重い足を無理やり持ち上げる様に、酷く長い階段を上り続ける。
既に、撤退を始めてから二十分は経っているが、未だに階段の終わりは見えない。
時折、光輝の生徒達を鼓舞する声が響く以外、殆ど無言で撤退する中、倬の頭では騒々しさを感じてしまうほどに、ごちゃごちゃとした思考が渦巻いていた。
(なんでっ、どうして、南雲君なんだ!? もし、ベヒモスの方に一緒に行ってたら、こんなことにはならなかったんじゃないのかっ! あの時、谷口さん達と一緒にいたら、逃げる暇くらいつくれたんじゃないのかっ! わざわざ前に出て、皆に助けてもらって、あんな魔法で、岩倒して、喜んで……何が、何が研究の成果だっ!)
あの時、自分に何が出来たのか、何時もなら、自嘲して心の底にしまい込む、“もしも”が湧き上がって、その頭を埋め尽くしていく。
(あの魔法の、あの“火球”がおかしいって、気づいたのにっ! 俺だけが、気づいたのにっ! 何も出来なかったのはなんでだ! くそっ、くそっ、くそっ!)
ぎりっと奥歯を思い切り噛み締めて、杖を持つ手に、握りしめた手に、痛い位に力を込めて、足は、何かを踏み潰さんばかりに、歩き続ける。
(……あの魔法、あれは、誰かが狙って撃ったんだ、間違いない。でも、だとして、どうする、どうすればいい。あれが狙った一撃だったことは、説明できても、誰が、なんて調べようがない)
ハジメに殺意が向けられ、それを実行した者が生徒達の中に居ることは、倬の中で、もはや疑う余地は無かった。あれだけの距離があって誤爆するような、狂った魔法適正の持ち主は少なくとも生徒達の中には居ない。
しかし、魔力の残滓から魔法が使用されたことを知ることは出来ても、使用者を特定する方法など無い。人それぞれ異なる魔力の色を持つとは言っても、火球の様に、それ自体に色がついている場合では魔力の色など知りようが無いのだ。
倬の思考がそのまま停滞して、何度も何度も、同じ自問自答を繰り返しているうちに、長かった階段が終わり、一行の目の前に魔法陣が刻み込まれた壁が姿をみせた。
メルド団長と騎士達が慎重にその壁を調べ詠唱すると、壁の真ん中を中心に、くるりと九十度回って奥に続く扉となった。
「帰ってきたの?」
「戻ったのか!」
「帰れた……帰れたよぉ……」
扉を潜った先が、トラップのあった二十階層の部屋であったことに気付いた生徒達は、それぞれに安堵の声を零す。ここに来て、命が救われたことを実感し泣き出す者や、緊張が切れてへたり込む者も見受けられる。今の今まで気を張って、声も張っていた光輝や雫も、壁にもたれかかって、座り込みたいのをどうにか堪えている。右肩だけ壁に寄りかかっている龍太郎の背中には香織が意識を失ったままだ。
ハジメが落ちていくのを、泣き叫びながら追い縋ろうとした香織は、撤退前、メルド団長の手刀で意識を落とされていた。そうでもしなければ、彼女は、あのままハジメを追いかけて、奈落に飛び込んでいたかもしれなかったのだ。そう、思わせるほどの痛ましいまでの必死さが、その時の香織にはあった。
生徒達の疲れ切った様子に、険しい顔で何かに耐えながら、メルド団長が声を掛ける。
「お前達! 座り込むな! ここで気が抜けたら帰れなくなるぞ! 魔物との戦闘はなるべく避けて最短距離で脱出する! ほら、もう少しだ、踏ん張れ!」
未だ澱んだ思考を継続している倬は、その声をぼんやり聞きいて、集団の中央を、足元だけを見つめてついていく。
(どう、すれば、いい。いっそ、檜山達から問い詰めるか? ……いや、駄目だ。もしも、あの中にやった奴が居たとしても、シラを切られて終わりだ。生徒同士で疑いあっても、良い事なんかない。下手に追い詰めて、暴走させたら……、今の俺に、祈祷師の俺なんかに、押さえつける事なんか出来ないじゃないか。最悪、余計な被害が出ることだって……、でも、なら、あぁ、くそぉ……)
倬は考える。今の自分が、このまま皆と一緒にいても、きっと、誰かを疑ってしまう。自分が誰かを疑って、耐えきれずに問い詰めたなら、疑われた人間は、別の人間に疑いの矛先を移そうとするかもしれない。そしてそれは、きっと連鎖してしまう。
(……俺は、
メルド団長と騎士達が中心となって最小限の魔物だけを倒し、一行は、遂に正面門の前の広場に辿り着いた。生徒達の中には、そのまま広場に身体を投げ出し、仰向け倒れる者も見受けられる。皆、あの危機を乗り越えたことを改めて実感し、その生を噛み締め、喜び合っている。
その中にあって、意識を失ったままの香織を背負う雫と光輝は硬い表情のままだ。その三人の想いを察して、龍太郎も恵里も鈴も、ただ生き残ったことを喜ぶ気になれず、沈痛な面持ちでその様子を見ている。
一人、背筋を伸ばし、職務を全うせんと迷宮の受付に向かうのはメルド団長だ。
生徒達の事を気にしながらも、新たに発見されてしまったトラップと、ハジメの死亡を迅速に報告する必要があった。二十層から飛ばされて、三十八層のトラウムソルジャーが無限増殖するのを相手にするだけでも十分すぎるほどに無理難題であるのに関わらず、記録上、誰も打倒したことの無いベヒモスまで現れるトラップなど、危険極まりない。本来なら、犠牲者が一人だけで済んだのは奇跡と言ってよかった。
それでも、
メルド団長が報告を終えて、一行は足早に宿のあるホルアドの町に戻った。
倬は、誰とも目を合わせず、地面と自分のつま先だけを視界に入れて、まっすぐに部屋へと向かう。部屋に備え付けられた狭い机に向かい、荷物の中に持ってきていたメモ用紙を何枚も取り出し、滲む視界をそのままに、一心不乱にペンを走らせる。
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メルド団長にアラン、カイル、イヴァン、ベイル、そして、宿で帰りを待っていた他の騎士や教官達は、宿に設けられた小会議室に集まっていた。全員が険しい顔で、言葉を発することが出来ないでいる。
迷宮での勇者達の活躍を期待していた所に、生徒の不用意な行動を止めることが出来ずトラップにかかり、死者を出してしまったと報告がなされてから、既に一時間は経過していた。
本国へ報告すべく早馬を送り出した後、神によって召喚された“勇者一行”の一人が犠牲になると言う想定外の事態を受け止めきれず、息の詰まる重苦しい雰囲気も相まって、身動きが取れないでいるのだった。
奈落へ落ちてしまった南雲ハジメの捜索は現実的に不可能な事もあり、ここで話し合われた内容は、生き残った生徒達へのフォローと、南雲ハジメが落下した原因たる、あの“火球”についての調査をどうするべきかに占められた。しかし、後者については、聞き取り調査位しか出来ることが
無く、生徒によっては疑いをかけられたと感じてしまいかねない。結局、本国の決定を待つほか無かった。
この結論に、メルド団長と四人の騎士達は下唇を噛み締めて、更に深く悔しさを滲ませている。
重たい空気が支配するこの部屋に、コン、コン、コンと扉を叩く音が響く。
本国からの指示を持ち帰って来たと言うのには、いくら何でも早すぎる。全員がそれぞれに顔を見合わせ、教官の一人が様子を窺う様にして、ゆっくりとその扉を開ける。
開いた先には、顔を俯かせたまま立つ少年がいた。
「……? 霜中か?」
教官が身を屈めて顔を確認すると、その少年が霜中倬であることが分かった。倬は、声を小刻みに震わせながら、絞り出すように喋りだした。
「少し、少しだけ、お、お時間、頂けませんか」
その尋常ならざる様子に、メルド団長が近づいて倬を落ち着かせようと、優し気な声で答える。
「霜中、今日はもう疲れただろう、話があるなら明日聞こう。今日はもう休め」
その言葉を聞いた倬は、頭を横に振りながら、やはり絞り出すように話す。
「だめ、駄目なんです。いま、今じゃなきゃ、決心が鈍る前に。だから……」
言いながら、メルド団長の脇をすり抜けて部屋に入り込み、手に持っていた紙束を床に置いて、蹲りながら続けた。
「お願いします! 自分をっ、自分をここにっ! ……修行に行かせてくださいっ!」
殆どの騎士や教官達は、この突然の状況に困惑するばかりだ。
「落ち着け、霜中、一体何の真似だ。良いから立て」
倬の肘を引いて、立ち上がらせようとするメルド団長。しかし、倬は頑としてその姿勢を崩そうとしない。
「これは……、これは、日本のっ、自分の生まれた国の、“土下座”と言います。許しを請う時の、最敬礼です。どうか、どうか、自分に、祈祷師として強くなるための、修行に出る許可を、どうかっ」
床に縋りつくように土下座をして、言葉をつっかえながら言う倬の様子に、メルド団長は肘を引く力を弱めてしまう。その口から零れる声音は、普段の彼からは想像もつかないほど、弱々しいものだ。
「頼む、頼むから顔をあげてくれ……俺は、お前たちに、お前に、そんな事をさせたくない」
誰もが、メルド団長の想いを感じて俯いてしまう中、騎士の一人が紙束を床から拾い上げて眺め始めた。十枚全てを確認し終えて、アランが倬に尋ねる。
「この場所は、どうやって知ったんだ?」
その質問に、怪訝な表情を浮かべる者も少なくない。メルド団長ですら、アランに向けて戸惑いの目を細めている。それでも、アランはまったく動じることなく、返事を待つ。
倬は土下座の姿勢を崩さないまま、声の震えもそのままに答える。
「それは、祈祷師について調べる中で、文献から検証した結果です。かつての祈祷師はその周辺で、修行をしたと言う結論に至りました」
「今でもそうだと、言い切れるのか?」
「……いえ、正直に言えば、分かりません。それでも、強くなるために、出来得る限りを尽くしたいんです」
「つまり、検証しきれていないんだな?」
「…………はい」
躊躇いながら検証不足を肯定する倬に、教官達から小さな溜息が零れる。実際に修行の地であるかどうかも分からない場所に送り込んで、“勇者の同胞”の一人を遊ばせておく道理は無い。まして、“勇者の同胞”の中から犠牲者が出たばかりだ。そんな許可など出せるわけがない。そう考えるのが自然だった。
しかし、次のアランの言葉は、全く真逆のモノだった。
「団長、自分は、霜中を修行に行かせるべきだと進言します」
目を見開くメルド団長と、その言葉に戸惑いを隠せない騎士と教官達。アランは、倬の持ってきた四枚に分けて書かれた地図を机に並べ、修行の地についての調査報告と、嘆願書のようなものを、メルド団長に手渡す。
「アラン、お前は何を言っているんだ! こんな時に、そんなこと、許可できるわけないだろうっ!」
イヴァンが何を馬鹿な、と否定する。メルド団長は受け取った紙を読みながら、その真意を確かめようとアランを見つめる。
「……どうして、そう思った。聞かせてみろ」
「自分は、霜中が示した修行の地、その手前の村出身の方を知っています。その方が言うには、その村より更に山奥に小さな集落があり、良質な薬草はそこから仕入れているそうです」
「それで?」
「その集落では祭りの日、普段は立ち入りを禁止されている山に入れるんだとか。その山には、古くから魔法の修行をしながら山の管理をしている者たちがいて、彼らから様々なことを教わったと、その方はおっしゃっていました」
「“その方”と言うのは?」
「ツェーヤ・オバンサ様です」
その聞きなれた名前に、つい倬も顔を上げてしまった。周りで聞く者たちの中にも、驚愕の顔を浮かべたり、トラウマを思い出したのか顔を青褪めさせている者さえいた。メルド団長は顎に手を当て、手元の紙に目を滑らせながら、何やら思案顔だ。
更に、アランは続ける。
「そして、その者たちは霜中と同じ、“祈祷師”だったそうです」
その言葉に、呆けてしまった倬。無理もない、まさか、散々世話になった人が修行の地の手掛かりを知っていようとは思わなかったのだ。“灯台下暗し”とは、まさにこの事だな、倬は内心でそう苦笑する。
「……霜中はあの場で、よくやっていました。“祈祷師”として期待される以上の働きをしたと思います。ですが……、霜中」
アランが倬に、後に続く言葉を促してきた。その意味を察して、自分の天職について知れば知るほどに積り重なっていた考えを伝える。不思議と声の震えは治まっていた。
「…………“祈祷師”には、どうあっても限界があります。仲間の援護を前提に、魔物と一対一に持ち込んで、時間と魔力を浪費してやっと倒すことができる。それが現状です。そして、それは今後も変わる見込みがありません。よしんば今のペースで魔力量が成長したとしても、一般の上級魔法はまともに使えないままだと予想しています」
倬の言葉を真剣に聞くメルド団長と他の教官達。アランに視線をやれば、軽く頷いて、更に先を促してきた。
「このままいけば、そう遠くないうちに、自分は足手まといになります」
煮えたぎる悔しさで、ぎりぎりと歯ぎしりをしてしまう。
「今のまま強くなっても、自分は、
改めて、額が床につくほどに深い土下座の姿勢になった倬の願いが、しんとした部屋の中に木霊するようだった。
メルド団長が片膝を床につけてしゃがみ、倬の肩に手を置いて諭す様に言う。
「お前の考えは分かった。俺も、本音を言ってしまえば望み通りにしてやりたいと思う。だがな、それを許可できる権限を、俺たちは持たん。王国と、教会両方から許しを頂く必要があるが、正直難しいだろう。だが……」
言いながら、両手で倬の肩を押し上げ強制的に顔を上げさせる。倬の目に映るメルド団長の表情は、何時もの豪放磊落な、偉ぶらない優し気なものだった。
「今のお前は、ほっといたら勝手に出ていきそうだ。そうなってはいよいよ困るからな。俺も、お前が修行に出られるようにできる限りを尽くそう。……仮に許可が下りるとしても、七日はかかるものと思え。良いな」
その言葉に、今度は感謝の土下座をしようとする倬だったが、「まて、まて、まて」とメルド団長に止められてしまった。そのやり取りを見ていた者たちは、自分たちの団長の決断を聞いて、やれやれと呆れている様な態度だったり、これからが大変だと悩んでいる態度を示す。そんな態度でありながら、その顔には嬉しさと誇らしさが容易く見てとれた。
「よし! 霜中、お前もう寝ろ。俺らももう寝る。いいな。これはここに居る全員に対する団長命令だ。……返事っ!」
「はいっ……」
会議室中に全員の返事が重なって響く、それを合図に、それぞれがベットへ向かって廊下に出ていく。途中、倬はアランに声を掛ける。
「あ、あの、アランさん!」
ん? と振り返るアランの表情からは、まだ喜色が抜けていないようだった。
「さっきは、その、ありがとうございました」
九十度のお辞儀をしながら言うのを見て、アランは苦笑いを浮かべる。ひらっと後ろ向きに右手を振って歩きながら、その口調は意外なまでに軽快なものだった。
「気にすんな。……あの人に師事した先輩として、後輩の我が侭を聞いてやりたいと思っただけさ」
「えっと、それは……」
確認しようとする倬の声に聞こえなかった振りをして、アランはそのまま行ってしまった。倬はまたいずれ聞こうと思い直して、自分の部屋に戻る。
そのままベットに横になって、明日以降の事を考えていたら、いつの間にか日が昇り、気が付けば、「寝ろ」と言う団長命令に背いてしまっていたのだった。
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小鳥のさえずりが耳を和ませ、淡い木漏れ日が風の柔らかな動きを目に教えてくれる。そんな適度な涼しさが爽やかな気分にさせる早朝、王国の外縁をどっ、どっ、どっ、どっ、と地面を踏み鳴らして走る集団があった。
彼らは王国騎士の有志で結成された、早朝鍛錬に励む一団である。その集団から五十メートルほど離れた所を、ぜーぜー言いながらどうにか追いかけるのは倬だ。
この世界では、基礎訓練であっても魔法による身体強化が前提なこともあり、優秀な王国騎士達の走る速度は、地球であれば長距離走の世界新記録を易々と塗り替えるくらいには速い。倬も身体強化こそ行っているものの、基礎体力がそもそも足りてないので、彼らの背中を見失わないようにするだけで精一杯なのである。
ホルアドに戻った翌朝、早い時間に出発して王国に戻ってから、既に三日経っている。
その間、倬は今までとは比較にならないほど訓練に力を入れていた。午前中は全員共通の座学が多かったのだが、生徒達の殆どが訓練に参加できる精神状態に無く、愛子先生が彼らに対して訓練を強制することに強く抗議したため、今は希望者のみがそれぞれに教官達と相談して独自のメニューを組んでいた。
倬の訓練は、食事前に早朝マラソンと、木刀や棍棒を使った打ち合いで武器格闘の訓練。朝食をそこそこに、祈祷師用魔法の調査を二時間。それ以降は、基礎訓練をした後、殆どの時間を魔法を前提とした模擬戦にあてている。
「はー、はー、はー、げほっ、うぇ……」
マラソンの終着点に到着し、完走した事を喜ぶ事も無く、倬は息を整えることだけに集中している。この三日間、鬼気迫る様子で訓練に参加している倬に、騎士達はメルド団長の指示もあって好きなようにやらせていた。明らかにオーバーワークであることから、いつ倒れるかと言うのが、全員共通の気掛かりだった。
集団がそのまま訓練施設に向かう途中、おそらく、朝早くからの役目があるのだろう五人の文官達が王宮へ向けて歩いていた。まだまだ静かな朝の道に、そう大きくもないはずの彼らの話し声が、よく聞こえてくる。
「いやいや、それにしても、まさかエヒト様から招かれる栄誉を頂いておきながら、こうまで役にたたん者が居ようとは、思いませんでしたなぁ」
「はっはっは、卿、声が大きいですぞ。またぞろ勇者様の不興を買ってはことですからな、気をつけませんと。我々まで、今の立場から
「くっくっく、それは然り。ですが、不注意で落ちた“無能”にまで心を砕くとは、流石は神から勇者の天職を与えられたお方。実に慈悲深い。あの方こそ、まさしく神の使徒でしょうな」
「おやおや、と言う事は、落ちたのは神の使徒ではなく、紛れ込んだ悪魔だったのかもしれませんねぇ」
「ほほう、つまり、崖から
わっはっはっ、と如何にも愉快そうに笑う彼らだけが不謹慎な訳ではない。南雲ハジメが犠牲になった事実に対する教会や王国側の態度は、最初こそ“勇者の同胞”の死に愕然としていたものの、“無能”のハジメであると理解するやいなや、投げやりなものに変わったのだ。
魔人族との戦争を控えて、“勇者一行”には無敵であってもらわなければ困る。そうでなければ、いざと言う時に民草を落ち着かせるのに支障が出るかもしれない。だが、死んだのが“無能”であるならば、何とでも言える、いっそ、最初から居なかったものと思えば良い。それが、イシュタルや国王の見解だった。
文官や他の貴族たちにいたっては、南雲ハジメの死を悪し様に
倬が突然立ち止まり、目の下に隈をつくった血走った眼で睨み付け、怒りのままに右手を突き出しその掌を彼らに向けた。左手を胸元に忍ばせた手帳に当て、詠唱を始めようとする。
咄嗟に倬を肩に担いで歩調を速める騎士達。その中の一人の声は、懺悔でもするかのようだ。
「すまない、すまない霜中。どうか堪えてくれ。……彼らの処分については私達に任せて欲しい。頼む」
切々とした声に、倬はその手を力なく垂れさせ、なされるままに運ばれることを選んだ。ただ、どうしても、聞こえてくる笑い声の主たちを睨み付けるのは、やめられなかった。
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目を開けると、ほんのり赤みを帯びた半影と、鮮やかな夕焼けでモザイク柄になった天井が見えた。身体を起こし、額に手を当てて、気を失う前のことを思い出そうとする。朦朧とする意識をどうにか立て直そうとしていると、消毒用のアルコールと甘酸っぱいような香りが混ざりあって、鼻をくすぐってくる。
「おや、目を覚まされましたね。霜中様」
しゃりしゃりとリンゴっぽい果物を剥きながら、ティネイン・マージメントがベットの横に座っていた。
「ずいぶん、無茶をなさっているそうですね。あまりこちらに顔を出されなくなって、司書長が退屈していますよ」
昼過ぎに始めた模擬戦で、八つ当たり気味に一般の魔法を使用して、結果、魔力枯渇に陥ってしまったのだ。迷宮から回復しきっていない疲労も相まって、夕暮れ時まで気を失っていたらしかった。
「それは、その……、すいません」
バツの悪そうに謝る倬に苦笑しながら、切り分けた果物を皿ごと寄越してくる。機械的にその皿を受け取り、一切れだけ口に運ぶ様子を微笑みを浮かべて見るティネインが、居住まいを正す。
「昨日の朝、私ども司書も、修行の地の調査内容と、霜中様がそこでの修行を求めている事について意見を求められました」
その言葉に身体を強張らせる倬。柔らかな表情を崩さないまま、ティネインは続ける。
「どうあっても行かれたいのですか?」
「……はい、どうあっても。です」
目の前の少年が思い詰めていることを理解して、軽い溜息をひとつ。立ち上がり、どこかわざとらし気に、畏まって言う。
「そう仰ると思っていました。……我らが王立図書館司書長、ノーベルト・W・ホンスキトの決定に従い、我々、司書一同、霜中様の修行に賛同、及ばずながら協力致します」
言い切ると、今度はやたらと分厚い書類を膝上の掛け布団に置く。恐るおそる倬がその書類の表紙を見ると、【祈祷師修行の地、及び祈祷師に関する調査の歴史研究における意義についての報告】等と言う矢鱈めったら長いタイトルが書かれている。ちらと目次を見ると、軽く二百ページは超えていた。
「……まぁ、元々は、司書長が図書館の予算を大々的に使う為に作成していたものだったんですが、思いのほか早く霜中様の役に立ったようで良かったです」
「それって………」
「先ほど、許可が下りたそうですよ。出直した伝令の者も、そろそろ様子を見に戻って来ると思います」
「で、でも、七日以上かかるって、メルド団長は……」
「自覚をお持ちにならないようですが、たった二週間足らずの内に霜中様が発見なされたことは、司書以外にとっても大変意義のある事だったのです。工房の研究者や職人、特に司書長と交流のある歴史学者などは霜中様がより高みへと至らんとしていることに喜びと期待をもって支持しています」
「そんな、自分は、結局、ただ面白がって調べてただけで、迷宮じゃ、肝心なところで、全然、役に立たなくて……」
狼狽える倬の頬を伝って、ぽたぽたと涙が零れていく。
「聞いたところによれば、メルド様やツェーヤ様が結託して、殆ど押し切る様にサインをさせたんだとか」
可笑しくてたまらない、と言う風に語るティネインは、倬をあやすかの様に微笑みを絶やさない。
「もしも、望まれるのなら、明日未明に出発する
それに対する答えなど、とっくに決まっている。落ちる涙をそのままに、倬はティネインの目を見つめ返す。
「十日も待ってられません、明日、王国を立ちます。…………本当に、こっちに来てから、皆さんには、お世話になりっぱなしで、何と言えばいいのか……」
「いいんです。……霜中様は“ただ面白がって調べてただけ”と仰っていましたが、私も、司書長もも、他の研究者達も、同じです。……確か霜中様の
ふんすっ、と胸を張って言ってのけるティネインに、倬の顔が三日ぶりにほんのりと明るさを取り戻した。
「“同じ穴の虫なー”はいいですね。あながち間違ってないかもです。正しくは“同じ穴の
あれ? そうでしたっけ? とおどけるティネインと、元々はあんまりいい意味じゃないんですけどねと苦笑する倬が、お互いに顔を見合わせて、くつくつと笑いあう。
聞き届けられた懇願が、無意味に終わるかもしれない可能性も未だ色濃く存在する。倬は心の奥底にある怯えが高まってしまっているのを自覚してしまう。後押ししてくれた人たちに、目の前の青年に、果たしてどれだけの恩を返せるのか、今の自分には分からない。
それでも、今は、今この瞬間だけは、共に笑いあえる彼の優しさに、甘えることに決めたのだった。
はい。霜中君は修行しに行きます。
将来的に南雲君と肩を並べるには、王国に居続けるわけには行かなかったのです。
本作主人公霜中君が原作主人公、南雲君とまともに会話できるまでかなり先と言いましたが、もっと言うとメイン所の原作キャラクターとのからみが見られるのが三十話くらい後になりそうです。
誰得な構成で本当に申し訳ないです……。