すたれた職業で世界最高   作:茂塁玄格

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試問

『……なにかくる?』

『だれかくる?』

『……まだとおい?』

『まだまだ、とおい?』

『でもでも、ひさしぶり?』

『『『ひさしぶり! ひさしぶり! ひさしぶり!』』』

『これは楽しみだなぁ』

『うんうん、たのしみ! たのしみ!』

『『『『はやくこいこい! はやくこい!』』』』

『『『『『はやくこいこい! はやくこい!』』』』』

 

 痛い位に素直な、言葉ではない想いが、感情が、山のどこか奥深くで湧き上がっていた。

 

 楽し気にゆらゆらと揺れる、幼げなモノ達の高ぶる気持ちを僅かに感じ取り、目を覚ました老婆は、久方ぶりの感覚に驚きと喜びを抑えきれず、ぽつりと零す。

 

「なにがそんなに楽しみなのかねぇ……。こっちまで期待しちまうじゃないさ」

 

 夜が明けるまでまだまだ時間がある。老婆は寝返りをうって、ゆっくりと微睡みの中に沈んでいく。

 その嬉しそうに薄っすらにやけた寝顔は、まるで少女のようだった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 倬が王国を出発してから三日ほどを費やし、目的の集落手前にある村に到着した。今は、同行する事になったツェーヤとアランと共に、村長に挨拶すべく村内を歩いている。ちなみに村と言いながら、王国北東に点在する村々へ向かう交易の要所であることから、そこそこには賑わっており、目に映る家々は古いがレンガ造りの立派なモノばかりだ。

 

「しっかし、まさか、こんな半端な時期に里帰りする事になるたぁ思わなかったねぇ!」

「先生、その話はもう何度も聞きました。……村長とは親しかったんですよね?」

「昔の話さ。なんせ、あたしゃあ、村一番の美少女だったもんだから、男共はこぞってあたしのご機嫌を取りに来たもんさ」

 

 がっはっは、と笑うツェーヤに、倬もアランも苦笑いするほか無かった。それが事実だとしたら、時間と言うのはなんて残酷なんだろうか。

 

「でも、お二人が自分についてくるなんて、本当に大丈夫だったんですか?」

「霜中、それについても道中何度も答えただろう。これは教官役を仰せつかった騎士団と、宮廷魔法師達それぞれが決定した人選だ。“勇者の同胞”からこれ以上犠牲を出さないようにするとなれば、護衛は必要だからな。真っ先に修行に行かせるべきと進言した私が同行するのは当然のことだ」

「そうそう、んで、あたしは修行の地らしき山を知る唯一のこの村出身。その上、手練れの魔法使い。他に誰が居るってんだい」

「……“手練れの魔法使い”って、先生、そう言う事、自分で言っちゃうんですか」

「なんだい、なんだい、剣の腕前ばっかり上達して魔法はそこそこな騎士様は、何か文句があるってのかい? このひよっこが」

「“ひよっこ”って、そりゃ、先生からしたら孫みたいなものかもしれませんが……」

「お前さんみたいなデカい孫なんぞいてたまるかっ! うちの長男だってまだ成人前だよっ!」

 

 そうこうしているうちに、村長の家にたどり着いた。倬とアランが軽く身だしなみを整えていると、ツェーヤが当たり前の様に立派な扉を開けて、ずかずかと中に入っていく。

 

 ノックも何もしなかったツェーヤに冷や汗をかきながら、慌てて二人が後を追う。追いかけた先の広間には、眉毛の伸びた老人が揺り椅子に座ったまま眠っていた。

 

 身を屈め、視線を合わせたツェーヤが肩を軽く揺すり、やや大きめな声で呼びかける。言葉遣いの所々には少しだけ訛りがあるようだ。この村には、更に東側の村落から出稼ぎに来て、そのまま根付いた者たちが多く、王国近郊にありながら独特の訛りが生まれたらしい。

 

「じっさまぁ、ツェーヤです。オバンサの家のツェーヤが帰りましたよぉ。ちょっと話を聞きたいんだけどもぉ、よろしいですかぁ?」

 

 まだ寝ぼけたような老人が、しょぼしょぼした目でぼんやりとツェーヤを見る。たっぷり三十秒ほどあけて、しゃがれた声でのんびりと間延びした返事をしてくれた。

 

「あぁー? ツェーヤぁ? あー、はいはいぃ、オバンサんとこの、じゃりン子だねぇ。相変わらず元気そうでぇ、なによりぃ、なによりぃ」

「そうそう、そのツェーヤ・オバンサですよぉ。んで、話があんだけどもぉ」

「んあ? 小遣いなら、こないだ、あげたろぉがぁ、なんに使ったら、こんな早くに無くなるんだねぇ」

「いつの話してんだよ、この耄碌じじい。良いから話聞きなっ!」

 

 何だか微笑ましいような、そうでもないような、しかし、どっかには転がってそうな会話に、吹き出してしまったアラン。倬もつられそうになったのを堪えている。

 

「さっきの“ご機嫌を取りに来た”って話、嘘ではなかったみたいですね」

「ああ、“じゃりン子”だってな。成る程納得だ」

 

 倬とアランがひそひそ話しているのを、「ああん?」と睨んでくるツェーヤに気付いて、二人は気を付けの姿勢になって大人しくする事にした。

 

 そのまま村長の相手をツェーヤに任せていると、二十分ほどあっちこっちに脱線していた話題が、やっと本題に入ったようだった。

 

「はーーぁ、“お山”に行きてぇとなぁ」

「そうさぁ、連れてきた眼鏡の方が、“祈祷師”なんだよぉ。何とかならんかねぇ」

「ほーーん、あすこ以外のってなると、ほんに珍しいこったなぁ。どらぁ、お若いの、ちぃと近くに寄っとくれぇ? こっからじゃあ、あんたの眼鏡も見えなくてなぁ」

 

 そう言う事ならと、倬は揺り椅子の斜め横に膝立ちになって目線が合う辺りまで近づき、挨拶をさせてもらう。

 

「祈祷師の霜中倬と言います。突然押しかけて、ご迷惑をおかけします」

 

 倬がそう挨拶をすると、今までのほほんと細めていた目が、真剣さを帯びたものに変わった。

 

「“お山”に行って何をするつもりかね?」

「はい、“祈祷師”として、修行を受けたいと考えています」

「“お山”での修練は過酷だと聞く。わたしも今までに二人、外から来た祈祷師が向かうのを見送ったが、三日と持たなかったらしい」

 

 ごくり、と生唾をのみ込む倬の目から、村長は目を離さない。倬もまた、その目を真っ直ぐに見つめ返す。

 

「そうかい。そうかい。うん、うん。……その目ぇ、村ぁ出てった時の、ツェーヤちゃんとそっくりだぁ」

 

 昔を懐かしむその言葉に、ぴくっと反応したツェーヤだったが、「ぅぐっ……」とだけ声を漏らしてからは何も言わなかった。

 

「そうとならぁ、紹介状を書いてやろうねぇ。まずは顔役に、お目通り願うんだよ。つっても、祭りでもなけりゃあ“お山”に入れてもらえるのは、“祈祷師”だけだぁ。ツェーヤちゃんと、そこの騎士様は麓でお留守番だなぁ」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 昼過ぎに村長から紹介状を受け取り、三人は狭い山道に馬車ごと揺らされながら、丸一日がかりで集落へとやってきた。

 

「やれやれ、こんなに遠かったかねぇ。けつが痛てぇのなんの」

「先生が急かすからですよ、あんなに揺れたのは。途中の山道、あれ、馬車通る道じゃなかったでしょうに」

「あたしのお陰で半日早く着いたんだ。少しくらい労いな」

「あはは、お疲れ様です。いや、ホント、アレには驚きました。夜中に到着する予定がまだ昼間ですからね……」

 

 ドヤァァっとしているツェーヤに、呆れているアランと、感心とドン引きが半々の倬。ここに来るまで、ツェーヤが魔法を駆使して何度か無茶なショートカットをして見せたのだった。付き合わされた商人と村からの案内役は、へろへろになって、へたり込んでいる。

 

 集落をぐるり見渡せば、山に囲まれてすり鉢状になった土地に、広い田畑と木造平屋建ての家屋がぽつぽつと四、五件見受けられた。人里離れた田舎を絵にかいたような風景だが、苔生(こけむ)した濃い緑の香りや、金木犀(きんもくせい)に似ているが、よりさっぱりした香りが、この土地が豊かな自然に恵まれていることを教えてくれる。

 

 田畑に巡らされた水路から、ぱっしゃっと川魚が跳ねた所に目をやれば、村長よりは若いが、ツェーヤよりは老いた男性が近づいてくるのが見えた。

 

「おんや、おんや、今回は早かったなぁ。ふむ、ふむ、見慣れない顔もあるようだ。一遍にこれだけお客様が来るのは、ここ何年か無かったからなぁ。よし、よし、折角だぁ、我が家に寄っていきなさいなぁ」

 

 返事も聞かずにゆっくりとした足取りで歩き出す男性に、一行はつられる様にして後を追う。村からの案内役が言うには、彼こそがこの集落の顔役らしい。

 

 ごく自然に家に通され、広い土間を進む。この世界では珍しく、靴を脱いで居間に上がる。

 

 一通りの挨拶の後、案内役から受け取った紹介状を眺めて、顔役が嬉しそうに話し出した。

 

「いや、いや、外から修行を求めてこんな山奥までおいでなさった祈祷師様なんて、いつ以来だろうなぁ……。今となっては、ここで生まれた子でも“祈祷師”の天職を持つことは滅多になくてなぁ……」

「あらやだ、“今となっては”ですって。“祈祷師”として生まれてくる子が偶にしかいないのは大昔からですよぉ。“お寺”の子供で祈祷師様になれるのだって、二代に一人生まれるかどうかじゃないのぉ」

 

 ごめんなさいねぇー、とお茶を出してくれているのは顔役の奥さんだ。そうだったっけ? とほぇほぇーとしている顔役は特に気にした様子もなく、にこにこしている。

 

 お茶を貰って、アランがまた別の封書――【ハイリヒ王国】の正式な印璽(いんじ)が捺されている――を軽く十人は卓につける長方形の卓袱台(ちゃぶだい)に差し出して本題を切り出した。

 

「わざわざ、有難うございます。……それで、こちらが王国からの依頼書になります。お確かめ下さい」

「これは、これは……、たまげたなぁ……。お国から、こんな立派な手紙貰ったんは、生まれてからこの方、初めてだなぁ」

 

 困ったように頭を掻いて、恐るおそる封を開け、中身を確認する。

 

 顔役の柔らかだった表情が、読み進めるごとに硬さを増していく。アランも気づいているのだろう、どこか躊躇いを滲ませて、だが、毅然とした態度で話を進める。

 

「……まずは、“修行の地”の実在を確認させて頂きたい。王国には、それを裏付ける資料がありません。こちらに訪れるきっかけとなった文献はすべてお伽噺だったものですから」

「……資料が無いのは当然です。“寺”で修行を積んで正式に王国に仕えた者は、長い歴史の中でも一人だけと聞きます。その者が、この地について語ることはなかったでしょうから」

「“寺”こそが“修行の地”であると言う理解でよろしいですか」

「ふむ、言い方が悪かったですなぁ。“お山”全体が修行の場であって、“寺”はその一部に過ぎません。先ほどの質問の通りに答えるならば、“修行の地”は確かに存在します」

「では、そこで霜中倬が修行を受けるための条件はありますか」

「大前提として“祈祷師”である事、そして本人が心から修行を望んでいる事だけでしょうなぁ」

「分かりました。……霜中には修行の内容を王国に報告させる事になっています。また、報告内容の確認を、王国からの使者――今の所、同行した私とオバンサになります――が直接行う事を了承していただきたい」

 

 最後の言葉に、顔役の表情が一変する。話し方こそあまり変わらないが、冷たい、突き放すような雰囲気が漂い出した。

 

「わたしには判断しかねますなぁ。なにせ、ここで暮らす者たちにさえ、修行の内容は知らされておりません故。よそ者が口を挟むとなれば、修行どころではありませんでしょうからなぁ」 

「……報告とその確認と言うのは了承できませんか」

「わたしが知る限りでは、難しいでしょうな」

「では、魔人族の侵攻が確認された際の、霜中を王国へ招集する事についてはどうでしょうか」

「それについても、“寺”が決める事です。本来、修行を終えたと認められなければ“お山”から出ることは許されません」

 

 暫し、広い居間に沈黙が流れる。

 

 倬、アラン、ツェーヤの三人としても、王国と教会から提示された条件が“修行の地”にとって受け入れ難いだろうことは予想してはいた。なにせ、倬が召喚されるまで、“修行の地”は正式な形で公になったことが無いのだ。ツェーヤとて祈祷師達がこの辺りで修行していることを、思い出の中で何となく知っていただけだ。修行自体が“寺”の祈祷師達にとって“秘伝”に該当するとなれば、公文書に残らないように隠蔽していても不思議ではなかった。 

 

 倬は、ティネインとノーベルトと共に考えた、“修行の地”が公にされない理由についての仮説をぶつけてみる。

 

「……王国への報告が受け入れ難いのは、……奉じるモノが違う為、でしょうか」

「……その問いの意味が、わかりかねますなぁ」

 

 顔役の肩が一瞬だけ僅かに持ちあがるが、とぼけた様に言葉を返してきた。その態度に、ツェーヤは「ふんっ」と不機嫌そうに鼻を鳴らす。 

 

「しらばっくれんじゃないよ。あたしら王国に仕える(もん)に見せたくない、教えたくないってこたぁ……“異教”なんだろ。この集落はよ」

 

 “異教”と言う言葉に、顔を顰める顔役とその奥さん。場の緊張が高まっていく中、その緊張感を無視した声が、全員の耳に降ってきた。そう、降ってきたのだ。

 

「そうだねぇ、この集落が別の方を祀ってるってのは事実さぁ……。もっと言えば、“祈祷師”って天職そのものが“異教”由来さねぇ」

 

 居間の奥側、長方形の卓袱台の短辺に、ちょこんと正座した老婆が突如として現れた。

 

 老婆は、それが当然と言わんばかりに、お茶をずずっと啜って美味しそうに「ほぅっ……」っと零し、眼を細めている。

 

 アランとツェーヤが、その老婆の出現に気付くことが出来なかったことに驚愕しながらも、瞬時に臨戦態勢をとる。二人以上に全く反応できなかった倬だが、その出現に驚くよりも、老婆の語った言葉に興味を示す。

 

「この集落が“エヒト神”以外を祀っていることは予想していましたが、天職が“異教”由来と言うのはどういうことでしょうか」

「そのまんまさぁ。お前さん、普通の魔法はまともに使えんだろう」

「はい、消費魔力が多すぎて、とても扱いきれません」

「“祈祷師”ってのは“エヒト神”を始めとする神々以外から祝福を受けた子供がなるらしくてねぇ。んだもんだから、神代の魔法の成れの果てたる現代魔法と相性が悪いんだとさ」

「祝福、ですか。……呪いの間違いだったりしませんか?」

「ふっ。あたしも一時、そんな風に思ったりしたねぇ。実感は無かろうが、祝福でいいんだよ。あたしが保証するさぁ」

 

 当たり前の様に始まった、倬と老婆の会話にツェーヤが割り込んでくる。

 

「いやいやいや、なに普通に話してんだい。……今更ながら、倬、お前さんも大概だねぇ。まぁいいや、んで? ガキの頃に見た顔だが、そこな、ばあ様は何様だい?」

 

 その質問に答えたのは、顔役の奥さんだった。いつの間にか、顔役と奥さんの二人は畏まって片膝を立て、頭を下げている。

 

「この方こそがこの集落の長老であり、“お山”を拝む、我ら一族の(おさ)たる“師祷(しとう)様”です」

「“師祷様”直々に御出で下さると言うのは一体……」

 

 この集落で、長老が“寺”から出て直接動くと言うのは緊急事態に他ならない。顔役が動揺するのも無理からぬ事だった。

 

「ここ三、四日の間“お山様”がやけに騒がしくてねぇ。二十日、いや、もうちょい前か。二十四、五日前もザワついちゃいたんだが……、今朝なんか、うるさい位だったもんで気になって見に来たのさ」

「“お山様”が? ……彼ら、なのですか?」

 

 顔役が鋭い視線を倬達に向ける。流石と言うべきか、アランとツェーヤは先ほどから警戒を一切緩めず、構えを維持している。

 

「落ち着きなさい。この人らを追い出せってんで騒いでる訳じゃあないよ。……寧ろ逆、歓迎しろとさ」

「歓迎、ですか?」

「そうさぁ。ここ何年か祭りのお告げだって無かったってのに、ここんとこ、まるで祭りの前の日みたいなご機嫌っぷりだ」

  

 “師祷様”と呼ばれた老婆は、一度倬をちろりと見てから、アランとツェーヤに目線を移す。

 

「あん時の娘っ子が立派になったもんだねぇ。まぁ昔話は追々するとして……、そちらにも事情がある様に、こちらにはこちらの事情がある。そいつを分かってて来たんだろうからねぇ……。うん、話をしようじゃないさ」

 

 その老婆、ソルテ・C・ソルセルとアラン達は、教会と王国へ報告する内容について取り決めを交わすことになった。それは、倬が書いた報告書を師祷ソルテが確認した上で、アランとツェーヤ、王国側は内容に異議を挟まないし、“お山”や“寺”にも踏み入らないと言うものだった。

 

 明らかに依頼書の中身に逸脱する内容だが、元より二人はそのつもりだったのだ。ツェーヤは倬達から“異教”の可能性を知らされてから、報告内容は誤魔化さざるを得ないと考えていたし、アランは、メルド団長から「ついていくからにはどんな手を使ってでも修行をさせろ」と厳命されていた。

 

 結局、取り決めはすんなりまとめる事が出来た。ちなみに、ツェーヤとアランは今日から暫くの間、集落に滞在することになっている。顔役の屋敷にそのまま泊めてもらうらしい。

 

 倬は、師祷ソルテに連れられて、傾斜が急で一段一段がやけに高い石階段を歩き続けている、と言うよりも、両手まで使ってよじ登り続けていると言った方が適切な恰好だ。それに対してソルテは、明らかに老齢であるのに、二段、三段飛ばしで跳ねるように上へと進んでいく。

 

 倬を待って階段に座っているソルテに目をやる。すると、ソルテの座っている辺りで、階段と同じ灰色の、つるりと滑らかな表面を持った丸い巨大なアーチの連なりが始まっているのに気付いた。

 

「ん? あぁ、こいつかい?」

 

 その視線を感じ取り、アーチを左手でコツコツとノックするソルテ。

 

「こいつは“お山様”の趣味でねぇ。なんでもここの山の形をなぞって造ったんだとさぁ」

 

 息切れを起こした呼吸を静かに整え、ソルテの右横に並んで立ち止まる。

 

「……よっぽどこの山を気に入ってるんですね。“お山様”は」

「まぁねぇ、遥か昔から“寝床”にしてるって話だからなぁ」

 

 どこか誇らしげにそう言って、連続するアーチをスキップでもする様に跳ね進んで行く。倬は一度ふーっと息を吐いてから、もはや急すぎてゴールの見えない階段を登る。

 

 そこから十分少々登り続けると、上から焦ったような男の声が聞こえてきた。

 

「師祷様っ! 外に出られる時は一言仰って下さいと、いつも言ってるじゃありませんかっ! 一体、何処に行かれていたんですかっ! あんな書置きだけ残されても困りますっ!」

「はぁー。フルミネか。人が帰るなりそんなに騒ぐんじゃあないよぉ」

「自分だって騒ぎたくて騒いでるんじゃありませんっ! 心配させるような事をしないで下さいと言っているんですっ!」

 

 「はいはい、分かった分かった」とあしらうソルテに、今度はぽつぽつと話しかける少女の声が聞こえた。

 

「おかえり、おばあちゃん……じゃなかった、師祷様。……里、行ってたの? ……違った、えーと、行かれていたんですか?」

「ただいま、ニュア。まぁちょいと人を迎えにねぇ。頼んどいたことは、やっといてくれてるかい?」

「うん。……あんな大きいの、初めて書いた」

「だろうねぇ」

 

 階段をよじ登り、からからと笑うソルテの声に近づいていくと、漸く石畳の開けた場所に到着した。

 

 奥にはおそらく“寺”なのだろう、高床――地面から床まで五十センチほどの柱が並んでいる――になった日本の寺社に似た家屋が見える。屋根の茅葺の上には、ここまで見てきたアーチと同質の、つるっとした瓦が敷かれていて、色彩こそ地味だが歴史を感じさせる。

 

 その“寺”の手前に、ソルテと軽く百八十センチを超えた長身細身で角刈りの男性、倬より少し低い位の身長で肩まで伸びたおかっぱの少女の三人が居る。

 

 今の今まで暖簾に腕押し状態にもめげす騒いでいた男性が倬に気づくと、履いている十八ホールのゴツいブーツをドカドカと鳴らしながら近寄ってきた。

 

「お前が師祷様の仰っていた外の祈祷師か。……ここの決まりだ、ステータスプレートを見せてもらうぞ」

「ステータスプレートですか……、分かりました」

 

 言われたとおりにプレートを取り出し、ステータスを表示させてから渡す。無言で受け取った男は、その内容に一瞬目を大きく開き、視線を倬の顔とプレートとの間で三度往復させる。

 

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霜中倬 15歳 男 レベル:24

天職:祈祷師

筋力:140

体力:160

耐性:180

敏捷:90

魔力:210

魔耐:200

技能:全属性適性・魔力回復[+瞑想][+瞑想効率上昇]・言語理解

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「……十五歳」

 

 いつの間にか、男の手元をのぞき込む位置に移動してきていた少女がつぶやいた。そのままずいっと倬の目の前に顔を近づけると、真剣なまなざしを向けてくる。

 

「……あなた……十六歳になるの、いつ?」

「え? えーっと、自分は四月一日のギリギリ早生まれなので、つい最近十五になったばかりで……」

 

 こちらの世界の例によって美少女に年について詰め寄られ、戸惑う倬だが、なんとか答える。

 

「……“早生まれ”? よく、わからないけど、まぁいい。……私、こないだ十八になった。……ふふ、私のほう、お姉さん。……ふふ」

「あ、あの……」

「私、ニュアヴェル・C・ソルセル。……あなたの、姉弟子。……ニュアヴェルだと長いから、ニュアって呼ばれてる。……あなたはニュア(ねぇ)と呼ぶといい」

「ええっと、ニュアヴェルさん?」

「ニュア姉」

「ニュアさん?」

「ニュア姉」

「あー………にゅ、ニュア姉」

「うん、それでいい」

 

 満足そうにニンマリ笑うニュアヴェルに、男の表情は不機嫌を露わにしている。

 

「ニュア、霜中はまだ儀式を終えていない。弟弟子扱いには早すぎるぞ」

「んー……倬のレベル、私より低い。けどステータス、大して変わらなかった。多分、儀式も平気」

 

 そのニュアヴェルの言葉に増々機嫌を悪くしていく男は、気を取り直すように小さな溜息を、ふっと吐く。そして、倬とニュアヴェルの間に割り込むように、体を移動させる。

 

「これより儀式を始める。ついて来い」

 

 

 

 正面の“寺”に入って直ぐに広い部屋があり、天井中央の空間には直径二メートルほどの磨き上げたような灰色の球体が浮いている。板張りの床の上には、更に薄い板が敷き詰められており、その板には直径六メートルはあろうかと言う、複雑且つ巨大な魔法陣が描かれている。

 

(……知らない記号が多い、けど多分、闇系……)

 

 ここで待つように言われた倬がしゃがみ込んで魔法陣を眺めていると、左奥の大きな襖が開き、のっぺりとした仮面を被った三人が入ってきた。

 

 三人が魔法陣を取り囲むように立ち止まる。

 

「霜中、陣の中央へ」

 

 緊張感を伴った男の声に従って、魔法陣の真ん中へ移動する。

 

「これより儀式を始める。倬、これを乗り越えて初めて、お前さんはこの地での修行に臨むことが許される。……気張りなさい」

 

 ソルテの声がそう告げると、三人は両手を倬に向けて伸ばし、同時に詠唱を始める。

 

――――――我らの身に潜みし闇を呼び覚まし――――――

 

 ぼんやりと、足元の魔法陣が濃い紫色に輝き出した。

 

――――――彼の者に潜みし闇に呼びかけん――――――

 

 くすんだ紫の光は煙の如く揺らめき、倬の体を這うようにして覆っていく。寒くもないのに腕には鳥肌が浮かび上がり、小刻み震える手は、抑えることもままならない。

 

――――――何をか抱えたる、何をか隠したる、何をか庇いたる――――――

 

 三人の声は、数多の反響となり、頭の中を掻き乱してくる。

 

――――――彼が身の内に懐く邪なるを、白日の下に晒さんと、我ら、祈る者なり――――――

 

 詠唱が進むにつれて冷徹さを増す声が、ついにその魔法を完成させる。

 

――――――“絞答(こうとう)”――――――

 

 頭の天辺まで淀んだ紫に染められて、それが頭の中に侵入してきたような錯覚を覚える。直後、倬の感情を埋め尽くすのは、凶悪で、凶暴な、苛立ちだった。強烈な負の感情に、思わず蹲ってしまう。

 

「……気分はどうだい? 倬」

 

 ソルテの問いかけは言葉こそ軽いものだが、その声音は真剣そのものだ。

 

「…………控えめ、に言って、最悪の気分、です」

 

 荒れ狂う心を必死に抑え込んで言葉を取り繕う。服が肌に触れるだけで全身を駆け巡る不快感が、抗う間もなく怒りに直結していく。冷静さを取り戻そうと意識することすら煩わしく、苛立ちを増していくばかりだ。

  

「しっかり効いてるみたいだねぇ。よろしい、ならば答えなさい、“汝、何故に修行を求めるか”」

「そんな、の、決まってます。強く、強くなるため、です」

「“何故に力を求めるか”」

「それは、やぇ……、ちがっ、み、皆、皆の足、足を、引っ張りたくない、から……」

「“再び問う、何故に力を求めるか”」

「誰かの足を引っ張る、自分が、許せない、から、です」

「“三度(みたび)問う、何故に力を求めるか”」

「ぐっ。き、祈祷師の、自分の知ってる祈祷師じゃ、あの娘……、あの娘、じゃない、誰、誰も守れ、ない、から」

 

 問いかけを重ねられるたびに、考えがまとまらなくなっていく。心の奥底に沈ませていた想いが、引きずり出されそうになるのを無理矢理に別の言葉で置き換えて抵抗する。

 

「……強くなれば、お前さんの願いは果たされると、本当に思っているのかい?」 

「そんな、こと……、思うわけ、ないっ!」

 

 だんっ、と床を殴りつけて叫ぶ。闇系魔法“絞答”による精神汚染に、拳を痛めつけることで更に抵抗を続ける。

 

「それは何故だい?」

「人、ひとりに出来ることなんて、たかが知れてる。俺なんかに、俺ごときに、“皆を守る”なんて、そんな大層なこと、出来るはず、ない」

「その程度の覚悟で、修行を終えることが出来ると思うのかい?」

「あの時、あの場所で俺は、彼に……、南雲君に、全部を任せてしまった。思いあがってたんだ、自分は努力してきたって、俺だって少しは役に立てるって。でも、結局は魔力を無駄に消費しただけで、最後に、肝心な時に、何もできなかった」

 

 倬は、具体的なことは何一つ語っていない。だが、“絞答”は対象から苛立ちや、怒りに乗せて本心を強制的に引き出す魔法だ。それを知るが故に、魔法の維持に集中していたニュアヴェルとフルミネと呼ばれた男は、倬の言葉に息を呑む。

 

「たとえ……たとえ、全員を守れなくても、あんな風に、誰か一人だけで無茶なんかさせない。その為に……」

 

 四つ這いになっていた倬が、一度大きく体を反らし、ソルテの面から覗く瞳を見つめ返す。そして、勢いよくその頭をばきりと床に叩きつけて、痛みに呻りながらも言葉を繋ぐ。

 

「……気張って見せます」

 

 広間を、静寂が包む。十秒ほど間を空けて、ソルテが倬に向けて伸ばしていた手を、足元の魔法陣に向ける。

 

「なら、その覚悟を示してもらうとしようねぇ。仕上げだよ。……“汝、己が昏き心魂にその身を捧げよ”」

 

 魔法陣から放たれるその淀んだ光が、激しく瞬き始める。精神汚染の効果が著しく引き上げられ、倬から思考力を完全に奪い去る。

 

 無意識に両手で耳をふさぐが気休めにもならない。自分を含めたすべての物事に対する嫌悪に苛まれ、その極度の負荷は吐き気となって正気を奪うように体を襲ってくる。倬はひたすらに、床だけを見つめて耐え続けた。

 

 どれだけ経ったのか、次第に魔法陣から光が失われはじめ、少しずつ感覚を取り戻していく。

 

「倬、よくぞ耐え抜いたねぇ……。これで一つ目の試練は終わりだ。フルミネ、部屋に連れて行ってやりな」

「はい、師祷様」

 

 仮面をかぶったままの男が、這いつくばったままの倬の傍に近寄る。

 

「立てるか、霜中」

 

 まだ意識は朦朧としたままだが、何とか、自力で立ち上がる。

 

「だい、丈夫、です」

 

 そのまま、男の後に続いて板張りの廊下を進む。通された部屋は、襖で仕切られ五畳ほどの広さになっていた。

 

「……ここで暫く、休んでろ」

「はい、そう、させてもらいます。正直、限界で……」

 

 力なく笑う様子を横目で見る男が、改めて倬を真正面に捉える。仮面を外して、倬と向き合う。

 

「フルミネだ」

「え?」

「……俺だけ名乗ってなかったからな。フルミネ・モンド。それが俺の名前だ」

「フルミネさん……。改めまして、霜中倬と言います。これから、よろしくお願いします」

 

 改めて挨拶をした後、フルミネが襖を閉じたのを見て緊張の糸が切れた倬は、襲ってくる眩暈に逆らうことなく、全身で床に身を委ねることになるのだった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 フルミネが襖を閉めると、中から床板を叩きつける音が聞こえてきた。倬が体を投げ出すように倒れこんだのが彼にも想像できた。

 

 無理もないだろうと思い、先ほどの試練が行われた部屋に戻ると、ソルテが座り込んでうなだれ、ニュアヴェルが五体投地で大の字になっている。その様子を見て、気の抜けてしまったフルミネまでもが、柱に背を預け、長い足を投げ出すようにして座る。

 

「フル兄ー、平気ー?」

 

 心底だるそうに尋ねるニュアヴェルに、溜息をつくフルミネ。

 

「どう見えてるんだ、ニュア」

「無理してる。カッコつけ」

 

 可笑しくてたまらないといった様子で、けたけた笑ってみせてくる。実際に強がって倬に対し疲労を隠していたフルミネは、ニュアヴェルの言葉を否定しない。

 

「……新入りに、“お前の儀式のせいで、こっちが死にそうだ”なんて言えるか」

 

 “寺”において、修行に入るための第一の試練として使用された“絞答”は本来、複数人で発動させるものではない。そもそも一人で起動させても強力な闇系魔法であり、その影響力は折り紙付きだ。

 

 今回は、師祷ソルテの指示により三人同時発動だったのだが、魔法が強力なだけに、術者の負担も大きかったのだ。

 

「いやいや、倬は属性耐性ないんだけどねぇ、素の魔法耐性だけであそこまで抵抗するたぁ」

「うん、びっくりした」

 

 ソルテとニュアヴェルは驚きを共有して、楽し気に話し続けている。

 

 その様子を眺めるフルミネは、芽生えつつある焦燥感を握りつぶすかのように、拳を握りしめる。

 

 目線の先に浮かぶ灰色の球体が、普段より僅かに早く、機嫌よさげに回転している気がした。

 

 




 毎日投稿できる作者さんって凄いなと改めて思います。

 次回更新は来週の水曜夕方頃までにはなんとか…。


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