すたれた職業で世界最高   作:茂塁玄格

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お待たせしました。今回のお話はあるオリジナルキャラクターとの邂逅がメインになります。

戦闘が多く残酷な描写や胸くそなシーンがありますので、お気をつけてお読みいただければ。では今回もどうかよろしくお願いします。





“剣士”は己を知る者の為に死なず・一本目

「んッ、ぐおぉぉぉぉーーっ!!!」 

 

 裸足のまま赤銅色の熱砂を忙しなく蹴って、男は大砂漠をひた走る。

 

 伸ばしっ放しでくすんだ茶色の髪と髭に覆われているせいで、男の素顔を確かめるのは難しい。一見して分かるのは、背が高く目鼻立ちがハッキリしているのと、ある程度以上に(よわい)を重ねていると言うことくらい。

 

 服と言っていいのか迷う粗末な布を腰で縛っただけの身なりに、胸元で拘束されている腕が、男の置かれた只ならぬ状況を如実に語っていた。

 

 背後に立ち昇る砂塵から、ギロチンの刃を想起させる砂の塊が男の背中を襲う。

 

「はっ、んならぁっ!!」

 

 砂丘の上から滑り落ちるようにして、男は突きつけられた害意を見事に回避してみせた。

 

 日が落ち、グリューエン大砂漠全体の気温は下がり始めてはいるものの、その砂は未だ高温を保ったまま。既に日射しに赤く腫れた男の全身が、砂の熱で更に焼け(ただ)れていく。

 

「クソったれ! ほんっとにもう、あっちぃなぁっ!! とろけちまうっつーのッ!」

 

 触れただけで火傷を負ってしまう砂は“あっちぃ”で済むレベルの熱さではない筈だが、男が吐く悪態はどこか軽い。

 

 言葉の軽さに反して、その瞳は今も何かを探して動き続けている。

 

「どこだ、どこだ、どこだ!? 何時もそこら中にいるだろうがっ、“うんころがし”君よぉ!!」

 

 逃げる男は走りながら叫び続ける。

 

 男の背後で砂丘が一つ、消し飛んだ。地鳴りと共に砂をまき散らし、その長い体をしならせる魔物は、大砂漠において最も名の知れた脅威たるサンドワームであるらしかった。

 

 “サンドワームであるらしい”と言うのが、今まさに男が抱える最も大きな問題と言っていい。

 

「ちっくしょう! ()()()あんなんじゃなかっただろうが! 柔いとこ隠しやがって!!」

 

 本来のサンドワームには節となる部位が存在し、剣や槍を振るう上位ランクの“冒険者”達はそこに刃を突き立てる事でダメージを与えるのだ。それに対し、男を追うサンドワームは弱所たる節を砂で覆う事で弱点を克服しているのである。

 

 加えて砂の刃を放つ固有魔法まで使用してくるとあっては、砂漠に対応した相応以上の装備か、高度かつ長い詠唱が必要な上級魔法が求められるだろう。

 

 ボロを身に纏っただけで武具を持たず、腕を拘束されたままの男には、このサンドワームを倒すなど持ってのほか。常識に(のっと)って考えれば、逃げ切る事すら困難である。

 

 そうと知りながら尚、男の瞳からは光明を見出さんとする輝きは失われていない。

 

 視界の端に、赤銅色の砂にまみれた泥団子を“つっぱり”で転がす奇妙な甲虫が入り込む。この虫こそが、“うんころがし”。地球で言う所のフンコロガシであり、トータス一般にはコートケフと名指される虫だ。

 

「よっしゃあぁぁッ、いやがった! こんなにお前(“うんころがし”)を愛しく思った事はねぇ!」

 

 コートケフ(フンコロガシ)を見つけて喜ぶ男が、虫の蒐集(しゅうしゅう)家であるなどと言う事は当然無い。現状を打破せんとする男にとって、コートケフ特有の生態こそが重要なのだ。

 

 今まで以上に砂を強く蹴って、男はコートケフが泥団子を転がす方向に進路を変える。その先には、不自然に美しくすり鉢状になった窪みが待ち構えていた。

 

「期待してんぞ、シュレケフさん!」

 

 何者かの名前を叫んでから、男は一度振り向いて天を仰ぐ。

 

 その視線が射抜くのは目前に迫る脅威たるサンドワームではなく、もっともっと遠く薄暗い空を泳ぐ、四匹の翼竜とその竜を駆る魔人族四人の姿だった。

 

「へっ、舐めてくれてありがとうよ!」

 

 ボサボサの髪と髭を振り乱し、男は口と目を全力で閉じて、すり鉢状の窪みに飛び込んだ。

 

 途端、窪みが唸りを上げて回転を始める。その回転速度は凄まじく、瞬く間に砂の竜巻へと変貌を遂げる。

 

「ぐあ゛あ゛あ゛ぁっ!」

 

 赤銅色の竜巻は接近していたサンドワームまで巻き込んで、男を真上に吹き飛ばした。

 

 吹き飛ばされた男は、全身を砂に削られる痛みに耐えながら砂の竜巻の中心を必死の形相で睨みつける。男の眼は、竜巻の中心から這い上がってくる強靭なハサミを確かに捉えた。

 

(おはようさんッ、相変わらずエグいエモノをお持ちで何よりだ!)

 

 研ぎ澄まされたハサミを顎に持つ魔物、シュレケフ。縄張りに対する執着が非常に強く、その縄張りに踏み込んだ者を固有魔法“竜沙(りゅうさ)”によって直上へと吹き飛ばし、落下してきた所を超硬度を誇るハサミで切り刻んで捕食する、そんな魔物だ。 

 

 シュレケフの身体は頑強な外骨格によって成り立ち、ハサミと顎の関節以外に外殻の隙間が殆ど存在しない。極めて傷を負わせ難い魔物であり固い外殻は高値で取引されるが、その実力は大砂漠で活動する冒険者達から“シュレケフ一匹を相手にするくらいなら、サンドワーム五匹の方がまだマシ”とまで評される程。

 

(“糞虫転がす団子の(さき)”ってなぁ、冒険者の常識よぉ!)

 

 “糞虫転がす団子の先”――ただの虫であるコートケフと大型の魔物であるシュレケフは共生関係にあり、団子を転がす先にシュレケフの縄張りがある。サンドワームよりも格上の魔物であっても、この生態さえ知っていれば危険を避けられる事から、知識の重要さや十分な備えの大切さを伝える諺となった。

 

 日本の諺で例えるなら“転ばぬ先の杖”、あるいは“備えあれば憂いなし”と言った所だろうか。

 

 そんな諺に伝わる魔物シュレケフを、この男は利用しようと言うのだ。

 

 落下の最中(さなか)、砂が目に入らないようにと瞬きを何度も繰り返してハサミの位置を確認し、痛みを紛らわせる為に(りき)み声を上げる。

 

「ん゛ッ、ま゛ァッ!」 

 

 “竜沙”が吹き荒れる空中で身を屈め、くるりと前転。シュレケフの凶刃と真正面から向かい合う。

 

 男とシュケレフのハサミが交差したその時、闇に染まりつつある砂漠にブチンッと鈍い音が響いた。

 

「んでもってぇッ……」  

 

 ハサミによって腕の拘束を切断してみせた男は、シュケレフが開いた顎を蹴とばし、宙返りを決める。男が宙返りした背後に待っているのは、シュレケフの周囲で未だ渦巻いていた“竜沙”だ。男はあえて砂の竜巻にその身を任せ、再び空へと投げ出される事でシュケレフとの距離をとってみせたのだ。

 

 空中に()()()()危機を脱した男の足を掠め、凶悪な砂の刃が“竜沙”を越えてシュケレフめがけて飛来する。

 

(よっし! やられっぱなしじゃねぇよなぁ、“イモムシ”君よぉ!)

 

 一度“竜沙”によって吹き飛ばされたサンドワームが、怒りのままシュケレフに攻撃を仕掛けたのだ。

 

 拘束から逃れ、魔物同士をぶつけると言う男の企みは、これ以上ないと言って良い程に上手くいった。

 

(俺様ってば、やっぱ天才!)

 

 落下の衝撃を受け身で最小限に留めた男は、自らを褒め称えながら立ち上がる――つもりだった。

 

 脚に力が入らない。いや、男の全力をもってしても脚を動かす事が叶わなかったのだ。

 

 いつの間にか、砂が脚を覆っている。これが汗で貼りついた砂などでは無い事は、その厚みと徐々に面積を広げていく様を見れば明らかだ。

 

(……おっとぉ、妨害?! このタイミングでッ?!? クソ野郎ッ、面白がりやがって!!)

 

 土系魔法による妨害だと理解して、とっさに空を睨みつける。

 

 赤銅色の砂塵が巻き上がる暗い空は、澱んだ薄紅色を呈していた。集められた砂塵が人ひとりを容易く押し潰せる大きさの円錐を形作り、その鋭利な先端が男を睨み返す。

 

 これが男を追っていた魔人族からの攻撃であることは、言うまでもない。

 

(土系上位“硫槍(りゅうそう)”……、か。砂漠なら最高の魔法だわなぁ……)

 

 すぐ横では大型の魔物同士が激しく争い合っている。

 

 魔人族領から走り続けてきた男の体力は既に限界に近く、最早汗すら流れない。

 

 突き立てられようとしている“硫槍”が、可視化された殺意の如くに感じられた。

 

「せめて一目、どんなにデカくなったか見たかったんだが……」

 

 苦笑と共に独り言を零し、男はゆっくりと瞬きをする。

 

 己の矜持として自分の最期のその時を見逃すまいと見開いた男の瞳に映ったのは、“硫槍”ではなく、視界を埋め尽くさんばかりの鮮烈な蒼白い閃光だった。

 

 灼きつくような眩さは、(いかづち)によく似ていた。

 

「__“焼灼(しょうしゃく)”、__“疵癒(しゆ)”」

 

 どこかから何者かの声が聞こえる。同時に全身を奇妙な炎と緑色の魔力光が包み込んだ。

 

 とっさに腕の表面に揺れる炎を払えば、火傷で赤くなっていた肌が嘘のように回復している事に気が付く。

  

(こりゃあ、一体……)

 

 声が聞こえたのは“硫槍”と同じ方向だ。いや、“同じ方向”なんて曖昧な位置ではなかった。男の耳には、“硫槍”とまるきり同じ位置から発せられたよう聞こえていたのである。

 

 大質量の砂を操り、高い威力を誇るはずの上級魔法による砂の塊が、まるで溶け出すかのように崩れ始める。

 

 崩れ去る砂の中に、灰色(グレー)のローブを身に纏った者の背中を見た。

 

 魔法師らしいローブ姿であるにも関わらず、宙に浮かぶその者はゾッとするほどに美しいソードを持っている。

 

 その刀身が稲光を反射し、砂漠の闇を切り裂くかの如くに光が走った。

 

 眩しさに男が思わず目を瞑ってしまった次の瞬間、砂塵が吹き荒れる空の上で、悲痛な呻き声が重なる。

 

「「「「ギャアオッ……?!!」」」」

 

 翼竜の誇る、毛の無い翼が力無く舞い落ちた。翼を切断された魔物もまた、頭部から砂漠へと落下、ゴシャッと頭蓋の潰れる音が痛々しい。

 

 目の前に繰り広げられる一瞬の出来事を、男は訳が分からないまま見続ける他なかった。

 

 呆然としている男の前に、“グレーのローブ”――霜中倬――が静かに降り立つ。

 

「向こうも無事、ですか……」

『すぐに飛び降りてたもんねー、治優もびっくりしちゃった!』

 

 “癒しの精霊”である治優様と話している倬の様子は、男からすれば虚空に向かって呟いてるようにしか見えない。男が倬に話かけるのを躊躇うのは普通の反応だろう。

 

 男の警戒心からくる逡巡などお構いなしに、離れた位置で爆音が轟く。同時に正面の砂丘を()()()()()()直進して来たのは、強力な火系魔法のようだった。 

 

 高速で飛来する火系魔法は“緋槍”を更に強化した魔法に見える。逃げていた男は、これを確実に無効化し得る防御結界が光系上位の“聖絶”くらいであると評価し、警戒心をかなぐり捨てて、倬へと回避を呼びかけようとする。

 

「おいっ、避け――ッ??」

「__……」

 

 それは男が生涯、聞いたこともない詠唱だった。正確には、聞き取りようのない程の、超高速の詠唱である。男は唯々(ただだだ)、あっけにとられてしまっていた。

 

「“風陣”」

 

 二人の正面に非常に弱々しい()()()()()()風の結界が立ち上がる。だが、幾度か続けて呟かれた詠唱――“追加詠唱”――により、その結界の厚みはたちどころに膨らんでいく。

 

 風と炎が衝突する衝撃で、砂漠に突風が吹き荒れる。

 

「うおッ!」

 

 爆煙に頭を伏せていた男が再び顔を上げれば、そこには赤褐色の壁が一枚、立ちはだかっていた。魔人族達が放った攻撃は、この壁によって完全に防がれたのだと理解した男の口は、ポカンと開いたままだ。

 

「なんだ、こりゃあ」

(まさか、向こうの攻撃で……?) 

 

 この男の予想は正しい。意図的に砂を抱き込むように展開した“風陣”で高熱の火炎を受け止め、その熱によって砂を溶解する事で土系魔法に頼らないままに造り上げられたのが、この壁なのだ。

    

 壁の出現に驚いたのは反対側の魔人族も同じ。だが、こちらに向けて叫ぶ魔人族の声音に、動揺の色は感じない。

 

「まさか協力者が本当に居たとは流石に驚いたよ、ヨーク・サルニッケ! お前でも嘘をつかない事があるんだなぁッ」

 

 魔人族領から逃げて来た男は、ヨーク・サルニッケと言うらしい。魔人族の一人がヨークを煽ろうと声を荒げた内容に倬は引っかかりを覚え、眉間に皺を寄せる。

 

 どうやら倬は、ヨークが語った“協力者”だと思われているようなのだ。

 

 技能“反響定位”を応用して聴覚を研ぎ澄ませば、魔人族達の囁き声もはっきりと聞くことができる。四人の兵士は、およそ二百メートル先の砂丘に身を隠して状況を確認し合っているらしい。

 

――灰色(グレー)のローブ……、格好は“優等生君”の言ってた通りだけど、神代魔法は使いこなせてないみたいだね。魔物を連れてる様子が無い。メンニヨ、どうする?――

――あの年寄りを逃がしたまま帰還したくないが、ローブの男のヒーケ隊を潰した実力ってのが本当なら()り合わないのが無難だろう。アイガ、詠唱始めててくれ――

――了解した――

――なぁなぁ、メンニヨぉ~――

――なんだよ、シュツマ。何か思いついたか?――

――あれ本当に俺らの同胞なのか? あの黄色っぽい(つら)、化粧かな?――

――今どうやって変装してるか気にしてる場合じゃねぇだろうが。一瞬で“毛無し鳥”全部狩られてんだぞ――

――落ち着けよメンニヨ。シュツマがとぼけてんのは調子が良い証拠だろ?――

――カルテオ、お前が落ち着き過ぎなんだ。勝手に挑発しやがって――

――まぁまぁ、ヨークとローブを二人連れて帰れば勲章もんだぜ? 俺ら“黒の四連声”が名を上げる絶好の機会だ――

――カルテオ、その隊名、本気で止めろ――

 

 軽口を叩き合う様子は実に落ち着いたものだ。ここ数年の間、人間族と魔人族の大きな戦は無かったと言うが、小競り合いがなかったわけではない。彼らからは戦場慣れしている雰囲気が感じ取れる。

 

 “黒の四連声”なる隊名にツッコミを入れたい気持ちをぐっと堪え、倬は“剣断ち”を握り直す。ヨークが彼らに語ったと言う“協力者”とは、【シュネー雪原】から出てすぐ戦闘した内の一人に闇系魔法“誑惑(きょうわく)”によって“裏切者の魔人族”と信じ込ませた倬の事だったのだ。

 

 どんな経緯でヨークが“裏切者の魔人族”を知り、利用したのかまでは分からない。それでも、魔人族の四人が大砂漠の北までやってきた遠因には、倬の存在が影響しているのは確かだ。いよいよヨークを捨て置くわけにはいかないと、小さく息を抜いた時だった。

 

 ぎりぎりまで声量を抑え、ヨークが倬に話しかけてきた。

 

「おい……、おい……、兄ちゃん。なんかナイフ、この際だ、刃物なら何でも良い。なんか貸してくんねぇか」

「……え?」

 

 すれ違いざまヨークを治療した治癒魔法は、全身の擦過傷や火傷を癒やす程度の効果に留めている。まともな装備も持たず、強化されたサンドワーム相手に大砂漠で大立ち回りを見せたヨークが何者か判断出来なかったので、意図的に全快させなかったのだ。満身創痍で戦えるような体調とは思えない。

 

「主殿、()()()を貸してやるでござる」

「うわっ、何だコイツ?!」

「“刀剣の精霊”、主殿から頂いた名は(やいば)にござる」

「……刃様、宜しいのですか?」

 

 “宜しいのですか”と確認するのは、“剣断ち”を貸す事についてだけでは無い。ヨークの素性が分からないまま精霊の姿を見せる判断をした事についての確認だった。

 

 顔全部が毛に覆われているせいで、ヨークの表情を直接窺い知るのは難しいが、突然姿を現した二頭身にデフォルメした人形みたいな刃様にビビっているのだけは明らかだ。

 

 刃様は砂漠に聳え立つ壁の向こうに意識を向けながら、倬と目を合わせる。 

 

「この者から“才”を感じました。主殿には学ぶべきことがあるやもしれない、と」

「……(かしこ)まりました。――ではヨークさん、これを」

 

 “剣断ち”を鞘に納め、ヨークに手渡す。

 

 恐るおそる受け取ったヨークの手は震えている。この“剣断ち”の云われは知らなくとも、刀剣として特別な代物であると理解しているようだ。

 

「これ貸してくれるってか……、こいつはお前さんのエモノなんじゃ――ッ?!」

 

 倬の武器がなくなってしまうのではと心配したヨークの真横に、金色の棒が真っ直ぐ落ちて、砂漠に突き刺さる。ボッと音を立てて砂に突き立った棒は、上空で待機させていた“悠刻の錫杖”である。

 

 錫杖を掴み取り、片手で器用に回転させて構えを整える倬の表情から、柔和さが消える。

 

「問題ありません、自分にはこれがありますので。それより……、来ますッ」

「……んっ、しゃあッ! まるっと了解だ! やるっきゃねぇからな!」

 

 造り上げた壁を根元の砂ごと吹き飛ばして地中から現れたのは、ヨークを追っていたのとは別のサンドワームだ。一見して普通のサンドワームとの違いは分からないが、魔人族に従ってこちらを襲ってきたのは間違いない。

 

「オ゛オ゛オ゛―――ッ」

 

 無理矢理に喉を震わせ、呻き声を上げて暴れるサンドワームは、全身を大きくしならせて頭部を持ち上げる。口を大きく開き、ヨークに向けて頭を振り落とした。

 

 このサンドワームに対応しようとした倬の動きは、海姫様に止められてしまう。

 

『シモナカ、刃様の見立てを信じろ』

『であれば、援護を』

 

 “剣断ち”の柄を左手で握り、顔の正面で真横に持つヨークが、鞘の隙間から僅かに刀身を覗かせる。纏う軽快な雰囲気はそのままに、全身に闘気が満ちていた。

 

「真剣は良い。何が良いって、重さが違ぇのよ……、なぁッ!!!」

 

 サンドワームと肉薄する直前、ヨークは砂漠の上とは思えないほどの跳躍力による横っ飛びで倬の後ろへと移動する。

 

 ヨークの着地と同時、サンドワームの鼻先が切り落とされた。

 

 倬が抜刀の瞬間を捉えられたのは、“光の精霊”である光后様との契約で高速に対応した視力を得ていたからだ。それほどまでに、ヨークの抜刀速度は極まっていたのである。

 

 未だ“剣術”からの派生技能を得ていない倬は、ヨークの剣技に見惚れてしまう所だった。

 

 しかし、武道で一本を認める際に重視される“残心”については、ヨークと言う男の中には存在しなかったようである。

 

「やっべぇ、なんだこれ!? 超斬れるんですけど! どんな研ぎ方してんだっ、正直っ、超欲しい!」

 

 “剣断ち”と伸びた髭を同時に振り回してはしゃぐ姿はまるで子供ようだ。変身ベルトが届いてルンルンしてる母の姿がダブってしまう。

 

「……あげませんよ」

「そりゃそうだな。したらこの俺、ヨーク様の本領発揮と洒落込みたいんだが、構わねぇか?」

「主殿がフォローなされる故、好きにやるとよいでござる」

「……そ、そいつは頼もしい。んじゃ、やるぜ?」

 

 倬も刃様の言葉に頷く。実際、剣を得てからヨークの動きは格段に良くなっている。万全と言えない状態でここからどうするつもりなのか、興味が湧いていた。

 

 精霊達の存在を受け入れ切れていない様子のヨークだが、何度かの咳払いで意識を切り替えた後、大声で魔人族の四人に声をかけ始める。その内容は実に名状し難いものだ。

 

「闇系使いってなんで皆して根暗なのー! “死霊術研究クラブとかマジキショイ”って(わら)われてたぞー! “黒の四連声”ってゆーか“暗い四人組”の間違いじゃないのーって言われてもいたっけなー!」

 

 良く通る声が、しんと静まり返る夕方過ぎの大砂漠に染み渡るようだった。

 

 倬の耳には、“黒の四連声”なる隊名の生みの親であろう兵士カルテオが立ち上がろうとして、仲間に押さえつけられている様子が聞こえてしまう。

 

「ちっ、駄目か……。ゴホン。おーい! メンニヨ君やーい! “治癒師”の()に“闇系メインの人はちょっと……”ってフラれちゃった可哀想なメンニヨ君やーい! 俺達の戦いに魔物はいらねぇ、魔物なんか捨てて正々堂々、お得意の闇系魔法でかかって来いよー!」

 

 酷い。いくら何でも酷い。

 

 倬は思う。黒が好きなのは許してやって欲しい。カッコいいじゃんかブラック、と。闇系魔法は戦術的にも戦略的にも重要な効果を期待できる魔法が多いし、精神疾患なんかの治療にも有効なわけで、なんか暗そうってイメージで嫌うのは良くない。偏見、駄目、絶対!

 

 “死霊術”だって絶対役に立つ。そんなクラブなら入ってもいい、って言うか俺は入りたい。何よりフラれたって事は勇気を振り絞って告白したって事かもしれない。笑うんじゃあないよ。その勇気は称賛されるべきでしょう。だから優しくしてあげて! 

 

 そんな兵士メンニヨへの同情が、倬の心に溢れていた。

 

 仲間達が必死になって腕を引っ張る事で、顔こそ倬達に見せなかったものの、怒り心頭のメンニヨは己の怒りを抑えきれずに叫ぶ。

 

「ブッ殺スッ!!!」

――アイガ、シュツマ、カルテオ、やるぞ! “連声詠唱”と“死霊術”の恐怖を、あいつらの魂に刻みつけてやるッ――

――仕方ない……、アイガ了解。使えそうなのは……、三匹。隊服の耐熱効果も限界が近い。突入させたら即離脱、態勢を立て直すでいいな? 襲撃対象をヨークに設定、序文から詠唱開始――

――カルテオ了解。カルテオは第十節から詠唱を開始する――

――シュツマ了解した。二十節、制御式対応文を“腐朽せんとする畏れ、滅せざる”に変更の上、詠唱を行う―― 

 

 “黒の四連声”四人は同時に詠唱を始める。彼らは一つの魔法を発動させるのに必要な詠唱を四人で分担しているのだ。

 

 一つの魔法陣に向かって複数人で詠唱を重ねるのは上級魔法発動の際によく見られる方法ではある。だが、全員が詠唱を担えば、そこに隙が生じてしまう上、人ぞれぞれに魔法適正が異なる為、省略できる魔法式が少なくなってしまう。戦場での運用を前提とした場合、必要な魔法陣の構築が難しくなるので、少人数の編成で詠唱を四分割して担当する手法を採用しているのは中々珍しい。

 

 兵士メンニヨは怒りに震えているままだが、それでも仲間同士の連携で選択された行動からは冷静さを残しているように感じる。

 

 前に戦った魔人族の部隊とはまた違うタイプだが、間違いなく練度は高い。彼らの詠唱を聞いて警戒を高めていた倬の横で、ヨークと言えば右手を握り締め小さいガッツポーズをとっていた。

 

「よし、釣れた」

「“よし”、じゃないです。かなり高度な魔法唱えてますよ、向こう」

「……え、アイツらの詠唱聞こえてんの? マジで? …………いや、そうだよな、“黒の四連声”の自称は伊達じゃねぇし」

 

 言いながら体を反転させ、ヨークは倬と背中合わせになって構えをとる。

 

(わり)ぃけどよ、()()()()は任せていいか?」 

「……分かりました」

 

 今の今まで軽かったヨークの声音に、堅さが混ざる。その“堅さ”はただ緊張に由来するものではなさそうだと、倬には思えた。

 

 倬の背後でヨークがぶつぶつと詠唱を始める。風系魔法“来翔”を改変した詠唱に聞こえるが、砂の上に魔法陣を描きつけている様子はない。布を纏っただけの姿で逃げていたヨークは、当然魔法陣など持ち合わせてもいない。だが、ヨークはそのまま詠唱を完了させた。

 

「アイツらの位置、どこらへんか分かるか?」

「自分から見て、右斜め前方、動きは遅いですが後退しています。今は歩数で三百前後です」

「ほう、丁度いい距離だ。んじゃ、行ってくるわ。……“発翔(はっしょう)”」

 

 風を纏った脚でヨークが天高く跳躍する。魔法陣無しどうやって魔法を発動させたのか確認したい所だが、彼を援護すると決めた以上、それは後回しだ。

 

 ヨークが跳躍したのとほぼ同じタイミングで、砂漠を波立てて砂の中から二匹のサンドワームが飛び出してきたのだ。片方は砂を鎧にしたサンドワームで体中が鋭利な刃に切り刻まれた跡がある。もう一方はヨークが鼻先を斬った個体だ。双方とも固有魔法を使用する気配はなく、ヨークを目指してただ暴れ回るだけ。

 

『……“熱”がないな。なるほどこれが“死霊術”か』

 

 火炎様が言う通り、この二匹には体温が無かった。

 

 “闇の妖精”よいくんが、ふよふよした全身を“(ハテナマーク)”に変化させて二匹のサンドワームを見る。

 

『…………むりやり、動かされてるだけ、みたいだ』

『かなり高度な魔法ですね。それも複数同時』

 

 “死霊術”は“降霊術師”や“霊媒師”が得意とする種類の闇系魔法だが、知能の低い獣の死骸ですら生前の動きを再現するのは難しい。それを複数の魔物相手に使いこなしているのは、掛け値なしに称賛されるべき魔法と言えた。

 

(ただ倒すのは簡単だけど……)

 

 四人の兵士達の内、一人は常に詠唱を続けているのが今も倬には聞こえている。彼らの“死霊術”は、詠唱を止めず魔法陣に魔力を注ぎ続ける必要があるのだ。魔法陣は着ている軍服に縫い付けてあるのだろう。

 

 ヨークは魔人族を直接叩きに飛んで行った。ならばと、倬は魔人族が魔物の操作に意識を割いている状況を維持する方向で動くことに決める。

 

 錫杖を背後に浮かべ、“海共(かいきょう)”を発動、その手に細長い流水を呼び出す。

 

「折角です、弓の練習もさせて貰います」

「お! 良い心がけだな。ぼくが“あどばいす”してやろう」

 

 

 宙へ飛び上がったヨークは、暗い砂漠の上に揺れる魔力光を探す。自分を襲わんと伸びあがった二匹のサンドワームが、緑色の魔力光を発する激流に容易く弾き飛ばされるのを目撃し、苦笑いを浮かべた。

 

「ったく、何者(なにもん)だよ。ま、こっちは楽で良いんだけどよっと」

 

 自然になされるがままに落下し、吹き付ける砂から体を庇う事もしないまま、ヨークは捲し立てるように詠唱を始める。それはさっき彼が使った魔法と同じものだ。

 

 砂漠に叩きつけられるギリギリのタイミングを見計らって、魔法名を告げる。

 

「もうちょい……。ここッ、“発翔”ぉ!」

 

 本来、体全体を持ち上げるように風を起こす“来翔”に対し、“発翔”は膝下だけに同様の影響を与える魔法へと変化させたもの。風を受けた脚で空中を蹴れば、ヨークの体は砂漠を(こす)りながら、魔人族達目掛け真横にぶっ飛んだ。 

 

「ん゛なま゛……ッ」

 

 ボバッと頭から砂漠に突き刺さるヨーク。

 

 詠唱を続ける兵士アイガを囲むように南へ後退を始めていた彼らは、ヨークを攻撃魔法と思い込んでしまう。

 

「くそ、攻撃かッ?! 今、照明を!」

「バカっ! カルテオ、止せ!!」

 

 メンニヨが止めるよりも早く、カルテオが火系魔法“火種”を打ち上げ、頭上三メートルの位置で周囲を照らし出した。魔人族の中でも優秀な者が使用する“火種”は、見事に照明の役割を果たす。

 

「あんがと――」

 

 その(ともしび)は、この場の誰よりもヨークに味方した。

 

「――さんッ!」

 

 “火種”でオレンジ色に染まる世界に、真っ赤な鮮血が噴き上がる。

 

「あがァ……っ?!」

「――なッ!? シュツマ!」

 

 ヨークの剣筋を、魔人族である彼らは全く追うことが出来なかった。

 

 先程まで共に笑い合っていたシュツマの頭部が二つに分かれている光景を、彼らは受け止める事が出来なかった。

 

「お前ッ、ヨーク!! 澱む悔恨、昏き恩讐(おんしゅう)――」  

「……遅ぇ」

 

 アイガが魔物に対する“死霊術”の詠唱を中断し、二節の詠唱と共に突き出した両腕が()()()。アイガの真横に立つヨークが振り切った剣の先に、腕が二本転がっていた。

 

「う、腕、俺の、うぁ、うわあぁぁぁぁーー……ッ?!」

「アイガ!! くそッ、風よ今、“風爆”!」

 

 メンニヨが腕を失ったアイガへ駆け寄りながら、風系魔法“風爆”で爆風を呼び起こす。

 

 “風爆”の発動を読んだヨークはその風を敢えて受け、再び“発翔”を唱える。

 

「――“発翔”。はっ……、とぉい! おっととと」

 

 膝下に纏う風を“風爆”と反発させ、ヨークは態勢を整えて着地。奥から複数飛んでくる()()()を軽々と避け続ける。

 

「畜生ォ! ――“火球”、“火球”、“火球”ッ!」

 

 下級魔法特有の速射性能を期待した“火球”と言う魔法の選択は、決して間違った判断ではない。その上、カルテオは“火球”の複数同時操作を成し遂げているのだ。普通の冒険者相手なら、容易く退けられる高等技術である。

 

「――“火球”、――“火球”! 何だよ、何なんだよ?! お前、そんなの使った事……!」

 

 しかし、ヨークはその“火球”に当たらない。カルテオの眼には、ヨークの体が二重にブレている様に見えていた。更にヨークの移動速度が異常に速く、“火球”の軌道を定めきれない。

 

 気が付けば、ヨークはカルテオのすぐ後ろに躍り出ていた。 

 

「そんな、“技能”なんて、今まで一度も――ッ」

「“景朧(これ)”か? 簡単に見せてやるわきゃねぇだろが」

「――ん゛ッ?!?!?」

 

 振り向きざま腰へ横一文字に浴びせられた剣で、カルテオの上半身だけが地に落ちる。同時に頭部に“剣断ち”を突き立て、確実にカルテオの命を絶つ。

 

 刀身に付着した血を振り払い、残る魔人族二人に意識を向けた時、ヨークの足元が崩れ出した。崩れると言うより、砂が吸い込まれているようだ。

 

「およよ? この感じは……」

 

 すり鉢状に変化していく足場、そこから飛び出してきたのは、ハサミの片方を半分失ったシュレケフの骸だった。ハサミの片方を振り回し、ヨークへと攻撃を仕掛けてくる。

 

 “剣断ち”を軽く振ると同時に刃を改めて確かめ、ニヤリと口元を歪めた。

 

「あの“イモムシ”君、コイツと共倒れしてたってのか、すっげぇ――なぁッ!」

 

 すり鉢状の砂を滑り落ち、残るハサミの片割れ目掛け、一閃。パキンっと甲高い音を立て、シュレケフ自慢のハサミが根元から叩き切られてしまう。

 

 シュレケフの骸が、ハサミを失った事に激高し、暴れ出さんとする直前の事だ。その頭部と胴体が計三本の鋭い水で射ち貫かれる。倬が放った水の矢が完全に魔石を破壊した事で“死霊術”の効果が切れ、シュレケフの骸は動きを完全に止めたのだった。

 

 仲間の内二人が死に、生きているアイガも両腕を失う重傷。態勢を立て直すどころではなくなった兵士メンニヨからは余裕などとうに消えていた。

  

「撤退、撤退だ……、撤退しろって」

「うるせぇ、黙ってろアイガ! お、俺達には魔王様から賜った使命がある! 本隊との合流を、俺達だって神代魔法をッ。こんな、こんな所で死ぬわけには――ッ」

「あぁ、簡単にゃあ死ね無ぇよな。そりゃよ……、俺もだ」

 

 “発翔”の効果を受けた足でヨークが砂漠を踏み込む。大量の砂が巻き上がり、メンニヨの全身へ強かに降りかかった。砂と共に駆け出したヨークが肉薄する。

 

「――ッはぁ!!」

 

 袈裟に走る“剣断ち”の刃が、肉を断つ音も骨を断つ音も無いままに、切り払われた。遅れて噴き出す生温かい血を被りながら、ヨークは呟く。

 

「頭良いのにバカだったもんな。お前らはよ……」

「お前が、お前なんかが! 知った風な口を聞くなぁーーーー!」

 

 死ぬ前、メンニヨがかけた闇系魔法でアイガは今、痛みを無視していた。だが既に魔力も血も足りないのだ。彼に出来るのは、体当たりくらいのものだった。

 

 そんな決死の体当たりであっても、ヨークには届かない。

 

 ヨークの目の前に転移した倬が、アイガの体当たりを受け止めていた。抱き止めているようにも見えるが、両手に掴む錫杖の先はアイガの胸元に押し当てられている。

 

「我、この身に潜む闇をもって、姿なきものに触れんと、祈る者なり、“影撫(かげなで)”。……“姿なきをモノを、この身の闇にて切り伏せん”」

 

 丁寧な詠唱によって発動した魔法が生み出した“影”が錫杖の先に集まり、アイガの心臓を貫く。

 

「こ、れ闇、魔法……? 知ら、ねぇ……。みん……、おしえて、やんなきゃ……」

 

 倬にしがみついたまま、兵士アイガもまた命を落とした。

 

 ふっと小さい溜息を吐いてアイガを横たえながら、倬は周囲を警戒する。魔物達が様子をうかがっている以外に、他の気配は感じない。

 

 砂漠の魔物よりも、ヨークの鋭い気配の方が倬を緊張させた。

 

 何のつもりなのか、ふらふらと覚束ない脚を懸命に踏ん張って、ヨークは倬に対して剣を構える。

 

「わ、悪ぃんだけ、どよぉ……。聞かせてくれっ。お前さんの……アーティ、ファクト……、それに“剣断ち(コイツ)”はっ、どこで手に入れた!」

「……ローブと錫杖は修行した“里”で頂いた物です。そしてその剣は元より刃様――“刀剣の精霊様”の物で、咎められる言われはありません」

「そう……、か。そうか、良かっ……、た」

 

 疲労に霞む視界の中、ヨークは突き付けていた“剣断ち”を手の中で反転させ、流麗な動きで鞘に納めた上で、倬の胸元へと押し付けるようにして返した。

 

「アイツから、買ったんじゃなきゃ……、問題、無ぇんだ。わる、かっ……」

 

 これは、全力を使い果たした彼が出来る、精一杯の誠意と謝意の表明。謝罪しながら意識を手放して倒れるヨークを、倬が支える。

 

「……無理をさせてすいません」

 

 

~~~~~

~~~~~

 

 

 血生臭ぇ……。

 

 この手の血の匂いを嗅がざるを得ねぇ機会にゃ、産まれてこの方、ずっと縁がありやがる。魔物退治に野盗退治、種族同士の戦争に……、あぁ、果し合いってのもあった。

 

 あの“商人”のせいで南に連れてかれてから、どんだけ経ったんだかもう分かんねぇが……、少なくとも五年以上は経ってんだろうか。逃げては捕まり、捕まりは逃げての繰り返し、砂漠の近くに移動させられるまでが長かった。捕まってる間は対“剣士”の訓練相手だの、魔法の実験台だので好き放題弄り回されて、体中傷だらけだ。

 

 “剣士”で飯を食ってくんなら、血生臭さからは逃れらんねぇし、荒事は承知の上だ。血生臭ぇのを一時(いっとき)でも無視出来る程度にゃ、真剣と向き合える奴が本当の“剣士”だってぇのが、俺の持論。

 

 だが、真剣を握って、構えて、立ち合って、それでも無視できねぇ血生臭さってのがある。

 

 鼻を刺す血生臭さのせいで、あの時の光景が浮かび上がってきやがった。

 

 そうだ。俺が今まさに夢ん中で立っている町で目の当たりにしたんだ。

 

 これは確か……、俺が三十八の時だった。チューリから突然言われたんだ「()()()()()が来ないのよね、どうする?」って。

 

 あれには慌てた。正直、手前(てめぇ)が親父になるなんて考えてもみなかったもんだから。

 

 でもまぁ、産まれた時から親がいねぇ俺だからこそ、親になろうとしなきゃならねぇ。本気でそう思って、デカい魔物を討伐した報酬で指輪を買った帰りだ。

 

 うちの孤児院に寄付してくれてた変わり者の“律法家”先生が住んでる屋敷から、地味なローブを被ったどえらい美人が出てきたのとすれ違った。

 

 日が落ちて夕焼けが遠退いてくそんな時間に、フードから少しはみ出た銀髪がキラキラと光って、目が奪われそうになる。

 

 今でもホントにいたのか信じられないと思うほどの美女に吸い寄せられそうになりながら、俺は必死で目を逸らした。

 

 酷く、本当に酷く血生臭かったんだ、その女は。

 

 血を浴びた様子も無いのに、(むせ)返りそうになる位に濃い血の臭いを引きずっていやがった。

 

 美しすぎる女が町の外れに歩いてくのを確かめて、俺は“律法家”先生の屋敷に入った。

 

 屋敷の中は真っ暗だったが、もう玄関から血の匂いが充満してやがる。今の俺に言わせれば、あそこに漂ってたのは、死臭だ。

 

 一歩足を進めたら、ちゃぷっと水溜まりに足を突っ込んだ。

 

 信じられるか。お屋敷の廊下が浸る量の血が流される状況なんてもんを。

 

 正直言えば、もう引き返したくて仕方なかった。でもよ、“律法家”先生はうちの孤児院に寄付を続けてくれた数少ない一人で、弟みたいな一人を養子に迎え入れてくれた人で……。確かめない訳にはいかなかった。

 

 “律法家”先生の書斎に近付くにつれて、ちゃぷちゃぷが、じゃぶじゃぶに変わる。

 

 意味が分からなかったし、今でも分からない。“律法家”先生の家族は先生より年上の奥さんと養子の息子、んで息子の面倒を見させる為に買った犬人族で男の奴隷が一人だけだ。どうしたら、こんな事になるってんだ。

 

 血を押しのけて、書斎の扉を開ける。

 

 先生得意の光系魔法がまだ生きてたのか、部屋から漏れる明りが眩しかった。

 

 あぁ、この時ほど光系魔法を嫌いになった事はねぇ。

 

 立派な机の上に、()()()()()()()()()()()()奥さんが死んでやがった。

 

 部屋の中央に(うずくま)っているのは先生だ。ひゅー、ひゅーって喉が鳴るのを聞いて、駆け寄る。

 

「おい、先生! 何があった! 先生!」

 

 先生を仰向けにする。切り裂かれた喉から、こひゅー、こひゅーって間抜けな音を立てて空気が抜けてんだ。

 

 気休めにもならねぇって分かってたが、とっさに袖をちぎって喉に当ててやる。

 

「だ、れだ……。だれ、か……、そこ、いる、のか……」

「あぁ! あぁッ! ヨークだ! “剣聖の面汚し”って、あんたが付けた渾名(あだな)だろ!」

 

 何とか声を出してくれた先生だが、こっちの声は聞こえてねぇみたいだった。

 

「だめ、だ。ここ、いたら、だめ……。出て……、出ていけ! 今ッ、すぐ、に」

 

 先生は俺を俺だとも分からないまま、“出ていけ”と言った。

 

 俺一人ではどうしようもない事態なのだと、そう思った時。

 

 ぴちょん、と天井から水滴が落ちてきた。

 

 雨漏りするような屋敷じゃねぇんだ。すげぇ立派な屋敷だから。だから、見上げるのが怖かった。でも、見上げざるをえなかった。

 

 天井で、犬人族と俺の弟分が馬鹿でかい剣で刺し貫かれて(はりつけ)にされてるのを見る。

 

 犬人族の男は奴隷にされちまってるってのに気高い奴だったから、覆いかぶさって俺の弟分を庇うつもりだったんだろう。抱きしめられている弟分の死に顔から、目が離せなかった。

 

 そんな俺の顔に、弟分の手を(つた)って血が滴り落ちてくる。

 

 俺は“剣士”だ。それも、うちの道場きっての大天才って噂の。

 

 弟分にもよく稽古を手伝わせたし、稽古もつけてやった。雨を避けるみたいなバカな特訓を見て、コイツは大笑いしてた。

 

 こんな血を避けるくらい楽勝だ。

 

 小さく身を引いて、左に首を傾ける。

 

 さっきまで俺の頭があった場所に、弟分を刺してるのと同じデカい剣が飛び出してきた。

 

 とっさに血の海を転がって、扉の側まで逃げる。

 

 顔を上げると、先生の真横にさっきの地味なローブを着た女が立ってやがった。

 

(あぁ……、こりゃ、勝てねぇ……)

 

 これはもう、今でもそう。無理だ。俺ぐらい一流だと立ち合ったら分かる。単に剣の才能

だけなら俺のが上、だが勝てない。何かが、多分だが、産まれ方から根本的に違う。

 

 頭がイカれるかと思うくらい顔の良い女が、無表情のまま口を開く。

 

「お前は……」

「なに?」

「お前はこの男の協力者……、ではないな。この男の関係者、ではあるのか?」

 

 妙な気分だった。女は確かに俺が何者なのか聞いてるのに、実際には俺自身に興味なんかこれっぽっちもねぇって分かっちまう。

 

 先生が言ってた通り屋敷から出ようにも、目の前の女が持つ大剣から間合いを勘定すりゃあ、この書斎は狭すぎる。

 

 何より問題なのは、今日の魔物討伐で短剣(ダガー)以外の剣を駄目にしちまった事だ。魔物にぶっ刺したまま放置するのは何時もの事だが、この女相手に短剣のみってのは丸腰……、もっと酷ぇな、丸裸と変わらねぇ。

 

 さて、どうしよう……。今見ても絶望的な状況だと思う。次の瞬間、死んでてもおかしくねぇって思ってたところに“一瞬”を作ってくれた人が、いたんだ。

 

「な、にが、おま、えなど、が、神、の御遣いなものか……ッ」

 

 先生が、ぐしゃぐしゃに潰された手で女の足首を掴んでた。

 

「治癒魔法の効きが良い。肉体が耐えられる治癒の限界について情報を更新しておきましょう。お前が隠し持っていた“神水”、小指の先程度の量だったが血を補うには余りあるようです」

 

 貼り付けたような美人の顔に、不快感が浮かぶのを見た。

 

「わた、しが、何を、した……っ。神罰を与えるなら、教、会の不届き者共に……」

「……使徒ツェーントが申し渡す。“汝、神意を疑うなかれ”」

 

 そう言って、女は片手の大剣を先生の腹に突き刺した。

 

「“汝、神を試すなかれ”」

 

 そう言って、女は小さく飛び上がり天井の大剣を抜いた。磔にされてた二人が、べしゃっと落ちてくる。

 

「“御心こそ世の(ことわり)にして、(すべ)てに御心は宿り、総ては神の思し召しなり”」

 

 そう言いながら、女は先生の頭に大剣を押し当てる。ゆっくり、ゆっくり、先生の頭がへしゃげていく。

 

「ん゛ん゛――ッ。あ゛あ゛あ゛ぁ――ッ」

 

 俺は、天才だ。そう言い聞かせて、今日まで剣を振ってきたし、大して得意でもない魔法の練習だってした。だから、こんな時でも詠唱くらい出来る。世話になった先生が殺されていくのを見ながら、俺は詠唱したんだ。

 

「――“発翔”」

 

 太腿にある道場のババアに彫られた刺青の魔法陣が、焼けるように熱くなる。

 

 もう、無我夢中ってやつだった。何回、廊下の壁にぶつかったか分かったもんじゃない。 

 女は追ってくる素振りを見せなかったが、俺を見逃したわけじゃなかった。書斎から飛び出す間際、ハッキリと言いやがったんだ。「アレは後にしましょう」って。

 

 ふざけんな! なんだそりゃ! 喧嘩売ってんのか! いらねぇっつの!

 

 (はらわた)に“螺炎”が渦巻いてんじゃねぇかってくらいに腹が立った。だが、体に染みついたうちの道場の教えが、無茶を許してくれなかった。

 

 “己の優れたるを活かし、そして生きろ”。あの女を相手に裸一貫で立ち向かったところで間違いなく死ぬ。一矢報いる前に死ぬ。(かたき)討とうにも、まず命あってこそだ。

 

 先生の屋敷から出て、俺は頭をハチャメチャに働かせる。何は無くとも武器が、剣が必要だ。俺が“優れたる”のは剣の扱いと、負けない為に必要な事を何でもやれるとこだと信じてる。 

 

 今日の討伐依頼に向かう最中、同行した連中が妙な“商人”について話してたのを思い出す。アーティファクトを売買するっつー、嘘みたいな“商人”と町で会ったんだと。

 

 俺はそいつに賭ける事に決めた。だから考える。俺が“商人”だったら何処へ行く? 金ランク冒険者が参加するような魔物討伐の報酬は高額だ。俺だったらそのチームを狙い撃ちにする。冒険者が報酬を手に入れたら何処へ行く? そんなのは決まってるな――、酒場だ!

 

 走って走って、酒場へ向かった。血塗れのこんな姿で酒場に入りたかねぇし、他の奴も巻き込みたかねぇ、そんで、酒場の前まで来て足が止まっちまった。

 

 そしたらよ。どうだ? 出てきやがった。黒のローブはよく見かけるが、そいつのローブはちと違ってた。分厚い黒い革のローブってのは、割と珍しい。フードを深く被ってんのがあの女を思い出して気持ち悪くなるが、そんな事は無視だ。

 

「お前! 噂の“商人”で間違いないか!」

「……噂になっていると言うのは困りものですが、おそらく、その通りかと」

 

 そいつは一瞬だけ血塗れの俺に目を丸くしたが、いやに落ち着いた調子で対応してみせた。落ち着き過ぎて気色悪いと思ったし、今でも思ってる。

 

「何でもいい、剣のアーティファクトを四本貸してくれッ。現金は無ぇが、今ある荷物を全部やる。グランツの指輪もある!」

 

 背負ってた荷物袋を投げつけるようにしてくれてやる。

 

 その“商人”は外から片眼鏡(モノクル)で荷物袋を眺めて、ニタリと笑った。

 

「では、こちらからお選びください」

 

 そいつが手に持ってた風呂敷を地面に広げると、そこに包まれてたのは六本の刀剣だった。今更だが、用意が良すぎて不気味だ。

 

「お勧めは……、この“炎剣”レーヴァでしょうか、よく燃えます。あ、こちらの魔法剣“自在”は宙に浮いて勝手に戦ってくれる優れもので。変わり種と致しましては、こちらの山刀(マチェット)は面白いかと。銘が崩れていて読みにくいのですが、モルなんとか氏による“頑固者”と言う作です。頑丈過ぎてどれだけ研いでも刃をつけられない程でして――」  

「長ぇ! まほーけん以外は持ってくからなッ」

 

 左右に二本ずつ振り分けて、腰に剣を差す。“炎剣”()()()ってのは手持ちだ。

 

「はいぃ? ……いやいやいやっ、四本の約束でしょう?!」

「ちょーっと借りるだけだから、先っちょだけしか使わないからッ! いいか、絶対追ってくんなよっ!」

 

 そんで、俺は“商人”の手を振り払って屋敷に走ったんだ。

 

 先生達を助けるだとか、仇を討つとか、そんなカッケェ理由で戻ったんじゃない。

 

 ただの、クソくだらねぇ意地だった。

 

 屋敷の前、赤い光を受けて立ってやがるのはあの女。

 

 屋敷の窓が割れる音を聞いた。炎に照らされた煙が、屋敷のあちこちから空に昇っていくのを見た。あの女が屋敷に火を放ったってすぐに分かる。本当に――

 

「ご丁寧な事でッ!」

 

 走りながら、“炎剣”を抜く。アーティファクトとしての効果を起動させる詠唱は聞かなかったし、そんな暇はなかった。だから、期待してるのはアーティファクト特有の丈夫さだけだ。

 

 俺が剣を抜いても、女は全く動じていない。僅かに視線を移したのは、俺が持ってる剣がアーティファクトだって気付いたからってとこだろう。

 

「……出向く手間が省けました」

 

 女は大剣を抜かない。俺相手に剣なんか要らねぇって事らしい。そいつは、好都合だ。

 

 俺の技能を、才能を、女は知らねぇ。意地を張るのに必要な時間は一瞬で良い。

 

「さぁ、やってやろうか、魅せてやろうか! いざ、驚けッ、もののけッ、いけずごけッ」

「……(やかま)しい――ッ」

 

 適当に喚いて、俺の体を(もや)に包む。技能“縮地”のその先、“景朧(かげろう)”だ。ま、“縮地”使って動きまくってるだけだが、ちょっとビックリさせるには丁度いい。ざまぁみやがれ!

 

 真正面からなんざ戦わねぇさ、そのまま背中を見せて逃げてやる。

 

 “剣士”の矜持? 知った事か。

 

 流石に女も追ってくる。だから俺は向こうを見ないまま()()()をお見舞いしてやる。

 

「超! 究極秘技! “手裏、剣を打つ”!」

 

 借りたばっかの“炎剣”を投げつけてやった。綺麗なだけの(つら)を二度、歪めてやった。

 

 こんな感じで逃げ続けて、この女が追ってこなくなるまで五年もかかった。

 

 改めて考えると、向こうが本気にならなくてホントに良かった。そこだけは運が良いのかもしれない。

 

 本当に、耐えらんねぇ血生臭さってのはある。本当に、あんなのは二度とご免だ。

 

 あぁ……、それにしたって血生臭ぇ。だからこんな嫌な事を夢に見ちまったのか。

 

 ……いや、血生臭ぇっつうか、こりゃ、生臭ぇだな。

 

 おぇ……、まじで生臭ぇ……。 

 

~~~~~

~~~~~

 

 悪夢から覚醒しかけたヨークの朧気な視界に、敷き詰められた板が映り込む。

 

 寝ぼけたままのヨークは、自分が寝ているのが木造の掘っ建て小屋らしいと、どうにか確認する。

 

 干したばかりで、まだ水気を残した魚が紐に括り付けられて揺れている。独特な生臭さは、魚の匂いだったようだ。魚が苦手なヨークにとって、この場所に漂う生臭さは辛いが、未だ意識は朦朧としていて身動きは取れそうにない。

 

(まだ生きてるみてぇ、だが……、駄目だ。やべぇ、(ねみ)ぃ……)

 

 今、自分がどんな状況に置かれているのか把握しなければとするヨークの意志に反して、瞼は勝手に閉ざされてしまう。

 

 起きるのを諦めて、先程から何となく聞こえていた話し声に意識を向ける。若い男と、しゃがれた声の男、幼げな声が沢山に、年寄り染みた喋り方も何人か。

 

――その“商人”に持ち掛けられたわけですか……―― 

――いえ……、あくまで噂話として聞かされただけで、あっしがガデル達に奴隷相場の話なんざしなけりゃ……――

――あまり自分を責めるな。お前は“釣り師”として任された“役目”を果たしただけ、ぼくもアイーマの皆も分かっているさ――

  

 眠りに沈んでいくヨークの耳は、“商人”と言う言葉だけは聞き逃さなかった。 

 

――大火山近くのオアシスで聞いた“商人”の風貌と一致します。ですが……――

――うむ、普通の人の子に可能な移動速度とは思えないな。ここから砂漠の国へ日数を費やすことなく移動しているとなれば、空を飛ぶわらわ達に匹敵しよう――

――……それに、だよな。……宵闇様の、前の――

――………………うん。ミーヤクが作った魔道具を売った男と関係あるかもしれない、な――

 

 意識が途切れ途切れになり、ヨークはだんだんと会話の内容を理解できなくなっていく。何とか最後に聞き取れたのは、ここから何処へ向かうべきかと言う話題だった。

 

――海姫は“光の妖精”がこっちの海辺で日光浴してたとこを見かけたのよね?――

――話しかけたら“ちょっと太陽の光を貯めに”って事だったが、ぼくが見た時は逃げ出したって雰囲気ではなかったぞ。普通に“おつかい”をしていた感じだったな――

 

 さてどうしようかと悩んでいる所に、しゃがれた声の男がおずおずとした雰囲気で話に混ざった。

 

――あのぅ……、あっしがお話を伺ったところで言いますと“月の精霊様”については人里からあまり離れない方、と思って宜しいのでしょうか?――

――そうね~、精霊の中でも特に人の子が好きなのは間違いないわ~――

――治優は“月の精霊様”に、月が綺麗に見える場所が好きって聞いたことあるよー――  

――ん~、であれば、あるいは山が傍に近い観光地などに行かれるのはどうでしょうか――

――何か思い当たる地域が?――

――ええ、ダンナ。西側ですと、“温泉街”ショーウントに“文化の街”マグレーデが有名です。ま、あっしも行ったことは無ぇんですがね?――

 

 どうにか持ちこたえていたヨークの意識は、ここまでで途切れてしまう。

 

 どこかから漂ってきた甘い香りに包まれて、今度の夢は血生臭さとは無縁で済んだようだった。

 

 

 






はい、と言うわけでいかがだったでしょうか。

ストーリー進行を早めるつもりが、戦闘と回想で文字数が二万字近く膨らんでしまった関係で、やりたかった【グリブ童話】周りの話まで辿り着きませんでした……。多分、二分割で収まるのではないかと思っていますが、自信がないので今回は“一本目”としています。

オリジナルキャラクターばかりの二次創作、どこに需要があるのか考えると大変申し訳ないですが、もうしばらくこんな感じになります。重ね重ね申し訳ないです……。

今回のタイトルは《士は己を知る者の為に死す》を参考にしました。

次回もどうか、よろしくお願いします。

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