『偽典』とある魔神の主神の槍《グングニル》   作:かり~む

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15話:拳を握れ。少女の為に

「僕の魔術が、掻き消えた…?」

 

 ジャック・スミスは目を見開き、呟くように唇を動かす。

 それはこの男には非常に珍しい動作だった。視線の先にいるのは一人の少年。黒髪黒目の東洋系の顔立ち。外見に際立った特徴は見れない。少なくとも、魔術を打ち消す逸話を持つような霊装を、所持しているようには思えなかった。

 

「一体どんな手品を使ったのか知らないけど」

「どけよ」

 

 ジャックの言葉にかぶせる様に、上条は呟いた。

 声は小さい。だが、有無を言わせぬ迫力があった。

 

「うん?悪いけど、僕、自分が喋ってる間に人に口を挟まれるの嫌いなんだけど」

「イドゥンから離れろって言ってんだッッ!!この野郎ォッッ!!」

 

 思い身体を引きずって倉庫の扉を開けた上条の眼に飛び込んできたのは、顔面血だらけで椅子に縛られているイドゥンの姿だった。黒と白の衣服は真っ赤に染まっている。思わず目を背けたくなるほどの惨状。イドゥンの虚ろな目が上条を捉えた。

 

「あ……、なた。どう………して」

 

 掠れた声で呟く。

 

「ああ、成程ね」

 

 ジャック・スミスはにっこりと笑った。

 春の日差しのように柔らかい笑みを浮かべながら、彼はそのモデルのようなすらりと伸びた長い足で、勢いよくイドゥンの腹を蹴り上げる。

 

「が、はッ!?」

 

 イドゥンは口の中に溜まった血を吐きながら、椅子ごと床に転がる。

 そして、そのまま動かなくなった。

 

「うん?気絶したかな?我ながら、完璧な自分の力加減に惚れ惚れする」

 

 コンコン、とイドゥンの頭を靴で何度か軽く踏んで反応がない事を確かめながら、ジャック・スミスは満足そうに頷いた。

 

 

「てめええッッ!!」

 

 上条は気づけば咆哮していた。

 身体の空いた穴から血が噴き出し、激痛が全身を襲ったが、そんな事はどうでもよかった。

 沸騰したような激情が脳を支配する。

 

「どうしてだ!?」

「うん?」

「どうして、てめえはイドゥンを攫ったんだ!?なんで、そんな仕打ちをした!あいつが一体何をしたっていうんだよ!?」

 

 上条の問いにジャック・スミスは、破顔した。

 

「ふはっ!決まってるじゃないか!僕が人生を謳歌するために必要だったからだよ!そして、彼女はその為の踏み台になれる素質があった!それだけさ!」

「……………ッ!?」

 

 質問の答えは歪みに満ちていた。

 

「だっていうのに。彼女、中々首を縦に振らないんだぜ?全く!どいつもこいつも、僕の人生の邪魔をするんだから!面倒な事この上ない」  

 ジャック・スミスは顔を顰める。

 空虚な欲望の果てがそこにあった。

 

「凡夫どもは才溢れる僕の踏み台になっていればいいんだよ。すべてはこのジャック・スミスの為にあるのだから。ねえ。君もそう思うだろう?」

「……………………………お前。それ本気で言ってるのか?」

「うん?本気も本気さ。何か間違った事、言ったかな?」

 

 純然たる狂気を前にして、上条は首を横に振った。もう手遅れだとでも言うように。

 怒りはあった。こんな身勝手な理由でこの男はイドゥンを嬲った事はとても許せはしない。

 

「………アンタ」

 

 だが、同時に。

 

「……可哀そうな奴だよ」

 

 そう思わずにいられなかった。

 

 上条当麻は理解した。

 この男の本質を。

 

 空っぽで虚ろ。

 この男には何もない。

 

 魔術師が奇跡を求めるに至った背景、魔術師ならば誰だって背負っている筈の『悲劇』も、胸の奥底にしまい込んだ『願い』もない。『グレムリン』は『魔法名』を失った者たちの集まりだが、ジャック・スミスは、そもそも『魔法名』を持ったことすらないだろう。魔神に頼ってまで叶えたい悲願がある『グレムリン』とは対極の存在。

 

「自分の内側にしか、目がいかなかったんだな」

 

 そして彼は、上条当麻の鏡合わせだった。

 

 彼には何も無かったのだろう。

 才能以外何も。

 

 だから、それだけを拠り所にした。

 己の中身だけを注視して、最後には中身もなくなった。

 そうしてできた空の器に、最後には歪んだ欲望を詰め込んだ。

 

 

「うーん。それは初めて言われたな。珍しい。………まあ、なんにせよ」

 

 そんな上条の言葉は、やはりジャック・スミスには届かなかった。

 当然だ。彼は他人を見ているようで、結局自分しか見ていないのだから。

 彼の視点の先には自分自身しか存在しない。

 

 或いは。

『透明な少年』が『幻想殺し』を唯一の拠り所にでもしていれば、彼はこうなっていたのだろうか。

 

 上条当麻の胸の奥底には確かに灯る火があった。

 傷つく少女を見捨てたくないという、確かな思いが。

 

 そして、過去の『上条当麻』も傷つき恐れる少年であり、それでも『誰か』の為に戦った。今の自分と何も変わらない只の少年だった。

 

 それらに気づいたとき、不安定な自分を肯定し、そして前に進む勇気を少年は得た。

 だけど。その答えに至れたのは、間違いなく『誰か』の言葉があったからだ。

 

 ジャック・スミスには、きっと誰もいなかった。

 いても目を向けようとはしなかった。

 

 だから。

 

「行くぞ、魔術師。そいつには最高のハッピーエンドが待ってるんだ」

「来なよ、踏み台。僕の幸せのために、悪いけど、死んでくれ」

 

 

 当然の如く、両者は激突する。

 

 

 

 

 ジャック・スミスは天才だ。

 

 彼は、『聖人』や『神の右席』にように特殊な力を振るえる訳ではない。その身体構造自体は凡百の人間と変わらない。音速戦闘を可能とする身体能力を持ってるわけではないし、人の枠を超えた天使級の魔術を扱うことなどできない。

 

 だが、彼は一般的な意味での純然なる天才であった。 

 

「はははは!どうしたんだい?ねえ?」

 

 炎が煌く。

 冷気が満ちる。

 呪いが飛び交う。

 

 ジャック・スミスが指を鳴らせば、種類も神話系統も異なる複数の魔術が上条当麻に飛来する。

 

 近代西洋魔術、北欧神話、日本の妖怪伝承、エジプト神話、グリム童話、と、あらゆる時代とジャンルを問わない常識を逸した広範囲の魔術をジャック・スミスは繰る。

 

 それは本来ならあり得ないことだ。

 魔術とは、元来そう簡単にあつかえるものではない。

 

 学術研究による知識と、生命力を変換した魔力によって魔術は発動できるが、それには数年から10年ほどの時間を要する。勿論、複数の宗教を扱う魔術師だって大勢いるが、それだって『十字教をベースに、十字教に影響を受けた北欧神話を操る』といった風に、関連性のある項目だけに絞るものだ。宗教・神話は、元の伝承を同一としていたり、お互いに影響を与え合っている例が多数ある。それらの類似点を魔術師は見つけ、研ぎ澄まし、魔術へと昇華させるのだ。

 

 類似点も何もない複数の宗教・神話に跨って魔術の行使する事なんて、とても割に合わない。

 常識的に考えれば、その労力と時間を使って、一つの道を究めた方が遥かに効率的だろう。

 

 だが。

 

 どんな世界にも、才人は存在する。異端は生まれる。

 それらの前には、常識など紙屑も同然だった。

 

 

「ぐうッ……!?」

 

 上条当麻は右腕を振りながら、苦悶の声を上げる。

 『幻想殺し』はあらゆる異能を打ち消す。それがどんな宗教・神話をベースとしていようが関係ない。『幻想殺し』は確かに機能し、飛来する幾つもの魔術を消し続けている。

 

 

 故に。

 問題は、それを操る上条当麻の方だった。

 

「はははは!ほらほら!次だ!これは当たると痛いよ!」

 

 ジャック・スミスから、未成年の内臓を奪い取る必殺の呪いが解き放たれる。

 それは、直前に発射されていたムスペルヘイムを満たした灼熱を模した巨大な炎弾の後ろに隠れ、上条に飛来する。

 

 上条は右腕を前に突き出し、炎を打ち消す。

 

 そんな上条の足元を狙うように、ジャック・スミスが放った呪いが迫る。

 右腕の届かないギリギリの位置。『幻想殺し』の効果範囲は既に見破られている。

 当たれば、上条の内臓は消失し、彼は避けようのない絶命を迎えるだろう。

 

 

「おおおおおおお!!」

 

 叫びながら、上条は大股を開いて体勢をぐっと落とし、右手を下から掬い上げる様に振るう。

 呪いを打ち消す。

 

 そのまま上条の意識の隙を縫うように、上空からカーブを描いて迫り、上条の脳天を勝ち割らんとする氷の棘を右手で受け止める。更に間髪入れず、上条の右側面に発生しようとする衝撃波に向かって、右手を振り下ろす。衝撃波は、発生と同時に『幻想殺し』によって霧散した。

 

 

「はあ、はあ……」

 

 最初の炎弾を打ち消してから、ここまで僅か1秒半。

 上条は顔を真っ青にしながら、荒い息を吐く。

 

 

「次いくよ。頑張って!魔術を打ち消せるのは右手の先だけなんだろう!さあ!きびきび動かさないと、死んでしまうぜ?」

「……ッッ!!」

 

 行き着く暇もなく、ジャック・スミスの腕から、次の魔術が飛来する。

 当然、その数はひとつではない。あらゆる方向からやってくるそれらの魔術は、一つ一つが即死級の威力を秘めており、尚且つ絶妙な時間差で死角から迫るように計算されつくされていた。

 

 

 なんとか反撃の糸口を見つけたいところだが、ジャック・スミスは繰り出す魔術を次から次へと変化させ、上条が防御に慣れる事を許さない。上条は魔術を打ち消すことに手一杯で、後手に回らざるを得ない。

 

 

 いくら『幻想殺し』がすべての異能を打ち消すといっても、それを操る上条当麻は、ただの高校生に過ぎない。身体能力は平凡の域を出ないし、処理能力には限界がある。

 

 それに加えて。

 

「大丈夫かい?怪我人なのに無理するからさ。悪いことは言わないから、一度横になって眠りなよ!」

「ちくしょうがッッ…!!」

 

 黒いコートに赤黒い染みが広がっていく。

 上条当麻はジャック・スミスの襲撃により怪我を負っていた。

 雪原を超えてこの倉庫に辿り着くことすら、やっとだったのだ。

 そんな状態で行き着く暇もない激しい攻防を繰り広げれば、どうなるか。

 

「おやぁ?動きが鈍ってるよ」 

 

 死神の鎌を上条は幻視した。

 背中から追いかけてくる死神から逃げようと、上条は必死になって走るが、決してそれを振り切ることは叶わない。死神は一秒ごとに上条との距離を確実に詰めてくる。上条はただ、絶命に至るまでの時間を伸ばしているだけに過ぎない。

 

 正しく。

 今の自身の状況だった。

 

「さあ、そろそろ、終わりにしよう。うん、仕方ない!僕の輝かしい人生のレールの上に、石ころが転がってきたのが悪いのさ」

 

 この均衡はいずれ必ず崩れ去る。

 その時が。上条当麻の死の瞬間だろう。

 

(それでも、それでも!諦めるわけにはいかない!)

 

 光明も見えぬまま、上条当麻は背後に迫る死神の鎌に抗い続ける。

 

 

 イドゥンはむせ返るような息苦しさと共に目を覚ました。

 次いで、顔と腹部にひどい痛みを感じる。

 

「けほ、けほ……」

 

 轟音が耳に届く。

 イドゥンは音の方を見た。霞む視界に映りこんだ光景に思わず呟いた。

 

「………どうして」

 

 そこでは、血まみれの少年が、ジャック・スミスと戦っていた。

 一秒ごとに、確実に追い詰められながら、それでも彼は諦めようともせず、拳を振るっていた。

 

(私なんて見捨てれば良かったのよ……)

 

 自分は多くの人間の命をオティヌスに捧げようとしたのだから。

 自分はこんなに罪深いのだから。

 

(どうして、どうしてこうなるの?いつも善良な人だけが先に死んでいく。私なんかの為に……)

 

 『家族』は自分を助けるために命を使った。

 あの少年も同じように命を散らそうとしている。

 

 前回と同じ。

 世界はいつだって悲劇的で残酷で、イドゥンに耐えがたい痛みを与え続ける。

 

「………………………いや」

 

 だが。少女は思い出す。

 

「違う……!そんな事は認めない…!例え神と世界がそれを許しても、私は決して許しはしない!」

 

 自分はそんな『世界』にこそ反旗を翻した事を。

 

 そうだ。

 こんな悲劇を授ける神と世界なんて、糞食らえだ。

 

 そもそも、自分はそんな現実を受け入れられなかったから『グレムリン』に入ったのだろう。愛する人たちを理不尽に失うという、世界の多くの人間が歯食いしばって耐え、そして受け入れてきたありふれた喪失。それを自分は駄々を捏ねる子供のように拒否し続けた。みっともない。馬鹿みたいだ。だけど、それでも嫌だった。

 

 

「貴方、言ったんでしょうが……」

 

 現実如きに屈するな。思い通りにならない世界なんて、こちらから否定してやれ。

 自分に相応しい、輝く世界に辿り着くのだ。

 

「幸せになれって……!」

 

 そんな世界の否定者こそが、『グレムリン』。

 

「笑顔で胸を張って、『家族』の元に帰れって!」

 

 そして。

 何よりも。

 

「だったら、見届けなさいよ。私が皆と再会して、幸せになる瞬間をッ!」

 

 黄金の新世界には、貴方もいて欲しいから。

 

「そのあとで、最ッッ高の大馬鹿野郎としてッ!!貴方のことを紹介してやるんだからッッ!!」

 

 だから。

 

 生き返った『家族』の輪。

 そのすぐ横に、ツンツン頭の黒髪の少年がいる事を夢想して。

 

 イドゥンは魔術を発動させた。

 

 

 

 北欧神話においてイドゥンという女神は神々に永遠に若さを約束する『林檎』の守護神として伝えられている。一方でそれ以外の記述に乏しく、何を司っていた神なのか、確かな真実は不明だった。一説によると、その女神は豊穣を司っていたのではないかと推測されている。

 

 

 突如発生した黄金の奔流がジャック・スミスに背後から襲い掛かかった。意識の隙を突かれ、迫るそれらに全く気づかなかったジャックに、その攻撃は直撃した。

 

「が、はッ!?なんだ?麦!?」

 

 倉庫内の床には、最初から幾つもの発芽していない麦の種が転がっていた。それをイドゥンは急成長させ、操り、ジャックを攻撃したのだった。ジャックと2人きりの時であれば、こんな真似はとてもできないだろう。だが、ジャックは上条当麻との戦いに集中しており、周囲の警戒がおざなりだった。そも、イドゥンは気絶しているものと、彼は考えていたのだ。

 

 黄金の麦の穂は束なり、絡み合いながら、触手のように蠢きジャックを飲みこまんとする。

 

「がッ!?イドゥン!?お前かァッ!!」

 ジャック・スミスの咆哮と共に彼に襲い掛かった麦の穂は腐り落ちる。

 

「だからぁ!僕の邪魔を!するなよ!」

 

 血の混じった唾を飛ばしながら、ジャック・スミスの手が怪しく光った。

 縛られたイドゥンでは、それを回避することはできない。自分はこのままでは死ぬだろう。

 それを分かったうえでイドゥンは魔術を使ったのだ。

 

 避けることのできない少女の終わり。

 

 しかし。

 

 そんな悲劇を、上条当麻が認める訳がなかった。

 

 

「イドゥンッッーーーーーー!!!!!!」

 

 

 上条当麻は床を蹴る。強く。強く。

 身体から何か赤い液体が噴き出したが、そんなものに気を割く余裕はない。

 大切なことはただ一つだけ。目の前の少女をなんとしても救い出す。

 

 

 それのみを考えて、上条当麻は手を伸ばす。

 届け。届け。届けーーーー!

 

 そして。

 ジャック・スミスが魔術を放つ、刹那の直前。

 その拳は確かに届いた。

 

「が、はあああ!?」

 

 空虚な男の左頬に拳がめり込む。

 ジャック・スミスはそれでも倒れはしなかった。

 吹っ飛びながらも、体勢を整え、空中で上条に対して魔術を繰り出す。

 

「どいつもこいつも!!」

 

 だが、所詮は無理な体勢で咄嗟に撃ちだした魔術だ。先ほどまでの抜群のコントロールはそこになかった。上条はそれらを難なく打ち消すと、再び床を強く蹴る。

 

「てめえらみたいなゴミ屑どもはッ!僕の踏み台になる以外、価値なんてねえんだよ!それだってのに!」

 

 ジャック・スミスは後ろに下がりながら、尚魔術を撃ちだす。

 迫りくるそれらを、右手で消失させながら、上条当麻は止まらない

 

 ただ、走り続ける。

 目の前の空虚な男に向かって。

 

「ふざけんな!イドゥンも俺も誰だって、テメェの為に産まれた訳じゃねえ!願いの意味すら分かっていない奴が、他人の願いを踏みにじるなよ!」

 

 手を伸ばせば届く距離まで、上条は近づいていた。

 

「だからッッ!」

 

 ジャック・スミスは右手に氷の剣を形成して上条を迎え撃つ。

 上条の首を刈り取るように、水平に振るわれた斬撃を体勢を落として避ける。

 

「お前のその惨めで空虚な幻想をーーーー」

 

 上条当麻は拳を握る。

 少女の『願い』と笑顔を守るために。

 

「この右手でぶち殺す!!」

 

 そして。

 

 渾身の力を持って。

 拳を振り上げる。

 

 鈍い音が炸裂し、ジャック・スミスの身体は空中に打ち上げられ、その後重力に従って地面に叩きつけられた。

 

 

 

 

 




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