殲滅の時   作:黒夢

6 / 15
六話 闇の福音

 

「――どうやら、撒けたようだな」

 

 世界樹前広場から逃走した後、エヴァ達は用心に用心を重ねて様々な経路を辿っていた。街灯に照らされた一般歩道は当然として、薄暗い路地裏や魔法関係者の裏道、人気の無い建物の中、果てには闇夜が色濃く生える森林にまで紛れ込み、追撃者の存在を警戒する。

 優に半刻を越える逃走劇は、女子中等部エリアに程近い茂みに到達した事で、ようやく終わりを迎えた。周辺に害意が無い事を確信してか、張り詰めていたエヴァの雰囲気が僅かに緩む。らしくもなく、安堵に喉を震わせたのを誰にも気付かれなかったのは、エヴァにとっては幸いだろう。

 

「もういいぞ、茶々丸」

「はい、マスター」

 

 茶々丸は主人の意を汲むと、片腕で胸に抱えていたエヴァを慎重に、壊れ物を扱うかのような丁寧さで地面に降ろす。走り回る茶々丸に不安定な状態で抱えられていたにしては、エヴァに疲れた様子はなかった。小柄な体躯を覆い隠す黒のゴスロリにも、目立った皺は見当たらない。無駄に熟練されたマスター運搬理論であった。久方ぶりの地面の感触に一息つくと、おもむろにエヴァは目線を横にスライドさせる。

 

「助かったぞ。正直、お前がいなければ殺られていたかもしれん」

「い、いえ。無事で何よりでした」

 

 天邪鬼なエヴァにしては珍しい素直な謝意に返って来たのは、むず痒そうな、それでいて凛とした少女の声音。胸に強く抱きかかえていたネギを降ろしながら、少女――桜咲刹那は頬をほんのりと朱に染めた。狂人達が標的から僅かに気を逸らした、一瞬の隙。それを見逃さず、一閃を以ってアーカードの右腕を斬り落とし、エヴァ達の窮地を救ったのは他ならぬ、刹那であった。

 

「……あ、ありがとうございました」

 

 ネギは震える声で、ようやく刹那に謝礼を述べる。顔面は蒼白で、血の気は当に失せていた。無理も無いだろう。如何に魔法使いの英雄の息子であろうと、如何に溢れんばかりの才気に恵まれていようと、その実態は一〇歳の子供に過ぎない。世界最狂に値する人でなしどもが、無遠慮に撒き散らす狂気を耐えるには、あまりにも世界というものを知らなさすぎた。

 刹那は普段の明るさからは程遠いネギを見て、心が酷く消耗している事に気づく。自身にも経験のある状態のため、力になりたいという想いが強く刹那の胸中に湧き上がった。それでも、あえて刹那は励ましの言葉を封じる。普段のネギを知っているからこそ、この程度の事で挫けるハズがないと信頼して。それ故に刹那は、状況判断を優先させた。

 

「……エヴァンジェリンさん、お嬢様達はどこに?」

 

 予想よりも長引いた用事を終えて、刹那が広場に到着したのは、アーカードの登場にエヴァが混乱していた頃だ。それよりも前に起こったイザコザは知らない。だからこそ、居る筈の木乃香が見当たらない状況は刹那に小さくない焦りを抱かせていた。刹那にとっての最優先事項は、何よりも木乃香の安全である。一応、エヴァとのアイコンタクトで木乃香の無事は知らされていたが、それでも無傷とは限らないのだ。そんな刹那の心情を十分に把握していながら、エヴァは極めて軽く告げる。

 

「先に逃がしたよ。犬が腕を串刺しにされてな。近衛木乃香に治療させた後、神楽坂明日菜に託した。今頃は魔法先生に保護されているだろう」

「っ!?」

 

 その言葉は、刹那の頭をガツンと叩いた。木乃香が無事だったのは素直に喜ばしいが、代わりに小太郎が傷を負った。しかも、あの意地っ張りが戦線を離脱せざるを得ない程の重傷を。小太郎の実力を知る刹那だからこそ、その現実は否応もなく、改めて事態の深刻さを知らしめた。

 

「やはり、学園長の危惧は当たりましたか」

 

 不意な刹那の呟きに、エヴァは耳聡く反応する。

 

「じじぃの? ……なるほど。お前の用事とはそれか。チッ! まったく、いつもいつも肝心な時には対応の遅い奴だ。それで? じじぃはどこまで掴んでいるのだ?」

「招き入れた教会の人物が退魔師らしいという事は聞きましたが、それ以上のことは……」

 

 刹那は申し訳無そうに目を伏せるが、エヴァは気にした素振りさえ見せない。

 

「ふん! まあ、教会が相手となれば、そこに自力で至れただけマシか」

 

 それだけ吐き捨てると、エヴァは次の行動を模索する。とはいえ、行動指針は限られている。あまりにも情報が少ないのだ。これではマトモな方策が練れる訳がない。情報の取得。それこそが現状の打破を図る上で最も重要なファクターだ。なればこそ、エヴァの向かう場所は決まっている。

 悠然と動き出したエヴァの躰。少しずつ遠ざかる小さな背に、刹那は戸惑いがちに尋ねる。

 

「えっと、エヴァさん? いったい何処へ……」

「じじぃに会いに行くぞ。このまま奴らを放っておけば――最悪、麻帆良は壊滅する」

 

 さらりと告げられたあまりにも突飛な発言に、刹那は瞠目して息を呑んだ。

 

「い、いくらなんでもそれは……」

「無いとでも言うつもりか? ハッ! これだから極東の島国は……教会のしつこさと容赦の無さをまるでわかっていない。いいか、刹那。貴様も退魔師の端くれならば覚えておけ。この世界で最も異端を殺してきたのは間違いなく教会だ。奴らには見境というものがない。そこに異端がいるのなら、奴らは自らの信仰の名の下に、町すら平気で焼き払うぞ」

 

 ニヤリと。エヴァが浮かべる微笑は凄惨で、隠す気もない彼らへの侮蔑が溢れ出ていた。

 

 

 

 

 

 場所は変わって、麻帆良女子中等部エリアにある学園長室。

 そこには難しい顔つきで一枚の書類を睨むように見つめる老人がいた。その細長い後頭部は異常に長く、目元を覆うほどの白い眉毛と胸元に達する白い顎鬚と併せて、まるで絵に描いた仙人のような風貌であった。

 

「まさか……いや、しかし……」

 

 ブツブツと、焦燥感を漂わせながら独り思い悩むこの人物の名は、近衛近右衛門。

 広大な麻帆良学園都市を治める理事長であり、関東魔法協会の理事も勤める麻帆良最強の魔法使いである。

 

「むぅ……」

 

 そんな卓越した魔法使いが、たかが一枚の書類を前に表情を歪め、冷や汗すら流している光景は奇異という他なかった。そうして唸り続けること数分。そろそろ何かしらの結論を出さなければならないと、学園長が覚悟を決めた瞬間。不意に扉がノックも無く乱暴に蹴り開けられた。礼儀作法など露ほども持ち合わせていない無礼な行為に、けれど学園長は怒るでもなく、むしろ、そこに佇む小柄な人影を認めると喜色に富む声を張り上げる。

 

「エヴァンジェリン!  ほっ、無事じゃったか」

 

 旧き友人の安否。懸念の一つが解決した事で幾らか胸の重荷が減ったのだろう。学園長は目尻を下げて、凝り固まった肩の力を抜く。エヴァの無事。それは光明の見いだせない事態の中で、ようやく差し込んだ一筋の光だった。

 エヴァは唇の端を吊り上げ、不敵な笑みを形作ってみせる。精巧な西洋人形を思わせる幼い風貌とは裏腹に、その人を小馬鹿にしたかのような悪い笑みには言い様のない貫禄があった。

 

「当たり前だ。私を誰だと思っている」

「そうじゃな……いや、わかっておったよ。お主ならば大丈夫だろうと。しかし、それでも相手が相手じゃ。万が一の心配をするぐらいは許してくれんか」

「ほぉ。ようやく確認したのか? あの神の亡者を」

 

 短い言葉に詰め込められたエヴァの痛烈な皮肉に、心なしか学園長は縮こまる。

 

「……返す言葉も無いわい。いくら教会に圧力を掛けられたとはいえ、流石に迂闊過ぎじゃった。まさか、奴のような危険人物を懐に招き入れてしまうとはのう」

 

 学園を護る者として失格じゃな、と。

 学園長は胸中で苦々しく呟き、ふとエヴァの背後に控える刹那を見やった。

 

「ご苦労じゃったな、刹那くん。もう寮に帰って、ゆっくり休むといい」

「え?」

 

 気楽に告げられた学園長の言葉の意味を理解できず、刹那は戸惑いの声を上げた。

 現状、麻帆良を襲う事態は過去最悪と断じて間違いあるまい。未だに生徒の身とはいえ、刹那は魔を払う神鳴流を担う実力者だ。この危急の状況に於いて動員されぬはずが無いと刹那は予想していた。だからこその戸惑い。いったい学園長は何を考えているのだろうか。刹那の疑念に応えるように、学園長は薄っすらと瞳を開けて言葉を乗せる。

 

「ここから先は大人の領分じゃ。見たところネギ先生も疲れておるようじゃしのう。今日の事は忘れて、ゆっくりと休むんじゃ。すでに木乃香達は寮に帰しておる。小太郎くんも、こちらで用意した部屋で休んでもらっておるよ」

「し、しかし……!」

「刹那くん」

 

 なおも言い募ろうとする刹那に、無常にも学園長は厳しく告げる。

 

「君の役目はこれで終わりじゃ。これ以上――やってもらうことなど何もない。何も、じゃ」

「……っ!」

 

 薄い瞳と目が合った瞬間、刹那は言い知れぬ感覚に晒され、ゾクリと総毛立った。

 額と言わず、全身から冷や汗が吹き出る。普段は孝行爺としての貌が前面に出ている為に忘れがちだが、眼前にいる人物は数多の魔法使いを纏め上げる強大無比の魔法使い。その実力は、刹那ですら遠く及ばない。押し黙った刹那を一瞥して、次いで学園長はネギに視線を移す。

 

「ネギ先生。聞いていたとおりじゃ。君も、今日はもう休んでくれていいぞい」

「…………」

 

 学園長の労わるような言葉にもネギは俯いたまま何の反応も示さない。

 それがショックによるものだと、傷ましそうに学園長は判断した。まだ自己が形成し切れていない子供がアレと接触するのは毒でしかない。それを理解しているからこそ、今のネギの心境を思えば思うほどに、学園長は安易に慰めの言葉を掛けられなかった。

 

「刹那くん。すまんが、ネギ先生を頼めるかの?」

「え、あ、は、はい!」

 

 硬直が溶けた刹那は、言われるがままに慌ててネギを連れ出そうと控え目に肩を引く。

 

「……? ネギ先生?」

 

 けれど。ネギは動かなかった。

 訝しげに刹那は更に力を籠めて肩を引くが、どんなに力を籠めても結果は変わらない。

 ネギは、その場から動かなかった。

 

「――ません」

 

 不意に。今まで一言も発さなかったネギの小さな口が、か細い言葉を紡いだ。

 

「ん? なんじゃ、ネギ先生」

 

 あまりにも小さな声のため、学園長の元までキチンと届かなかったのだろう。怪訝そうに学園長は聞き返した。ネギは俯かせていた顔を力強く持ち上げ、真っ直ぐに学園長を射抜きながら、

 

「このまま帰るなんて、絶対にできません!!」

 

 あらん限りの意思を込めて、咆哮した。

 

「ネギ先生……」

『兄貴……』

 

 茶々丸とカモは常に無いネギの気勢に驚き、刹那も声こそ上げていないが唖然とネギを見つめていた。時には迂闊な言動が目に余るが、基本的に大人しく、心優しい少年であるネギ。その彼が、真っ向から目上の人物に逆らっている。この中では最も付き合いの長いカモですら、こんなネギは見たことがなかった。一方、学園長は「ふぅ」と。小さく、胡乱げに溜め息を吐いた。

 

「……ネギ先生。いや、ネギくん。君は、まだ一〇歳の子供じゃ。魔法使い関連のアレコレならまだしも、コチラ側に関わるにはあまりにも若く、経験がない。遠回しな言い方で伝わらんのなら、はっきり言わせてもらうぞ。ワシはな――足手纏いはいらんと、そう言っておるのじゃ」

 

 ゴゥと。学園長の体躯から夥しい魔力が吹き出した。

 老体に似合わない――否。熟練の魔法使いだからこそ持ち得る、一種の完成された魔力の波動に刹那とカモは顔を蒼白に染め上げ、思わず生唾を飲み込む。

 

(これが、学園最強の魔法使いの魔力……桁が、違う)

(やっぱ、伊達に関東魔法協会の理事をやってねぇって事か……)

 

 この魔力は相対した者を威嚇する為の虚仮威しではない。闘える者が纏える正しく闘気そのものだ。神鳴流剣士である刹那ですら萎縮する中で、それでもネギは動じなかった。ただ、胸中の決意を言葉に直して、必死にぶつかっていく。

 

「僕だって、自分が役に立てるなんて思っていません。さっきだって怖くて、恐ろしくて、まったく動けなかった。でも……でも! あの人はコタローくんを傷つけて、茶々丸さんを傷つけて、師匠を殺そうとしているんです!! 僕は……麻帆良学園の先生です。生徒であるエヴァンジェリンさんが危ない目にあっているのに、黙って見ているなんて、できません!!」

 

 普段の聡明さとは掛け離れた我武者羅な姿勢。責務よりも。義務よりも。胸に燻る熱い想いに背中を押されて、ネギは学園最強の魔法使いに食い下がった。

 

「――――」

 

 エヴァは振り返らず、ただ背後で捲くし立てるネギの言葉を聴いていた。

 無心になって、弟子の言葉を聞き届ける。

 

「……君の気持ちはよくわかった。しかし、これは麻帆良学園長としての命令じゃ。これ以上駄々を捏ねるのなら――最悪、学園を辞めてもらうことになるぞい」

「っ!」

 

 学園長の無情な言葉にネギは唇を噛み締める。

 何故なら、それはネギの抱く『立派な魔法使い《マギステル・マギ》』への夢を断たれるという事に他ならないのだから。かつて村を襲った悪魔から助けてくれた父の後姿に憧れ、一心に目指してきた夢。きっと、それはネギの根本を占める重大な決意だ。諦める事なんて、ましてや捨てる事なんて出来るわけがない。

 

 けれど。

 けれど、それでも。

 

「――構いません」

 

 夢を捨ててでも護りたいと。そうネギは言った。

 

「僕の目指す『立派な魔法使い』は、誰かを助けられる人です。困っている人を。助けを求める人を。大切な人を。分け隔てなく救える魔法使いなんです。きっと、ここで何もしなかったら僕は一生後悔します。たとえ『立派な魔法使い』になれたとしても、ずっと後悔し続けると思うんです」

 

「…………」

 

 静かなネギの決意表明に学園長は口を挟まない。ネギの瞳を一心に覗きながら聞き入っている。

 

「さっきの人は、確かに怖いです。怖くて怖くて仕方ないです。けど、それ以上に。このまま僕が何もしないで、師匠に何かあったらって思う方が――ずっと、ずっと怖いんです」

 

 怖いと言う瞳に、恐れは無かった。いや、無いと言うわけではない。

 ただ、それを上回る『護り抜く』という決意に覆われているだけだ。

 けれど。そんな決意だからこそ、何よりも堅く、折れない。

 

「――――クッ」

 

 短く、エヴァは嗤った。あまりにも子どもらしい甘い言葉を嘲笑った。

 ネギは知らない。本当の意味で、この麻帆良に送り込まれた二人がどれほどの規格外なのかを。

 もし知っていれば、軽々しく首を突っ込む愚考は犯さない。何も知らないが故に、無謀に走れるのだ。

 

(まったく、我が弟子ながら、とんだ大馬鹿者だよ)

 

 呆れ果てて、エヴァは嘆息する。そうして次に漏れ出た声は。

 

「――私に似て、な」

 

 隠し切れぬ喜悦に染められていた。

 

「え? 師匠?」

 

 不意なエヴァの呟きをネギは訝しむが、それに対する返答はなかった。

 エヴァは学園長を見据えて、未だ喜悦に揺れる喉を次の言葉で震わせる。

 

「諦めろ、じじぃ。こうなったら梃子でも動かんぞ」

「むぅ、しかし……」

 

 学園長とて、本当にネギを辞めさせようとは思っていなかった。さっきのは唯の揺さぶりのつもりだったのだが、どうやら吹っ切れる手助けをしてしまったらしい。エヴァは一向に首を縦に振らず、なおも渋る学園長をつまらなそうに見やりながら、億劫そうに語りかける。

 

「まったく、情に溺れて状況を見誤るなよ。アイツ等を引き寄せたのは私だが、私がこんなところにいるのはナギのせいだ。なら、その尻拭いを息子にさせるのは当然だろう?」

「いくらなんでもそりゃ暴論じゃと思うがのう……ん? あいつ等? 聖堂騎士の他に何者かが潜入しておるのか!?」

「なんだ。気づいていなかったのか? まあ、私でさえ姿を見せるまで気づかなかったからな。当然といえば当然か」

 

 言ってからエヴァは舌打ちをして、この世界で最も吸血鬼らしい同属に静かな憎悪を募らせる。本当は口にするのも嫌な名だが、仕方が無い。

 

「貴様も聞いたことぐらいはあるだろう? 私を差し置いて最強の名を冠する不届き者。人間の狗に成り下がったヘルシングの吸血鬼――アーカード」

 

「なんとっ! 『不死の王《ノー・ライフキング》』までもがこの学園に!?」

 

 ガタンッと。学園長は驚愕に慄きながら椅子を倒して立ち上がる。

 ネギ達は突然の学園長の狼狽に驚くが、当の本人はそんな事を気にしている余裕はなかった。

 

「むぅ。タカミチの海外派遣は教会の仕業だとしても、まさかヘルシング機関までもが動くとはのう。同調したわけではないのじゃろうが、タイミングが悪すぎる」

 

 唸る学園長の脳裏には様々な対応策が浮かんでは消えていく。両組織の残虐さは魔法界にすら轟いているのだ。下手な対応は、文字通りの意味で致命傷に為りかねない。だが、既に陣地に入り込まれてしまった以上、有効な方策は限られている。

 

「どうしたものかのう……」

 

 学園長は髭を撫でながら考え込むが、中々いい案が出てこない。

 かなり必死に状況の打開を図る学園長ではあるが、傍目からは落ち着き払った態度で沈黙を続けているようにしか見えず、遂に痺れを切らしたカモがモドカシそうに叫んだ。

 

『ダァァァッーー! なんでジッとしてるんだよ! ここはコッチのホームベースなんだから、人を集めてフルボッコにしてやりゃいいじゃねーかっ! 確かに質はアッチの方が高いかも知れないけどな、そんなもんは数でどうとでもなるもんだぜ!!』

 

 ベシベシとネギの肩を前足で叩いてカモは声高に集団戦を主張する。麻帆良学園は関東魔法教会の本拠地として、数多くの魔法使いが在籍している。それも能力に秀でた一流の魔法使い達だ。名の知れている強大な敵とはいえ、量が圧倒的に勝っている現状、恐れる要因が無いとカモは捲し立てた。しかし、そんなカモの提案を学園長はバッサリと切り捨てる。

 

「それが出来ないから困っておるんじゃろうが」

『なんでだよ! 学園長なんだからパパっと周りに命令して、人だって集められるだろっ!?』

「確かにできる。しかしな、それは敵の増援がない事が大前提なのじゃよ」

『……あ゛』

 

 学園長に諭されて、ようやくカモは理解した。増援。その可能性を、迂闊にもカモは見落としていた。広大な麻帆良全域をカバーするには膨大な人員が必要だ。不測の事態のために動き回れる腕利きも随所に配置しなければならないだろう。その場合、とてもではないが既に侵入を果たしている二人の異常者の迎撃にまで手が回らないのは自明の理だ。

 

『お、俺っちとしたことが、こんな簡単な可能性に気づかないなんて……』

 

 尻尾を脱力させてカモは消沈する。普段のカモならば気づいて当然なのだから、その落ち込み具合も半端ではない。異常者との遭遇で鋭敏になった危機感は、その原因を排除するのを優先させるあまり、冷静な判断力をカモから奪い去っていたらしい。けれど、自覚さえしてしまえば後は問題なく小さな頭脳はフル回転を始める。直ぐに、学園長の抱く他の懸念も推測できた。

 

『そうか。学園長が動かないのは、動けないからか』

「うむ。困ったもんじゃのう。どうすればいいと思う?」

『いや、俺っちに聞かれても……』

「えっと、いったいどういう事でしょうか?」

 

 何か通じ合う一人と一匹を複雑な眼差しで見ていたネギは、恐る恐る口を挟む。

 頭は抜群に良いのだが、未だに幼いネギは言動から先を察する能力は培われていない。何より、暗躍大好きな彼等とは考え方が異なるので、彼等の懸念がネギにはどうしても分からなかった。

 

『つまりだな、兄貴。いま増援の可能性について言ったわけだが、そうなってくるともう一つ、厄介な可能性が浮かび上がって来るんだ。下手すりゃ、増援よりもコッチの方が厄介だな』

「厄介な可能性、ですか?」

 

 小首を傾げて刹那もカモの話に聞き入る。現状で増援以上に厄介な事態と言われても、刹那には思い至らなかった。その時、考え込んでいたネギは、カモの言わんとする事に気付く。

 

「あっ! もしかして、もう潜入してるかもしれないってことかな?」

「その通りだよ、ぼーや」

 

 満足そうに頷くエヴァは、朗々と語り出す。

 

「現にアレクサンド・アンデルセンが侵入しているんだ。他にもいないとは言い切れん。そして仮に潜入している輩がいる場合、その目的は何なのか。わかるか、刹那?」

「え!? そ、そうですねー。やはりエヴァンジェリンさんが狙いなのでは」

 

 急に話を振られて刹那は狼狽えるが、それでも何とか自分の思い至った考えを告げる。

 

「当然、それもあるだろう。しかし、既に麻帆良にはアンデルセンが派遣されている。ヴァチカンの『切り札』とまで呼ばれる男を寄越して、その上でわざわざ潜入員まで動員するか?」

『少なくとも俺っちならしねーな。ココは相手にとって敵地なわけだから、使いようはいくらでもある』

「ワシ等が懸念しているのは、まさにそこなんじゃよ。情けない話じゃが、絶対にイスカリオテやヘルシングの手の者が潜入していないとは現状、言い切れんのじゃ。その中にあって、学園の魔法使い。特にワシのような重職に就く者が迂闊に動けば、いるかもしれない潜入員が凶行に走らぬとも限らん。だから、ワシも動くに動けんというわけじゃ」

「付け加えるなら、潜入員を捜索する上でじじぃは外せん。コイツの覗きと探索のスキルは世界随一だからな。いるといないじゃ捜索に掛かる時間と手間は天と地の差だ」

「酷い言い様じゃの。あえて否定はせんが」

 

 いるかもしれない。唯それだけの疑念によって、魔法使い達の行動は封じられていた。

 正義を謳う魔法使いにとって、麻帆良の住民の安全を確保するためには大規模な警戒態勢の構築が不可欠である。けれど、それでは既に進撃を開始した強大な脅威に対する攻め手を欠き、結果的に住民の危険が増す可能性さえあるのだ。堂々巡り。攻勢か、防衛か。あるいは、必要な犠牲として彼等の標的を差し出すか。時間は無い。遠からぬ内に、答えは出さなければならない。

 

「……仕方ないのう。ここは――」

 

 覚悟を決め、何かを言い掛けた学園長。それを遮り、エヴァは淡々と告げる。

 

「ぼーや。狂信者の……アレクサンド・アンデルセンの相手をしろ」

「え?」

「ほっ!?」

 

 唐突なエヴァの指示――否、命令にネギはキョトンと瞼を瞬き、学園長は妙な声で驚きを顕にした。当然、刹那やカモ、茶々丸ですらエヴァの言葉に戸惑いを隠せていない。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! いくら何でも無茶です! ネギ先生一人であの男の相手なんて……!!」

『そうだぜ! あの犬コロだって、あっという間にやられちまったんだぜ!?』

「マスター、いくらなんでも、それは……」

「少し落ち着け、貴様等。そもそも誰が一人でと言った?」

 

 学園長とカモは、その言葉だけでエヴァの本意を悟った。

 

『なーるほど。そういう事か。つまり、兄貴を筆頭にしてパーティー戦に持ち込むってわけだな』

「確かに魔法先生が動員できない以上、最低でも足止めは必要じゃが、しかしのう」

「このまま未確認の増援、潜入員の存在に貴重な足を取られるのも馬鹿馬鹿しい。かといって、貴様等の立場からして無視する訳にはいかない。ならば、一定以上の戦力を集中運用できるぼーやが対処に当たるのが一番の安上がりだ。その間に増援と潜入員の有無を確認すれば問題あるまい?」

 

 まるで決定事項を語るかのようにエヴァは言い募り、見る見る内に学園長は押し込まれていく。実際に手持ちの戦力で対処に当たろうとする場合、ネギとその従者をアンデルセンにぶつけるのは決して悪手とは言えないのだ。そもそもネギ達は戦闘能力こそ並の魔法使いを上回るポテンシャルを秘めているが、今回必要とされる探索、探知のスキルは些か心許無い。何処かのポイントに割り振ったとして、敵を見逃されたら困るのだ。

 適材適所。その原則に則れば、なるほど。理に適っている。けれど、それに巻き込まれるネギと従者達を思えば簡単には頷けない。それが学園長としての立場である。

 

「エヴァ、それは――」

 

 認められない。そう言おとして、思わず学園長は言葉を飲み込んだ。

 向けられているエヴァの瞳は語っている。黙って見ていろと。威圧する訳でもなく、ただ無心に語りかけてくる碧眼を前にして、学園長は二の句を継ぐことができない。旧い付き合いの中で、見たことのないエヴァだ。あるいは、見たかったエヴァかもしれない。勘違いかもしれない。唯の思い違いかもしれない。それでも自惚れていいのなら、と学園長は思う。その瞳に浮かぶものが、多くの者を信じているからこその、信頼なのだと。

 学園長は迷った。エヴァは、ネギ達ならば見事にアンデルセンの相手を出来ると信頼して、学園長が許可することも信頼している。その信頼を裏切るべきか、否か。判断に迷いながら学園長は視線を彷徨わせ、ふとネギを視界に捉えた瞬間――学園長は決断した。

 言葉を飲み込んだ学園長を一瞥して、エヴァは目線をカモに移した。

 

「呼び出すメンバーは貴様が決めろ、小動物。ただし、宮崎のどか以外だ。あんな狂信者の思考を覗かせてみろ。運が良くて一生のトラウマ、悪くて廃人だ」

『……姉貴も本気みてーだな。なら、俺っちもやれることをやるだけだ! 最強最高のオールスターチームを結成してやるぜ! ……ん? けどよぉ、もう一人の相手はどうすんだ?』

 

 腹を括って意気込むカモは、ふとアーカードの事を思い出した。アンデルセンの相手をネギ達がするとして、もう一人を野放しにする訳にはいかないだろう。その辺はどうするつもりなのか。その当然の疑問に対してエヴァは、

 

「私がするに決まっているだろう」

 

 あっさりと。何を当たり前の事を聞いているんだというぐらいの気軽さで、そう言ってのけた。 その場にいる全員が言葉を失う中で、エヴァはさっさと踵を返した。足早に出入り口のドアへ向かう途中、茶々丸の横を通り過ぎる間際に、エヴァは一つの命令を下す。

 

「茶々丸。お前はぼーやのサポートに回れ」

「しかし、マスター。それでは」

 

 茶々丸は声に抗議の念を込める。エヴァのパートナーとして、一人で死地に向かわせるなんて暴挙、出来るはずがない。しかし、当のエヴァが浮かべるのは――嘲笑にも似た、自尊心。

 

「茶々丸、お前は私を誰だと思っている? 最強の魔法使いにして不死の魔法使い」

 

 歌うように。謡うように。謳うように。

 エヴァは氷のように冷たい闇のコートをその身に纏う。

 その姿は魔法使いの間に語られる血を吸う怪物。親が子に言い聞かせる伝説への回帰だった。

 

「――『闇の福音』エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだぞ。あんな狂鬼、物の数じゃあないさ」

 

 溢れんばかりの威厳を以って、遥かな時を生きる吸血鬼はそう断じた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。