すたれた職業で世界最高   作:茂塁玄格

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大変お待たせしました。

今回、作中にトータスのゴブリンや技能、また“月”について独自設定が開示されます。原作との違いが発生している可能性大ですが、どうかご容赦のほど……。

今回も宜しくお願いします。



“剣士”は己を知る者の為に死なず・三本目

 通り雨が降った後の深い森には、蒸されたような緑の匂いが充満している。

 

 ばちゃばちゃ、がさがさと音を鳴らし、鬱蒼と生い茂る木々の間を泥に汚れたオリーブ色の背中が駆け抜けていく。

 

 しっとりと濡れる立派に整えた髭を赤いマントで拭ってから、ヨークが親指でその魔物を指差した。

 

「いやがったぞ、お目当ての小鬼(ゴブリン)だ。マジで人里まで寄って来てやがんな……」

 

 今倬とヨークが居るのは、マグレーデ北東の丘を中心に広がる森林地帯だ。

 

 遅めの昼食を頂いた“イーデンノイヤール”で小鬼討伐依頼(クエスト)について簡単な打ち合わせをし、どうしてもと頼んできたヨークに根負けしてマントと額当てを追加で購入してから、ギルドに寄せられた情報を元に、この森へと足を踏み入れたのだった。

 

 主だった目撃地点を回り、どの程度の頻度で小鬼と遭遇するのか確認するべく中央の丘へ向かって進んでいた最中、早速小鬼の姿を捉えた所である。

 

 上空から森の様子を見てくれていた空姫様と“空の妖精”くぅちゃんが下りてきて、倬の肩にそっと腰掛けた。

 

「空姫様、くぅちゃんどうでしたか?」

「あっち、川の方に走ってるみたいよ~」

「ぴょんぴょ~んって、十匹くらいあつまってるみた~い」

 

 倬とヨークより先行してくれていた森司様も戻ってきて、小鬼がこちらに気づいていない事を知らせてくれる。

 

「さっきのは鳥の魔物を持っていたな。どうやらこれから食事のようだ」

 

 ここまで道に迷う心配無しにやってこられたのは、こんな風に精霊様達が協力してくれているからだ。ヨークはただただ感心するばかりだった。

 

「いやぁ、精霊様マジ便利……、じゃなかった。御力添えに感謝を!」

「ヨークどの、むりしなくていいナリよ?」

 

 木々に囲まれた場所で、“森の精霊”である森司様は視界に頼ることなくある程度の情報を把握出来る。空から周辺を俯瞰出来る空姫様に、木々から周囲の状況を直接感じ取れる森司様の二人は、“冒険者”として活動するとしたら心強い事この上ないだろう。

 

 ヨークが“便利”と口走ってしまうのも無理からぬ事であると、“刀剣の妖精”やっくんも苦笑いだ。

 

 やっくんの苦笑に対し、ヨークの方は不満気に口を尖らせて倬にジト目を向ける。

 

「だって倬ノ助が突っついてくるし……」 

「いやですね。今は“剣断ち”貸してるじゃないですか」

 

 今の状況で倬がヨークを突っつくとしたら、錫杖や風系魔法に“植物生育操作”で木を操るなんて方法はあるのだが、お金を勝手に使われた事で怒ったとは言え、そこまでするほどの苛立ちは残っていないので、何の事やらと肩を上げて向けられた視線を受け流す。

 

 この倬の態度にヨークは自分の背中を指差しながら、苦虫でも噛み潰したような表情を作ってみせる。

 

「背中プスプスしてんの、気付いてねぇのか?  そんな当たり前にうちの道場の奥義使わないでくれ」

「あれ……、あの程度の意識で効果あるんだ……。“抜殺(ばっさつ)”ってどんな理屈で起きる現象なんですかね」

 

 きょとんとした顔の倬だが、言われてみればヨークが精霊様に馴れ馴れしい態度をとる度に頭の中で軽く“小突く”事はあった。この程度の意識で“抜殺”が効果を発揮すると知って、倬の興味はそちらに奪われてしまう。

 

 つっちーや土司様に纏わりつかれながら、プスプスしてたのが自分だと認める倬に悪びれる様子はない。

 

「つっちー! たか、“あのいど”? ”あのいど”?」

「……土さん、“あのいど”ってどんな意味でしたっけ」

「いらいら、じゃのぅ。“あんぐりぃ”より苛立ちの意味が強いのぅ」

「はて、いつ習ったかな……?」 

 

 雑な扱いを受けていると感じたヨークは、倬を一度でも怒らせてしまった事実に後悔を滲ませる。

 

「くそぅ……、一度怒らせたらこれだよ。理屈云々(うんぬん)、雇ってくれるまで教えてやんねぇからな!」

「理屈知ってるんですか?」

「…………教えられた分だけな」

 

 文字通りの雑談を交えつつ、倬達は小鬼との距離を十分にとって後を追う。

 

 小川のせせらぎに、ギャアギャアと不快な鳴き声が混ざる。身を隠して川辺の様子を伺えば、くぅちゃんの言っていた通り十匹の小鬼の群れが食事中だ。

 

 追っていた小鬼が捕らえた魔物の毛を毟り、そのまま齧り付く。牙が剥き出しになった大きな口から血を滴らせる様は、実に荒々しい。

 

 澱んだ緑色、汚れたオリーブ色、くすんだ黄土色と小鬼の肌はそれぞれ個性的な色を呈している。

 

 倬は小鬼達の肌色や、身に纏っている服、剣や斧、太い棍棒と言った装備についてメモを書き留めていく。これは依頼書にあった“行動範囲調査”の一環で、遭遇した小鬼の特徴を伝える為のものだ。

 

 小鬼の肌色を見極めるヨークが、小さく呟いた。

 

「三、いや五色か? かなり群れが混ざってんな」

「事前情報の二色より多いですね」

「これ相手にすんの、並みの“冒険者”にゃキツいだろうな」

 

 小鬼の肌色の違いを確認した倬とヨークの表情に険しさが混ざる。

 

 十匹の小鬼(ゴブリン)の内、半数が食事を終えてだらだらと川を遡って行くのを見送り、二人は残った五匹の様子を観察する事にした。

 

 器用に魚を掴みとり、頭から一飲みにする小鬼。大きな芋虫のような魔物を競うように奪い合って食べる二匹の小鬼。肌色だけでなく、身長や顔の造形にも個体差が大きい。倬は目の前で生きる小鬼と、知識の中にある“ゴブリン”を比較する。

 

(見た感じはイメージ通りかな……、仲良くなれる気はしないけども)

 

 ゴブリンと言えば、倬にとってはゲームの雑魚キャラとしての印象が強く、召喚前の日本ではゴブリン退治を物語の軸においた作品が二作もアニメ化され、“魔物(モンスター)”としてのゴブリンを味方につける作品も複数近い時期に放送されていた。

 今の日本は(まさ)に、大ゴブリンブームの真っ只中であると妹の霜中(ひろ)に語って聞かせて「はいはい、すっごーい、たーのしー」と流されたのが随分昔の事の様に感じる。

 

 日本に限らず現代のファンタジーにおけるゴブリンは、著名な小説やゲームの影響もあって“モンスター”としての色が強く、ある程度の知能を有しながら残忍な性質を持っていると描かれる事が多い。

 

 体長一メートル前後の二足歩行を可能とする類人猿型で、群れを形成し、武器などの道具を用いる程度に知能が発達している点で、この魔物の名前が小鬼(ゴブリン)と“言語理解”によって翻訳されるのは納得出来た。

 

 それでも、トータス固有の小鬼(ゴブリン)事情は確かに存在する。

 

「砂漠近くの()()は黄色か赤っぽいのが普通の筈なんだがな」

 

 低木の隙間から小鬼達の姿を見比べてヨークが零す。今も肉を(むさぼ)っている五匹の小鬼は、全て緑系の肌色だ。

 

 “冒険者”としての活動に十年のブランクがあるヨークだが、道場で叩き込まれた知識は健在のようで、倬に対して小鬼の特徴について惜しげもなく教えてくれたのだった。

 

 ヨークの説明によれば、地上に出没する小鬼の肌色は生息域によって違いがあるらしい。北大陸中央が最も緑色が濃く、東の樹海寄りで茶色が混ざり、北の山脈地帯周辺では青味を帯び、西と南に向かうにつれて黄色味が足されるのだが、砂漠に近づくと殆ど赤色の肌に変わる。

 

 この体色で小鬼の生態が大きく異なる訳ではないが、地域ごとに手に入れられる武器や食料に違いが出る為か、得意な戦い方が変わったりするのだと言う。

 

 ぼりぼりと鳥の骨をかみ砕いている音を聞きながら、倬はヨークの隣に座り込みメモを続ける。

 

「この森は既に中央寄りの小鬼が多いんでしょうか」

「んー……、それはまだ分かんねぇな。下手すると、もう完全に混ざっちまってるのかもしれん。“(ぶち)”が出たら群れの合流は確定だ」

 

 “斑《ぶち》”とは、体色が不規則な模様となって現れている小鬼の上位個体の通称である。

 

 生物が魔力の影響を受け、体内に魔石を獲得し狂暴化したものを魔物と呼ぶが、魔物の出現や繁殖と言う点では未だ謎が多い。これは小鬼についても同様で、現在に至るまでトータスの小鬼には雌の存在が確認されておらず、小鬼同士での“生殖行為”を目撃した記録は存在しない。

 

 だが、現実として小鬼達の群れがなんらかの理由で合流した後、体色が相互に影響した個体――“(ぶち)”――が出現すると知られている。

 

 “(ぶち)”が存在する群れは、元の群れが得意としていた戦い方や道具の使い方、狩りの技術等も伝え合うのか、“単色”の群れと比較してレベルが高くなるのだ。

 

 どーすっかなぁと呟いて、ヨークはマグレーデの武具屋で買ったごく普通の剣――中古品である――に触れた。

 

「とりあえず二万ルタは確保しとっか」

「刺激して様子を見ます?」

「いや、あいつら仲良さげに見えても外で五匹潰されたくらいじゃ大して騒がねぇからな。とりあえず雑魚のレベルを探ってみるわ」

 

 両手持ちの丈夫な西洋剣に似た刀身を鞘から少し覗かせて、ヨークは刃の状態を確かめる。

 

 その仕草に、倬は“祈祷師”の魔法陣を纏めた手帳を懐から取り出し、パラパラとページをめくって、使えそうな魔法を探しつつ聞いた。

 

補助(バフ)妨害(デバフ)は?」

「ちと俺自身の調子も確かめてぇから無くていい」

 

 特に気負うでも無く言い切ったヨークを信じる事にして、倬はパタンと手帳を閉じて懐に戻す。

 

「了解しました。何かあったら呟いてくれれば聞こえますので」

「……精霊様っつーか、倬ノ助が便利だよな」

 

 精霊様と一緒に行動できるのは心強い事この上ないが、それが可能となるのは“祈祷師”として精霊契約を成立させた倬が居るからだ。そう言う意味で、“倬が便利”だとする認識は正しいかもしれない。倬としても異論はなく、メルジーネの大迷宮でシャアクに向かって言ったのと似たような台詞で応じる。

 

「自分と一緒に居れば魔力枯渇なんてさせませんよ?」

 

 これに、髭を蓄えた五十九歳男性が体をくねらせて、頬に手を添えながら顔を赤らめてみせた。

 

「やだぁ。それ、もしかして口説き文句のつもり? ポッ」

 

 これに、眼鏡の少年は顔を青褪めさせた。

 

「やだぁ。それ、もしかして女声のつもり? ペッ」

「くくく……、悪くない返し持ってんじゃねぇの。ま、見てろって」

 

 軽口を叩き合って、ヨークはぶつぶつと詠唱を始める。詠唱の基本は砂漠で使っていたのと同じ内容だが、“制御式”に対応している部分を変更しているのが聞き取れた。

 

「――“発翔”」

 

 相変わらず魔法陣の用意も無しに“発翔”を起動させているヨークの魔力を、倬はじっと観察する。右太腿(ふともも)へ魔力が注がれていく様子は、中々に奇妙な光景だ。

 

 首元の大きな髪留めを踊らせて、治優様もヨークの詠唱に従って動く魔力の様子に興味を示す。

 

()()()()が魔法陣なんだねー! 治優もびっくり!』

 

 砂漠で倒れたヨークを治療する際、その体中に刺青が彫られていたのを見て、倬は少々驚かされていた。刺青そのものを見慣れていないのもあったが、何よりも驚いたのはヨークの右太腿に彫られていた絵だ。それは絵に見せかけるようにデザインされた魔法陣だったのである。

 

 絵画に魔法陣を仕込む技法は存在するものの、それを刺青で実行したと言う記録は倬も読んだことがない。

 

『その辺も教えて貰いたい所ですが……』

 

 ヨークは雨に濡れた落ち葉をざくざくと踏んで足元を確かめ、最小限の音だけを立てて小鬼目掛けて跳躍していった。同時に、何やら倬に向けて呟いているのが耳に届く。

 

――倬ノ助、男の下半身に興味がおありで?――

(そうだけど、そうじゃねぇ……ッ!)

 

 どうやら倬から向けられる視線に気づいていたらしい。

 

 文句の一つでも言い返したいところだが、こちらの声を届けるには音々様にお願いする等して直接ヨークに声を届ける必要がある。文句を言いたいだけでこんな事をお願いするのは自分にはとても無理だとぐっと堪え、見学に集中だ。

 

 跳び上がったヨークが、触っていた中古の剣を右手で抜く。

 

 “ステータス”による筋力補正を前提とした作りの“冒険者”向けの片手剣は、かなりの重さと丈夫さを誇る。

 

 そんな剣の重さと落下の勢いを活かした一撃が、一匹の小鬼の頭部に振り落とされた。

 

「ごぎゃ……ッ?!?!」

 

 突然攻撃を仕掛けてきた人間の出現に、残った四匹の小鬼が武器を拾い上げながらバックステップで距離をとる。俊敏かつ、冷静な動きだ。地上の魔物とは思えないほどの知能の高さを感じさせる。

 

 ただ、唾を吐き散らし、喚き散らす仕草から知性を感じとるのは難しい。

 

「ぎゃぎゃッ! ぎぃッ!」

「ぎゃ、ぐぎゃぅッ!」

 

 太く短い棍棒や錆び付いた剣で足元の岩を叩き鳴らし、激しく威嚇を繰り返す小鬼達。

 

 それに対するヨークの構えを一言で表すとしたら“脱力”そのものだ。

 

――折角だし、“れくちゃあ”しながらやるか。まずは……――

 

 “刀剣の妖精”やっくんに教わった“なんちゃっていんぐりっしゅ”を呟いたヨークの体が、()()()

 

 次の瞬間、手前にいた小鬼の頭が宙に舞った。

 

――これが“縮地”からの“無拍子(むびょうし)”な――

 

 飛び退いて距離をとった筈の小鬼との間合いを一息で詰め、恐るべき“斬撃速度”で首を刈り取ってみせる。

 

 ヨークの誇る“剣術”の才を持ってすれば、使い古された剣すらも研ぎ澄まされた一級品の如くだ。

 

 “縮地”も“無拍子”も、その根本は《動作の“起こり”を悟らせない動きが容易く行えるようになる》技能と言っていい。“縮地”であれば走り出す前の、“無拍子”であれば技を繰り出す前に自然と行ってしまう予備動作を必要としなくなる。

 

 動作の“起こり”から次の行動を予測させないこれら二つの技能を練達者が使用すれば、それは最早、瞬間的な移動であり、目にも止まらぬ攻撃としか認識できないだろう。

 

 実際、ヨークの動作からその太刀筋を技能“先読”に頼らず読み切れる自信は、今の倬には無かった。

 

 小鬼達に至っては、どうにか一拍遅れでヨークの背後から飛び掛かるのが精一杯である。

 

――次の()()()を実際に視るのは初めてだろ? “不拍子(ふびょうし)”だ――

 

 小鬼の勇猛な攻撃は、後ろ向きのままのヨークが出鱈目に振るった剣で横っ腹を叩き斬られて水泡に帰す。

 

 “出鱈目な太刀筋”と言うよりは“出鱈目な動作”と言った方がより正確だろう。“精霊契約”によって強化された倬の視力ですら、ヨークの肩がぐにゃりとあらぬ方向へ曲がったようにしか見えなかったのだ。まるで関節など存在しないかの如くに、である。

 

 ステータスプレートを見せてもらった際、ヨークはその技能の説明を読む事も勧めてきた。最初は自信の表れかと思ったのだが、そうでは無かったのだ。ヨークは技能の中でも特に“不拍子”や“無思遠慮”について、ステータスプレートの解説が全く参考にならないと知っていたのだ。

 

=============

*不拍子-それは調子っぱずれな動きに見える。

*無思遠慮(むしえんりょ)-思う事は無く、(おもんばか)るにも遠い。

=============

   

 これでは何の説明にもなっていない。倬の技能にもそもそも説明が表示されないものはあるが、まさかこんなところでステータスプレートの限界を感じる機会があろうとは思わなかった。

 

 奇妙な技能を発現させている“剣士”ヨークと五匹の小鬼達との戦いは、一方的なまま終わってしまう。

 

「ぎゃ……っ?!」

「きゅ……、ぎゃ……」

 

 ヨークの周りには首を切り落とされた小鬼達の死体が転がっている。それらをぐるっと見渡してから呟いた。 

 

――手応えから言って大体レベル二十前後ってとこか? んー、小鬼の雑魚にしてはレベル高ぇなぁ――

 

 経験からおおよその小鬼のレベルを計ってぼやくヨークは、一匹の胸元に切っ先を突き立て、刀身を抉り込みながら倬に手招きしてきた。

 

「倬ノ助、魔石回収すっから手伝ってくれー。……おぇぇ、小鬼クッサ!」

 

 手慣れた様子で魔石を回収していくのを見ながら、倬は改めて“冒険者”としての経験の差をヨークに感じていた。

 

 腰の“宝箱”から素材回収用のナイフを取り出し、小鬼の胸元に刃を向ける。

 

「……ヨークさん、小鬼の魔石回収する時のコツってあります?」

「おん? そりゃあれよ、()(さば)く時に恨みを込めねぇ事だ。勢い余って魔石傷つけっちまうと査定下がっちまうし」

「成程、気を付けます」

 

 実に“冒険者”らしい台詞だなぁと思いつつ丁寧に魔石を回収し、残った小鬼の死骸は燃やして処理する。

 

 わざわざ燃やしたのはヨークの指示で、死体をただ放置しておくと他の魔物の餌になってしまう為らしい。煙や匂いで他の魔物が寄ってきそうに思うが、その場に留まらなければ問題ないとの事だった。

 

 マントに着いた灰を払い落としながら、ヨークは川の流れに逆らうように視線を動かす。

 

「さて、小鬼共の動きを見るに上流に“巣”があるんだろうが……」

「それなら、ぼくが探ってみようか」

 

 ヨークの予想を受け、海姫様が川の中へ小さな手を入れる。ゆっくり瞬きをして、水と戯れているような姿は、可愛らしさ以上に神秘的なまでの美しさがあった。

 

「この川は洞穴に続いているようだ。水が随分と汚れているし、そこが“巣”の一つと見て間違いないだろうな。……ん? ヨーク、どうかしたか?」

 

 一見して幼げな精霊様に見惚れてしまっていたのに気付いたヨークは、慌てて頭を振ってから驚きを口にする。

 

「……ワァオ、もう見つけちまったよ。やっぱすげぇな」

 

 たおやかな仕草の海姫様に見惚れるのも無理は無いと、倬と雪姫様がうんうんと頷いている。

 

「ふふ、海姫様は“ちゃーみんぐ”な方ですからね。無理からぬことでしょう」

「はい。今のは“べすとしょっと”、でしたね……。正直ドキッとしました」

「むー、シモナカまでぼくを揶揄(からか)うのか!」

「いやいや、揶揄ってなんかいませんよ」

「うるさい。その、……照れるだろ、そう言うのは。だから、その……、とにかく止めろ」

 

 倬と背中を合わせ、真っ赤になった顔を見せまいとする海姫様。成程、これは“ちゃーみんぐ”である。

 

 ほのぼのとした空気に疎外感を感じたらしいヨークが割り込んできた。

 

「あー……、倬ノ助、俺も混ぜて貰っていいか? もうじき日が暮れる。小鬼ってのは夜中の方が元気だから“巣”を潰すのは明日にしようや」

「ふむ、では適当な場所で野営ですね。晩御飯どうします?」

 

 何よりも先に夕飯について聞いてきた倬に、ヨークは面食らってしまう。

 

「え、なに、作ってくれんの?」

「結局ついてきただけで何もしてないですし、これくらいは当然やりますよ。ヨークさんは休んでて下さい」

 

 そんなヨークを置き去りにして、妖精達がわちゃわちゃと倬に群がり始めた。

 

「はい! ちぃちゃんねー、お魚がたべたーい!」

「なら頂いた乾物焼いてみましょうか」

「焼き方はかーくんにお任せだ!」

「“ひみつきち作り”ならもりくんのでばんだな!」

「……きーくんも、手伝う」

 

 木や蔓で、みるみる内に屋根付きのシェルターが出来上がっていく様は圧巻だ。

 

(はぁ~……、無理無茶無謀もやってみるもんだなぁ)

 

 楽し気に妖精達の相手をする倬に苦笑しながら、ヨークはどかっと岩に腰掛ける。魚が苦手なヨークだが、少しくらい頑張ってみるかと何も言わない。

 

 周りを取り囲む常緑樹は大陸北であれば珍しくもないものだ。そんなありふれた森の様子に、改めて生きて人間族領に帰ってこられた事を実感するヨークなのだった。

 

 

 まだ日の昇りきらぬ暗い森には、ぶーっぽ、ぶーっぽっと奇妙な鳴き声が木霊している。フクロウに似た夜行性の鳥――ブッポの雄が朝も早くから求愛の真っ最中なのだとヨークがにやにや笑いながら教えてくれた。

 

 五匹の小鬼を倒した後、森の中で野営した二人は、海姫様が特定してくれた源流を抱く洞穴の手前で戦い前の腹ごしらえ中だ。 

 

 高い鼻をヒクヒクしながら“コーヒーもどき”改め“カエフコーヒー”の完成を待つヨークは、“マグレーデサンド”――チャーティンでぶ厚いハムを挟んだもの――をもぐもぐしている。

 

「ヨーク殿、淹れ立てでござる故、火傷なさらぬよう」

「こりゃどうも、ご丁寧に」

 

 刃様からカエフコーヒーを受け取り、ふさふさの髭を湯気で湿らせて、じっくりと香りを楽しむヨーク。

 

「んー……、こりゃ良いカエフだ……。お高いものなんじゃねぇの?」

「どうでしょうか。樹海に帰した中でアンバーさんって森人族の女の子が採集したのをよく分けて貰ってるので、この豆が美味しいのは知ってますけど」

「おいおい、森人族から直接貰ってるってか。そりゃ王国の“豆茶屋”が泣いて悔しがるぞ。樹海産のカエフ豆、超が付く高級品だから覚えとけよ?」

「へ、へー……、勉強になるなぁ……」 

 

 普段から飲んでいるカエフ豆が超高級品だと知って、カフェでミルクやコーヒーフレッシュを添える時に使うような小さなミルクピッチャーをつまんでいた倬の手が止まる。 

 

 ミルクを足そうとしてるのだと気付いたヨークが、肩を上げて鼻で笑う。

 

「やれやれ、これだからお子ちゃまは……」

「む。……良いんですよ、自分は練乳を混ぜるのが好きなのです」

「練乳? まさかと思うがそれも自前か?」

「そうだ。僕も手伝ったからな」

 

 倬の隣で森司様はシロップだけを混ぜたカエフコーヒーの薫りに目を細めながら、練乳について説明してくれた。その話し方はなんだか自慢気だ。

 

「風姫様の“寝床”で育てているヴォグーのミルクに、僕の“寝床”で採取したアーチェブのシロップを混ぜて煮詰めたもので、甘味も香りも他には無い逸品だぞ」

「特にうみちゃんが気に入ってくれたんですよね」

 

 実際、この練乳は特に妖精達に大好評を受けており、今も“海の妖精”うみちゃんが倬の持つミルクピッチャーをじーっと見つめている。薬作りの為に用意していた細くて小さいスプーンで練乳を掬い上げてうみちゃんに差し出せば、一瞬の躊躇いの後、スプーンをかぷっと咥え、甘さに瞳を輝かせた。

 

「あまあま……! うまうま……!」

 

 照れ屋さんのうみちゃんは常に倬の背中に張り付いているのだが、倬お手製の練乳には目がないようで、こうやって“あーん”させてくれるのだ。

 

 美味しそうに練乳を舐めるうみちゃんに、ヨークも気になったのかカップを倬に向ける。

 

「倬ノ助、俺にも」

「いや、ヨークさんに“あーん”するのはちょっと……」

「違ぇっつの。分かってて言ってんだろ、お前っ」

 

 適当にふざけ合いつつ、コーヒーを味わいながら日の出を待つ。その間に、複数の色が斑模倣になって現れている“斑”も含め、少なくとも八十を越える小鬼達が木の実や果物を持って洞穴へ入っていくのが確認出来た。ここが“巣”であるのは最早疑いようも無い。

 

 しかしながら、一ヶ所の“巣”に戻ってきたのが八十匹と言うのは、討伐の難度が高まる以上に大きな問題だった。

 

「ったく、こうなっちまうと平和ってのも考えモンだな」

「やっかいな話ですね。小鬼討伐に銀か金ランクが必要な理由がこれですか……」

 

 いわゆるロールプレイングゲームに出現するようなゴブリンはレベル上げ用の雑魚キャラとして用意される事が多く、トータスでも地上に現れる小鬼は兵士や傭兵、冒険者達から腕試しやレベル上げに丁度良い魔物であるとされている。

 しかしながらこの認識は、トータスの地上でそもそも出没する小鬼の絶対数が少なく、一度に多くとも三匹程の群れとしか遭遇する機会がなかったことに由来した。

 

 何故、トータスの地上では小鬼の絶対数が少なかったのか。それは、絶え間なく続いていた戦争の影響だ。

 

 小鬼達が好んで“巣”にするのは洞穴や廃村、古戦場に遺跡等。それらは戦時において拠点を構える土地として人類にとっても重宝された。つまるところ、人間同士が戦争する過程で、常に人類から駆逐され続けてきたのがトータスの小鬼(ゴブリン)なのである。

 

 故に小鬼の多くは戦争の影響が少ない山奥に出現場所が固定されており、小さな集落が襲われる事はあっても、大集団が形成される事は滅多に無かったのだ。

 

 ここ暫く戦争が沈静化していた事で小鬼達が駆逐されないまま数を殖やし、数を殖やしすぎた群れが分裂、新たな“巣”を求めて移動をしていると言うのがギルドの見解だった。

 

 高ランク“冒険者”が依頼の条件だったのは、大規模集団の小鬼討伐経験者が存在しない為なのだろう。

 

「ここら一帯は言っちまえば辺境だかんな、どっかしらの軍が訓練がてら小鬼討伐に来る回数も少なかったんだろうが……」

「マグレーデが栄えるのと同時に小鬼も増えてたって訳ですか」

「国が働かねぇなら領地を守るのはお貴族様の仕事なんだが、今時はギルドに金出して終わりって事も多いからな。……しゃあねぇ、仕事代わってやる分、がっぽり稼がせて貰おうじゃねぇの」 

 

 白み始めた空を見上げて、ヨークが立ち上がる。

 

「倬ノ助、しっかり見てろよ?」

「分かりました。勉強させて貰います」

 

 川に沿って進み洞穴に踏み込めば、小鬼特有の異臭が鼻をつく。湿気が酷いのもあって、不快さが強調されるようだった。

 

 洞穴は小鬼達によって拡張されているらしく、削った跡も見受けられる。意図してかどうかは分からないが、ごつごつと突き出した削りかけの壁は、もしも叩きつけられでもしたら軽傷では済まないだろう。

 

 周囲の岩には【オルクス大迷宮】と同様に緑鉱石が混ざっているようで、辺りは淡い緑色に照らされている。小鬼がここに“巣”を構えたのは、これが理由かもしれない。

 

 五分少々洞穴を進んだところで、奥からばちゃばちゃと足音が聞こえくる。

 

 ヨークが手を後ろに向け、倬に止まるよう合図を送る。続いて親指を立てて、にかっと白い歯を見せた。“行ってくる”とでも伝えたつもりなのだろう。

 

 倬はその笑顔に頷きだけで答え、万が一の事態に備えて“闇纏”で気配を消してヨークの背中を見守る。

 

 前のめりに倒れてしまうかのような姿勢から、地面を蹴らずにヨークが駆け出す。滑らかに発動した“縮地”で忽ち小鬼に肉薄。ヨークを左右で挟む位置に立っていた二匹の上半身が完全同時に肩から腹にかけて両断され、崩れ落ちた。

 

 ヨークが何気なく見せた二刀流は、小鬼達に断末魔を上げる事すら許さない。

 

――未だに謎なんだが、“巣”の中だとこんだけ静かに殺っても気付かれちまうんだよなぁ――

 

 倬に向けたヨークの呟きの通り、次の瞬間には洞穴の中で小鬼の鳴く声がけたたましく反響し、無数の水を蹴る音がこちらに近付いてきた。 

 

――行き止まりなんかで小鬼に囲まれちまって全滅なんて話は、これのせいだ。つーわけで、“巣”に入って一匹でも倒したら、下手に動かねぇで退路を確保しつつ、暫くその場で対処するのが基本になる――

「ぎゃっ……?!」

 

 両手に一振りずつ握る剣をだらりと下げ、ヨークは肩から先を鞭のようにしならせる出鱈目な剣捌きで奥から飛び掛かってくる小鬼を蹴散らしていく。

 

「「「ぎゃぎぃー!」」」

――この洞穴みてぇに狭い道で群がってくる小鬼には魔法よりも双剣が便利だな。もちっと短ぇ剣のが良いが、短剣(ダガー)だと短過ぎるってのが難しいとこだ――

「「「ぎぃ……ッ?!」」」

 

 小鬼を切り伏せ続けるのと同じテンポで、ヨークの舌は回りに回る。

 

――うちの道場にゃ“双剣師”のジジイが居るんだが、ジジイに言わせっと“やや短めで反りの深すぎない曲刀を二振り”ってのがお勧めらしくてな? まぁ、本職のジジイほどじゃねぇが、“剣士”なんだから双剣術だってお手の物よ。技能に出てなきゃ使えねぇ剣術なんざあるもんかって思わねぇか? 俺ぁ、得手かそうじゃないか程度の違いじゃねぇかって考えるね――

 

 倬の目の前で振るわれる剣術は、“踊るかの如く”と言うには少し違う。“無拍子”と“不拍子”を活用した予測困難な攻撃は、流麗さ以上に奇抜さが勝っており、その動きは筆舌に尽くし難い。

 

 次から次へと襲い掛かってくる小鬼の数は瞬く間に七十匹を越えたが、その全てが一太刀(ひとたち)(ほふ)られていった。全く疲れを感じさせないまま、ヨークは延々と喋り続ける。

 

 倬も精霊様も、戦いの最中であって口数の減らないヨークの姿にあっけにとられるばかりだ。

 

――雑魚の固有魔法はちょっとした身体強化くらいの効果でしかねぇからな。大した問題にはならねぇ訳だが……――

 

 ガキンっと金属のぶつかる高い音が洞穴の中で響く。ここに来て始めて、ヨークの剣が止まった。

 

「グルルルルル……ッ」

 

 ヨークの前で獰猛に唸る小鬼は、黄土色を下地に緑と赤で迷彩柄となった肌の“(ぶち)”だ。背丈はおよそ百三十センチ、明らかに筋肉の付き方が他の小鬼とは一線を画している。折れたロングソードを武器に使用しているが、意外にも手入れがなされているのか錆は見当たらない。

 

 “斑”が力任せに振るう折れた剣を軽々と往なしつつ、ヨークは平気な顔で小鬼の固有魔法“成覚(せいかく)”についてレクチャーを始める。

 

――“斑”の“成覚(せいかく)”は強力な身体強化だ。ってのは教えたよな?――

 

 昨日の夜、ヨークに聞かされた小鬼が持つ固有魔法“成覚”は、魔物が発現させる固有魔法の中でもかなり特殊なモノだった。

 

 同一種の魔物が持つ固有魔法は、その個体のレベルに応じて威力が上下する事はあっても、同じ効果を示すのが普通だ。

 

 だが、小鬼の固有魔法はその個体によって、効果が大きく異なる事例が知られてる。

 

 多くの個体は弱い身体強化なのだが、“斑”の身体強化はステータスを一時的に倍加させる程の強力さがあるのだ。

 

 他にも身体強化を耐性・魔耐に極振りした防御特化の個体“肉”や、身体強化を持たない代わりに何らかの属性魔法を撃ち出す“(ぞく)”と呼ばれる個体まで存在する。

 

 その小鬼の性質・性格に応じて効果を変化させる固有魔法である事を以て“成覚”と名付けられたのだと言う。

 

――迷宮やら遺跡やらの奥まで潜って上位個体に見慣れてねぇとびっくりすんだ。レベルで言うと……、四十くらいにはなんのかね――

「ぎゃぎゃっ! きぃーいっ!」

 

 まるで世間話をするような調子のヨークに怒り心頭の“斑”だが、自慢の腕力が通用しないと理解したのか一度後退して、剣で壁をカンカンと叩き出す。イライラを鎮めるのともう一つ、この行動には意味があった。

 

――これが始まると“斑”より厄介な“肉”と“属”が来る。ああやって叩かせねぇのが理想っても、今回はどっちみち倒すんだから関係ねぇわな――

 

 ヨークがこの言葉を言い切るよりも早く、倬の魔力感知が“斑”の後方で魔力の膨らみを感じとる。そこから撃ち出されたのは、拳大の汚れた水の塊だ。

 

 身体を回転させ、背中のマントでその魔法から身を守ったヨークは、雑魚を蹴飛ばすのと同時に詠唱を開始した。

 

 “闇纏”で気配を消して後方で待機している倬に勘だけで目を合わせ、手は出さなくて平気だと笑みを浮かべ、大人二人がギリギリ並んで通れる程度の狭い洞穴でヨークは剣と共に躍動する。

 

 独特なリズムと抑揚で唱えられる呪文は、まるでラップのようだ。

 

「――“発翔”ッ!!」

 

 複数同時に飛来する水の塊を、右手の剣が叩き落し、左手の剣が突き潰し、軽やかなジャンプから繰り出される風を纏った脚が蹴り返す。

 

 蹴りの勢いで()()()()()()を決め、“発翔”の効果を活かし切って、水の塊を放つ小鬼達の元へ駆ける。

 

「「ぎゃぎゃぎゃッ!」」

「「「「ぎゃーぅ、ぎゃっ」」」」

 

 足元の水を操り泥水を放つ細身の小鬼が二匹と、それを取り囲み盾を持つ太った小鬼が三匹。計五匹の小鬼が侵入者であるヨークを迎え撃たんと構えているが、ヨークに怯む様子は少しもない。

 

――低級程度の威力だが鬱陶しいからな。“(ぞく)”が出たら最優先で叩くべしだ。“(にく)”共が守りを固めてるが、剣に脂が付くから後回しってのも忘れちゃならねぇ―― 

 

 “肉”の一匹の盾を足場に、五匹の頭上、天井スレスレをすり抜ける。後ろに着地ざま、二匹の“属”それぞれの背中に短剣を投げつけた。

 

「「……ぎぃ?!」」

 

 深々と突き刺さった短剣で“属性持ち”である小鬼の上位個体は、何も出来ないまま死を迎えてしまう。

 

 背中合わせになった“肉”とヨークの内、”肉”の一匹が咄嗟に盾を投げ飛ばして果敢に突進。

 

「グガァァァッ!!!」

 

 “肉”と渾名(あだな)される重量級の上位個体が得意とする突進は、勢いだけでなくタイミングも申し分ない筈だった。

 

 その突進は、全身を()()()()()()ヨークには当たらない。まるで出来の悪い“3D映像”を、必要な眼鏡無しで見ているかの如きだ。

 

――あー……、そうそう。これが“景朧(かげろう)”。“縮地”で極短距離の往復する遊びしてたら出来てた技能だったりするんだが――

 

 要するに“縮地”を用いた反復横跳びをしていたら派生したらしいのだが、それだけで説明がつく現象ではないのは確かだろう。“影分身”とでも言い換えて差し支えない可能性すらあった。  

 激しすぎる筈の動きの中で、寸分違わず“肉”の喉笛に剣を突き込みながら、ヨークの舌は滑らかに回る。

 

――追加技能に“後識(ごしき)”ってのもあったろ。なんつーか、経験を活かして“先読”の先を読むって感じっぽい。“先読”の後でどうすれば良いか()る、的な?――

 

 洞穴の狭い道に敷き詰められた小鬼の死骸から、投げた短剣や突き込んだ剣を抜き、ポケットから取り出した布切れで血を拭う。

 

「倬ノ助、今までの動きで質問は?」

 

 気が付けば小鬼の増援が止まっている。ヨーク曰く、“巣”での小鬼の行動は前部・中部・後部に分けられているとの事だった。前部の防衛を担っていた小鬼達はヨークが全滅させてしまったらしい。

 

 “闇纏”を解除し、倬はここまで見学していた中で気になった率直な疑問をぶつける。

 

「あれだけ喋ってて舌噛んだりとかしませんか?」

 

 精霊様達もそれが一番心配だったようで、頻りに頷いている。

 

 ヨークはと言えば、質問の内容に声を上げて笑った。

 

「気にすんのそこかよ! 実は無ぇんだわ、それが。色々条件変えて試してみたんだが、どうにも“無思遠慮”の効果らしくてな。どんな状況だろうと習得した技を間違いなく、それも何となくで使える感覚……って言っても分かんねぇか」

 

 “無思遠慮”が“剣術”の派生である為か、お手製の剣を握り締めて、それらしい型で構え、前のめりになって聞いているのは刃様だ。

 

「状況に合わせて狂いなく動きを決められるのでござるか?」

「んー、状況に合わせて狂いなく技が()()()()()って方が近ぇですかね。だから詠唱するなり、延々とくっちゃべってても余裕って寸法です。今日は用意が無かったから使ってねぇですけども、爆竹とか毒団子とか投げるのに集中して、剣の扱いは“無思遠慮”に任せるなんてのも。……そんな使い方してたら“面汚し”とか呼ばれちまって」

「ふーむ……。とすれば、ヨーク殿の扱う双剣は“無思遠慮”の副産物かもしれんでござるな」

「おぉ! 流石は“刀剣の精霊様”、言われてみればそうかも!」

 

 刃様と“剣術”について語り合うヨークの姿は、まるで子供のようだ。意気揚々とぐるぐる肩を回して、洞穴の奥に鞘の先――(こじり)――を向ける。  

 

「どれ、奥で寝てる奴らも叩き起こしに行くか。この“巣”は綺麗にして帰るとしようぜぃ」

「どんな技をみせてくれるかたのしみナリ!」

「お任せあれっ」

 

 楽しそうなヨークとやっくんの様子に微笑んで、倬は肩に掛けた麻袋を掲げて見せる。袋の中からはゴトッと堅い物がぶつかり合う音が聞こえた。

 

「勉強させて貰う分、魔石の回収は任せて下さい」

「……結構なペースで倒してたと思うんだが、いつの間に回収してたん?」

「ヨークさんが倒した端からです」

 

 ヨークによって次々に斬り倒されてしまって特にやる事が無かったので、内緒で空間魔法も使いながら魔石回収をしていたのだ。

 

 魔石を取り出すような気配を全く感じなかったヨークは目を丸くするが、それよりも倬から回収を任せてくれと言い出したことを喜んだ。ついでに剣の稽古相手として雇う件についてもアピールを忘れない。

 

「全然気付かなかった……。まぁいいや、ちょっとは見直してくれたって事だよな。道場で“M”貰ったら師範代やれっから、俺に師事すれば我が道場に入門した事になるんだが?」

「なんて名前の道場なんでしたっけ?」

「そりゃ、はな……。あっぶねぇ、それは入門したらだ。割と居んだよ、名前のせいで入門しなかった奴が。さぁ、昼前には終わらせっぞー」

 

 この張り切ったヨークの活躍によって、総数二百五十を越える小鬼が住み着いた“巣”はものの二時間程度で壊滅してしまうのであった。

 

 

~~~

 

「倬殿、倬殿、さっきの“とりっくあーと”、本当に面白かったな!」

「らいくんな、らいくんな! またあそこ行きたいなっ!」

 

 パチリパチリとツンツンした大小二つの短髪から青白い静電気が跳ねる。

 

 “巣”を一ヶ所潰し終えて小鬼(ゴブリン)討伐の依頼(クエスト)を切り上げた後、ギルドへの報告をヨークに任せ、倬は精霊様達と“月の精霊様”が好きそうな場所を探す名目で美術館を巡っていた。

 

 美術館巡りが“月の精霊様”探しに関わってくると言うのは奇妙な話だが、一応はちゃんと理由がある。

 

「う~ん、とっても楽しかったけど、“月の精霊”ちゃんが好きそうな場所とは違ったわね~」

「“月の”やつは人の子の逢引きを覗き見るのが好きだったからな。もう少し男女で集っている様な場所の方が良いのでないか?」

「そうやって聞くと、何というか、その……」

 

 空姫様と光后様は真剣に探してくれているのだが、頭を悩ませている内容は“祈祷師”である倬にはとってちょっと指摘しにくいものだ。

 

 口ごもる倬とは違い、精霊の大物である“大地の精霊”土司様は特に気を遣うでもなく、“月の精霊様”を思い出しながら笑った。

 

「まぁのぅ、俗っぽい精霊ではあるのぅ」

「土さん、遠慮無しですか」

「遠慮した所で精霊の性質は変わらんしのぅ。昨夜(ゆうべ)ヨークにも聞かせた通り、“月の”は特に()()()()のだ。それが“月の”らしさと言って良い」

 

 森での野営中、倬がマグレーデに訪れた理由である精霊様探しについて聞かれた際に、ヨークにも“月の精霊様”の特徴については伝えてある。

 

 地上に残っている精霊様達が基本的に人の子を好むのは共通しているが、“月の精霊様”が人に寄せる関心は、もっと“即物的”なモノに向いている。もっと分かり易く言い直すのなら、人の子の色恋沙汰が大好物な精霊様なのだ。

 

 それを聞いたヨークが「ならデートスポットでも巡ってみるのはどうだ?」と言い出したのを受けて観光がてら美術館巡りをしていると言う訳である。

 

「音々様の時みたいに街中でお会い出来たら話が早いんですが、ハッキリとした気配は感じませんね」

「“月の精霊様”がお休みにするには、この街は灯りが多すぎるかもって音々思うなー」 

「………………うん。宵闇も、そう思う。まだ月が細いし、気配が弱いのは仕方ない、かも」

 

 宵闇様の言葉に、倬は天頂に輝く太陽を仰ぐ。

 

 トータスにも暦の“月”に対応する言葉がある事から明らかなように――多少の差異は存在するものの――この世界の月にも、地球から望む月と大体同じような周期で満ち欠けが起こる。

 

 “月の精霊様”が放つ気配の強さは、不思議と大地から見える月の満ち欠けと連動しているらしく、ほんの数日前にメルジーネの大迷宮に挑んだ時が新月だった事を思えば、現時点で気配を感じにくいのは受け入れるしかなさそうだ。

 

(これは“望月”を待ってみるしかないかな……)

 

 待つだけと言うのは焦れったく思うが、僅かとは言え精霊の気配を感じた以上、この周辺から動くのは得策ではない。小さく溜め息を零す倬の視線の先に、刃様が正座で現れる。

 

「主殿、ヨーク殿は無事に報酬を受け取れたようでござる。近くの噴水で、との事です」

「ありがとうございます。……幾らになったんですかね」

「金貨が沢山だったのは間違いないかと」

「殆どヨークさんの取り分ですが、ちょっと楽しみです」

 

 

 どれだけの報酬になったのかとワクワクしながらヨークが刃様経由で指定して来た近くの公園の入り口で、倬は大変気まずい思いに駆られていた。

 

 入り口から見える全てのベンチがカップルで埋めつくされ、人目も憚らずいちゃついている光景は、倬にとって些か以上に刺激が強い。

 

 そんなカップルだらけの公園の中央、勢い良く噴き出す流水の傍らで、ヨークはと言えば二回り以上年の離れているだろう女性と楽し気に喋っている。 

 

 “度し難い”、と倬の眉間に深い皺が寄った。

 

(なんだぁ、ありぁ……)

『待ってる間にナンパ出来るとか、良い根性してるわね。倬もあの図太さは見習いなさい』

『ええ……、風姫様はそんな契約者で平気なんです?』

『アモレは割とあんなんだったわよ。男なんてそんなもんでしょ?』

『ヨークさんとアモレ様を男の基準にするの、止めて欲しいなぁ……』

 

 ヨークと女性の間に漂う桃色の雰囲気に声を掛けられないでいると、やっくんに耳打ちされたヨークが倬に向かって手を挙げて見せてくる。嫌々ながら近付けば、ヨークは一度挙げた手を下ろし、自然な流れで女性の手をとった。

 

 腹立たしい程にシブカッコイイ声で、ヨークは心底悲しそうに(ささや)く。

 

「もう、連れが来ちまった。ほんの束の間だったが、君と一緒に過ごせたひと時は老いた俺の余生に光を与えてくれたよ。本当に、ありがとう……」

 

 倬と落ち合うまでの一時間にどんなやり取りがあったのか想像する事すら叶わないが、女性の方も瞳を熱っぽく切なげに潤ませて、その華奢な手を逞しいヨークの手に重ねた。

 

「もう、大袈裟ね……。私も楽しかったわ。その……、女の方からこんな事を言うのは、はしたないって思われるかも知れないけれど、(わたくし)、また貴方と――」

 

 震える女性の唇を、ヨークの人差し指が優しく止める。ヨークが言葉を遮り、小さく頭を横に振って、無言のままじっと見つめ合う事、五秒。

 

「…………そこから先は、どうか俺に言わせてくれ。こんな老いぼれでも構わないのなら、また君と……、今度はもっとゆっくり話がしたい」

(わたくし)も、同じ気持ちです……」

 

 何がどうしたらこうなってしまうのだろうか。倬の方は、眉間に指先を触れて理解を拒む頭を立て直すのに必死だった。

 

(何がどうなったらこうなるのん……? あたまいたい……)

 

 心の中で頭を抱える倬とは対照的に、精霊様達はこの状況について文句は無いらしい。

 

『単純にあの女子(おなご)の好みだったんじゃないか?』

『サルニッケ様の容姿は整っていらっしゃるようですから、光后様の仰る通りかと』

 

 光后様と雪姫様は、何故こうなったのかと言う倬の疑問に応えて、ヨークの外見を理由に上げた。指先を激しく動かして“ビート”を刻んでいる音々様は、なんだかテンションが高い。

 

『音々はねっ、声が良いんだと思うな! “だんでぃ”って感じ! あの子からね、どきどきっておっきい音が聞こえるの!』

『かーくんも感じるぜ。あの娘から燃えるような情熱をよ……』

『それはそれは……、コメントに困るなぁ』 

 

 遠い目をして二人をハッキリ見ないようにしていると、ヨークが名残惜しそうに手を離して立ち上がったのに気付く。

 

 何やらお互いにお礼を言い合い、倬を見た女性は深々とお辞儀をして、公園を後にしてしまう。

 

 謎の罪悪感に(さいな)まれる倬に、ヨークは何事も無かったかのような笑顔を向けてきた。

 

「わりぃわりぃ、ちょっと話が弾んじまってよ」

「あー……、良かったんですか。あんな風に帰しちゃって」

「ん? あぁ、さっきの()な。良いんだよ、行きずりの男との出会いってのは、あれくらいで丁度良い。ちったぁ、元気も出ただろ。俺も楽しかったし」

「はい……?」

 

 高校一年、交際経験無しの倬にはヨークが何を言ってるのかまるで理解できない。

 

「あら、案外“イイ男”やってるじゃないの」 

 

 へぇ、と驚いた顔を見せたのは風姫様だった。何故だがヨークを見直したらしいのが倬に伝わってくる。

 

「いやぁ、それほどでも。泣いてる女の子を見かけたら、ほっとかないってのが信条でして」

「うんうん、そもそも動かなきゃ土俵にも上がれないって事よ。倬、覚えときなさい」

「うぇー……。まさかの展開にショックが隠しきれない……」

 

 風姫様は時々、恋愛について倬を急かす様な事を言うのだ。かつての契約者であるアモレが独身を貫いてしまったのが気がかりだったそうで、ヨークの信条を聞いてスイッチが入ってしまったらしい。

 

 この手の話題になると華麗に逃げ出そうとしてもすぐに回り込まれてしまうので、諦めてヨークに会話を盛り上げる秘訣を聞いてみる。

 

「えっと、どんな角度で話が弾めばあんな風になるのか伺っても?」

「また妙な言い回ししてくるな、倬ノ助は。だが、まぁ嫌いじゃねぇ。それで言うとそうなぁ――」

 

 ヨークは得意げに独自の恋愛哲学を語る。身振り手振りも交え、ノリノリだ。

 

「最初は“鈍く”挨拶から、軽ーく話を弾ませる。軽くて良いから話を弾ませ続けるのが肝心だ。んで、少しずつ話題を“鋭く”――、ちょっとした下ネタなんかも混ぜながら心の穴を探るわけよ。そのぽっかり空いた心の穴の深いとこに、こう……、ポンっと話題を投げ込んでやれば――、ああなる」

「わぁ、ちっとも参考に出来る気がしない……」

「なぁに、魔法陣と一緒だ。手前(てめぇ)の適性を把握して、必要な魔法式を組み合わせて、丁寧に詠唱してやれば――、そこに魔法(きせき)が起きるってな。倬ノ助の得意分野だろ?」

「その例えが上手いのかどうか、自分には判断出来かねます……。って言うか、娘さんがいるって言ってませんでしたか?」

 

 ちょっとビクッと肩が上がるが、ヨークは上がった肩を回して誤魔化す。

 

「いつ何時、あのやべぇ“殺人鬼”の気が変わるか分かったもんじゃなかったから、結婚は諦めたんだ。娘が物心ついた頃にやっと会えたんだが、俺の事は父親だって信じちゃくれなかった。だからまぁ、倬ノ助が心配するような事にはなんねぇよ」

「そう……、ですか」

 

 長い逃亡生活を続けていたヨークに対し、子供の話題に触れたのは無神経だったと思い至り、何と言ったら良いものか悩んでしまう。

 

 倬の返事が鈍ったのに気付いたヨークの方も、うっかり喋り過ぎたと苦笑いだ。

 

(やれやれ、倬ノ助もしょぼくれた顔してっとただの子供みてぇだな。……あ? いや、そういやコイツまだ十五だったわ)

「……ふっ。そ、れ、に。俺ってばサルニッケじゃん? これ、なんだかんだ伯爵家の姓だし、もし万が一の時には色々誤魔化して重婚も余裕。ぶっちゃけると知らないだけで他にも子供いるかもしれねぇからな、俺」

 

 実に酷い内容だが、重くなりそうな空気をぶち壊してくれたのだと、倬もそれに乗っかる。

 

「万が一の時でも手切れ金は貸しませんからね?」

「うぇ……、久しぶりに女の子と楽しく喋ってたのに、怖い事言うんじゃねぇよ。さっきの娘に色々と教えて貰えたからよ、宿探しのついでにお爺さんともデートしようぜ?」

「うぇ……、初めて誘ってもらったデートの相手がヨークさんとか、もうこれ泣きそうです……」

「…………それは、なんかゴメン」

 

 

 淡い赤色の厚みのある花弁が特徴の花を咲かせる木――カメールペ――が、街の北や東から流れ込む小川に沿って咲き誇る。そよ風に乗り、爽やかな甘い香りが辺りに広がっていく。

 

 ヨークが女性から聞き出したのは、このカメールペ並木の近くにデートスポットが集中していると言う内容だった。特に人気の歌劇場は長蛇の列が伸び、そこで順番を待っているカップル達がイチャイチャし続けている。そんな光景を見せつけられて、倬は改めて“常時瞑想”の存在に感謝の念を抱いていた。

 

 歌劇場の列はまだ良い方で、すぐ近くの川べりに点々とする恋人達の様子に、倬の心はどんどんすり減っていく。

 

 日本で例えるなら京都は鴨川で見られるのに似た光景と例えて伝わるだろうか。そこでは沢山の恋人達がお互いに身を寄せ合って、ぴったりとくっついたまま座り込んでいた。カップル同士が測ったかのように均等な距離をとって並び、“お花見”を口実にイチャついているのだ。

 

(この雰囲気、場違い感が半端ない……。逃げ出したい……)

 

 傍から見れば、今の倬とヨークは年の離れた男二人組でしかない。既に二度、男の方がこちらを睨みつけ、女性の肩を強く抱き直すなんて場面に出くわしている。どうにも、倬とヨークが二人で歩いているのが、ナンパ目的だと思われてしまっているらしかった。

 

 ヨークはともかく、倬にとっては道端で適当な女性に声を掛けるなど神代魔法を使うよりも難易度が高いので無用な心配なのだが、彼らも彼らで恋人を手放さない為に必死なのだろう。  

 

 倬とは違い、ヨークは恋人達がお互いの愛を確かめ合っている様子に動じる所か、口笛を吹いて煽ったりしていた。ニヤケ顔をそのままにしてヨークの視線が倬に向けられる。

 

「どうだ? 精霊様の気配ってのは感じるか?」

「あー……、少し近付いた感じはありますが……。まだかなり遠いです」

『ほんの僅かだが、この川の水に気配を感じた気がする。ぼくだけではハッキリ言えないな。雪姫は?』

『ワタクシにも、どなたの気配かまでは分かりかねます。とは言え、川、あるいは水に関係している場所は調べた方がよろしいかもしれませんね』

「んなら、このまま“大噴水”まで足伸ばしてみるか。腹も減ったし、そこでちと休憩しようや」

 

 海姫様と雪姫様の感じた僅かな気配を頼りに、他にも幾つかのデートスポットを巡りながらマグレーデ最大規模の噴水が目玉として人々が集う“大噴水”までやってきた。

 

 ここは比較的に家族連れの方が多く、今までのスポットよりは落ち着いた雰囲気がある。デートスポット巡りで酷い気疲れに襲われていた倬にとって、のんびりしたこの場所の空気は有難い。ベンチに座り項垂れる倬は、それはそれは大きな溜息をついてしまう。

 

「はぁ~……」

「がははは。まぁ、倬ノ助の気持ちも分かる。ちゅっちゅ、ちゅっちゅと人目なんざまるっと無視だもんな。俺もムラムラしていけねぇ」

「ムラムラって、ヨークさん余裕ですね……」

「そりゃ、自分の若い頃を思ったらまだまだ微笑ましいっつーか……、ねぇ?」

「“ねぇ?”じゃないんだよなぁ……。あれが、微笑ましいって()()()はいったい何をしてきたんです……?」

 

 どうやらヨークとの経験値の差は“冒険者”についてだけでは無いようだ。

 

 街に戻ってきてから思わず負った精神的なダメージをなんとか回復させるべく、広場にあるステージの上で演奏されるゆったりしたカルテットに身を委ねる。

 

 音々様や治優様が美しい旋律に瞳を輝かせて体を揺らす微笑ましい姿に癒されていると、ヨークがローブの裾を引っ張ってきた。

 

「倬ノ助、倬ノ助」

「……なんです?」

「しんどそうな倬ノ助の気分を変えてやるべく、“冒険者”として生きる為の観察眼を“れくちゃー”をしてやろうと思ってな。ここから見える絵描きの中で、一番稼いでる奴は誰だと思う?」

「また突然ですね。えーっと……、奥の凄い沢山画材を並べてる人なんか、お金持ってそうですが」

 

 二人が座るベンチから見える絵描きは四人。

 

 広場右側、山高帽(ボーラーハット)から白髪を覗かせる男性が、絵具や筆など沢山の画材に囲まれながら風景を描いている。道具の充実っぷりに、一人の若者が羨ましそうな顔をして通り過ぎていった。

 

 他の三人は、観光客向けに似顔絵を描く仕事をしているようだ。

 

 カップル客を相手に葉書サイズの絵を黙々と仕上げている中年男性に、木箱の上に腰掛けて大きなパイプを吸いながらぽけーっと客を待つ若い男、紅一点の女性は客を待つ間に炭で次々と人物画を描いて技術をアピール中だ。

 

「確かに画材をあれだけ買えるってのは“金を持ってる”証拠だ。けど、実際に稼いでるとは限らん。あいつのパレット見てみ」

 

 言われるがまま絵具パレットに視線を向けると、それは新品らしく全く汚れていなかった。よくよく見ると全ての画材がほぼ新品のようだ。

 

「あれ? そもそも“画家”じゃない……?」 

「多分な。服も靴もかなり良いもん着てやがるし、ありゃ趣味の絵描きだ。家督を譲った後の貴族ってな暇だから、芸術に凝り出したりすんだな。椅子に刻んである紋章、あれなんか伯爵クラスのそれだ。何気に護衛っぽい奴らもあちこちに散らばってる」

 

 言われて広場を見渡せば、ぎこちない雰囲気のカップルが白髪の男性を気にかけているのが目に付いた。

 

「成程……。でも、そもそも観光客向けの似顔絵を描いている人同士、そんなに収入の差って出ますか?」

「その通り。よっぽど名が売れてなけりゃ大して稼げねぇだろうさ。だが、名が売れている“画家”はこんなとこで似顔絵描きなんかまずやらねぇ」

「であれば……、あの煙草吸ってるやる気無さげな人には、別の収入があるんでしょうか」

「そこよ! そこに気付ければ合格だ。ちょっと冷やかしてやろうと思うんだが、ついてくるか?」

 

 

 “大噴水”の前に陣取る若い男の絵描きは、大きなパイプで美味しそうに煙草を吸っている。倬とヨークが近付いてくるのに気付き、一瞬だけ面倒だと言わんばかりに表情が歪んだのを二人は見逃さない。

 

 ヨークは観光客らしい高いテンションで、フレンドリーに話しかける。

 

「なぁなぁ、お若い絵描きさん。ちょっと聞きてぇ事があるんだが、時間いいかい?」

「なんだい、お爺さん。観光案内なら俺より案内所かギルドにでも頼った方が賢いと思うよ」

 

 第一声が絵描きの依頼では無かった事も手伝ってか、男の態度は投げやりだ。とは言え、雑に追い払わないだけ最低限の礼節は(わきま)えているとも言えた。

 

「いやな? 若い娘を連れ込むのに丁度いい宿とか酒場とかってなると、観光とは話が変わってくっからさ」

「ほへぇ~。息子連れでお盛んだなぁ。俺もこんな父親が欲しかったね。羨ましいぜ坊ちゃん」

 

 質問してきた内容に面食らった絵描きは、倬とヨークを似てない親子と判断したらしい。刃様は心配そうに倬の顔を伺う。

 

『むむ、親子と勘違いされてしまったでござるな』

「ハハハ、ソウカモデスネ。ドウデスカ、オ義父(トウ)サン、一枚描イテ貰ウト言ウノハ」

 

 案の定、倬の方は凄く嫌そうだが、棒読みでも話をしたいのなら絵を頼んでみたらと提案してみる。

 

 「俺の息子役、そんなに嫌かよ……」と口の中だけで呟きつつも、ヨークは提案に乗った。

 

「あー……、マグレーデ旅行の記念に、二人並んだとこなんか描いちゃくれねぇか」

「おぉ! お客様って事なら話は別だ。噴水背景で描くから、そっちの箱に座ってくれ。ちなみに! 女の子と()()()出来る店って話なら、フューレンとか帝国、近場ならショーウントのが良いぞ?」

「いーや、俺らは金出して()()()する趣味はねぇんだ」

「ふーん、じゃあ地道にナンパ? それなら、ちとお高い酒場があるんだが、大学の連中なら乗ってくるかもしれねぇって点でお勧めだ。こっからだとギルドに向かって歩いて――」

 

 絵を頼むとまるっきり態度を変え、マグレーデでお勧めの酒場を丁寧に教えてくれる。絵と関係ない話題の最中も、姿勢やどんな画法が希望かの確認も怠らない。やる気を感じられなかっただけで、ちゃんとプロの絵描きではあるようだ。

 

 男が椅子替わりに座っていた箱に貼り付けられたメニューから、写実的・色付けは無しの木炭画を一万五千ルタでお願いすれば、男の口は更に滑らかになった。

 

「いやぁ、流石に詳しいな」

「まぁな、フューレンからこっちに越してきて五年にはなるから、当然だって」

「だとしたらよ。……真っ黒い革のローブの“商人”って聞いて、心当たりはねぇかい?」

「…………また面白い事聞くなぁ、爺さん。ちょっと待ってくれ」

 

 そして、男は一枚の紙切れを箱の中から探し出し、ヨークへと手渡した。その紙片には、勢いよく噴き上がる“大噴水”の手前に、大きく真っ黒なローブで籠を背負う人物が描かれていた。

 

「雰囲気がなぁ、着てるローブより暗くってさ。こんな明るい街であんなん見たら、絵描き魂が滾っちまって、慌てて描いたの覚えてるよ」

「……この人について他に知ってる事ってありませんか」

 

 倬が詳細を問うと、男は似顔絵の料金表を貼り付けた箱をひっくり返す。そこには見事なレタリングでデカデカと“一問・二万ルタ”の文字が踊っていた。

 

 ぼんぼんっと箱を叩いて、悪そうな顔で男が一言。

 

「……こっから先は一律料金だ!」

「ぶふっ!」  

 

 どこかで聞いたことのある言い回しに、倬は思わず吹き出してしまう。

 

(“一律料金”だと何てルビになるんだろ……)

 

 中二病的な感性が刺激され、脳内でルビを組み立て始める倬に、雷皇様も一緒に頭を悩ませてくれるが、文字に馴染みが無い精霊様には少々厳しいようだった。

 

『オレには難しいな。どう()()()?』

『自分としては元ネタに寄せたい所ですね。あく、あーく……、“中二”にとって“Ark(アーク)”って“聖櫃(せいひつ)”のイメージが強いんですが……』

『元はだだ“大きな箱”って感じの意味みたいだな。オレは有りだと思う』

『では……、“この霜中倬が名付け親になってやるッ!”。“一律料金(アークセラーレート)”って感じでどうでしょう』

『おぉ……! それっぽい気がするぞ!』

 

 倬と雷皇様が絵描きとのやり取りそっちのけで盛り上がっているのを遠巻きに眺めて、風姫様は呆れ顔だ。

 

 絵描きの男も倬が急に吹き出した事に驚いて、訝しげな視線を向けてきた。 

 

「……坊ちゃん、どうかしたか?」

「あ、いえ、なんでもないです。それよりも、“一問・二万ルタ”ですか」

 

 “商人”についての噂を聞くのに、ヨークが真っ先にこの男を選んだ理由は理解できた。なるほど、“絵描き”だけで生計を立ててはいないのは明らかだ。

 

「絵描きの兄ちゃん、やっぱ“情報屋”だったな。最初っから金額指定してる奴なんか初めて見たけどよ」

「うっせぇ、これが俺のやり方なんだよ。あんただって気付いてて声掛けてきたんだろ? 誰の紹介だ?」

 

 絵描きの男は“情報屋”で金を稼いでいた事を認める。ヨークの態度も最初から可笑しかったと、どうして自分に“情報”を求める気になったのか訊ねてきた。

 

 すると、ヨークが勝ち誇った顔で“情報屋”である事を疑った理由一つひとつに指を指していく。

 

「今も咥えてるアッザイヤ製高級パイプ。履いてるボトムもボグー革だな、テカリを抑える仕上げっのてのは難しいって聞く。確信したのはシャツから見えた“シュッペ・リュスト”だ。ただの“画家”が、魔物から剥いだ鱗の鎖帷子(くさりかたびら)なんぞ着込むかっての」

 

 どやっと髭を撫でるヨークをまじまじと見る“情報屋”は、感心したように大きな溜息を零す。

 

「はぁ~……。いや、勉強になった。例の“商人”の話な、あんま余所者に聞かせるような話題じゃないんだ。喋ったのばれたら後が怖ぇから、金でも貰わねぇと割に合わねぇ」

 

 どうやら金さえ払えば“商人”についてもう少し詳しく話を聞けそうだ。小鬼(ゴブリン)討伐で計百万ルタ以上の報酬を得た今なら、二万ルタ程度の支払いは躊躇う必要も無いだろう。

 

「分かりました。金二枚ですね」

「物分かりが早くて助かるね。ま、俺も最初は全然知らなくて、変な奴が居たって描いた絵を絵描き仲間に見せたのが最初よ。つるんでた連中が皆、こいつから良く効く“クスリ”買ったって言い出して。あれにはビビったなぁ」

「“クスリ”……? あの野郎、そんなもんにも手ぇ出してたのか。お前さん、その買った連中に繋ぎってとれねぇか?」

「無理無理。買った連中全員が“保安署”にしょっ引かれてっからな。今頃は臭い飯食ってるさ」

 

 トータスにおける警察機構は主に“保安署”であり、“保安官”が担っている。だが、“兵士”や“傭兵“、“冒険者”と比べて実入りは少ない割に仕事の危険性はそう変わらないとあって、あまり人気のある仕事ではないのが実状だ。 

 

 “保安官”の人材不足はどこの国、どこの街でも発生しており、薬物を買った者全員の逮捕を成し遂げたと言う話は、(にわか)には信じられなかった。

 

「全員が、ですか?」

「あくまで俺の知ってる限りだ。ここんとこ教会より“保安署”のが頑張ってんだよ。なんでも“クスリ”は裏社会――ぶっちゃけるとグーテラオネだよな――の資金源ってんで、持ってるだけでグーテの手下扱いだから、近場の集落でも根こそぎ捕まってるって話さ」

 

 “保安署”以外でも、買った“クスリ”の転売で帝国の憲兵によって捕まる事も多かったらしいと絵描きの男は語った。教えられるのはそれ位だなぁと両手を上げてから、さらさらと似顔絵の仕上げに取り掛かる。

 

 例の“商人”が“クスリ”を扱っていたと聞いて、ヨークはどこかショックを受けた様子だった。ほんの僅かな沈黙の後、何を思い付いたのか、ニッと白い歯を覗かせる。

 

「ちなみに、その“商人”の名前ならいくらで買う?」

 

 ヨークが“商人”の名前を知っているとは思わなかったと、倬の目が驚きで丸くなる。

 

 “情報屋”兼“画家”アークセラーさんの瞳に、ギラついた光が宿った。だが、すぐに目を瞑って手を横に振る。

 

「ダメダメ、適当な名前で値切ろうったってそうはいかねぇよ。この金二枚は俺のだ」

「金ランクのステータスも併せて見せてやるって言ったら?」

「そりゃ、面白い。金ランク連れてきてステータスプレート見せてくれるってんなら三万は払える。つってもよぉ、適当な数字聞かされたってなぁ」

 

 鼻でせせら笑い、描いた線を指で擦って濃淡を調整するアークセラーさん。

 

 金払えるって言ったよな、と呟いてヨークは自分のステータスプレートを見せつける様に取り出す。

 

「“ステータスオープン”、……ほらよ」

「はぁ……、爺さんのステータス見てどうしろってんだ……、ん? んん?!」

 

 アークセラーさんの目が、“職業:冒険者”の隣で燦然と輝く金色の点に釘付けになる。

 

「…………は? え? 金って、マジ? ヨーク、M・S、サルニッケ……? ってあんた、“邪剣”本人?」

 

 戸惑うアークセラーさんからステータスプレートを取り上げ、ヨークは悪そうな笑顔を見せた。

 

「ほい終わり。買うんだな? 四万だっけ?」

「……二万五千」

「四万」

「……二万六千」

「四万」

「…………二万七千」

「ったくしょうがねぇ奴だな。三万五千」

「分かった、分かった。ちくしょう……、三万五千で良い。払うけど、先に“商人”の名前だ」

「アイツの名前は、ルネートってんだ。お前はアイツなんかから買うんじゃねぇぞ?」

 

 

~~~

 

 

 絵描きの男から“商人”がマグレーデでも活動していた事を聞き出した後、ヨークは今後、“商人”について調べて回るつもりだと言い出した。

 

 倬にとって優先順位がより高いのは“月の精霊様”を探す事だ。だが、月の細い内はその気配を辿ろうにも難しい。

 

 そこで、精霊様達の提案もあって、倬とヨークは暫くのギルドからの依頼(クエスト)で金を稼ぎながら、マグレーデを拠点に“商人”の動向と“月の精霊様”が好みそうな土地についての調査を協力して行うことにしたのだった。

 

 マグレーデを訪れて五日が経過して判明したのは、“商人”ルネートと関わった者の殆どが“保安署”や憲兵に連行されていたり、あるいは転売する取引の最中に魔物や野盗に襲われている事実だけだ。

 

 学生達で賑わうマグレーデ大学構内の広い道を歩きながら、倬は“商人”ルネートの行動について思案する。

 

「一体どういう意図で動き回っているのか、動き方がお金を稼ぐだけって感じじゃないですよね」

「………………わからない、けど、ルネートと関わった人の子、皆が不幸に見舞われてる、よな」

 

 宵闇様が言う通り、確かにルネートから何かしら購入した者は、逮捕されたり、あるいは事故死していたりと幸福な結末とは無縁だった。だが、聞き込みを続ければ続けるほどに、ルネートと関わって不幸に見舞われる者達は、悪人と言って差し支えない者達が殆どなのが明らかになってくる。

 

 ますます、何がしたいのか分からない。

 

(ヨークさんも、恨みを晴らしたいって雰囲気じゃないんだよなぁ)

 

 名前を知っていた理由についてはアーティファクト代を請求されて逃げ回っている最中に聞き出しただけと説明されている。まだはっきりと聞いてはいないが、どうにもルネートを恨みだけで探しているようには感じなかった。

 

 踏み込んで聞くのなら、適当はしたくない。倬はまだ、ヨークの事情に深入りするべきかどうか悩んでいるのだった。

 

 あれこれと考え事をしている内に、マグレーデ大学の図書館まで辿り着いた。

 

 “月の精霊様”が好みそうな土地について調べるのに、倬はここ数日大学図書館に通っているのだ。

 

 調べ物にこの図書館を勧めてくれたのは、“一律料金(アークセラーレート)”さんだった。大学図書館は一般にも開放されており、簡単な書類を書くだけで貸し出しもしてくれると言うことで、息抜きにも丁度いい。

 

 古めかしい石造りの大学図書館は、大きさの割に入口はやや狭い。何でも元々は砦だったものを買い取って図書館にしてしまったのだと言う。

 

 石壁を飾る細かな彫刻に見送られながら足を踏み入れると、入口すぐには吹き抜けになった荘厳なエントランスが広がる。

 

 今日のエントランスには何故か人だかりが発生しており、荘厳さよりもざわめきの方が勝っていた。

 

 昨日までは無かった筈の、巨大な神々しい絵画の展示が原因のようだ。

 

 作風は【神山】に召喚された時に見た壁画とも異なり、どこかバロック様式の大家ルーベンスに似た雰囲気を思い起こさせた。

 

 縦五メートル、横三メートルと縦長なキャンパス中央では、汗を滴らせる半裸の男二人が抱き合って、その二人の男の肩を恍惚した表情の老爺が抱いている。

 

 超絶技巧を駆使した絵画だ。正しく芸術だろう。

 

 だが倬はそこに描かれた老爺と、抱き合っている内の若い方の顔に見覚えがあった。 

 

「天之河、君…………?」

 

 クラスメートで“勇者”天之河光輝が、遠く離れたマグレーデの地で絵画のモデルになっていたのである。

 

 




はい、今回はオチに彼を使ってみましたがいかがでしたでしょうか。
本当は三本目でマグレーデから旅立つ予定だったんですが、文字数の関係でここまでになってしまいました……。

次回もお付き合い頂けると嬉しいです。

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