いくら僕が前説が得意だとはいっても章が切り替わるたびに無駄話をしていてはまるで紙面が足りない。聴く方も根気が足りない。語り足りないのも確かなのだが、ここはぐっと堪えて今回は一つ嘆くだけにしたいと思う。
男子大学生の嘆きなんてものはナマケモノのあくびほどの価値もないのは重々承知の上での嘆きであることを留意してほしい。
これはいわば、嘆きを超えた嘆き。
悲劇だ。
客観的に見れば喜劇と言った方が正しいのかもしれないけれど、なけなしのプライドを振り絞ってここは悲劇だと強く主張させてもらうことにしたい。僕のプライドは多分、もうドライフルーツみたいになっていると思う。
……つまり。
情けない話、僕こと阿良々木暦はホームシックにかかりつつあった。
ぐすん、暦……寂しい。というわけ。
「どんなわけなんだよ、鬼いちゃん」と斧乃木ちゃんに聞かれたら笑われること必至だが、自分でもびっくりするくらい見事にホームシックにかかっている。そして、そのあまりの情けなさに一周回ってこの心境をすんなり受け入れてしまった次第。
その要因はいくつも考えられるが、決定的に僕が「あっかかってるな」と自覚を持ったのは昼時のことだった。
やいのやいのと言われ言いながら、彼女の弁当に舌鼓を打つのが当たり前になっていた僕にとって高校でコンビニ弁当を一人で食べるという行為は僕に大きな虚無感を与えた。かつてはそれが普通だったのに。
人間強度が下がってしまっている。この世界の僕に叱責されてしまいそうだ。
毎日面を合わせていたパサパサなハンバーグが今となっては恨めしい。『虚無感を与える』という一言に小一時間付き合わせてくる彼女もいないことを実感させてくる。
【350円】と記載されたラベルを見つめて弁当の隅に詰められたパスタを掴み口に入れる。すると何味かイマイチわからない味が口に広がった記憶は新しく、口の奥に押し込めれば喉、胸、腹と移動していったあの感覚は元の世界に戻っても忘れないだろう。
言語も知識も通じるのに、まるで外国に留学した当日の夜みたいな、そんなアンニュイな気分になってしまうのはただ単純にこの世界の常識に慣れていないせいだということは理解している。
この学校のシステムとカリキュラムは粗方把握した。
ネット上に書かれていた4月に行われる入学式から3月に行われる卒業式まで全ての予定行事を把握したし、その殆どが
ただ、そんはいい加減で大雑把なカリキュラムの中でも『殆ど』というからにはちゃんと行われている行事もあるわけで。
現在進行形で進められている準備もそのイベントのためであるわけで。
アドシアード。
生徒たちにはもっぱら授業参観だとか言われている行事があった。そしてそれはゴールデンウィークにも関わらず今の僕を含めた大多数の武偵生が学校に集まる大きな理由でもあった。
アドシアードなんて称されてしまうと、少し修辞的で洒落た言い方過ぎる気もするが、要は大抵の高校で開催される『文化祭』のようなもので、それを対外に大々的に行う事で武偵高の認知と理解を社会全体に求めるのが狙いらしい。
一歩間違えれば暴漢になりかねない立場を繕うための行事とだけあって、学校を渦巻く熱気は凄まじく部外者意識が強い僕は申し訳なくなってくる。
弁当を食べていた時だって、視線の先では校舎の銃痕をパテで埋める男子生徒や落ちている空薬莢を拾って袋に入れる女子生徒がいた。
しかし思い返せば僕はいつだって大きな学校行事の準備ではこんな立場を取ってきたから、だから今まで通りといえば今まで通りなのだが、当たり前のように僕を殺せる実力のある人を当たり前のように働かせて僕一人座っているというのは、なんというか謎の不安感を煽られる。
まあいくら『申し訳ない。周りは僕より凄い』と口にしてても、女生徒がゴミを拾おうと屈む度にスカートの中が見えてしまいそうになり、僕はその度に一喜一憂していたのは確証のない事実だけど。
それを突っ込んでくれる人もいない。
そんなわけで、僕はホームシックなのだ。
体育館の方から聞こえるエレキギターの音。
面白おかしいスピーカー・マイクチェックの声。
校庭には射撃の的が沢山並べられ、それに肌が眩しいチアリーディング参加予定の女性徒が試し撃ちしている。ブロンドの髪がキラキラと光って綺麗だ。
右手に握るゴミ袋を見る。
聞けば今から取りに行く弾薬はアドシアード開催記念・協力謝礼として生徒に振舞われる配布物らしい。ゴミ袋に入れても惜しくない弾薬というのだから、その品質の程度も察せられる。言うまでもなく、在庫処理だ。
僕からすれば、自分の銃の口径どころか、まずもって撃ち方がわからないため謝礼云々はどうでも良い。
気になるのはその地下倉庫が一体全体どのような場所なのかだ。ホームページには当たり前のように掲載されていなかったし(倉庫をわざわざ記載する学校はないだろうとのこと)そこらへんで歩いていた女生徒曰く『あそこに近づくのは罰ゲーム』らしい。
近づくのですらダメなのか。
僕はもうその一言からしてこのおつかいに嫌気が差していた。
校門脇にポツリと配置された鈍色の扉から階段を下りること2階分。
歩いているうちにどうやら武偵高の地下空間は船のような多層構造になっていることが分かってきた。
馬鹿広い空間に物体が点在している地元のような倉庫かと思っていたが、あちらこちらに配線が巡らされ黄色のペンキで【WARNING】が施された空間に少しの息苦しさを感じる。地下にあるせいか、5月にも関わらず業務用冷蔵庫に入ったかのような寒気を覚えた。
地下二階からは階段ではなくエレベーターを使う。非常階段もあるそうだが、切羽詰まっているわけではないし湿気が多く滑りそうなのでこちらを選んだ。
武偵手帳をエレベーターに備え付けられた読み取り機に当て、赤色で書かれた『七』のボタンを押す。
金属が擦れ合う音、外れて嵌り直す音、レールの軋みがエレベーター全体に響き渡り体全体に慣性が重くのしかかる。運動方程式がふと浮かんでしまうあたり僕はまだ受験生気分が抜けていないようだ。
無機質な高音。地下7階に到着する。
地下倉庫──武偵高の最深部。
外よりも数度なんてレベルでは済まないほど寒い空間。
薄暗く細い廊下が際限なく続いている。
細々遠くに続く淡い蛍光灯と赤い非常灯が曰く言いがたい不気味さを醸し出していた。
遠くから水の流れる音がする。
地下水路と繋がっているのだろうか。
左右に広がる弾薬棚が怖くてなるべく道の真ん中を歩きながら考える。
「……思ったよりもジメジメしてるな」
「儂のゔぁんぱいあいやーに寄ると、近くに地下りばーがあるようじゃな」
「さすがの人間でも水音くらい聞こえるよ。あとなんでそんな文明開化直後の英国に影響を受けすぎた日本人みたいな口調なんだよ」
暗がりのお陰で若干テンション高めの忍を引き連れて火薬庫を進む。
しばらくは黙って手を繋いで歩いていたのだけど、自称お喋りな吸血鬼は小さな頭を目下にひっさげて「のう、お前様」と口をついた。
「ここまで色々な者と話していたのを聞いて思ったのじゃが……この世界のお前様、落ちこぼれ臭すごくない?」
「やめろよお前、止めろよ。すごくないよ。優秀な武偵の卵だったはずだよ」
「いやいやお前様。身長は変わらずちっこくてサボりグセも相変わらずで情に厚そうな教諭には見捨てられかけている。これをおこぼれと言わずして何が落第生なんじゃよ」
「ばっかお前。馬鹿かお前。この馬鹿が」
落第まではいってねえよ。
際の際まで社会の崖を見にいっただけだし。
「図星を突かれ語彙力さえままならんとはいよいよもって認めたようなものじゃようが」
「……」
「なんとかゆうてみぃ、みーにゆーてみー」
「……そういえば、この地下倉庫。倉庫って言う割には弾丸と弾薬と銃弾しか見当たらなくないか?」
「なんじゃつれない……実質火薬庫なんじゃろ。実際火薬庫なんて言ったら他所からの反感が凄いじゃろうしな」
なるほどね。と、どこか他人事のように納得する。
ん?それだったら、右横にある僕の体半分の大きさがあるこの鉄球は何に使うのだろうか。
「ちゅーかお前様、最近儂をポンポン呼び出してるけど、なんか儂のことをポケモンか何かと勘違いしとらんか?」
「ドラえもんだろ?」
「それは先生に申し訳ないので、もしその認識を持っているならポケモン以上に改めて欲しいのじゃが……」
「相変わらず藤子先生とミスドに対しての認識が凄いな……。あ、いや。それだったらお前だって僕のこと、財布かミスタードーナツ直通のどこでもドアかと思ってんだろ」
ここ二、三日で何回ドーナツ食わせろと言われたと思っている。あと一回でも強請られたら僕は吸血鬼の主食に対する認識をドーナツに置換していただろう。
「そもさん、うぬが儂を性欲の捌け口とみなしておるようにな」
「説破……なわけないだろうが!」
とんでもねえ問答だな。
「なんじゃ、もう儂の鎖骨と肩甲骨の窪みには興奮せんと言うのか?」
「当たり前だ!」
「蜂の妹でも?」
「しない!」
「鶯の方でも?」
「しない!」
「バサねぇでも?」
「し、しない!」
「ヶ原さんでも?」
「し……いや、する!」
「蝸牛の小娘でも?」
「する!」
「罰当たりめ」
「あいつは成り上がりだから」
「今となっては
そう考えると去年だけで八九寺は何回級昇進したんだ?
死んで二階級特進なんてことはないにしても、地縛霊から土地神となると相当数上がっていると思うんだが。
その内最高神まで登りつめていそうだ。
それも自力じゃなくて周りからの持ち上げで。
エスカレーターのように。
「まあ逆に僕たちはこうしてこれ以上ないくらいに下に来ているわけどさ」
「落ちこぼれが最下層に行くとは面白い皮肉じゃな」
「何も面白くねえよ。……しかしこんな陰気臭い火薬庫の奥に眠る弾っていうのは一体全体何年物なんだろうな」
「儂は自分の年齢より少ない年数は数えられんから分からん。せめて500年物になってもらわんと話にならん」
「お前はなにと張り合ってるんだ、伝統工芸家の師匠かよ。それに頑なに100年詐欺るのはなんでだよ」
「仮にお前様があと数ヶ月で30になるという時期に20代前半の女と結婚することになった時、お前様は相手の父親になんと名乗る?」
「お嬢さんと同年代の阿良々木暦です!」
「わかれば良い」
年齢マジックってすごい。
小学一年生と高校生の結婚と10年の年の差婚を比較したときと同じ驚きを感じた。
ただ、忍が滅茶苦茶年齢を気にしているな。これが千年経っても心は乙女ってやつか。見苦しい、とは言えないな。
しばらくは服から火薬の匂いが落ちないだろうと容易に予想がつくような空気の中、会話を途切れさせることなく歩き続けるとようやく廊下に終わりが見えてきた。
水の音が強くなることから火薬庫の終わり際は随分と下水溝に近いことが予想できる。海の上に建てられた施設の地下部分だし地下水じゃなくて海水の可能性もありそうだが、ベタつくような空気感でもないし、むしろ湿気が多くてしかるべき場所なのに乾燥しすぎている気すらするからその可能性は低いと思われる。
廊下の奥に広がる大きなスペースが見え始めた頃、タップダンサーになったかのようにカッカッと音を響かせて跳ねるように歩いていた忍が突如停止した。
「待て」
小声で短く呼び止められる。
「これを見よ」
指し示した先のスペースにはなんの変哲も無い床が広がっている。
今は人間に近い視力しかないためよく目を凝らしても忍の言う『これ』は分からない……が、床にしてはやけに輝きすぎている気がした。
スペースだけ違う素材を敷いているのか?水に対する腐食防止とかのために。
直江津高校の廊下とトイレの床の材質が違ったことを思い出して推測してみせるが忍は即座に否定する。
「違う。これは変化しているのじゃ」
「変化?ちょっとキラキラしているだけってことか?なんのために」
「阿呆。そもそも地下地上の差異抜きにして何か変じゃと感じないのか。情けない」
「情けないって……妙な変化と言っても、地下室にしてはやけに寒くて、水が近くにあるにしては空気が乾き過ぎてるってことくらいだろ?」
「……そこまで分かっていながらどうしてこの床面の異常が推測できんのか」
「詳しく見えないから」
あと、ここのスペースには埃が多く舞ってているのか強い蛍光灯の明かりをキラキラと反射するので視界がすこぶる悪いのだ。とても目を凝らしにくい。
「……答えだけを教える。よいか、お前様」
床面を指していた指は忍の視界全体──広く開いたスペースを示すようにぐるぐると円を描く。
「凍っている」
忍はポツリと言った。
「床面、空気中。気体であるべき水分が全て凍らされているのじゃ」
地上の気温は25度。
それは地下であることを考慮したっておかしい現象だった。
しかし、僕にとって最も身近な異常である怪異の仕業なのかと推理を及ばせる間も無く「馬鹿な!」と飛び出しかけた言葉はさらなる一言で打ち消されることになる。
「そこにいるのは誰だ!」
スペースの奥から投げかけられた鋭い口調で問いかけ。
屹然としていて明瞭な声だ。
ここは立ち入り禁止区域だし向こう方も僕と同じでおつかいを頼まれたのだろう。流石に銃を向けられることはないだろうが、誤解はないに越したことはない。
軽く手を上げながら声が聞こえる方に近づくことにした。
「あー、別に怪しいもんじゃなくて、多分、君と同じ目的だと思うんですよね。だからそんなに警戒しなく……て、も──?!」
「あ、こら!こっちに来るな!」
後に彼女の正体を知って僕はぶったまげることになる。
意外な繋がりを発見して親近感を覚えることにもなる。
形成された氷の空間の奥。
火薬棚を背もたれに座っていたのは背の高い女性。
初めに見えたのは日本離れした白銀の髪の毛。
すっとした一本筋の通った綺麗な鼻筋。
つやうやとした色白の肌。
そして神々しく白光する大剣。
あと、彼女の膝に乗った小さな弁当。
火薬溢れる危険地帯最奥にいたのはボッチ飯に励む鎧姿の銀髪少女だった。
僕は彼女の一人飯を見苦しい姿だとは思わなかった。
──ただ。お昼に感じたあの虚しさが少し、和らいだ気がした。