殲滅の時   作:黒夢

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八話 幼き決意

 

 

 

 二匹の血を吸う鬼の対峙より、時刻は十五分ほど遡る。

 点々と備えられた西洋風の街灯の仄かな明かりで照らされた歩道。季節が春ならば見応えのある華やかな桜が悠然と芽吹き、桜通りの名に恥じぬ風情を醸し出すであろう。しかし、春の季節が過ぎ去った今となっては桜の花など一輪とてあろうはずもなく、ただ宵闇に黒ずむ葉々が時折の風に揺れるだけ。何処となく不気味で、底知れぬ不安を悪戯に煽り立てる、そんな歩道と化していた。

 そこには現在、一つの規則正しい足音がヤケに大きく響いている。

 コンクリートで舗装されている深夜の歩道を歩くのは、一人の大柄な男。足元まで悠々と覆い隠せる大きなコートを身に纏い、その下には黒い神父服を着込んでいる。黒の衣の上で跳ねる銀のロザリオは月光と街灯を受けて鈍く輝き、ささやかながらも存在感を主張していた。

 男の名はアレクサンド・アンデルセン。

 世界最大宗派、キリスト教の暗部中の暗部。ヴァチカンが誇る異端殲滅機関イスカリオテに於いて最強のジョーカーと称される存在だ。アンデルセンは黙々と歩みを続け、木々の狭間を颯爽と通り過ぎて行く。

 

「――こちら、瀬流彦。目標は桜通りを歩行中です」

 

 不意に。桜通りから遥か遠方にある建物の屋上で緊張を孕んだ声が響いた。

 麻帆良学園に在籍する魔法先生の一人。優しげな顔立ちと性格で生徒からの信望を集める瀬流彦は、双眼鏡と通信端末を片手に学園長へ連絡を取る。返事は即座に返ってきた。

 

『うむ。引き続き監視を頼むぞ。ただし、危険を感じたらすぐに逃げるようにの』

「ははは……言われなくても、無理はしませんよ。学園長がここまで危険視する相手に油断するほど、自惚れてはいませんから」

『……損な役回りを押し付けてすまんのう。増援と潜入員の警戒のため、他の魔法先生には広範囲に散らばってもらっておるのじゃ。非番じゃった君に最も危険な役を割り当てるのは、本当にすまんと思っとる』

「そんな、気にしないでください。これでも状況はわかっているつもりです。それに――ネギ君達に比べたら、こんなの危険のうちにも入りませんよ」

『…………』

 

 心苦しそうに歯軋りする瀬流彦に対して、学園長は返す言葉を持たなかった。

 学園長は静かに、エヴァが部屋を出て行った後の遣り取りを思い返していた――

 

 

 

 

 

 自信に満ち満ちた足取りで悠然と部屋を後にするエヴァの後ろ姿を見送ると、学園長は皺だらけの目尻をほんの少しだけ持ち上げた。仙人染みた頭の中では次々に打つべき方策が浮かんでは消えていき、神妙な面持ちで腰を下ろす。

 

「む?」

 

 しかし、いくら腰を沈めても、あるはずの感触がない。そこでようやく、学園長は椅子を倒してしまったことを思い出した。簡素な魔法を用いて椅子を起き上がらせると、改めて腰を落ち着かせる。馴染み深い感触に背中を任せて、学園長はポツリと虚空に向けて呟きを漏らす。

 

「……相変わらず、頑固じゃのう」

 

 ――強がりおって。

 学園長は胸中でやれやれとでも言いたげに吐き捨て、表情を厳と引き締める。

 方策は、既に固まっていた。

 

「この際じゃ。ヘルシングはエヴァンジェリンに一任する」

「っ!? 本気ですか、学園長!? アレは、一人でどうにかできる相手ではありません! ましてや、今のエヴァンジェリンさんは魔力が封じられているんですよ!?」

「彼奴が望んだ事じゃ」

「しかし!」

 

 なおも食い下がる刹那を、学園長は薄く開いた鋭利な瞳で射抜く。

 その眼光は非情な冷たさを帯びて、一刀の下に刹那の甘言を切り捨てに掛かる。

 

「目的を履き違えるではないぞ。今、ワシらがすべきは麻帆良の防衛。それ以上でもそれ以下でもない」

「っ!!」

「既に魔法先生には増援と潜入員を警戒して、麻帆良の周りを固めてもらっておる。現在、自由に動き回れるのは極少数じゃ。君達はすぐにでもパーティーを結成し、アンデルセン神父を拘束、もしくは足止めしてもらいたい」

「……わかり、ました」

 

 若干の沈黙を経て、刹那は呻くように答えた。唇を噛み締め、愛刀である夕凪を白い手が真っ赤に充血する程に強く握り締めている。刹那は、傍目から見ても使命と私情の間で葛藤しているように見えた。そんな刹那の悲痛そうな面持ちを見据えて、学園長は微かに苦笑する。

 

「そんな顔をするでない。ワシとて、エヴァンジェリンを見捨てる気はないんじゃぞ?」

「え?」

「えってなんじゃ、えって。これでもエヴァンジェリンとの付き合いは君らよりワシの方が遥かに長いんじゃ。こんなつまらない些事で、茶のみ仲間を死なせるのは御免じゃよ。まあ、彼奴のことはワシに任せておきなさい」

「そ、そうですか。では、お願いします」

「うむ。だからのう、今はアンデルセンに集中するんじゃ。ほれ、ネギ君を見てみい。もう――やる気満々じゃぞ?」

 

 学園長にそう言われて、刹那はようやく気づいた。

 自らの頬を撫で上げる柔らかく温かな風に。

 ピリピリと身を突き刺しながら、決して不快には感じない凝縮された闘気に。

 

「ネギ、先生?」

 

 呟く刹那に、けれどネギは答えなかった。いや、恐らく聞こえていないのだろう。

 グッと胸の前で小さな、けれど力強い拳を握り締める姿には恐怖など一片も見られなかった。むしろ、メガネの奥に燻る眼光は眩いばかりの光に満ちて、師から託された使命を遣り遂げる決意に溢れていた。

 

「――ふぅ」

 

 刹那は嘆息して、不謹慎ながらも口元に笑みを浮かべた。

 そして、思うのだ。ネギは、エヴァンジェリンの勝利をまったく疑っていない。だからこそ、やるべきことに全力で挑もうとしているのだ、と。それは何の根拠も無く、裏表も無く、ただ相手を信じているだけの無条件の信頼。刹那は静かに、ネギの肩へと手を置いた。

 

「ネギ先生」

「へ? あ、はい! 何でしょうか?」

 

 ハッと気を取り直したネギは少し慌てた様子で刹那の方へと向き直る。今この時に於いて、長い口上など必要ない。だから、刹那はただ一言だけ。簡潔に、明確に、短く告げる。

 

「勝ちましょう」

 

 言葉にすれば、たったそれだけ。けれど、挑む相手を省みれば、その言葉を口にするのにどれほどの勇気が必要か。澄み渡る湖のように安らかな刹那の瞳は、真っ直ぐにネギを見据えている。

 もう、刹那の胸中からは迷いが消えていた。だからこそネギも力強く、

 

「はいっ!!」

 

 ただ短い決意だけを返した。

 

『よっしゃーっ! そんじゃ最強チームの編成はオレっちに任せろい!! イスカリオテだかピスカリオテだか知らねぇが、兄貴たちを敵に回したのを後悔させてやんぜ!!』

 

 二人の遣り取りに感化でもされたのか。ネギの肩にしがみ付くカモもいっそう気合の咆哮を張り上げる。後方に控える茶々丸もまた、声こそ上げないが微笑ましそうにネギ達を見つめていた。

 

 

 

 

 

 カッ、カッ、カッと。闇夜の桜通りに規則的な足音が響いている。

 アンデルセンの歩みには一切の迷いが無い。ただ自らの定めた目的地を目指して淡々と歩き続けている。遠方から見張る瀬流彦は、方向からアンデルセンの行き先を既に割り出していた。

 

「学園長。やはり、ターゲットは学園長室に向かっています」

『うむ。どうやらエヴァの捜索に飽きて、所在のはっきりしておるワシから片付けるつもりのようじゃのう』

 

 仮にも麻帆良を治めるトップを単身で討ち取ろうなどと、正気の沙汰ではない。

 だが、忘れるなかれ。向かい来るは狂気こそを苗床とする狂信者の尖兵。普通や正気などという言葉は、彼等にとっては最も縁遠い。

 

『む? どうやら、ネギ君達の準備が整ったようじゃ。君は予定通り、他の魔法先生と合流してくれ。よいか。ここからが正念場じゃぞ』

「分かっています。ネギ君や生徒を危険に晒すのは心苦しいですが、僕は僕にできることを精一杯やるつもりです」

 

 瀬流彦は端末を耳から離すと、アンデルセンを苦々しく一瞥してからその場を離れる。

 

「……無理はするなよ、ネギ君」

 

 最後に、小さな同僚に気遣いの言葉を残して。

 一方のアンデルセンは歩くという動作をそのままに、僅かに視線だけ横合いに動かした。見つめる先は、今まで瀬流彦がいた建物だ。

 

(失せたか……頃合いだな)

 

 アンデルセンは不意に道端で立ち止まると、周囲を舐めるようにして見渡した。

 

「そろそろ出てきたらどうだ、異教徒ども。さっきから鼻について仕方無いんだよ。薄汚い化け物もどきや小汚い魔法使いの臭いが、臭くて臭くて堪らない」

 

 アンデルセンは侮蔑のみを込めながら吐き捨て、懐に手を伸ばす。

 瞬間。黒光りする閃光が、闇夜に溶け込み飛来した。数十にも及ぶ閃光をアンデルセンは実に嬉しそうに見据えると、躱そうとも防ごうともせず、ただ自然体のままでその全てを受け入れる。

 ドッドッドッと。肉を裂き骨に食い込む鈍い音が、夜の闇に木霊した。

 アンデルセンの両腕には、手裏剣やクナイが幾本も深々と突き刺さっている。

 

「ほう……ニンジャ、という奴か?」

「残念ながら、拙者は忍者ではないでござるよ。ニンニン」

 

 呟きに、返答は右手側の樹木の枝辺りから届いた。一体いつからそこにいたのか。長瀬楓は飄々として樹木の枝に佇みながら、眼下のアンデルセンを見下ろしている。アンデルセンは楓の姿を認めると、先程までの凶笑から一転して、場違いなほど柔らかく微笑んで見せた。

 

「おやおや……誰かと思えば、昼間のお嬢さんではないですか。こんな夜更けに出歩くのは感心しませんね。化け物に襲われてしまいますよ?」

「心配は無用でござる。そちらの御仁は、拙者の友人が相手をしているでござるよ。拙者達の役目は――」

 

 ザッと、アンデルセンを取り囲むように木々の陰から数人の人影が現れた。

 その数は四人。ネギ、刹那、明日菜、茶々丸だ。四人はアンデルセンを油断無く見据えると、迅速に動けるように各々が最も動きやすい体勢を取る。ここに、闘争に必要な準備は全て整った。

 

「危険人物を捕らえることでござる」

 

 口上が終わると楓は薄く瞳を開き、アンデルセンはニィと口の端を持ち上げる。

 ――こうして二つ目の闘いの火蓋は切って落とされた。

 


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