すたれた職業で世界最高   作:茂塁玄格

56 / 61
今回“も”ですが、大変文量が多い(約二万七千文字)のでその辺りご承知の上でお読みいただければと……。情報量も多く、本当に読みにくいかもしれませんが、ある程度読み飛ばしても大丈夫かと思いますので、どうか宜しくお願いします。




“剣士”は己を知る者の為に死なず・二本目

 焼き菓子の甘い香りが、“剣士”ヨークの鼻腔をくすぐる。

 

(いつ以来だ? 菓子の匂いなんてなぁ……) 

 

 漂う芳ばしさに(いざな)われ自然と寝返りを打てば、久方ぶりの柔らかなベッドの感触がなんとも心地良い。

 

 ゆっくりと目を開くと、視界が真っ白に埋め尽くされ、何も見えない事に気付く。

 

「んぁ……?」

 

 うっかり天国に来てしまったのかと寝ぼけた頭を振りながら、思い切って身体を起こす。いつの間にふわふわのバスローブを身に着けたのだろうと頭を傾げる。

 顔に触れる空気はひんやりと湿り気を帯びていて、自分が濃い(かすみ)に包まれているらしいと分かったものの、不自然過ぎる状況に思考が追いつかない。

 

「……おぉ。……起きた、な」 

 

 真っ白なもやもやのどこからか、奇妙な響きの声が聞こえる。ヨークが声の方に視線を向けると、そこには真っ白な(もや)がニヤァッと歪んで窪んでいた。

 

「ひっ、なんだぁ、こりゃ?! 気色わ――」

――あ゛あ゛ッ? “きしょく”、なんだって?――

 

 靄が歪み、顔らしきものが浮かんだのを目撃したヨークが叫び終わる直前、不機嫌を露わにした唸り声と共に、その首筋に鋭利な刃が突き付けられた。

 

「ひぃッ?!?!」

 

 その刃の鋭さを、ヨークはハッキリと記憶している。自身を追ってきた“黒の四連声”を圧倒出来たのは、この剣の末恐ろしいまでの切れ味の良さが合ったからこそだ。

 

 命の危険を感じ取り、全身が強張って身動(みじろ)ぎ一つ出来ないでいるヨークの周りから、モヤモヤが引いていく。

 

「……に、兄さん、落ち着け、な? そんな…、えっと、怒ることじゃ、ない、ぞ?」

 

 正面にまとまって、大きく丸い綿のようになった靄が、たどたどしく剣の持ち主を止めてくれるのだと知って、ヨークも慌てて両手を上げる。

 

「わッ、悪かった! すまなかった! 後生だから剣を納めてくれッ、この通りだッ!」

「え、剣? ……え?」

 

 全力で謝ったヨークに対する返答は、どこか間の抜けたものだ。何を言っているのか分からないと言った雰囲気すらあった。その上、声の聞こえた位置がヨークの想像していたよりも遠い。

 宙に浮かぶ()から視線をずらし、砂漠で会った灰色ローブの男(霜中倬)をしかと見る。

 

 ヨークが座っているベッドから扉の近くに立つ倬までの距離は五メートル程。倬は剣を構えてもいなければ、灰色ローブ(耐禍のローブ)も着ておらず、代わりに身に付けていたのは灰色のエプロンだった。

 

 混乱する頭でヨークが身の回りを確認すれば、ここが眠りに落ちる前に見た木造の小屋では無い事にも気付く。

 

 窓から入り込んでくる空気はからっとしていて、風に揺れるのは魚の干物などと違う、細やかな刺繍が施されたカーテンだ。視界の奥に並ぶ小さなテーブルやソファと言った家具、大きな花瓶や壁にかけられた絵画といった調度品も上等な物だと一目で分かった。

 

「……あ、あれ? さっきの剣は?」

「えっと、“剣断ち”なら()()に仕舞っています。あれは大切なものなので」 

「んん? ならさっきのは……?」

 

 腰の後ろに巻き付けてあるピンク色の収納用アーティファクト“宝箱”に触れながら、倬は首を傾げながらヨークに歩み寄る。倬の態度に、ヨークの頭の上には幾つもハテナマークが浮かんでいるようだった。

 

 お互いに困惑する二人の間に置かれた小さなテーブルの上に、チューリップみたいなチョンマゲがぴょこんと浮かび上がる。二人の疑問に答えてくれたのは、ヨークの才能を見抜いた刃様だ。

 

「主殿、“殺気”が漏れていたでござる。ヨーク殿はそれに当てられたのでしょう」

「“殺気”ですか? 自分の?」

「倬、あんた無意識だったわけ? バチバチだったわよ?」

「バチバチと言うか、オレにはズバッと感じたな。倬殿、これからは“殺気”を向けるにも気を付けた方がよさそうだぞ」

 

 風姫様と雷皇様も、倬がヨークに一瞬向けた“殺気”によって幻覚を見せたのだと言う。

 

 精霊様達が倬へ注意する内容を黙って聞いていたヨークは、先程の現象を受けて、自分を落ち着かせようと伸び放題の髭を必死に撫でつけている。

 

「マジかぁ……。それ多分、うちの道場の“抜殺(ばっさつ)”って奥義なんだけど……。“斬られたと思わせる”なんて大袈裟だって馬鹿にしてたんだが、マジで出来る奴が居たよ……。ほほっ、長生きするもんじゃなぁ……」

 

 余程ショックだったらしく、喋り方が一気に老け込んでしまった。

 

「えーっと……、なんか重ね重ね申し訳ないです」

「いや、いいんだ。もういいや。うん。それよか、お前さんが何者なのか聞いても? こっち……、じゃねぇんだよなっ! こちらの精霊……、様? についても教えて貰えると助かる……、()()()()()()

 

 ヨークの疑問も尤もだと考えた倬は、王国で兵士見習いの訓練を受けた後、実力不足を感じて“里”へ赴き、現在は“祈祷師”として精霊様を探す修行の旅をしているのだと要所を誤魔化しつつも可能な限り正確に答えた。

 

 大迷宮挑戦も修行の一環であると教えてあるが、流石に“勇者一行”として召喚された異世界人である事、“神”や”解放者“、“神代魔法”について教えるのは憚られたので、その辺には触れていない。また、“剣断ち”を入れた腰元の“宝箱”は、あくまでも“寺”に伝わる古のアーティファクトであると説明してある。

 

 語った内容を完全には信じていない様子のヨークではあったものの、空から稲光を伴って現れた倬を目撃したのもあってか、話の大筋については受け入れてくれたようだ。

 

「成る程……。とても“祈祷師”とは思えねぇ魔法使いっぷりだったが、精霊様との契約ってのが関係してるわけか」

「あら~?  “祈祷師”の事、ちゃんと知ってるの?」

 

 世間から忘れられかけている天職“祈祷師”について知っている風なヨークの口ぶりに、天井から降りてきた空姫様が、ふわふわロングを踊らせながら尋ねる。

 

 まだ精霊様との会話に慣れていないせいか、声を掛けられて小さくビクッと肩を上げてしまうヨークだが、意地でも目線は逸らさないつもりらしく、その態度は堂々としたものだ。

 

「いや、知ってるっつーか、うちの道場には“己の優れたると共に、戦の(すべ)に重きを置くべし”って教えがあって、記録に残ってる天職の特徴も一通り叩き込まれるんですよ」

「へぇ……、自分が修行した“寺”以外に、武術や道場の名前って聞いたこと無かったんですよね。参考までにヨークさんが修行した道場がなんて名前なのか伺っても?」

 

 現代のトータスにおいて、各国の兵士は所属する国の軍や士官学校で教育を受け、傭兵であれば傭兵団で扱かれてその戦闘技術を磨く。“冒険者”としてギルドに登録している者達の場合、どこかのパーティーに加入してメンバーに教えを請うことも出来るし、ギルドが主催する“冒険者”向けの訓練塾に参加する事で戦いの基礎を学ぶなんて方法もある。

 

 日常に魔物の脅威が存在し、他種族間での戦争が終結する見通しのないトータスには魔法の使用を前提とした様々な戦闘術が存在する筈なのだが、表立って活動する流派や道場の名前を聞くことは現代において滅多に無い。

 

 遥か昔に各流派の武術が統合された為だとか、国家ごとに特別な“戦技”を秘匿している為だとも言われてるが、これには魔人族が行使する上級魔法を前にして人間族が用いる格闘術の悉くが活かせなかった事が大きく影響している。

 

 魔人族が魔物を操り始める前、彼らは遠距離から各種魔法によって攻撃を繰り返し、上級魔法で一気に殲滅すると言うシンプルかつ強力な戦法を好んでいた。これに対する人間族は、後衛職が詠唱する時間を稼ぐ為、多大な犠牲を払いながら突撃を繰り返すと言う戦術が基本だ。

 

 人間族のいわゆる“人海戦術”が、高い物理・魔法耐性と高度な魔法適正を誇っていた竜人族を滅亡寸前にまで追い詰めたのを思えば、それが如何に恐ろしい戦術なのかは理解できるだろう。

 

 しかし、この“人海戦術”において前衛職に期待されるのは、最終的に“突撃”でしかない。“技”よりも“集団で敵集団にぶつかる”事が求められるのだ。どんなに優れた武術を会得していようと、上級魔法の殲滅能力以上に武術そのものが評価される機会は滅多に訪れなかったのである。

 

 今日まで賢者達が遺した資料を読み続け、武術が注目されなくなった経緯を知っていた倬だからこそ、ヨークが修練を積んだと言う道場に興味を持ったのだが、何故だか視線を逸らされてしまった。

 

「…………道場は、道場だ」

「流派とかないんですか?」

「…………流派の名前とかは、ない。あっても、忘れた。うん、忘れちまったなぁ~。年はとりたくねぇもんだな!」

「つっちー! “らい、らい、らーい”?」

「なんだろー、言いたくないのかな?」

 

 体をプルプル震わせるつっちー達がヨークが下手な嘘をついていると教えてくれる。“音の妖精”ねねちゃんに「なんでウソつくの?」とじっと見つめられたヨークは、誤魔化すのを諦めて肩を落とす。

 

「……はぁ。元々孤児院のガキに護身術教えるとっから始まった道場らしくてよ。院の名前そのまんま使ってっから、道場の名前もクソダセェんだ。ガキの頃から名前だきゃ気に入らねぇ。聞かないでくれっと助かる」

「かえって気になりますが、まぁ今は諦めましょう」

「悪ぃな。んじゃ今度は俺が名乗る番か」

 

 無理に聞き出されなかった事に安堵したのか、ヨークの声に張りが戻った。とは言え、倬はヨークの名前を魔人族が叫んだ時に聞いているのだ。別に改まって名前を名乗らなくとも、と思ってしまう。

 

「? ヨーク・サルニッケさんですよね」

「そう言や、お前さんは俺の名前聞いて驚いたりとかねぇんだな」

「えっと……?」

「よーし、ならば改めて名乗らせて貰おう! 俺様は……、ヨーク・M・S・サルニッケ様だっ!」

 

 ドン! と胸を叩いて名乗りを上げるヨーク。

 

 確かにミドルネームは知らなかったものの、呼び方を変えるような違いではなさそうだと、倬は会釈で応じた。

 

「はい。改めましてヨークさん、宜しくお願いします」

「あ、あんれっ? そんだけ?」

「えっと、ミドルネーム二つって珍しいですよね。貴族のお生まれだったりするんですか?」

「あー……、サルニッケ姓は確かに伯爵家のもんだが、王国での仕事を紹介してくれたサルニッケ伯が名前貸してくれただけで、俺は孤児院育ちのしがねぇ平民でしかねぇよ」

「“M・S”って何か特別な名前なのでは?」

「いや、分かんねぇなら気にしなくていい。道場で付けられる称号みてぇなもんでよ。俺様ってば、魔人族に攫われるまで金ランク“冒険者”って事でそこそこ有名人だったもんだから、“冒険者”のお前さんなら知ってんのかとな。あれから何年経ってんのか知らねぇが、世間から忘れられてるってんならその方が気楽で良いや」

 

 金ランクは“冒険者”達の憧れである。それをヨークは何でもない事のように言ってのける。

 

 実際、灼熱の砂漠の上をまとものな装備も無しに走り続け、その後で卓越した剣技を披露したのを思えば、金ランク評価は当然と言えそうだ。

 

 倬が砂漠で見た剣捌きを思い出しながらその高ランクに納得していると、肩を回してストレッチをしながらベットから降りたヨークが、思いついたように倬に尋ねてきた。

 

「お前さん、こないだまで王国に居たんだよな? ナサリオのオヤジは流石に引退してんだろうし、今の騎士団長って誰だ?」

 

 ナサリオなる人物を倬は知らないが、ヨークの口振りから察するに王国の元騎士団長なのだろう。

 

「今の団長ならメルド・ロギンスさんです。自分は直接の指導をあまり受けられませんでしたが、今も別件で色々とお世話になっています」

 

 今でも倬はメルド団長にはお世話になりっぱなしだ。修行の旅が出来ているのも、メルド団長が王国魔法師のツェーヤと共に“祈祷師の里”へ向かう許可をとってくれて、修行についての報告書を受け取ってくれているからこそである。

 

 屈伸運動をしながら聞いていたヨークは、ぶつぶつとメルド団長の名前を反芻し始める。どうやら知っている王国騎士かどうか思い出そうとしているらしい。

 

「メルド……、メルド・ロギンス……って、あぁ! あのクソ生意気なメル()()()か! あいつが団長? メルド団長……? ブハハハッ、そいつは傑作だ! まぁ俺とタメ張るくらいにゃ才能の塊だったかんな。納得できるが……、ブハハハ!」

「メル()()()って……。お知り合いなんですか?」

 

 メルド団長を変な愛称で呼んだヨークは、笑いを堪えられないままだ。

 

「ま、新兵時代のアイツとちょっと縁があってよ。ぶふっ。いやしかし、ウケルな。書類仕事でひーこら言ってるのが目に浮かぶわ。ブハハハッ!」

 

 “ちょっと縁があった”だけにしてはメルド団長の事をよく知っていそうな雰囲気を感じる。倬が王国に居た二週間程度でも、メルド団長が事あるごとに事務仕事を副団長に()()るのを目撃している。ヨークの言っていることはあながち間違ってはいない。

 

 団長の新兵時代について聞いてみたいとも思うが、それよりまず、ヨークが今後どうするつもりなのか考えを確認する必要がある。前回のシャアクとの迷宮攻略は例外中の例外で、倬はそもそも自分の旅に誰かを巻き込むのを望んでいないのだ。

 

(ずっと一緒に行動するわけにも行かないし……)

「ヨークさんは王国で働いてらしたんですよね? 王国へ帰るなら、条件を呑んでもらえればお手伝い出来ますが」

 

 条件と言うのは、精霊様の存在や“転移”について公言しないと約束してもらう事だ。これまで故郷に帰してきた人達にお願いしてきたのと同じ内容である。

 

 準備運動で言う所の伸脚をしながら、ヨークは思案顔を浮かべてぼやく。

 

「今更どっかの国に仕える気は無ぇなぁ。道場には遠からず顔出さないわけにゃいかないが……、道場のババアはまだピンピンしてんだろうし、絶対どやされんだろうしなぁ……」

 

 直立不動の“気をつけ”の姿勢に戻ってから、床にどかっと胡坐をかいて座るヨークが(こうべ)を垂れた。

 

「……不躾ながら祈祷師様に相談があるんだが、構わねぇか?」 

「……聞きましょう」

 

 ヨーク・M・S・サルニッケは魔人族領から逃げてきた男だ。神妙な面持ちのヨークからどんな相談をされるのか、内容如何(いかん)によっては協力は難しいかもしれないと倬は身構える。

 

 十秒以上の長い沈黙の後、ヨークは床にくっつく勢いで頭を下げた。

 

「金をッ! 金を貸してくれッ……、下さッ――」

 

 ぐぅ~~っ。

 

 それはそれは大きな腹の音に、ヨークの言葉が遮られる。

 

 羞恥に耳を真っ赤に染めて、ヨークは絞り出すように頼み事を続けた。

 

「……とりあえず、飯代を貸してくれっと助かります」

 

~~~

 

 宿から出て目の前に広がるのは、白を基調にしつつ赤、緑、黄、青、橙とカラフルに彩られた街並みだ。ベースとなる建築様式は【アンカジ公国】と同じだが、建物によって個性的な装飾が施され、眺めているだけでも目を楽しませてくれる。

 

 雑踏の中、ヴァイオリンに似た弦楽器や、ラッパのような金管楽器によって奏でられる軽やかなメロディに乗って高らかな歌声も街の至る所から届き、耳を飽きさせることがない。

 

 “文化の街”と称される理由を、街の何処へ居ても感じられるのがこの街、マグレーデなのだった。

 

 そんな賑やかな道の真ん中で、“剣士”ヨークが自分の出てきた宿を振り返って固まっている。

 

 風姫様が仕立て直した“風の賢者”アモレの()()――襟の無いシャツと丈夫な革のズボン、軽く柔らかい革靴――を身に付け、治優様が張り切って考案した髪と髭のデザインに従って倬が風系魔法で整えた外見は、ライオンを思わせる程に威風堂々としたものだ。

 

 そんな立派な(たてがみ)の如き髪が、まるでヨークの心を反映しているかのように弱々しく風に靡いている。

 

「……なぁ、これ、ホントに宿なのか?」

「夜中に到着したらここしか空いて無かったんですよ」

 

 倬もまた、改めて自分の借りた宿の有り様に遠い目をしていた。

 

 その宿は、豪華な宮殿を模していたのだ。

 

 寝ているヨークを負ぶってマグレーデに辿り着いた倬だったのだが、冒険者向けの宿を何軒か尋ねたものの全て部屋が埋まっていると告げられてしまった。途方に暮れていた所に紹介されたのが、貴族や富豪向けの貸別荘(コテージ)だったのである。

 

 倬が借りたのはかなり広い二階建ての洋館風貸別荘で、十人までの宿泊に対応できるらしい。

 

 ベッドの上から見渡した時点で普通の宿では無いと察していたヨークが、本当は聞きたくないと言外に含みを持たせて確認する。

 

「……いくらかかった?」

「急なキャンセルが入ったとかで、金十二枚から九枚にまけて貰いました」

「って事ぁ、一泊九万ルタか、たっけぇ……」

「街に着いて早々十八万の出費は流石に想定外でしたね……」

「待て、一人九万か?! そんなん払う位なら野宿で良いってのに!」

 

 ヨークが倬に貸してくれと頼んだお金は、ステータスプレートの再発行手数料と、自力で日銭を稼げるようになるまでの食事や宿を借りるのに必要な分だけだ。早速九万ルタの借金が発生したとなれば、ヨークが慌てるのも無理はないだろう。

 

「ハサミの魔物の一部が素材屋さんで五万、他の素材も合わせてどうにかトントンにはなったので宿代は気にしなくて平気ですよ。大きなオーブンが備え付けてあったお陰で、皆でおやつ作りできたのは楽しかったですし」

 

 砂漠で倒れたヨークを大陸北西部にある集落に住むアイーマの“釣り師”の小屋に連れて行って治療を施した後、寝かせたままマグレーデに移動すること決めたのはあくまで“月の精霊様”探しの一貫である。

 

 余計な出費である十八万の責任は自分にあると受け入れているので、元より請求するつもりなどなかった。

 

 ヨークが目を覚ます前、砂漠で倒した魔物達から切り出した外骨格や複眼の一部――両手で抱えられる程度の量だ――を売りに行ったら大体二十万ルタにはなった上、素材の大部分はアイーマに転送してあるので実質的な収支はプラスだ。

 

 大きな貸別荘だけに立派な台所があったので、素材屋が取り扱っていた上質な小麦(ファリヴ)粉も買って、皆でパウンドケーキを作ったりとヨークが起きるまで楽しく過ごしていたので、倬は宿代については納得している。

 

 精霊様達も楽しんでくれていたようで、腕を組んだ格好の火炎様が、倬の肩で勢い良く燃え上がった。

 

『我ながら完璧な焼き上がりだった。オーブンとか焼き釜の中は寝心地も良いしな、俺は良い宿だったと思うぞ』

『キッチンとしてはまぁまぁだったわ。火炎様が居るから気にならなかったけど、もうちょっと火の加減が細かく出来たら良かったかもしれないわね』

『風姫ねぇ様ったら、きっびしー!』

『シモナカとのおやつ作りで誰よりもご機嫌だった癖にな』

 

 貸別荘にあったキッチンの出来について語る風姫様を見て、音々様と海姫様がケタケタ笑っている。揶揄(からか)われた風姫様は、負けじと即座に反撃に打って出た。

 

『うるさいわよ、海姫。倬に“あーん”して貰えなかったの根に持ってるんじゃないでしょうね?』

『んなっ?! べ、別に! そんな雪姫みたく契約者にべったりする趣味、ぼくにはないぞ!』

『うふふ、恥ずかしがり屋さんは損しますよ?』

 

 倬の胸元からにゅっと顔を覗かせて、海姫様のほっぺをツンツンする雪姫様。

 

『んーッ! ツンツンするな!』

 

 海姫様、雪姫様、風姫様が倬を中心にして追いかけっこを始めた横では、ヨークが部屋に漂っていた香ばしさを思い出し、お腹をさすっている。

 

「焼き菓子なぁ、良い匂いだったもんな。やべぇ、ますます腹減ってきやがった……」

『………………“光の”姉さんが、最後の一枚食べっちゃったからな、ごめんな?』

『ふぁっ?! 宵闇っ、わらわが意地汚いみたいな言い方はやめないか!』

『そーだぞー、ひかりちゃんたち、一本分しか食べてないぞー』

『なにっ、わらわ、そんなに食べてたか……?』

 

 ちなみに技能“錬成”の練習がてら作ったパウンドケーキ型は長さ二十五センチくらいのもので、一本分は日本のスーパーで普段見かけるものの倍近い大きさである。

 

 一本全部食べ切った自覚が無かったらしい光后様に対し、森司様と山司様が頷いて答えた。

 

『丸々一本食べてたな』

『丸々一本食べてたのぅ』

『ちぃちゃんたち、半分の半分でおなかいっぱいだったー』

『美味しいかったから仕方ないよね、光后様!』

『……わらわ、今は治優の優しさが辛い』

 

 精霊様同士の威厳のないふわっとしたやり取りを眺めながら、ヨークは腰の右側に下げている“剣断ち”に触れる。丸腰では落ち着かないだろうと刃様が貸してあげたのだった。

 

「これが精霊様に妖精か……。何て言うかよ、驚く暇もねぇや」

 

 当たり前のように周囲に浮かんでいる精霊様の“念話”も音々様の御力もあってヨークは普通に聞き取れていて、見えたり聞こえなかったりを精霊様が決められると言われても実感はない。

 

 マグレーデは人間族領の南西部にある街とは言え、大砂漠の中央から馬も無しにここまで辿り着くには二週間以上は必要だった筈。無謀と知りながら実行した魔人族領からの脱走が、まさかこんな結果になろうとは予想出来る訳がない。

 

 驚くべき事が多すぎて気持ちが付いていないのだ。“お手上げ”だとおどけるヨークの右肩に小さな雷が走り、反対の肩には小さな鞘が揺れる。

 

『精霊“様”なんて呼ばれるが、オレ達はいつもこんな感じだから、あまり気を使わなくていい』

『雷皇様の仰る通り、“りらっくす”してよいでござるよ』

「まぁ、少しづつ慣れて貰えれば助かります」

「ん、まるっと承知した。そうとなら、まずは飯屋探しだな!」

 

 

 マグレーデの街は広く、行き交う人の格好も身分も様々だ。ただ、今まで倬が訪れた場所の何処よりもファッションへの関心の高さを感じる。この地は砂漠に近いので気温は高く、陽射しも強い。故に多くの人は全身を覆う薄い布を纏っているが、それぞれに異なった細かなレースで布を飾っているのが特徴的だ。

 

 全ての指に指輪をはめた成金貴族風の大男が、十数名のメイドや執事を引き連れて装飾品を買い漁っているのとすれ違う。使用人や亜人族の奴隷にまで着飾らせているが、これはこの街での常識なのだ。貴族や富豪がお供にする者をみすぼらしい格好のままにしておくのは、“マグレーデに居ながら文化的ではない”と嘲笑されてしまうのである。

 

 トータスの中でも特に変わった風習が根付いた街の様子を、倬もヨークも精霊様も、面白がって眺めながらお店を探した。

 

 飲食店が集中している通りを見つけ、そちらに向かう途中、やや色褪せた古本を平積みにした本屋が倬の目に留まる。

 

「お! 絵本がこんなに、凄くないですか?」

 

 日本と比較すればどうしても紙の値段が高くなる上、印刷技術の多くを教会が独占しているトータスでは書籍が割高になりがちだ。一般家庭では古本を買うのが当たり前で、絵本は特に人気が高くすぐ売り切れてしまう。新品であれ古本であれ、店頭に平積みに出来る店と言うのは大変珍しいのである。

 

『………………絵がいっぱいあって良いよな、絵本』

 

 文字の読めない精霊様は絵本を好む。いつも大人しい宵闇様も興味をそそられている様子だ。

 

「おん? ()()()はガキっぽい趣味もあんのか?」

「“倬ノ助”って……」

 

 メルド団長を呼んだのと同じ呼び方をされて固まってしまったが、それ以上に驚くべき事実があった。ヨークが名前に付け足して呼んだ部分が、技能“言語理解”によって“ノ助”と翻訳されているのに気付いたのだ。

 

 実際の発音では“ンノシュッケ”と言った感じになるのだが、どうやら意味も日本における“助”・“介”等とほぼ同じらしい。かつて地方次官の身分を意味していた“ノシューケ”を本名の後に付けて名乗っていたものが、名前として変形、定着したのが由来なのだとか。

 

 古風な響きの名前として認識されている点や、年下への愛称に使うおじさんが居るのも似ていると点と言ってよさそうである。

 

「いやぁ、昔から短ぇ名前にゃ何か付け足したくなるんだよな。俺」

「名前は別に好きに呼んでもらって構わないですけども、絵本は“ガキっぽい趣味”じゃないですよ。たまに読むと面白いですし」

「そんなもんか?」

「砂漠が近いだけあって、やっぱり【グリブ童話】が多いですね。ふむふむ、……お、これ読んだことないな」

 

 ひょいひょいと腕の中に積み上げていく倬を横目に、ヨークも一冊拾い上げてニヤリといやらしさのある笑みを見せた。

 

「あれだろ? これ、“体バッキバッキでめちゃんこケンカの強い砂漠の妖精が、言い寄ってきた十代前半の姉妹に根負けして人間になって、姉妹両方()()()()()()ガキこさえました。めでたしめでたし”って話だったよな?」

「うわぁ。よくもまぁ、この童話をそんな酷い内容にまとめられますね……」

 

 あまりに下品な要約に倬がドン引きしていると、店の奥から赤いガラベーヤの上に白いマントを身に纏った女性がずんずんと足を踏み鳴らして近付いてきた。

 

 赤と黒の市松模様と言う独特な大きなとんがり帽子からはみ出した亜麻色の髪を揺らし、小さめな四角いレンズをくいっと押し上げて、ヨークに詰め寄った女性は怒り心頭で捲し立てる。

 

「全くもって彼の言う通りですっ、版によっては姉妹のどちらかだけと結ばれるラストだってあるんですよ! 永遠の時を生きる妖精から人になると言う選択の重さをどのようにお考えですか! 良いですか!? そもそも姉妹二人を受け入れる結末にしたって、“愛”が一人にしか向けられないもので無い事を理解していません。貴方に妻と複数の子供がいたとして、その内の誰か一人にしか最大の愛は注げないのですか!? それぞれを真剣に愛すると決めた砂漠の妖精と、共に愛されるのを望んだ姉妹の意志を(ないがし)ろにするなど、言語道断も(はなは)だしい! マグレーデの住民を代表して貴方に謝罪と撤回を要求します! ええ、要求しますとも!」

「おおぉ? なんだってんだ突然っ?!」

「良いですかっ。【グリブ童話】はこのマグレーデが名実共に“文化の街”として発展した偉大なる礎なのです! かの童話についての雑な放言をマグレーデの住民は決して許しませんよ!!」

 

 余りの勢いに面食らってしまったヨークが、自分より三十センチ以上身長の低い女性に気圧(けお)されている。たじたじになったヨークは視線を泳がせて倬に助けを求めてきた。

 

 この件でヨークを庇う気にはなれなかった倬だが、“【グリブ童話】がマグレーデの礎”なる話はとても興味深かった。

 

「“文化の街”の発展に、この童話が影響していると言うの、どういった理由なんですか?」

 

 倬の質問に、ヨークにぐいぐい詰め寄っていた女性の動きがピタリと止まる。ぐりゅんっと首を曲げ、ヨークの着る服を引っ張ったまま、倬の顔と服装をまじまじと観察し始める。

 

「ほほーぅ、少年! “鼠色のローブ”に錫杖とは分かってますね! ()()()()()()()()()()、マグレーデは初めてですか?」

「はい。昨日の夜到着したばかりで」

「そうですか、そうですか、わっかりました! マグレーデ観光を最大限に楽しむには、この街の成り立ちを知っておく事をお勧めしますっ。マグレーデ大学文芸学部社会文学史学科で日々学び、日夜研究しているシーラお姉さんが直々に教えてあげましょう!」

 

 倬と大体同じくらいか僅かに低いくらいの身長の、マグレーデ大学に通うらしい“シーラお姉さん”は、目一杯背伸びをして嬉々として語り始めた。

 

「えー……、事の始まりは、グリブ姉妹の子孫が寝物語として語り継いでいた昔話を紙芝居の形にして、近所の子供達に読み聞かせた所からでした――」    

 

 【グリブ童話】の作者として知られるグリブ姉妹の素性は、姉妹が存在した事以外は明らかになっていない。だが、彼女の子孫が読み聞かせた物語は、確かに子供達の思い出となって受け継がれていったのだと言う。

 

 ある時、砂漠周辺のみで知られていたこの物語を書籍の形で世に広めたいと思い立った者――オーバラ――が現れる。

 

 しかし、“砂漠の妖精”や、その妖精と深い仲になる姉妹、個性的な動物の友人達が登場するこの童話は“異種族間の交流を推奨している”として既に教会から問題視されており、書籍の出版に関する権利や技術が教会によってほぼ独占されている状況では出版するのは難しいと考えられた。

 

 そこでオーバラが目を付けたのが、人間族領で何度も魔人族の侵攻による被害を受けていたマグレーデ村だ。かつてのマグレーデは、魔人族領から大砂漠を越えて辿り着く最も近い人間族の集落であり、双方にとって戦争の要所とされていたのである。

 

 戦火が絶える事のない時代は各国の兵士や傭兵が集い、【ヘルシャー帝国】と似通った雰囲気があったこの地は戦争の最前線で、用意された教会も小さな出張所が仮に設置されているだけだった。

 

 兵士の慰問を口実に楽団を引き連れてマグレーデに来訪したオーバラは、王国兵やギルド職員に多額の賄賂を渡し、彼らの通信・印刷用アーティファクトを利用して独自の出版社――オーバラ書房――を設立してしまう。

 

 その会社、オーバラ書房によって出版された【グリブ童話】は忽ち世の中に浸透していったのだ。

 

 本来ならオーバラ書房の存在を許すわけの無い教会だったのだが、教会を賛美する内容の【聖教聖典】や【優しい神話解説――エヒト神よ永遠なれ――】も同時に出版し、その売り上げ全てを教会関係者への“お布施”にする事で、お咎めを免れる。

 

 そんなオーバラ書房の在り方が徐々に知れ渡り、【グリブ童話】に魅せられた者達の中で、教会に縛られない作品を作りたいと願う“文筆家”、“芸術家”、“画家”、“錬成師”などに代表される創作家達が集結し、大きな戦が無かったここ数十年で急速に発展・観光地化したのが――。

 

「――現在のマグレーデなのですよ!」

 

 どや! とキメ顔を見せるシーラに、倬はパチパチと拍手を送る。ヨークも感心こそしているが、おざなりな拍手である。

 

「教会の権威をものともしないオーバラさんの行動力、ハンパないなぁ……」

「ここで雑な事ぁ言わねぇ方が良いってのは理解したわ。気ぃ付ける。だから放してくれねぇか?」

 

 言われた通りヨークを解放した大学生シーラのテンションは高いままだ。倬の腕に積み重なった絵本を見て、本好きの“同族”だと確信したのが原因だろう。 

 

「分かって頂けたようで何よりです! しかし魔法師君、通りすがりに絵本を買うにしても中々豪快な買い込みっ振りですね! 貴族の方々でもそこまでの買い込みはなさりませんよ。お土産ですか?」

「ええ。知り合いに本の好きな子が何人かいまして。自分用にも何か欲しいところですが」

 

 勉強用にも絵本を活用しているアイーマに、人間族の文化に触れにくい樹海の子供達、“音の妖精”ねねちゃんと仲良くしてくれている教会の子スティナも本のお土産は喜んでくれるだろう。調べ物の休憩に読むのに、娯楽小説の類は欲しかったのもある。

 

「ほうほう、となると絵本にこだわっているわけではないのですね」

「そうですね。あ、【ランドレディは十二才!?】ってありますか?」

「おっ、講釈社ブラウフォーゲルから出版されている児童書の名作ですね! 健気なユッテに何度泣かされた事か。あれは大人が読んでも良いモノですっ。そんな名作ですが! なんとっ!! つい最近新作が発表された所なのですよ!!! タイトルは驚きの【ランドレディは十二才!?――悪魔界編――】です。世界最速で新刊が手に入るのもマグレーデの魅力。今持ってきますからねっ、暫しお待ちを!」

「わ、分かりました」

 

 シーラの勢いもさることながら、子供が宿屋で健気に頑張るストーリーからどうやって“悪魔界”とやらに向かうのか想像できず戸惑ってしまう。これはルカの分も買う必要がありそうだ。 

 

――ふんふふふんふー、それはもー、しち~やのものさ~――

 

 どこかで聞いたことのあるような鼻歌を、それはもうご機嫌で口ずさみながらシーラは本を探しに店をちょこまかと動き回っている。

 

 彼女の楽しげな様子を疲れた顔で眺めつつ、ヨークはと言えばお腹を押さえて空腹を訴えてきた。

 

「倬ノ助、腹減ったんだが……、もう限界近ぇわ」

「あー……、すいません、取り敢えずこれで紛れませんか?」

 

 予定外の買い物に時間がかかってしまっていると申し訳なく思った倬は、アイーマの子供達から貰っていた酢昆布をヨークに差し出す。

 

「なんだこれ? ん! 酸っぱッ! ……でも、あれだな、癖になりそうではある」

「割と美味しいだろ? ぼくも結構好きでな」

「うーむ、“海の精霊様”のお墨付きなのか……、ありかもしれん。強めの酒が欲しくなる」

 

 ヨークが二枚目の酢昆布に手を伸ばした所で、シーラが何冊か本を抱えて戻ってきた。眼鏡のレンズをキラッと反射させ、一冊の本を倬の目の前に持ち上げる。

 

「お待たせしました! ついでにお勧めの小説も持ってきましたよ!」

 

 それは、【妹の結婚式前にうっかり王を(そし)ったら死刑判決を喰らい、友人を身代わりに結婚式場へと走ったのですが……】なるタイトルの小説だった。

 

「ザイダーム先生の【点々シリーズ】ってご存知ですか? え? ご存じない? それは勿体ない! 是非読んでみましょう、いーや、もう読みなさい!!」

 

 ちなみにサオ・ザイダーム先生のシリーズ二作目は【人間不信を拗らせてたら邪智暴虐の王として除かれてしまったので、大人しく隠居しようと思ったのですが……】である。

 

 “三点リーダー”で終わるタイトルだから【点々シリーズ】なのだとか。

 

(“あらすじタイトル”だけだとどっかで読んだやつそのものなんだけど、どんな偶然なんだ……)

 

 既視感に呆然としてる倬を余所に、シーラはノリノリでお勧めしてくる。

 

「良い感じに捻くれた展開がたまりませんよー。特に友人のセレヌンティノスが寝返っ……、っといけません、ネタばれしてしまう所でした」

「がはは、肝心なとこ殆ど言っちまってただろ。多分」

「いや、今ので俄然興味が湧いてきました。とりあえずそれぞれ四冊ずつ買いましょう」

 

 同じ小説を四冊ずつと聞いて心配になったのか、一瞬シーラの目に動揺の色が浮かぶ。

 

「いやぁ~……、気持ちの良い買いっぷりですが、お財布は大丈夫なのですか、お爺さん」

「“お爺さん”って、そりゃ俺の事か? ……これは結構、しんどいな……。いいんだよ、金出すのは俺じゃねぇんだから」

「ほぇ~。魔法師君、実は結構やり手なんですか?」

「俺の知る限りだとな、()()()()()っぽいぞ? 人は見かけによらねぇってこった」

「夜って……、“夜”ッ?! とと、突然何を言い出すんですか! “やり手”ってまさかッ、いやそんな!?」

 

 倬がどんな仕事で稼いでいると思ったのか、大変な慌てようのシーラはしどろもどろになって狼狽えだした。げらげら笑っているヨークは実に楽しそうで、倬は咳払いで抗議する。

 

「うおっほん! こちらのヨーク(おう)と夜間の魔物討伐で一緒になっただけです」

「“翁”って、倬ノ助までジジイ扱いすんなよぉ。悪かったって」

「はぁ、慌てて損しました。全く困った年寄(としょ)りが居たものです。でもそれだけ買うと結構な金額になりますが、本当に平気なんですか?」

 

 懐事情を心配してくれるシーラに、倬は小さく右手の人差し指を空に向け、母――霜中(あゆ)――の言葉を想い出す。今回の台詞は、特に長い。

 

「平気です。昔、母が言っていました。“旅のテンションで買い物すれば失敗もする。家に帰って後悔する事もある。だけど後悔は、買う前には出来ない。買わないで後悔するより、買って後悔する方が良い。そこが即売会(コミケ)なら尚更だ。欲しいと思ったその時が買い時。心が求めたその瞬間に、ハヤテのごとく手に入れる。それが私の生きる道だ”と」

 

 滔々と母親の教えを語った倬に、シーラは何故か感極まって涙を零す。

 

「魔法師君は、良いお母様をお持ちですね……。感動しました。……ぐすっ。紐で縛るだけだと大変そうなので、こちらの麻袋をサービスさせて下さい」

「泣く所あったか……?」

 

 全く理解できずに困惑するばかりのヨークなど意に返さず、感涙に目元を拭って、シーラは手際よく二十冊以上の本を麻袋に纏めてくれた。

 

「昨日の夜に来たのなら、マグレーデ名物はまだ召し上がられていないのではありませんか?」

「そうそう! そうなんだよ、どっか良い店知らねぇか?」

「でしたら地元民が通うお店を紹介しましょう。住宅区にある穴場なのですよ」

 

 旅行者向けに配られているパンフレットを店の中から持ってきて、穴場の名店の位置に印を付けてスッと差し出してくれる。 

 

 パンフレットを受け取ったヨークは、一度倬に振り返ってからシーラに別の質問を投げかけた。

 

「……ついでに聞きてぇ事があんだけどよ。この街で真っ黒い革のローブ着た妙な“商人”の噂って聞いてないか?」

 

 この質問を聞いた倬の眉間に、小さく皺が寄る。

 

「“商人”? いえ、そう言った話は聞いたことないですが……。ご近所さんにも声かけてみましょうか?」

「いや、そこまでして貰わんでもいいわ。あんがとな」

「いえいえ、お買い上げありがとうございました。お二人ともマグレーデ観光、楽しんでいって下さいね!」

 

 こちらこそありがとうございましたと、にこやかに挨拶を交わして、倬は先に歩き出したヨークを追った。

 

「ヨークさん、今の……」

 

 パンフレットの地図を指でなぞり、ヨークはおどけたように眉を上げる。

 

「まぁ、その辺もまとめて飯食いながら話そうや。んー……、途中にギルドがあんな。道すがら寄ってっていいか?」

「……分かりました。なら小切手渡すので、プレート再発行の費用はそこからお願いします」

 

 腰の“宝箱”から細長い紙束を取り出し、千切った一枚をヨークに渡す。

 

「おぉん? そりゃ別に構わねぇが……。つーかギルドの小切手なんか持ってんのな。生意気に」

 

 ギルドに預け入れた金額が五百万ルタを超えると、各種支払いに使用できる小切手を渡されるのだ。本人の署名と血判と共に金額を書くことで、小切手を渡された相手がギルドから支払いを受ける事が出来る。

 

「少しお金卸しておきたいんですが、ギルドに行動を把握されるのは可能な限り避けたくて」

 

 最後に立ち寄ったフューレンのギルドで、“失せ人”を各地のギルドに帰したのが自分であると把握されていた事実は、倬を驚かせた。

 ステータスプレートを提出して報酬を受け取っているのだから、知られていて当たり前と言えば当たり前だ。ギルドの情報伝達能力を侮っていたと反省した倬は、フューレンから極端に離れたギルドを利用したくないと考えていたのである。

 

 わさっと膨らんだ髭を撫で、ヨークは砂漠で目撃した倬の振る舞いを思い返す。目立ちたくない倬の事情は、大方理解してくれたようだ。

 

「確かになぁ。妙なアーティファクト持ってて、精霊様を連れた空飛ぶ“祈祷師様”なんざ、好き勝手やってたら目ぇ付けられちまうか。まるっと任せとけ! あれだ、プレートの再発行ってな結構手続き面倒でよ、店の近くで待っててくれ」

「では、近くの広場で待ち合わせしましょう」

 

 

 マグレーデの街には至る所に広場があり、それぞれに異なった演奏や演劇、フリーマーケット等も常に催されている。シーラから教えてもらった店の近くにある広場では、マグレーデ大学の生徒が企画した子供向けの人形劇が披露されていた。細長いテーブルにクロスをかけて、その上に手作り感のある舞台セットを乗せ、下から人形を操る方法を採用しているようだ。

 

 今はマフラーを首に巻いた鼠と、眼鏡を掛けたカラスが喧嘩している場面だった。

 

====

 

「チュッ! マフラーは凄いのでチュ! 首と言う急所を覆う点で、防寒ばかりか防具としても優秀なのでチュ-!」

「ッカー! メガネだって凄いぞ、ッカー! 視力を補う眼鏡こそ、人類至上最高の“文明の利器”ってやつじゃない、ッカー!」

 

――“砂漠の妖精”さんは頭を抱えてしまいます――

 

――呆れた事に、二匹が激しく言い争っていたのは“マフラーと眼鏡のどちらがメイド服をより素敵に見せるのか”についてだったのです――

 

====

 

 演目は【グリブ童話】の序盤、“マフラットの挑戦状”の章を短めにアレンジしたものらしい。“マフラットの挑戦状”は【トータス童話集】に収録されていない為、倬もあまり詳しくないが、マフラーを身に着けた鼠――マフラットと、眼鏡をかけたカラス――グラスなど沢山の動物が登場するのもあって子供受けは良さそうだ。

 

 実際、舞台セットの前には大勢の子供が集まっており、広場からは笑い声が絶えない。一番笑いをとっていたのは、いたずら好きの雌猿――モレディで、グラスからメイド服と眼鏡を、マフラットからはマフラーを渡されて着ろと迫られているシーンだった。

 

 眼鏡が人類至上最高の“文明の利器”なのは同意する倬だが、【グリブ童話】の中でも特に異質な回に置いてけぼりを喰らっている。

 

「う、うーん、“マフラー鼠”も大概ですが、“眼鏡カラス”の趣味が一番ヤバいですね……。眼鏡とメイド服に傾ける情熱がおかしい」

『たぁ様はメイド服って好きじゃないのー?』

 

 治優様は自分が身に纏う古代ギリシャ風の服と、舞台で人形が持っているメイド服との違いを比べて、うーんと悩んでいる様子だ。

 

 倬の頭の上に浮かぶ霧司様は倬の思考を感じ取り、もやっと揺れる。

 

『……兄さんも、好き。……ではある、よな?』

「いやぁ~、でも流石にあそこまでじゃないですし……。“ッカー! 僕の見立てた眼鏡を掛け、メイド服を身に着けたモレディは最高に魅力的だったんじゃない、ッカー!”ってあれ、誉め言葉として駄目でしょう」

 

 “砂漠の妖精”さんは大変だなぁと暫く人形劇を眺めていた所に、背後からガチャガチャと金属がぶつかる音が聞こえた。刃様の“寝床”である“剣断ち”の気配から、その音を鳴らしているのがヨークだと判断できた。

 

「よぉ、倬ノ助。待たせてすまんかった――んなぅッ?!」

  

 ベンチから即座に立ち上がった倬は、後ろから声を掛けてきたヨークの首に錫杖の先端を突き付ける。魔力刃を呼び出せば、次の瞬間にヨークの首が転がり落ちる位置だ。

 

「……さて、弁解を聞きましょうか?」

 

 何故、突然倬はこんな真似をしたのか。それには戻ってきたヨークの姿に原因があった。

 

 両肩から手首までをガードする革製のアーマーにフード付きのマント、薄い金属製の脛当てと革靴の上からはめ込むタイプの鉄靴。腰の左右には二本ずつ差した剣と、背中にも短剣が二本ある。これら全ての装備を誰の金で買ったのかは言うまでもない。 

 

 ヨークは右肩に引っ掛けていた大きな麻の巾着袋を振り回して右手を上げ、左手に持っていた“剣断ち”を倬に差し出して、悪気はなかったのだと頭を下げる。

 

「待ってくれ、勝手に装備まで整えてきたのは謝る! 返す当てがあんだよッ! 頼むッ、俺の話を聞いてくれ!」

「今後、許可無しに似たようなことしたら“放逐”しますよ。自分、そう言うの嫌いなので」

 

 珍しく自分の事で“キレかけている”倬だが、倬は元々許可なく勝手に自分の持ち物やお金を使われるのが心底苦手なのだ。まれにある霜中家での親子喧嘩の原因は、大抵こういった類いのものだった。

 

「“放逐”って、言葉選びが物騒だな! 悪かった! 悪かったけど、飯にしようぜ? な? な?」

「チッ。ヨークさん、実に良い性格しておられるようですが、それが長生きの秘訣ですか?」

「んぐっ、言葉の棘が痛ぇ……」

「はぁ~……、食事前にイライラさせられるのも嫌なんですよ。勘弁して下さい」

「最悪のタイミングで怒らせた、と?」

「“いぐざくとりー(その通りでございます)”、です。……んで? 残りのお金は?」

 

 落ち着いた声音だが、確かに静かな怒気を孕んでいる。流石のヨークもこれには大人しく従った。

 

「あ、はい、こちらに……」

 

 五十万ルタ程を下ろしてきてもらったのだが、返ってきたのは大体三十万ルタだ。

 

「“剣断ち”は持っておいて下さい。……やっくん」

『しょうちつかまつったナリ。ヨークどのが悪させぬようやっくんが目を光らせるナリよ!』

「宜しくお願いしますね」

 

 ほのぼのとした気分が台無しだと、今度は倬がさっさと店に向かってしまう。

 

 温和そうな男だと思って金を使ってしまったのは失敗だったと頭を掻いて、ヨークは苛立ちを漂わせる倬の背中を恐るおそる追いかける。

 

「やっべー、めっちゃ怒ってる……、んがッ!」

 

 多少怒られるのは覚悟していたが、予想以上に気に障ってしまったのだとビビるヨーク。その頭を強めに踏んだのは風姫様だ。

 

「ま、美味しいご飯食べればすぐ機嫌戻すわよ。ヨーク、あんたはちゃんと反省しなさい。いいわね?」

「承知仕ったなりよ……」

 

 微妙な雰囲気を引きずったまま、二人は書店で出会ったシーラに教えて貰ったお店へと辿り着いた。その店は殆ど民家のような外観で、看板も非常に小さい。知らなければ絶対に気づかなかっただろう隠れ家的なお店だ。

 

 追加技能“常時瞑想”が苛立ちを抑えてくれるのもあって、倬の機嫌は既にかなり落ち着いてはいる。ただ、倬の中でヨークの人間性に対する評価は地に落ちたまま。

 ヨークの方は、倬が視線を向ける度にビクッと肩を上げるようになってしまったので、思った以上にお灸を据えるのには成功したらしい。

 

()()()()()()とは言え、ちょっと怒り過ぎたかな……)

 

 少なくとも父親と同じくらいは年上であろうヨークがシュンとしている様子は不憫に感じてしまう所もあるが、あまり調子に乗られても今後困ってしまうし、下手に我慢して堪忍袋の緒が切れてしまう可能性の方が心配だ。

 倬とヨークは仕事上の部下上司の関係でもなければ家族でも友人でもない。他人のお金を勝手に使うと言う行為を咎める事に年齢の上下は関係ない。

 

 これからヨークが魔人族に囚われていた理由や、シーラに“商人”の噂を訊ねた真意などを話すのだとすれば、“慣れ合い”の関係では居られないのだ。

 

(うん、ここは心を鬼にしよう。俺は悪くない。うん)

 

 機嫌の悪そうな態度をワザと維持して、黙りこくったまま店の引き戸を開ける。

 

 戸に備えられたベルが、カランカランと店内に小気味良く響く。まず倬達を出迎えてくれたのは、レンガと白い漆喰に似た素材で幾何学模様を描いた壁だった。左手には写実的な黄色い花の絵が飾られている。入り口からお洒落さを演出してくるのは、流石マグレーデのお店と言った所だろうか。

 

 右に伸びる短い廊下を二歩進めば、小麦の焼ける香ばしさに全身が包まれるのを感じた。ちらとヨークの顔を伺えば、高い鼻がヒクヒク動いているのが面白い。ヨークがまともな食事を摂るのは久しぶりだろうと思えば、倬の肩から力が抜けていった。

 

 店内には小さめのテーブルが並び、カウンターの向こうに大きな(かまど)や石窯が赤熱しているのが見える。内装は地球で言う所のピザ屋に近い雰囲気だろうか。

 

 昼下がりでも三組の家族が食事を楽しんでいて、賑やかさが心地良い。厨房からのっそり顔を覗かせる腕の太い男の態度は、実にぶっきらぼうなものだった。

 

「……らっしゃい。…………あんたら、うちの事はどこで聞いた」

 

 第一声こそ“つっけんどん”として歓迎してない風の男だったが、シーラの名前を告げると態度を豹変させてメニューについて親切に説明してくれた。男はこの店を殆ど一人で切り盛りしている店主で、シーラは常連の一人でありながら、時折手伝いをしてくれている良くできた“学生さん”なのだとか。

 

 倬はそんな店主に勧められるがままに“チャーティン食べ放題二千六百ルタコース”を選択、席について料理を待った。倬に続いて席に座ったヨークはまだ心配してるのか、念のためと顔色を伺ってくる。

 

「なぁ、いいんだよな。俺も食って」

「ここまで来て食べさせないなんて、そんな残酷な事は言いませんよ」

「ほっ……。それ聞けりゃ安心だ。おおっ、出てくんのはっや!」

 

 座って一分と掛からない内にお盆に乗せて店主が持ってきてくれたのは、紙の大きさで例えると“B4”サイズはあろうかと言う大きさの、所々がぷっくり膨れた薄いパンだった。パンの中でもこれは地球で言う所の――

 

「“ナン”だこれ」

 

 テーブルを占拠する大きさのナンに似たこれがチャーティンである。マグレーデが村だった頃から“ハレの日”に食べられてきたチャーティンは、質の良いファリヴ粉を使って作るのが基本で、香り高く、ふかふかの食感と歯切れの良さが特徴だ。

 

 新年に食べる事の多かったチャーティンを毎日提供するこの店の名前“イーデン・ノイヤール”は主人の造語で、日本語に訳すとすれば“毎日正月”なんて意味なんだとか。

 

「ひゅー! でっけー! これ食い放題ってマジか!?」

「おう、いくらでも食ってけ」

「なら遠慮なく!」

 

 がふがふと噛り付くヨークは、店主の目の前で大きなチャーティンをそのまま平らげてしまう。まだ口にチャーティンが残ったままお盆を店主に付き返し、嬉しそうにもごもごとおかわりを頼んだ。

 

ほわわひ(おかわり)っ!」 

 

 あっけにとられた店主だったが、ヨークの食べっぷりに大笑いして「あいよ」と厨房に戻っていく。もっちゃもっちゃとチャーティンを幸せそうに味わうヨークに、倬もすっかり毒気を抜かれてしまう。

 

(ヨークさんの性格が長生きの秘訣って、案外間違ってなさそうだなぁ……)

 

 ヨークが早速おかわりしたチャーティンと一緒に、店主が持ってきてくれたのはトロミの強いシチューだ。そのシチューの特徴は他でもなく、鮮やかな緑色である事だろう。

 

「おー……、この緑色は凄い……」

「こいつがノッパトスシチューか! さすがにこんなのは俺も初めてだ」

「慣れねぇと見た目にビビっちまうだろうが、だまされたと思って食ってみな」

「……では、頂きます」 

 

 緑色のシチューを木のスプーンで掬い上げ、恐るおそる口に運ぶ。やや青臭さは残っているが、見た目に以上に濃厚な味付けで全く気にならない。

 

(ほどよい甘味が優しい……)

 

 口の中がほっとする。僅かに感じる涼味はセロリに近いものを感じるが、香りの癖はそれよりもっと弱い。これくらいならば、セロリが苦手な人でも平気だろう。これがシチューに溶け出たノッパトスの味なのだ。

 

(このゴロゴロしてるのはノッパトスの果肉と……、お肉……?)

 

 器の中には二センチ角の透き通った黄緑色の果肉と、同じ大きさのお肉が転がっている。

 

 悩んだ結果、先にノッパトスの果肉を一口。

 

「……!」

 

 とろっとした食感の果肉は、煮込んだ冬瓜を思い出させる。スープと肉の旨味がじゅわっと溶け出して口の中に広がっていく。ノッパトスの果肉には味が殆ど残っていない分、たっぷりスープを吸い込んでいるのだろう。しっかり煮込んであっても主張してくる繊維が、シャキッとした食感で食べ応えを与えてくれる。

 

(シチューに溶けだした脂の良い匂い……、多分、(ヴルコ)だけど……)

 

 スープ、果肉、と来てようやくお肉だ。

 

 スプーンで容易くほぐれる角切りにされたお肉を頬張れば、(ヴルコ)肉特有の臭みが、ノッパトスの爽やかさと共に鼻を抜けた。

 

(はぁ~……、すっご……。臭みをあえて残してあるやつかぁ……)

 

 (ヴルコ)肉の調理では、どうやって臭みを抑えるかに苦心するのだが、この店のノッパトスシチューは臭みを“スパイス”に仕立て上げている。塊肉の柔らかさから、相当な手間を賭けて仕込んでいるのが想像できた。

 

 ノッパトスシチューをチャーティンに付けて頂けば、まさに至福のひと時である。

 

「やっべ、旨過ぎてもうシチューなくなっちまった……」

 

 ヨークの嘆きに、倬は無理もないと頷く。イライラなんてもう関係ないのだ。

 

「シチュー、おかわりしましょう」

「いいのか……?」

「これは食べましょう。美味しすぎる。自分も一皿じゃ足りません。“細けぇ事はいいんだよ”、です」

「ひゃっほう! よっ、倬ノ助、太っ腹! ……ついでに麦酒も頼んでいい?」

「よろしい。やって、どうぞ」

 

 この店の料理にすっかり気分を良くした二人は、思うさま食事を楽しんだ。

 

 二時間以上食べ続けて、ヨークがぽんぽんと腹を叩く。

 

「いやー、食った食った!」

「ふぅー……。ちょっと食べ過ぎましたね……」

「あんたら良く食ったなぁ。どうするね、デザートは?」

「いや、まだ食わせるつもりか。逆にすげぇな、大将」

 

 かなり忙しく働いてもらったのだが、まだまだ余裕を残している様子の店主に、ヨークも驚いている。伊達に忙しいお昼も一人で店を回していないのだろう。

 

 店主が夕飯時の仕込みがあると厨房に引っ込んだのを見計らって、ヨークは姿勢を正す。ようやく本題に入るつもりになったようだ。

 

「あー……、ごほん。改めて礼と詫びをさせてくれ、“祈祷師”殿。勝手に金を使って本当にすまなかった。今こうして飯を食えてるのも“祈祷師”殿のお陰だ。これもまた不躾な話だと承知の上で、聞いて欲しい話がある」 

 

 そして、ヨークは自身が魔人族に連れ去られた原因である“商人”との出会いについて語った。

 

 黒い革ローブの“商人”との出会いは今から二十一年も前になる。恐ろしい“()()()”に恩人とその家族が殺されるのを目撃したヨークは、“殺人鬼”の魔の手から、当時自分の子供を身籠っていた恋人や仲間を巻き込まないよう逃げ続ける事を決め、件の“商人”からアーティファクトを借りたのだと言う。

 

 四年以上もの間“殺人鬼”に追いかけられていたが、その“殺人鬼”が「なるほど分かりました」と呟いたのを境に、ぱったりと見かけなくなった。

 

 暫くは“冒険者”として仕事をしていたのだが、今度は“商人”がアーティファクトの返却か、購入代金の請求に姿を現すようになる。

 

 当然、まともな取り立てならばヨークも従うのだが、その現れ方は異常そのもの。どんな場所に居ようとも、必ず決まった時間に代金を請求してきたのだ。  

 

 “殺人鬼”とも違う異常性を“商人”に感じたヨークは、恋人と既に大きくなっていた娘に危害を加えられないようにと再び道場を離れる決断をする。

 

 だが、“商人”から逃げようとしたのは失敗だったのかもしれないと、ヨークは後悔を滲ませた。  

 あろうことか、その“商人”は魔人族を人間族領に招き入れ、金ランク“冒険者”を攫う計画に協力していたのだ。

 

「どうにも“商人”の野郎は、顔を見せ始めた時からずっと俺をとっ捕まえる計画を練ってやがったらしい。俺が連れてかれた魔人族の牢屋みてぇなとこには、そこそこ名の知れた“冒険者”が五、六人ぶち込まれてやがった。連中、戦闘訓練とか実験動物として人間族の“冒険者”を集めてたんだとよ」

 

 ヨークもかなり厳しい環境に置かれていたものの、どうにか耐えて続け、見張りの兵士を騙したり、手柄が欲しくないかと焚きつける事で脱走を繰り返したらしい。

 

「手柄を立てたがってた“黒の四連声”が“裏切りの者の魔人族”を探そうってな話をしてんのを聞いてな。俺と関係あるみてぇな事を吹き込んでやったのよ。“ようやくあの黒いのが動いたか……”ってな具合で」

 

 正しく“口八丁手八丁”でヨークは逃げ出したのだった。その“裏切り者の魔人族”とは倬の事で、あの行動がヨークの脱走に繋がったと言うのは出来過ぎている話な気もしてしまうが、嘘をつくとしたらもっと倬に関係ない話をするだろうとも思う。

 

「色々と凄い話過ぎて、にわかには信じられませんが……」

 

 だが、精霊様達はヨークの言葉に嘘は無いと倬の疑念を否定してくれた。

 

「まぁ、全部を信じてくれとは言わねぇさ。俺だって倬ノ助の話をまるっと信じた訳じゃねぇしよ。……とは言えだ。“商人”と因縁があんのはそっちもなんだろ?」

 

 ヨークは魚臭い小屋で倬達が話してるのを聞いたのだと言った。であるのなら、倬に“商人”について知り得る噂を隠す理由など無かった。

 

「確証はありません。ただ、人間族と魔人族両方に繋ぎを持てる“商人”なんてそうはいないでしょう」

「だよな? なにも一緒に追ってくれなんて言うつもりはねぇんだ。“ステータスオープン”」

 

 大きな麻袋からステータスプレートを取り出し、倬に向けて机に置く。

 

=============

ヨーク・M・S・サルニッケ 59歳 男 レベル:88

天職:剣士  職業:冒険者(金)

筋力:280

体力:433

耐性:287

敏捷:377

魔力:135

魔耐:288

技能:剣術[+斬撃速度上昇(達)][+抜刀速度上昇(達)][+無拍子][+不拍子][+無思遠慮(むしえんりょ)]・縮地[+景朧(かげろう)]・先読[+後識]

=============== 

 

 ヨークのこのステータスを、倬や召喚された生徒達と比較してはいけない。バラツキのある数字だが、“レベル88”でこのステータスはメルド団長に匹敵する。“メルド団長に匹敵する”とはつまり、現代の人間族でも最高クラスの実力を持っている事の証明だった。加えて、倬の知識にはない技能や記述も見受けられる。

 

 驚く倬の様子に安堵の溜息を吐いて、ヨークはまた別の紙切れをテーブルに置いた。

 

 話を続けるヨークの意識は、倬よりも刃様に向いている気がした。

 

「んで、金を返す当てってのがコイツだ。もしもこの依頼で倬ノ助と精霊様方の()()()(かな)うようなら……、どうだ、少しの間で良い。俺を、剣の稽古相手に雇っちゃみないか?」

 

 ヨークが持ち出した紙切れは、ギルドの依頼書だ。

 

===============

 

小鬼(ゴブリン)の動向調査及び討伐依頼(クエスト)

報酬:群れの行動範囲調査*1――十万ルタ

   群れの巣の特定――二十万ルタ

   討伐一体につき――五千ルタ*2

 

*1-別途審査基準有り

*2-十体以上から七千ルタ、上位個体加算×1.6~1.8

 

※依頼条件

パーティーに銀または金ランクが一人以上、

または小鬼討伐実績五十を越える黒ランクが一人以上所属している事

 

=============== 

 

 どうやら次なる倬の仕事は、ゴブリンを“スレイ”するモノになりそうである。

 

 

~~~

 

 日が暮れたマグレーデの街に、店仕舞いを始める音がパタパタと重なる。

 

「ありがとうございましたー!」

 

 白い布をマントの様に翻し、大学生シーラの元気な声がマグレーデの街並みに華やかさを添えてくれた。店内に並ぶ本棚の前に立ち、陳列を整えるシーラの表情は実に楽しそうだ。

 

「ふんふんふん、まっちがだいすき、まっちはだいすき~っと」 

 

 “文化の街”を自認するマグレーデには書店が非常に多い。その中でもシーラが“手伝い”(アルバイト)をしているこの店は比較的小型の店舗だ。彼女はこの“手狭さ”が気に入ったのともう一つ理由があって、ここで“手伝い”をさせて貰っている。

 

 その理由と言うのが―― 

 

「ただいまぁ~。いやいや急に悪かったねぇ、シーラちゃん」

「あ、お帰りなさいです! オーバラさん」

「やだやだ、そっちの名前で呼ぶのはやめとくれ。気恥しいったらないんだからっ。おばちゃん、でいいんだよ」

 

 大学での課題がきっかけでこの書店の主であるおばちゃんが、オーバラ書房創業者の子孫であると知った事だった。

 

「えー、恥ずかしがる事なんてないのにー」

「あたしにゃあるのっ」

 

 既にオーバラの一族は書房の経営から一線を退いており、おばちゃんはあまりオーバラと呼ばれる事を喜ばないのだ。

 

 シーラとおばちゃんが仲良さげなやり取りをしている所に、ご近所のおじさん達二人がふらっとやってきた。

 

「おー、()()()()()お帰りぃ」 

「今日の礼拝はどうだった? 神父様はいつも通りプルってたかァ?」

「ったくあんた達は暇がって……。いつも通り、ほえほえ喋ってたよ」

「あ~ァ、明日は俺達かァ。教会の奉仕活動ってな、なんでやらなきゃならんかねェ」

「そりゃあ、この街でやってくのに必要だからだよ。知ってんだろ、あんた達だって」

 

 この街を存続させる為には、教会との関係は良好に保つ必要がある。教会の掃除や、神父の手伝い等を持ち回りでやる事で、マグレーデ住民は自由な創作活動に打ち込めているのだ。

 

「あ、そうだそうだ。さっき面白れェ話を聞いてよォ。バラちゃんもシーラちゃんも好きな話だと思ってなァ?」

「ほほーぅ、“面白い話”と先に言ってしまうとは、中々の自信ですね。どんな話ですか?」

 

 本日の売上を数えようとしていたシーラが、手を止めておじさん達に話の先を促す。

 

「さっきギルドの前通りかかったら、なんかギルドの職員が騒いでてよォ」

「気になって聞き耳立ててたら、“M・S”がどうの、サルニッケがどうのって喋っててなぁ」

「あんだって? あんた達、そりゃ本当かい?」

 

 おじさん達が話し始めた時は興味なさそうにしていたおばちゃんが、急に身を乗り出した。

 

「へへッ、やっぱバラちゃんは喰いつくよなァ」

「“M・S”にサルニッケとくらぁ、有名な金ランクで“邪剣”とか“捨剣”とか――」

「“剣士の面汚し”とかってェ、二つ名で呼ばれてた“剣士”で――」

「違うっ! “()()の面汚し”だよ!」

「うわッ、バラっちゃん、そんな怒るなってェ。汚ェ戦いするってんで有名だっただろォ?」

 

 おじさん達の台詞に、やれやれと頭を横に振るおばちゃん。分かってないねぇ……と言わんばかりだ。

 

「確かに“邪剣”って呼ばれるだけあって“剣士”らしくないって言われちゃいたけどね。“面汚し”ってのは“魔物の面を汚す”戦い方の事を言ってんだよ」

「おばちゃん詳しい……。流石、【ギルド会報】定期購読者は伊達ではありませんね!」

「ま、それほどでもあるよ」

「あんなん買って読んでるやつがこんな近くにいたとは……。ビックリだぜぇ……」

「でも実際よォ、目潰しとかダサくねェかァ?」

 

 このおじさんの言葉を聞いて、これだから素人はと言わんばかりにおばちゃんは溜め息をつく。

 

「“捨剣”ってのも不名誉な渾名だけどね、“剣を投げ捨ててでも絶対に帰ってくる”って意味なんだよ。あの人と一緒に魔物討伐しに行って帰ってこなかった“冒険者”は誰一人いないって話さ。これが凄い話だって事くらい、あんた達にだって分かるだろ?」

 

 金ランク“冒険者”ともなれば、魔物や盗賊等の討伐数は百や二百どころでは済まない。こなした依頼の数が桁違いなのだ。どんなに強い“冒険者”であっても、寧ろ強ければ強いほど、仲間が犠牲になる危険は増していく。

 “誰一人仲間を死なせない”のは理想だが、依頼を受け続けるとしたら現実的には不可能と言って良いものである。

 

「は~……、そう言われっちまうと、頭が下がるわなァ」

「だなぁ、そんな凄かったんかぁ」

 

 納得したとうんうん頷くおじさん達の横では、シーラがおばちゃんの集めている【ギルド会報】を引っ張り出して表紙を見比べていた。

 

「うーん、見つからない……。“M・S”ってどんな意味なのですか?」

「あんれぇ? 今時の若い子は知らねぇか」

「でもシーラちゃんなら六十五層の“最強”は知ってんだろォ」

「もちろんです。トータス人の常識でしょう! 魔人族だって知ってますよ、多分!」

「その“最強”が建てた道場で免許皆伝を認められた証が“M”なんだとさ。【月刊ゴールデン】の創刊号に書いてあったよ」

「“最強”の道場ですか……」

 

 今日まで沢山の本を読み漁ってきたシーラだが、まだまだ知らない事があるのだと己の無知を再確認して【月刊ゴールデン】創刊号を探し始める。

 

「ってもなぁ、“最強”の記録も“勇者様”が簡単に塗り替えちまったんだろ?」

「そうだったなァ。何だっけ、神父様はこう……、“エヒト様にぃ招かれてぇ~、十五日が経った頃ぉ~、悪辣な罠によりぃ、思わぬぅ形でぇベヒモォスと果敢に戦いなすった勇者様方であったがぁ~”」

「あっはっはっは! うめぇじゃん! あー……“仲間の無事を優先なされた勇者様はぁ~、ベヒモスから勇気ある撤退をなさったのであぁ~るぅぅ”だよなぁ」

「んで六十日目くらいなんだっけェ? “めっきめっきと研鑽を積まれた勇者様方はぁ~っ、遂にっ、六十五層にぃっ、た~どりつきぃ、憎きベヒモォスを打倒したのどぅあぁ!”」

「……あんた達、その辺で止めときな」

 

 おばちゃんは必死で笑うのを我慢している。咎めると言うよりも、笑いを堪えられないからと二人を止めた。

 

 シーラも礼拝の時間で伝え聞かされる“勇者様一行”の活躍を思い出して、その強さを想像する。

 

「でも、本当に凄いですよね。勇者様は皇帝陛下とも剣を合わせたのでしょう?」

「“勇者様のぅ、本当の実力を知りたいとぉ~、身分を隠しぃ剣を合わせたヘルシャー皇帝はぁ、勇者様の高い御力を感じ取りぃ、人間族を共に救わんとぉっ、堅くぅ握手を交わされたのどぅわっ!”って言ったもんなァ」

「ぶふッ、もう! 止めろってのに!」

 

 耐えきれず吹き出してしまうおばちゃんを皆で笑い合う。

 

 笑いを落ち着いてから、おじさんの一人が素朴な疑問を口にする。

 

「んー……、勇者様と“邪剣”ならどっちが強ぇんだと思う?」

 

 流石に勇者様だろうとシーラは考えたのだが、おばちゃんの考えは違うようだった。

 

「知ってるかい? 今はまだ勇者様よりメルド様の方が強いんだって話をリークした“セホ(仮称)”って騎士様がいてね。シーラちゃん、【月刊ゴールデン】三十六号、“新団長に独占取材!!”だよ」

「はい、お待ち下さいな!」

「覚えてんのかぁ、バラっちゃんすげぇなぁ……」

 

 おばちゃんに言われ、シーラが広げた記事にはメルド団長が騎士団長に就任した時のインタビューが掲載されてた。

 

=============

 

 新団長に就任したメルド・ロギンスと言えば、新兵時代から魔物に野盗に魔人族にと数多くの討伐作戦を成功されてきた若き騎士様だ。

 

 老獪なるナサリオ団長の後を引き継いだ未来の英傑に、ギルド広報部が独占取材を敢行したぞ!

 

~~~

 

 ここまでは王国騎士団とギルドの関係についてのお考えを聞かせて頂きました。

 

 次は趣向を変えて、注目している“冒険者”やギルドの活動について教えて下さいますか?

 

「そうですね。やはり金ランクの“冒険者”ともなればその実力は計りしれませんから、どんな活躍をしているかの情報収集は欠かせません。実の所、今も数名の金ランク“冒険者”を騎士団へスカウト中です」

 

 これは驚きの情報が飛び出しました。ギルド職員としてはあまり喜べないお話ではありますが……。

 

「これは申し訳ない。騎士団は常に優秀な人材を求めているのもので」

 

 いえいえ、王国を守る為には当然の判断だと思います。騎士団としての方針は理解しましたが、メルド新団長が個人的に気になっている“冒険者”などはいますでしょうか。

 

「……最近あまり噂を聞かない方でも構わないのであれば、やはり“邪剣”ヨーク様は忘れられません」

 

 “邪剣”ヨークと言えば、“二つ名”が沢山ある事でも有名な“剣士”の金ランク“冒険者”ですね。

 

「ええ。彼は若干十八歳で剣術顧問として王国に招かれた本物の天才です」

 

 メルド新団長も、彼から剣術指南を?

 

「それこそ新兵時代でした。私の同期は全員が彼の指南を受けていますよ。今も剣を振っている時に意識しているのはヨーク氏です。……団長としてあるまじき事かもしれませんが、未だに彼に刃を届けられる気はしませんね」

 

 なんと言う高評価! ……ちなみにヨーク氏と言えば女性関係で王国を追い出されたとの噂がありますが。

 

「ブフッ……。失礼。……“反面教師”としての面も含めて良い先生でしたよ」

 

 なるほど、なるほど。実に貴重なお話を聞けました。では続いて、副団長などの選任についてですが――……

 

=============

 

「“邪剣”ヨーク、ですか」

 

 今日、大量の絵本を買っていった二人組の客の“お爺さん”がそんな名前だったと想い出して、小さく苦笑する。もしも本人だったらどんな偶然だろう。

 

(ま、特に珍しい名前でもないですもんね……)

 

 同時に、そのお爺さん(ヨーク)が奇妙な質問をしてきたのも思い出す。

 

「そう言えば、今日来たお客さんに変な質問をされたんですが。黒い革ローブの“商人”に心当たりってありませんか?」

 

 おじさん二人は肩を上げて、心当たりはないとジェスチャーで答える。

 

「バラちゃんは? なんか知らねェの?」

「あるよーな、ないよーな……」

「頑張れ、バラっちゃん! まだボケてねぇって証明してやれ!」

「うるさいね! ……でも、あれは何年だったかね、東の村に元貴族の資産家が引っ越してきたの。ほれ、マグレーデ大学の新キャンパスをあっちに造るんだろ? あれの誘致に協力したのが元貴族様らしくてね、それを手伝ったのが妙な黒ローブの“商人”だって話だった筈だよ」

 

 




えー……、如何だったでしょうか……。一話で収めようとした内容の中で真ん中になってしまったお話でした。

投稿と展開が遅い事実に反省しきりですが、今後とも本作にお付き合いして頂けると嬉しいです。ではまた次回、【三本目】の投稿もよろしくお願いします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。