殲滅の時   作:黒夢

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最終話 闘争、閉幕

 

 

 驚異的な質と圧倒的な量。

 其処で行われている闘争の本質を簡潔に述べるとしたら、これ以上に相応しい表現は無かった。

 

「――っ!!」

 

 精巧な風貌。華奢な四肢。白磁の肌。かつて貴族の子女として蝶よ華よと大切に育てられていた頃の片鱗が垣間見える美麗な体躯。本来なら争い事とは無縁で、心優しい家族や家臣に囲まれながら窓辺にて日々の諍いを遠くに過ごす。

 そんな生活を送っていたであろう少女――そんな生活を奪われてしまった少女。

 在りし日は遠く、残響は空しく胸を穿つ。何度となく過去に想いを馳せながらも立ち止まる事無く歩み続けた少女は、やがて正真正銘徹頭徹尾の化物へと成り果てた。

 膨大な魔力。不老不死という種族特性。悠久の時を経て蓄えられた叡智。

 何もかもが規格外で、人間の尺度では到底表し切れない至高にして孤高の存在。

 

 真祖の吸血鬼エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 

 醜悪な闇の濁流に身を晒されながらも仄暗い光華は衰えを見せず、高貴な闇を惹き連れる。

 放たれる魔法は世界を塗り替え、強靭な体躯は万夫不当の剛を体現する。

 正しく驚異的な質。生半可な者では足元にすら這い寄れぬ絶対強者の姿が其処には在った。

 けれど。彼の者に対する存在もまた、埒外の怪物。

 

「――っハ!!」

 

 千変万化の肢体。蠢く闇の河川。迸る狂気。

 絶え間無い運命に翻弄された憐れなダレかにして、狂おしいまでに他者を求めずにはいられない寂しがり屋。何処までも何処までも何処までも独りぼっちでありながら、決して一人ではいられない有り様は、いっそ滑稽ですらある。

 その身に巣食う業によって国すら滅ぼした人間。それが変じて化物へと堕ちた人でなし。

 呆れるほどに殺し殺されながら、終には人に飼われる事になった英国の番犬。

 彼は束縛されてこそ安らぎを覚え、帰る場所が在るからこそ孤独を感じないでいられるのだ。

 究極の不死性。伝承に残る多彩な能力。奈落の底に堕ちきった精神。

 飽くなき闘争に身を焦がす御伽噺の存在であり、同族に対する最大最強のジョーカー。

 

 不死の吸血鬼アーカード。

 

 狂気と理知が混同する溝川の如き瞳は高貴な闇を捉えて放さず、醜悪な闇と化した体躯で歓迎する。幾度と無く穿たれる身体は再生を繰り返し、次から次へと闇は無尽蔵に滲み出る。これこそが圧倒的な量。個にして群。全にして一。その在り方で万物を飲み干す悪食の具現である。

 エヴァンジェリンとアーカード。

 対極の方向性ながら共に最強の名を冠するに相応しい吸血鬼達。

 そんな吸血鬼達の闘いが極東の果て、一人の観客すら無く行われている。

 惜しい。あまりにも惜し過ぎる世界の損失だった。

 もし然るべき者が余す事無くこの闘争を綴っていたなら、どれほど有益な記録となっていたか。

 少なくとも後世に於いて、魔法使い達が『質』と『量』の優劣を論じる際、一つの指標として扱われたに違いない。それほどの闘いだった。それほどに莫迦げた闘いだったのだ。

 エヴァンジェリンという個体が勝るか。アーカードという群隊が呑み干すか。

 闘争の決着は、近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――チッ」

 

 エヴァは端正な相貌を崩して短く舌打ちを漏らした。

 戦況は膠着している。一進一退――などではない。まず互いに退の字が無かった。

 共に防御は最低限に留め、攻撃に傾倒している。無論、交わされる攻め手は尋常ではない。

 一撃一撃が凡百の使徒を殲滅せしめる威力を秘めている。特にエヴァの放つ魔法は強力だ。

 麻帆良学園を壊滅させない様に注意こそしているが、局地的な戦術魔法を惜しみなく連発している。常人なら当の昔に魔力切れを起こして地に伏せるか、衰弱死していても何ら可笑しくはない程の魔力消費。エヴァの持つ生来の魔力と真祖というポテンシャルが異常なのだ。

 

 魔法砲台。現在のエヴァは魔法使いとしての在り方を完全に体現していた。

 

 けれど。それだけの魔法を一身に浴びてもアーカードは斃れない。

 不敵な狂笑を崩さず、闇の濁流を手足のように操りながらエヴァを捕食せんと躍り掛かる。

 その度にエヴァは真っ向から迎え撃つが、何度と無く退けてもアーカードは愚直な前進を止めようとはしない。少しずつ。ほんの少しずつ。エヴァの柔らかい肢体を目指して漸進し続けていた。

 

「切りが無い、か」

 

 エヴァは忌々しげに吐き捨てた。これまでの攻防で嫌というほど把握していたが、アーカードという存在はエヴァから見ても出鱈目だ。特に再生能力は世界最高峰だろう。これに比べれば真祖の再生能力すら霞み果てる。それを可能にしているのがアーカードを構成する無数の魂。魂の貯蔵。ストックされている魂が尽き果てるまでアーカードが滅びることは無い。

 

(いや……そもそも本当に奴の魂の総数は減っているのか?)

 

 一握りの疑念がエヴァの脳裏を掠めた。

 これまでのエヴァの魔法ではアーカードに効果は見られない。

 しかし、表面的には効果が無くとも着実に魂の総数は減らしている。

 そうエヴァは考えていた。最終的にアーカードの貯蓄した魂を奪い尽くせば己の勝利は揺るがないと。

 

(――本当に?)

 

 エヴァは魔法を放つ思考とは分離させた、別の思考を加速させる。

 何か前提を履き違えているような違和感が拭えない。何か。何か。何か。

 高速で巡る思考。すると、不意にカチッと。頭の中で歯車が噛み合う音がした。

 導き出された推測が、思わず小さな口から零れ落ちる。

 

「貴様……取り込んだ魂と同化しているのではないだろうな」

 

 複数の魂が同化しているとしたら数という概念自体が崩壊している為、減少という結果には辿り着けない。即ち、そもそもアーカードという個体の存在強度が高過ぎるせいで、如何なる攻撃も致命傷には至らないのではないか。エヴァはそう懸念する。

 

「否」

 

 けれど。アーカードは短く、簡潔に否定した。

 

「――そうか」

 

 それをエヴァは真に受ける。疑いすらしない。

 騙し騙され合うなんて小賢しい段階は当の昔に過ぎている。

 故にエヴァは、その推測をスッパリと脳内から消去して、新たな可能性を検討し始めた。

 

「ハッ」

 

 その様をアーカードは嘲笑う。

 

「まるで人間のように理屈で考えているな、エヴァンジェリン。私を『御伽噺』と言ったのはお前だろう? 難しく考えるなよ。もっとシンプルに考えろ。ほんの少しばかり数が多いだけで、殺され続ければ私とて何時かは死ぬ。実に簡単だろう?」

「ハンッ。貴様の不細工な面を見続ける私の身にもなれ。今の私の心境はな、家畜を延々と屠殺しているようなものなんだよ。終わりの見えない作業に辟易として何が悪い。少しは横道に逸れたくもなるさ」

 

 散々な物言いに人型を模るアーカードは肩と思われる部分を殊更に竦めて見せた。

 

「嫌われたものだな、私も」

「好かれたいのか?」

「まったく」

「だろうな」

 

 応酬される軽口の合間にも殺し合いは継続している。とは言っても若干の変化は見られた。

 単純に殺し続ければ良いと本人から御墨付きを得られたことでエヴァの戦法は威力重視から手数重視へと変じていた。真祖と言えど魔力は無限ではない。元々の量が規格外とはいえ、使えば使うだけ着実に減っていく。アーカードの魂の総数が定かでない以上、魔力はできるだけ節約しなければならない。

 エヴァの魔力が尽きるのが先か。アーカードの魂のストックが尽きるのが先か。

 詰まる所、諸々の要因を除いて闘争の結末を予見すると、このまま持久戦の泥仕合に突入するのは確実であった。年甲斐も無く派手好きなエヴァとしては、些か以上に不服な未来予想図である。思わず溜め息が漏れる程に。

 

「はぁ……相性が悪いとは思っていたが、ココまでとはな。互いに決定打を欠いた闘いほど退屈なものは無いというのに、こうなると興醒めも良い所だ」

「化物同士の闘争など、そんなものだ。そんなものだからこそ、面白い」

「黙れ、戦争狂(ウォーモンガー)」

 

 思わず特大の魔法を打ち込むが、当のアーカードは殺されても意に介していない。どうやら本当に泥仕合を心底から楽しんでいるらしく、その表情は狂いながらも何処か生き生きとしている。一方のエヴァは先程までの意欲を完全に失っていた。

 何故ならエヴァはアーカードが大嫌いなのだ。

 本来なら一瞬でも視界に入れたくない相手が喜々とした風貌で向かってくる。

 それだけなら八つ裂きにすれば事足りるが、それを百数十と繰り返せば話は別だ。

 段々とエヴァは闘えば闘うほどアーカードを喜ばせるだけではないかと気付き始めていた。

 この手で憎らしい怨敵を殺し尽くしたいという想いは当然ある。

 けれど。それ以上にエヴァの胸中ではアーカードを楽しませている事への苛立ちが募っていた。

 一昔前のエヴァならば、こうした所懐を抱いた時点で素気無くアーカードを振っているだろう。

 餌を盗られた犬のように喚いていろと鼻で笑い飛ばしたハズだ。

 だが、現在のエヴァには、それができない理由がある。

 

(仮に私が戦闘を放棄すれば、コイツは間違いなく麻帆良を襲う。そうして何もかもを食い尽くしてから悠々と私を探し回るのだろうな)

 

 それは駄目だ。駄目といったら駄目なのだ。

 少なくとも女子中学生としてのエヴァンジェリンは、その結末を認めない。

 なればこそ胸中に蔓延るアーカードへの憤懣を押し殺して闘っているのだ。

 

(尤も――現実問題として、このままではマズイか)

 

 エヴァとアーカード以外に闘争の結末を左右する諸々の要因。

 その殆どはエヴァにとってマイナスになる。

 まず停電の回復。これが為されたらエヴァの魔力は再び最弱状態まで抑え込まれる。そうなれば均衡は容易く崩れ、瞬く間にエヴァは闇の濁流に飲み込まれるだろう。現状を把握している魔法先生が最強の駒を放棄する可能性は低いが、目の届かない第三者を信用するほどエヴァは耄碌していない。可能性として有り得る以上、考慮は必要だった。

 次に、このまま夜が明けてしまった場合。

 エヴァとアーカードは共に日の光に耐性があるハイデイライトウォーカーである。故に日光を浴びようと戦闘に支障は無いが、問題は一般人が活動を始める事だ。これ程の闘いを麻帆良全規模で隠蔽するのは流石に不可能。一般人を巻き込む事無く事態を収めるには夜明けがタイムリミットになるのは確実であった。

 

(――使うか?)

 

 エヴァには切り札がある。

 魔法を体内に取り込む事で戦闘能力を大幅に増幅させるエヴァ固有の魔法技が。

 それを用いればアーカードを殺すペースも飛躍的に向上するだろう。

 けれど。それは諸刃の剣だ。強力な技は総じて消耗が激しい。

 仮にアーカードを殺し尽くせなければ本当に打つ手が無くなる。

 下手をすれば魔法技の解除の瞬間を狙われ、逆に殺されかねない。

 それだけの危険を犯してまで魔法技を――『闇の魔法(マギア・エレベア)』を使うべきか。

 

「何を悩む必要がある」

 

 不意に。アーカードは静かに告げた。

 苛烈な進撃は止まり、静寂が広場を包み込む。

 

「あるのだろう? 切れるカードが。ならば逡巡など不要だ。

 そんなものは犬にでも食わせてしまえ。そら、どうした? 早く見せてみろ。

 早く(ハリー)。早く(ハリー)! 早く(ハリー)!!」

 

 狂気に彩られたコールは続く。

 まるで包み紙で覆われる玩具を前にした子供のように喚き立てる。

 くだらない挑発。切って捨てられて当然の語り口。

 そんな安い挑発に。

 

 

「――上等だ」

 

 

 エヴァは、あえて乗った。

 このまま時間を掛ければ何れにしろタイムリミットになる。だとか。

 切り札の存在を悟られているのなら隠している意味はない。だとか。

 そんな、どうでもいい理由で飾り立てる必要なんて無い。

 最終的にエヴァを突き動かすのは、たった一つの事柄なのだ。

 

 ――舐められるのは気に入らない。

 

 そんなチッポケな矜持を護る為ならば、何もかもをベットする事に些かの躊躇も無い。

 昔も今もこれからも。エヴァはそうやって生きてきて、いつかそうやって死ぬのだから。

 

「それでこそだ。エヴァンジェリン」

 

 これまでの狂気が嘘の様に、穏やかな表情でアーカードは称賛する。

 それに応えるようにボウッと。エヴァの両腕に歪な文様が浮かび上がった。其処から溢れ出る濃密な魔力は、通常のソレとは明らかに毛色が違う。その魔力は闇の気配を漂わせながら、何色にも染まる無色をイメージさせた。ゆっくりと、見せ付けるかのようにエヴァは魔力を全身に循環させる。節約していた魔力を使い果たす気でいるのか、練られる魔力は甚大だ。

 エヴァの覚悟を嗅ぎ取ったアーカードは滲み出る闇を鎧のように纏っていく。

 此処に決戦の準備は成った。後は、切っ掛けさえあれば再び開幕のベルは鳴るだろう。

 当然の如くベルは、そう間を置かずに鳴り響いた――尤も。

 

 

「――間に合いましたか」

 

 

 それは開幕では無く、閉幕を告げるベルだったが。

 恐らく瞬動を用いたのだろう。無粋な闖入者は唐突に出現した。

 妙齢の女性だ。色素の薄い長髪を腰まで靡かせ、キリッと引き締まった表情と物腰は『出来る女』をイメージさせる。その手に納刀された長刀を携えていなければ、アクセントの眼鏡と相俟って男子生徒から人気を博す女教師になっていた事だろう。尤も、実際に彼女は教師なのだが。

 彼女の名は葛葉刀子。

 麻帆良学園の魔法先生の一人にして、刹那と同じ神鳴流の剣士だ。

 ちょうどエヴァとアーカードの中間に現れた刀子は安堵の息を吐いていた。

 一方、予想だにしない顔見知りの登場にエヴァは盛大に眉を顰める。

 

「葛葉刀子? 何故、貴様が此処にいる。魔法先生は麻帆良周辺の警戒に当たっているのではなかったのか?」

「状況が変わりました。私は学園長の指示で、それを伝えに来たのです」

「なに……?」

 

 エヴァは訝しげに刀子を見やった。瞬間。

 

「無視するなよ、女」

 

 ゾルリと。アーカードを構成する闇が蠢動した。

 闇の波は徐々に大きくなり、津波となって無防備に佇む刀子に襲い掛かる。

 それを遠目に視認したエヴァは慌て――ない。

 むしろ、成り行きを見守るかのように沈黙していた。頭上まで到達した闇は刀子の艶かしい肢体を月光から覆い隠す。憐れ、エヴァから見捨てられた刀子が闇に飲み込まれる。寸前。

 

 閃光が、奔った。

 

 幾つもの光の軌跡が闇を斬り裂き、それに伴う衝撃波が闇を纏めて蹴散らす。

 見れば、刀子の手に握られていた長刀の刃は外気に触れ、淡い気の波動を放っている。

 疑いようも無い。先程の閃光の正体は、刀子の剣腕に拠るものだった。

 

「ほう」

 

 極東の流麗な剣技にアーカードは思わず感嘆の声を漏らした。

 少し前には刹那に腕を斬り飛ばされたが、あれは不意打ちの為に観察する事はできなかった。

 こうして改めて見る機会ができたのは僥倖と言う他にない。

 

「……少しぐらい、助ける素振りを見せてくれませんか?」

 

 一方の刀子は自らの腕を誇るでもなく、傍観者に徹したエヴァに文句を言う。

 それに対するエヴァの返答は何処までも辛辣だった。

 

「ガキ共なら兎も角、お前には助けなど必要ないと判断したまでだ。仮にも魔を打ち払う神鳴流剣士。私を含め、ああいった輩の相手はお手の物だろう?」

「だからって、多少は……」

「くどい。私に食って掛かる暇があるなら己の未熟を恥じろ。詠春の奴ならついでにそいつの頸を飛ばしていたぞ」

「長と一緒にしないでください!」

 

 流石に大戦期の英雄と比べられては刀子と言えど未熟の罵りは避けられない。

 憤懣やる方ない刀子は鋭利な眼光でエヴァを射抜くが、当のエヴァは素知らぬ顔だ。

 

「それより、ジジイの指示とは何だ? 私達の間に割り込んだ以上、余程の用件なのだろうな?」

「……そうですね。まずは用事を終わらせましょう」

 

 刀子は沸々と湧き上がる激情を何とか押し殺す。

 元々、刹那から沈着冷静と称されるだけはあり、一度落ち着きを取り戻せば問題ない。

 教師然とした態度に戻った刀子はエヴァとアーカードを交互に見やって静かに語り出す。

 

「先程、学園長とHELLSING機関局長及びイスカリオテ機関局長の三人で会談が行われました」

「っ!? どういうことだ!? 何故、このタイミングで……!?」

「詳細は分かりません。ですが、会談は両機関から持ち掛けられたようです。彼等の要求は一つ。両機関が派遣した戦力に即時撤退命令を伝えることです」

「……なんだ、それは」

 

 エヴァは両機関の意味不明な要求に困惑した。

 討ち取るべき対象が未だに現存しているというのに撤退を命ずる意図が読めない。

 それとも既に滅ぼしたとでも思っているのか。それはそれで気に入らないが。

 

「く、ふ」

 

 不意に。混乱するエヴァの耳朶に、耳障りな音が届いた。

 刀子も聞いたのだろう。其方の方に視線を向けている。

 

「くは、ふふふ」

 

 音の主は、アーカードだ。彼は両腕を腹部に回して身を屈めている。

 吸血鬼の腕力で抱え込まれた腹はギリギリと軋みを上げていた。

 溢れ出そうになる何かを必死に抑え付けている。そんな印象を二人に与えた。

 

「そ、それだけか?」

「え?」

「我が主からの言葉は、それだけかと聞いている」

 

 引き攣った声音で問い掛けるアーカード。

 その相貌は歪み、人の喉下を裂く鋭い犬歯は剥き出しになっている。

 百戦錬磨の刀子をして、思わず生唾を飲み込む程の狂笑だった。

 

「た、確かに『亡霊が動いた』との伝言もありますが……」

 

 瞬間。アーカードは歓喜に湧いた。

 

「く、ははは、はあはああひひはははああははああああああはははあっ!!」

 

 夥しいほどの瘴気が場を満たす。

 制御を失った闇は無形の蟲のように蠢き出し、滅茶苦茶に周辺を蹂躙する。

 

「なっ!?」

 

 咄嗟に刀子は剣を構えるが、攻撃はしない。否、できない。

 既に刀子は呑まれ掛けていた。アーカードの放つ埒外の狂気に。

 

「チッ。だから未熟だと言うんだ」

 

 その様子を一瞥したエヴァは煩わしそうに刀子の袖口を掴むと強引に背後へ押し遣る。

 全身に力が入らないのか、刀子が抵抗する様子は無い。

 ただ一瞬でも自身を見失い掛けた屈辱に身を焦がしていた。

 

「喧しい。黙れ」

 

 怒気も露にエヴァは言い放つ。

 するとピタリと。アーカードの笑い声は止んだ。

 蠢動していた闇も落ち着きを取り戻して、気持ち悪く周辺に蔓延っている。

 

「すまないな、エヴァンジェリン。用事ができた。私は帰らなければならない」

「……理由を言え」

「『飼い主(マスター)』が『帰還しろ(ハウス)』と命じた。それ以上の理由が必要か?」

「…………」

「そんな顔をするな。これは私の、私達の劇なのだ。お前のじゃない。私の劇なのだ。公演内容を漏らす役者はいない。だから私は何も言わない。だから、お前も何も聞くな」

 

 言葉を綴るアーカードの下に闇が這うようにして地面を滑る。

 ジュクジュクと闇はアーカードに取り込まれ、次第に姿を消した。

 そしてアーカードの姿もまた、闇夜に溶け込むようにして消えていく。

 

「さらばだ。エヴァンジェリン。私の愛しい好敵手。また会おう」

 

 消える寸前。アーカードは親愛の情を籠めて告げた。

 静寂に包まれる広場。エヴァはアーカードのいた場所を睨むと吐き捨てる。

 

「二度と会うか、莫迦者が」

 

 

 

 

 

 ――斯くして。二匹の吸血鬼に拠る三十年前の約束は果たされた。

 

 騒乱の舞台が幕を下ろした事で、演者は日常に戻ろうとする。

 

 けれど。彼等は知らない。次に演じられる演目の名を。自らが前座に過ぎなかった事を。

 

 嗚呼。準備は着々と進んでいく。そうして魔法使いを置き去りにして、舞台が整えられた。

 

 演目を書き記した品書きが、ゆっくりと捲られて――殴り書きされた最後の劇が発表される。

 

【戦争】

 

 五十年前の約束が、幕を開ける――その結末は、誰が観る?

 

 

 

END

 

 

 


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