巻物語   作:一葉 さゑら

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『可もなく不可もなく』というフレーズがある。

 

 このフレーズを初めて聞いたのは僕がまだ、幼稚園の頃だった。

 良いも悪いも、酸いも甘いも、右も左も分からない阿良々木少年は、しかし、幼いながらもその言葉の意味を掴んでいた。

 そして僕は、決して良い意味ではないそのフレーズの発音具合が、舌触りと耳障りがなんとなく好きだった。

 

『可もなく不可もなく』。

 

 正義に振り切った両親。

 やんちゃ過ぎるほどに御転婆だった妹達。

 

 そんな家族の中で過ごしてきたせいか、幼い僕はおさないながらもこうはなるまいと密かに決意を固めていた。

『可もなく不可もない』。

 そんな人間であろうと思っていた。

 

 結局は、家族に反対する自分に反抗してしまい、周りより些か振り切った行動をとるようになってしまったが、それでもやはり、僕の根底にはそのフレーズがあるらしい。

 

 佇むにはやや長過ぎる期間。

 横たわるには怠けすぎな時間。

 潜伏期間なのか、どうなのか。

 表面化するのかしないのか。

 

 今日もそいつは可もなく不可もなく僕に影響を与えているのだった。

 

 ただ、それだけの話だった。

 

「……なんていうか、中途半端なだけな気がしてきた」

「ランクもCだしちょうど良いのだ」

 

 丁度良い中途半端ってなんだよ。

 

 あの後、あの一言だけにしておけば良かったものを「勘と詰問だけじゃ真理にはたどり着けないんだぜ、ホームズ君」とおちゃらけてしまったが為に神崎に痛烈な強打を鳩尾に貰い、ほうほうと逃げ出すことになった。

 熱心なシャーロキアンなだけあって、ホームズジョークでバカにされるのは彼女の怒りの琴線に触れたらしい。

 

 しかし、怒るとすぐに手が出るのは流石Sランク武偵といったところだろうか、こうなると取り残してきた遠山に被害があっていないかが心配だ。

 などと、とりとめのないことを考えながら男子寮を出るとばったり平賀に出会った。

 

 狙っているんじゃないかと疑うほどの遭遇率に、

 『犬も歩けば棒に当たる』

 そんな諺が頭をよぎった。

 予想外の出会いに僕が「あっ」と声を出し、しばらく停止していると「ちょうど良かったのだ」と平賀に手を引っ張られた。

 

 そうして現在、僕は平賀のラボに来ているのだった。

 

「はい、これ。約束の品なのだ!」

 

 乱雑に積み上げられた鉄塊の山に平賀は上半身を突っ込み、ゴソゴソと何かを掴み取みとると振り向き様に差し出した。

 なにを差し出したのかと目をやる。

 

「……約束?なんかしたっけ?」

「ファイブセブンと交換する約束なのだ!」

「平賀お手製の銃と交換であってるよな?」

「うん!だからこれを受け取るのだ!」

 

 取り出したのは銃だったのか。

 差し出されたグリップを握ると気持ち悪いほどに手に馴染む。まるで粘着質な粘性の水を掴んでいるみたいだ。

 

「グロッグ17、か?」

「んん?結構外見を変えたのによく分かったのだ。そう、これはあやや渾身の改造銃なのだ!」

「へえ。思ったよりしっかりしてるんだな」

 

 インターネットで調べたら、プラスチックが所々使われていると書かれていたからどんなものなのかと思っていたが、中々重厚的な外見に仕上がっている。

 

「それに、見た目の割に結構軽いんだな」

「良いところに目をつけたのだ。この改造銃は今まで阿良々木君が使っていたグロッグ17とは違ってプラの部位はC/Cコンポジット、つまり炭素繊維強化炭素複合材を用いているのだ。だから丈夫そうな見た目の割に軽く感じるのだ。グリップも阿良々木君に合わせて掘り抜いたから力が入り易いはずなのだ!」

「ああ、って掘り抜いた?」

「なかなか手間のかかる作業だったのだ」

 

 個人に合わせて削り出すなんて正規の職人さんにたのんだら、それだけでウン万円取られるだろ。

 採算見合ってるのか?

 

「それで、改造銃ってのはどういうことなんだ?」

「うーん、今回は安定性の向上を意識してたから派手なギミックはないのだ。……あ、けど改造の結果この銃は普通の弾倉(マガジン)は使用できなくなったのだ」

 

 それを人は退化という。『けど』ってなんだよ。

 確かに改造であって改良、あるいは改善とは言っていなかったけれど。

 そこはAランクの意地を見せて欲しかった。

 本音を言えば、素人でもCランクの実力を持てるような、そんな不思議アイテムに改造して欲しいところではあった。が、それは叶わぬ期待だったらしい。

 

「勿論、他の市販のマガジンだって受け付けないのた!」

「やっぱり不良品じゃん」

「違うのだ!……ええと、つまりその、この銃はあややの作ったこの特製マガジンを使わなきゃいけないということなのだ」

「特製マガジン? なにいってんだ……って長ッ。さすがに拳銃には合わないだろ」

「むふふ、世に出回る100連マガジンの不細工なこと不細工なこと。アーティストとしても名高いあややからしたら、笑止千万なのだ。見るのだ!この形!この素材!この機構!現代科学とアートの結晶なのだ!」

 

 高く上げた右手に特製だというマガジンを持ち、その高さと同じくらいの高笑いをキメる平賀。

 そして渡されたマガジンはなんというか、歪だった。

 普通なら一直線なはずのマガジンだが、平賀お手製だというソレはやや銃身に向かってカーブしている。またマガジンの幅もどことなく凸凹と有機的な線を描いている。

 装填数は何と張り合ったのか、中途半端に101発。

 

「なあ平賀──」

「まずは、射撃場に行くのだ」

 

 食い気味にラボの裏手に備え付けられた射撃スペースを平賀は示した。

「射撃中の筋肉運動も見るから」とあっという間に上半身裸にされてしまう。あれやれよのうちに、完全に技術者の目になってしまった平賀の言われるがままに、僕は【壱】と番号の振られた個室に入って銃を構えた。

 僅か三分足らずの所業だった。

 

(……あれ?俺、銃撃つの初めてじゃないか?)

 

 今更過ぎる疑念が頭をよぎる。

 

「フルオートにして的を撃つのだ!」

 

 適当に構えて見たけれどそれが正しいのかすらわからないくらいには素人だ。

 

 なぜ言われるがままに構えてしまったのか

 ──自縄自縛というか、自業自得というか、流された僕が悪いのか。

 自問自答の末、自暴自棄にも似た雑な態度で銃の側面を見る。

 

(もう、どうにでもなれ)

 

【semi/auto】と丁寧に書かれたトリガーを操作する。

 反動でずっこけることだけは避けようと、足を前後に開いて腰が引けないように意識する。

 そして、右手でグリップを握り左手をそこに添えるようにした。

 

「ファイヤー!」

 

 平賀の掛け声に合わせて俊速の打撃音と誤解しそうな轟音が響く。

 無意識的に自分の体が石のように硬直した。

 

(ね、狙いを定める余裕がない!)

 

 というか、前を見る余裕がない。

 ハリウッドより東宝派な僕だから、あんまりガン=カタ系の映画は嗜んでいないが、それでも『よくもまあこんなのを走りながら打って命中させるものだ』と今なら思える。

 調べたところによると、グロッグ17はオーストリア国で正式採用されている銃らしい。

 こんな音が往々にして鳴り響く国とかもう、世紀末だろ。

 

 気をぬくと手元が暴れそうになる。

 変な構えのせいか、腰の辺りが痛くなってくる。

 

 永遠に思えた振動もやがて止む。

 

(弾切れか……)

 

 かつてない衝撃に震える両腕を痛む腰に当てる。

 そうして呆然と立ち尽くしていると平賀が『射出スピードは当社比1.5倍なのだ!』と元気よく駆け寄ってきた。

 耳が痛い僕にはその無邪気な姿に腹をたてる気力すらなかった。

 今回は試し打ちだから50発ほどしか打たなかったがやろうと思えば更にこの2倍撃てるのだと思うと、ただでさえ震える両手が遂には取れる気さえする。

 

「……で、撃って見た感触はどうだったのだ?」

「ああいや、なんというか、凄かった」

 

 普段なら誤解されそうなやり取りだ。

 しかし、その言葉に嘘偽りはなく本当に凄すぎて何が起こったのかすら把握できなかった。

 それをどう都合よく解釈したのか知らないが、平賀はドヤ顔で胸を張り、

 

「そうだろう、そうだろう」

 

 と快活な笑みを浮かべる。

 銃を自らの手で組み上げそれを自慢げに語る幼女という異常な光景に慣れを感じ始めたことに眩暈を覚える。

 

「実は、つい最近とあるツテで手に入れた先端科学兵装(ノイエ・エンジェ)の技術を試験的に投入して見たのだ。……阿良々木君は撃ってて不思議に思わなかったのかな?」

「不思議?反動が思ったよりもなかったとか?」

 

 正直、両肩が脱臼するくらいは覚悟していた。

 ゆえに、少し肩透かしをくらった気分だった。

 ただこれは、僕の身体の後遺症による可能性が高い。

 だが何も言わないよりは武偵らしさが出るのかなと口に出してみた。

 幸いどうやら正解を引いたようで、平賀は心底嬉しそうに笑う。

 

「おぉ!そうなのだ!実はね、この銃とこのマガジンは二つで一つになっていて、セットで使うと反動が衰退するのだ!」

「セットで反動半減って、なんだかゲームみたいだな」

 

 セット装備ボーナス《反動ー1》ってところだろうか。

 二つで一つと言えば僕と忍の関係もそうだけど。

 その場合、ユニットボーナス《人間性ー1》が妥当だろう。

 

「このギミックを阿良々木君のためにすごく、すっごく簡単に説明するとね、銃本体で生じる振動とマガジンでのスプリングで起きる振動が逆位相で打ち消しあう、みたいな感じなのだ!これは従来の遅延式とは一線を画す位の効果があって、提供元が特許申請とって世界に公開したら革命が起きるような技術なのだ」

「へえ。簡単に言いすぎて似非科学みたいになってるな」

「そうなのだ。行き過ぎた科学は魔法なのだ」

「……会話が微妙に噛み合ってないな」

「えへへ、噛んじゃったのだ」

「だから噛み合ってないんだって……」

「噛みまみた」

「やっぱ噛んでる?!」

「ウニ食べた?」

「食べてないよ!」

 

 噛んでもいない。

 そして、終ぞ噛み合わなかった。

 

「技術的なことはよくわからないけどさ。平賀が言っていたギミックっていうのはその土井町エンジェルって奴だったのか?」

「ノイエ・アンジェなのだ」

「失礼、噛みました」

「違う、わざとなのだ」

「かみまみた」

「わざとじゃないのだっ?!」

「鍛冶屋いた?」

「あややが鍛冶屋だ!」

 

 正確には高等職人(スミス・マイスター)らしい。

 それはさておき、これで攻守交代するも同点といったところか。

 最後にボケ返すのは八九寺にはないアイデンティティだし、ここは勝ちを譲るべきか。

 ……いや、なぜこんなやりとりに平賀がついていけるのかという話なのだが。

 

「それでね、麗木(うららぎ)君」

「確かに時期的にも春真っ盛りで、今この瞬間ばかりはその名前を名乗ってもいい気がするけれと──って、そのくだりはもういい……ってえ? 本当になんでこのくだり知ってるの?」

「やりとりは(くだ)りでも会話は平行線なのだ」

「やかわしいわっ」

「失礼?」

「噛みました……」

 

 素で噛んじゃった、えへ。

 危ない危ない。

 狙いも何もなく噛んだなんてことを八九寺プロデューサーに知られたら、語り部ごと交代させらてしまう。

 危機の危機とはこれいかに。

 ……。

 

「──よし、話を戻そうか」

「了解なのだ!反動軽減までは話したよね?」

「むしろ反動軽減の話しかしてないよ」

 

 銃を片手になにを長々と話しているんだか。

 全く、合理性に欠けるぜ。

 

「なぬ!?それでは時間が足りないのだ。本当はセラミック素材を使ったことで実現したこととか色々話したかったのだ……」

「詳しいことは言われても分からないから結果オーライだ」

「むぅ……残念。──阿良々木君、あれを見るのだ」

「あれ?」

 

 平賀が示したのは僕がさっきまで撃っていた的。

 人が銃を持つ画像が貼り付けられている。銃を中心に同心円が広がっているところから、いかに武偵が非殺傷を不文律としているかが窺える。

 そう言えば、結果を見てなかったな。

 射撃中は銃身がブレないように銃口ばかり見ていた。

 

「……あれ?」

「むふふ。阿良々木君は今『思ったよりもハイスコアだな』って考えている顔しているのだ」

「え、ああ、うん。よく分かったな」

 

 平賀と僕の『思ったより』には大分差があるだろう。

 しかし、それでも、それを差し引いたとしても、思っていたスコアと差があったと言わざるを得ない。

 有り体に言えば、同心円の中心付近に当たった玉の数が予想よりも多かったのだ。

 

「実はこの銃には反動軽減だけじゃなくて、反動のベクトル制御も盛り込んでいて、阿良々木君の構えの癖に合わせて力の逃げる方向を曲げているのだ。だから安定して撃ち続けられるのだ」

 

 彼女の話によれば、元々グロッグ17に搭載されていた弾道の収束性能も高めたこともあり、例えオートマティック状態であっても、まっすぐに飛ばせ易くなっているらしい。

 僕が銃を撃ったのは今日が初めてだから、この世界の僕の癖に合わせた機構がうまく作用したとは思えないけど、どうだろうか。

 肉体に多少のズレがあるとは言えこの世界の阿良々木暦と僕は同じ遺伝子を持っているはず(というか、持っていなければ困る)。ならば、二人の僕が同じ筋肉配置をしていたということもありえるのかもしれない。

 いや、保健の先生の話を聞く限りそれはないか。

 

 本当に反動制御のお陰なのか平賀に聞いてみようにも、この質問が武偵未満の素人じみたものだと捉えられるかもしれないと思うと、聞くに聞けない。

 僕は、なんだかモヤモヤとした気分で反動云々の含蓄を聞く。

 しかし、そんな僕の疑問を知ってか話をひと段落させた平賀は、むむむ、と前髪をいじり、不思議そうな顔を僕に向けてきた。

 

「あと、ついでに射撃の講評もさせてもらうと、構えが崩れているのは気になるけど、体全体の筋肉の質が向上したのかな……前よりも無理な力の受け入れは減っていたのだ」

 

 渡りに船。

 その言葉に乗っかるように聞いてみる。

 

「まあ、ちょっとあって。……けど、そうなると、その反動制御というのは宝の持ち腐れになっているということか?」

「ううん。多少の無駄はあるけど幸い身長が全く変化してないから、まだその恩恵はなくなっていないのだ」

「そうか、身長が全く変化していないなら確かに大丈夫かもな」

「うん!阿良々木君の身長が全く伸びてなかったのは不幸中の幸い、怪我の功名だったのだ!」

 

 どちらかというと踏まれ蹴られ、泣きっ面になった所を蜂に刺され、弱り目に祟り目な気分だった。

 悪いことが重なったわけではないけれど、藪から棒に致命傷を食らった気分だった。

 

「けど、やっぱりその射撃姿勢は癖になると前の射撃姿勢よりも良くないから、早く矯正しとくべきなのだ」

「……そうだな。ゴールデンウィーク明けまでには直しておくよ」

 

 去年のゴールデンウィークとは違い、この世界にはブラック羽川どころか、羽川翼その人そのものがいないのだから、静かに自分と向き合えるだろう。

 

「それがいいのだ!」

 

 平賀はにぱっと笑うと僕の手からひょいと銃を取り上げた。

 

「おいおい、なにするんだよ」

「調整なのだ!今の肉体のまま阿良々木君が射撃姿勢を直した想定で反動半減と反動制御を調整するのだ」

「……そうか、ありがとよ」

「その代わり、コレをやってる間に顧客整理の件を頼むのだ」

「了解。何人までとか、どんな客とか要望はあったりするのか?」

「んー、お任せするのだ」

 

 いいのだろうか。

 初日のアルバイターに専門税理士を任命するようなものだぞ。

 いや、平賀は僕について知らないからそれがいつものことなのかもしれない。

 幸い、携帯には今までも送受信の履歴が残っていたので業務自体はなんとかなりそうだ。

 彼女はすでに自分のラボに戻っているようだし、分からないなりに進めて見るとしようか。

 僕はここでようやく服を着て、彼女に続くようにラボへと移動する。

 

 そして、よし、と心を決めた僕は手始めに平賀に紙と鉛筆を借りることにした。

 

 

「──できたのだ!」

 

 

 はっと、気付けばお昼を過ぎていた。僕としたことが雑談を挟む暇さえなく、時間が経っていた。

 顧客名簿を書き出したり、依頼の内容をカテゴライズしたり、相手の立場(ランク)と状況を鑑みながら優先順位を付けたりしている内に、どうやら時間の感覚が飛んでいたようだ。

 

 というか、前任である阿良々木暦君の管理が雑すぎる。

 顧客名簿は連絡帳で済まし依頼云々はメモ帳にパパッとメモするだけって、それがマズイことくらい、僕でもわかるぞ。

 

「阿良々木君の方はどうなのだ?」

「大体終わってるからちょっと待て。……ええと、この紙がここから一ヶ月の予定を示したもので、こっちがその客の所属とランクをまとめたもの。そんでこれがそれぞれの依頼内容だ」

「……え?なんだって?」

「なんだよ、聞いてなかったのか?だからこれが──」

 

「あ、阿良々木君が仕事をしているのだ!」

 

 なにもそんな一大事のように言わなくても。

 メールで雑に打ち込んだだだけのスケジュールで済ませていた僕サイドが100パーセント悪いのでとやかくいうつもりはないが。

 うちの阿良々木暦が失礼しました。

 本当に驚いた目をパチパチしながら彼女は渡した紙に目を通す。

 

「……うん、これなら昇給も考えてもいいのだ」

 

 そして、嬉しそうに平賀は微笑んだ。

 

(ああ、なるほど)

 

 その笑顔と言葉に嬉しくなるわけでもなく、誇らしげになるわけでもなく、僕はただ悟る。

 

 平賀は僕を『藁にもすがる思い』の藁程度にしか認めてなかったんだな。と。

 

 よくもまあ、昨日まで笑って接してくれていたものだ。

 僕が商談で負けるのも当然だろう。

 彼女にとってこれまでの日当とは子供にあげるお小遣いと遜色なかったのかもしれない。これからの日当もお小遣いである可能性は大だけど。

 

 読み終えた紙を机の上に置いた平賀は、

 

「それはそれとして。はい、どうぞー、なのだ」

「ありがとう」

 

 そう言って先と同じようにグリップを差し出した。

 先と同じように握ってみれば、以前にまして手に吸い付くような気がした。

 ……グリップの調整もしてくれたのか。

 

「ぬふふふふー。また調整がして欲しくなったら遠慮なく来るといいのだ。サービスとして無料で調整してあげるのだ。バイト代から天引するけど」

「それは無料と言わない」

 

 後払いという。

 ごきゅごきゅと漫画のような音を立ててお茶を飲んだ彼女は、ぷはーっと息を吐いていった。

 

「それにしてもビックリしたのだ。昨日お昼に来たと思ったら新しい銃を明日までに寄越して欲しいだなんて。しかも出来たら直接家まで来て欲しいなんて言われたから何事かと思ったのだ」

 

 覚えのない、ドッペルゲンガーとの話し合いのことだろう。

 

「…………。悪かったな、迷惑かけた」

 

 飲み込めないなにかを無理やり嚥下したかのような葛藤を超えて、一言だけ、そう返した。

 そして、ついに来たか、と思う。

 忍にも聞いていて欲しいと影を叩くように合図すると靴の裏に衝撃が返ってきた。

 一方目の前の彼女はソワソワとして四角い額のようなものを取り出した。

 

「そ、し、て〜。じゃじゃーん!どうなのだ!?つい飾ってしまったのだ!」

 

 目をキランキランに輝かせた平賀が取り出したのは綺麗に額縁された古臭い銃。

 確かこういうの、レボルバー、っていうんだったか。

 平賀はケースのガラスに頬ずりをしてうへへ、とだらしなく笑っていた。僕は普通に汚ねえと思った。

 

「堪んないのだ、この光沢、この曇り、このフォルム。ただ一人のために作られた漆のグリップはそのグロッグに生かさずにはいられなかったのだ!阿良々木君のは漆じゃないけどね」

「度し難いなぁ」

「この銃は阿良々木君が持ってても豚に真珠なのだ!昨日あややに渡したのは紛れもなく、正解の行動だったのだ!」

「……そこまで喜んでもらえると、僕も嬉しいよ。こっちはファイセブン を差し出さずに済んだし、平賀はその銃を手に入れた。ウィンウィン、というやつだな」

「むう、ファイセブンがこの手にないのは今だに心残りなのだ……。あと、『ニューモデルアーミー』のことを『銃』だなんて無粋な呼び方をしないで欲しいのだ!この価値を分からない阿良々木君は毎度【ニューモデルアーミーレボルバー1861年モデルプレミアムカスタム】と畏敬の念を込めて呼ぶといいのだ!」

「長えよ!」

 

 ニューモデルアーミーレボルバー1061年モデルプレミアムカスタムを見る平賀の瞳にはニューモデルアーミーレボルバーカスタム1061年プレミアムモデルしか写っていなかった。

 そんな熱烈な視線をニューモデルアーミーレボルバー1061年プレミアムモデルに向けているのを見ると、さっきまで古臭いとしか思えなかったニューモデルアーミーレボルバー1061年プレミアムモデルもなんだか、侘び寂びのような趣と情緒を放っているような気がするから不思議である。

 

「ちなみに、そのニューモデルアーミーレボルバー1061年プレミアムモデルはいくらぐらいするんだ」

「500万以上は余裕でするのだ。けど、あややはお宝に値段はつけない主義だからプライスレスって答えたいところなのだ」

「たっか……」

 

 文庫本が1万冊近く買えるじゃん。

 一冊読むのに40分かかるとして40万分。

 つまり、飲まず食わずで約280日潰せる価値。

 それをたったニューモデルアーミーレボルバー10──もとい、この銃一丁に捨てるだと……。

 

「因みに、そのグロッグ17は改造代金含めて武偵弾三つ分くらいなのだ」

「へえ……」

「だから相場から考えるとあと武偵弾二つ分くらいの改造は請け負ってあげてもいいのだ」

「……」

 

 武偵弾ってのがイマイチ分からないがそれが恐ろしく高価なものなことだけは分かった。

 砲弾や大型バリスタ用の鉄杭のような攻城兵器みたいなものか……なんというものを武偵は作っているのか。

 

「聞きたいことが一つある」

「応えるのだ」

「このグロッグ17ってさ、明らかに見た目だけで中身別物だよな」

「うん。あややが改造すると大抵そうなるのだ。阿良々木君のルームメイトであるとーやま君のベレッタもぶっちゃけ名ばかりで中身はまるで別物なのだ」

「へえ。じゃあ昨日あげたその銃も中身は別モンにしちゃうのか?」

「するわけないのだ。これはこの部品でこうやって構成されているからこそ意味があるのだ……それよりも、阿良々木君。こんな時間まで引き止めちゃったけど、だいじょーぶ?なのだ」

 

 引き止める?

 僕がどこかに行こうとしてたように見えたのだろうか。

 

「昨日、阿良々木君『明日は午後から予定がある』って言ってたのだ。だけどもう午後1時過ぎちゃってるから……」

 

 彼女は申し訳なさそうにちらりとこちらを伺うそぶりを見せる。

 午後に予定だって?

 ドッペルゲンガーは一体何をするつもりなんだ?

 

「まだ、時間まで余裕があるから大丈夫だ」

「それなら良かったのだ」

「……ちなみに、どこに行くかってことも話したっけ?」

「確か、映画館に行くっていってたような気がするのだ……ほら、新宿にあるあの」

 

 新宿の映画館。

 多すぎるだろ。何軒あると思ってるんだよ。

 落ち着け、なぜそこに行く前提で考えているんだ?

 無視すればいい話じゃないのか。

 いや、知っておいて損はないだろう。

 

混迷極まりつつある思考の末に、僕は誤魔化すように言葉を吐いた。

 

「あぁ、そこまで話していたのか」

「けど、なんでわざわざ新宿まで遠出するのだ? しかも穴場なわけでもない駅前の映画館。このあたりで見るんじゃダメなの?」

「……新宿近くにいるやつと見に行くからな」

「ふうん、あややの知り合いじゃなさそうなのだ」

 

 新宿、駅前、映画館。

 とりあえず頭の中に置いておく。

 

「んじゃあ、そろそろ僕は行くから」

「ハイなのだ〜。あ、マガジンの予備と弾丸もオマケだから持っていって欲しいのだ」

「何から何まで……」

「お互い様なのだっ」

 

 手渡しでマガジンを受け取ると制服に仕込まれたやたら大きい内ポケットに銃とマガジンをしまい込む。不思議なことに制服の膨らみはほとんどなかった。

 

「……ってあれ?」

 

 空の予備マガジンの中に折り畳まれた紙が入っているな。

 ……なんだこれ?

 

『秘密任務について』

 

「……あっ、それはっ!」

 

 平賀さんがひときわ大きい声を出して紙に向かって手を伸ばす。

 

「ええと、『来年度三月より、海外り──」

「ダメッ!!」

 

 そして、ほとんど目を通さないうちに取られてしまった。

 こんな早い動きもできたのか。

 平賀さんは急な運動のせいでハァハァと息を荒くする。

 

「はあ、はあ……っ! いっ!い、言っちゃダメなのだ!これだけは他の人に話してはダメなのだっ!」

「い、言わない。約束するから取り敢えず落ち着けって」

「この紙の存在自体も、私が任務を受けたことも絶対になのだ!」

「分かった、分かった。絶対に言わないから安心しろ。それに、そもそも言うような相手がいない」

「……ほんとに、頼むのだ」

 

 すごい慌てようだな。

 受けたこと自体を隠蔽って、遠山たちの受けている任務とは扱いがずいぶん違うようだった。

 

「ちなみにだが、もし約束を破ったらどうするんだ?」

馘首(かくしゅ)とりどり揃えているのだ」

「選択肢が一つしかないっ」

 

 最後にちょっとしたハプニングもありつつも、僕はラボから出るのだった。

 

 そこに新しい武器や経験によって得られた清々しさはなく。

 突飛な出来事を体験中だというのにどこか作られたレールを走らされているような、そんな違和感が僕を満たしていた。


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