巻物語   作:一葉 さゑら

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019-B

「さて、そういえば我が主人様はとある節に文字通り地獄を見てきたそうじゃが」

 

 忍は言った。

 右手にオールドファッション、左手にエンゼルリングを持って。

 

「はてさて、地獄にはこのような光景が広がってあったのじゃろうか。儂には地獄とも天国とも、そもそも死自体から遠い場所にいる身にてそこのところ、気になるのじゃが」

 

「……僕の知ってる地獄は幼女が河原のそばで楽しく小石を積み上げるような場所だよ。それに、少なくとも──こんな氷山は広がっていなかった」

 

 弾薬庫に続く鉄の扉が気温に似合わない冷たさを持っていた時から嫌な予感はしていた。そうでなくとも、床が霜でも降ったかのようにやけに滑るし、そもそも気温自体が先日ここに訪れた時よりもさらに寒くなっていた。僕らが進むにつれて、ますます顕著になっていく予感の断片は僕に否応なく、ジャンヌダルクの末裔とかいうあの少女を想起させた。

 

「魔剣……かぁ。言いようによっては妖刀【心渡】も魔剣の一種であるわけだし、他にもないと考える方が不自然といえばそうなんだけど、改めてそういうのを目にすると新鮮味があるよなあ」

 

 白銀に輝く両手剣の姿を思い出して呟く。

 

「うむ。しかし、お前様。魔剣と妖刀は実際には似て非なるものじゃ。あのデュランダルをカテゴライズするなら心渡よりもむしろ、かの半吸血鬼が用いていた十字架(クロス)の方が近しいことになるじやろうし」

「クロスっていうと……あぁ、エピソード君の」

 

 あまり思い出したくない記憶を引っ張り出す。

 それは人の背丈を優に超える大きさの十字架でで、吸血鬼が触れると体の芯を焼かれるような痛みが走る凶器だった。

 

「なあ忍。十字架の形をしたあの鈍器は確かに凶悪だったよ。けどさ、あれはあくまで対アンデット用の武器で十字架という訳だし、どっちかっていうと聖剣って感じじゃないのか? ……ああ、いや、鈍器が剣に含まれるかどうかという話はさておいて、だけど」

「お主も聞いておったじゃろ。かの魔剣デュランダルがかつては聖剣として名を馳せていたことを。魔剣と聖剣は言わば光と闇。否、天井と床の関係じゃ。一繋がりであり正反対のように見える、しかし見方を変えれば床は天井たりえて天井は床たりうる。そういうことじゃ」

「……どういうことだ?」

「つまり、聖剣は魔剣ともいえるし、魔剣は聖剣ともいえる。正義と悪が立場によって入れ替わるように、な」

「あぁ、なるほど」

 

 カツン、と地下道に足音が反響する。

 それに、十字架はどちからというと負のものじゃ、と忍は付け足して、話を転換した。

 

「しかし、妖刀はそうでない」

「……えーと、それは妖刀の対義語になるような言葉はないからってことか?」

「否、言葉遊びの問題ではない。なんなら妖刀に背反する言葉はある──そうではなく、妖刀は一辺倒に妖刀たり得るという話なのじゃ」

「なんでだよ。妖刀に対する言葉があるって言うなら、それも立場によって変わるはずだろ?」

「いやいや、それは検討はずれというものじゃよ、お前様。妖刀はその対義語がなくとも妖刀であるし、そもそも妖刀なんてものはないのじゃから」

 

 忍はポンデリングを齧り、ニタッと笑った。

 妖刀は、ない?

 聖剣は魔剣があるからこそ、魔剣は聖剣があるからこそ成り立つ。けど妖刀は妖刀に対極する何かがあろうがなかろうが関係なく成立する。むしろ、妖刀はない。

 一体、どういうことだろう? 僕にはどうにも言葉遊びにしか聞こえないんだが。

 

「だめだ、よく分からん」

「わかる必要もあるまい。じゃが、ここで話を終わらせるのはあまりにも無責任というものじゃ。……そうじゃな、要は、儂が今こうして心渡を複製したり手に持って使ったりしたいること。それそのことこそが妖刀が妖刀たる所以にして由縁である、とだけ言っておこうかの」

「んー、さらに分からない。あってそうなことを言ってそうな気がする、まるで評論文だ」

「しかし、怪異とはえてしてそういうものじゃ」

 

怪異と評論文を同列に見るというのも変な話だが。僕は一層寒くなる室温に身震いをする。

 

「妖刀は怪異じゃないだろ」

「さてはて……と、話はそろそろ終い──奴さんのお出ましじゃ」

「……ああ。僕にも見えてるよ」

 

 忍が僕の肩を蹴り2回転半のムーンサルトを決めて着地する。僕はそれを見届け、肩の力を抜いて軽く息を吐いて自然体の姿勢をとる。

 両手に持っていたドーナツは既にお腹の中に入ってしまったと見えて、彼女はそれはもう、上機嫌な笑みを浮かべていた。

 ダイヤモンドダストによってキラキラと光る空気中の奥、カツカツと軽やかな音を立てながら鎧姿の女が1人歩くのが見える。僕は少しの逡巡を挟み、腰のあたりにつけていたグロッグ17を手に取った。

 

「お前様。分かってあると思うが、ソレは極力使うなよ。『癖』になる」

「……了解」

 

 癖になる、という忍の言葉が指すのは右手に包まれるこの鉄塊のことだろうが、僕はなんとなく、さっき忍に行った吸血行為を思い出す。今回は現実的な死が近しいから特例的に行ったが、もしこの状況が続いていくとしたらどうするべきなのか。そこのところは早急に考えていかなくてはいけないのかもしれない。

 吸血鬼化が進んでいるのか、握った銃がミシリと音を立てる。

 ここは日本最大級の火薬庫だ。おいそれと火花を咲かせるわけにはいかないだろう。

 大丈夫。

 大丈夫、僕は、大丈夫。

 気丈に振る舞うことすら烏滸がましく思えるような非日常、超常。その最先端にいることに対する自覚を丹田のその奥に封じ込める。

 

「──来るぞ」

 

 忍が小さく呟くのと同時に僕は身を翻して左の棚に身を寄せた。それは単に勘による行動であったが、正しかったらしく、先ほどいた場所には巨大な氷柱が建っていた。

 ヒッ、と息を呑む。

 殺意が高すぎやしませんかねえ! 僕は睨みつけるように奥の影からぬるりと顔を出した美少女に目を向けた。

 

「……避けたか。あれで死んでおけば楽に死ねたものを」

「──あんなんで殺されて楽に死ねるわけねえだろうがっ!」

「ほう、まだ吠える余裕があるとはな。リコからは警戒に値しないごく平凡な武偵だときいていたが──まあ、それもこれで。まずは隣にいる金髪の方を対処するべきだなっ」

 

 やはりでてきたのは見覚えのある銀髪。

 ジャンヌダルク。

 彼女は、セリフを言い終えると同時に再び手にした剣を振るった。するとタイムラグなく、すらっとしたその直剣の動きに合わせて勢いよく氷柱が地面からそり立ち僕らの元へとせまってくる。

 

「お前様ッ──これを使えっ!」

「こ、これ? って、心渡じゃねえか!」

 

 妖刀心渡は、怪異のみを叩っ斬る性質を持つ妖刀で、フィクションみたいに長い刀身をもつ。その性質からして当然ながら『氷柱』なんていう現実現物現象を切ることなぞできはしない。はずだ。

 心渡じゃ意味がないと回避の体制をとると忍から追加のお言葉が飛んでくる。

 

「阿呆! この氷柱の大元は、あやつの超常であろうがっ」

「いくらなんでもそれは屁理屈だろう!」

「屁理屈も理屈の内じゃ!」

 

 だとしたら、こんなにも無責任な理屈はないな。

 もしこれで僕がアイスマンになるようなことがあれば恨むぜ、と僕は半ばヤケになりながら手にした心渡を氷に向かって振るった。それは型も何もあったものではない、まるでホームランでも打つかのような大振りだった。

 氷と心渡が接する瞬間の僕の頭に切れるか切れないかの二者択一の選択肢しか浮かんでいなかったのは、妖刀に対するある種の信頼からか。

 結果はそれに違わず、否、違っていたのかもしれないが、しかし、心渡はヌタッとした感触を僕の手に伝えながら氷を断ち切った。

 屁理屈も理屈の内だと証明したのだった。

 心渡が氷に触れると、まるで心渡はあたかも灼熱のマグマにでもなったかのように氷を触れたそばから消していく。それに伴う感覚はなんというか、湯川を切りつつ水を断ちつつ氷を割くような感じだ。

 

「よくやった」

 

 手に残るなんとも言えない残滓に思わず渋面を作る僕に忍はそう言って、氷柱の迫り来る軌道に沿うように駆け抜けジャンヌダルクへと迫っていく。その距離はおよそ30メートルに始まりあっという間に縮まっていく。そして、その距離が半分を切ったあたりで忍はおもむろに口の中へ手を突っ込んだ。

 

「ハァッ!」

 

 喉を鞘に忍は心渡を用いて居合斬りを敢行する。

 しかし、銀髪の彼女もタダでやられるとはみえないらしく右手に持った怪しい輝きを放つ魔剣を以って応戦する。

「甘いわ!」とデュランダルで忍を切り裂こうとすれば、「若造が!」と忍は左手を犠牲にしつつ心渡を振るう。ガガガッと周りの棚やら天井やらに傷を付けつつも2人が止まることはなかった。

 

(……こうして、忍が誰かとやりあうのを見るのは初めてかもしれない)

 

 いわんや、千石が神さまになっていた時は毎日見てたけど──あれは『やり合う』というよりも『やられてやられてやられてやられる』とすべなき一方的なものだったし。

 彼女のその、獰猛かつ狡猾にジャンヌの首や心臓をためらいなく抜き手で狙う様子はさすが死を知り尽くした怪異の王と言ったところだろうか。徐々に戦況はジャンヌダルクから忍へと移っていった。

 

「カカッ!」

「いつまでも笑っていられると思うな!」

「笑う? つまらなくて欠伸が出そうなものなのに? カカカッ」

 

 そんな彼女たちを尻目に僕はと言えば、棚や電気器具に及ぶ戦いの余波を一手に引き受けていた。火薬に迫る衝撃があれば体を呈し、電線に迫る氷があれば刀で引き裂いて。僕は何がどう作用してどんなことが起こるか想像もつかないズブの素人だ。それゆえに、こんな泥臭くてがむしゃらな方法をとるほか術がない。はたからみたら、今の僕は多分パントマイムをしているように見えるのだろう。

 少し悲しくなりながら、壮絶な戦いを再び、その暇を縫うように見やる。

 ジャンヌはデュランダルで忍の腹を切り裂くと同時に傷口を凍らせているようだ。どうやら彼女は傷口の出血が忍の超回復(実際には『超回帰』という方が正確だろう)のトリガーだと睨んだらしい。超能力者らしからぬ繊細な考えだ。超能力者というと、もっとその能力をあてにして他の技術には劣っているイメージがあったけど。

 

「何を惚けておる、お前様!」

 

 ハッと気づいた時には目の前に氷柱が立っていた。

 

「う、うわあああああ!」

 

 恥も外見もない、腰が抜けるように這々の体で避けるというよりも転ぶように迫り来るソレから逃れる。目の端で氷の柱は木箱が置かれた箱を破壊しつつ壁に大きな氷山を建築していた。ああ、危ねえ!

 

「はは。情けないな、阿良々木暦! やはり、戦力の上方修正は必要なかったな! 全く、アイツも用心深すぎる、日本人の血が混ざってるからか?! こんな幼子におんぶ抱っことは、恥ずかしくないのか、阿良々木暦」

「お前様」

「──分かってる。さすがに、そこまで馬鹿じゃねえよ」

 

 こんなあからさまな挑発に乗るほど、今の僕は孤独じゃない。けれど、彼女の言葉は手から血が滲むくらいには図星であり僕は八つ当たりをするように手当たり次第周りの氷を斬っていった。忍が少しでも戦いやすくなるように、と心の中で言い訳をして。

 そもそもとして、僕は気付いていたのだ。正確には、『こうして忍が戦っているのを見たのは初めてかもしれない』といった時点でその事実には根本的に自覚していたのだ。

 すなわちそれは、今まで彼女は戦う姿を見せなかったのではなくて、戦う必要がなかったのだということに。

 実際、千石にやられた時など、必要な時には必ず忍は僕の隣にいてくれた。けど、それにしたって隣にいただけだった。つまり、忍は自らが目の前の聖者に立ち向かうことで雄弁に代弁していたのだ──僕にとって、この戦いは荷が重いということを。

 忍はあえて何も言わないことを選んだようで、腹にこびり付いた氷を自ら切り裂いて剥がす。

 

「……貴様、その回復力」

「──ほう、気づいたか」

「貴様、吸血鬼だな。あの忌々しいデカブツ以外にまだ生き残っていたとは驚きだが、それならそうとやりようはある」

「……ふむ、なるほど」

 

 忍はチラリとこちらを見てくる。

 やり取りを覚えておけということだろう。

心渡の刃先を床に近づけた忍。それをみて顔をしかめるジャンヌダルク。

 

「して、小娘。先程やりようがあると言うたな」

「言ったが?」

「いやな。未だ儂にダメージ一つ負わせられないうぬがやりようがあるとは滑稽な話じゃと思ってな」

「……吸血鬼が人間に勝っていた時期はもう過ぎている。それに、貴様。その口ぶりからすると知らないらしい。一体どちらが滑稽なのか」

「知らない?」

「そうだ、阿良々木。お前は随分とその吸血鬼を信頼しているらしいが、ならば教えてやろう。いかにその安寧が脆弱なものであるかを」

 

 今の忍は本気を出せば17歳ごろのナリを取ることが可能な位には吸血鬼だ。斧乃木ちゃんですら瞬殺できる実力を持つ彼女をもってしてやりようがあるとは、一体どういうことなのだろうか。

 固唾を呑んで言葉を待つ。

 ふぅ、とジャンヌダルクが冷気を吐く。デュランダルの剣先が僅かに浮いた。

 

「吸血鬼は、絶対ではない──吸血鬼は、死ぬんだ。……この意味がわかるか、阿良々木」

「そ、そりゃあ吸血鬼も怪異である以上死ぬことだってあるはずだ。死ぬって表現が正しいかは別として。けど、ここは地下でしかも冷気に満ちている。夜でないにしたって、吸血鬼の領域に限りなく近いはず。なら──」

「そうではない。こいつらはな、ともすれば人間よりも脆い特徴があるんだ……なぁ、吸血鬼」

「──さて、な」

 

 脆い、特徴?

 それは太陽光や十字架の話じゃあ、ないのか。闇に包まれた吸血鬼はそれこそ怪異の王。脳みそに手を突っ込もうが心臓を破裂させようが生き返る。生きしのぶ。生きながらえる。

気が狂おうが、怪しくも生き異う。

そういうモノなはずだ。

 

「魔臓……知らぬとは言わせないぞ、吸血鬼」

「……ま、まぞう?」

「そうだ、阿良々木。吸血鬼は全個体に共通する特徴があるんだ」

「それが、マゾウとかいうものだっていうのか?」

「魔族の臓器とかいて魔臓だ。吸血鬼は四つの特殊な臓器を持っている。これらは吸血鬼の回復の源であり吸血鬼を吸血鬼たらしめる本質なのだ。つまり、阿良々木。お前のそのパートナーもそいつを全て破壊して仕舞えばおしまいということだ」

「ま、魔蔵──回復力の源?!」

「加えて言えば、吸血鬼の能力も私は把握済みだ。考え辛いが、貴様は刀を作り出す能力者の遺伝子を取り込んだといったところか」

「……何を言いだすかと思えば、くだらん。戯言ここに極まれり、と言った所じゃな。興醒めじゃ」

 

 忍は心渡を身体にしまいロンダート、バク転バク転、ムーンサルト空中3捻りを加えて僕の元へ戻ってくる。そして(……よく分からんが、この世界の吸血鬼は儂とはだいぶ違う生き物のようじゃな)と囁いて忍は影の中に入っていった。

 

「ふむ、弱点を突かれて逃げたか。……まあいい。さあ阿良々木。あとは貴様だけだ。悪いが死んでもらうぞ!」

 

殊更に強い客気とともに払われる大剣。今までと同じように床面からそり立つ氷柱が迫ってくるのかと思い膝を曲げて避けるモーションをとる。しかし、僕とジャンヌの動作は

 

「──待ちなさい!」

 

と、空を切る静止の音に阻まれるのだった。


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