神原とはその後も益体のない話を続け、やがて高校近くの交差点で別れた。
結局、僕は彼女に花柄ワンピースの真意を追及することはしなかった。
けれど、神原の語る『あいつ』については聞き齧りの知識しかないけれど、もしも、神原と同じチームだったなら、それはもう、世間を賑わせるツーマンセルになっていたのだろうと思った。
それはかつてのヴァルハラコンビのような関係ではなく。
忍と僕のような関係性。
味方でもなく、ある意味では敵ではあるけども、互いにとってなくてはかけがえのない関係。
ある意味ではどこまでも束縛してくる鎖であり、ある意味では外敵から身を守ってくれる鎧。
矛盾しているわけでもなく、言ってしまえば、そう。
共依存、または必要十分。そんな関係。
「ほほう。嬉しいことを言ってくれるわ、この悦ばせ上手さんめ」
一切の前振りもなく、脈絡もない。ただ人がそこにいるからと、まるで山男のように忍が現れる。
瞬きしたら現れたくらいの気軽さだった。
犬が歩くから棒に当たる位の必然だった。
その唐突さに対して、道を歩いていたら犬と目があった程度の感覚で反応できるようになった僕は、果たして成長したと言えるのだろうか。もしそうだとしたら、逆に、小さな体で精一杯の威厳を表現する忍は退行したようにも感じるが。
「なあ、お前様。儂はそろそろ限界なのじゃが」
「悪いが、まだ少し時間かかると思う」
「いやじゃいやじゃ、いやなのじゃ〜。もうわしまてない。まじもうむり!」
「退化しすぎだろ」
全盛期どころか人間時代の面影すら全くない。
どの時代の精神状態だよ。
真昼間の道路の真ん中で一頻り手足をバタバタさせた後、ケロッとした顔で忍は会話を再開する。
「……して、お前様。散々駄々をこねた後に言うのもなんじゃが、今更後の祭りを履行するようなものなのじゃが、お前様がこんな陽気な日の元を歩いているその理由、忘れていることはあるまいな?」
「分かってるって。……本当に理解し難いし、そもそも聞いてやる必要ないんじゃないのかという位にはくだらない理由だけど、僕は忍のために歩いているんだ。友達の誘いを断ってまできてやったんだ。早々に忘れるわけないだろ」
「……友達。やっぱり儂、お前様のいう友達がイマジナリーフレンドのような気がしてならないんじゃが」
「いや、お前も影から見てるだろ」
実在もするし、触れもする。
ちゃんと生きている。死んでない。
あいつは死体じゃないのだ。
「しかしそうなると儂はもう、お前様がニヒルに笑って『友達はいらない、人間強度が下がるから』と言うのを聞けないということじゃな」
「そもそもお前の前でそんな発言をしたことない。今の阿良々木暦はもうそんなピーキーで荒れた少年じゃない。お酒の力を借りないとハッチャケられないような、ごく一般的な落ち着いた勝ち組大学生だ」
お酒は飲んだことないけど。
未成年飲酒、ダメ、ゼッタイ。
まぁ、いくら忍が生き続けようとも、否、生き続けている限り僕がその言葉を吐くことはないだろう。
「『生き続ける』なんて称されるとまるで儂が人間のようじゃ……そうじゃな、儂のことは『死に続ける』と称せ」
「いや、吸血鬼は不死なんだからそれはおかしいだろ?斧乃木ちゃんだって言ってたぞ。吸血鬼は死んで蘇って生き続ける怪異だって。死に続ける斧乃木ちゃんとは違うんだって」
死に続ける怪異。
つまり、不死身ではない怪異。
考えてみれば、斧乃木ちゃんは限りなく不死に近い怪異なのだ。それを精神の有無という限りなく明暗のつきにくい問題にすり替えて誤魔化している。
あの黒い穴に消されないために。
あるいは、余弦さんの仕事の対象とならないために。
斧乃木ちゃんは人間が生き返るという摂理からの背離を、死に続けるという行為に置換しているのだ。
だというのに、忍がもしも死に続けているというならそれは斧乃木ちゃんのズレの露呈の他ならないだろう。
穴案件だ。
大問題だ。
これはマズイと忍に訴えてみると、「カカッ」と嗤われた。『──呵呵ッ!』と笑っているようではないので、なにか思うところがあることが伺える。
「ふん、お前様は勘違いしておる。履き違えとる。怪異を現象・物質として捉えようとしすぎじゃ。……お前様が怪異と親密に、緊密になりすぎた弊害とも言えよう。いいかお前様。怪異は人間ではない、生き物ですらない。あやふやで曖昧。幻想など何もない──謂わば、一種の概念のようなものじゃ。それをそんな言葉一つでどうこうなど、『烏滸がましい』と知れい。異例の立場に居座っているからと調子に乗るな。図に乗ると寝首を掻くと言うたじゃろう?」
「……いや、そんな風に思ってなんかいないさ。ただ、僕は忍を、斧乃木ちゃんや八九寺達を概念だとも思えないだけなんだ。『重いです、阿良々木さん』なんて言われちゃうかも知れないけど、僕はいつだってお前たちのことを大切な奴らだと思っているし、僕が生きている限りそれは変わらないだろう」
「……随分と上からじゃな。変態娘のことを言えんぞ」
「信頼してるんだ」
僕のちょっとした、どうでもいい冗談にも似た一言が意外と後を引きずってしまったけれど、つまるところ、僕は一年前から少しも変わってなんかいないという話だった。
生きているとも死んでいるとも言えそうで言えない、中途半端な概念のくせして、認識されなきゃ儚く消えてしまう存在未満のモノ。気配未満のモノ。
物ノ怪。
モノノケ。
物の気。
曖昧を極端に許し続けた古代の日本だからこそ、八百万もの
「ところでお前様、お前様が今向かっている所のミスドの話なんじゃが、もちろんロリポップも買っていいんじゃろうな?」
「良くねえよ。80円セール対象外だろうが」
「ちっ」
舌打ちをしてもダメなものはダメ。
というか、金銭的な問題でムリ。
舌切り雀は舌打ちできないのだ。
そもそも、忍が朝っぱらから80円セールのチラシを持って顔面蹴り上げてきたからこうして出かけているのを忘れないでほしい。
僕の町のミスタードーナツは勿論、オーストラリア染みた荒野に立地しているわけではなく、程よく人通りがあり住宅街から然程離れていない、よくある街角に存在している。
貝木泥舟に出会った場所ということもあり、少し敬遠しがちになっていたが、先のとおり、忍のドーナツレスが爆発してしまったため、遂にといった具合で来店する次第になっていた。
「ロリとポップしてラリパッパしとる奴がロリポップはダメなんて言うとは……これが同族嫌悪というやつか? いや、これはもう差別じゃ! 人種差別じゃ!」
随分と好き勝手言ってくれるものである。
曖昧であやふやな存在を自称するならもっと謙虚で儚くなってほしいものだ。
「全く意味が分からないくせに、妙に的確に僕の評価を貶めるその発言を改めてもらおうか。あと、これはセール品かセール品じゃないかの区別だ。断じて同族嫌悪や差別ではない」
「中学生を半裸に剥いて、迷子の小娘を家に誘拐して、その上、あろうことか恩人のロリ時代に変態行為を及ぼうとしておった口が何を言っても無駄じゃ。もし儂に『阿良々木暦は誰よりも紳士である』と言って欲しければロリポップとソーセージパイを献上するのじゃな」
「てめぇ! あろうことか菓子パンですらないソーセージパイを上乗せするだと!? そんな金があるなら普段から買いに来てるわ!」
「いまなら、『阿良々木暦は身長が高い』と言ってやっても良いのじゃぞ?」
「お願いします、僕の誤解を解いて下さい!」
我ながらちょろい男だった。
阿良々木暦は決して少女に欲情なんてせず、いたずらしない。そして、足長の高身長である。
そう、低座高、高身長のイケメンでございます。
……誤解はやっぱり解かなくちゃいけないから──もしかしたら僕のことを165センチもない低身長野郎だろうだなんて思っている人がいるかもしれないし。うん。
…………。
言ったもの勝ちだった。
「今思えば安請け合いだったかもしれないな。120円だけに。せめて結局果たされなかったくるぶしマッサージを要求しておくべきだったか……」
「せんからな? 儂、せんからな?」
「どうした忍? 昨日まであんなにも涙目で『儂にマッサージさせてくれないなんて、ぱないのぅ……』って言ってたじゃないか」
「言ってとらんわ。あと、適当にとってつけたような
言ったもの勝ちだった。
というか、でっち上げたもの勝ちだった。
しかし、会話を続けていれば、ものの数分もしない内に「ぱないの! 100円セールどころか80円って! 五個買えば一個おまけのところが、二個もお得になるとはな! これはもう、ドーナツ界のリーマンショックと言っても良いのではないか!? ばないの!」なんて言いだすのだから、年寄りは恐ろしい。
キャラの陳腐化を恐れていないのか、それともただ単に脳が老化しているのか。ほぼ600歳の吸血鬼なのだから記憶力が摩耗していてもなんらおかしくはないのだが(本来人間の記憶限界はおよそ140年らしい)忍の場合、それ以上に精神力が磨り減る隙がないくらい頑強だから一概に言えない。また眷属についても覚えていたし。けれどそれもまた、老人特有の図太さなんて言われてしまったら論が堂々巡りしてしまいそうな話だった。
「おい、ロリホップ」
「忍、ロリポップを買うと約束したはずなのに、僕がロリに対してどんな反応をするのかより分かりやすくなってしまったあだ名で呼ぶのは止めろ」
「噛みました」
「無理がありすぎだろうが!」
阿良々木の破片もないじゃねえか。
しかし、大学生活が始まってからより忍を陰に閉じ込める時間が増えたせいか、こうやってはしゃいでいるのを最後に見たのが随分と昔に感じる。そのせいか、その興奮度はいつもの五割り増しのようだ。
お喋りになった今となってはドーナツを餌に芸をさせることはできなくなったが(逆にドーナツを餌に芸をさせられそうだ)、それでも忍のチラシを持った時の浮かれっぷりは自分から率先して芸をしそうなほどで、泥舟でも浮き上がりそうな具合だった。
それを口に出したものなら、不吉を絵で表したような詐欺師が「泥舟は沈むが枯れ木は浮くものだろう?」とか、らしくもない冗談を言いながら僕の財布を奪い去っていきそうだから絶対にしないが。
それは置いておくとして、取り敢えず忍はこれ以上ないくらいにご機嫌だった。『死に続けている』なんて自称した奴とは思えない程生き生きしていた。
「楽しみすぎて逝きそうじゃ!」
歳を重ねすぎて逆に面白みが出てくるようなジョークは控えてほしい。
だがまぁ、元気なのはなんであろうといいことだ。
もっとも、彼女のその喜びようは残念ながら、僅か五分もしないうちに瓦解してしまうのだが。
あるどうしようもない事実──。
──ミスタードーナツが休店しているという事実によって。