物心ついた頃、少女の両親は既に側にいなかった。
少女が言葉を2,3覚えた時分に、不幸な事故で死んでしまったらしい。親類縁者の類が両親にはいなかったのか、オカルトにかぶれた両親を親族は見限っていたのか、確かな答えは分からない。結局、少女の親類だと名乗る者は、ついぞ現れなかった。
だけど、少女は幸せだった。
少女の両親はいなくなってしまったけれど、沢山の優しい家族が少女にはいたのだから。
少女は父の友人だと名乗る、とある魔術師の元に引き取られた。魔術師は北欧の結社に所属し、少女は結社の大人たち全員の子供として育てられることになる。結社というよりは同じような信条や美意識をもった魔術師同士が寄り合って共に暮らす、一種の疑似家族、コミュニティと呼んだ方が適切だったのかもしれない。
少女の家族は善き人達だった。
自然を愛し、清貧を美徳とし、悪徳よりも善なる行為を好む。
少女は暖かな人たちの元で、優しく穏やかな生活を謳歌した。
だけど、少女の暖かな日々はやがて終わりを迎える。
春がいつまでも続かないように。少女の元にも凍えるような冬の季節が到来する。
他国からやってきた十字教を信仰する魔術結社。
彼らは、多神教の古き世界から十字教による解放を謳い、それを少女の所属する結社に求めた。
突然やってきた素性の分からない連中に改宗を要求されて、首を縦に振るう者はいない。当然少女の家族はそれを拒否し、それに憤慨した侵攻者たちとの間で抗争が勃発した。
そうして。
少女の家族はいなくなった。
善き人たちは皆この世から去った。
◆
「イドゥン!!」
上条は吠える。その先に少女がいた。
銀の髪に空色の目。黒白のゴシックロリータを纏いし、神々の命運をその手に握った女神が。
「お前……何をしているんだ!」
詰問するように上条は声を荒らげる。
先ほどこの右手は自分の身に降りかかった『何か』を間違いなく破壊した。それ以外に明確な根拠はない。ほとんど直感だった。だが、それが当たっているとすれば。だとすれば。まさか、目のまえにいるこの女は。
「…見て分からないの?はっ。馬鹿ね貴方は」
酷薄な笑みを浮かべながらイドゥンはゆっくりと振り返る。
その手には上条の推測通り、神々しく輝く林檎があった。
しかし、その林檎は腐り、崩れ去ろうとしている。
つまりイドゥンは自身の魔術を発動したのだ。
ならば、いったい誰に対して?
「『林檎』は神々に不死を授けた」
イドゥンは上条から距離をとりながら言う。
舞台を闊歩する主演女優の如く、両手を広げて歌うように。
「しかし、其れが失われたとき、神々は急激な老いに襲われた。…神話での林檎は個人の神に充てがわれたものではない。神々全てが女神の管理する林檎によって、若さを保っていた」
すなわち。
「複数を対象にした広範囲への呪いの散布こそが、私の魔術の真骨頂。これより、私を起点に数キロに渡ってこの地域には一時の繁栄が約束され、其れは必ず崩れ去る。どいつこいつも老いからは逃げられない」
◆
『おう、アンドロ。今から山かのう?』
『いいや。違うよ。ウィンバーグの婆さんに飯を届けにいくとこさ。3日前にぎっくり腰になってから、ろくに動けないみたいだから』
『おお、そうかい。お前さんの気配りに、年寄り連中は皆助かっとるよ。……あれ?でも、ウィンバーグの婆さん、さっき元気よさそうに雪かきしてたような……』
『え……?そんな馬鹿な』
『おーーー!アンドロに爺さんじゃねえか!』
『やあ、リック!……あれ?いつもかけてる牛乳瓶の底みたいな眼鏡はどうしたんだい?』
『眼鏡の分厚さはほっとけ。…でも、聞いてくれよ!なんだか、さっきからやけに遠くの景色が見えるんだ!眼鏡もいらねえくらいさ!おまけに身体も妙に軽いし!アンドロや爺さんもなんか感じねえか!?』
『確かに、いつもより体の調子がいいような……』
『なんだか、不思議じゃのう。何も起こらなければいいんじゃが』
◆
「どう、して」
震える声で上条は尋ねる。
上条は意味が分からなかった。『主神の槍』の柄の外装部分の材料となる『トネリコ』。それを求めて、上条とイドゥンはこの村にやってきた。しかし、『トネリコ』は既にそこにはなかった。それにイドゥンが動揺するのは分かる。彼女はオティヌスからの信用を取り戻す事に拘泥していた。
しかし。
「どうして!?村の人たちをお前の魔術に巻き込む事になるんだよ!」
昨晩はあんなに近くに感じたはずの少女が今は遠い。
「言ったでしょ?私は何としてでも『トネリコ』を手に入れてみせる。それだけが、わたしがオティヌスから失った信用を取り戻す道だから」
物覚えの悪い子供に教え諭すようにイドゥンは言う。
「この『林檎』の魔術には、まだ大きな利点があるのよ。だからこそ私は『グレムリン』に招かれた。………この『魔術』は回避できない。私が死ぬか自分で解かなければ、永劫に解放されることはないのよ。……対象者が老いで死ぬまでね」
イドゥンが扱う『林檎』の魔術は相手をいったん強化して、その後にようやく攻撃に転ずるという、回りくどく、扱いにくいものだ。だが、それを補ってあまりある利点がそれだった。女神の林檎が齎す繁栄と破滅からは誰であっても、神であっても逃げられない。
「例え相手がどんなに高名な魔術師でも、神の子の身体的特徴を受け継ぐ『聖人』であっても、人の枠を超えた半魔神であっても、それは変わらないわ」
オッレルスでさえも、この魔術を回避することはおろか自力で解くこともできなかった。彼が選んだのは、イドゥンを見つけ出して、彼女自身に魔術を解かせることだった。
己の魔力を使って魔術に抵抗し、繁栄から老いに転換するまでの期間を伸ばすことはできるが、術そのものを解除することができた者は、誰一人としていない。
「『トネリコ』を盗んだのが誰かは分からない。だけど、足跡が残ってるって事は、まず間違いなく盗まれたのはついさっきでしょう。数キロ以内の範囲には確実にいるわ。……そこは私の魔術の範囲下よ」
「つまり、お前は」
「ええ。『トネリコ』を盗んだ不遜な輩を炙り出す。盗人は自身にかけられた魔術を解くために、私の前に姿をのこのこと表す筈」
「……村の人たちは?アンドロさんたちは…」
「死ぬわね。まあ、仕方ないわ」
イドゥンはあっけらかんと言い放った。
「魔力での抵抗ができない一般人は、老いをそのまま受けて、やがて老衰へ至るでしょう。……林檎の魔術は対象を目視して選ぶ方式と、範囲を指定する方式の2つがあるけど、私は『トネリコ』を盗んでいった下手人を見ていない。後者の方式しか使えないわ」
繁栄から老いに転ずるまでの期間は一律ではない。
対象者がその身に保有する魔力などによって変わってくる。そして、魔力をほとんど持たない一般人は、すぐにでも老いさらばえて、死んでしまうだろう。
「イドゥン、それしかないのか?」
「ええ、それしかないわ」
「お前はそれでいいのか?」
「良いに決まってるじゃない」
上条は一度だけ瞼を閉じた。
それは決意を固めるための儀式だった。
「そうか」
雪を踏み抜いて、イドゥンへと近づく。
そんな上条の行動に対して、イドゥンは懐から『何か』を取り出した。
「くるなッ!」
イドゥンは『それ』を上条に突きつける。
上条の動きがぴたりと止まる。
「……こないでよ。言ったでしょ?私は直接的な戦闘力は薄いの」
鈍く光を反射する真っ黒なそれは『拳銃』。
引き金一つで相手の命を奪い去る人の知恵が生み出した凶器。
「馬鹿な貴方にも分かるように言ってやる。それ以上近づいたら撃つぞ」
『グレムリン』はまだ上条当麻を信用しきっていたわけではなかった。
そもそも、『グレムリン』という組織とそこに属する魔術師たちの性質を鑑みれば、『ヒーロー』が反旗を翻す可能性は十分にある。
だから。
『彼が怪しい行動をとったならば、迷わず撃ちなさい』
そんな言葉とともに、ロキはイドゥンに拳銃を与えた。オティヌスを補佐する参謀としての役割を彼は深く理解していた。上条の右手に宿る『幻想殺し』は魔術や超能力などの異能の力に対しては、強力なジョーカーとして機能するが、反面それ以外の攻撃手段に対しては滅法弱い。
「……なあ、イドゥン。お前言ったよな。どうしても生き返らせたい人がいるって」
上条は歩みを止めた代わりにイドゥンに語りかけた。
「彼らは」
「黙りなさい」
「とても優しい人たちだって」
「黙れよ……!」
「そんな優しい人たちが自分たちがそんな犠牲の上に生き返ることを許容できるのか?」
「黙れッッて!!」
その叫びは、どうしようもなく悲痛な思いに満ちていた。
「ええ、彼らは許せないでしょうね!自分たちがそんな犠牲の上に生き返ったことなんて、とても許しはしないでしょう!あるいはそれに絶望して、もう一度命を絶つかもしれない!」
彼らは優しい人たちだったから。
そんな彼らだからこそ、イドゥンは生き返って欲しいと思ったのだから。
「だったら……!!」
だけど。
「それでも、それでも!私は彼らに生き返って欲しいのよ!生きててほしかった!死んでほしくなかった!どうして!?どうして彼らが死ななきゃならなかったの!?アンネ、ヒルダ、ジーク、グリゼルダ、ヴィント、ライセン………みんな、みんな死んでいい人じゃなかった!」
イドゥンは天を仰ぎ見た。
この馬鹿みたいに真っ黒な世界から目を逸らすように。
雪の舞い落ちる空は、地上の汚れを知らないとでもいうように真っ白だった。
それが何だか可笑しくて、イドゥンは歪んだ笑みを作った。
「ははっ。……私だけが生き残った。醜く愚かで馬鹿な私だけが。……ええ、そんな事間違ってる!」
誰に言われずとも分かっている。
自分がやっている行いを彼らは決して喜んではくれないだろうという事も。
自分の行いが間違っているだろうことも。
そもそも、イドゥンを襲った悲劇なんてこの世界には星の数ほど存在している。大切な者を無くす痛みを経験したのは、何もイドゥンだけではない。極論、人類の殆どは何かしらの理不尽により、愛しい者を亡くしているのだ。だが、それでも人々はめげずに現実を生きている。きっとイドゥンが愛した『家族』も彼女にそれを望んでいただろう。
全部。
全部。
分かっている。
分かっていて、前に進むと決めたのだ。彼らの死を『仕方ないね』という言葉と共に、ありふれた喪失にカテゴライズすることは、彼女にはとてもできなかった。
彼女は誓ったのだ。
あらゆる犠牲を許容して、例え皮が剥げ、肉が削げ、骨すらも軋み折れてしまっても、この胸に灯る『願い』を叶えてみせると。己の魂に誓ったのだ。
なのに、目のまえの只の男はいまだ自分を止める気でいるらしい。
彼の目はまだ死んでいなかった。その真っすぐな瞳はイドゥンの心をかき乱した。
「……まだ何か言いたいことがあるの?」
「あるさ。イドゥン。もう一度聞くぞ。お前はそれでいいのか?」
「なにがよ?」
「『家族』がそれを望んでいなくても、お前はあらゆる犠牲を許容して、彼らを蘇らせるんだな。その覚悟は分かった。……だけど、関係ない人たちを巻き込んで、屍の上に家族を蘇らせてーーーー」
そこで、イドゥンは気づいた。
自分と対峙するこの男。彼の目には怒りはなかった。何かに耐えるように歯を食いしばり、その眼は濡れていた。彼は悲しんでいた。
何を?
イドゥンのこれからの行く末をだ。
「----お前は笑顔で家族の元に戻れるのか?」
上条当麻は知っている。
『ベツレヘムの星』から北極海に落ち、全身を強打した上条をベルシと共に看病したことを。
不良たちに追われる上条を助けるために、魔術を使ったことを。
オッレルスとの戦いで傷を負ったトールを寝ずに治療したことを。
彼女は世話になった夫妻にしっかりと礼を言える女の子であることを。
そして、そんな少女が誰かを犠牲にした自分に幸福を許す筈がない事を、上条を知っている。
「なあ。無理だろう。だって、お前はそういう奴だ。それくらいは俺にだって分かる」
上条の言葉にイドゥンは俯いた。
「はっ」
真っ白な空を仰いで、彼女は笑う。
心底可笑しそうに。天に座する偉大なる主に唾を吐きかけるように。
「はっ!ははは!はははは!ははははははは!!」
それはまるで、悲鳴のようだった。
「私は、私はッ!!『家族』の元に帰ろうだなんて!その輪の中に入ろだなんて!微塵も思っていないッッ!!」
そして、彼女が発した言葉は己への極大の憎悪に濡れていた。
◆
魔術師に育てられた少女は当然のように魔術を学んだ。
才能があったのだろう。まるでスポンジが水を吸う如く知識と技術を吸収する少女に、彼女の『家族』は驚き、だが自分たちに与えられるだけの叡智を授けた。育まれた叡智は、異郷からやってきた侵略者たちとの抗争で発揮されることとなる。
その『林檎』の魔術は本来、彼女が愛する『家族』たちに繁栄を齎すものだった。
少女が戦場で『林檎』を掲げるようになると、彼らの『家族』は戦いにおいて負けることは無くなった。
敵の魔術は何故かこちらの身体を逸れ、逆にこちらの魔術は面白いように相手に当たる。
勿論、デメリットもあった。
『家族』に繁栄を齎した分、また老いも与えなければならない。
借金の返済のようなものだ。
前借した繁栄は、後に必ず返さなければならない。だが、それも敵の攻めてこないうちに、老いの効果を受けるなどすれば、対処は可能だった。老いの効果は永遠には続かない。繁栄の返済が終われば、容姿は元に戻る。
敵の結社においてイドゥンは邪魔な存在だった。
だから、当然のように排除された。
敵の本拠地に囚われたイドゥンは、暗示と幻術で操られ、愛する『家族』の牙をむくことになった。現在、彼女が操る破滅に重点をおいた『林檎』の魔術は囚われている間に、敵の手によって改良を施されたものだった。
繁栄を齎す筈だった『林檎』は最後は破滅を呼びこんだ。
これはただ、それだけの話。
『林檎』は対象者に確実な破滅を与える。
イドゥンが暗示と幻術を振り切り、『家族』の元に戻った時には、すべては決していた。
彼らの身体は老いさらばえ、やせ細り、傷ついていた。『林檎』の魔術は人が本来持つ幸運にも作用する。もはや、彼らの破滅は避けられなかった。
なのに。
それでも。
『ここから逃げなさい。イドゥン。ここには奴らがもうすぐ攻めてくる』
『貴方だけは逃げて。どうか、生きて幸せになってね』
『俺たちが時間を稼ぐ。当然だろう?お前は俺たちの子供なんだから。ああ、もう駄目だと思ったが、力が湧いてきた』
『子供の為に頑張れるのは親の特権だものね』
彼らはイドゥンを一度も責めはしなかった。
彼らは皆、愛する子供のためにその命を使ったのだった。
◆
「……私のせいで彼らは死んだ。だから、これは贖罪なのよ。魔神が創り出す黄金に輝く新世界。そこに私の席は無い。それでいいし、それがいい。私は自分が救われようなんて願っちゃいない」
「……それは、本当にお前が望んでることなのか?お前の『願い』はそれなのか?」
「ええ、それこそが私の『願い』」
イドゥンの答えに上条は目を細めた。声を荒上げる事はしなかった。
ただ、胸の奥底が軋む様に傷むのを上条は知覚した。
「だったら。だったら、お前はどうして泣いているんだよ。なんでそんなに辛そうな顔をしてるんだよッッ……!」
「-----え?」
上条の指摘にイドゥンは指を目元に当てる。
その空色に瞳からは涙がとめどなく溢れてた。
最初から。『林檎』の魔術を広範囲に散布して、関係ない人を巻き込むと決めた瞬間から、彼女の瞳は濡れていた。
「………そんな。嘘だ。違う!泣いていない!これは、これは、歓喜の涙よ!『願い』が叶う。その一歩を踏み出したことを私は自覚して、だからーーーー」
「嫌なんだろうが、人を傷つけるのが。本当は戻りたいんだろう?かつてあった、暖かい場所へ。だったら、そうすればいいじゃないか。胸を張って!私頑張ったよって!彼らの元に帰ればいいじゃないかッッ!」
少女は頑張ってきたのだろう。
愛する『家族』を失って、それから荒野を孤独に歩いてきて、そしてここまでたどり着いたのだろう。それは普通の人には歩けないとても険しい道のりだ。それを踏破できたのつまり、彼女がそれほどまでに『家族』を愛していたということの証明でもある。
上条は理解した。
何故イドゥンは日頃から、他人に対しての悪感情をこれ見よがしに露にするのか。
それは彼女が自身を悪だと断じているからだろう。
救われる価値もないと考えているからだろう。
それは違う。
彼女は頑張ってきた。
たった一人で頑張ってきたのだ。
そんな少女が最後に辿り着く終着駅は、最高のハッピーエンドじゃなきゃおかしいだろう。
生き返らせた『家族』の輪を遠くから眺めて、たった一人断罪される。そんなふざけた終わり方を許してはいけない。例え少女本人がそんな地獄に進む事を良しとしていても、上条当麻はそんな悲劇は許しはしない。
やがて隻眼の魔神の生み出すであろう黄金に輝く新世界。
そこでもう一度に笑いあえることを。失った日々を取り戻すことを。
何よりも少女の本心は望んでいるのだから。
だからこそ。
上条当麻は腹の底からあらん限りの声を振り絞って、吠える。
「ここで、アンドロたちを、誰かを犠牲にしたら、お前は絶対にその場所へは行けなくなるッッ!」
彼女の涙はその証明だった。
彼女は耐えきれない。
誰かを犠牲にして『家族』を生きかえらせることを。それをしてしまったが最後、彼女は二度と彼女の『家族』と会えなくなる。イドゥン自身がそれを許さない。
「だったら!だったら!どうすればいいのよ!?奇跡に手を伸ばしても!頑張っても、頑張っても!それでも私は届かなかった!!」
イドゥンも吠えた。
もう彼女にはオティヌスしかいないのだ。
魔術師の誕生には大抵の場合、悲劇がある。
人が奇跡を求めるのは、それにふさわしい理由が存在する。
女の子にモテたいとか、お金を人より稼ぎたいとか、そんな俗物的な願いなら、普通に受験勉強にでも励んだ方が遥かに効率的で確実だ。
普通の方法では届かないから、それでもどうしても叶えたい『願い』があるから、人を奇跡に手を伸ばす。そんな己の生き様と覚悟を示したのが『魔法名』。そして、『グレムリン』という組織は、そんな風に奇跡に手を伸ばして、それでも『願い』を叶えられなかった者の集まりだった。
「ねえ!貴方!『グレムリン』がオティヌスを完全な魔神にする代わりに『願い』を叶えて貰う組織だって聞いて!こう思ったんじゃない!?……『オティヌスが願いを叶える保証なんて、何処にあるんだ』って」
「っっ!!」
「そうよ!そんな保証、何処にもないわッ!あるわけがない!馬鹿じゃないの!アレが都合よく、人の願いを叶える存在であるものか!」
それでも縋るしかなった。
もう、彼女には、いや『グレムリン』にはそれしか残されていなかったから。
『家族』が死んでイドゥンは、死者蘇生の方法を求めて世界中を歩き回った。だけど、結局彼女はその手に何も掴めなかった。街一つを滅ぼす『林檎』の魔術なんぞには何の価値もない。
他の『グレムリン』の連中も皆似たり寄ったりの背景を持っている。
彼らは、もはや自分自身の手で『願い』を叶えるのを諦めた者たち。
欲しかった宝石の代わりに、何の意味もない暴力という名のガラクタを掌に載せた人生の敗北者。魔術師としての教示も誇りもとうの昔に残骸となり、『魔術名』すらも失った。狂い果てて、心なんてぐちゃぐちゃになり、だけど、それでも最後に残った傷だらけの『願い』を叶えようと、悪魔に魂を売った者たちこそが『グレムリン』。
「私たちの頑張りは、結局世界に悪魔を生み出すだけになるかもしれない!それでも!」
彼らは恐れない。
犠牲を。敵を。己の死を。
叶う保証もない『願い』のために、彼らはオティヌスを完全な魔神とする為に奔走する。
そうすれば、自分が死んだ後も魔神の気まぐれによって生き返り、楽園に招かれるかもしれないから。
「私にはもうこれしかないのよ!魔神だけが、オティヌスだけが!私に残された唯一の希望なのよ!ねえ、私はどうすればいいのよ!?教えられるものなら教えてよ!?ねえ!?」
「頼ればいいだろッッ!!トールだっている。ベルシだっている!俺がいるッッ!」
そして。
だからこそ。
上条はそんな連中を見て見ぬ振りなんかできなかった。
雪原を踏み抜き、一歩一歩イドゥンに近づいていく。
「っっ!来、るなァ!」
イドゥンは、拳銃を上条に突き付けた。
それでも少年は止まらなかった。
少女は撃たないという確信があった。
「例え『トネリコ』を手に入れられなくても!帳尻合わせにオティヌスにどんな難題を出されても!俺がそれをクリアしてやる!」
「………!!」
気づけば上条とイドゥンの距離は数メートルまで近づいていた。カタカタと震える拳銃を気にも留めず、上条はイドゥンとの距離を更に縮める。
「オティヌスやロキの野郎が俺に何を求めているのかは、分からない!だけど、あいつらが俺を馬車馬の如く働かせたいのならそれに従ってやるよ!そして、そのあと、オティヌスが約束を破るようなら、オティヌスをぶん殴るッッ!!」
「私はっっ……!」
上条は右腕を掲げた。拳は握らない。イドゥンは、敵なんかじゃないのだから。彼女は止まることができる存在なのだから。
「私はあそこに帰ってもいいのかしら……」
「………当たり前だろ。……だから。ほら。胸張って『家族』の所に帰れるような。そんな『願い』の叶え方をしようぜ」
上条はゆっくりと、少女の震える少女の掌に自分の右手を重ね合わせるように持っていき、その上に転がっていた『林檎』を優しく撫でた。
ガラスが割れるような音と共に、神々の『林檎』は世界から消失する。
それと共に、イドゥンを中心に周囲数キロを覆っていた繁栄と滅亡を約する魔術は効果を失った。
「………うん」
消え入るような声で微かに頷く少女は最後まで抵抗しなかった。
銃の引き金を引かなかったし、魔法を撃とうともしなかった。
「……やっぱり。泣いてんじゃねえか」
「…………うるさいわよ。馬鹿」
イドゥンの顔は涙でぐしゃぐしゃ目元は赤く腫れ、普段の美貌が台無しだった。だけど、まるで憑き物がとれたかのように晴れやかで、そこには日頃浮かべている酷薄な笑みは微塵もなかった。それを上条は奇麗だと素直に思った。
「…まずはあの足跡を追いかけよう」
「……ええ」
「----悪いけど、その子は僕が貰っていくよ」
第三者の、声が響いた。
振り返った時には既に遅かった。
荒れ狂う暴風が上条を襲う。咄嗟に反応した上条は右手を突き出す。『幻想殺し』は確かに暴風を打ち消した。
しかし。
「なッッ!?」
それを隠れ蓑にする形で幾つもの氷の棘が上条の身体に飛来していた。とてもすべては打ち消せない。『幻想殺し』の効果範囲はあくまで上条の右手だけだ。心臓や脳などに飛んできた致命傷を受けるであろう棘だけはなんとか打ち消す。だが、その代償として打ち消せなかった棘たちが上条の身体に突き刺さった。
「が、はッッ!?」
「貴方!?」
イドゥンは悲鳴を上げるが、その隙をつくように暴風が彼女を襲う。ノーバウンドで勢いよく木々に叩きつけられて、イドゥンの意識は急速に遠のいていく。
意識が闇に落ちるまでの僅かな数舜。その間に彼女は見た。
自分たちを襲った犯人を。
「いやあ。良かった良かった。無事確保できて。久しぶりだね、イドゥン」
目が覚めるような金の髪に、海のように深いブルーの瞳。
『悪いけど、この村は僕らが貰うよ』
かつてその男が吐いた言葉がイドゥンの脳内で反芻する。
ジャック・スミス。
かつてイドゥンが所属していた魔術結社を身勝手な理由で滅ぼした男。
愛する『家族』を奪った組織の首魁がそこにいた。
少女が前を向いて歩き出そうとしても。
残酷なまでに過去は彼女を追ってきた。
オリキャラを出すのはこれで、最初に最後になります。
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