巻物語   作:一葉 さゑら

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戴貳巻物語 第復話 ひたぎポイズン
001-B


 00?-B

 

 京都。

 碁盤の目を掻い潜ったような小さな〼目(ますめ)の奥の純和食料理専門店。

 中廊下、二階の奥の十畳間取り。採光のために取り付けられた付書院に肘をかけ、片手団扇をあおぐ男は口を開いた。

 

「首を洗って待ってたよ、阿良々木君。もっとも、君にとって現れたのは僕だということは分かってるし、真相を顕にするのが僕の役割ってことも判っているけれど」

 

どこか上機嫌に、けれど興味のなさそうな態度を崩さず言葉を零した。

 

「──いや、違うね。なんというか、こうじゃない。この場で言うべきことはそうじゃない。……そうそう、ここは『こう』言うべきだった。──やあ、阿良々木君。待ちくたびれたよ。何か良いことでもあったのかい?」

 

 団扇を置き、仰ぐように男は天井を顔を上げ、僕を見下す。その動作は僕を煽っているようでもあり、その場の空気を呷ってしまうような圧力を持っていた。見上げた根性というには余りにも様になっていた。茶化せない胡散臭さだった。

 無意識にたじろぐ僕は、けれど踏みとどまり、彼からニ畳離れた畳の真ん中に腰を下ろす。

 そして、意を決する。

 ……さてはて、物語の幕切れ、あるいは、巻物の捲り切れは、こうして始まるのであった。

 

 巻物語、第貮巻。

 それは、一巻の終わりの後の、一巻の終わりのような事件の追録だ。

 僕も誰も彼も、誰が為の事件だったのか。

 それを振り返るには京都より遥か東の都──東京都武装探偵高校に戻らなければならない。

 

 巻き戻した物語を再び開くような話。

 貳巻物語(ふたまきものがたり)

 気を付けろ。巻物はニ巻(にかん)目だが、二巻(ふたまき)あるのだ。

 

 

 002-B

 

 

「『不器用』ならぬ『武器不要』。戦場ヶ原ひたぎは情報科の美しきクールビューティホープで、ある種のカリスマ的存在だな。武偵ランクこそBだが、中学一年生の頃から変動してないってことも加味すると、あえてそのランクで止めてるってこともありえるな」

 

 後日談が今朝、それから数時間。昼下がりの学食。

 僕は遠山と顔を突き合わせて昼食をとっていた。

 というのも、僕はこの世界の戦場ヶ原ひたぎについて早急に情報を求めていたし、この遠山キンジ何某という男は、少ない日数の付き合いではあるが、妙なツテを多く持つことを知っていたから。日本有数の神社の本家巫女やら日本に在籍する数少ないSランクやらをはじめとして、少なくない実力者が慕っているのに自分では昼行灯だと自嘲しているのを僕は知っていたから。

 

 だから、戦場ヶ原ひたぎについて知るべく僕は遠山に学食を奢っていた。

 

 しかし、話は戻るが、知れば知るほど僕の彼女である『戦場ヶ原ひたぎ』とこの世界の『戦場ヶ原ひたぎ』は、性質を異にしているようだと分かる。

 クールでビューティなカリスマのホープと聞くと、まるで中学生の頃の彼女がそのまま高校生になったのようだけれど、果たして彼女の家庭環境は何事もないのだろうか。

 だとしたら、僕はとても嬉しいのだけれど。

 そして一転、これは残念なことなのだが、この世界の戦場ヶ原ひたぎは僕とは付き合っていないようだ。

 何度生まれ変わっても付き合う運命だと思い上がるつもりはないけれど、世界が滅んでも付き合っていたことを知っているために、普通にショックだった。

 僕はあからさまに肩を落としてキンジの前で項垂れる。

 

「ふうん。けれど、武器不要だなんて、彼女の周りは随分と平和なんだな。武器を振るうことがないくらいカリスマ性が突き抜けているってことなのか?」

「いや、よく考えてみてくれよ阿良々木。こんな学校にいて武器不要だなんて、そっちのほうがよっぽど平和じゃないだろ。俺はおっかなくて近づきたくないぜ」

 

 キンジは嫌そうに顔を顰め、両手をおどけて上げる。

 左手に持ったハンバーガーからレタスの破片がヒラヒラと机に溢れた。

 

「それにほら、今だって阿良々木のことをしっかり監視している」

 

 遠山は手を降る素振りでやや離れた席を指す。

 前髪に隠れた左目を動かせば、一際キレイに背筋を伸ばした戦場ヶ原ひたぎがジッとこちらを見つめていた。

 

「Eランクの武偵がよく気づくな」

「あんなハイドする気もない監視、武偵なら中学生だって気付くぜ?」

 

 素人と武偵の技量の差が激し過ぎないか? 

 全く、物騒な世界だ。

 中学生までドンパチやる世界だったとは。……まさか、小学生までも、なんてことは流石にないよな? 

 目の前のテリヤキバーガーのタレに反射する自分の歪んだ顔は、我ながら疲れているように見えた。

 

「それにしても、阿良々木。お前、情報科に目をつけられるなんて何したんだ?」

「……何するんだろうなぁ、ホントに」

「はあ? なんだそりゃ」

 

 遠山は訝しげにこちらを見る。

 

「いや、監視される理由に心当たりはあるんだけれど、戦場ヶ原が監視する理由には心当たりはないってだけだ。普通に考えるなら戦場ヶ原が監視依頼を受けたって線だけど──ああ、どんなに記憶を遡っても、依頼主を推測すると彼女に依頼した理由が嫌がらせ以外に思い当たらない」

「嫌がらせ……? 何だ、阿良々木は『武器不要』と知り合いなのか?」

「いや、知り合いじゃない。知り合いじゃないからこそ嫌がらせなんだよ」

「躱すような物言いだな」

「この場合、躱されているのは僕の方だよ」

 

 本当に、薬みたいな毒のような人だ。

 神原に言われるだけのことはある。

 

「良く分かんねえけど、情報科から監視されてるってことは情報科からバックを探れないってとだから、まあ、これ以上の情報を求めるなら理子行きだな。良かったら紹介するぜ」

「理子って言うと……あの、金髪ロングか」

「まあ、安くは済まないが、阿良々木からの依頼なら金さえあれば働いてくれるだろ。割と気に入られてるしな、お前」

「……遠山ほどじゃないよ」

「はあ? 何言ってんだ?」

 

 呆れたように肩をすくませる遠山に肩をすくませ、お互いに笑いをこぼした。

 ……なんかいいな、こういう男の友情みたいの。僕、男友達マジで少ないから、普通に滅茶苦茶楽しいわ。

 実年齢だと相手は何個も下の後輩もいいとこだけど。

 年甲斐も大人気もなくワクワクソワソワする。

 

「それじゃあ、理子に連絡取っておくから後はそっちでやってくれよ」

「分かった。ありがとう」

「俺は何もしてねえよ。Eランク並みのことしかな」

「──分かったよ」

 

 食事を済ませた遠山を見送り、僕は付け合せのポテトに手を付けた。

 

「──阿良々木さん」

 

 そして、数秒と経たず、目の前には女生徒──戦場ヶ原ひたぎ──が着席する。片手には某喫茶チェーン店のコーヒーをテイクアウトした時に使用される紙コップが握られている。

 

「なんだ?」

 

 ツンドラ系女子。とかつての彼女は言っていたか。

 出会った頃そっくりの姿と表情に思わず心が綻ぶ。

 

「……上半身から首筋までの筋繊維と目尻に若干の弛緩が見られました。肺呼吸もコンマ秒緩やかになり吸気より呼気が長くなっています。……なぜ、親愛と安堵の態勢を?」

 

 あんまりな分析に綻んだはずの心臓がキュッと竦む。

 怖いよ、この世界の戦場ヶ原。

 ロボットかよ。

 

「……戦場ヶ原さん?」

「戦場ヶ原で結構です。敬称は不要……同級(タメ)、ですから」

「──それなら、こっちにも敬語は不要だ。むず痒くてしょうがない」

「分かりました──いえ、分かったわ。阿良々木くん。……これでいいかしら?」

 

 おお! 口調が鋭い! 

 やっぱ戦場ヶ原ひたぎはこうでなくっちゃ! 

 僕はもとの世界と同じ口調に高揚し、今となっては聞くことのない名字呼びに若干の興奮を覚えていた。

 名前呼びは名前呼びで親しみを感じるけれど、名字呼びは一周回ってエロスを感じてしまうのは僕だけだろうか。

 

「体温と口角と目尻が上昇して、キモいわ、阿良々木くん」

「結論が感情論っ」

「自分を棚上げしてツッコまないで頂戴、虫唾が走るわ」

「ごめんなさいっ」

 

 あれ、中学時代のまま成長したにしては精神性が擦れてないか、この世界の戦場ヶ原ひたぎさん。

 武偵という世界の荒波み揉まれたからか?

 

「それでね、阿良々木くん。貴方の監視依頼を受けた理由を話しに来たのだけれど、時間いいかしら?」

「……え、聞いていいのか?」

「どうせ、峰理子辺りに探らせる予定だったのでしょう? 他人に腹を探られる位なら切腹するわ」

「痛くない腹なのか?」

「痛いし、もっと痛くなるわ」

「──なら別に、僕は探るのを止めてもいいよ。お世辞にも真っ白いとは言えないけれど、別に切羽詰まってるってほどでもないんだ。……戦場ヶ原に苦痛を与えてまで暴きたいことなんて、僕にはない」

「……そう。かっこいいこと言うのね。まるで彼氏みたいだわ」

「か、か、か、か、彼氏がおられるんですか!?!?」

 

 ここ一番の声量が出てしまった。

 縮み上がり過ぎた心臓も飛び出ると思った。

 うるさそうに顔をしかめた戦場ヶ原は『物の喩えよ』と言った。

 きっと、顔をしかめたのは僕の声量に驚いた訳ではなく、『彼氏がいない』と語るのと『彼氏がいる』と騙るのの、どちらかがプライドを損なうのか判断した結果なのだろう。

 

 その証左に、戦場ヶ原は苛立たしそうに右頬に人差し指を当てた。その指の隙間から見えたのは僕の世界の彼女にはなかったタコ。ケアされた白磁からやや浮いた硬さを感じる厚みだった。

 言いようのない感情が沸き起こるのを押さえるようにハンバーガーを人齧りし、咀嚼、嚥下する。

 幾ばくかの沈黙を経て彼女はそっと指を話した。

 

「ま、良いでしょう」

「……何がだ?」

「合格です、阿良々木くん」

「──どうも?」

 

 首を傾げる僕の鼻先に、戦場ヶ原はピッと人差し指を立てる。そして、僕と同方向に子首を傾げた。

 

「話します──白状します。だから」

 

 戦場ヶ原ひたぎは無表情だった。

 しかし、目は潤んでいた。

 

「だから……依頼を受けて欲しいの。私の【怪異】について」

 

 受けたらどうなの、とも、受けなさい、でもなく。

 受けて欲しい。

 甘えるほど親しくもなく、命令できるほど愛されない立ち位置は、僕と彼女の間の机の距離感に似ていた。

 そして、そっと口を開いた。

 

「──毒を盛られたの」

 

 唇を離した際に微かに鳴ったリップ音が、僕の耳朶を強烈に打っていった。まるで、口火を切った音のようだった。







久しぶり、お元気でしたか?

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