巻物語   作:一葉 さゑら

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004-B

「ペアリングを切れ。ちょっと世界を滅ぼしてくる」

「いやいやいや」

 

 忍さんや、口調がキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード時代に戻っちゃってるから。

 鉄血にして冷血にして熱血な金髪美女を彷彿させる強気な口調で忍は阿呆なことを言い出す。

 

「切望した! ミスタードーナツが店長の一身上の都合で休店しない世界を切望した!」

「……まぁ、しょうがない。七刀先生、帰るぞ」

「嫌じゃ」

 

 忍がぶくっとほおを膨らまし、プイッと顔を晒す。

 ううん……可愛くない。

 

「ほら、僕も週末課題とかあるしさ。そろそろ帰りたいんだよ……あっそうだ。今日はコンビニでドーナツでも買ってやるよ」

「コンビニのドーナツなど笑止じゃ。あんな邪道で手と口を汚すなど、この儂が許さん」

「いや、目も汚さないうちに邪道とか言ってやるなよ」

 

 ローソンのオールドファッションとか美味しいらしいじゃん。

 今にも癇癪を起こしそう、というか既に起こしつつある忍は、以前、僕の性格に引っ張られているせいでこんな愉快な性質を持ったと話していたが、どうも僕の性格から乖離している気がしてならない。

 というか、おかしくないか?

 去年の春休み、僕は彼女の性格に近づくことはなかった。だとすれば、忍がこうも奔放になったのも実際は元からそうだったのでは。

 実際日本に湖作ったり南極まで飛び出すくらいには奔放だったらしいし。

 

「のう、お前様。ちょっと気合い出して隣町まで行くのはどうか?」

「自由奔放すぎるだろ。僕はこれから八九寺の所は遊びに行くという使命があるのだ」

「大学課題遂行の義務はどこへ言ったんじゃ」

「知らん」

「知らんのか」

「忘れた」

「ダメじゃろ」

「課題なんてなかった」

「それは嘘じゃろう。昨日半泣きでツンデレ娘のトコへ課題を持っていったではないか」

 

 ……うん。

 だけどあいつの取っている授業と僕の授業って、全然違うからあんまり一緒にやる意味はないんだよね。「机が狭いから帰ってくれるかしら?」なんて彼氏に言う台詞じゃないだろ……。

 ちなみに、ひたぎが将来を見据えた実用性重視の科目を取っているとしたなら、僕は興味の向くままに取ったエンジョイ系の科目。

 こんなところでも差が出るなぁ、と感慨深くなったのを覚えている。

 

「嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃあ!」

 

 さっきとは違い冗談抜きの駄々をこね始める600歳児。

 手に負えない、の一言に尽きる。

 普段の忍を知らない者からしたら金髪幼女の可愛らしいぐずりだと微笑むこともできただろうが、僕と忍は酢いも甘いも味わいあった仲なのでただ喧しいこまっしゃくれたガキにしか見えないのだった。

 一つため息をつき、そんな忍に僕は言った。

 皮肉めいた一言を言った。

 

 言ってしまった。

 

「そんなに嫌なら時でも戻してみろよ、もしできるんならな。昨日だったらミスタードーナツも開店してるだろ?」

 

 後に後悔する一言とは正にこのことを言うのだと思う。

 だって、まさか、僕の何気なく吐いた、そんな冗談みたいな言葉があろうことか殺伐とした──八月のトリップなど比にならない──旅行になるとは誰も思わないだろう。

 どれもこれもこの目の前の幼女があろうことか元大災害にして大妖怪である吸血鬼であり、また、倫理観や常識を地獄の底においてきた吸血鬼であったせいなのだ。

 もしも忍がドーナツに対してそこまで執着がなかったら。

 もしも忍がもう少し精神的に成長していたら。

 存在し得ない未来を妄想する位には意外性とウィットに富んだ未来がまさにこの時、始まったのだ。

 

「お前様がそこまで言うなら仕方ないのお……。よし、やっちゃお」

 

 口調とは裏腹に凄惨に笑ったその笑顔を見た時、僕はようやくここで、過去での辛い逆行体験を思い出したのだった。

 手遅れすぎる想起だった。

 

 

 白蛇神社、もしくは浪白神社。

 

 今となっては蛞蝓神社、もしくは蝸牛神社と改名したほうがいいのではないかと僕の中で話題の、そんな神社の入り口。

 神社自体が修繕されたことで八月の頃とは見間違えるほど立派な朱色に塗られた鳥居を前にして僕は、ひそひそ声で忍に話しかけた。

 寺院では不思議と小声になる現象をなんと言うのだろうか気になった。

 

「おい、忍。お前の熱い思いに押されてここまできちゃったけど、霊的エネルギーはもう八九寺のお陰で安定してるから、タイムスリップはできないんじゃないのか?」

「ふむ、最近の神社は初期費用や維持費などの関係からプラスチックの鳥居を用いる神社が増えているそうじゃが、感心感心。ちゃんと祈祷された良い鳥居じゃ。それこそ神柱のようじゃ」

「え、なに。お前みたいな大妖怪になるとそんなことまでわかっちゃうわけ?……いや、けど僕が今一番聞きたいことはそんなことじゃないんだよなあ」

「ふん、お前様の心配事くらい分かっとるわ。伊達に400年も生きとるわけじゃない」

 

 こいつ、初対面の時よりも更に100年ほど豪快にサバを読んだな。もうここまでくると歴史改変の域だ。

 僕は半分ほど開けた目で忍をしばらく見つめる傍ら耳と鼻を頼りに八九寺を探す。

 耳をすませて八九寺の膝裏のこすれ音を探し、鼻で八九寺の鎖骨の匂いを辿る。

 

「行為自体が気持ち悪いし、その対象もニッチすぎじゃろう。あと、お前様のあの小娘を思った時の高鳴りが儂の中まで入り込んできて気持ち悪いんじゃが……」

 

『想った』と表記するレベルじゃ、と忍。

 素直に恥ずかしかった。

 中学女子のように顔を赤らめるでないと殴られた。

 

「……悪い悪い。けど、八九寺はこの山一帯にはいなさそうだな」

「えぇ……」

 

 ドン引きだった。

 もしかして、これから一生目を合わせてくれないんじゃないんだろうか。そんな目だった。

『愚かな人類め!』などと涙目でトシくんがつま先でも切ってくれれば展開として都合が良かったのだが、勿論トシくんがこんな所に出没するわけもなく。僕は規制から免れるべく忍の話を大袈裟に戻す。

 全力でお茶を濁す。

 茶道初めて三日目のお点前のように。

 

「け、けどさぁ! どんな方法かは分からないけど、忍があの黒い扉を開いたとして、それが八九寺の権威に、又は神威に関わるなら僕は身を粉にしてでも反対するぞ!」

「動揺のせいか慣用表現の誤用しちゃってるし、そもそも話題を微妙に戻しきれてないのじゃが……。ちゅーか、儂の性格は絶対にお前様に引っ張られていることを改めて確認したわい」

「……ぐ、ぐぅ」

「……まぁいい。安心するが良い、お前様。既に手は考えておる」

「へえ、どんな?」

「そうじゃな。……とある本で女児が『衛星は軌道に乗っており、軌道というのは地球の周りを輪になって流れている空気が正体である。気流だよ、君』と言った話を紹介しておったのじゃが、コレ、儂はあながち間違いじゃないと思うんじゃ。空気とは雰囲気、つまり衛星を引っ張っているのは地球が発する重力という雰囲気だと考えればどうじゃ、違いないと思わんか?」

「口調が余りにも僕の知っている女児からかけ離れている点に目を瞑ればたしかに、重力のことを地球の発する雰囲気と再解釈するのは中々面白い試みだと思うぜ? ……だけど、それがなんの関係があるんだ? まさか僕たち『タイムスリップできそうな雰囲気を出す』なんて戯言的な仮説を実行するのか?」

「なわけなかろう。そんなの現実でフラグだのなんだのと戯けるのとなんら変わらんじゃろうに。オカルトにうつつを抜かしている暇があったら現実を見んか。……そうじゃない。儂がしようというのはまさにその反対じゃ。否、斜めに反対のものじゃ」

「斜めに反対? おいおい忍、お前らしくもない。回りくどいぜ。こんな得体の知れない会話なんて僕達らしくないじゃないか。あの日の『文庫100ページを1000円で売り払う』という誓いはどこに行っちまったんだよ」

「多分、お前様がそんなこと言うとる間は帰ってこんと思うよ」

 

 相違ない。

 しかし、こうなってくると、もうわけがわからない。

 よく考えなくても、自分がこんなことに付き合う道理などないはずなのに、そんなことにまで考えが及ばないほど分からない。

 忍がなにをしようとしているのか。

 僕たちがどうなってしまうのか。

 ドーナツはどうなるのか。

 自信満々な忍を見るに、なんの術もなく『ただなんとなく家に帰るのも癪だからここに来た』というわけではなさそうだ。しかし、かといって、去年のようにタイムスリップするだけのエネルギーがあるはずもないのでどうにもならない。

 

 物語が進まない。

 

 忍がキメ顔で言っていた『逆』についても普通に考えれば『地球(もしくは鳥居)がタイムスリップできそうな雰囲気(的な何か)を出す』というのことになりそうだけど、できそうにないし、忍曰く『斜め逆』らしいから、うーん、といったところだ。

 センター受験者、というか高校卒業者としては斜め逆といえば『対偶』が浮かぶが、浮かんだところでそれは当たり前の条件式の他ならないしなぁ。

 やっぱりお手上げだ。

 

「のぶえもーん、答えが分からないよー」

「全く暦は仕方ないんだから」

 

 漫画版ドラえもんっぽい返しだった。

 しかし、アニメ版ドラえもんの流れで忍は続ける。

 

「そんなんじゃいつまで経ってもバサ姉と結婚できないぞ」

「まさかの立ち位置!?」

「いや、だってヶ原さんはどう見ても静ちゃんじゃないじゃろう?」

「そう言われるとジャイ子ポジが似合ってる気もしなくもないな……いや、今はもう更生して静ちゃんが似合う女になったはず」

 

 逆に、羽川の方が静ちゃんから遠ざかっていくのだが、それはもっと未来の話。具体的には二、三年後。

 斜め上過ぎる成長だ。

 ……って、ん?斜め上?

 

「……あ、忍。お前の試みが分かった気がする」

「ほう?言ってみせよ」

「斜め逆の転換。つまり、『雰囲気を地球から出す』んじゃなくて、『地球を雰囲気から出す』ことだったんじゃないのか? ……つまりさ、霊的エネルギーって、言っちゃえば概念なんだろ? それこそさっきの話じゃないけど、忍達『怪異』と同じようなものなわけだ。なら、時間飛行がどんな仕組みかは分からないけど、ここらに漂う霊的エネルギーという概念、つまり『雰囲気』に僕らが同化して現在という地球から抜け出せるんじゃないのか?」

 

 イメージ的には、大気と地球を分離して、大気ごとを昔にもっていく感じ。そうすればエネルギーを使うという話からエネルギー自体に乗っかる話になるため、エネルギー消費がなくなるのではないか……と思ったのだが、あまりにも言葉遊びが過ぎる上に雑すぎるか。

 忍に答えを聞こうと思い、地面に絵を描いて説明していたので、そこから顔を上げて忍の方は向く。

 

「なあ忍──」

 

「……なるほど、その手があったか。たしかに大き過ぎる穴がいくつかあるが、それを埋めさえすれば行けるかも分からん。よし、お前様! ちょっとやってみようぞ!」

 

「『やってみようぞ』って、え? ……なに? もしかして何も考えてなかったの? 俺が『えー、わからねー。忍ってやっぱ凄え』みたいに考えてたのはまるっきり馬鹿だったってこと? あと、大き過ぎる穴に可能性をかけるな。ルーレットじゃないんだから成功率は上がらないからな?」

 

 なにも考えてなかったのか……。

 その場しのぎだったんだ……。

 まさに、言ったもん勝ちだった。

 一人偲ぶ僕が馬鹿みたいじゃん。

 

「面白いこと言うてないで早うこっちによれ。ミスタードーナツが儂らを待ってる」

「いや、待ってない……って、あれ?」

 

 ……ちょっと待て、戸惑いの感情の渦の奥底から今、物凄く初歩的で大事なことが出てきそうだった。

 なんだろう、この根底からして無意味な行為に及ぼうとしているようなこの感覚。『親睦会でフルーツバスケット、ただし会場は海上』みたいなっ。

 業を煮やした忍が近づいてきて僕の腕を掴み、去年のような詠唱をすることもなく僕に抱きついてよじ登ってきた。だけど僕はそんなことに反応する余裕はなく、必死に何かを探る。起床から今の今までを辿ろうとする。

 忍がコアラのように僕にしがみつき登り、遂に僕の顔面まで到達する。体勢としては忍のお腹が僕の鼻に当たる形だ。

 通常だったら「当てるなら肋骨にしろ」と嘯く所だが、何かが出かけている僕はなお頭をひねる。

 

 起きて、ご飯を食べて、妹の相手をして、忍にチラシ見せられ、神原と話して……。

 

「夢の世界へ、さぁいくぞー!」

 

 目の前が真っ暗なまま、忍の張り上げた声が鼓膜を突き刺した。そして、一瞬の浮遊感とともに思い出した何かは、とてつもなく、手遅れな情報だった。

 

 心の中で嘆きが滲み出して、溶けていく。

 

「80円セール、今日からじゃん……」

 

 あらゆる意味で意味のない旅が始まった瞬間だった。


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