『偽典』とある魔神の主神の槍《グングニル》   作:かり~む

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14話:Welcomehome,hero おかえり、ヒーロー

 ぽたり、ぽたりと踏み出すごとに、血が滴っていく。

 

 それはコートを伝って地面にジャンプして、白い大地に真っ赤な花を咲かせ続ける。身体に刺さった氷の棘を抜いたのは間違いなく失敗だったな、と少年は苦く笑った。

 

 ちらりと後ろを振り返ると、自分が歩いた道のりを示すように、一本の赤い線ができていた。それが自分の身体から零れ落ちた血液だと思うと、背筋が寒くなる。一歩踏み出すごとに命の源が喪失し、息を吐くごとに熱が奪われていくのが分かった。

 

 ここから先には、あの金髪の魔術師が待ち構えているだろう。自分を軽くあしらい、イドゥンを難なく攫っていった、あの魔術師。直感で分かった。あの男は強い。行けば、命の保証はない。万全の状態でもそうだし、こんな手傷を負った状態なら言わずもがなだ。

 

 怖い。

 

 誤魔化しようがないほどに、その感情は少年の内側で膨らみ続ける。膝が震えそうになるのは、きっと寒さのせいではないだろう。気を抜けば立ち止り、そのまま引き返してアンドロの家に駆けこみそうになる。そんな誘惑が常に頭でちらつく。

 

 

 それでも。彼の足は決して止まることはなかった。

 イドゥンが首に下げた発信機の反応がある方向に、一歩一歩着実に迷いなく彼は進んでいる。

 

 『透明な少年』は変わっていない。

 あのオールボーのアパートメントで、記憶を失った状態で目覚めた時から。

 彼の本質は、何も変化していない。

 

 『上条当麻』へのどうしようもない憧れ。自分ではなく彼ならば、もっと上手くやれたのではないかという疑念。どうしようもなく空っぽで、『核』と呼ぶべきものが微塵もない。足場がないかのような不安な気持ち。それらは変わらず、彼の中にある。

 

 それでも。

 

 彼の心の奥底には、確かに灯る明かりがあった。それを彼は自覚した。炎と呼ぶには余りに弱く、だが決して消えることのない、小さな小さな明かり。それは篝火のように少年に進むべき道を示す。恐怖を上回る力が彼の中に湧いてくる。

 

 

 思えば、それを感じたのは初めてではなかった。

 

 例えば、オールーボーでイドゥンの魔術に苦しめられる不良たちを前にした時。

 例えば、夜の緑地公園でオッレルスに立ち向かった時。

 例えば、雪原でどうしようもなく悲しい少女と対峙した時。

 例えば、----今。

 

 自分が、一歩を踏み出せたのは何故だろう。踏み出しているのは何故だろう。

 大した理由はない筈だ。ただ、目の前に理不尽があって、それを見て見ぬ振りができなかっただけだ。そんなちっぽけな理由で、今自分は拳を握ろうとしている。命を懸けている。

 

 その事を彼は自覚して。

 

 そして。

 

 そして。

 

「-----ああ。----そうか」

 

 ようやく、少年は理解した。

 何故、『上条当麻』が『ヒーロー』と呼ばれるに至ったのかを。

 

 自分と同じ記憶を失った状態。何も持たない空っぽからスタートしたはずなのに、どうして、拳一つで世界を駆け抜け、『第三次世界大戦』を終結させるという偉業を成し遂げられたのかを。

 

 それは、彼が特別な能力を有していたからではない。

 際立った主義・主張を持っていたからでもない。

 何か壮絶な過去を背負っていたからでもない。

 誰にも負けない強固な『核』を持っていたからでもない。

 

「----『上条当麻(おれ)』も同じだったんだな」

 

 

 ただ、目の前にどうしようもない理不尽があって。

 傷つき倒れようとしている『誰か』がいて。

 

 それを見て見ぬ振りができなかっただけだ。

 怖くて怖くて、自分も逃げ出したくて、それでもそんな悲劇を認めたくはなくて。

 

 だから『上条当麻(じぶん)』は拳を握った。

 きっと膝は震えていただろう。

 目に涙さえ浮かべていたかもしれない。

 

 だけど。

 背を向けるという選択肢だけは、選べなかった。

 

 今の自分と同じように。

 

 彼は世界を救おうと思って、世界を救ったわけではない。『ヒーロー』になろうと思って、『ヒーロー』になったわけではない。己の胸に灯る淡く小さな炎に従って、がむしゃらに駆け抜けていっただけ。『世界を救った』という業績も、『ヒーロー』という名声も、只の結果に過ぎない。

 

 

 

 それを、ようやく理解した。

 

 少年の頭の中に、出会った人々の言葉が浮かんでは消えていく。

 

 答えは最初から全て自分の中にあった。

 それを発見できたのは、誰かのおかげだった。

 それが何より嬉しかった。

 

 

『吹けば飛ぶような自我と、世界が変わった程度で変化する意識。………人形みたいだろうが』

 

 足場のないような感覚はいまだに消えることはない。人形みたいだという彼女の評は、見事に当たっていると思う。

 

 だが、それでも。

 この心に灯る火だけは本物だ。

 例え世界が変わっても、この気持ちは嘘じゃない。

 

 

『俺が目をかけた『敵』は残念ながらいなくなっちまったみたいだが、そいつが帰ってこない保証はない。

 

 『上条当麻』はもういない。彼は北極の海で『死んだ』のだ。

 あの『戦争代理人』の待ち望む『ヒーロー』に、きっと自分はなれないだろう。

 

 だが。

 

『分からないことだらけじゃない、貴方。……本当にただの人なのね』

 

 只人が、誰かのために拳を握ってはいけないルールはないだろう。

 誰かを救うために、ちょっと勇気を振り絞れば。

 

 

『俺は『アンタ』に期待してるんだ』

 

 誰だって、『ヒーロー』になれる。 

 だから。

 

『君の好きなようにやりなさい。己の心に従って、感情のままに行動しなさい。そうすれば、きっと君は君を確立できる』

 

 

 『核』なんて必要なかった。

 透明でも構わない。

 不安定だからどうしたというのだ。

 それを自覚し、尚進め。

 

 それこそが『自分自身』。

 誰でもない『透明な少年』は、きっと誰でもない『ヒーロー』になれる。それが『上条当麻』に似ていようが似ていなかろうが、それは彼だけのもの。彼にだけに歩けた道の果てだから。

 

 

 

 少年は拳を握る。強く。強く。

 

 

 そして。

 上条当麻は、この世界に産声を上げた。

 

 

 

 

 雪原にぽつんと寂しく建つ倉庫があった。

 少年は握りしめた携帯の画面に目を移す。

 画面上に示されたイドゥンの発信機の反応は、彼女がその倉庫にいることを示していた。

 

 

 ボコボコボコォ!!と、何かが盛り上がるような音が響く。真っ白な大地がぐらりと揺らいだ。

 

「なんだ……!?」

 

 上条が立っている雪原、その雪が一か所に掻き集められていく。

 やがて、形作られたのは上条の身長の数倍の巨躯を持つ、巨大な雪の巨人。

 

 巨人は耳を劈く咆哮を上げると、すぐさま己の生み出された目的を履行しようとする。

 つまりは侵入者の排除。

 

 腕を振り上げ、そのまま振り下ろす。

 トラックを一撃でひしゃげさせるであろうその破壊を目前に、上条は何もしなかった。

 

 右手を振る素振りもない。

 立ち止まりさえしなかった。

 

 その必要がない事を彼は理解していた。

 巨人と上条の間に滑り込むように割り込んだ、輝く金髪がたなびくその背を、上条当麻は目にしたから。

 

 拳が上条に当たる直前、巨人の拳は細切れとなる。間髪入れず、すべてを切り裂くアーク溶断ブレードによって、巨人の身体も数十に分割された。巨人の残骸が地面に次々と落下する。その衝撃で、氷の結晶が砂埃のように大気に舞う。

 

「おーー寒い、寒い」

 

 溶断ブレードを解いて、両手をこすり合わせな暖をとる金髪の少年。

 雷神トールは上条を見てニヤリと笑った。

 

「よお。良い顔だな。悪くない。助けるべき存在とはとても言えねえな、こりゃあ」

「身体はもう良いのか?」

「本調子には程遠いがね。一応は動く。………っちい!しつこいな、こいつッ!」

 

 忌々し気にトールが舌打ちする。

 視線は先ほど自身が切り刻んだ雪の巨人の残骸。

 

 ゴロ、ゴロゴロ……と何十にも分割された巨人のパーツが雪だるまの如く雪原を転がり、一か所に集まる。それらは雪の上を転がる過程で、更なる雪を取り込み、より大きな巨人を形成していく。その光景を眺めながら、トールはぼやいた。

 

「術者か霊装を壊さなきゃ、地脈を使って延々と復活するタイプか?一番嫌な奴だね。『経験値』は碌に得られないくせして、面倒な事この上ない」

 

 一度小さくため息を吐くとトールは上条に言う。

 

「行けよ、上条当麻」

「……すまん」

「ははっ。こういう時は違うだろ?」

 

 上条は僅かにきょとんとするも、トールの欲する言葉にあたりがついたのだろう、小さく頷く。

 

「………任せた、トール」

「----任された。……さあ、行ってこいよォッッ!!上条当麻ッッ!!!」

 

 吠えるトールの五指からそれぞれ一本ずつ、両手で都合十本のアーク溶断ブレードが形成される。雷神と巨人が再びぶつかる。神話世界再現の如き人知を超えた激突を背にして、上条は再び歩き出す。

 

 

「ははははは!!!そうだ!それでいい!それでこそだッッ!!」

 

 巨人の腕に飛び乗って、その上を駆けながら、トールは叫ぶ。その声は嬉々としていた。

 

「ああ、漸く分かった!シヴ!!」

 

 誰かを助けたくて、力を求めたのか。

 力があるから誰かを助ける気になったのか。

 

 そんな事は問題ではない。

 大事なのは力の有無ではないのだ。

 

「力がなくとも、誰かを助けるために、拳を振るう!!それこそが、『ヒーロー』なんだな!!」

 

 トールは知っている。

 あの『透明な少年』が、悩み、恐れ、不安と戦う、どこにでもいる少年であることを。

 

 だが、それでも彼は拳を握った。

 きっと、『幻想殺し』がなくとも、彼はそうした。

 そしてそれは、かつて己の敵と見定めた、あの『上条当麻』もそうだった筈だ。

 

 結局それこそが、自分と彼との違いだろう。

 彼は力に拘らない。

 自分とは違う答えに至れる。

 

 一欠けらの羨望を滲ませて、だが、確かに悪童のような笑みを浮かべながら、彼は言った。

 

 

「----おかえり、『ヒーロー』。俺と世界は、お前の誕生を祝福するぜ」

 

 

 

 

 鈍い音が繰り返し響いていた。

 その音は止め事を知らず、男の怒号に合わせて、リズムよくテンポを刻む。

 

「全く!君如きがッッ!このッ!僕のッ!手をッ!煩わせるんじゃッ!ない、よッ!」

 

 それが、自分の顔が殴られている音である事に、イドゥンは数秒かかって気づいた。どうやら、一瞬気を失っていたようだ。そのままずっと意識がない状態でも、構わなかったが、こればかりは自分でどうすることもできない。

 

 霞んだ視界には、額を手で拭うジャックが映っていた。どういう訳か、妙にすがすがしい顔をしていた。血に染まった手をハンカチで拭きながら、ジャックは言う。

 

「……ああ、でも。偶の運動も悪くはないな。適度な運動はストレスの緩和に繋がるっていうし……。これから定期的にやるのも悪くない。君もそう思うだろう?」

 

 俯くイドゥンの髪を掴んで、自分の顔を見させてジャックは尋ねる。

 

「う……」

「……イドゥン。どうだい?僕の言う事を聞く気になったかい?」

 

 イドゥンへの『説得』によって、機嫌を大分取り戻したのか、その顔には笑みが戻っていた。

 

「…………はっ。誰が……」

「ああ、そう。ハンカチで拭いたのは無駄になったな」

 

 ため息を吐いて、ジャック・スミスは真っ赤なハンカチを床に落とす。

 そして、拳を振り上げて。

 

 

 轟音が、響いた。

 ただ一つの光源だったストーブの灯が、その衝撃で消える。

 室内が一気に暗くなった。

 

「なんだ……?」

 

 それは倉庫の外から聞こえていた。

 

「外に配置されていた侵入者迎撃用のゴーレムが撃破された?……君のツレかい?殺したと思っていたけど。……まあ、いいか。あのゴーレムは術者である僕を倒さない限り、壊しても壊しても蘇る。悪いけど、君を助けに来た王子様がここに辿り着くことはないよ」

 

 轟音は何度も断続的に響いていた。

 それはつまり、戦う誰かがゴーレムに負けていないことを示していたが、同時に突破できていないことの証明でもあった。それにジャックは気をよくして、再びイドゥンの方に視線を向ける。

 

 だが。

 

 ギィィィ、と重苦しい音が響いた。

 

「……あん?」

 

 倉庫の鉄製の扉が開かれる音だった。

 暗がりだった室内に、光が差し込む。雪の結晶が舞う。

 

 そこに。

 一人の少年が立っていた。

 

 ウニのようなツンツンの髪。

 日本の高校の学生服の上から、黒のコートを羽織っている。

 俯きがちの格好で、その表情はうかがい知れない。

 

 

「……ふっ」

 

 ジャックの口から笑いが零れ出た。

 

「ふははっ!なんだい?死に体じゃないか!」

 

 彼の身体は既にボロボロだった。

 あちこちから血が流れていて、その足元はおぼつかない。

 今にもふらりと倒れそうだった。

 

「----さあ、死ねよ」

 

 

 そして、ジャック・スミスは腕を振るう。

 

 それは北欧神話の原初の霜の巨人の力を顕現させた氷の息吹だった。

 それは日本に伝わる妖怪の伝承を元にした未成年の内臓を奪い取る呪いだった。

 それは西洋において盛んだった魔女狩りの炎を再現した一方的に他者を断罪するの業火の渦だった。

 

 あらゆる系統、あらゆる伝承を元にした魔術が、混ざり、折り重なり、溶け合って、一つの巨大な死の奔流となる。万色を塗り重ねた漆黒。それが少年に襲い掛かる。

 

 それに対して、彼は。

 上条当麻は。

 

 右手をただ。

 横に振るった。

 

 ガラスの割れる音と共に、幻想は否定される。

 

 

 上条当麻は前を向く。身体は今にも倒れそうだ。だが、その眼は死んではいなかった。爛爛と燃えていた。己の敵を、彼は見据える。

 

 

 

 それを見つめるイドゥンの脳裏に浮かんだのは、『グレムリン』に加入したばかりの頃にトールと行った、下らない会話。

 

 

『ねえ、トール。上条当麻って知ってる?』

『誰でも救ってくれるらしいわよ。どんな罪を背負っていても、どんな相手が敵だとしてもも、拳一つで立ち向かって救ってしまうんですって。馬鹿みたいな男よね』

『だけど、もし。ずっと前に彼と出会っていたら、私たちは何か変わっていたのかしらーーーー』

 

 

 或いは、もっと早く。イドゥンが『家族』を失った日に、『上条当麻』がそこにいてくれたのなら、自分は今も幸せな暮らしを謳歌できていたのだろうか。『家族』は誰一人失わず、悲劇なんか起こらずに。あの穏やかな世界で暮らしていたのだろうか。

 

 それは只の夢想だ。

 『ヒーロー』なんてイドゥンの傍にはいなかった。

 只、当たり前にような理不尽だけが、彼女に寄り添った。

 

 そもそも、かの『ヒーロー』北極の海で死んだのだ。

 イドゥンと行動を共にしたのは、悩み恐れる只の少年。

 

 

 だが。

 

 

 

 今度こそ。

 『ヒーロー』は間に合った。

 さあ、ハッピーエンドを掴み取れ。

 

 

 

  




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