すたれた職業で世界最高   作:茂塁玄格

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お久しぶりです。どうぞよろしくお願いします。




月は愛の灯に徹するを求む 第二夜

 珍しい“響零岩”に取り囲まれ独特な静けさを持つ滝壺に、くぐもったような水飛沫の音と子供達の楽しそうな声が響く。

 

 “月の精霊様”からの「シスカとビーノの“きゅーぴっと”になって欲しい」との言葉に、倬は盗み見るように二人の様子を伺う。今も二人はヨークに教わった水切りに夢中だ。

 

 手当たり次第に石を拾っては滝壺目掛けて投げまくるシスカに対し、ビーノは石の選別に余念がないようで、しゃがんでいる時間の方が長い。二人の性格がよく出ている光景だった。ビーノはごく当たり前のように自分で見つけた石をシスカに譲っていたり、シスカはお礼にとビーノに投げ方のアドバイスをしていたりと、そのやり取りは実に幼馴染らしい。

 

『うーん、音々にはもう仲良しに見えるんだけどなぁ』

 

 倬の印象も音々様とそう変わらない。対称的な二人ではあるものの、相性自体は悪くなさそうに思えた。だが、二人の相性を確かめるより以前に、もっと重大な問題がある。

 

 ぶわり、風が滝壺を吹き抜ける。柔らかく湿った風はまるで泣いているかのようで。

 

『ぐすっ……、倬? “月の精霊様”との契約は潔く諦めましょう……。こんなの、倬には厳しすぎるわっ! 無理よ……、倬の恋愛経験なんて片想い以外ないんだから!!』

『風姫様、その通りなんですが、はっきり言葉にするのやめて下さいませんか』

『たかー、げんきだせー、なー? ひかりちゃんがナデナデしやるからなー?』

『そうそう、ふぅちゃん、たかはこれからだって思うよ?』

 

 涙を堪えて鼻をすする風姫様の姿がまた辛い。そんなに心配されていたとは思いもよらなかった。優しい妖精達が慰めてくれるものの、かえって惨めな気分になってしまうばかり。

 

『うふふー、“風”チャンってば倬チャンの事とっても大切に想っているのねー! 素敵!』

 

 “月の精霊様”は他の精霊が新たな契約者である倬と上手くやっているのを歓迎しているようで、“風の妖精”ふぅちゃんを撫でる手つきは慈愛に満ち溢れている。

 

 優しく撫でられて嬉しいのか、ふぅちゃんもご機嫌だ。

 

『まぁねー! ふぅちゃんはねー、たか、だーいす――』

『ッ?! こらっ、このっ! 余計な事をっ!』

 

 大慌てでふぅちゃんを羽交い絞めにする風姫様。真っ赤に染まった頬を誤魔化すようにつむじ風を残して自身の“寝床”に引っ込んでしまう。

 

『むふふふふー、もー、照れちゃってかわいいんだからー』 

 

 風姫様のリアクションに身悶えしつつ、満面の笑みを浮かべる“月の精霊様”。精霊様の自由な振る舞いには慣れている倬でも、“月の精霊様”の振る舞いには戦慄してしまった。何故かと言えば、へそを曲げた風姫様が八つ当たするのは、倬か弟の雷皇様だからである。

 

 後々の心配をする倬と雷皇様に代わり、“月の精霊様”が子供同士の仲を取り持つのを願う理由に首を捻るのは火炎様と海姫様だ。

 

『まぁ、我が友に色恋の経験が足りないのは脇に置くとして、どうなんだ。俺にはあの二人から特段何も感じんのだが……』 

『あぁ、それはぼくも気になっていた。ミュウのように“カン”が優れている様子もないしな』

 

 現代トータスにおいて地上に残った精霊が契約外の人の子に関わるとしたら、“寝床”と関係が深い人物だったり、精霊を視る“カン”を持っているか、あるいは天職に“祈祷師”や“霊媒師”を発現している場合くらいなものなのだが、シスカとビーノはそのどれにも該当しない。

 

 “月の精霊様”の何らかの性質に由来して二人が重要な存在であるとしたら、“精霊祈祷師”の倬は色恋沙汰が苦手などと言っていられなくなる。

 

 だからこそ、倬も“月の精霊様”からの返答を黙って待ったのだが。

 

『……だってだって、あの二人、じれったいんだものー!』

 

 全身をくねらせながら言い放った理由は、ただの“お節介”。

 

『“じれったい”、ですか……?』

『えっと、えっとー……。そ、それよりも倬チャン? ちょーっとお天気が心配だし、日が暮れる前に二人を麓の村まで送ってあげましょー?』  

 

 答えを誤魔化した“月の精霊様”は、星空を湛えたような黒のドレスを翻し、そのまま滝をなぞるように飛んで行って姿を(くら)ませてしまう。

 

『え……、“月の精霊様”っ?』 

 

 どうやら“お願い”の理由には触れたくないらしい。もしかしたらそれ自体が契約を受け入れる為の条件なのかもしれない。

 

 あっけにとられる倬の視線の先では、空姫様が天を仰いで控えめに溜息を零す。空姫様が知る普段の“月の精霊様”とは様子が違うのだろう。

 

『霜様、なんだかごめんさいね~』

『いえ、空姫様が謝られるようなことでは。何か言えない理由があるのかもしれませんね』

『そうね~……。そうかもしれないわね~……。えっとね、霜様、お天気が心配なのは本当よ? ね、霧司様?』

『……うん。……東の方、雲が、厚い。今夜は土砂降り、かも、だぞ』

 

 普段よりも濃く、真っ白になっている霧司様に言われて空を仰ぎ見れば、東に大きな積乱雲が浮かんでいた。かつて“雲の妖精”だったこともあって、霧司様の“天気予報”は良く当たる。先に子供達を村まで送った方が良いのは間違いなさそうだ。

 

 必要な調べものを終えた事にして、小さく手を上げヨークに合図を送る。

 

 その合図に真っ先に気付いたのはシスカだった。幾つも抱えていた石を放り投げて、タックルをかますかの如き勢いで飛びついてくる。中々のお転婆っぷりに倬もタジタジだ。

 

「おっとと……、危ないなぁ」

「えへへ。たか様!! お仕事終ったんですか!」

「うん、今日のところはこれくらいで。村まで送っていくから案内してもらっても?」

「はい! パパとママとお爺ちゃんとおばあちゃんにご紹介しますね!」

「いや、そこまでは……」

 

 危ないところを庇ったとはいっても、大事(おおごと)になるのはやはり避けたい。どうやって断わろうか思案していると、ローブの裾をビーノに引っ張られた。

 

「あの、僕のママとパパにも……。ママもパパも、お礼しなきゃって言うと思うから……」

(なんだろう、この感じ。“お礼しなきゃいけない”って変な気負いがあるような)

「まぁまぁ、倬ノ助、礼は受け取っておくもんだ。遠慮するこたぁあるめぇよ」

 

 子供達の後をゆっくり歩いてやってきたヨークが、ビーノの肩を優しく揉みながらニカッと笑って白い歯を覗かせる。どこか含みのあるヨークの言葉の真意について、刃様から“念話”が送られてきた。

 

『主殿、もしも二人が相応に高い身分だった場合、礼を受け取らない方が無礼になり得るそうでござる』

『身分、ですか?』

 

 すっと視線を向けると、ヨークはおどけた調子で肩を竦めてみせた。あくまでも可能性として頭に入れておけとでも言いたいのだろう。現状、ヨークの意見を否定する根拠もない。頑なに招待を拒むのも不自然ではあるので、倬はとりあえず態度を保留しておく。

 

「それじゃあ、挨拶くらいはさせてもらおうかな」

「やった! じゃあたか様! 早く行きましょう! こっちよ! こっち!」

 

 ハイテンションで駆け出したシスカと、シスカを追いかけるビーノ。

 

「あぁもう……っ! シスカちゃん、あんまり走ったら危ないってばっ!」

 

 不安定な足場でもお構いなしで走ろうとする子供二人の手をしっかり掴んで、一行は滝壺から離れ、崖沿いの小道を抜け、丸々とした石が敷き詰められた小川に沿って山を下っていった。

 

 霧雨に濡れた木々から落ちる滴が、雨避けに展開した風系魔法“天幕”の結界をつたって水溜まりへ落ちる。

 

「この魔法、初めて見た……」

 

 四人をすっぽり包み込む“天幕”の中、空気の()に触れて、ビーノは瞳を輝かせる。しばらく散髪していないのか目を隠してしまっている前髪を(しき)りにいじり、倬の魔法が繰り広げる光景に夢中だ。

 

 ビーノの呟きに、何故かヨークが自慢気に解説している。

 

「これくらいなら俺にも出来るっちゃ出来るが、こうやって移動に合わせて動かすのは適正無いと面倒だかんな。すげぇだろ」

「うん、綺麗だと思う……」

 

 そんなビーノの後ろ姿を倬の腕にしがみ付いたまま見ていたシスカは、幼馴染の伸びすぎた前髪に「みっともない!」とご立腹である。

 

「あーっ、もう! みてらんないわ! ちょっとビーノこっちきて!」

 

 斜めがけにした小さなポシェットから革紐を取り出して、ビーノに迫るシスカ。これに気付いたビーノがイヤイヤと首を振った。

 

「いいよっ、やだよ、そんなので髪まとめるなんて女の子みたいじゃんかぁっ」

「ならとっとと髪切ってもらいなさいっ!」

「だって、めんどくさい……」

「黙って座って切ってもらうだけじゃない! ビーノのお家なら“うさぎ”にいつでも切ってもらえるでしょ!」

 

 子供らしい高い声で言い合う様子は倬にも精霊達にとっても心を和ませる光景だ。普段ならば微笑ましいと思うだけでいいのだが、“月の精霊様”からのお願いもあり、ちょっとしたやり取りが気になって仕方がない。

 

 二人に先導してもらい岩場を削って道を通した“切通し”を抜けると、柵と幾つかのベンチが備え付けられた場所に出た。シスカによると、ここは麓のアスボス村を一望できる展望台になっているらしい。

 

 柵の上にはついさっき姿を消した“月の精霊様”がちょこんと座って、ひらひらと手を振っている。

 

『倬チャン、皆ー、こっちよ、こっちー。とっても綺麗よー』

『“お月”様ってば、本当に“まいぺーす”なんだなぁ。“これには治優も苦笑い”』 

 

 ここまで姿を消したままだったことに悪びれる様子もない“月の精霊様”に殆どの精霊がやれやれといった表情を浮かべつつも、誘われるがまま柵に向かって飛んでいく。

 

 中でも森司様と土司様はなんだか村の様子に興奮しているらしかった。

 

『むむっ! 倬、この土地は中々興味深いな! 雨が多い土地と聞いていたが、畑で揺れているのは殆どが(ファリヴ)だ! ここ以外の山が見渡す限り草原と言うことは、余程大規模な放牧が行われているんだろう! これは“樹海”では中々お目に掛かれないぞ!』

『うーむ、水捌けの良さは響零岩や零石の影響かのぅ! あれは土の水捌けをぐんと良くする効果があってのぅ! なるほど、それで雨が多くとも(ファリヴ)が元気に育つのか!』

『ふふふー、お二人がこんな気に入ってくれるなんて、なんだかアタシまで嬉しいわー。この辺りはねー、雨が多くって山の形とか川の流れが何度も変わっててねー?』

 

 興奮する二人の様子に“月の精霊様”もご満悦だ。どこからともなく小さな旗を取り出し、フリフリ振って点呼をとり始める。

 

『ではでは、穀倉地帯アスボス観光“つあー”にご参加の精霊と妖精チャンはこちらに集まってー』

『なんだなんだ、面白そうじゃん。かーくんが一番乗りだぜ』

『むむっ、一番はオレだぞ! らいくんだぞ! かーくん、割り込みは()()()()ぞ!』

『はーい、ケンカは“メー”よー。うふふー、皆用意は良ーい? “出発、おしんこー”?』

『『『『『つっちー! “セロリの浅漬けー”!』』』』』 

 

 “月の精霊様”を先頭に、ぞろぞろと山を降りていく精霊と妖精達。主につっちーのハイテンションには、倬もついていけなかった。

 

 観光“つあー”の出発を見送った倬にとっても、精霊を惹き付ける土地と聞けば無関心ではいられない。マグレーデ大学の図書館でこの辺りの地理条件について勉強したのもあって、ちょっと楽しみではあったのだ。

 

 倬のそわそわを感じ取ったのか、シスカは俄然やる気を漲らせて手を引っ張り、展望台の上に建てられた(やぐら)に連れて行こうとする。

 

「ほらほら、たか様! こっちよ! あそこからの眺めがとっても綺麗なの! パパはね、ここでママと結婚の約束したんだって!」 

「シスカちゃん、あんまり引っ張ると危ないってばぁ」

「もうっ! ビーノってば邪魔しないで!」

「違うもん……、僕、邪魔じゃないもん……」

 

 どうにもシスカはビーノに心配されていること自体が気に喰わないらしい。

 

 幼馴染から邪険に扱われているのを不憫に思ったのか、ヨークはビーノの背後に回り、ひょいっと抱き上げて肩に座らせる。

 

「ほれっ、ビーノ、お前はこっちだ」

 

 十歳児を肩車するのは結構大変な筈だが、そこは金ランク冒険者、全く体幹がブレない。

 

「ひゃぁっ、高い……!」

「痛ぇ、痛ぇ、髭掴むな」 

 

 高さに怯んだビーノに髭をひっぱられてもなんのその、ヨークは軽やかなステップを踏みながら櫓の階段を登っていく。

 

「むぅ……」 

 

 頭の上に“ぐぬぬっ”と文字が浮かんでいそうな表情で唸るシスカ。肩車が羨ましいのかもと、しゃがみながらシスカに声をかけてみる。

 

「シスカちゃんも乗る?」

「へ、平気です()っ! シスカはちゃんと歩けますもの!」

 

 やせ我慢のせいかシスカの口調が不自然なお嬢様言葉になってしまった。

 

「そんな我慢しなくていいのに」

「いいのっ、私達も行きましょっ!」

 

 強がるシスカに手を引っ張られるまま登った櫓からの景色は、まさしく大パノラマ。

 

 雲の切れ間から降り注ぐ陽光に照らされる麦穂と、四方を取り囲む山まで覆う青々とした草原が、風に揺れて波を打つ。

 

 倬達が立つ山の両端から流れ込む川が村の中央で合流し、再び枝分かれして“X”を描くように南へ向かって伸びていく。

 

 手つかずの大自然とはまた一味違う壮大さが、確かにアスボスにはあった。

 

 まず目を惹かれたのは、村の中心に建てられた木造の大きな屋敷。この屋敷を始点にレンガを敷き詰めた道が一本の大通りとなっていて、周囲の畑を縫うように張り巡らされた畦道や、川を渡す沢山の橋がアスボス村独特の景観を産んでいる。

 

 村の中にはかなり広い空き地があり、傍には沢山の建築資材が積み上がっていた。今まさに大規模な開発の真っ只中といった印象のアスボス村と、あちこちで草を()(ヴォグー)や馬の姿が対照的だ。

 

 この一見するとチグハグにすら見える様相が、この土地と人々の営みの歴史を雄弁に物語っていた。

 

「ほぉー、こりゃ壮観だなぁ、倬ノ助!」

「大陸有数の穀倉地帯ってのは聞いてましたが、いざ目の当たりにすると凄い規模ですね」

「えへへへ。……“おほんっ! ここアスボス村は(ファリヴ)を始めとする穀物に、馬や(ヴォグー)(ヴルコ)といった家畜の生産を担う”……えーっと」

「……“大陸随一の大農村なのであります”ってシスカちゃんのお爺ちゃんが」

「おー! 二人ともよーく勉強してんなぁ」

 

 展望台からの眺めに感動する倬達を見て、シスカとビーノがくすぐったそうにはにかむ。

 

「なら、どうだ? ギルドはどの建物か知ってるか?」

「えっとね、ほら、あそこ! 真ん中にある私のお(うち)にあるよ!」

「あぁ、あのデカい屋敷か。……んん? “私のお家にある”?」

「えっと、シスカちゃんのお爺ちゃん、村長さんで。シスカちゃんのお家、村役場なんです。えと、なんか“()()()()()な村役場”にするからギルドの職員さんと“保安官”さんも一緒にいてもらおうってパパが」

「おいおい、聞いたか倬ノ助。シスカのお爺様、村長なんだってよ」

 

 シスカが村長の孫娘だと聞いて、ヨークは得意気な顔をみせる。子供達の振る舞いから“育ちの良さ”を感じ取ったヨークの勘はあながち間違っていなかったようだ。

 

「ね、ね、たか様! 早く私のお家に行きましょ!」

「あの、それなら先に僕ん家に、すぐそこだから……」

 

 この展望台から村までの坂道はそれなりの距離があり、勾配も急だ。ビーノが“すぐそこ”と言える程の場所に民家なんてあるものなのか不思議に思い、倬が聞き直す。

 

「“すぐそこ”って――。ん……?」

 

 その時だ。精霊契約を重ねてきた倬が驚くほどの速度で坂道を駆けあがってくる気配を察知した。気配の移動速度は、“つあー”中の“雷の精霊”雷皇様も目を見張る程。

 

『人の子にしては随分と速い。この急な坂道を飛び跳ねるが如くだ』

 

 並みの“冒険者”では魔法を使っても追いつかないだろう速度で移動し続けるその気配は、雷皇様の言う通り、あちこち飛び跳ねるようにしてこちらに迫ってくる。

 

 それは遂に展望台を囲む茂みから飛び出してきた。勢いを殺せず、ゴロゴロと地面を転がっているのは、黒を基調にした衣装――由緒正しき“メイド服”だ――に身を包む女性だった。

 

「あだっ、()たたっ! ()っつぅぅ……。……はっ! ビーノ様、シスカ様も!! やっと見つけましたぁ!」

 

 痛みに歪んでも美しさを損なう事の無い整った顔立ちに、艶やかな小麦色の長髪。そして、頭の上に伸びるふわふわの長い耳――兎人族の特徴だ。そんな彼女ががばりと顔を上げれば、重々しい金属製の首輪がガチャリと音を鳴らした。

 

 喜色ばんでぴょんぴょんと軽やかに櫓の階段を駆け上る兎人族の女性は、息を整えながらビーノとシスカを抱き寄せる。

 

「はぁ、はぁ……。ご無事で何より。あの、お二人とも? そちらの方々は一体……?」

「……ちょっと、トア痛いわ。たか様は命の恩人よ! 失礼な態度はよしなさい!」

「命の恩人、ですか……?」

「うん。あのね、トア――」

 

 かくかくしかじかとビーノから倬との出会いについて説明を受けるトア。聞かされた内容に、顔色はみるみる内に真っ青になってしまう。

 

「が、崖から落ち……っ、小鬼(ゴブリン)に襲われて……?! あぁ、なんてこと……! ビーノ様をお救け頂いたこと、ノヴィコタル家に仕える奴隷として、心より感謝申し上げます」

 

 トアは跪き、額を地べたに押し付けるようにしながら感謝の言葉を捲し立てた。

 

 土下座よりも更に深く、這いつくばるような敬礼を目の当たりにして、倬の方が恐縮してしまう。

 

「あの……、いや、依頼(クエスト)でたまたま通りがかっただけなので……」

「ま、倬ノ助はともかく、俺にまで頭下げるこたぁねぇな。俺、マジで何もやってねぇしよ」

 

 “冒険者”二人の偉ぶらない態度に小さく胸を撫でおろして立ち上がったトアは、チラチラとビーノを気にしつつ、悩まし気な表情を浮かべる。

 

「では、まず村役場に向かわれるのですか? その……、本来なら私がご案内して差し上げたいのですが……」

「あの、トア? 僕これからお兄さんと一緒にシスカちゃんをお家まで送ってあげなくちゃ行かなくて。ほらっ、女の子を一人で家に帰すような事はしちゃいけないってパパが!」

「ビーノ様、お願いします。奥様には私も一緒に謝りますから……」

「あぅ……、分かった、分かったよ……。ママ、そんなに怒ってた?」

「それはもう……、叩き起こされたドラゴンもかくやと言わんばかりに……」

 

 がっくりと肩を落とすビーノと、ウサ耳をしおれさせるトア。ビーノの母親は怒ると相当怖いのだろう事が二人の様子だけで伝わってくる。

 

「案内なら私がいるんだから平気よ! おばさまが待ってるんでしょ? さっさとビーノを連れて帰ったらいいわ!」

「あう……、そんな邪魔者にしなくたって……」

「つーん!」

「また“つーん”なの……? ねぇトア、“つーん”ってなぁに……?」

「ええっと、なんと言ったらよいものやら……」

 

 ぞんざいな扱いを受けるビーノを慰めようと、ごく自然に頭を撫でるトア。実に親し気で、微笑ましい光景だ。

 

 だが、その重たそうな首輪から倬は視線を離せなかった。大陸中を飛び回って旅を続けてきたが、奴隷の存在を当たり前に受け止めている子供達の様子に、今更ながらショックを受けてしまったのだ。

 先日まで滞在していたマグレーデでも奴隷として働かされている亜人族と関わる機会は少なからずあった。ただ、子供と奴隷の組み合わせというのが初めてで、改めてカルチャーショックを感じてしまったのだろう。 

 

(……いけない。フューレンでもマグレーデでも、何度も見てきたってのに)

「おう、倬ノ助」

「うお……っ。なんです?」

 

 気分が落ち込みかけたところに、ヨークが突然倬の首に腕を回してきた。ライオンの(たてがみ)のような髭が頬に触れてくすぐったい。

 

「見ろよ、“メイド服”だ。珍しい」

「え? マグレーデではたまに見かけましたけど……?」

 

 トータスにおける使用人の服装には様々な種類があるが、日本人が思い浮かべるような“メイド服”によく似たモノも存在し、広く普及している。【グリブ童話】で“眼鏡カラス”と“マフラー鼠”が仲間の雌猿モレディに着せようとしていたのも、同じタイプのモノだ。

 

「あー……、倬ノ助にゃあ分かんねぇか。兎人族とか猫人族とかにあの手の服を着せる趣味ってのは珍しくもねぇわけだが、普通にメイドだけやらせる家なんかそうそうねぇんだよ。大概は脱がせやすいように細工したモンを着せんだ。だってのにビーノんとこの兎人族のは、雇いの使用人に支給するような正式な“メイド服”だ。ちゃんと仕立てた“メイド服”ってのは丈夫でよ、良い雰囲気になっても脱がすの凄ぇ面倒で。ガキの頃一度、もたもたしてるうちに萎えちまってなぁ……。チッ、嫌な事思い出しちまった」

「へぇ、その嫌な想い出を聞かされたこっちの身にもなって貰えませんかね?」

『そうね! もっと詳しく聞かせて貰わないとよねー!』

 

 ヨークを払いのけようとする倬の腕を抑えて、瞳をランランと輝かせて“月の精霊様”が割り込んできた。が、すぐさま空姫様に連行されてしまう。

 

『“月の精霊”ちゃんは“つあーがいど”さんなんでしょ~、戻ってきましょうね~』

『いーやー、空姫チャン! 放してーっ。男の子だけで楽しそうなお話してるのズルいじゃなーい!』

「……なんつーかよ、見てて飽きねぇ精霊様だな。“お月様”は」

「“祈祷師”としては返事に困るなぁ……」

 

 ヨークの与太話を聞きたがった“月の精霊様”にあっけにとられた事で、モヤモヤしていた気分もどこかへ吹き飛んでしまった。

 

「あの……、“冒険者”様方、よろしいでしょうか……?」

 

 倬の気分が切り替わったタイミングを見計らったかのように、トアがおずおずと話しかけてくる。奴隷の身分で初対面の人間族に話しかけるというのは、倬が思うよりもずっと緊張するものなのかもしれない。

 

 少しでも怖がられないように、優し気な声音を意識して。

 

「さて、ビーノ君の為にも急いだほうが良さそうですね。トアさん、先導お願いできますか?――」 

 

~~~~~

 

 悠に三メートルは超えるだろう巨大な門の前で、倬とヨークはあっけにとられている。ここは展望台から五十メートルちょっと坂道を下った先に山を削って建てられたビーノの家――ノヴィコタル家正門前だ。

 

 鉄格子の隙間から、山の急斜面を抉るように建つ二棟の洋館が見える。立地の影響か庭こそあまり広くはないが、そこに咲き誇る草花から庭師の丁寧な仕事ぶりが伺えた。

 

「お兄さん、また会える?」

「きっと。少しの間、村で仕事しようと思ってるから」

「ちょうどこの山に小鬼(ゴブリン)共が湧いてるって分かったとこだしなぁ。“巣”は潰しとかねぇと」

「よかったぁ……。それじゃあ、あのっ、シスカちゃんのこと、よろしくお願いします!」

 

 ぺこりと頭を下げて、ビーノはまるで逃げ出すように館へ駆けていく。

 

 ビーノが突然走り出したのに驚いたトアはウサ耳をピンと立て、あわあわと慌てるのを隠せないまま、深いお辞儀を繰り返した。

 

「あぁ、どうなさったのですかビーノ様……っ?! えぇと……、お二人の事は私から主に伝えておきますので、どうかお気を悪くなされないよう……」

「いえいえ、気にしてませんよ。理由の見当は付きますし」

「むぅ、ビーノの癖に子ども扱いして……っ」

 

 今の台詞がシスカを苛立たせてしまうのをビーノは知っていたのだろう。それでも、倬に頭を下げてシスカを無事に帰してくれと願った。小鬼(ゴブリン)に襲われていた所を目撃しているわけだから、心配でしかたないのも理解できる。

 

 だが、シスカの方はビーノに心配されているのが悔しいらしく、倬の腕を引っ張って放さない。シスカもまだ十歳の女の子。難しい年頃なのだ。

 

「さ、さ、たか様! 早く! 今度こそ早く私の家に行きましょ!」

「あ~……、シスカちゃん? ゆっくり行こうか?」

 

 ノヴィコタル家の門から村の入り口までの道は、大型の馬車が何とか一台通れるくらいの幅で、急勾配を何度も折り返して続いていた。(わだち)に足をとられそうになるシスカが転ばないように手を繋いでゆっくり山を降りれば、ようやくアスボス村に到着だ。

 

 村のあちこちにはレンガ等の建築資材が積み上げられている。今はまだ木造の家屋が多い素朴な農村といった風情が残っているが、これから立派な建物が増えていくのだろう事が予想できた。

 

 村の居住地を囲う柵の外、男二人――人間族と猫人族の組み合わせだ――が麦畑で実りの様子を確かめているのとすれ違う。 

 

――旦那、やっぱ様子が変だ。この辺、萎れてんのばっかだ――

――ん、こっちもだ。……カビもない。虫食いでもない。何だと思うよ?――

――あとは土でしょうか。他には……、雨とか――

――ここいらには盛り土してなかった筈だから、雨が多過ぎたのが悪かったかねぇ――

 

 聞こえてきた内容が関係あるのだろうか、なんだか村全体の雰囲気が暗い。

 

 小川を横目に村の中心へ歩いていると、大きな屋敷の前に人だかりが出来ているのが目に入る。

 

「シスカちゃん、あそこが村役場であってる?」

「うん! また急な“寄合”かも!」 

 

 急な“寄合”が何度も行われているような言い方に、ヨークが髭を撫でて思案顔を浮かべる。何らかのトラブルが発生しているのなら、内容次第では“冒険者”の出番もあるかもしれないと考えているらしい。これも職業病の一種と言えそうだ。

 

「おじいちゃーん!」

 

 村役場前の広場で大勢の村人達に囲まれている老人に向かって、シスカが大きな声で呼びかけた。たった一声で、村役場前の雰囲気がパッと明るく変わる。

 

「お? おぉ! シスカ!」

「お爺ちゃん、皆も、どうかしたの?」

「はぁ~、“どうかしたの?”ではないよ、シスカ。勝手にダンスの稽古を休んだと聞いて心配していたんだぞ」

「うっ、ごめんなさぁい。……皆が集まってるの、私のせい?」

「いいや、皆には仕事で集まってもらってた所だ。シスカ、お前も聞いてなさい」

「あ、あのね! お爺ちゃん、その前に――」

「シスカ、静かにしなさい。そう長くは掛からないから」

「はぁい……」

 

 すぐにでも倬の事を話すつもりでいたシスカだが、村長たる祖父の真剣な声音に今は押し黙るしかないようだ。

 

 ギルドの出張所は村役場の中にある。すぐにスライム封印の報告を終えたい所だが、“寄合”の最中に分け入ってギルドの受付まで向かうのはいささか気が引ける。先程聞こえてきた畑での会話とも関係があるかもしれないと、そのまま“寄合”を見学させてもらう事にした。

 

 “寄合”の内容は、麦の生育不良と、放牧している家畜の病気について。なんでも、村周辺の畑で麦が次々と萎れ始め、多くの家畜で嘔吐を繰り返す病気が蔓延しているのだという。

 

 不作と家畜の病気が重なるのはアスボス村では今まで無かったようで、マグレーデ大学新キャンパス建設に向けて村の整備に資金を費やしている為に、村人達は生活に悪影響が出るのではと心配しているのだった。

 

「こりゃ、俺様の出る幕じゃなさそうだな。さて、倬ノ助ならどうする?」

「村の皆さんには申し訳ないですが、再生魔法で“ズバッと解決”するわけにはいかないので……」

 

 変成魔法や再生魔法で問題を解消する事は容易かろうが、神代魔法を衆目の中で使用するのは得策とは言えまい。手助け出来る力を持ちながら全力を尽くせない事に心は痛むものの、倬の最終目標は“エヒト神との対峙”だ。抑えるべきところは抑えなくてはならない。

 

 手を貸すにしても現代トータスにおける常識の範疇に納める必要がある。使えそうな魔法がないか手帳をめくっていると、パッと大きな葉っぱで視界を埋め尽くされた。

 

 “森の精霊”森司様が傘のようにして常に持ち歩いてる葉っぱだ。葉っぱの下から、森司様の“念話”が届く。

 

『この辺り一帯の畑を見てきたぞ。あれらの異常は“魔害”によるもので間違いない』

『うむ、土に魔物の糞尿やら血やらやたらに混ざっとるようだのぅ。随分と“毒気(どくけ)”が濃いようだ』

 

 足元にぷるんと揺れる土司様も、土壌の汚染状況を伝えてくれる。

 

『はーい! 治優は牛さんとお馬さん診てきたよー。やっぱり“魔害”で辛そうなの。早く元気にしてあげたいんだけど……』

 

 アスボス観光“つあー”中だった“癒しの精霊”治優様も、この土地で発生している異常を感じて戻ってきてくれた。“魔害”とは、魔物の老廃物や血液、死骸に残る“変質した魔力”によって土壌が汚染され、作物の生育に異常をきたす状態を言い表す古い言葉であるらしい。

 

 本来、トータスの大地において魔物の糞尿や死骸は少なからず混ざり込んでいるもので、通常であれば作物を枯らすほどの影響が出ることは滅多にない。“魔害”が発生するのは大量の魔物を一度に狩って死骸の処理を怠たるなどした後、多量の雨水によって“変質した魔力”が“毒気”となって漏出したのが原因とされる。

 

 近くの小川から飛び出してきた海姫様もビー玉状に丸めた川の水を摘まんで、アスボス村で発生している“魔害”の深刻さを教えてくれた。

 

『雨が一度に大量の“毒気”を川に流し込んだのがきっかけだろうな。これが癒えるのを自然に任せていては、かなりの時を要するぞ』 

 

 精霊達から伝えられた“魔害”の元凶に、ヨークと倬は心当たりがあった。二人は共に活動する中でずっとそれらと戦ってきたのだ。

 

「なぁ、倬ノ助、その糞撒き散らした魔物ってのはよ、やっぱあれか?」

「……小鬼(ゴブリン)、でしょうね」

 

 マグレーデ周辺で討伐されないまま放置され、数を殖やし続けていた小鬼(ゴブリン)達。これらが日々排出する大量の老廃物が“魔害”を引き起こしているとみて間違いないだろう。

 

「んじゃあれだな。宿と飯の()()ぐらいで手ぇ打っておくか。倬ノ助、あんまり張り切んなよ?」

「はい……?」

 

 ふむふむと聞いていたヨークが、ひらひら振りながら手を上げる。倬にだけ聞こえる様な小声はなんだか悪だくみでもしているかのようである。

 

「あーー、ごっほん! ちょいとすまねぇ! 今しがた依頼(クエスト)終えて来たばっかの“冒険者”なんだけどよぉ!」

 

 “寄合”に集まっている全員が一斉に振り返り、驚きと胡乱気な視線をヨークに向ける。真面目な話の最中に“余所者”が割り込んできたのだから当然の反応だ。

 

 村人達からの視線を物ともせず、寧ろ楽しそうですらあるヨークは上げていた手を倬の肩に落として続けた。

 

「村の異変とやら、俺の相棒に調べさせてみてぇんだが、どうだ?」

 

 自信満々言い切ったヨークの視線は村長に向いているように見せかけて、その隣、村長の孫娘シスカに向かっていた。

 

 ヨークの目配せに気付かないまま、村長は咳払いをしつつ首を横に振る。アスボス村は“冒険者”を始めとする殆どの旅人にとって、あくまでマグレーデやヘルシャー帝国などに向かう為の中継地の一つでしかない。“冒険者”とは大抵が戦闘系の天職持ちで、仮に“治癒師”だとしても農作物については専門外なのだ。

 

 声を上げてくれた“冒険者”の機嫌を損ねまいと、村長は言葉を尽くして断わろうとする。

 

「……あぁ、“冒険者”殿、お気持ちはありがたいが、作物や家畜達に回復魔法の類は一通り試したところでして――」 

 

 ヨークの視線の意味も、その思惑も、まだ十歳のシスカには分からない。だが、これはシスカにとって絶好のチャンス。ようやく“運命の人”との出会いを聞いてもらえそうだと、祖父の腕にしがみ付いた。

 

「お爺ちゃん! お爺ちゃん、あのね! あの“祈祷師”のお兄さんにね、私、小鬼(ゴブリン)から助けてもらったの!」

「シスカ、落ち着きなさ――。……小鬼(ゴブリン)から? シスカ、今、何と?」

「だからね! たか様は命の恩人なの! お爺ちゃん、“祈祷師”さんってどんな天職か知ってる?」

「お、おぉ、“きとうし”? “きとうし”だな! 無論、村長のじいちゃんは知ってるとも! そう、あれだ……、えー、教会の聖歌隊に所属される方々が多く、“祈り”によって魔法の効果を高める事が出来てだな……」

「? お爺ちゃん、それって“聖祷師”さんじゃなかったっけ?」

「お、おぉ……、ホントだな、響きが似てるもんだからてっきり……。ってそうじゃない。シスカ、さっき小鬼(ゴブリン)がどうとか――」

 

 孫娘の言葉に、村長としての立場を忘れかけるシスカの祖父。

 

 村長の意識が“とりあえずのお断り”から逸れたのを“金ランク冒険者”ヨーク・M・S・サルニッケは見逃さない。

 

「ま、たまたま居合わせただけの“冒険者”なんざ信用ならねぇってのは分かる」

「あ……、いやいや、そんなつもりは」

「だからよ、これ見てから話聞くかどうか決めてくれねぇか」

 

 ヨークが掲げたのはスライムを封じるアーティファクトである壺から外れた封印の証。

 

 村長が驚きに目を丸くし、村人達がざわつく。村長は当然、村人も封印の証について知らされているようだ。

 

「なんと……!!」

 

――あれ、村長とサビノ様が言ってたアーティファクトの証じゃねぇか――

――ってことは、例のスライム退治したってか?――

 

 村長は血相を変え、大慌てで村役場の扉を開け放った。大声でギルド職員を呼びつけ、封印の証と依頼を受けた“冒険者”について確認をとる。

 

 そこから先の展開はトントン拍子の一言に尽きる。

 

 ヨークがスライム討伐依頼からここに至るまでの経緯をざっと説明し、村を襲う異変の調査と対処の一部について依頼として引き受ける事が決まった。“対処の一部”としているのは、先祖代々土地を守ってきた村人達にとって“余所者”が土地を弄る事に、少なからず抵抗を感じてしまうのが一番の理由だ。

 

 この制限は倬にとっても都合が良い。村人やギルドの職員が見守る中、神代魔法などで問題を一瞬で解決してしまえば、その噂はいずれ教会にも届きかねない。教会に目をつけられるのを極力避けるのに、この条件は双方にメリットがある。

 

――いやはや、かの“邪剣”ヨーク様と我が村でお会いできるとは……。ヨーク様が太鼓判を押される魔法師様ならば間違いないでしょうとも。ええ!――  

――ははは! 安心してくれ、村長。倬ノ助に言わせっと“祈祷師”ってのは何でも屋みたいなもんらしくてな。この手の仕事もお手のもんよ!――

 

(“お手のもん”ってまた適当な……)

『まぁ、僕らがいるんだ。あながち間違ってはいないだろう』 

『それは、まぁ……。でも実際のところどうでしょうか、森司様。この(ファリヴ)、属性魔法での回復は可能でしょうか?』

『既に萎れている麦については今から癒したとしても使い物にはならないな。それよりも“魔害”の影響をこれ以上広げない方を優先すべきだろう』

『となると、汚染が広がった原因をどうにかしないとですね』

 

 “魔害”の根本的な原因は小鬼(ゴブリン)の増加だが、直接的な原因は汚染された土の利用にある。山に潜む小鬼(ゴブリン)の糞尿が川を汚しても、川が流れていくなかでその“毒気”は弱まり、害を及ぼすほどの濃度にはならない筈なのだ。

 

『つっちー! やっぱこれだなー』

『つっちー! こっちばっちぃなー』

 

 村役場から川を隔てて東側、畑を潰した広い空地に移動する。そこには巨大な看板が設置されており、少々過度に思えてしまうほどに美麗な建築物の絵が描かれていた。

 

 この空地こそがマグレーデ大学新キャンパス建設予定地なのだ。村長に確認したところ、近場の山を削った土を運び込んで造成してから二ヶ月程らしい。

 

 看板の前で土に触れる倬の傍ではシスカが期待の眼差しを輝かせている。そんなシスカの頭の上にはいつのまにやら“月の精霊様”も座っていた。

 

「たか様、これからどうするの? どうするの?」

『んふふー、アタシも気になるわー!』 

 

 これからやる作業には、造成を終えたばかりの土地を再び掘り返す必要がある。一度、村長に視線を移し、合図を送る。

 

 ゆっくりと頷く村長に頷きを返して、錫杖を揮う。使うのは、現代の“祈祷師”が誇る最高に地味な土系魔法。

 

「我、この身と繋がる大地へ、柔らな息吹抱かんと、祈る者なり、“鋤入(すきいれ)”」

 

 さわさわと土が音を立てて盛り上がり、ふんわりと空気を含むように掘り返されていく。これが“鋤入”、“地面を軽く掘り起こす”だけの魔法である。

 

 軟らかく耕した土に触れて、出鱈目な詠唱をしながらステータスプレートを眺める。鑑定系の魔法を利用するフリをしつつ、精霊達に助言を願う。

 

『このまま土を撤去するのが一番手っ取り早いんですが、範囲が広すぎますね』

『土を捨てる場所も考えねばならんからのぅ』

 

 “魔害”に汚染された土地の対処として最も有力なのは、汚染された土の撤去だ。だが、これには土司様がいう通り、廃棄場所の選定を慎重に行わなければ別の場所に汚染が広がってしまう可能性がある。その上、大学のキャンパスを建てる為に造成された土地の規模は縦横五百メートルを超えているのだ。これほどの土地から土を撤去するのは魔法を利用するとしても現実的ではない。

 

『………………“毒気”を薄めるしか、ないけど、な』

『うーむ、俺には穢れていない土を足すぐらいしか思いつかんが……』 

 

 魔物の糞尿や血液による“毒気”は微生物や植物によって時間をかけて分解されていくものだ。今回はその量が多かったが故に“魔害”が発生している。自信なさげな火炎様の呟きだが、土を足して“毒気”の濃度を下げるのは現実的な対処としてあり得るものだ。

 

『ふむ、混ぜる土に一工夫が必要かの。どうだ、治優、森司よ』

『はい! 光后様がお清めした土ってどうかな?』

『“光の精霊”の魔力を土に混ぜ込む、か。魔物の身体で歪んだ魔力に抗する手としては有りかもしれない。後は……、そうだな、この場所でも(ファリヴ)を育て、“毒気”を引き受けて貰えば、川への流出も抑えられるだろう』

『なるほど……。実りは無くても枯れてないですもんね』

 

 (ファリヴ)の生育不良に悩まされているアスボス村だが、“魔害”によって萎れて実りはなくとも枯れている様子はない。この土地で受け継がれてきた麦は“魔害”に抗して、今も懸命に根を張り続けている。

 

『主殿、この辺りの零石ならば、魔法の付与も容易いかと』

『光后様のお力を零石に与えれば、もしかして……』

『みんな素敵ねー! その石ならアタシの“寝床”に沢山あるからねー』

 

 張り切る精霊達になんだか嬉しそうな“月の精霊様”は、既に響零岩の欠片である零石を一つ持ってきてくれていた。

 

 とりあえず大本の“毒気”を抑える算段はつきそうだ。難しいとしたら、広範囲に流出してしまった“毒気”を抜く方法。更地になった土地と同じように新しい土を混ぜ込もうとすれば、大量の麦や牧草を駄目にしてしまう。

 

 この解決に名乗りを上げたのは“宝箱”の中で凍らされていた魔獣“どろうみ”改め、メタルスである。“氷の妖精”ゆっきーに融かしてもらって、メタルスが“宝箱”の中で泡を弾けさせる。

 

『アナタさまー、“めたるす”も手伝いたいそーですよ』

『ぼこん、ぽこぽこ』

(お役に、立てるかと)

 

 メタルスは“宝箱”の中で見つけた小瓶に自身の一部を入れて、倬に渡してくれる。その小瓶は容量にして約八十ミリリットル。この程度の量があれば、メタルスはその一部を自分の身体として十分に操れるというのだ。

 

『戦ってる時に使われなくて良かったよ……』

『ぱちぱち、ぱちん、ぱちんっ』

(欲に任せ、暴れたるや、嘆かわしき)

『分かった。タイミング見て潜ってもらうよ。細かいとこは任せる』

『ばちんっ、ぼこぼこぼこ――っ!』 

 

 “宝箱”の中で泡立っているメタルスに苦笑をしつつ、倬は“薬”に必要な素材と使用する魔法をメモ紙に書きつけていく。

 

 それぞれの素材の意義をどう書くべきか悩んでメモ帳から視線を逸らすと、倬の隣でしゃがみ込み、ジーっとこちらを見つめているシスカと目が合った。複数の精霊との感覚共有に集中していたのもあって意識していなかったが、その距離はおでこがぶつかりそうな程に近い。

 

「シスカちゃん、えっと……、面白い?」 

「あのね、えっと、たか様、ぴたって動かなくなって、ぐぐぐってプレート見てて、目がキラキラってしてた!」

「ん???」

 

 ちょっと何を言っているのか分からなかったが、どうやらシスカも上手く言葉に出来なかったようだ。

 

「たか様、いっぱい書いてたのなぁに?」

「うーんと……、土にあげる“お薬”の作り方、かな」

 

 土への“お薬”と聞いて、シスカの瞳が更に輝きを増す。

 

「“のうやく”作れるの?! たか様、凄い!」

「おぉ、農薬知ってるんだ。シスカちゃん、凄い……」

「ね! ね! どうして! どうしてたか様は“のうやく”作れるの? 祈祷師様だから?」

(これは答えにくい……、でも大体合ってるし……、嘘つくのはなぁ)

 

 子供騙しで済ませたくないと、どう説明したものか悩みながら倬はどうにか答えを捻りだす。

 

「“祈祷師”はね、お祈りを捧げて、“自然”から知恵とかお力を貸して頂いてるんだよ。“薬”の作り方も同じ」

「あ! 私知ってる! “商人”さんとかの“鑑定”系技能! プレートに教えて貰えるんだよね!」

「……よく勉強してるなぁ、凄いなぁ」

 

 “鑑定”系の技能や魔法は適正に応じて精度が変化する為、専門性が高い。それ故に関連する天職持ち以外では学ぶ機会は少ないのだが、シスカはその辺りも教え込まれているらしい。

 

「ね! ね! たか様、私もお手伝いできる? お手伝いさせて!」

 

 二度「凄い」と褒められて、シスカは居ても立ってもいられないと倬の袖をぎゅっと掴んで手伝いを申し出た。

 

 張り切るシスカのやる気を削ぐのは、倬の本意ではない。

 

 すっと立ち上がり、芝居がかった堅い口調でシスカに呼びかける。

 

「では、助手のシスカ君!」

「はい!」

「このメモ紙を村長さんに頼めるかね」

「おまかせください! ……おじーちゃーんっ!!!」

 

 ビシッと敬礼をしてからダッシュで村長にタックルを決めるシスカ。ちょっと張り切り過ぎな気もするが、きっちり助手の任務を果たしてくれた。

 

『ふふふふー、倬チャン、子供の扱い慣れてるのねー!』

『どうでしょうか、シスカちゃんがノってくれる子だったお陰かと』

『やぁん、素直じゃないんだからー。ねっ、ねっ、次はお馬チャン達の治療に行きましょー?』

『ええ。まぁ、構いませんが……』

 

 “月の精霊様”にぐいぐい背中を押され、倬は続いて家畜の様子を確認して回った。

 

 案内役としてお供をしてくれたのは、亜人族の奴隷としては珍しい熊人族の男。重苦しい大きな首輪の他に足枷まで引きずっている。

 

「……こいつ、特に弱っててな」

 

 口数の少ない朴訥な男は、心配そうに馬の額を撫でた。

 

 村長は家畜にも回復魔法を試したと言ったが、治優様によれば、どうやら牧草に蓄積した“毒気”が体内で残留したままなのが原因らしい。

 一般の回復魔法では細胞に残った僅かな“毒気”まで浄化しきるのは難しいのだ。

 

「普通に回復しても厳しいっぽいな……」

 

 険しい倬の表情を睨むように見る熊人族の男が、口を開く。

 

「よぉ……、“きとうしさま”、で合ってるか?」

 

 天職を確認されて、倬は頷きで答えた。

 

 熊人族の男は喉の唸りを飲み込んで、ぶっきらぼうに頭を下げる。

 

「……悪い。どうも上品な言葉遣いってのが、出来ねぇくて。コイツらのこと、よろしく頼む。……頼んます」

 

 熊人族は亜人族の中でも特に力が強く、プライドも高いと言われている。そんな熊人族の男が、人間族の倬に頭を下げたのだ。それがどれほどの意味を持つのか、きっと倬の想像も及ばない程の屈辱に違いなかった。

 

『とっても大切に育ててたのね……』

 

 “月の精霊様”の呟きを倬は噛み締める。きっと彼にとって家畜達の世話が唯一の心の支えなのだろう。

 

「今出来るだけの事はします。薬を飲ませてあげたいのですが、手を貸して頂けますか?」

 

 倬の手寧な言葉遣いと直接薬を手渡された事に驚きながら、熊人族の男は大きく頷く。

 

「……なんでも言ってくれ、“きとうしさま”」

 

 

~~~~~

 

 

 村中の家畜に応急処置として滋養強壮の薬を与え、村役場前に戻ると、そこには二頭立ての豪奢な馬車――搭乗席部分は箱型で、全体にきらびやかな装飾が施されている――が停まっていた。

 

 馬車の傍では、ヨークと村長の他にもう一人、別の男性が加わって談笑している。

 

 倬が戻ったのを真っ先に気付いたヨークが指を向けると、こちらに背中を向けていた男性が勢いよく振り返りかえった。その口元でくるりとカールさせた口髭には見覚えがあって。

 

「おぉ、そうだ! やはり間違いない! 図書館で会った魔法師君じゃないか!」

「ほほぅ。サビノ君の言った通りだったな」

「ええ、ええ! そうなのです、村長! いやはや、何という奇遇か!」

 

 大袈裟にも思える身振り手振りで再会を喜ぶこの男性は、マグレーデ大学図書館で倬に声をかけてきた人物だ。

 

「いやぁ、倬ノ助。お前、幸薄そうな顔して持ってんじゃねぇか」

「……話が見えないんですが」

 

 失礼な発言はさておき、ヨークの説明によれば、この口髭の男性はアスボス村を拠点として村の開発に協力している()貴族なのだという。

 

「サビノシュッケ・ノヴィコタルだ。名前が長いので、サビノと呼んでもらえれば。それにしても、あのスライムを封印した上、村の窮地ばかりか息子まで救ってくれたなんて! なんと礼を申したものか!!」

 

 更に、サビノ氏はビーノの父親でもあった。感謝の念を爆発させ、強引にハグされてしまう。煙草と上等そうな香水の匂いで咽そうになる。

 

「あの、いえ、そんな大した事はしてませんので……。えっと、作物や家畜についても完全に癒せたわけでは……。五日前後は経過観察が必要でして……」

 

 あくまで“魔害”の影響を弱める方向に対策を打っただけ、その効果がどれだけ出たか確認は必要だ。しばらく経ってから再び“魔害”の影響が出る可能性もあるので、その都度、対処しなくてはならない。村長に説明しようと今後の対処法についてまとめていたメモ紙をサビノに手渡して、ハグから逃れる。

 

「おや、これはこれは……。ふむふむ……、これは村長にも確認して貰うべきだね」

 

 サビノが村長に視線だけで呼びかけると、お互いに頭を引っ付けるようにして、食い入る様にメモ紙を読み進めていった。二人は何故か倬とヨークに背を向けて小声で囁き合い始める。その後ろ姿はなんだか悪だくみでもしているかのようだ。

 

――どう思うね、サビノ君――

――どうも何も、とんでもないですよ。大学から持って帰ってきた方法よりも、ずっと損失が少なくて済みます――

――どこで学んだろうな――

――どうにか聞き出したいところです――

――シスカがよく懐いているし、礼も兼ねてウチに招待しようかと思うのだが――

――ほぅ、シスカちゃんが……。……いや、待ってください村長。彼、ノヴィコタルでもてなしたいんですが――

――その心は?――

――彼、スゲイン家からペンを贈られています――

――北の大商家スゲインの? まことかね――

――その経緯も聞き出せれば、と。なにより、かの“邪剣”ヨークが補助役(サポーター)として認めている魔法師です――

――ふぅむ、“剣聖の面汚し”なんて二つ名を気に入られた縁でサルニッケ伯の養子になったのだったな。本人は名義だけと――

――私のノヴィコタルなんて軽い家名と違い、サルニッケは伯爵位の家名です。“名義だけ”なんて扱いは出来ませんよ。……上手くいけばサルニッケ伯爵領の後継と目されるミン男爵とも繋がるかも――

――しかし、もてなすにしても君、崖崩れに巻き込まれたっていう元の館を片付けるのに使用人達を使いにやっていて今は奴隷一人だけだろう。……よし、ウチの料理長を貸す。食材もこっちで用意しよう――

――恩に着ます――

――なぁに、私はサビノ君の嗅覚に賭けているだけさ――

 

 村長とサビノが互いに頷き合って、パッと離れた。長い内緒話がようやく終わったようだ。

 

「お待たせして申し話ありません、ヨーク殿、“祈祷師”君。よろしければ、我が館に招待させては頂けないかな? 部屋が余っているからね、宿代わりにしてくれれば」

 

 キザな笑みを向けられて、どんな顔をしたものか曖昧な微笑みを浮かべて悩んでいると、倬の考えがまとまる前に背中をバシバシと叩かれた。

 

「いやぁ、マジかい! そいつは助かるぜ、なぁ、倬ノ助!」

「……ええ、まぁ、助かります、ね」

「そうと決まれば話が早い! ささ、馬車に乗ってくれたまえ!」

 

 いそいそと馬車に乗り込んでいくビーノの父、サビノの背中を追いながらヨークが耳元で囁く。

 

「あの封印の壺な、サビノ様が仕入れたんだとよ」

「……どこから?」

「“黒ローブの商人”殿から、だそうだ」

 

 思いがけず巡ってきた“黒ローブの商人”ルネートの情報を得る新たなチャンス。

 

 運が向いてきたとほくそ笑むヨークに対し、倬の頭には漠然とした嫌な予感が渦巻いていた。“黒ローブの商人”と取引した者は不幸な目に遭う、そんな噂を思い出してしまったのだ。

 

 ぽつり、大粒の雨が倬の鼻を濡らす。

 

 “霧の精霊”霧司様の天気予報通り、雨が降ってきた。

 

 その濡れた鼻を誰よりも早く拭ってくれたのは、“月の精霊様”だ。

 

『ふふふ、倬チャン、急がないとびしょ濡れになっちゃうわよー?』

 

 イタズラっぽく微笑んで、今度は馬車へと倬の背を押す。

 

 ビーノとシスカの仲を取り持つ願いの理由も、村を襲う“魔害”も、“黒ローブの商人”についても、“月の精霊様”は何も語ってくれなかった。

 

 それら全てに意味があるかどうかすら、まだ分からない。

 

 だとしても、倬の目的は変わらない。

 

『そうですね、“食饌(しょくせん)の交換”に備えて体調崩してられませんから』

『ふふふ、倬チャンってば契約する気満々ねー! 期待しちゃうわよー?』 

『どんとこいです』  

 

 一度肩の力を抜いて、強まる雨から逃れるように馬車に乗り込む。

 

 雨に濡れる窓から、話が違うと暴れまわるシスカが両親に引っ張られて屋敷に帰っていくのが見えてしまった。

 

 後でビーノがとばっちりを受けないためにどうフォローしたものか考えながら、倬は馬車に揺られるのだった。

 




……半年ぶりの投稿なのに殆ど話が進んでいないの、本当に申し訳ありません。
前回投稿分以降の構成にずっと悩んだ結果、分割することになったのが原因です。

また、次回も主人公の意思を確認する話が挿入される関係で、ストーリーの進展はあまりないのですが、今まで明確に触れてこなかった部分でもあるのでどうしても書いておきたく……。

どうか次回もよろしくお願いします。

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