大変お待たせしてしまいましたので、念の為に前回までのあらすじからよろしくお願いします。
~~ここまでのあらすじ~~
自他共に認めるオタク・霜中倬は、高校のクラスでは浮いた存在として距離を置かれているような少年だった。倬が奇妙な夢を見たその日のお昼時、突如クラスメイト達と異世界トータスへ“勇者とその同胞”として召喚されてしまう。
戦争に参加せざるを得なくなった一行は、【オルクス大迷宮】上層での戦闘訓練中に罠にかかり、クラスメイトの一人である南雲ハジメが奈落へと落ちるのを目の当たりにする。
ハジメが落ちた原因を、何者かの悪意によって放たれた魔法であると判断した倬は、自身の天職“祈祷師”の特徴とステータスの低さから、状況証拠に基づいた犯人捜しが困難であると考え、調査中だった“祈祷師の里”に修行へ向かう事を決意。
無事“祈祷師の里”に辿り着いた倬は、“祈祷師”として“寺”での修行の結果、この地で拝まれる精霊“お山様”と出会い、精霊契約を結ぶ。
この契約をきっかけに倬はトータスの真実に触れ、クラスメイト達が生き残る確率を少しでも上げる為の結界と地球への帰還方法を探すべく、精霊探しの旅に出る。
旅の中で出会いと別れを繰り返しながら、トータスに散らばっている精霊達との契約、七大迷宮の一つ【氷雪洞窟】の攻略をこなし、遂に“光の精霊”の協力を得て、即死回避の精霊魔法“護光”の発動に成功した。
“光の妖精”と“月の精霊”に“護光”強化の力添えを願うべく捜索を続ける傍ら【グリューエン大火山】、【メルジーネ海底遺跡】を攻略、北の山脈地帯を越えた先に住むアイーマの民とも協力関係を築く。
その後、魔人族領から砂漠を走って逃げてきた“剣士”ヨーク・M・S・サルニッケと出会い、“文化の街”マグレーデを拠点に一時的に行動を共にする事に。
マグレーデ大学図書館の荘厳なエントランス中央に、城の柱を模した太く頑強な額縁に支えられ、巨大な絵画が堂々と鎮座している。
キャンバス全体の色彩は
強烈に目を惹くのは、中央で光の帯に照らし出された三人の男達。露わにされた上半身に滴る汗がキラキラと輝いて、イヤに眩しい。
半裸の男達の中で最も逞しく筋骨隆々とした男にだけ、倬は見覚えが無かった。銀色の短髪、鋭利にすら感じる碧眼、贅肉など皆無の背中には、まるで鬼神が笑みを浮かべているかのよう。
そんな鎧の如き肉体を誇る男の肩を抱くのは、頬を上気させた長身、痩せ型の老爺。
好々爺然とした親しみを感じさせるその雰囲気は、他ならぬ聖教教会教皇イシュタル・ランゴバルドに違いない。克明に描写された皺、髭、地味に茂る胸毛が、教皇の重ねてきた
そして、倬を何よりも驚かせたのが、一目でモデルを理解させる程に写実的に描かれた美男子――“勇者”天之河光輝の姿だった。
(天之河君……、だよな。うん……、間違いない。このキラキラした感じ、彼以外に考えられない……)
『倬様! これっ、凄いね! とっても上手ね!』
『はい、音々様。確かに凄い技術です……。凄いんです……、けども……』
目の前の絵画の完成度に、特に音々様が感動の余り倬の顔に張り付いたまま、バシバシとその小さな腕をじたばたさせる。
王国から遠く離れた南西の辺境であるマグレーデに、“勇者”を直接見た機会があった者など居ない筈だ。伝聞を元に描かれた“勇者”の姿は、倬を戸惑わせる程の正確さで、文字通りの“離れ技”だと唸らされる。
だが、それら全ての評価を吹き飛ばしてしまうのが、“勇者”天之河光輝の紅く染まった頬に、
“勇者”の濡れた双眸には、躊躇いながら肩甲骨に触れる相手、銀髪の男の精悍な顔立ちが細やかに描き込まれているのだ。
(この絵……、これは間違いない……。俺はこの雰囲気を知っているぞ。この絵は……、この絵は、
詳細に描かれているのは人物だけでなく、背後にそそり立つ【神山】に、【ハイリヒ王国】の紋章をあしらった旗も風を受けて堂々となびいていた。舞台はどうやら王国、それも王宮内部らしい。
十数名の老若男女が絵画の前で
――あぁ……、ありがたや、ありがたや……――
――はぁ~……、なんて美しさ……――
――うぅぅ、尊いぃ。目が、目が幸福で溶けてしまうぅ――
――教皇様に、皇帝陛下、そして勇者様……。あぁっ! なんてことっ! この邂逅こそが神の奇跡……!――
呟かれる祈りの中に、倬が感じとった“
(“皇帝陛下”、ヘルシャー帝国の? じゃあこの絵、ヘルシャー皇帝と天之河君、その上に教皇まで
トータスの一般常識を思えば、性的にも
“祈祷師”として王国を離れ、修行に出るための条件であった報告書は、今でも先生である畑山愛子宛ての手紙と共に提出し続けている。それに対し、先生からの手紙が送られてきた事も、王宮に引きこもってしまった生徒達の様子や、【オルクス大迷宮】の攻略状況についてすら知らされる機会はなかったのだ。
(まぁ、王国からすれば面白くないだろうしな)
王国に務める貴族達が“勇者の同胞”の中でも、”祈祷師”でしかない倬に期待しているのは、悪い言い方をすれば“丈夫な盾”だ。それが王国の管理から離れた地に修行へ赴くと言う話が歓迎される事はない。情報を遮断するのには“ホームシック”を誘い、王国への帰還を早める狙いでもあるのだろうと倬は踏んでいる。
『倬殿、倬殿、あっちに文字が添えられているぞ。読んでくれないか?』
『解説で何か分かればいいんですが……』
詳細を知りたいとそわそわしている様子の雷皇様を追いかけ、解説が刻まれた看板まで向かう。看板の下には、銅板を用いたレリーフで【抱擁~~王宮にて~~】なるタイトルが彫り込まれていた。
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【第十三回マグレーデ大学学生制作コンクール 総合最優秀賞受賞作品 特別拡大展示】
・はじめに
我らがマグレーデ大学で学生達が磨き上げた才能を御披露目する舞台として用意された本コンクールは、早いもので十三回目を迎える事と相成りました。
ここに展示されているのは、絵画・彫刻・建築技術など多岐に渡るコンクール部門を横断し、最も革新的であると評価され、総合最優秀賞を獲得した作品の拡大模写であります。
実際の作品に代わり拡大模写を展示するのには、より多くの方々に新たな芸術の誕生を目撃して頂く目的の他、数ある中から選び抜かれた最優秀作品が持つ意義を学び合う目的がございます。
この拡大模写制作の実現は、コンクール参加者や在学生のみならず、卒業生や講師陣、我々大学図書館職員を加えた学部も地位も年齢をも越えての協力があったればこそ。
神より遣われし“勇者様”がご到来なされた今この時は、まさしく“新時代”と言い表せましょう。
かつて“最強”と呼ばれた“冒険者”をして敵う事の無かった魔物・ベヒモスは遂に打倒され、今や【オルクス大迷宮】の全容が明らかにされようとしています。
偉業を成し遂げられて尚、“勇者様”とその同胞である“従者”の皆様方は、更なる下層に向けて歩みを止められる事はありませんでした。
そんな折、教皇様、ハイリヒ国王陛下、ヘルシャー皇帝陛下の偉大なるお三方は、勇者様方のお体を
本作【抱擁~~王宮にて~~】に描かれますのは、ヘルシャー帝国歴代皇帝の中でも屈指の実力をお持ちになられるガハルド皇帝陛下が、勇者様の事をより深く理解をしたいと剣を合わせられたのち、互いの“力”を認め合っているご様子。
新進気鋭の才能が産み出した本作を、心ゆくまでご堪能頂ければ幸いであります。
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“勇者様と皇帝陛下が剣を交えられたと伺ったその時でした。全身を雷魔法が貫いたような衝撃に襲われた私は、ただただ画材の求めるままに……。そうです、私は絵具とキャンバスの運命に、求めに、応じただけなのです……”
――受賞式にて~美術学部神聖絵画学科三年ヴィエラ・カラミーナ
“
――本コンクール作品批評より抜粋~美術学部学部長バルバラ・ホルスキー
“皇帝陛下の自信に満ち溢れた熱い瞳……、己の内に湧き上がる燃えるような感情に戸惑う勇者様……、通じ合う二人の間に産まれた奇跡を祝福し、二人を我が子の様に抱かれる教皇様……。中央のお三方は当然の事、周囲で見守る方々にも物語があるのもまた、この絵画の優れた点と言えるでしょう。特筆すべきは、城壁の影の中に居られる国王陛下の寂しげな微笑です。あぁ……、一体どんなお心持ちで教皇様の背中を見守っておられるのか……!”
――本コンクール総評より抜粋~美術学部学部長バルバラ・ホルスキー
“描かれた人々が今にも動き出さんばかりの物語が、この作品の中には存在する。マグレーデ大学美術学部学部長として、この作品が後世に語り継がれるべき傑作であると断言致します”
――授賞式にて~美術学部学部長バルバラ・ホルスキー
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尚、これまでこの拡大展示では展示期間終了後、エヒト様の居られる天へ届くことを願い、焚き上げを行って参りました。これは、拡大展示の巨大さ故に保管が困難であった事もまた事実であります。
そんな中、本拡大模写につきましては、展示会終了後もマグレーデ教会に飾り続けられる事が決定しております。
本拡大模写の引き取りを申し出て下さいましたマグレーデ教会
“これまでの神聖絵画と一線を画すこの作品を目の当たりにした私たち修道女一同は、その目から止めどなく溢れる涙を堪える事など叶いませんでした。遥か遠くに霞む【神山】頂上に寄り添う
――本展示に寄せて~マグレーデ教会
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まだまだ続く解説に辟易としながらも、倬は全てを読み切り、ふぅと息を抜く。
(解説が、長げぇ…………。熱意の凄さは、うん、伝わった。主に学部長の。でも、そっか……、ベヒモス、倒せたんだ)
描かれている場面が、天之河光輝を始めとする共に召喚された生徒達によって
倬の肩に正座して絵を眺めていた刃様も、うんうんと頷いて“倬の同胞”の活躍を喜んでくれているようだ。
『勇者殿は
『ええ、そのようですね。……まぁ、うちのクラスで“勇者
運良く召喚に巻き込まれなかったクラスメイト達も含め、一人ひとりの顔を思い出しながら、他薦によって“勇者役”に選ばれたのを最終的に引き受けるのは、光輝以外にいないだろう事を確信する。
『“勇者役”、と言うのは大役ですものね。アナタ様』
『
『……? 倬は大概派手な立ち回りをしているじゃないか。何より“光の精霊”たるわらわと契約しとるのだぞ』
『いえ、ただ能力に恵まれた高校生だったのが、誰かの都合で最初から“勇者”扱いされるのと、自分の意志で改めて“祈祷師”になると決めるのとでは、やっぱり違うよなと』
雪姫様や光后様と話しながら、王国の魔法工房で祈祷師専用のインクを調合していた時期を振り返る。作業中に工房の魔法師達とした雑談では、“勇者”についての話題が度々上ったものだ。
“勇者”のステータス、特に各パラメーターは当たり前のように情報共有されており、レベルが一つ上がる毎に少なくとも十刻みで上昇している事は周知の事実で、成長率の変化を鑑みて“レベル100”到達時のステータスは千五百までになると予想する計算が披露された事もある。
この上、光輝はステータスを一時的に三倍まで引き上げる技能、“限界突破”も持っているのだ。現代トータス人の常識からすれば四千五百にもなるステータスは、もはや御伽噺のそれであると、興奮を抑えきれないままに魔法師達が語っていたのが懐かしい。
(“限界突破”使った状態の天之河君のステータス、今の俺より上なのか……。……なんだろう、なんか腹立つな)
“祈祷師の里”を見つけ出し、“寺”での修行を終え、今日まで精霊を探しながら力を得てきた己の実力に、倬は少なくない自負を抱いている。何よりも今の自分が振える力は、精霊契約を受け入れてくれた精霊様から頂いた物だ。一時的であっても技能一つでステータスを凌駕されてしまう事実に、悔しさを覚える。
“勇者”の能力に複雑な想いを抱く倬に気付き、額縁に使われているニスを調べていた森司様が手を止める。森司様は、倬を
『倬。単純な比較は止めておけ。僕が知り得るところから考えるに、“勇者”とやらの力は
『それまぁ、天之河君は
ちらと、描かれている教皇イシュタルに視線を移す。彼に聞かされた説明を信じるなら、“勇者”はあくまで魔人族との戦の為の存在でしかない。そうなれば当然、エヒト神はもちろん、使徒に対抗出来る力を持っている必要など無いのだ。
今後、光輝やクラスメイト達に再会する必要があるかどうか、今の倬は答えを持たない。
自分達が召喚された理由を“神々の遊戯”のバランス調整でしか無いと知らされたとして、今の彼らに出来る事などたかがしれている。
何よりも、クラスの精神的支柱の一人である光輝の性格を思うと、
『変に色々知って混乱しちゃうよりか、“勇者とその同胞”を
光輝にトータスの真実を伝える必要が生じた場合を想定して、倬の目がどんどん澱んでいく。目の澱みを見かねた風姫様が、やれやれとふわり風を纏って、目の前にやってくる。
『あら? また一気にテンション下がったわね』
『……だってですよ、風姫様? 彼の中で想定されてない事実を理解して貰おうと会話するの、もはや不可能と言っていいくらいですし……。思い込んだら一直線なとこ白崎さんと一緒かそれ以上っぽいので、ほんと、説得とか交渉とかマジでもう、ほんと無理』
召喚前、南雲ハジメに対する関わり方について白崎香織にそれとなく諭す機会はあったのだが、その結果は散々なものだった。それだけ香織はハジメと会話出来るチャンスを逃すまいと必死だったし、“ただ同級生に積極的に話し掛ける”だけの事が憚られるクラスの雰囲気こそが間違っているのだ。
とは言え、あの行動がハジメにとって不利益に働いていたのもまた事実で、猪突猛進なタイプを説得する困難さを思い出し、気分が落ち込んでしまう。
『あー、はいはい、想像で凹まないの。ほら、あんたの大好きな本がたくさん待ってるわよ。“月の精霊”探すのに調べものするんでしょ!』
『ふぅー! たかたか、ゴーゴー!』
ぐいぐいと風姫様と“風の妖精”ふぅちゃんに背中を押され、ざわつく絵画の前からよたよた離れる。
周囲で鑑賞を続ける人々の表情は様々だが、皆一様に明るい。神々しい絵画に描かれている“勇者”の勇姿は、確かに人々を励ましているようだった。オルクス大迷宮で今も攻略を続けていると言う事実もまた、トータスの人々を勇気づけているのだろう。
(この手の扱いに耐え得るのが、“皆の天之河君”なんだよなぁ……)
倬が心配するまでもなく、光輝本人の意図しないところですら、彼は世界が望むままに“勇者役”をこなしている。これはもう、才能と言う枠で説明出来まい。ある意味で天之河光輝が産まれながらに持たされた“宿命”とでも言えそうに思えた。
外から“理想”である事を求められ続け、それに疑問を抱く事のない精神は、得ようとして得られるものではない。
彼は”勇者”になるべくしてなったのだろうと勝手に納得して、倬はぐっと背筋を伸ばし、受付へ向かう。
大学外部からの図書館利用者は、毎回受付で利用目的など必要事項を申告する必要がある。用紙を受け取り、受付横にある細長い机でリズムよくチェックを入れていく。
粗方記入を終えた辺りで、右隣に一人の男性がやってきた。間仕切りがあるので気にしなくとも良いのだが、なんとなく僅かに左へずれる。
が、その男は何を思ったのか、低い間仕切りを越えて倬の手元を食い入る様に見つめ、妙な唸り声まで上げた。
「んん……? ん゛ん゛ー……ッ?!」
ビクッと肩が上がりそうになるのをどうにか抑え、警戒する倬はとりあえず用紙をひっくり返し、男の顔を見やる。
くるりとカールするように整えられた口髭が特徴の男だ。ヨークを真似て身なりを確認してみれば、装飾こそ最低限ながら品格を感じる佇まいである。はめている指輪に埋め込まれた宝石の輝きには見覚えがあった。
念には念をと土司様に宝石の鑑定をお願いする。
『土さん、ちょっとお願いします』
『どれどれ……』
机の上にぼよんと移動して、男の指輪をじっと見つめる土司様とその妖精つっちー達。ぶるるんと体を揺らし、ガラスなどでは無いことを伝えてくれる。
『ふむ、どうやらグランツ鉱石とやらのようだのぅ。中々の大きさだ』
『つっちー! “ふぁいんるっきんぐぅー”!』
『ありがとうございます。……本物のグランツの指輪を平気で身に着けられる人物、と。ぱっと見ただけでも、身分は良さげですが……』
未だに唸り続ける男の視線を追えば、その視線はどうやら倬の手元、それもペンに注がれているようだった。
「えーっと、何か御用で?」
「あ、あぁ、いや失敬。君のペンに見覚えがあったもので」
「これに?」
倬が使っていたのは、かつて出会った冒険者パーティーの“治癒師”エアリル・スゲインから贈られたペンである。どうやら、このペンが商家スゲインで使用されている特別な物だと知っているらしい。
盗みを疑われているのかと察した倬は、先んじて贈り物として頂いたのだと端的に説明をしておく。
「頂き物なので、売れませんよ?」
「違う、違うんだ! そんなつもりはッ! ただ、その、君くらいの若者が持っている様な代物ではないからして……。本当にそれを贈られたと? 少なくとも“商人”のようには見えないのだが……」
「ええ、自分はただの魔法師です。ご覧の通り」
ローブの端を摘まんで見せ、立場は誤魔化さない。実際、このペンを貰った経緯に
男も倬から何かを偽るような気配を感じ取れなかったのだろう。問い掛ける勢いが弱まっていった。
「あー……、いや、それこそ“一介の魔法師”が当たり前に入手出来る物ではなくて……。その、詳しい事情を聞かせてくれないだろう――」
口髭の男が更に前のめりになった。その時だ。
――こんの分からず屋が!――
図書館奥の二階席から怒号が響き渡る。
同時にガラスペンが一本、髭の男目掛けて一直線に飛んできた。
咄嗟に技能“先読”とその追加技能“
男の口髭に突き刺さろうかといった直前に、倬は危なげなくペンを掴み取る。
一瞬の出来事に男は暫く茫然として、
「あ……、ありがとう、魔法師君」
「いえ、掴めたのはたまたまですので。しかし、図書館で突然、何事ですかね」
「おや、知らないのかい? 今のは“マグレーデの華”だよ。“ネズミとカラスの喧嘩”だね」
「はい?」
倬の中で、“華”と“喧嘩”のイメージが結びつかない。拡大展示の騒めきと混ざりあって、内容こそ分からないが、二階からは穏やかで無い雰囲気が伝わってくる。試しに“反響定位”を活用して、二階席でのやり取りを聞き分けてみれば、十人以上の男女がそれぞれに意見をぶつけ合っているらしかった。
――はぁ……、議論の最中に声を荒らげるような真似はよしたまえ。これだから職人気取りのカラスは嫌なんだ。もう一度言うがね、鉄骨剥き出しの塔など論外だよ。景観を損ねるではないか――
――未来に必要になる修繕を考慮した結論だと言っているだろう! お前たちネズミの言う“完成に二百年を要する大教会群”などとバカげた構想こそ論外だろうに! 寝言は寝て言えってんだ!――
――何をッ! 我々はこれからこの街を守る新たなシンボルを造ろうと言うのだ。年数など関係あるものか!――
内容こそ具体的な意味は分からないが、対立する意見に腹を立てた一人がガラスペンを投げ飛ばしてしまったのだろう。迷惑この上ない話だが、わざわざ自分が文句を言いに行くのは面倒だと、倬は掴んだガラスペンをテーブルにそっと置く。
「何か知らないけどめっちゃ白熱してるなぁ……」
「彼らの喧嘩はこの街の名物なんだよ。ちなみにネズミとカラスはそれぞれ――」
倬がこの街の事情に詳しくないと見た口髭の男は、喧嘩のとばっちりから守ってくれた事のお礼のつもりなのか、大袈裟な抑揚をつけながら説明しようとする。が、男が語ろうとする途中で女性の声が割り込んできた。
「ネズミとは芸術系の学生達を、カラスとは技術系の学生達のことです。グリブ童話にあやかっての呼び方ですね」
倬の左隣に現れた赤と黒の市松模様が特徴の大きなとんがり帽子の下から聞こえてくるその声には、確かに聞き覚えがある。
「う、うむ、レディの言う通り。言う通りなんだが……」
台詞を途中で奪われて口ごもる男に、女性は礼には及びませんと軽く膝を曲げ腰を落とす。亜麻色の前髪に触れて、深めに被っていたとんがり帽子を人差し指でくいっと持ち上げる。隣にやってきたその
「…………シーラさん?」
倬の目を盗み見るように視線を合わせ、シーラはからかい混じりの微笑みを浮かべる。
「お久しぶりですね。君とお爺さんの噂、私の耳にも届いていますよ」
「……噂とは?」
「小鬼討伐で荒稼ぎしている“獅子髭の剣士”と
「……後半の方、本当ですか?」
シーラの登場にも驚いたが、自分達の活動がギルドの負担になっていると言う内容の方が問題だ。
咄嗟に聞き直そうとする倬の声音に動揺を感じ取った口髭の男が、今度こそ、と話に入り込んできた。
「ゴホン。その話なら本当だよ。私も今朝ギルドの職員に相談されたからね。……しかし、
ぼそぼそと呟き始めた男にこれ以上詮索されたくないと考えた倬は、話を“ネズミとカラスの喧嘩”に戻す事にする。
「……あー、それより、ペンが飛んでくるってのは問題ですし、誰か止める人とかいないんですか?」
「図書館で騒ぐのは“司書”の天職を持つ私としても許し難い所ですが、“マグレーデの華”については目を瞑る事になっているんですよ。特に今の彼らが携わっているのは街全体を覆う防御結界中央に何を設置するのか、と言う一大事業なので」
「そんな防御結界が?」
そもそも防衛用の防御結界を街の規模で展開可能と言うのは、トータスでもかなり珍しい特長だ。街を歩いていても結界の気配は感じなかった事から、必要に応じて都度起動させるタイプのものなのだろう。
「そうとも。ここマグレーデは現在でも最前線の街であることに変わりはないからね。それなりの防御結界くらい備えているさ」
「全く、そこそこ長く滞在していると言うのにとんだ
断る暇もないままシーラに滔々と説明を聞かされた所を纏めると、マグレーデは主だった建築物の配置自体が巨大な魔法陣として機能しているとの事だった。街が栄えて住民が増加し、その防御結界の範囲から外れる建築物の数が無視できない程に多くなったのが理由で、現在大規模な魔法陣のメンテナンス中なのだと言う。
そんな中にあって、芸術を重んじるマグレーデの住民達は、新しく魔法陣の中心となる場所に街のシンボルになるような物を造る事に決まった。そこまでは良かったのだが、今は芸術性をより重視するか、機能面を考慮にいれるかで揉めてしまっているのだそうだ。
「とまぁ、ネズミもカラスもプライドの塊なので、あんな風に火が付くと手に負えないのです。こうなると大人しく図書館から退却するか、小部屋を予約して利用するかのどちらかになります」
「なんと言ったものやら……。いっその事、今日展示してる【抱擁】を立体化するとかで手を打っちゃくれませんかね」
適当に発した倬の思いつきが、たまたま図書館に訪れた
(……え、何? 何この雰囲気)
ズズズと椅子が床を擦る音に続いて、上品かつ丁寧な言葉遣いでありながら熱の籠った声が、二階席から図書館全体に響き渡る。
――皆様! 今!
――
「……ファッ?!」
倬にとって予想外の展開に、思わず変な声が出る。不安に襲われ、様子を確認するべく意識を二階席奥に向ければ、カラスもネズミも既に【抱擁】の立体化を検討し始めていた。
――ふむ。そもそも何故我々は巨大建築物に拘っていたのだったか……――
――
――その方向に異存はないな。……以前読ませて貰ったのだが、今日ここに集まってくれたカラスの中に“魔法起動失敗における魔法陣の部分発光現象”について論文を書いてる者が居なかったかね? その現象を応用し、照明に活用すると言うのは可能なものかな?――
――あ、それ書いたのウチ。ただあの現象って再現性低いんだよねぇ……。発想は好きだけど、結構細かい条件分析し直さないと――
――でしたら、魔法科の方々にもお声がけさせて頂きましょう。折角ですから純粋な立像ではなく、ゴーレムにしてしまうと言うのは如何かしら?――
――あぁん、ゴーレムだぁ? そんなん“土術師”付きっきりでもなきゃ維持できねぇだろ。ゴーレムってか、そうだな……、瞬きとか関節だけ動かせるようにするとかくらいの仕掛けならなんとかいける……? おう、イケるかもな!――
険悪なムードだったのが、互いに意見を高め合う良い雰囲気に一変している。
多少の話し声は漏れ聞こえてくるものの、先程までと比べれば随分と静かになった。図書館らしい空気が戻ったのが嬉しいのか、シーラが機嫌よさげに倬の背中をバシバシと叩いてくる。
「やりましたね魔法師君、君の一言が“賢者の呼びかけ”になったようですよ。お陰で落ち着いて図書館を使えます!」
「えぇぇ……」
(ごめんよ天之河君。でもまぁ、君がこの街に来ることはないだろうし……、“知らぬが仏”って言うし……。うんっ、忘れよう! 俺は悪くない!)
光輝には悪い事をしたなと思う。それは嘘ではない。だが責任までは取りかねるので、今日の出来事は忘れようと、図書館利用の申請用紙に記入漏れがないか確認する。
すると、今度はシーラが申請内容を覗き込んできた。特記事項を読んだシーラの瞳に炎が宿る。
「ほほう、郷土資料の閲覧ですか。具体的に何が知りたいのか聞いても?」
「ええっと、
正直に“月の精霊”が好みそうな場所を探しに、とは言えないので、あくまで小鬼討伐を目的と説明する。どのみちマグレーデ周辺の地理について勉強したいと言うのは本当だ。
「なるほど。この辺りは古戦場が多いですからね……。それなら古地図が役に立つかもしれません。まずは最新の地理研究資料を集めに“一階西・七番棚”です。それから“地下二階・第四閉架書庫”を開けて貰いましょう」
「いや、シーラさんも何か読みに来たのでは?」
「いえ、教授に課題の質問をした帰りがてら図書館の空気を吸いに来ただけなので。魔法師君の調べ物、普段触れる機会の無い分野ですし、興味深いのでお手伝いしてあげますよ! 近い将来、偉大な“司書”として活躍する予定のシーラお姉さんにかかれば、資料探しなど“詠唱要らず”ですからね! さぁさぁ、行きますよー」
意気揚々のシーラは倬の申請用紙をひっつかみ、勝手に受付へ行ってしまう。
(なんて行動力、こう言うのなんか
図書館で調べ物に張り切ってくれる“司書”に、王立図書館でお世話になった二人の姿を重ねて、口元が弛んでしまう。背後ではシーラに遠慮して話に加われないまま放置されていた口髭の男が慌てている様子が伝わってくる。
少なくとも悪人ではなさそうなので申し訳ない気もするが、話に付き合う義理も無いのでスルーを決め込んでシーラを追った。
「あぁ?! 待ってくれ! 私の質問がまだッ――!?」
男が倬に追いすがろうと伸ばした手は、大学事務員に呼び止められて虚しく空を切る。
「失礼します、ノヴィコタル様。いましがた会議が終わりました。学長がお待ちです」
「んぬが……っ。はぁ、今日はとことん間が悪いな……」
~~~
図書館の正面玄関でとんがり帽子がぴょこぴょこ上下する。満足げに拳を軽く握るシーラはご機嫌だ。
「いやぁー、新しい知見に触れると言うのは本当に良いものですね! 魔法師君、また何か調べ物があったらお姉さんに相談するといいですよ!」
「はい、今日は本当に助かりました」
「なに、楽しかったので礼には及びません。では、私は友人達とご飯の約束がありますのでこれにて!」
ハイテンションをそのままに、白のマントを翻してシーラが颯爽と大学構内へ向かうのを見送る。
シーラの協力を得て、ゴブリンが巣として好みそうな土地のリストアップはかなりの精度が期待できそうな物に仕上がった。
本来の目的である“月の精霊様”探しに関する所では、マグレーデ周辺の川の多い地理的条件についての資料が、精霊の気配を追いきれない原因の説明になりそうだ。
マグレーデ東に広がる穀倉地帯アスボスは、元々降水量の多い土地であり、これまで幾度も川の流れが変化しているのだと言う。山崩れなどで地下水脈となった河川も多く、地下に潜った水脈から精霊の気配を追うのは、“海の精霊様”であっても難しい。
倬の目の前に浮かぶ、濃い藍色で艶やかな海姫様のポニーテールがなんだか萎れて見える。
『すまないな、シモナカ』
『そんな、海姫様が謝るような事ではありませんよ。ここは気長にいきましょう。……それよりもヨークさんです。またか……』
やっくんの気配を辿ってヨークの居場所に向かうと、そこではヨークが女子大生二人と楽し気に喋っているのだった。
(ほんと、何てコミュ力だ)
五十九歳でも全く枯れていない。あるいは倬よりもよっぽど旺盛だ。
溜め息を飲み込んでヨークの元へ向かうと、二人の女性のうち、ブロンドでロングヘアの女性が倬に人差し指を向けてきた。
「あっ! グレーのローブってあの子じゃない?」
「お、ロッテちゃんは目が良いな! ちょうどよかった。こっちだこっち」
ヨークが女の子達のノリに合わせて大袈裟に手招きしてくる。パチンッとでも聞こえそうな程に見事なウインクは“話を合わせてくれ”とでも言いたげである。
渋々ヨークの隣に並ぶと、女性二人がへぇ~へぇ~と若者らしいテンションで倬を見回してきた。良い気分ではないが、品定めをする感じとも違う。
二人のうち、茶髪ショートの方が優しく倬の肩に手を置いて、優し気に目を細めてみせる。
「君が倬ノ助君か~。元気、出しなね?」
「………………はい?」
女性に触れられてドキッとするよりも、何故か気遣かわれた事に困惑する。
最初に指を指してきた方、ブロンドロングの女性も伏し目がちに倬の境遇を慮ってくれているようだが、何が何やらさっぱりだ。
「お姉さん、君の気持ちちょっと分かるっていうかさ。この街は気分転換には打ってつけだから、気に入ってくれると嬉しいなって」
「そうそう、“失恋旅行にマグレーデ。ここは新たな恋と出会う街”なんて宣伝もしてるくらいだし」
「“失恋旅行”……。ちょっと? ヨークさん?」
「い、いやぁ~、面白ぇ宣伝文句だよなぁ! なぁ? 倬ノ助!」
じとっとした視線を向けられ、一瞬たじろぐヨークだったが、そこは歴戦の“冒険者”。“斬り返す”段取りは既に整えていたらしい。
『まぁまぁ、倬。かーくんも暇だったから見てたけどよ、ヨークのやつ、割とマジメに聞き込みしてたぜ?』
『きょうのためにヨークどのはがんばっていたナリよ!』
なんと、いつの間にか“炎の妖精”かーくんと“刀剣の妖精”やっくんを味方に付けていたのである。倬を説得するのに、これは効果抜群だ。
大きな溜息をついて、倬は小さく呟く。
「…………まぁ、あながち間違ってないので別に構いませんが」
「あ、あんれ……?」
零された呟きが予想外だったのか、ヨークが視線を泳がせる。目が合ったのは“空の精霊”空姫様で、空模様と合わせたワンピースの黄昏色がなんだか切なげだ。
(俺、また何かやっちまいました……?)
『そうね~……。でも全部、霜様が自分で決めた事だもの……』
(う、う~ん。まだまだ若ぇってのに色々抱えてやがんだなぁ。……うっし! なら尚更ここはいっちょ張り切らねぇとな!)
隣で女子大生二人から放たれる矢継ぎ早の質問に対し、どうにか適当な答えを返していた倬の肩をがっしり掴んで、ヨークはニカッと眩しい歯を覗かせる。
「んじゃあ、お友達捕まえたら店で集合な! 俺らももう一人呼んでくっからよ」
「アハハ、了解! 私たちもちゃんと捕まえてくるから!」
二人の女子大生が楽し気に去っていくのを見ながら、未だ肩を掴んだままのヨークに聞く。
「それで? 未だに話が見えないんですが?」
これに答えるヨークの声音は呆れ混じりだ。
「んだよ、察し悪ぃな。“合同懇親会”だっつの。“合懇”だよ、“ゴーコン”!」
トータスにも“合コン”なんてものがあるらしい。
世界の真実よりも何よりも、修行中に合コンしていたなどと知られたらクラスメイト達にどんな顔をされるだろうと、倬は再び、大きな溜め息を零すのだった。
と言うわけで、今回はここまでです。
本当は合コンが終わるところまで書きたかったのですが、さらに投稿が遅れそうなので、こんな感じになりました。
あ、ちなみに今回のタイトルは《人の噂も七十五日》を元にしています。
では、次回もお付き合いいただけると嬉しいです。