「違うからな!これは私の手作りだ!」
「いや、なんの心配だよ。その辺の誤解は一切ねえよ」
そんな一言で会話の火蓋は切って落とされた。
雰囲気はともかく、気温は氷点下を覚悟するくらい寒かったけど、そんなことは気にしていないように彼女は熱弁した。自分は一人でメシを食うような寂しい人間じゃないと涙ながらに訴えていた。
目尻に浮かんだ涙は床に落ちる時には氷になっていた。
「忍」
「奇々怪々な現象は確実にあやつの仕業じゃろう。その証拠にあやつの周りだけ氷が厚くなっておる」
銀髪の彼女は怪異じゃない。
あいつは人間だ。
些細なことで傷つく、極めて物象的な人間だ。
思い浮かぶのは昨日忍と共に揶揄した学科。
非常に信じがたいことだが、というか非常そのものなのだが目の前の銀髪薄幸少女は超能力者なのだ。
……いや、まてよ。落ち着け。つい印象に残っていたから断定的に結びつけてしまったけれど、この地下空間には電気も通っているしそれなりの道具があれば機械を使って人為的に再現不可能なわけでは決してない。
「おい、ええと……」
「……
「……偽名くせえ」
聖も祝も大凡実在の人間の名前とは思えない。
似合いすぎて、ありえない。
小洒落過ぎて、嘘っぽい。
「……まあハーフだったりするのかもしれないからその名前にツッコミはしないけど、そのコスプレからして聖は明らかにこの学校の人間じゃないだろ。ここは立ち入り禁止だ」
「ふふ……お前だって立ち会っているではないか」
「僕は先生にお使いを頼まれたんだ」
「なら私もお使いに頼まれたのだ」
「誰にだよ」
「さて、誰だったかな?……というか、金髪の幼女を引き連れて暗がりに来られても、そちらの方がお使いだとは思えないな。どうだ、ここは一つ犯罪者同士見逃し合わないか?」
「犯罪者はお前だけだよ馬鹿野郎」
「ふむ、『野郎』とは男を表す言葉じゃないのか?私はれきっとした女だ」
ああ言えばこう言う奴だ。
下衆の後知恵だが、鎧を着こむような怪しい奴は問答無用で縛りつければよかったな。
目の前で鼻歌を歌ってお弁当をしまう銀髪不審者から目を逸らさず、けれどこういう時の勝手が分からなくて立ちつくしていると忍は僕の手を離して聖に問いかけた。
「おぬし、
「……超能力なんて信じていいのは小学生までだよ、金髪ちゃん」
「かかっ! 小娘がよくほざくわ──後ろの
「そこまでだ、金髪」
「儂は金髪などという名前ではない。忍。忍野忍じゃ」
残忍に笑って名乗る忍。
少しの逡巡を挟み銀髪は頭を振り払うような動作をした。
「……いや、呼ばない。私は貴様の名前を呼ばない」
「ならば、儂はうぬの名を呼ぶとしよう。その田舎娘らしい容貌に相応しいチンケな名前をな──ジャンヌ・ダルク。その末裔よ」
……は?
名を馬鹿にされて腹の底が煮え繰り返ってます、と分かりやすい表情を浮かべる銀髪の少女を前に僕は疑問を浮かべるしかない。
いや、疑問が浮かんだだけ僥倖といえる。
最低頭は動き続けているのだから。
超能力者って……
デュランダルって。
ジャンヌ・ダルクって!
なんだよそれ。
そもそも忍はデュランダルを知っているのか?!
確か、デュランダルってローランの歌に出てくる剣だよな。乗馬用のロングソードで刃こぼれ錆つきが一切起きない不滅の剣、だったっけ? というか、あれ? 確かジャンヌ・ダルクって処刑されたあの有名な聖人だよな。だとしたら、子孫がいるはずなくないか?
「──待て。待てよ、お前ら。ちょっと待て。待ってくれ」
「なんじゃ。驚くのは後にせんか」
「いやいやいや!いやおかしいだろ!なんだよジャンヌ・ダルクって!聖祝が偽名なのは分かってたけど、え?なに?自己犠牲の聖者の末裔だって?しかもその末裔が氷系超能力者だと?おいおい、勘弁してくれよ。どうしちゃったんだよ、僕の常識と日常は。なんだってこんなびっくり箱になってしまったんだよ」
ジャンヌ・ダルクの末裔だとかいう彼女に詰め寄るように叫ぶ。動揺のあまり入るのをあれだけためらっていた氷が統べるスペースに足を踏み入れていた。
僕はジャリジャリと滑ることなく、けれど、足を滑らすように歩を進める。
僕の『聖祝が偽名と気付いていた』発言に驚いた顔を見せていた聖──ジャンヌは僕の行進に顔を引き締めて僕に応えた。
「……ふむ、お前の言うことは理解できる。日常が壊れる感覚というのはなにも何も変えがたい悲壮感を伴うものだ。その感覚は偉大なる初代ジャンヌ・ダルクも幾度となく経験していただろう。ただ、その日常とは何をもって日常とするのだ?……もっと直接的に言おう。──お前は誰だ。推定600年以上の時を生きた金髪の幼女を連れておいてごく一般的を自称するお前は何者なのだ?」
弁当をしまい終えた彼女は立てかけいた光る大剣を手にとりこちらに向ける。
コスプレでもなんでもない、鉄の塊を磨き上げたもの。剣先を向けられているだけだというのに魂を貫かれたような感覚が身体中を走る。否応なく僕の歩みは止められる。
蛇に睨まれた蛙になってしまったようだ。
「もう一度言う。お前は、何者だ」
「……その問いは去年聞き飽きたよ」
質問を聞き流して街全体を巻き添いにする騒動に発展したのも記憶に新しい。
僕は固まった身体を無理矢理捻り、拳を振り下ろして突きつけられた大剣を殴り飛ばした。
「……っ!ってえええ!!」
「お前様はなにをしたいんじゃ……」
どうやらいつのまにか体に氷が纏わされていたらしい。体全体を動かしたことでパキパキと氷が剥がれ白い粉が舞う。
赤くなった手を隠して愛剣を殴り飛ばしたというのに表情も視線も変えない彼女を見返した。
「阿良々木暦。ただの人間だ」
「そうか。では阿良々木暦、出会って早々悪いが計画のためだ、死んでくれ」
気付けば目の前にヒヤリとした感覚が在った。つまりは、大剣が眼前に迫っていた。
忍がそれを蹴り飛ばした。
「物騒じゃの。しかしどうしてうぬは聖剣に嫌われていると見た。全盛期に遠く及ばない今の儂が聖剣に触ったというのに、怪我ひとつないとはな」
「……助かったよ、忍」
「気をつけよ。あの聖剣は儂が最後に見た時から性質を変化させておる。おそらくローランの携えておった剣とはもはや別物と考えて良いじゃろう。あの感じ、もはやあれは聖剣ではない──魔剣じゃ」
「魔剣……」
正直言って魔剣だろうが聖剣だろうがどちらでもいい。見分けつかないし。
それよりも人間である僕にとっての一番の厄介は場を覆う気温だ。
ジャンヌ・ダルクの目が据われば据わる程低くなっていくのを感じる。いい加減白い息も出始めた。
まさか地下室で聖人の末裔で銀髪で超能力者で魔剣持ちの少女と元怪異の王である吸血鬼を味方につけながらゲテモノ格闘バトルを繰り広げるとは思いもしていなかった。
銃は放つことができないし剣は持っていない。
なによりも覚悟が足りない。
次の攻防に備え、袋を放り投げて不恰好に拳を握った。
「はあああああ!」
剣気一閃、再び突き出される魔剣。
頭の横を通り過ぎるのを見ながらカウンター気味に殴り返す。
「はあっ!──んがっ!」
豚のような声が聞こえる。
いや、豚のような声が出た。
僕の拳が届くよりも早く彼女の剣の軌道が突きからスウィングへと変化した。剣の横腹が僕の頬骨を揺らし体を浮かし吹っ飛ばす。
鳴き真似の回数だけ体が床にあたりバウンドする。そしてそのまま受け身をとれぬまま無様に転がった。
震える右手で床に手をつくとジャンヌは拍子抜けとばかりにほっと一息吐いた。
「他愛ない、無様だ。貴様如きが武偵とは到底思えない。もしや、お前の方がコスプレだったのではないか?」
「……うるせえよ、ボッチ飯。コスプレを知ってるとは随分と日本を気に入ったようじゃねえか……って膝が焼けるように痛い!」
膝が急に痛みを帯びる。
立ち上がり際の痛みに思わず膝をついたことで更に痛む。
見れば、膝小僧に氷が張り付いていた。
「ふん──ただの人間如きが驕ったな」
「儂からすればうぬもただの人間じゃがな」
「なっ──!」
声に反応して振り向いたジャンヌの顔面を忍が蹴り飛ばした。
こちらに吹っ飛んできたジャンヌを迎えるように僕は走り出し羽交い締めにする。
「放せ!」
「誰が離すか!やっと捕まえたぞ馬鹿野郎!」
「私は女だ!」
「あれ本気で言ってたんですか?!」
フランス語に慣れているせいか名詞に融通がきかないのか?
忍も結果右足をふらふらと宙で振りつつ近づいてきた。
「人間が手間をかけさせおって。言葉の割には呆気なかったがの」
「化け物がよく言うよ、金髪」
「儂は怪異じゃ」
「僕からしたらどちらも人外だよ」
人間は水を凍らせない。
凍らせたとしても精々雰囲気と人間関係がまでだ。
しばらくジタバタしていたジャンヌ・ダルクだったが、数分もすると諦めた身体の力を抜いてデュランダルを地面に落とした。
「……くそ。聞いてないぞ。こんな奴がいるなんて」
「奇遇だな。僕も聞いてなかった」
「だが幸いお前は私について何も知らない。お前にとっての私は、ただ、一人弁当を食っていただけの女だ。阿良々木、お前は何をもって私をどうしようと言う?……ふふふ、武偵は融通が効かない。理解したらさっさと放せ。今日の所はこれで引いてやる」
「いや、ここ立ち入り禁止だし見逃すわけないだろ。周りの状況見てみろよ。地下倉庫じゃなくて地下冷蔵庫になっちゃってんじゃねえか。どうするんだよこれ。こんな凍った弾丸持って帰ったら僕の上半身がなくなっちゃうわ」
「くっ……ならば私も騎士だ!好きにしろ!」
「儂、漫画でこの台詞読んだぞ」
しかし残念ながら殺しの許可は下りなかった。
あと、このジャンヌは知らないが、1代目ジャンヌは騎士ではなく軍人である。
さて、どうしたものだろうか。一戦交えたとはいえ、涙目で「このこのぉ」両手をフリフリする彼女をどうにかする胆力があるかと聞かれても首を横に降るしかない一般人としては困るばかりである。
白銀の騎士による珍妙なダンスをしばし鑑賞した忍が口を開いて提案すること曰く、
「よし、犯すか」
「いや駄目だろ」
見ろよ。この冷気の中でも一切震えを見せていなかったジャンヌ・ダルクちゃんがガクガク震えちゃってんじゃん。
なんかもうバイブモードみたいになってるよ。
「しかし、好きにしろと」
「そういう意味じゃないから……いや、そういう意味なのか?」
顔を真っ赤にして必死に顔を横に振られる。
ですよね。
「まあいいや。取り敢えず何してたかくらい教えろよ。それを聞かなきゃどうしようもない」
「なら一生話さない」
「なら僕も一生離さねえよ」
「ヶ原さんにチクっても良いか?」
「そしたら僕はドスられて、一生ミスド行けなくなるからな?」
「墓場まで持っていくと約束しよう」
忍に墓場ってあるのか?
道のりが長すぎてポロポロ落としそうだ。
「じゃあ目的とか話さなくていいから超能力者って世界にどれくらいいるのか教えてくれよ」
「……そのぐらいならいいだろう。武偵でいえば、私は少なくとも10人の超偵を知っている。大体が歴史に名を刻んだ傑物達の末裔だ。超能力者と言ってもその性質はまちまちだし、信仰や契約による異能力もあるから一概にはいえんがな。それにそもそも人間じゃない奴らも多い」
「人間じゃない?それは怪異とかってことか?」
「カイイ?とは何か分からんが日本で言うところのモノノケや妖怪といえば分かりやすいだろうか。言ってもどうせ信じないと思うが私の最も身近な人外は吸血鬼だ」
「……へ、へぇ」
「そういう反応になるから言いたくなかったのだ。……だが、実際、アイツの姿を見ると逆に私も信じがたく思えてくるよ。吸血鬼なのにニンニクを含め好き嫌いなく食べるし日光浴を楽しむ。血液こそ同一型のものしか受け付けないらしいが、それでもあれはもはや人外の域すら超越し始めているよ」
「……。そんなに凄い怪異なら、やっぱり細切れにしても生き返ったりする不死身だったりするのか?」
「いや、それはないだろう。あいつらにはどうあがいても逃れられない魔蔵があるからな。あれがなかったらど──……」
急におし黙るジャンヌ・ダルク。僕は眉をひそめる。
瞬間、本当に瞼を閉じて開けたような意識の合間。
そんな意識の境を縫って剛音が響いた。
爆音。
うなるような低音からHiHiHiAを超える認識外の高音まで全ての音階を叩きつけられたかのようなまさに爆音。
全人類によるつんざくような悲鳴のようだ。
「「──!!」」
忍は影に逃げ、ジャンヌはいつのまにか僕から逃げ出していた。
「どうやら、迎えが来たようだ。ここらで失礼するよ。もう2度と会わないことを期待してサヨウナラ、とでも言っておこうか」
涙を流して耳を抑える僕にそんな声が聞こえるはずがなく。気づいた頃にはダイヤモンドダストも床一面に広がる薄い氷もなくなり、地下室に一人。
僕が涙ながらに跪くのみとなっていた。
「はあ、はあ。……ッ!かひっ」
湿気の戻った火薬室で爆音の後遺症に喘ぐ。
「かひゅ……あ、あー。あああああ!ああ。ああ……ふぅ」
ややあって、一息つく。
「……やられたの」
「なんだったんだ、アレ。地球が割れたと思ったわ」
「どこかのタイミングで救助でも頼んだのじゃろう。流石あの大々的な処刑を免れた者の末裔なことはあるな」
「……見て来たように言うじゃないか」
「見ておっても不思議じゃないじゃろう」
ジャンヌ・ダルクが処刑された日は1431年の五月。
こいつが約600歳だとすると確かに不思議じゃない。
ジャストのタイミングと言ってもいいかもしれない。
「想像してみたが、あんまり良い気分はしないな」
「勝手に自殺されるのと勝手に殺されるのはどちらが辛いのか。どこかの誰かの戯言を思い出したわ」
「そりゃあ殺される方が嫌だろ」
「……そうかもしれないの」
忍の過去、一国総自殺という現代日本のスローガンから真逆に突き進んだ経験を考慮したとしてもそれは変わらないと思うのは僕の間違いなのだろうか。
……いや、忍の場合。その原因を押し付けられてもいるのか。
想像もできない。
他人に尽くして他人に殺される身も、他人に尽くされて他人に殺させられる身も。
想像したくない。
「……フランスの聖女ジャンヌ・ダルク、か。いつから銀髪の血が混ざったんだろうな」
「ロシアの方に逃げたんじゃろ」
氷漬けならぬ氷付けられた腰を上げ側に落ちていた緑色のゴミ袋を拾う。
ひと段落ついてもこの世界に居残っているようだったらSSRに行ってみたいな。
適当に弾が入れられた木箱を手に取り僕は呟くのだった。
白い吐息は、もう出なかった。
話はもう少し続く。
いや、正確にはまだ始まってすらいないのだが。
その後、適当に弾を詰め込んだゴミ袋を職員室前に置いた僕は(地上までの運搬作業は忍に手伝ってもらった)もう帰っても良いんじゃないかと思いながら廊下を歩いていた。
「あややや!やっと見つけたのだ!」
「……平賀?」
幼女に話しかけられるとは珍しい。
会話のスタートが抱きつくじゃない違和感を感じつつも応対する。
……探していたとは、一体何事だろうか。
ぷくーっと頬を膨らませて精一杯『怒ってます!』と訴えてくる。
子供らしさがあざと過ぎて何かあるんじゃないかと疑ってしまう僕はきっと八九寺に毒されているのだろう。生を得て僅か20年余りで神にまで到達してしまった、きっての早熟乙女に。
「悪い」
「本当なのだ!」
多分、さっき会った時にまた後で行くとでも約束してたんだろう。
微妙に違うにしても瞬き信号を知らない僕にしては奇跡的な勘の働き方を以って僕はそう結論づけた。
「そういえば朝に後で行くって言ってたな。ごめん。完全に忘れてたよ」
ぞわり、と背中に悪寒が走った。
寒気なんかじゃあない。
これは強烈な予感だ。
羽川と初めてあった時も戦場ヶ原の時も感じたあの感じ。
キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードと遭遇した時と同じ。
本能の訴え。
聞き逃すな。
然りと受け取れ。
受け止めろ。
これが産声。
お前の始まりの嬌声。
「何言ってるのだ?さっきまで一緒に話をしてたのだ!」
遂に始まる物語。
未知との遭遇は、既知との遭遇だった。