001-B
前日譚というか前哨戦。
早い話、僕には三人の幼馴染がいる。
幼くて馴染みのある人という意味で、幼馴染。こんなことを言っていたら老倉に助走をつけて殴られそうだが……ともかく、三人の幼い知り合いがいる。
とはいえ、その三人全員が見た目通りの女児ではない。
三人全員が何かしら世の中の道理に逆らっていて、摂理に反している。
反抗期なんてとうの昔に置いてきたくせに、反抗し続けている。
鬱蒼と、生きている。
もっと言えば、『馴染みのある人』だなんて表してみたは良いものの、その中に『人』は一人もいないし、そもそも彼女達が僕に馴染むなんてことは一生かけたとしてもないだろう。
だって、3人とも、もう既に生きていないのだから。生きているように見えて、その実死に続けているだけなのだから。
リビングデッドならぬ、ビーイングデッド。
生死が曖昧なのではなく、はっきりし過ぎているが故の不死。そのくせ存在理由だけは一丁前。
中世において不死者が魔女として断罪され続け、蘇生者が聖者として崇め奉られた歴史があるけれど、これは、実は意外と理にかなっていて、むしろ、聖者だからこそ蘇生したように、魔女──つまり人ならざる者だからこそ不死者なのであるとも言えるかもしれない。
人ならざる者はヒトデナシであり、怪異なのである。
だからこそ、僕は自分の吸血鬼もどきとしての治癒力を後遺症と呼ぶのだし、これが単なる後遺症であるからこそ、僕は人間であると自分に言ってやれるのだ。
まぁ、そんな詭弁をつらつらと並べるまでもなく、忍野や影縫さんは僕のことを人間だとみなしてくれているようなので、不死云々のことは総じて僕の独りよがりなのかもしれない。
段違いの知識を抱える専門家には間違いなくなにかしらの線引きがあるはずだから──生死の境を朗々と区切ってしまう程度には。
話を戻すと、結局の所、僕にとってこの三人の幼馴染というのは、どうしようもなく不死であり、どうしようもなく死に続けている……けれど、それでもやっぱりどうしようもなく動いている。そんな死体もどき達なのだ。肢体に見えるけど死体には見えない、ただの少女達なのだ。
だが、もしもそんなことを少女に告白してみたところで、
「いやいや阿良々木さん。私は別に死に続けているつもりはありませんよ。私はこの通りちゃんと死んでいます。ただの阿良々木さんと会話できるだけの運のいい美霊女です。まぁ、今となっては女神なんですけどね!」
なんてあいつは言うかもしれないし、別の童女に言ったところで、
「やっぱり鬼いちゃんは人でなしだね。目に節穴があいているあたりが」
としか言われないだろう。あいつに至っては多分、
「──呵呵ッ」
と一笑に付すだけだ。
神霊少女。
傀儡童女。
吸血幼女。
三者三様と評するには余りにもゲテモノで外道な存在だけれど、僕がこれまでに歩んできた人生で彼女達以上に死に近いものなど見たことなかった。
人に関して、本物の死を目の当たりにする機会がなかった。
体が死んでいても、心は生きていたし。
心は失くとも、体は動いていた。
死ぬことを殺されていたけれど、それでも生きていた。
パーツパーツはどこか欠けてしまっていたかもしれないけれど、それでも、僕があいつらをあいつらなのだと言い張れるくらいにはあいつらは生きていた。
動いていた。
これ以上ないくらいに、現実的だった。
……しかし、一転どうだろうか。
今この状況は、一体全体何なのだろうか。
僕は、何故、今、死体の上に座っているのだろうか?
まるっきりの死を直視してしまった僕はどうしてやればいいのだろうか。
動かない、話さない、生きていない。
死体としては当たり前の在り方が逆に僕を混乱へと誘う。
僕は人生を迷って溺れて、それでもなんとかもがきながら生きているわけだけれど、それでもこんなに理解に苦しむ状況は経験したことがない。そもそもの話、どれもこれもが僕の意思とは無関係に進んでいるわけで、ともすれば自分が木石になったかのようにすら感じる訳である。いい加減丸石に(あるいは流木)でもなってしまいそうだ。
そんなわけで、なにが『そんなわけ』なのか分からない僕は、煙くさい道路の隅で、大して良くもない頭を抱えるのだった。
力尽き、精根尽きた死体の上で。
阿良々木暦は『誰よりも知り尽くした人の死体』の側で混乱と共に嘆くのだった。