「誠意っちゅう名の何かがあってもいいと思うんや。ほら、度数で言うと40パー位の」
「あんた開口早々何言ってんですか」
今回の話。
こんな話。
【010-B】
『生徒呼出 2年B組襲撃科 阿良々木暦』
神崎と別れ、素知らぬ顔して武偵高に登校すると、掲示板の前には大勢の生徒たちが詰めかけていた。
見れば一昔前のドラマで見た覚えのある張り紙がる掲示板のど真ん中に張り出されている。言っちゃ悪いが日本最底辺偏差値にしてこんなに荒れた学校なのに、それでもなお職員室に呼び出される馬鹿がいるのか……なんて呆れかえる気持ちでいっぱいになる。
なんか僕だった。
二度見する。
僕だった。
──いやいやいや。
何を否定したいのか自分でも分からない。
けれど何となくかぶりを振って近くの壁際に身を隠す。
大学の授業用資料で見た『人間の動く理由に言葉を当てることは叶わないのだ』なんて戯言が頭をよぎったが残念ながら今の状況はそこまで学術的でない。
ただ単に落ちこぼれた生徒として晒し者に名実ともになりたくなくて(名の方は既になっているが)、つい現状の否定及びハイドしただけだ。
実に浅ましい行動だった。
幸い張り紙からは3メートル離れていて、他の生徒に僕は見つかっていない。
どうにかしてあの張り紙をどうにかしたいのだが、どうすればいいのか分からない。否、他の依頼の紙をビリビリ破り取っていく生徒に倣い、僕も生徒呼出の紙を剥がしに行けばいいのは分かる。
ただ、単位に飢えた生徒たちを掻い潜り、目立つことなく張り紙を取ってこれるビジョンが浮かばない。
堂々と行けばいい?
いやいやいや。
恥ずかしいから無理。
際限ない焦燥感と羞恥心がふつふつと湧き上がっているせいか、春先にも関わらず自分の立つ場所がいやに乾ききっているように感じる。
一体何をやらかしたら制服改造・髪染め・銃所持その他諸々常識的に考えて良い顔されないどころか法に触れるレベルの行動が往々にまかり通ってしまう学校で呼び出されるなんて食らうんだよ。
仮に元の世界の僕みたいに素行不良だったにしたって、いくらなんでも要領が悪すぎだろ。
……もしかして犯罪でも犯したのか。
法に触れたのは僕の方だったりするのだろうか。
だとしたら、武偵法により3倍刑に処せられて帰るどころの話じゃなくなってしまうんだが。
大体、目立ちたくないと言いつつ目立つ行動を起こすわけでもなく、ただヒソヒソと動きたい・動こうと努め続けているだけの男が、なぜこうも衆目の前に晒されなければならないのか。
僕がなにをしたっていうんだよ。
幼女になじられたり少女と会話したり少女の足を引っ掛けたりしただけじゃないか。
ここまでお膳立てされてしまうとなんだか作為的なものを感じるまである。
依然、唖然と遠くで僕を呼ぶ紙切れを見る僕だったが耳が周囲から的確に僕の名前と小さな笑い声を拾い上げたことで遂に肩を落とした。
がっくりと。
忌避されることも無視されることもそれなりに経験してきた僕だけど、嘲笑を共唱的に浴びせられることはなかなか経験してこなかったから普通に辛い。
涙がちょちょぎれるそうだ。
そんな感じで柄にもなく本気で泣きそうになっていると、近くからアッケラカンとした声がした。
「あはは!阿良々木くんが呼び出されてるのだー!」
「……平賀」
「ん?さん付けはもうやめたの?あれはあれで新鮮だったからまたやって欲しいのだ。ってそうじゃないのだ!阿良々木くん。なにしたのだ?」
「なにもしてない。ぼくも登校してきて吃驚仰天してるところだ」
話しかけられたのをいい機会だと思い込み、僕は覚悟を決めて平賀から一旦離れて張り紙を掲示板から取り外す。
終えてしまえばなんでもないことだったがそれでも、ギョロリでもぎょろぎょろでもない。
ぞろりと視線が僕へと集まるの感じた。
経験上、悪意や侮蔑といった悪感情には聡いつもりだが、僕を終点として収束するそれらは決してそういったものでなく、意外なことに、なんというか……こう。バーゲンセールの商品を見るような──いや、違う。神原の隣を歩いている時のような視線だった──でもなく。
なんだ?この視線は。
周りを見て気付く。
掲示板の周りに佇む武偵達は誰一人として僕を見ていなかった。
視線じゃない視線。
多分、気配とか言われてるもの。
磁力のような、妙な引力。まるで僕がブラックホールにでもなってしまったかのようだ。
見られていないのに観られている。
『観察対象を見るな。視線を悟られるな。気配で見ろ』
まるで意味不明な指示を出す演出家のような言葉だが、ここにいる武偵の卵達はおそらくこんな教えを受けているのだろう。
異様な状況にありながらそれが当たり前であるとする違和感。
例えるならこれは、回らないコーヒーカップに当たり前のような顔をして乗っている人たちを見た時のような──そんな常識のズレに気分を悪くしながら僕は平賀さんの元へと戻った。
平賀さんもこの手の視線には慣れているようで僕の肩……には手が届かなくて腰を叩いて慰めてくれた。
「あはは!ごしゅーしょー様なのだ!」
「本当に思ってんのかよ……」
「ないのだ!」
堂々としたものなのだ。
呼び出しの紙を剥がしてから1分も経っていないのに、用は済んだと言わんばかりに周りの生徒はいつのまにか疎らになっていて、その事が、いかに右手に握る紙の内容が珍しいものなのかを主張している気がする。
「平賀。最近こんな呼び出しってあったっけ?」
「いやいや阿良々木くん。この学校で呼び出しなんてそうそうないのだ。……あ、けど。確か会長さんが1週間くらい前に同じような感じで呼び出されて話題になってたのだ。かく言うあややも優秀で良い子なのに呼び出されていたから不思議に思ったのだ」
「会長……シラユキ……」
「んゆ?阿良々木くんってば会長のこと下で読んでたっけ?」
怪訝そうな顔の平賀さんに虚言を返す。
「いや……ぱっと上が出てこなくって。僕みたいにそうそうない苗字だったら覚えていられるんだけど」
「んー?けど、星伽はなかなかない名前なのだ」
滅茶苦茶珍しい苗字だった。
「……そうか?僕の地元だと普通クラスに二人いる苗字なんだけどな」
しかし僕も後には引けない。
臥煙さんもびっくりの大胆不敵さで嘘を重ねる。
しかも無意味な嘘だ。
嘘といえば、ひたぎが『嘘つきは貝木の始まりよ』とついこないだ嘯いていて、僕が『嘘のついたことのない聖人がこの世にいるとは思えないが、それはそれとしても全人類貝木は嫌すぎる』とツッコミをいれたのを思い出した。
嫌嫌嫌、だ。
それにしてもAクラスの生徒はともかく、僕程度の武偵が呼び出されることがあんなにも注目されるのだろうか。
まさか、僕が会長と同じ武偵ランクA以上で実力もコミュ力もない日陰者から能ある鷹へと見事な転身を遂げちゃうのだろうか。
「あははは、それはないのだ!」
「なんでだよ。もしかしたら僕の知らない内に最優秀武偵賞にノミネートしたのかもしれないだろ」
「んー。やっぱりそれもありえないのだ!それにされたとしてもそれは多分、あややの名前なのだ」
取りつく島もありませんと言われた気分だ。にべもない。
神原のような礼儀正しく失礼な性格とはまた違うけど、平賀は平賀で竹を割ったような物言いを好む性格だった。
「ま、まぁ誰が最優秀武偵でもいいけど……やっぱり変じゃないか?さっきの過剰な注目が平賀の恩恵だったとしてもさ。平賀本人よりも注目を浴びるってのはおかしいだろ」
「んゆ。それは阿良々木くんの自業自得なのだ……というか、今まで注目されているの気がついてなかったのだ?」
「いやだって──うん。まあそうだな。学校を休んでた多自覚はあるけど、それだって依頼で長期的に留守にしてる奴がいるわけだし」
苦しい言い訳。
神崎から得た情報をはじめ様々なパーツを使い、危ういバランスで成り立つストーンタワーのようなストーリーを仕立てていく。
我ながらいつボロが出てもおかしくない物言いだったけれど、どういうわけか僕が気付かなかったことに納得した平賀は裏表のなさそうな笑顔を絶やすことなく「流石低ランク武偵なのだ!」と笑った。
バカにしてんのか。
低いテストの平均点を聞いてテンションが上がったものの、帰ってきたテストの点数が平均点だった時のような気分になった。
「さっきの注目はどう考えても阿良々木くんが『平賀への依頼は直接僕に会いにこない限り受け付けない』とか気取ってるせいなのだ。阿良々木くんが登校してくるなんてちょーお久だし、そりゃあ注目も集まるもんなのだ!ちゅーか、阿良々木くんが不登校児だったからあややもここ最近依頼が減って金欠になりかけてたのだ」
「そんなこと言ってたのか、僕」
じゃああの武偵達は平賀さんに依頼したいが為に僕を血眼になって探していたのか。
仕事がなくて切迫していたならば、平賀が直接依頼を受け取れば良いんじゃないのかとも思わないでもなかったが、
いまいち釈然としない面もあったけど、目の前の雇用主より学校を休み続けた僕に非があることは火を見るよりも明らかだったため、頭を垂れて素直に謝罪することにした。
「わり」
「心が篭ってないのだ?!」
僕の責任じゃないし。
とまあ、そんなやり取りを重ねていると再び人が増え始めた。始業時間も近いし、おそらく交通機関で通う生徒達が到着し始めたのだろう。
また妙な注目を集めるのも嫌なので平賀との会話を切り上げることにする。
「それじゃあ僕はそろそろ行くから」
「んー。……あ、そうだ。今日はアドシアードの準備だけだから阿良々木くんは教務科に早く行った方がいいのだ」
「教務科ねぇ。あんまり縁がない場所だから迷いそうだな」
迷ったついでに自室に戻っていそうだ。
職員室にはいつだっていい思い出がない。
「あはは、この学校は阿良々木くんの人生よりは単純だから安心するといいのだ」
「何も安心できないけどな。あと僕の人生はそこまで複雑じゃないから」
なあなあに流されてきた男の人生よりも単純って、それはもう扉ひとっ飛びレベルの明瞭さだろ。
《どこでもドア、ただし取っ手は壊れてる》みたいな。
昨日頭に叩き込んだ学校の見取り図によれば、教員室はどの学科教室からも等しい距離に存在している。場所でいえば学校の中心に近い。
馬鹿でかい人工島に建てられた学校なだけあって、教員室までは歩いて数分は掛かりそうだ。だけどまあ、かといって行く気力が初めから削がれるような距離ではない。
ちゃっちゃと行って適当にやり過ごすしかない。
人生の奔流を流れるように生きてきた僕らしい楽観的な考えにうつつを抜かしていると、平賀さんが急にウインクをし始めた。
「
……ウインク覚えたてなのかな。
健全なる一般市民の僕が、武偵が好んでよく使う『瞬き信号』を知っている筈もなく、僕がその光景を見る目は終始うろん気だった。
しかし相手の意図を分かっていないのはどうやらお互い様なようで、僕の何か言いたげな目に気付くことなく平賀は「まったあとでねー、なのだ!」と元気いっぱいに自分の専科へと走って行った。
もしも僕が模範的な武偵生であったなら、こちらもまた元気いっぱいに「瞬き信号の意味ねえじゃねえか」と突っ込めたのだが、僕は彼女の挨拶を辞令的なものと受け取るに留まり、ただ片手を上げたのだった。