刈られた黒髪と高い鼻は如何にも几帳面そうである。彼はグレムリンの科学部主任を担当しており、上条の主治医も勤めていた。

 

 フリーマーケットで安く手に入れた黒革の椅子に腰掛けたベルシの向かい側には、リビングから引っ張ってきた木製の椅子に座った上条がいた。ベルシはいつものように、上条の診察を始める。上条は胸に聴音機を当てられた状態でじっとしていた。

 

 確認すべきことを全て確認し終えたベルシは口元に微かな笑みを浮かべて言う。陰鬱な雰囲気を纏った男だが、見た者の肩の力がふっと抜けるような、穏やかな笑みを浮かべるのが特徴だった。

 

「どうですか?」

「……ふむ、経過は順調だ。驚くべき生命力だよ。自動再生の能力者だと言われても、きっと信じてしまうだろう」

 

 構造上はその他一般の人間と全く変わらないのに、何故なのだろうか。ベルシの頭の片隅に目の前のこの少年を解剖して研究してみたいという欲求が生まれる。きっと良いデータが採れるに違いない。何、生命の心配はいらない。自分ならば、解剖前と寸分違わない状態で彼を『生き返らせること』ができる筈だ。そんな強固な自信がベルシにはあった。

 

 (何を考えているんだ……)

 

 そこまで思考を巡らせて、ベルシは頭を振って、そんな『木原』である自分を頭から追い出した。彼は理性と良心で、己の『木原』を抑圧することのできる世にも珍しい存在だった。同時に、己を決して『木原』から切り離せない存在でもあったが。

 

 上条は突然もの思いにふけったベルシをぽかんとした表情で見つめている。

 

「……なんでもない」

 誤魔化す様に彼は早口で言う。

 

 

「それと、私に敬語は必要ないよ。君がグレムリンに加入したというなら。グレムリンのメンバーは、対等の関係だ。だから私以外にもそのように接するといい」

 

 上条は少し惑ったようだが、最後には素直に頷いた。

「そう、か。了解、加群先生」

 

 『加群先生』。

 学園都市出身である上条当麻に始めて会った時、彼はグレムリンのベルシではなく、『木原加群』の名で自己紹介をしていた。きっと捨てきれない過去への憧憬がそうさせたのだろう。

 

「………これからはベルシと呼んでくれ。君もなんとなく分かってるだろうが、グレムリンではその名前で通しているんだ」

 

 『木原加群』の名は来るべき時までとってある。

 そして、その時はきっと遠くないだろう。

 

「?ああ、分かったよ」

「ともかく、今日で治療は終わりだ。退院おめでとう」

「ありがとうベルシ。アンタには世話になった」

「礼を言う必要はない。私は君の身体が独りでに治っていく手助けをしただけだ。……それに、結局私は君の記憶喪失を治すことができなかった」

 

 上条は眉を顰めて尋ねた。

 

「いつか治ると思うか?」

「……すまないが、私にもそれはわからない。人の脳は未だに完全には解明されていないブラックボックスだ。また学園都市は外部には無い独自な薬物で脳に働きかけ、能力の成長を促す。過去の君にどんな薬物が処方されたのか分からない以上、脳を弄るのはやめた方がいいだろう」

「そう、か」

 

 上条は足元に目を落として、ほのかに笑って頷いた。

 それが強がりの類いであることがベルシには分かった。

 

「そう気を落とすな、と言っても無理…………、だろうな。だが、『今回』は脳内の細胞が壊れてしまった訳ではない。君の記憶が戻る可能性は十分にある。定期的に訪れる頭痛はその証拠だ」

 

 

 ベルシはそう言って上条を励ます。だが、それらの言葉は上条の耳に入らなかった。

 重要な、聞き逃してはいけない単語がベルシの言葉に混ざっているのに気付き、それに注意が向いたからだ。

 

「ベルシ、今何て……。こん……かい、は?」

 上条は思わず声を張り上げる。

 

 その情報を伝えることはベルシは迷ったが、結局は己の勘に従った。

 目の前の『透明な少年』には真実を伝えるべきだと思った。

 

「君の脳をCTスキャンした画像を見させてもらったが、エピソード記憶をつかさどる部分が損傷していた。まるで、脳内にスタンガンを突っ込んで、ショートさせたかの如くに。どうやればこんな傷を負うのか、私には分からない。……分からないが、その結果訪れる症状は予測できる」

 

 それは言うなれば、上条当麻の『一度目の死』。

 

「記憶の欠如、いや破壊だな」

 

 

 その事実を前に『二度目の死』を経た『透明な少年』は何を思うのだろうか。




3期がくるという情報がネットで流れていますね!
ほぼ確定らしいですが、正直な所、オティヌスの無間地獄の如く何度も何度も絶望を味あわされた禁書民としては、公式のアナウンスがくるまでは気を抜けません!
早く安心したいものです!


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