殲滅の時   作:黒夢

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一〇話 覚悟

 

 麻帆良学園都市某所。何処とも知れない空間に、タタタタッと素早くキーボードを叩く音が反響する。背合わせに並べられた二台のノートパソコンは、複雑怪奇な数式や意図不明の文字列を次々と小さなディスプレイに浮かべては、見掛け以上の性能で迅速に処理していった。しかし、それでも打ち手達には鈍重なのだろう。処理の僅かな合間も無駄にせず、直ぐに次の作業へ取り掛かる。

 まるで一本一本が別種の生き物であるかのように動き続ける指は、とても小さく細い。当然だ。何故ならノートパソコンの前に座る打ち手は、年端のいかない少女達なのだから。

 

「――これで、終わりネ」

 

 恐らく一四、五歳であろう。中華風の服を違和感なく着込む少女は、口元を猫のように緩ませつつ軽快にEnterキーを叩いた。するとディスプレイ一杯に浮かんでいた幾十ものウインドウが一斉に消え、それまで作動していたプログラムがアンインストールされる。それを満足げに見届けてから少女はノートパソコンを閉じた。

 

「探知は誤魔化せたヨ。そっちはどうネ?」

「こっちも終わりました。システム中枢のハッキングは終了。途中、急激に増加した防壁に手間取りましたけど、何とか本命である機能の割り込みには成功しました」

 

 眼鏡の似合う科学者風の少女はディスプレイに映し出される膨大なデータと向き合いながら返答した。その間にも滝から流れ落ちる水のような速度で端から数式を確認しては、随時必要なプログラムを書き込んでいく。中華風の少女はその返答に満足したのか、うんうんと楽しそうに頷いた。

 

「うむ。さすがネ」

「けど、本当に良いんですか? 今は麻帆良祭……計画を控えた大事な時期なんですよ? こんなに大きく動いてしまったら今後の行動にも支障があると思いますけど」

「状況が状況ネ。このまま見過ごすわけにもいかんヨ。それに……」

「ふぅ……それに?」

 

 全数式の確認を終えた眼鏡の少女は一息吐きつつ組み立てたばかりのプログラムを実行させた。それが無事に起動したのを見届けると、改めて中華風の少女に先を促す。中華風の少女は端正な眉を嘲笑に歪め、静かに、冷たく、言葉を紡いだ。

 

「異端殲滅、異教弾圧は私の目指す世界の対極にある思想ネ。特にHELLSING機関とイスカリオテ機関は今の内にある程度の戦力を削いでおきたいと前々から思ていたヨ」

 

 理想の世界を実現する為に悪となる事を決意した少女は、ただ淡々と答えていく。黒曜の瞳に、轟々と燃え盛る怒りを込めて。

 

「イスカリオテ機関は、今回の襲撃の為だけに中東で大規模な紛争を起こしたネ。タカミチ・T・高畑という戦力を麻帆良から遠ざける為だけに。自らの正義の赴くままに」

 

 ギリッと。噛み締めた奥歯が軋む。胸中に秘めていた憤怒の一端が、言葉と共に漏れ出した。気を静める意味合いも兼ねて、中華風の少女は一度大きく深呼吸をする。それで、何とか表面上だけは何時もの調子を取り戻せた。

 

「現状で、吸血鬼アーカードと神父アンデルセンを同時に相手取るのは難しいネ。二人がバラけたまでは良かたが……決定打に欠ける。その為にも――」

 

 そこでピィと。眼鏡の少女の眼前にあるノートパソコンから電子音が鳴る。

 仕込みの成功を知らせる、始まりの福音が鳴り響いた。

 

「病院諸々の施設へのパイプライン確保、完了。緊急時の設定も完了しました。これで、麻帆良全都市の電力供給をいつでもカットできます」

 

 準備は整った。

 さも愉快そうに中華風の少女は眼鏡の少女の前に置かれたノートパソコンに手を伸ばす。

 

「――麻帆良の最強戦力には、頑張ってもらうかネ」

 

 少女――超鈴音はニヤリッと、悪役のようにほくそ笑みながら、Enterキーを叩いた。

 

 

 

 

 

 轟々と。八筋の銀閃が闇夜を奔る。その正体は、投擲された銃剣だ。

 虚空を喰い荒らす雷の如く。慈悲無き白銀は、雷鳴に代わって暴風を伴っていた。

 一閃。二閃。三閃と。絡まり合うようにして標的の胸元へ突き進む八つの銃剣は、追随する衝撃波だけで舗装されたレンガ造りの歩道を滅茶苦茶に掘り起こす。尋常では無い威力を垣間見せる銃剣。その進路を遮るかのように間髪入れず放たれたのは、漆黒のクナイだ。

 投げ穿つ。それだけを追求された流麗なフォルムは無用な音を引き連れず、無音の飛翔で真っ向から銃剣を迎え撃つ。数瞬の間も無く、獰猛極まりない白銀と、静かなる漆黒は激突した。その結果は、虚空に散らばる漆黒の残滓が、何よりも雄弁に物語っている。

 

「むっ!?」

 

 楓は渾身の投擲が容易く競り負けたのを見て取ると、即座に迎撃と防御を選択肢から除外した。後に残るのは一つの答え。即ち、回避。楓は長身の体躯を猫のように撓らせると、側面に向かって形振り構わず大きく跳んだ。傍目から見れば多少、大袈裟過ぎる躱し方ではあるが、それも楓の二の腕に浅く刻まれた裂傷を見れば押し黙ろう。楓は確かに銃剣を完璧に躱していた。なればこそ、これは追従する衝撃波による産物である。

 

(純粋な筋力と技巧のみでの投擲で、この威力! 正に出鱈目でござるな! これで良識を持ち合わす人物ならば素直に尊敬できるでござるが……)

 

 楓は改めて敵対する存在の脅威を再認識する。

 けれど。そんな余計な思索などを余所に、躰は次の行動に移っていた。

 流れ出る鮮血には一切頓着せず、楓が翻した掌には子供の背丈ほどもある大手裏剣が何時の間にか握られている。それを腕といわず躰全体を捻り上げ、全身の筋力を以って投げ放つ。鋭く澄んだ風切り音が、武器も持たず、無防備に佇むアンデルセンへ一心不乱に飛翔した。

 

「はああああっ!!」

「失礼します」

 

 それと同時に、動と静の裂帛の闘気が動いた。

 大手裏剣を基点に刹那と茶々丸は左右に別れ、三方からの挟み撃ちを掛ける。

 左右正面からの三方同時攻撃。推し量ったかのようなタイミングには、些かのズレもない。

 貰った。長年の愛刀である夕凪を振り上げながら刹那は確信した。慢心ではなく、経験から。この攻撃を捌き切れるはずが無いと判断して。腕をダランと無防備に下げていたアンデルセンは、彼我の距離が五メートルを切った辺りでようやく動きを見せた。腕を組むようにして両腕を交差させると、自らを抱き締めるかのように身を縮める。

 あろう事か、眼前に迫り来る脅威を前にして、顔すら深く懐に埋めていた。

 刹那は僅かに訝しく思いながら、自身の遣るべき事に変わりは無いと無駄な思考を断絶させる。思考の片隅では、その程度で受け切れるはずが無いという答えも出ていた。一瞬の思案を経て、微かな疑念を抱きながらも刹那は夕凪を力強く振り下ろす。

 そして――ガキィンと。鉄と鉄が打ち合う涼やかな音色が、夜道に高く響いた。

 

「な、に……!?」

「……っ!?」

 

 その有り得ぬ結末に、刹那は思わず状況も忘れて呆然とした。茶々丸も、声にこそ出さないが大きく目を見開いている。二人はただただ唖然と、眼前の信じられぬ光景を凝視する。

 アンデルセンは左右正面からの三方同時攻撃を完璧に防いで見せた。茶々丸の正拳突きは左手で受け止め、正面の大手裏剣は右手の銃剣で弾き。そして刹那の夕凪は――口に銜えた銃剣で。

 

「ほのせーどか《その程度か》? はへもの《化け物》」

 

 不意に。アンデルセンは言った。

 銃剣を銜えたまま、夕凪を鼻先に見据えたままで、頬を歪ませて然も愉快そうに。

 ゾクリッと。刹那の内から怖気が走る。半身が、この場からの撤退を訴える。桜咲刹那に内包された白翼の異端が、眼前の異端殲滅者に怯えていた。その事実が、刹那から平静を奪い去る。

 

「こんなもので……っ!!」

 

 自らを奮い立たせるかのように激を飛ばして、刹那は強引に夕凪を押し通そうと、いっそうの力を込めた。まるで、怯える子供が精一杯の虚勢を張るかのように。

 

「…………」

 

 そんな刹那を見据えて、アンデルセンは一体何を思ったのか。

 不意に自ら、銜えた銃剣を吐き捨てた。

 

「え?」

 

 唖然と。刹那は声を漏らす。

 均衡を失った夕凪は、そのままアンデルセンの喉下へと一直線に吸い込まれ――

 

「っ!?」

 

 咄嗟に刹那は身を、腕を捻る。強引な軌道修正のツケとして夕凪は見当違いの虚空を凪ぎ、無理が祟って刹那は腕を痛めた。アンデルセンは命の危機にあったというのに、まるで関心を持たずに冷めた瞳で無様な剣筋を描く夕凪と、慌てふためく刹那の表情を眺める。

 

「――ああ、そういうことかよ、クソッタレ」

 

 ひどく無感情に、つまらなそうにアンデルセンは言い捨てた。

 アンデルセンの右手が翻る。逆手に持ち直した銃剣は刺突の型を以って刹那の喉を狙った。

 ただ殺す為だけに繰り出された銃剣に刹那は息を呑み、反射的に夕凪で弾く。いや、弾いたというよりも、弾かれた。殆ど無意識で禄に力を込めていなかった為か、突き出された銃剣はピクリとも動かず、逆に刹那自身を僅かに動かす。通り過ぎる銃剣。首筋の薄皮一枚が斬られ、赤い線が一筋引かれる。それが、結果的に刹那の動揺を消し去った。

 後手に回るのはここまで。刹那は一瞬で意識を切り替えた。

 先手を取らんと刹那は伸びきったアンデルセンの腕を押さえ即座に間接を決める。

 見れば、片側の茶々丸も同様に腕を封じていた。絶好の好機。すぐさま刹那は叫んだ。

 

「今です! ネギ先生! 明日菜さん!」

「まかせて!」

 

 後方で待機していた明日菜は即座にアンデルセンの胸元まで疾走すると、最後の一歩を力強く踏み込む。ビシリッと。舗装された歩道に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。身を捻り、腕を捻り、限界まで勢いを乗せたまま、明日菜は右手に握るハリセン形態のハマノツルギを無防備なアンデルセンの顎先に叩き込む。抗いようも無く、アンデルセンは天を仰いだ。

 強化状態にある明日菜の一撃は常人にとって致命傷クラスの破壊力を秘めている。

 だが、生憎と相手は常人ではない。故に手加減は必要なく、本命も別にある。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 

『風精召喚《エウォカーティオ・ウァルキュリアールム》

 剣を執る戦友《コントゥベルナーリア・グラディアーリア》

 迎え撃て《コントラー・プーグネント》』!!」

 

 何十何百と繰り返してきたかのような滑らかさで、ネギは神秘を編む口上を口早に紡ぐ。

 現れた風の中位精霊八体はネギの容姿を模り、立ち尽くすアンデルセンに追撃を掛けた。停滞無く突進する精霊達がアンデルセンに直撃する瞬間を見極めて、刹那と茶々丸は同時に左右へと退避する。瞬間、弾けるような衝撃音が八度、並木道に木霊した。全ての精霊の直撃をマトモに受けたアンデルセンの巨体が、小石のように吹き飛ぶ。

 一回、二回、三回。アンデルセンは水面に放られた飛石のように地面を何度もバウンドして、最後には道の端の樹木に背中から激突する。余程の衝撃だったのだろう。細身の樹木は衝撃を受け止めきれずにミシミシと音を立てて折れ曲がり、根元から真っ二つに別れた。

 打って変わって、静寂が場を満たす。五人は油断無く、倒れたアンデルセンを見据えていた。

 

「こ、これなら流石に決まったんじゃないの?」

「いえ、まだ油断は禁物です」

「同感でござるな。この程度で終わる御仁とは思えないでござるよ」

 

 明日菜の楽観的な見通しに茶々丸と楓が釘を刺すと、果たしてアンデルセンはゆっくりと身を起こした。コキコキと気だるそうに首を左右に折る様からは、まるでダメージが見られない。

 

「恐ろしくタフ……というだけでは説明がつきませんね。これは、やはり……」

「何らかの再生能力。あるいはマジック・アイテムを所持していると考えられます」

「しかし、そうなると厄介でござるなぁ」

 

 冷静に対象を観察する刹那、茶々丸、楓の三人は、一様に眼前の敵の対処に困った。

 少なくとも、今の有様を見る限り、打撃は効果があるのかどうかも疑わしい。かといって斬撃が有効なのかも首を捻らざるを得ない。出会い頭のクナイや手裏剣の傷を僅か数秒で完治して見せたのは記憶に新しかった。

 

「でも、決して捕まえられない相手じゃありません」

 

 沈鬱な空気が蔓延する中で、ネギは力強く断言する。

 

「確かに攻撃は効いてないかもしれませんけど、僕たちの目的は倒すことじゃなくて、あくまであの人を捕まえることです。さっきも動きは封じられましたし、この調子で頑張ればなんとかなるはずです」

『兄貴の言うとおりだぜ! とりあえず縛り上げちまえぜこっちのもんだ!』

 

 鼓舞するネギに習ってカモも息巻き、小さな前足を振り上げる。

 そんな小さな彼等を見て、少女達は穏やかに嘆息した。

 

「そうね。押してるのはこっちなんだし、全然焦る必要なんてないじゃない」

「今はペースを崩さず、堅実に攻めるのが上策ですね」

「そうと決まれば、陣形はこのままでいいでござるな?」

「はい。前衛は私と刹那さんが、中衛は楓さん、後衛は明日菜さんとネギ先生にお任せします」

 

 四人は勇むネギに習い、各々の獲物を改めて構え直す。しかし、その貌に浮かぶのは仲間への信頼に裏打ちされた不敵な笑み。これもまた一つの才能なのだろう。ネギの前向きな姿勢が、知らず知らずのうちに場を纏め上げていた。戦闘の場ながら、どこか柔らかい空気が広がっていく。協力して、眼前の敵を確保する。その志の下に統一されて。そんな彼等の捕まえるべき対象は。

 

「――――つまらん」

 

 ただ一言で、この生温い空気を切り捨てた。

 

「つまんねーな、おい。貴様らは、つまらなすぎる。敵を眼前に温過ぎるんだよ」

 

 いつにも増して粗暴な口調で、アンデルセンは五人の敵『モドキ』を睨み据える。その瞳に轟々と燃えていた狂気の色は既に無く、まるで道端の小石を見ているかのように酷く冷め切っていた。

 真実、今のアンデルセンには人型の石が五つ無様に並んでいるようにしか見えていないのだ。

 

「殺意も無く、狂気も無く、身を焼き尽くす敵意すら無い。何もかもがお粗末過ぎる。幼稚園のお遊戯ですらない。赤ん坊の喚き声の方が心地良い。ぴーちくぱーちく鳴いて喚いて喧しい。全てが全て――気に障る」

 

 ゾルゥと。這い出るようにアンデルセンの胸元から銃剣が落ちた。一本ではない。一つの鎖に等間隔で繋がれた銃剣の束はジャラジャラと耳障りな音を鳴らしながら、其処彼処の地面に突き刺さる。ネギ達は異質な凶器の登場に、そしてアンデルセンの変質に警戒を強めた。身を刺す威圧感は消滅した。だというのに、背筋を這い回る悪寒は刻一刻と増すばかり。

 

「喜べ。この私が、13課が、貴様らに本当の闘争の何たるかを教育してやろう」

 

 そして、アンデルセンは動いた。鎖を握る右手が大きく撓る。それに連動して、鎖全体が蛇のような波を描き、繋がれた銃剣が土くれを巻き上げながら空を舞い踊る。

 

「来ます!」

 

 刹那の警告を皮切りに、鞭のように鎖が軋みを上げて襲い掛かった。追随する銃剣は須らく獲物に刃を向け、柔らかい肉を喰い破り、骨を断ち切らんと鈍く妖しい輝きを放つ。

 五人は即座に散会した。狙いを逸した銃剣の束は、其処彼処を滅茶苦茶に破壊する。あまりにも単純な仕組みの武器でありながら、その凶悪さは目を見張るものがった。もしもマトモに受ければ肉は抉られ、骨は断ち切れ、肉体は原型を留めないだろう。しかし、いくら破壊力があろうとも所詮は線の攻撃。点を穿つ銃剣の投擲に比べれば、遥かに御しやすい

 一閃。夕凪の煌めきが虚空に一筋の白線を刻んだ。

 断ち切ったのは鎖そのもの。気を介す斬撃の前には、単調な鎖など物の数ではない。

 

「――先行します。援護を」

 

 返答を待たず、刹那は瞬動を用いてアンデルセンに肉薄する。

 切り分かれた鎖の先端が地に着くよりも疾く、渾身の一撃を放った。

 

 神鳴流奥義 斬岩剣。

 

 気によって強化された刀身は強固な岩すら容易く斬り捨てる。アンデルセンは空いている左手で三本の銃剣を夕凪に合わせるが、一瞬の停滞すら許されずに纏めて両断された。勢いをそのままに振り下ろされた夕凪は、不意に体勢を崩したアンデルセンの首に迫る。

 

「っ!!」

 

 刀身が首に触れる寸前。刃先を反した刹那は、踏み込みを弱めて、狙いをアンデルセンの肩先に変更した。ベキリッと。骨を砕く嫌な感触が夕凪を通して刹那に伝わる。しかし、その成果を刹那は頓着する事無く、第二撃を放とうと野太刀を引く――寸前に、大きく無骨な左手が、刹那の手首を掴んだ。肩を粉砕されたにも関わらず、その力強さには些かの衰えも見えない。

 

「だからよぉ、違うだろぉが」

 

 丸い眼鏡の向こう。輝く双眼は苛立ちを交えて吐き捨てる。

 

「何を……っ!」

 

 アンデルセンの意図が分からず、刹那は戸惑いの声を上げ掛けた。だが、側面から迫る茶々丸を視界の端に捉えて迂闊な愚考を切り捨てる。湧き上がるのは己への叱責だ。

 

(何を考えているんだ、私は! 今は一刻も早く距離を取るべきだろうにっ!)

 

 手先だけで野太刀を放り、持ち手を入れ替えると再び峰で思い切りアンデルセンの左手を打ち付ける。このまま斬り捨てても良かったが、ネギと明日菜の手前もあり、なるべく凄惨な光景は見せたくなかった。

 如何にアンデルセンの腕力が強靭であろうとも、人体である以上は避けられぬ急所というものが確実に存在する。刹那が打ち付けたのもその一箇所で、僅かにアンデルセンの拘束が緩んだ。そこに茶々丸が上段蹴りをアンデルセンのテンプルに決める。ダメージはさほど期待できないが、今は脳を揺らすだけで事足りた。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル!

『風の精霊17人《セブテンデキム・スピリトゥス・アエリアーレス》

 縛鎖となりて《ウィンクルム・ファクティ》

 敵を捕まえろ《イニミクム・カプテント》

 魔法の射手《サギタ・マギカ》 戒めの風矢《アエール・カプトゥーラエ》』!」

 

 離脱した刹那の耳に、後方からネギの詠唱が届く。

 風の拘束魔法。それで、この場の戦いは終わる。

 不意に、アンデルセンは半ばまで寸断された鎖を刹那と茶々丸の方へ投げつけた。

 

「悪足掻きを!」

 

 気合一閃。刹那は乱雑に刃先を向ける銃剣の群れごと鎖を斬り捨てる。その結果、銃剣は虚空に散乱して、鎖もまた結び目が解かれてバラバラに飛び散った。その時だ。銃剣の柄の先端が、煙を吹いているのに気づいたのは。

 

「っ! この反応は」

「楓! ネギ先生と明日菜さんを!!」

 

 咄嗟に後方の三人に向かって叫ぶ刹那の声は、続く轟音に掻き消された。爆風が周囲の木々を吹き飛ばし、周囲を滅茶苦茶に破壊する。モクモクと立ち込める粉塵の最中、佇む影が二つあった。

 刹那とアンデルセンだ。けれど、二人の様相は対照的であった。

 爆発の中心地にいた刹那は、見るからに酷い有様だ。着込む制服はボロボロな布切れに変わり、露出する肌は一様に火傷や切り傷で傷ついている。額から少なくない血を流している様は痛ましいものだった。対するアンデルセンはコートこそ破けて煤が付いているものの、怪我らしい怪我は見当たらない。先程、刹那が粉砕したはずの肩ですら、既に完治しているようだ。

 

「くっ……!」

 

 刹那は苦々しく右肩を見やる。そこには爆発のドサクサに紛れてアンデルセンの放った銃剣が、深々と突き刺さっていた。ジクジクと傷が鋭く痛み、額からは脂汗が噴き出して頬を滴り落ちる。

 

(ネギ先生は……他の皆は無事なのか?)

 

 刹那は自らの怪我よりも仲間の安否が気に掛かり、痛みを堪えながら厳しく周囲を探った。

 

「茶々丸さん!? 大丈夫ですか!?」

「刹那さん! どこ!?」

 

 すると、土煙の向こうからネギと明日菜の声が聞こえてきた。

 どうやら茶々丸も損傷したらしく、ネギの声は切実な憂いを帯びている。

 

「私は……大丈夫です! 粉塵が晴れるまでは、下手に動かないでください!」

 

 痛みで掠れそうになる声を必死で抑えながら、刹那は気丈に言い放つ。続けて銃剣の柄に手を掛けると、躊躇無く一気に引き抜いた。血飛沫が、空へ舞う。

 

「ん、あっ!」

 

 あまりの激痛で、危うく刹那は意識を失いかけた。

 傷も然る事ながら、銃剣に施された祝福儀礼が刹那の内なる異端を蝕む。

 

「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ……く、ぐぅ!」

 

 刹那は荒れる息を何とか整えようとするが、まるで肺は受け付けない。

 どうやら肋を何本か痛めたらしく、鈍痛が全体に重く圧し掛かっていた。それでも、決して膝は折らない。口内に溜まった血を吐き捨て、両手でしっかりと夕凪を構える。思考にノイズが混じるものの、それを制して刹那は現状を冷静に分析し始めた。

 

(この男は、確かに回復能力と身体能力こそ厄介だが、それ以外は眼を見張るべき箇所は無い。戦力的には、まだ五分以上……だが、現実に押されているのはこちら)

 

 その理由に、刹那は今になってようやく気づいた。

 眼を逸らしていたものに気づいてしまった。

 

(――殺す、覚悟の差か)

 

 陳腐な理由だが、そうとしか考えられなかった。アンデルセンの攻撃の全ては命を奪うべくして放たれている。対して刹那達は決意こそ乗せてはいるが、必殺には程遠い。それでは遠からず戦力の拮抗は崩れ去り、後は済し崩しに一人ずつアンデルセンの凶刃に斃れるだろう。

 そう、このままでは、いけないのだ。

 ネギを、明日菜を、楓を、茶々丸を殺させない為には。

 その想いが――刹那に、ある一つの決意をさせた。

 

(重荷は、私が背負う)

 

 バサッと。鳥の羽音が刹那の背後――否、背中から響く。刹那は自らの本当の姿を曝け出し、純白の翼を背負っていた。その姿を見て、ようやくアンデルセンは狂気の笑みを貼り直す。

 

「それが貴様の本性か、化物」

「…………」

 

 刹那は、答えない。

 油断無く夕凪を構える姿からは、今までに無いもの――殺意が、溢れている。

 

「そうだ。それでいい。化物は化物らしく、俺を殺しに来るべきだ。化物は化物らしく、化物らしい姿でいろ。なあ、化物。化物である貴様が化物らしく俺と殺し合う。それが人間と化物の真なる闘争だ。ここからが、ようやく本番だ」

 

「…………」

 

 刹那に表情は無かった。無心に。無表情に。感慨無く。どうすれば効率良く眼前の敵を■せるのかだけを思案する。それ以外の感情を塞き止めて、自らを一種の人形へと作り変えていった。

 勝負は、一瞬でつく。それだけの緊張感が、場をギスギスと軋ませる。

 最早、二人には眼前の殺害対象以外何も見えていない。それ故に、世界樹広場から立ち上る膨大な魔力の衝突にも、二人は何の感慨も抱かなかった。

 

 


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