『偽典』とある魔神の主神の槍《グングニル》   作:かり~む

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16話:プロローグの終わり

「ああ、間違いない。それこそが『主神の槍』の柄の素材となる『トネリコ』だ。……ふん。己の役目は、ちゃんと果たしたようだな」

 

 瓦礫の椅子の座ったオティヌスは、アタッシュケースの中身を確認すると小さく頷いた。

 その中には数十セントほどの『トネリコ』の苗木が納められていた。

 

 ジャック・スミスが気絶した後、倉庫から回収したものだ。幸いなことに、魔術の流れ弾は『トネリコ』に当たらなかったようで、殆ど無傷といっていい状態だった。上条とイドゥンはそれを持って、オールボーのアパートに帰った。上手い具合にバスと汽車を乗り継ぐことに成功し、その日のうちに戻ることができた。そして、そのまま『ヴァルハラ』に足を運んだのである。

 

「では、これは私がマリアンの元に運んでおきましょう」

 

 瓦礫の丘の麓に立つ、燕尾服を纏った老人が言う。

 

「ありがとう。ええ、と。ロキ、で良いよな?」

 

 上条は老人に礼を言う。

 

「ええ、そうでございます。かの『ヒーロー』に名を覚えて頂けたとは、このロキめ、感激の極みでございますよ」

 

 ロキはにっこりと笑う。

 そして、ずんずんと大股で上条に近づいていく。

 ロキは素早い動作で、上条の右手を両手で握った。

 

「えっ!?」

 

 魔術師にしては珍しい動作だ。

 異能を扱う者ならば誰であっても、上条当麻の『幻想殺し』には触れたくないと考える。

 

「……何を隠そう!実はわたくし、貴方さまのファンなのですよ!『上条当麻』の活躍を風の噂で聞く度に、年甲斐もなく、少年のように胸を高鳴らせておりました!」

 

 ロキは上条の反応も待たず、一方的にまくし立てた。その目は、テレビの向こう側で活躍する戦隊ヒーローを目の前にした、幼子のようにきらきらと輝いていた。瞳の端には涙さえ溜まっている。

 

 とはいえ、彼の言葉と態度を素直に受け取る事はできないだろう。

 イドゥンにもしもの時、上条を殺せるように拳銃を与えたのは彼なのだから。ロキもまた『グレムリン』。それも、北欧神話でも最も厄介なトリックスターの名を騙る魔術師だ。一筋縄ではいかない人物であるのは、当然だった。

 

 

「まさか同じ組織で肩を並べて、戦うことができるとは!長生きはしてみるものですなあ!」

「ロキ。貴様の三文芝居を私はいつまで見物すればいいんだ?」

 

 瓦礫の頂上から半目のオティヌスが面倒くさそうに言う。

 それを受けて、ロキは恭しく頭を下げた。

 

「はは、これは失礼!……さてさて。それでは、私はもう退出させて頂きましょうか」

「あれ、もういいのか?なんだか話を中断させちゃったみたいだけど」

「良いのですよ。もう殆ど終わって、世間話に興じていただけのなので」

 

 後の計画についてだろう、上条たちが扉を開けると、ロキとオティヌスはなにやら熱心に話し込んでいた。

 正確にはロキが、大袈裟な身振り手振りをしながらオティヌスに一方的に語りかけていた。

 

 ロキはオティヌスに一礼して『トネリコ』を納めたアタッシュケースを抱えて、玉座の間から去っていった。

 オティヌスは次いで上条たちに目を移す。

 

「貴様らも用が済んだのなら帰れ。これからも『槍』の製造に精々励めよ」

「勿論よ」

 

 イドゥンは深く頷く。

 彼女の『願い』が叶うのは、あくまで『槍』が完成を迎え、オティヌスが完全な魔神に至った時だ。今回のイドゥンの行動はあくまで、その第一段階を達成しただけ。本当の戦いはこれからだ。

 

「私は何としてでも私の『願い』を叶えて見せるわ。それではまたね。……貴方?」

 

 イドゥンはオティヌスに背を向けようとしたが、上条当麻はその場を動こうとはしなかった。

 微かな笑みを浮かべながら、彼はイドゥンに言う。

 

「悪い。先、帰っててくれ」

「え?………分かったわ」

 

 イドゥンは、一度だけオティヌスと上条の顔を見比べたが、結局踵を返して、玉座の間を出て行った。

 

 

 そして上条当麻は向かい合う。

 とうの昔に終焉を迎えた神話の神々、彼らが繁栄を謳歌した居城に、未だに座する孤独な神と。

 日はとうに落ちている。人の届かない宇宙の果て。そこから大地に降り注ぐ星の光が空を照らしていた。

 数日前に彼女を初めて見た時と、同じような空だった。

 

 

「何か用か?人形」

 

 オティヌスはじろり、と上条を睨んだ。

 その眼にあるのは明確な苛立ち。いや、敵意といっても過言ではない。魔神にとって上条は存在だけで、気分を害させる存在なのだろう。それは彼の右手とは、関係ない。

 

「はは。……人形、か」

 

 空を仰いで、思わず上条は苦笑する。

 酷い言われようではあるが、彼女の言う通りだと思った。

 

「なあ、オティヌス」

 

 上条は顔を下げた。

 空に浮かぶ星々のように輝く碧眼と視線があった。

 

「それでも、俺は生きてくよ」

「…………」

「アンタ言ったよな。俺には自分がない。吹けば飛ぶような自我と、世界が変わった程度で変化する意識。それはまるで、人形みたいだって。ああ。そうだな。多分アンタの言う通りだと思う。だけど」

 

 一度上条は言葉を区切った。

 

「不安定でも、儚くても、いずれ消えていくものでも、変わってしまうものでも、それが『俺』だよ。だって、今俺が、感じてる気持ちは本物だろう?」

 

 オティヌスは、ほんの僅かに目を細めた。

 

「関係ないんだ。きっと。本物とか偽物とか、人形とか。上条当麻とか、誰であっても。……どうしても見逃せない何かがあって、だから拳を握った。握れた。それだけで、きっと十分だったんだ。『核』なんて必要ないし、そんなものは多分ない」

「……仮に」

 

 それは囁くような声だった。

 魔神には似合わない気の迷いが、つい口を突いて出たような、そんな呟きだった。

 

「うん?」

「仮にだ。お前の意志が、容姿が、存在が、誰かの気分次第で……。それこそ指を鳴らすような気軽さで変わってしまうとしてもか?」

 

 森のざわめきに掻き消えるような囁きには、普段の彼女にはない重みがあった。

 

「……ああ。それでも、だよ」

 

 人形だからどうした。変わってしまうからどうした。

 この気持ちは、消え去るかもしれない。それがどうしたという。

 

 ……上条には、今まであえて考えなかったことがある。

 考えても、無理やり頭の隅に押しやっていた思考がある。

 

 仮に。

 仮に、いつか自身が記憶を取り戻した場合、今の『自分』はどうなるのだろうか。

 

 もしかしたら。

 今の『自分』は、消えてしまうのではないだろうか

 

 ベルシは言っていた。今回、自分は脳に直接ダメージを負ったわけではない。その為、記憶が戻る可能性は十分ある、と。目覚めてから、頻繁に上条を襲っていた頭痛は最近はめっきり無くなったが、それで自分の記憶が戻らないと決めつけるのは早計だろう。ある日突然何かの拍子に、記憶が戻ることだって考え得る。

 

 普通に、今の自分は残るのかもしれない。 

 だが、今の自分が消えないという保証もなかった。

 

 そう。

 今の自分は、いずれ消えゆく幻のような存在なのではないだろうか。

 

 

 それでも。

 それでも。

 いずれ消えてしまっても。

 

「それでも、その時に感じた気持ちは本物だと、俺は思うよ」

「………そうか」

「とりあえず、それを伝えたかっただけだよ」

「………そうか」

 

 オティヌスは同じように頷くと、沈黙の後小馬鹿にするように鼻で笑った。

 

「…………はっ。只の開き直りじゃないか。愚者だけが出せる答えだな、それは」

「だな。だけど、俺に頭のいい答えを期待されても困る」

 

 頬を掻きながら、上条も笑った。

 

「まあ、ともかく。アンタ、この前のふらふらしてる俺が気に入らなかったみたいだからな。それを言いたかったんだ。それだけ。…じゃあな」

 

 上条はそして踵を返す。

 そんな彼の背に鈴のような声が投げかけられた。

 

「おい、愚か者。貴様は一体何を望む?貴様は、どうして『グレムリン』に入ってるんだ?」

 

 かつて彼に投げかけられた質問だった。

 以前の上条は答える事ができなかった。

 今の彼の答えは嘗てと似たもの、だが、確かに異なる点があった。

 

「悪いけど、願いは特にないな。……ああ、だけど、『グレムリン』に入った理由は簡単だ。アンタたちが心配だからだよ」

 

 

 魔神は上条の答えに言葉を返したりはしなかった。話は終わりだとでもいうように、目深に帽子を被り直す。

 その眼に先ほどまでの、射殺さんばかりの敵意はなかった。

 

 それで上条は十分だと思った。

 

 

 

 トンネルを抜けるとそこにはパンツがあった。

 薄暗く視界は悪い。だが、その輝く純白は、それ自体が輝きを放つように存在を主張している。

 上条の頭はスカートの中にすっぽりと納まっていた。

 

「あの。とっとと、どいてくれる?」

 

 頭の上からあらゆる感情が排された平坦な声が投げかけられた。イドゥンの声の筈だ。感情豊かといっていい彼女にしては余りに抑揚がなかったが。

 

「ははは、はいッッ!! 了解であります!!」

 

 恐怖で震える身体を無理やりに動かして、上条は床を這いずり、スカートの中から頭を抜く。『ヴァルハラ』はアパートの台所下の戸棚と繋がっている。上条が出てきた位置に、丁度イドゥンがいたのだ。夕食を作っていたのだろう。イドゥンはゴシックロリータの上から、少女趣味的なデザインのエプロンを纏い、その手には包丁が握られていた。上条の視線は思わずそれに注がれる。下手をすれば、今から自分はその包丁で刺される可能性もあるのだ。光を失った絶対零度の視線が上条を射抜いた。

 

「イイイ、イドゥンさん!?これはですね!?ワザとじゃないというか!?不可抗力というか!?そもそもこんな所に『ヴァルハラ』の出入り口をつけた奴が悪いってい言いますか!?」

「そこにゲートを設置したのは私だけど?」

 

 イドゥンは手に持つ包丁を掲げた。

 

「ひえッ!? 嘘です!! 上条さんが百パーセント悪かったです! ちくしょーー、不幸だーー!!」

「あん? 私のパンツは不幸だと?」

「ああ糞! 違うんです!! 今のは言葉の彩というか!!」

 

 しどろもどろになる上条は見て、イドゥンはふいに噴き出した。

 

「ふはっ。冗談よ」

「………はい?」

「分かってるって。只の偶然なんでしょう? 私の位置も悪かったわね。ごめんなさい、貴方の反応が面白いものだから」

「………イドゥンさんは怒ってらっしゃらない?」

「そういってるでしょ? 何、刺されたいの? トールが帰ってきたみたいだから、彼と一緒に食器でも運んで頂戴」

「ういっす! 全力で運ばせて頂きます!」

 

 台所を出る上条は思わず小首を傾げた。何故だろうか。今一釈然としない。こういった事態に直面した時は、もっと自分は不幸な目に合わなければいけない気がする。いや、別に包丁に刺されたかった訳じゃないが、なんというか納得できない。そんな言語化の難しい感情を胸に抱えて、上条はトールを呼びにリビングに向かう。トールはソファでバラエティ番組を見ながら、げらげら笑っていた。

 

「お。お帰り上条ちゃん」

「ああ、トールもお帰り。いつ帰ってきたんだ?」

「ん、さっきだよ。なんか用かい?」

 

 イドゥンと上条がオールボーに帰る際、彼は別件で単独行動していた。

 

「ああ、イドゥンが手伝ってくれってさ」

「あいよー」

 

 トールはソファから立ち上がり、上条と台所に向かう。台所の棚からスプーンとフォークを取り出しながら、トールは何げなく背後のイドゥンに話しかけた。

 

「ジャックは適当な魔術結社に引き渡したよ。色んなとこで散々やらかした奴みたいだから、それ相応の報いは受けると思う」

「そう」

 

 イドゥンも何気ない風に返事をした。

 だが、お玉で鍋の中の具材を回す手は、一緒だけ確かに止まったのを上条は見た。

 

「……良かったのか? 自分の手でケリつけなくて」

「ええ。良いのよ。私の目的は復讐じゃないから」

「……そうかい」

「あと、ね。その。ありがとう、2人とも。今回は助かったわ。……とっても」

 

 イドゥンの言葉に、トールと上条は優しく笑った。

 

 

 ◆

 

 料理の匂いに釣られたのか、ベルシが部屋からのそのそと出てきた。

 

「……む。もう晩御飯か? さっきまで朝だった筈だが」

「ベルシ、目の隈凄いぞ!?」

 

 上条はベルシの顔を見て、声を上げる。日頃から陰鬱な雰囲気を放つ男だが、今日は雰囲気だけでなく見た目からして、鬱々しい。

 

「何。早急に終わらせなければならないタスクがあって、3日連続で徹夜しただけだ。大丈夫だ、問題ない」

「それ大丈夫じゃないだろ!?」

「十代の頃には1週間程、睡眠もとらず研究に没頭した事もある。若さゆえに体力が有り余っていたからこそ出来たことだと自覚はしているが、それに比べれば大したことは無い」

 

 若かりし青春時代を思い返してベルシは微かに笑った。

 あの頃は若さに任せて、無茶をしたものだ。

 

「ええ……」

 

 上条は引きつったような苦笑いしか返すことができなかった。

 

「よしっと。出来たわよ。はっ。馬鹿みたいに貪り食べるといいわ!」

 

 イドゥンが料理を持った皿をテーブルに運んでくる。

 穏やかな日常がそこにあった。

 

 いずれ彼らは世界から追われるだろう。

 完璧な『魔神』を生み出すという所業を魔術サイドが黙って見ている筈がない。世界を意のままに操るほどの力を個人に与えるのは、余りにも危険すぎる。『グレムリン』がその目的を明かして、世界に躍り出た瞬間、彼らは世界から排斥される筈だ。こんな平穏はもう二度と、やってこないのかもしれない。

 

 だけど。

 今だけは。彼らに僅かな平穏あれ。

 

 

 

 

 数日後。

 上条は首を思いきり曲げて、目の前の巨大な建造物を見上げていた。

 

 大きい。

 

 まず、その感想が第一に来るだろう。縦も見あげる程に大きいが、横のサイズはさらにとてつもない。およそ15キロ。それがその建築物の全長だった。そして、地面からそれを見上げる上条には確認できないが、建築物を上から見下ろすと、巨大な十字架のような形をしている。内装や外観は、建築様式の違う、複数の聖堂や神殿をかき集めて作られた様に見えるが、実際にはそう見えるように新たな石材を削り出しただけだ。だが、その外観はかつて空に浮かんだ『ベツヘルムの星』を、否応なく思い起こさせる。建築物の下部にはガスボンベのような球体が何百も取り付けられており、異様を放っている。それらが、これが宗教的な神殿である事を、断定できなくさせていた。

 

 その建築物は、『グレムリン』のメンバーからは、たんに『デコイ』と呼ばれていた。使い捨ての囮に態々大仰な名前を付ける必要はないというのが、オティヌスの考えだった。その『デコイ』は、アイスランド近海の地底の空間で、秘密裏に建築されていたが、途中で存在意義を失い廃棄されていた。だが、とある目的のため、再び急ピッチで製作されることになったのだった。なんとか予定日までには完成を迎える事は出来た。

 

 

 『デコイ』の周りには上条だけではなく、数多くの『グレムリン』メンバーが立っていた。その殆どは、ここ数日で顔見知りになった者たちだが、初めて見る顔も僅かだがあった。恐らくメンバー勢揃いといっていいだろう。

 

 

 コツコツコツ、と足音が鳴る。

 それを聞くと同時に密集していたグレムリンたちは、2つに分かれる。

 上条は足音の方向に視線を向けた。

 

 その先からやってきたのは、彼らの王。

 全ての魔術師の頂点に立つ存在にして、漆黒の迷宮の永遠なる旅人。

 

 

 魔神オティヌス。

 

 彼女はマントを翻しながら、人の海の中央を悠然と歩く。

 そしてその終点に辿り着くと、くるりと踵を返した。

 碧眼がメンバーを見渡す。要塞の如く巨大な建造物を背にして彼女は告げる。

 

「世界を手玉にとってやれ。『願い』の切符は自分の力で勝ち取るがいい。……時間だ。いくぞ」

 

 科学と魔術の融合結社、『グレムリン』が、今こそ動き出す。

 

 

「すべては『主神の槍』の完成の為に」

 

 各々が辿りつくべき新世界への道を切り開け。

 

 ここまではあくまで、前日譚。

 古き世界、『旧約』は終わった。

 そこから別の世界に移行するまでの、狭間の物語。

 精々がプロローグ。

 

 

 新たな物語は、これより始まる。

 

 

 だがしかし。

 

 そこから始める物語は『新約』ではない。

 世界のゴム紐は既に掛け違い、あるべき点には存在しない。修正はもはや不可能だ。

 

 だから、ここから始まるのは誰も知らない物語。

 上条当麻が織りなす正道から外れた英雄譚。

 

 ――謂うなればそれは。

 

      

 ――――――『偽典』。

 

 

 

 




これで一章は終わりです。




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