午後五時。夕焼けの落とす影が目を焼く時間。
公立高校では放課後に位置付けられ、部活動に力を入れる生徒達の声や機材によって音が飽和するはずの時間。
そんな中、不気味なくらいに沈黙を保つ高校の前に僕は立っていた。
東京武偵高校、武偵高の校門に立っていた。
ここまでの道のりは、見知らぬ小学生になじられたりしたものの、特筆することはなく、概ね順調だった。
どのくらい順調だったかといえば、小学生にいじられつつも、遺された携帯を使ってこの世界について幾らか調べることに成功するくらい順調だった。
17歳の頃の携帯電話なんて両親のメールアドレスと電話番号が記載されただけの高価なメモ帳と成り果てていたものだが、この世界の僕はそれなりに頑張っていたらしく、連絡先には見慣れない名前がずらりと並んでいた。その数は下手したら三桁に登るように思える。
これだけあるのならひょっとしたらひたぎや羽川の名前があるかもしれない、と血眼になって探したけど残念ながら存在しなかった。無論、千石撫子や神原駿河の名前もない。なんだかんだありそうな臥煙さんのアドレスもなかった。
どうやら、この世界と元の世界の交友関係は限りなく別物、もしくは元の世界の彼女達とは出会ってないと考えた方がいいのかもしれない。
彼女達は多分、直江津高校に通っているのだろう。
だってこんな高校に来る学生なんてまともじゃない奴だけだろうし。
「その理論でいったらあの女達は極めてこの高校と親和性が高いことになるのじゃが……」
「いやいや、あいつらはあくまでも驚異的に性格が破綻していたり頭脳が発達していたり身体能力が高かったりするだけだ……?」
何かが引っかかったが気のせいだろう。呆れた忍の表情は見なかったことにした。
小学生にほっぺたをペタペタされながら次に調べたのは東京武偵高等学校について。
検索ワードに『武偵』と打ち込んでから数十分。僕を叩くのに余念がない小学生も後髪引かれる思いで(誰の思いかは内緒だ)帰る時間になった頃。大体の世界事情を把握しきった僕がまず一番初めに思った、というか口に出したのが「やべえ世界じゃん」だった。
どうやら『武偵高』は文字通り『武偵』という職業のための専門学校として位置づけられているらしく、公式ホームページには日本で設立された理由として、国家自衛のため、軍と代わりとなる武力云々と結構なページに跨って書かれていた。
しかし、公然の秘密である本来の理由は『アメリカの銃産業を支える』ことに終始しているらしく、調べれば調べるほどにデンジャラス。まともな高校とは到底思えない。
しかもどうやらこの武偵制度。国際規模のライセンス制度のようで、武偵高自体世界各国に散らばって存在しているらしい。そうなってくると何故、武偵制度を作る必要があったのかという歴史的背景が気になってくるけど、残念ながら明確な答えは得られなかった。
「絶対武偵って一般市民に敬遠されてるよな」
「そりゃそうじゃろう。現代日本でこれを認めるのは言わば、うさぎが蛇とシェアハウスをしてるようなものじゃ。それを平然とやり過ごせるのは余程の馬鹿か欠陥品位のものじゃろうな。……それにしてもこの武偵制度とやら、随分とこの国の根幹に根付いているようじゃな」
「パッと街を見回しただけでも武偵刑事に武偵弁護士に武偵税理士に武偵栄養士の看板が見えるし、もうなんでもござれって感じだよ──節操がないというか、制限がないというか」
「制御がない、が的確かもしれんの。まあ、そうでなくとも毛も生え揃わぬ内に暴力を教え込むこと自体おかしいのじゃが。全く、戦時下でもあるまいし」
銃を構えて斜を向く少年少女の写真を見て忍は言う。
「──いや。案外第二次世界大戦が休戦状態な世界なのかもしれないぜ? SFやなんかだとよくある設定だろ。日本が負けなかっただとか、天皇制が続いているだとか」
「その割にはアメリカに絶対服従のようじゃが……。いや、世界によって常識なんぞ変わってくるのもまた道理じゃ。深く気にするまい。それよりもこの学校の学科を見るのじゃ……なんとまあ胡散臭いことじゃ。超能力なんてあるのか、ぱないの!」
忍は両手で操作していた携帯の画面を指差す。
画面の中、臙脂色を基調としたホームページには武偵高の組織図が並んでいた。
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表に照らし合わせて考えると先の電話で聞いた『アンビュラス』はどうやら、『衛生学部』もしくは『救護科』を指していたことが分かる。
そしてそれとは別に忍が胡散臭いといった『SSR』とかいう学科。大学のサークルであろうとも受理されなさそうな名前の学科の紹介欄にはただ一言『求ム、サイキック』としか書かれていなかった。
「
「高卒認定すら貰えなさそうな学科ばっかりじゃな」
「忍おまえ、保健室は知らないのに高認は知ってるのかよ」
「お前さまが夏頃から『学校辞めて高認取ろうかなぁ』などと情けないことを言っておったからの……それよりも、じゃ。この世界のお前様はどこに所属していたのか分かっておるのか?」
「あー、いや。手帳にも携帯にも特に書いてなかった。僕としては一般教科あたりにいて欲しいんだが……」
「先の電話を見る限りその線は薄そうじゃな」
チームの隊長らしき人物からかかってきた電話を思い出す。敵の誘導を任されていたっていうのだからこの世界の僕はおそらく強襲科、あるいは探偵科に所属していたんだろう。
一般的とは言えないけれどそこそこ平和的に過ごしてきた身には余りある立場極まりない。こういった仕事は火憐ちゃん辺りの仕事だろう。荒らし事を専門とする彼女にはピッタリだ。
そんな会話の後、忍はしばしの睡眠をとるといって影に潜っていった。
現れる時と同様初めからいなかったかのようにいなくなった忍を見送った僕は武偵高へと足を向ける。
そして、少しの逡巡を挟んで僕は足を踏み入れた。
武偵高は元々滑走路として利用するはずだった土地を学園島としてリユースとして建てられている。
外観からして左右非対称な建物で、インターネットで公開されていた内部構造は学校に似つかわしくない複雑さを誇っていた。無駄に多い曲がり角に唐突に設置されたどこへ繋がるかわからないドア。
しかも、実際に歩いてみて分かったが、インターネットに公開されている地図と見比べると意図的に省かれた場所や通路が多々存在している。扇ちゃんのような怪異の仕業かと思ったが、あれはあくまで僕の自己嫌悪の記憶をもとに作り騙られたものなので、これはやはり学校側の恣意的な改変なのだろう。
その証拠にといわんばかりに、ネットと矛盾する扉には鍵がかかっていた。
忍が寝て手持ち無沙汰な僕は一人粛々と廊下を歩く。
この世界の今日はゴールデンウィーク入りたて。
日付だけの話をすれば忍のタイムスリップは成功したことになる。
もう少し成功の判断範囲を広げれば、帯銃許可証も容易に取得できて、帯銃と帯剣を義務付けられた高校が存在する、平たく言ってイかれた世界だったという──大失敗判定になるけれど。
他人の世界にケチをつけるようでなんだか申し訳ない気もしてきたが、早い所帰りたいとあうのが僕の本心だった。
僕は十七歳だった。
つまりこの世界での僕は羽川には矯正されておらず、ひたぎは落ちておらず、八九寺には遭ってすらいない。千石は呪われていないし神原に呪われてもいない。大きい方の妹は熱を出していないし小さい妹は未だ判明していない。そして扇ちゃんも居ず……僕の青春は継続中。
高校二年生の頃の青春なんて、青くもなく春でもない、ロクでもない黒い思い出、黒歴史だ。
忍にも愚痴ったが、本当に本来なら僕はこうして高校に立っているのすら苦痛に感じる程に自分のティーンズ時代を嫌っている。自己嫌悪や同族嫌悪とはまた違うのだが──なんというか、見ていられない。なのにましてや、どうして見知らぬ高校にいたいと思うだろうか。
溜息をつきたい気分を抑えてノロノロと歩みを進める。
気の重さの理由には、未だ何故こんなところに来てしまったのかという疑念があるからなのだろう。
前回のように八九寺を助けるわけでもなく、世界を救うわけでもない。
ただひたすらに五里霧中な状況でもがいているようないじらしさ。当たって砕けろの精神でいようにも当たるものがない虚しさ。右手を壁について迷路をさまよっているつもりが柱に手をついていたような不毛さ。気だけで四十度の熱にうなされているような呆け具合。
そういった無駄を煮込んだ液体で溺れているような気分だ。
緊急性を考慮してなのか校舎から一番近い位置に救護科はある。だから目的地までたどり着くまでそう時間はかからないはずなのだが、精神的疲労と肉体的疲労のダブルパンチも相まって歩みは遅々として進まない。
僕は廊下の掲示板に貼られたチア募集中の文字が目に留まり休憩がてらに足を止めた。
廊下の隅、無造作に置かれたゴミ箱の中身は薬莢の空き箱だった。
『校舎内で撃つな』『定期的に完全分解を』『eV/Abs(M)MeV/hV)!』『体育祭委員長失踪のお知らせ及び再募集について』『ネコ』
内容も形もバラバラな張り紙。
誰かのイタズラなのか、無造作に貼られていたと思われる貼り紙達は全体として大きく口を開けた巨大な魚を描くように貼り直されていた。
尾びれは黒く、背骨は黄色い。背びれはピンクでお腹は白色。目は金色の画鋲でできた──そんなトンチキな魚が追いかけていたのは天井から後で吊り下げられた箱。
手を伸ばせばギリギリ届きそうな位置にある真っ白いその箱の中には数枚のプリントが入れられている。
むやみやたらに触ってはいけないものなのかと思案しつつも吸血鬼化の影響の残る目で覗いてみると武偵にあてたいくつかの依頼が入っていた。学校外からの依頼がまとめて入れられてあるようだ。
「猫探しに、犬探し。ゴキブリ退治に殺人犯探し。アナウンス録音依頼なんてものもあるのか……まるで何でも屋だな」
依頼の紙には対応して0.01〜3.00の単位が割り振られている。インターネットで得た情報通り、授業をサボっていても依頼さえやり続けて入れば卒業できるというのは本当の話らしい。改めてとんでもない学校だ。
羽川にも出会わず吸血鬼に遭わない、その上こんな高校に通っていたら僕はきっと……。
いや、これは妄言だ。
青春を終えた僕には烏滸がましい戯言だ。
『仮定の話は過程の話ほどに下らない』とは羽川の金言の一つだけれど、なるほど確かにこうして仮定の僕が身近になってようやく思い知る。いやむしろ、羽川が日頃の体験をもとにそう思ったというのだから忍野とひたぎに『本物過ぎる』と言われるだけがある。
本当に本物過ぎだろ。
人生に本気過ぎる。
「あら、あらららら? アラララくんなのだ! もしかして単位落としちゃったの?」
「阿良々木家が子々孫々と受け継いできた大事な家名を横着して呼ぶな。僕の名前は阿良々木だ」
「失礼なのだ!」
「お前がな!?」
突如降り注がれたやり慣れた文句。
決まった人との決まり文句。
勿論声色からして明らかにあいつとは違うと分かる。
相手が違うならそれはもうただのやりとりではあるのだが、それでも(我ながら)律儀にツッコミつつ掲示板から目を離して後ろを振り向く。
思いがけず動作にこなれた感じが出てしまい、なんだか気恥ずかしかった。
そして顔を掲示板から離しながら、
──そういえば、振り向くたびに驚いていたな。と考える。
神原が跳んで驚いて。
僕が飛んで驚いて。
死体に出会って驚いて、
少女に出遇って驚いた。
さて、今度はどうだろう。
後ろを向いて数秒間。
「あれ?」
何もなくて驚いた。
誰もいなくて驚いた。
背の高い廊下には人一人の気配ない。
声は確かにしたのだ。やりとりを交わすほどしっかりと。しかしどうだろう。目の前には誰もいない。
あの痛烈な幼いハイトーンボイスはどこにいってしまったのだ。
ピンポンダッシュのように逃げたのか?
……僕、嫌われ過ぎだろ。
「阿良々木君!こっちなのだ!」
「……おお」
再び声がする。
発信源は眼前、しかしあまりにも下。
けれど僕から僅か数センチ先。
地面からおよそ140センチあたりに見える明るい茶色に包まれたつむじ。
そこから声が聞こえた。
見知らぬ少女が抱きつかんばかりの距離にいた。
「……なんでそんなに近いんだ?」
「今日の阿良々木君は珍しい匂いがするのだ! 甘いスイーツフレーバーな匂いなのだ!まさか、別の女の影?!」
「僕と君はそんな関係なのか!?」
第二次性徴を迎えていないような少女と!?
とんだ犯罪だ!
色々飛ばして実刑だ!
「あははは! 今日の阿良々木君は面白いのだ!」
くるり、と短いスカートを翻して一回転。
離れた少女はどこからどう見ても制服のコスプレをした小学生だった。小学校の制服ではないのかと問われればそれは違う。なぜやら制服から判断すると彼女と僕は同じ高校であるらしいからだ。
しかも彼女の話し振りによると僕との関係は同学年、または彼女が年上。
あと分かることがあるとすれば、この世界の僕はツッコミを入れるだけで面白扱いされるような存在だったことだが……それは聞かなかったことにした。
腫れ物扱いした。
おそらく目の前の少女達と同じように。
しかし、今、彼女の身体年齢や精神年齢よりも重要なのは彼女が僕から見てどの立ち位置にいるのか、だ。留年も飛び級も珍しくもないというこの高校において、彼女がどの学科のどの学年に所属しているか、僕とどんな関係を結んでいたのか、どのように接していたか。細かなことを言えばキリがないが、僕が彼女に対してどんな会話を為せば僕と僕の差異を感じさせないで済ませられるか。
それが重要だった。
「あやや、一転して阿良々木くんの顔に雲がかかったのだ!あっ!もしかして任務で仲間が──」
「ああ、いや、そうじゃない。ん?いや、そうなのか?……えっと、さっき頭を打って朦朧としてるんだよ。だから、その、あの」
どもりにどもる。
嘘は得意な方だと思っていたけれど、誤魔化すのはどうも苦手だった。
「なに!それは大変なのだ!!──はっ!もしかして阿良々木君が阿良々木くんであることも一回留年していることもクラスでやや煙たがられて友達がいないこともあややとの熱い日々も忘れちゃったりしてるのだ?!」
「熱い日々?!本当にそんな関係だったのか?!」
このままじゃ本格的にロリロリハンターズの名前を欲しいままにできちゃいそうだ。こんなんだから八九寺に阿良々木ハーレム(ロリ)とか言われるのだ。
僕はひたぎ一筋だっていうのに!
「いや待て!クラスで煙たがれような奴がそんな生活を送れるわけがないだろ!」
ましてやロリ一直線な見た目の少女となんて、ぶっちゃけありえない。
そもそも十七歳の僕は妹のせいで完全に好みが年上であったはず。硬派をきどっていたし、ロリコンなんて論外だ!多分。
「ふはふはふは!その調子じゃ阿良々木くんは本格的に記憶の混濁が見られるようなのだ!ならばあややがどんなことを言ってもそれは確かに事実なのだ!よし、よく聞くのだ!残念ながらさっきのセリフはほとんど真実、さあ阿良々木くんは何が嘘か言ってみるといいのだ!」
「くそ!小さい体してなんて恐ろしいことを!」
留年か嫌われ者かロリコンか。
ほとんど嘘であったとしてもクズ人間じゃないか。
一体前世でどんな悪徳を積んだらこんな人間になるんだ。
相当な渋面で熟考し、芳醇なワインのように声を絞り出した。
「……り、留年なんてしてない」
「ふはふは!あややとの関係を否定しなかったことは褒めるけど、残念ながら『少しずつ全てが間違っている』というのが正解だったのだ」
「……どういうことだよ」
「あややが言ったことは全部がほとんど真実だけど、全部が少し嘘なのだ!阿良々木君は留年はしてないけど留年しかけているし、クラスで煙たがれているけど友達はいるし、あややとそんな関係じゃないけど仲が良いのだ!」
彼女は己の寸胴ボディを見せつけるように腰に手を当てて背を反らした。ピクリとも膨らまない胸だったが僕の胸は心踊るように夢で膨らんだ。
ここで重要なのは胸は脹めども触手は動かないところだ。
そう、別に僕は第二次性徴を終える前の少女の肉体に興味があるわけじゃない。
僕は少女だけが持つあどけない表情や仕草やどたどしい口の動かし方とそこから聞こえてくる鈴を転がしたような声や絹よりも細やかな髪の毛などが好きなわけではない。好きな子に対するアプローチとして給食の好きなオカズをおずおずと差し出す、そんな愛くるしくてかわいらしい精神構造とそこからくるちょっとした動作が好きなのだ。
だから決して僕は少女趣味ではない。
「ところで、僕が君に突発的で限定的な記憶障害を患ってしまったことがバレてしまったことを承知で聞くが、君から見て僕は一体どんな人物像で君はどんな人なのか教えてくれないか?」
「お安い御用なのだ!もしも記憶障害が嘘でこれはいい機会だと言わんばかりの質問だったとしても、小狡い阿良々木くんらしいと受け流して答えてあげるのだ!私から見た阿良々木君はラノベや漫画やアニメの影響を受け過ぎた結果、現実に対して受動的になり過ぎた元陽気者なのだ!クラスでは二大昼行灯の一人だとか不良だとかイキリオタクだとか言われてるのだ!そしてあややは平賀文さんなのだ!装備科二年Aランクなのだ!」
「うんうん、ナルホドナルホド。ソーナノカー」
首をカラカラと元気よく動かして相槌を打つ。
忍や八九寺、斧乃木ちゃんあたりが聞いていたらさぞかし喜び勇んで馬鹿にして来ただろう。
……目の前の少女といいロリが僕に対して厳しすぎる。
僕からの親愛と反比例しているようだ。
しかしこの阿良々木暦。なまじ厳しい世界に身を置いているせいか周りからの評価も一層底辺に近いようだ。幼女達からの評価に加えて社会的地位も低いとなると、僕にしてみれば落ちるところまで落ちた気分である。
地獄の底にですら幼女がいたというのに。
「それで、そのコミュ障で嫌われ者の阿良々木暦さんと平賀さんが仲良しな理由はなんなんだ?男女の仲じゃないことは確定だとして」
「雇い主とバイトの関係なのだ!」
「友達ですらないのかよ」
「あややのスケジュール管理をいっつもスカしてるクセに万年貧乏な阿良々木くんに任せてるのだ!」
さっきの物言いで分かってはいたが、平賀さんは一言多いタイプの人間だった。
一言一言も積み重ねていけば文、文章と連なっていくように僕と彼女の間にも因縁の断片が無数に繋がりあって今の関係に落ち着いたらしい。詳しく聞いてみると彼女との繋がりに腑に落ちる部分もあり、携帯に登録されたアドレスのほとんどがその管理対象としてのものだったという悲しすぎる事実も判明した。
しかし、このような事情があるのなら彼女とまず初めに会えたのは僥倖という他ない。数少ない友達からの事情バレの原因を一つ潰すことができたのだ。
そしてそう考えると、これまた悲しいことに数えるのも憚れるほど友人が少ないこともまた僥倖と言えるだろう。
人間強度が高くて助かった。
やはり僕は間違っていなかったのだ。
平賀さんはポヤポヤ笑っていた。
「あ、そうだ。阿良々木君。銃を見せるのだ!頭を打った原因が分かるかもしれないのだ!」
「いや、構内で抜くのは禁止だろ?」
「……む、校則をやけに気にするのは変わっていないのだ。平気で授業サボったり法律は破るくせに小さいところで厳しいのだ!」
なにか琴線に触れたのか急にプンプンと怒り出す平賀。遠慮なく銃がしまってある胸元辺りを叩き出すので、暴発しないかヒヤヒヤしながら大人しく差し出す。
「分かった、悪かったよ。ほら」
僕は銃に関して、てんで素人だ。拳銃や機関銃と言われても語感から形を推察することしたできないし、リボルバー、オートマチックという単語すら説明できない。
そんな僕が彼女に渡したのはいかにも銃っぽい銃。
黒塗りで黒塗りで”Γ”を90度回転させたような形。
あまりにもイメージ通りな銃なので、誰かに向けた時にひょっとしたらオモチャの銃なのではないかと頓珍漢な勘違いを産みかねない──そんな銃。
であるはずなのだが、平賀さんは不思議そうに大きな目をくりっと揺らして疑問の声をあげた。
「……ん?阿良々木くん、おかしいのだ。阿良々木くんが普段使っている銃と違うのだ。阿良々木くんの銃はあややがフルオートできるように改造したグロッグ17なのだ。AWBの規制緩和に倣って所持可能になった割と安価でベーシック、かつ扱い易いとあややもオススメした覚えがあるからそれは確実なのだ。なのにこの銃は生産国も効果も何もかも違う銃──これはファイブセブンなのだ。殺傷性が高すぎるしマズルフラッシュも明る過ぎるしであんまり武偵向きじゃない銃なのだ」
「……つまりそれは僕の銃じゃないってことか?」
「自分の装備も忘れるって阿良々木くんヤバ過ぎ。早く保健室に行くのだ!……ってそうじゃなくて、あややが言いたいのはここなのだ!──このモデル、マニュアルセーフティがない初期モデル、しかもいろいろと殺しに特化した改造が施されてるのだ!」
「と言うと?」
「普通じゃない」
よく分からないが、この銃は一般的でもなく武偵向きでもない。人殺しに特化した銃ということなのだろうか?
なるほど、僕の先程の検討は全く正鵠を射れていなかったわけだ。まさしく見当外れだ。
「ちなみにこのファイブセブンは別の短機関銃のサイドアームなのだ!」
「ふうん、いや、けどさ。『なのだ!』って言われても目が覚めた時には胸にこの銃しかなかったし周りには空薬莢一つ落ちてなかったぞ。いや、煙は立ち込めてたし交戦があったのは確実なんだが……」
言っていてよく分からなくなってきた。
うーん、これ以上嘘八百並べていると平賀からあらぬ嫌疑がかけられそうだ。
伺うように平賀さんを見下ろすと、彼女の目は渡した銃に釘付けになっている。
「どうしたんだ?」
「……実はこの銃、もう生産終了したレア銃なのだ。ダブルアクションだし事故ることも多いけど実用的でいい銃なのだ」
「つまり、欲しいのか?」
「……うん」
お菓子をねだるように彼女は小さくうなずいた。
度し難い。
けど、平賀は装備科を名乗っていた。それも僕の数少ない友人らしい。僕が銃の価値を知らないせいなのかもしれないが、こんな銃一丁で良好な関係を築けるなら安いものだと思ってしまうが(恐らく)装備オタクであろう平賀がここまでヨダレを垂らすのだ。余程レアと見ていいだろう。
今現在、僕にとって袖が触れ合う縁は赤い糸並みの価値がある。
実を取るべきだとは分かっているのだが、平賀の上目遣いとこれからの関係を考えると……。
こんな時羽川なら瞬時に判断を下せるのだろうと思わずにはいられない。
「……僕は記憶をいくらか失って困惑しているけどこの高校に帯銃義務があるのは覚えている。だから今ここで渡すことはできない……けど、僕としてはあげてもいいとも思ってる」
「ほんと?!」
「銃を胸に抱き込むな。セーフティがないんだろ」
「あややがそんな下手をこくわけがないのだ……ってあわわわわ!」
硬いもの同士が 当たる音が響き平賀さんが慌てる。
発信源は平賀さんの腕の中、ファイブセブンからだ。
暴発でもするのかと思わず身構えたが何も起こることなかった。平賀も「引き金が軽く引っかかっただけなのだ……」と胸を撫でおろしていた。
暴発。
暴発といえば、
そもそも普通に撃つ場合にしろ、銃というのは果たしてどんな工程を経てどんな表現でどんな結果をもたらすのだろうか。
平々凡々な僕とはいえ、親に警察を持つ身。ピストルくらい見たことあるだろうと思われるかもしれないが、そんなことは全くない。両親が公私をきっぱり分ける性格だったこともあるが、そもそも銃自体、おいそれと持ち出せるものではないらしい。
ましてや一般人が所持できるものではない。
アメリカでは女児用にショッキングピンクカラーの銃が売られていると聞くが、それはあくまでも外国での話。日本で生活と銃がそこまで密着することはない。大体日本はドライバー一本持ち歩くだけで捕まるのだ。
ましてや銃なんて持てるはずがない。
……はずだったんだけどなあ。
ましてやましてやと繰り返してみたものの、目の前の彼女が極めて殺傷性の高い銃を弄んでいることは事実。ここは僕の知っている現代日本であって現代日本ではない。アメリカの銃産業を支えるために銃刀法を改訂したばかりか、中学生がオラオラと射撃訓練に勤しむような日本なのだ。
ここで僕がそんなこと知らねえよ、と言い張ったところで、放たれた弾丸は脆いものに触れたと僕に襲いかかるだろう。頑なであることは硬いことと同義ではない。
主義主張は大抵暴力に敗れるのだ。
破れるのだ。
正義は勝利の上に成り立つのだから。
「平賀さん」
「あややでいいのだ!」
「……平賀文さん」
「なんで距離をとったのだ?!」
「平賀さん──取引をしよう」
主義思想は暴力に敗れるかもしれない。
けれど、暴力はなにも殴ることだけを指す言葉じゃない。
──理論武装。
ひたぎや羽川に比べたらあまりにも貧相で頼りないソレだけど、一介の大学生として偏差値最底辺の高校二年生にはまず負けない類の暴力。
大丈夫、幼い女の子を殴ることには慣れている、と割と最低なことを考えながら僕は辿々しい口撃を彼女に向けるのだった。
──完敗だった。