殲滅の時   作:黒夢

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先方からの返信がなく、半年が経過した今日此の頃。
方針を転換して、とりあえず完結させてから連絡を待つことにしました。


一二話 会談

 

 

 月は高く、下界の喧騒など無関心に天空から銀の光を降らせ続ける。

 古来より魔性と称される月光は、心成しか平素より冴え渡っているように見えた。

 サワサワと。サワサワと。月光は儚げに地上を照らす。

 ヒトの慈しみの陰を暴くかのように。バケモノの真正を煽るかのように。

 ただ、其処にあるだけの月が、こうまで狂おしく地上を乱す。

 それは此処も、この空の只中も一切合財変わりない。

 

「こッ、こんな所に居られましたか、少佐」

 

 不意に一つの声が夜風に乗った。ヒョロリと伸びた長身が、月光を浴びて影を作る。高度にして四千メートル。飛行船の鋼板に轟々と吹き荒ぶ旋風は身を切り裂くかのように厳しく、根っからのインドア派である男には些か以上に過酷な環境であった。

 

「月を見ていた。こんなにも綺麗な満月だ。きっと奴も口先を真っ二つにしてニヤけながら見上げているだろう。そう思うともっともっと間近で見たくなってしまった」

 

 答える男はクツクツと喉を鳴らす。脂肪に覆われた腹が服越しに揺れた。

 矮小で小太り。一見して不格好な成り立ちの男は、しかし突風を意にも介さず直立姿勢を崩さない。まるで一本の鉄柱が頭上から足先まで貫いているかのような有り様は、この男が一介の軍人であるという想像し難い現実を様々と周囲に知らしめているかのようだった。

 

「それで何のようだ、博士《ドク》」

「え、ええ。粗方の準備が終わりましたので、そのご報告に。少々のトラブルはありましたが、まあ、然して問題も無く、計画は次の段階に移行しました」

「トラブル?」

 

 背で問い返す上官にドクは覚束無い足取りのまま答える。

 

「ネズミが何匹か潜り込んでいたようでして……捕まえる最中に何人か負傷したと。交戦した者の報告だと、奇妙な魔法のようなものを使用していたらしいですが」

 

 魔法。その単語に男はニタァと醜悪に頬肉を持ち上げる。

 

「魔法使い。ようやくか。これで役者は揃ったな」

「はい。後は少佐殿の号令さえあれば全てが動き出します。カチカチと歯車のように」

「よろしい。ならば大隊戦友諸君を司令所に集めろ。決起集会を行う」

「では、いよいよ!」

 

 気勢を上げるドクに、男はゆっくりと片手を掲げた。

 

「のろしを上げる。火元を焚け。業火のように」 

「は、はいッ! 直ちにリップバーン中尉に出撃命令を!!」

 

 ドクは喜色に歪んだ面持ちで踵を返すと、足元の頼り無さすら忘れて鋼板を飛び出そうと勇み込む。しかし、飛行船の内部に踏み入る直前、風の慄きに紛れるように男の声が耳朶を打った。

 

「ああ、それと捕らえた魔法使い諸君も連れて来い。みんなで一緒に戦争嫌いの魔法使いに、捕らえられた斥候の末路を教授してやろうじゃあないか」

 

 幾許かの時を経て、千人の戦友の前に立った男――大隊指揮官《少佐》は言う。

 

「諸君、私は戦争が好きだ」

 

 凱歌は鳴った。

 歌は夜風に乗って流れ逝く。

 後はただ、小石が崖から転げるように何処までも何処までも堕ちるだけ。

 それは麻帆良で起こる闘争の、ほんの一日前の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麻帆良学園女子中等部エリアに在る学園長室。

 学園の各所で魔法関係者が忙殺される最中、此処だけは平素通りの静けさで満たされていた。

 

「――――」

 

 学園長は事務机に深く座したまま、身動ぎ一つせずに延々と瞑想を続けている。

 その特徴的な外見と相俟って、さながら石山で座禅を組む仙人のようだ。

 

(――静かだ。不気味なほどに)

 

 唯一、同席を許された弐集院光は室内を漂う異様な空気をそう評した。

 麻帆良を騒がす両機関からの打診を受け、急遽行われることになった今回の会談。

 その準備を一手に引き受け、的確に運営することが弐集院に下された任務だ。

 本来なら、弐集院は麻帆良を停電に追い込んだハッカーの位置情報を特定する陣頭指揮を執るべき立場にいる。相手の正体や意図が不明な最中で現場を放棄するのは手痛いが、それ以上に現状を好転させる糸口を掴む方が先決であった。

 

(準備は万全だ。いつでも会談は始められる)

 

 用意自体は実に簡単なもので、必要な機材の設置は十分と掛からずに終わった。

 学園長の事務机には、左右に二つの中型ディスプレイと学園長を映す為の一台のビデオカメラが並べられている。これは先方――HELLSING機関がテレビ会談を強く要望した結果だ。

 学園長としても、此度のエヴァンジェリン討伐を命じた怨敵の顔を拝むのには是非もなかった。 二つ返事で了承の意を示し、イスカリオテ機関もこれを受け入れた。

 

(声を聞いた限りでは、若い女性と男性のものだったが……)

 

 何はともあれ、あと数分で相手の正体は明らかになる。

 弐集院の手元に置かれたノートパソコンはディスプレイと連動して映像を映し出せるように回線が繋がっていた。学園長を映すビデオカメラとも同様に繋がっている。映像に不備があった場合や先程のハッカーが再度の攻撃を仕掛けてきた際に対処するためだ。

 

(無事に終わるといいが……今も行われている戦闘も含めて)

 

 こうしている間にも危険に晒されている子供達を思ってか、弐集院は憂いに表情を曇らせた。祈ることしか出来ない己の身を歯痒く思う反面、なればこそ課せられた職務を全うすることには些かの余念も無い。

 

 そして――遂に時は来た。

 

 不意に学園長は瞑想を解くと、壁際に掛けられた時計の針を確認する。

 現時刻は、午後九時五十九分。指定された日本時間での午後十時まで、残り一分を切った。

 

「そろそろじゃな……」

 

 小さく呟き、学園長は向かいのソファに腰掛けている弐集院へ軽く目配せする。

 弐集院は力強い相槌と共に機材の最終チェックを始めた。

 秒針が、十を指し示す。それに呼応して、学園長はゆっくりと息を吐いた。

 刻は進む。九…八…七…六…五…四…三…二…一…零。

 

『時間だな』『時間だね』

 

 ディスプレイに光が灯るのと同時に、まだ歳若い男女の声が異口同音に響いた。

 

『さて、改めて自己紹介させてもらおうかな? 私は法皇庁特務第十三課イスカリオテ機関長エンリコ・マクスウェルです。どうぞよろしく、麻帆良学園理事長兼関東魔法協会理事、近衛近右衛門殿』

『英国国教騎士団HELLSING局長サー・インテグラ・ファルブルケ・ウィンゲート・ヘルシングだ。急な会談を受領して頂き、まずは感謝の念を贈らせて頂こう』

 

 ディスプレイ越しの二人は、まるで学園長と自分の二人しか会談の場にいないかのような振る舞いで言い切る。心底から、学園長以外はどうでもいいと言外に語っていた。学園長もそれを察知していたが、あえて触れるまでも無いと結論付けて、それよりも話を先に進める事を選択する。

 

「……要件は検討が付いておる。エヴァンジェリンについてじゃな?」

 

 此処に来てまでエヴァが麻帆良に滞在している事実を隠蔽する無意味さを悟ってか、学園長は自ら核心へと踏み込んだ。交渉とは、後手よりも先手を取り、話の流れをコントロールできる立場に身を置く事が肝心であると、学園長は長年の経験から知っていたのだ。

 

『エヴァンジェリン……?』

 

 しかし、男性――マクスウェルは声の端に疑問を織り交ぜる。それどころか顎先に手を添えて思案に沈みだした。数秒ほどの沈黙を経ると、マクスウェルは唐突にパッと頬を綻ばせ、まるで難問を解いた数学者の如く朗らかに言う。

 

『ああ! エヴァンジェリン、エヴァンジェリンね。いたな、そんなのも』

「なに……?」

 

 不審がる学園長に対しても、あくまで愉悦を隠さずにマクスウェルは続ける。

 

『なるほど、なるほど。つまり、まだクソ吸血鬼は健在なわけか。ふん、アンデルセンともあろう者が、一匹程度に随分と梃子摺っているようじゃないか。それとも、足を引っ張る鈍重な狗にじゃれ付かれでもしたのかな?』

『アーカードのことだ。狂信者に目移りでもしたか、旧知の相手を前に遊んでいたのだろう。どちらにせよ、そんなどうでもいい話に時間を割いているほど私は暇ではない』

「…………」

 

 あまりと言えば、あまりの言い草に、ようやく学園長は理解した。

 彼等は、既にエヴァが塵に返ったという前提で会談に応じているのだと。

 今なお健在なエヴァに少しだけ驚いているだけで、それに関しては彼等の言葉通り本当にどうでもいい事なのだろうと。

 理解した瞬間、学園長の心魂で血液が沸騰せんばかりの憤怒が激しく渦を巻いた。

 この麻帆良の平穏を喰い破っておきながら、大切な生徒を傷つけておきながら、それを一切合財棚上げし、挙句の果てには『どうでもいい』と言い切るとは何事かと。

 

「――では、一体なんのようがあって会談など要請した」

 

 低く抑えた声は、獣の唸り声にも似ていた。

 会談をそれとなく聞き届けていた弐集院も、あまりの変化に身を竦ませる。姿の有無など関係なく、ただ声だけで聴く者に畏怖と畏敬を刻み込む風格は流石と言えよう。けれど、その程度では人外魔境を住居とする二人にとって、今まで通りと変わりない。訊かれたから応えるだけ。それだけの気楽さを以って、マクスウェルは返答した。

 

『なに、大した事では無いですよ。ただ、アンデルセンに即時帰還命令を伝えて欲しい』

「なっ!?」

 

 思わず、弐集院は声を上げた。

 数多の要求をシミュレートしていたが、これは予想の埒外である。

 学園長は弐集院を一瞥して黙らせると、低い声音で返した。

 

「……理由を、聞かせてもらえんかね?」

『理由? これはまた、おかしな事を聞くものだな。我々が異端を滅ぼす刃を鞘に戻す。ならば、それの意味する事は一つしかないだろう? ああ、それとも何故わざわざ貴方にお願いするのかという意味かな? 実はアンデルセンの奴、通信機器を壊してしまったようでね。連絡が取れないのですよ』

「…………」

 

 言い分は、腹正しいが理解できた。つまり、新たなターゲットを見つけたという事であろう。そのため組織の切り札たるアンデルセンを呼び戻したいが、連絡が取れなくなってしまった。要はメッセンジャーとして働けとマクスウェルは言っているのだ。

 しかし、闇の魔王とまで謳われた真祖の吸血鬼を放置してまで、なお優先する相手など学園長にはトンと心当たりはない。そもそも想像すら難しいほどだ。学園長の困惑を余所に、インテグラは瑞々しい唇を滑らせた。たった一言、マクスウェルに問う為に。

 

『――どこまで知っている?』

 

 なればこそ、マクスウェルも簡潔に応じた。

 

『どこまでも。それよりいいのか? 我々以上に急がなくてはならない貴様等が悠々と会話に興じて。海上のコンサートは既に幕を開け、手招きしていると聞くが?』

『――ふん』

 

 インテグラは不愉快さを隠しもせずに鼻を鳴らした。

 他を圧する為だけに磨き上げられたナイフのような眼光を学園長へと飛ばす。

 

『HELLSING機関の要求は唯一つ。アーカードに即時帰還命令を伝えてもらいたい』

「…………」

 

 明らかな異常事態であった。

 世界に名を轟かす異端殲滅の二大機関が、異端の代表格とも言える真祖を放置してまで優先しなければならないナニか。老骨に沁み込むようにして、久しく忘れていた感情が芽を覗かせる。急激に冷え込む躰に反して、額からは汗が噴き出していた。

 

(何が、起ころうとしているんじゃ……)

 

 それは予感であった。

 膨大な経験に裏打ちされた、ただの予感。

 恐らく、たぶん、きっと――世界を揺るがす何かが起きる、と。

 

(じゃが……)

 

 けれど、今は。まずは麻帆良の責任者として、この地の安全を第一に考えなければならない。その為の手段として、この申し出を断る理由が無いのは確かであった。

 

「わかった。直ちに伝えよう」

 

 そこで一端、言葉を区切る。

 

「――ただし、条件がある」

『ほう? この期に及んで要求を突き付ける気か?』

 

 マクスウェルは面白そうに瞳を細めるが、学園長は厳として言い放つ。

 

「コチラにも面子がある。これだけの混乱を巻き散らかした輩を見逃すんじゃ。それ相応の対価をもらわん事には納得できんよ」

『何を求める?』

 

 インテグラの短い問いに、学園長は一瞬の停滞も無く答えた。

 

「何が起ころうとしておるかじゃ」

『――――』

 

 画面上の二人は、揃って沈黙した。

 やがて、インテグラは何かへと想いを馳せるかのように瞼を閉じる。

 数秒の沈黙を挟み、再び開かれた瞳は今までに無い決意の輝きで満ちていた。

 

『何も起こらない。何も起こらせない。これまでも、そしてこれからも』

 

 対してマクスウェルは、さも愉快そうに唇の端を持ち上げながら答える。

 

『盛大なパーティーさ。我々の為のお披露目の場が、盛大に幕を開いて待っている』

 

 インテグラとマクスウェルの相反する視線が、画面上で交錯する。

 そして、どちらともなく逸らした。

 

『話は終わりだ。麻帆良理事長の寛大な裁量に感謝する。アーカードへの言伝は――』

『では、私も多忙なのでね。失礼させてもらいますよ。ああ、伝言の内容ですが――』

 

 忌々しそうに、愉快そうに、二人は口を動かす。

 

『『亡霊が動いた』』

 

 会談の始まりと同様に二人は異口同音に告げると、ディスプレイから明かりが消えた。

 暫らく、学園長は俯いたまま動かなかった。

 

「学園長……」

 

 弐集院は恐る恐る事務机の前に腰を据える学園長を覗き見た。

 普段は皺塗れの目尻に隠れる眼光が、理智の灯火で細く研ぎ澄まされている。

 言い知れぬ凄みに晒され、弐集院の心魂は竦み上がるが、それも学園長が徐に息を吐いた事で霧散した。

 

「……直ちにアーカード、アンデルセンの両名に使者を送るんじゃ。時間が経てば経つほどにネギ君達やエヴァの身が危ぶまれるからのう。使者は……そうじゃな。葛葉君と神多羅木君が適任じゃろう」

「は、はい!」

 

 弐集院は慌しく懐から携帯を取り出すと二人の魔法先生に順次指示を伝え始める。

 学園長はその様子を遠巻きに見守りながら深く背凭れに身を埋めると、自前の携帯に指を這わせた。

 

「――ワシじゃ。本国に最優先で知らせなければならない案件があるでな」

 

 こうして世界は、動き出した――。

 

 


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