趣味が高じて刊行することで始まった、ちょっと不思議な青春譚も気付けばアニメ化どころか、三部作の映画化を経て、遂に漫画化まで果たしたというから、時が経つのは早いというものだ。
たった一年とそこらの話の筈なのに、かれこれもう、干支一回り分程の付き合いに感じてしまう。
まるで化かされた気分だ。
干支に猫はいないというのに──いわんや物語にはいたのだけれど。
それはまあ、ともかくとして。
聡明な諸君は、既に干支一回り分、いい加減で、いい加減に変わらない(そして、好い加減ではない)僕の思考回路に付き合い続け、そろそろ色々ともう、僕について熟知し過ぎたために『どうせ峰・理子・リュパン4世に会ったのだから、前説代わりに、得意げにロリ巨乳について語りだすのだろう?』だなんて思い始めているのかもしれない。
とんでもない。
僕をなんと心得る。
言うなれば、僕は戦場ヶ原ひたぎと付き合い羽川翼に欲情する男だ。
加えて、自分より背の高い妹とアブノーマルなスキンシップをしてしまったこともあるお兄ちゃんでもある。
さらにさらに、こんな場で、しかも、こんな話題の中で持ち出すのもどうなんだ、ということを重々承知で言わせてもらうならば、いたいけな中学生であった千石撫子を袖にしたこともあるくらいだ。
やはり、付き合いが長くなりすぎるというのは良いこともあれば悪いこともある。一長一短で甲乙つけがたい。
何が言いたいのかというと、何か誤解していないだろうかということが言いたい。
八九寺に襲いかかること数回。
忍と談笑すること無数回。
斧乃木ちゃんと戯れて久しく。
たったこれだけのことで、僕にロリで始まってコンで終わるようなレッテルを付けてはいないだろうか。もしそうならば、嘆かわしい。
酷い誤解である。
そして、思いもよらなかった誤算である。
馬鹿と言われようが阿呆と貶されようが何も思わない聖人君子と例えられることがしばしばある僕だが、そんな僕でもロリコン呼ばわりだけは許容できない。
一切、認めない。
なんというかもう、ロリコンという嗜好自体を認めない。
ノーロリータ、ノールックだ。
そんな漢、阿良々木暦が今更ロリ巨乳に何を思うというのだろうか。
誤解が誤解を招くようなことを避けるために言わせてもらうが、これは別に僕が子供嫌いだという話ではない。
なぜなら大人ならば、幼い子供が可愛く見える。確かにそれは数学的に言って真だから。大人が失った無邪気で健気な様子に憧れるのは決して無理のある話ではないし、分からなくない。けれど、だからといって、幼い子供が可愛く見えなければ大人でないなんてことはないだろう。
高校生という青い春を終え、大学生という沼を迎えた僕はもう大人といってもいい。
しかし、だからこそ、僕は幼子に興味を抱くことがあってはならない。そういう話。
つまりは勿論、目の前の彼女が可愛くないという話でもない。
むしろ、ロリだけなら諸手を上げて歓迎する。高校生で150にも届かない身長というのは、ただそれだけで可愛いきらいがある。それは確かに真であり、究極的に微笑ましい。
また巨乳であるだけなら、これまた歓待だ。男という性を背負っているからには巨乳に魅力がないとは口が裂けても言えないからな。
しかし、目の前の彼女はロリ巨乳。ちっこくて、大きい。
未知の存在を前に僕は何を思う──何も思わない、当然だ。
たかだか背が多少低くておっぱいが大きい女子を見つけた程度で、その身体的特徴および、その魅力について滔々と何千文字も語るわけないだろう。いくら博学才頴な皆々様であったとしても、好みから離れた何かしらについて語れと言われても「ははぁ……まぁそれもいいと思いますよ、えぇ。はい」としか言えないことは必至。
そもそもロリ巨乳だなんて、なんと罪深い存在だろうか。
僕がいままで見てきた幼い子供達は幼い子供らしい体型であったし、僕自身、別に特別好きとかいう話ではないが、子どものその、ストンとした寸胴ボディにこそ魅力と夢と希望と砂糖とスパイスと素敵な何かが詰まっていると確信していた。
それに、ロリコンだのなんだのという風評被害を恐れずに言えば、プニプニとしたイカ腹は何物にも変えがたい至高の感触を保有していると信仰していたし、あの何か詰まったような舌足らずの発声は天使の奏でるメロディーにも勝る甘美な旋律が宿ると疑っていなかった。
だからこそ、腰のくびれを感じられるような体型に憧れる少女達には憐憫の目を向けてきたし、モデルの膨よかな胸に目を輝かせる幼女
達には落胆の思いを向けていた。
成長が罪とは思わない。
ただ、子供らしくあってほしい。
その考えは今も色あせる事なく僕の中で燦々と輝いているし、再三と言ってきた。
あどけない顔に化粧が乗るはずがない。
無垢な精神に汚れた世界を見せていいはずがない。
幼子とはただそれだけで、ただそうであるだけで美しい。
湧き出る思いは言語よりもはるかに重く、穿つ衝動は吸血鬼の一撃よりも鋭い。過ぎ去った時間の中に置いてきてしまった感情や感性がたまらなく愛おしいし、哀しくもある。手の届かないもどかしさは悲劇的で、見るのとのできる幸せは筆舌しがたい。
中身が20を超えるようなロリ体型の怪異もいるが、それはそれでありだ。他にもフランス革命ら辺から生きているような可変式ロリの怪異もあるが、そちらにも風情があることはいうまでもないだろう。
なぜなら、健全な体に魂が宿るように、健全なロリ体型にはロリの魂が宿るのだから。そこに年齢は関係なく、むしろ、セクハラに寛容になるだけアリなのかもしれない(勿論、見たまんまの精神であるのが一番望ましいことは自明なのだが)。
ただ、ロリ巨乳。
僕はそんな存在に目を向けたことも耳を傾けたこともなかった。
いや、インターネット上のいくつかのウェブサイトでそれらしき画像を見たこと位はある。
しかし、それだけ。されどもそれだけ。
その是非について考えたことなんて一度もなかった。
語る機会だってなかったはずだ。
引き締まったウエスト。
適度に張り出したヒップ。
そして、あふれんばかりのバスト。
普通であったらモデル体型で済まされるそのステータスは、ロリというたった2文字を前提にした時、根底から覆される。
滲み出る愛らしさと母性。
感じる幼さと艶やかさ。
相反する特徴が共存する違和感。
しかし、今ここに存在する
2つの情感は、あるはずの違和感を打ち消し現実感だけを高める。
存在してはいけないものがあるような妙な恍惚とちょっとした罪悪感、背徳感すら覚える。
罪深い、とはつまり慈悲深いことなのだと悟らされたよ。
完済されたイデアを見てしまったかのような充実感はまるで投与された麻酔のように僕の脳味噌を侵して行く。
犯して行く。
溶かして、解かして、梳かしていく。
嗚呼、ロリ巨乳。
幼い体と美しい躰つきと成熟した精神。
三つ巴は手を噛み合い組み合い繋がり合う。
嗚呼、ロリ巨乳。
初めて見たけれど、いいじゃん。
……うん。
いいね。
「ヨミくん、お茶ー」
そんな名も知らぬ金髪ロリ巨乳はソファに座り甘い声、甘すぎる声で飲み物を要求する。
ロリ巨乳だならまだしも金髪って──などとという話は置いておいて、硬派阿良々木を顎で使うとはいい度胸だ。
やれやれ、の首あたりに手を当てて精一杯のアンニュイを気取ってみたが、そんな僕の努力は実を結ぶことなく、彼女はこちらを一切見ずさっきまで僕が座っていたソファに身を委ねた。
「うわわっ、あったかい!さてはさっきまで寝てたなー?」
スウィートボイスでそう言う、僕の座っていた場所を占領するロリ巨乳さんは触れるか触れないかな瀬戸際のような手つきでソファを撫でる。さわり、さわりと何度も何度もゆらりゆらりと指先を振る。
なんていやらしい仕草をしやがる。妹どもがやってたら鉄拳制裁を通り越して家族会議モノのいやらしさ、率直に言ってエロイぞ。
ロリ巨乳なのに。
ロリ巨乳だからか!?
いや、くだらないことを言っている場合ではない。
雑念を振り払うべく、『アダ名で呼ばれるような相手と仲良くないなんてことはない筈』とややこしいプロセスで行った推測をして、その後僕は砕けた調子で言葉を返した。
「ああ、寝てたよ。ぐっすり気持ちよく寝てたよ」
「ふうん。じゃあもしかしてお邪魔だった?」
「微妙なラインだな。ある面では邪魔だったし、ある面ではちょうど良かったとも言える」
「丁度いーい?どゆこと?」
「調度良いってことだ」
つまり、いろんな面でご都合的だったって話。
言い換えると、千日手のような状況に丁度良い調味料になってくれるかもしれないと期待している、ということ。
僕は首に当てていた手をだらんと垂らし、コーヒーを入れるためインスタント類が入った引き出しに手をやる。
「逆にお前はなにしに来たんだよ。本当は遠山に用事があったとかじゃないのか?」
「だからヨミくんの休日を癒しにきてあげたんだって」
「へえ、それじゃぁ、何かしてくれるのか?」
「えー、ヨミくんはなにしてほしーの? ……ふふん、もしかしてえっちなことかぁ?」
「はっ、正月に帰省した時に会った姪が思いの外良い女に成長していた時のトキメキ以下の魅力しかないお前を相手にどう欲情しろと?」
「中途半端に魅力的な例を出されると反応しづらいよ?!」
打てば響くような会話を続けつつ、こぽこぽとお湯を注ぎ待つこと数分。
良い感じに出来上がったインスタントコーヒーをソファへ持っていくと、意外にも彼女はちょこんと座って待っていた。ケータイをいじるわけでもなく、テレビをやるわけでもなく、他でもない、僕をじっと見つめて待っていた。
フリフリの制服に派手な髪の色に似つかわしくない健気な様子に胸の奥がくすぐられるように錯覚する。直ぐになんだか猛烈にひたぎに申し訳なさを覚え、僕は必死に頭を振ってそんな錯覚を払う。
そして、咳払いを一つして、僕は口を開いた。
「そんなに喉が渇いていたのか?」
「そうじゃない、そうじゃないよ、ヨミくん」
「顔にゴミがついていた」
「それでもない」
「見惚れてた」
「それだけはない」
ん? 感情の昂りとともに髪の毛が逆立つかのように彼女の金髪が奇妙な動きでうねってたような。
いや、気のせいか。
考えてみれば、美貌といって差し支えない彼女が、今になって僕の顔に見惚れる筈がないことは分かりきっていたことなのだが、彼女ほどの美貌であるからこそ、僕は少し傷ついた(しかし同時に、変な勘違いを暴発せずに済んだことに安心した)。
なんとなく、頭を再度振る。
また、対面するような位置に座り、コーヒーをふぅふぅと冷ます彼女を横目に観察する。彼女は猫舌らしく、カップに口をつけるたび「あちあち」といって掌で舌を扇いでいた。
それはいつまででも見ていられそうなくらいに愛らしい態度だったけれど、埒のあかない状況でもあったため、僕はコーヒーに口をつけることを合図に、観察を切り上げて会話を進めることにした。
「それで、僕に惚れている気配もなさそうなお前が、なぜ、急に、僕の元へと訪れたのか。その理由をそろそろ聞かせてほしい」
「んー、その回答にはまだまだヨミくんは好感度が足りないなぁ」
「ふーん、そいつは
「うわっ、ひどいソシャゲ脳。そんなんじゃゆとりだって言われちゃうぞっ」
「万年ゆとり教育の武偵がよく言うよ」
「思考力はついてるからゆとりじゃないよ、ぷんぷんっ」
「たしかにゆとりと言うには些か物騒な学校だな」
なんて言っちゃって。
さりげない武偵ジョーク。昨日の今日でこの手のネタを出せてしまう自分の才能が怖いぜ。
しかし僕が小粋なジョークを決めて得意げになっているというのに、目の前の少女は笑うどころか、その表情を少し曇らせた。打てば響く彼女が突然どうしたというのか。
「……ねえ、ヨミくん。私、今から変なこと聞いていい?」
そして、遂にはそんなことを言い出す。
第一印象と派手な服装から陽気な性格だと思っていたけれど、もしかして彼女はこの手のジョークやおふざけを嫌う超合理的主義者だったりするのか。コーヒーの入ったカップに口をつけつつ一抹の不安を覚え、しかし態度を変えるには少し手遅れで、僕は幾分か声色を落としてたものの、依然として明るめの調子で聞き返す。
「どうしたんだ?」
「いや、あのね、その──なんかヨミくん、変じゃない?」
「変?それは、へんてこりんだとか、奇妙だとかいう意味の」
変、か?
と質問に質問を重ねるように聞き返そうとすると、目の前の神妙な顔つきをした女児は僕の遮るように肯定した。
「その変。その辺りだとか編集だとかの意味じゃなくて、いつもと違う様子を意味するその変。例えば、りこりんが自分のコト私って言ったり、ヨミくんが『ジョークをいったりする』。その変」
「……」
「ヨミくん、随分と髪伸びたんだね」
「──それは」
「それに、右頬の頰骨から3センチと2ミリ下にあった切り傷とおでこの中心線から左6ミリにあったニキビの潰れ跡、それと微妙な右顔面と左顔面との歪み。もっともつと一杯あるケド……全部治ってる」
「……」
「おかしいよね、それなのにあややはヨミくんが阿良々木暦だっていうんだ。商売においてはこと日本一の才能を秘めるあいつがそう断言するんだ。商売人の必須スキルとして、客の顔を忘れるはずのない実質Sランク武偵の平賀文が、だよ?」
大きい目がまるで洞窟の穴のように僕を見つめる。
僕の心を覆ったのは、ただ単純に『ヤバい』という心情だった。それが彼女のストーカーのような観察眼から来たものなのか、正体がバレかかっているからなのかは分からない。しかし、この手の感情には昨日今日で数回目だったため、りこりん、そう自称する少女の口調が乱れていることにも気付かぬまま僕は目を逸らした。
要は、僕は努めて動揺を隠した。
サッ、と砂糖を掬い、コーヒーに入れる。
「平賀がそういったなら、確かに僕は僕なんだろうな。傷跡やニキビ跡を隠す方法なんていくらでもあるように、僕が僕足りえる要素だって沢山あってしかるべきだ。たかだかそれだけの理由で鬼の首とったように偽物認定してくれるな」
「それは無理な言い訳だと分かってて言ってる?」
いや、それがそうでもない。けどれきっとした根拠だってある。
平賀や教務科の先生も『りこりん』と同様に、僕の肉付きの違いには気付いていた。肉付きの差に気がついておいて傷跡の有無に気付かないはずがない。だとしたら、傷跡の有無が本人認証に繋がらないはず。
白々しい態度で見返していると、彼女は溜息を吐いた。
諦めたような表情であったし、呆れた表情だった。
「……たしかに化粧やらなんやらで誤魔化す方法はあるよ。ヨミくんの知らない方法も含めたら130は思いつく」
「なら『りこりん』の知らない方法も入れたら150は行くかもしれないな」
「その気色悪い呼び方を止めろ。……が、たしかにそうかもしれない。それこそ、Aランク武偵を欺き続けるような技量をCランク武偵が隠し持っていても不思議じゃない……かもね」
ニヤっと笑って『りこりん』はそう言った。
そこにどれだけの意味があったのだろうか、笑みを保ったまま彼女は首筋のあたりに手を当て長い金髪を払う。
「……なあ、一つ聞いてもいいか?」
「どうぞ」
「りこりん「峰でいい」峰が僕を見たのは昨日の校舎だということは僕でも想像がつく。ただ、不思議なことに僕は、昨日という日にお前を見た覚えがないんだ。僕が言えることじゃないが、峰は小さい。それに混じりっけのないキレイな金髪だ、到底見逃すとは思えない」
「もしかしたら口説いてるの? 悪いことは言わないから童貞臭すぎて吐きそうだから辞めなって」
「悪口だって悪いことなんだぞ」
「忠告は良いことだろう」
「忠告っていうのは心の中に告げるって書くけど、まさかこんな別ベクトルで心の中の中心をえぐってくるとは思わなかったよ」
大体、彼女いるからセーフだし。
プラマイゼロで差し引き無効だし。正負だし。
というか、この子、峰っていう名字なのか。
フージコチャーンってか。
ボンキュッボンの峰不二子とは身長という面で似ても似つかない彼女の体型に思わず笑いが漏れる。「やばっ」と思うが、手遅れで。
峰は不機嫌そうに鼻を鳴らしコーヒーカップをテーブルに置き「何を笑ってる」と聞いてきた。
「いや、別に」
「……チッ、もーいいや、はっきり言って、くっきり問う。お前、阿良々木暦じゃないだろ」
「だから言っているだろ、僕が阿良々木暦だ」
「私の知ってる阿良々木暦はそんな平然と嘘をつける性格じゃない」
「つまり、本音だってことだろ」
「……」
どうなってんだよ……。
後遺症により人より鋭敏な聴覚がそんな独り言を捉える。
もし僕が彼女の立場だったら、と考えるとそのボヤキ無理はないだろう。まさか、別世界の同人が忍び込んでるとは思わないだろうし。
「余談と捉えてもいいけどさ、Aランク武偵っていうのはどうでもいいクラスメイトの古傷の位置を覚えているものなのか?」
「嘘しか言わないヨミくんにリコりんが『それ』に答えると思うの?」
胸を強調するように腕を組み、媚びるようにしなを作り彼女は笑う。底意地の悪い笑みだ。
したり顔、とでもいうのだろうか。
してやったり、という勝気な様子が表情からビンビン伝わってくる。
「おかわり」
どこに図にのる要素があったのか、表情を崩すことなくそのままお代わりまで要求してきやがる。
僕からすると、そろそろ帰って欲しいくらいなのだが、彼女はどうあっても僕の変化について追求するつもりらしい。もういっそ、バラしてしまおうかななんて、適当なことを考えてもみるが、かつての過去を弄った結果の惨劇を考えるとそれもできない。
過去を変えただけで世界が滅ぶのだ。並行世界を変えるなんてことをしたら連鎖的に僕の世界まで壊れるかもしれない。
こんな時、推理の得意な僕の友達がいれば、と想像せずにはいられないが、そうも思っていられないのが現状だ。
彼女(おそらく本名は峰リコか、それに準ずる何かなのだろう)の言葉を真実だと捉えて考えると、峰はどうやらAランク武偵であるらしい。150にも届かない体格や物珍しい金髪、それに母性に溢れる
探偵科か、情報科か、はたまた特殊捜査科か。
なんにせよ、一連の会話から人の捜査や推理に関しては限りなくプロフェッショナルに近いことが簡単に予想できる。そういえばAランクってプロレベル相当だっけか。
とんでもねえな。
面倒な奴に目をつけられたものである。
「はいよ」
「どーも、ヨミくん。さんくす」
「……なあ、峰。一つ聞いてもいいか?」
「なに?」
「確かに僕は、3月までの僕とは違うよ。それも、致命的で革命的で確定的に異なっているよ。……けど、それってお前からしてありえないレベルの変化なのか?成長といっても差し支えないレベルの話じゃないのか?峰も分かっていると思うけど、人間なんて、特にこの時期の男なんて生き物はそれこそ3日見なかったらなんとやら、だ。ましてや3週間以上も会ってないならそこそこ劇的な成長だって、あってしかるべきだろう。体格の変化、傷の有無なんて年月の経過に比べたら些細なものじゃないのか?」
「それっぽいこと言ってるのは分かるけど、やっぱり理解はできないよ。Aランクだなんてあんまり誇れる数字じゃないけど、私はそれでもAランクだ。そのAランクの勘が告げているんだ、何かがおかしいって。何かといっても、何かは分かっている──お前がおかしいんだ」
Aランクは誇るべき数値だろ。
凡百の武偵が草葉の陰で泣いてるよ。
思考の遠くでツッコミが思い浮かんで、弾けた。
「……それで、そのおかしさの追求がもし当たっていたとして、そのことに確信を得ることがお前になんの得があるというんだ。高々クラスの見知ったやつレベルの男の秘密を暴いたところで峰になんの利益があるというんだ」
「それは──」
初めて、彼女が口ごもる。
僕には知りようのなかいことだけど、やはり、彼女も何かしらの爆弾を抱えているらしい。
もう何回したか分からないくらいの睨み合いの果てに、ため息をついたのは峰の方だった。
これ見よがしにおかわりのコーヒーを口に含むと
「マズ」
と顔をしかめ砂糖を継ぎ足す。
「そんな苦虫を噛んだような顔をするくらいなら飲まなきゃいいだろ」
「コーヒーは美容にいいの、知らないの?」
知らないなぁ。
心からどうでもいいと考えつつ、僕はこれも彼女の会話テクニックなのだと、平静を保つことにした──つまり、しかめっ面の本当の要因は聞かないことにしたのだ。
「可愛げのない」
そう一言いうに留めて。
「可愛げのある女は可愛くない女なのよ、分かる?」
「言葉の強い女が強い女だと限らないように、か?」
売り言葉に買い言葉。
峰不二子のような言い回しに付き合うと、またもや彼女は目を見開いて言葉を失った。
よく分からないが、この度の舌戦は僕に軍配が上がったらしい。
一体全体どこで彼女が僕に違和感を抱いたのかは分からないが、この調子だと他にも僕について何か思う武偵がいてもおかしくない。となれば、今は何も思いつかないけれど何かしらの対抗策を練っておくべきかもしれない、などと暗黙の最中に影の中にいる忍に相談するべきことを考える。
そんな僕を前に峰は何か決意したような目つきと態度で、
「あのね──」
と、言いかけた。
その時、突如けたたましくベルが響いた。
無機質な音は僕の太ももから聞こえた。
この世界の僕の携帯が鳴った。
【from 神崎・H・アリア】
「……アリア?」
呟いて電話に出る
「もしもし」
『「もしもし」じゃないわよ!どうなってるのよ、アレ!』
切羽詰まったような怒声に思わず携帯電話を耳から離す。
ただ事でもない様子を勘付いたのか、峰も会話を聞こうと僕の方へ寄って来た。
「……落ち着けって、何があったんだよ」
『何がって、アンタ……!』
神崎が短く息を飲む音がする。
『……ちょっと、アララギ。アンタ今どこにいるのよ』
「どこって、寮室だよ。お前が最近まで常駐してたっていう、遠山と僕の寮室だよ。……そういえば聞きたいんだけど、明らかにお前のサイズに合ってない女性用下着と服があったんだけど。あれって遠山の知られざる性癖だったりするのか?」
『いや、それはシラユキの……ってそれは今どうでもいいのよ』
ああ、そういえば、『白雪の護衛任務』だとか、なんとか言ってたな。そうか、遠山は神崎と星伽と同棲していたのか。
……いや、そこに何か思うことはないけれど。
『それよりもあんた、今1人?』
「いや、峰がいる」
『はぁ?峰ってリコのことよね、どういう状況よ、ソレ。……まあいいわ、多分リコに聞かれても問題ないし』
「なんでだ?」
『勘よ』
峰といい、神崎といい。
小さい子は勘に従う法則があるのか。
神崎の許しが出たせいか、完全に聞く態勢に入った峰を視界の端に捉えつつ僕は何があったのかと再度質問した。
『アンタが居たのよ』
「はあ?」
『だから、アンタが居たのよ。それもラグジュアリーショップの中に!』
「はあ?」
思わず2度聞き返す。
2人の僕が存在している。これはまさに昨日のあの時と同じ状況だ。
降って湧いたように現れた新たな手がかりにやや呆然とする。
そんな調子の僕に腹を立てたのか神崎は更に声を荒げた。
『答えなさいよ!』
「おい、神崎。お前今、どこにいる」
『新宿に決まってんでしょ!すっとぼけるんじゃないわよ、あんなにマジマジと下着を取ってたじゃない。思わず風穴を開けようかと思ったわよ!』
「思わずで人の穴を増やそうとしないでくれ。あとちょっと待ってくれ。状況が掴めない」
『……はぁ。待たなくてもいいわよ、別に。どうせアンタじゃないんでしょう、あの変態は。……それよりも怪しいのはアンタの隣の奴だと私の勘が告げているのだけど、そこの所どうなのかしら、リコ?』
神崎の問いかけに合わせてちらり、と見やればおデコに小さな手を当ててため息をつく峰の姿があった。
「名探偵、ビンゴらしいぞ」
『捕まえておきなさい』
「グッバイ、ヨミくん!」
「任せとけ」
逃げ出そうとする峰を捕まえて抱え込む。
この手の捕らえは八九寺で慣れたものだ。
峰が暴れるたびに香りだつ甘ったるいにおいと、感ぜられらるやわっこい感触が気にはなるが、八九寺と違って肉を噛んで骨を断ってくることはないため、楽なものである。
アリアが電話を切ったのを見計らい、僕は組み敷くように峰を押さえつけた。
「放せ、ヘンタイっ」
「断る、それよりも、心当たりを話したらどうだ?」
「断るっ!」
なんて、やり取りもしたが、数分もすれば彼女も力尽き、ぐったりして愚痴をこぼす。
「あのバカ……自分の計画だろ」
「自分の計画?」
「……ふんっ」
組み敷かれているというのに強情なものである。
しかし、この状況、誰かに見られたら大変なことになるな。
こんな安直なシャレ、言いたくないがまさに大変な変態、という奴だ。
いつまで押さえてればいいのか、神崎がここにくるまでずっと押さえているのは互いにとって良くない。
僕は精神的に、峰は肉体的にキツイだろう。
そこで僕はよいしょ、と峰を無言で抱き上げた。八九寺と同じくらいの身長なのに、彼女がやたら重く感じるのは、大きな胸とそこから見える黒光りした銃のせいなのだろう。
「ジロジロみるな。あと、やけに抱き慣れている気がするのはきのせいか?」
「いいから大人しくしてろって。こっちもいろいろ聞きたいことがあるから。単純な攻守交代だと考えてハーフタイムを享受してろ」
平賀文と神崎アリアが見たという2人目の僕について、峰リコが知っているというなら、聞かない手はない。
「お前──」
逃げる素振りをしなくなったのを見計らい、今度はこちらの番だと僕が詰問しようとすると、今度はお前の番だと言わんばかりにけたたましい呼び鈴が再び鳴った。
出なくていいのか、と目線を向けてくる峰から目を背け、僕が渋々携帯を手に取るとそこには『from 平賀文』と書かれている。
昨日作った資料に不備でもあったのだろうか。
僕が唯一の収入源に愛想をつかされたらどうしようかと、少しの不安に煽られながらポチッと受信ボタンに触れる。
少しのノイズと共に、舌足らずな高音が聞こえてきた。
『ああ、よかったのだ!あららぎくん、もう電車に乗っちゃった?』
「ええと、はい?」
『いやいや、ナイフナイフ! あやや机に置きっぱなしにしてるのだ!折角研いだのに持ってかないってどういうことなのだ!』
冗談めかした口調で平賀文は笑う。
しかし、ちょっと待ってほしい。
僕は今日、彼女にナイフを研いでもらった覚えはない。
「平賀、今、お前、どこにいる?」
確かめるように、自分を納得させるように。
言葉を切って切って、丁寧に問いかける。
「何を言っているのだ?
プッ──と切れた携帯を片手に峰リコを見る。
隣に座っていたはずの彼女はその姿を消しており、代わりにあったのは、小さな張り紙一枚。
『帰る』
丸っこい字体で書かれた端的な事実だった。
神崎アリアからの電話は新宿から、平賀あやからの電話は武偵高から。……つまり、それが指し示すことは。
「……『阿良々木暦』が『三人』いる」
小さな部屋で1人、『