すたれた職業で世界最高   作:茂塁玄格

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大変、大変長らくお待たせしました。
内容はほぼ間話ですが、第三章“前半の後半”がここからスタートします。
では、よろしくお願いします。




世渡りに船

 未明のアイーマに、穏やかな潮騒とそわそわとした息遣いが響いていた。

 

 村の中央、“頭領”と“網元”の住まいである屋敷から深い緑色の光が漏れて、周囲を鮮やかに染め上げる。

 

 柔らかく揺れる深緑の魔力光が収束すれば、細い月が沈んだ後のアイーマを照らすのは、星々の輝きだけ。

 

 息をひそめる村人達は、屋敷の扉が静かに開かれるのを固唾を飲んで見守った。

 

 屋敷から出てきた“祈祷師”の肩が、びくっと上がる。屋敷を囲む大勢の村人達の瞳に驚くのも無理はない。アイーマの中には猫人族に代表される夜目の利く血を受け継いでいる者も多く、夜陰の中でその瞳だけが浮かんでいるように見えるのだから。

 

「ぅおっ?! ……こほん。おはようございます。皆さん凄い早起きですね」

 

 海底にあったメルジーネの大迷宮から“精霊転移”によって日が昇る前にアイーマへと戻った倬とシャアクは、すぐに“魔獣・やまつみ”に寄生されたアーニェの治療にとりかかっていた。

 

 二人の帰りを待ちわびていた村人達は、屋敷で物音がしたのを聞きつけて、夜を徹して待ち構えていたのだ。

 

 海の男としてベテランの風格を持つガデルが、生まれたての小鹿みたいに震えながら倬ににじり寄ってきた。  

 

「アーニェは……、“網元”は治ったのか?」

「はい。治療は無事に成功しました。意識もはっきりしています。積もる話もあるでしょうから、色々な説明はシャアクさんに任せています」 

「よがった……、よ――がっはッ!」

 

 泣きじゃくり、倬にしがみつこうとしたガデルが真横からぶっ飛ばされる。

 

 ガデルに代わり、倬に抱き着いてきたのは恰幅の良いおばさんだ。

 

「ぐすっ。ありがとう、ありがとうねぇ……」

 

 おばさんはそのまま泣き出して、足元で悶絶しているガデルを放置したまま、アーニェの回復に喜び、すすり泣く声が村全体で重なる。

 

「……音々様、空姫様、御力をお借りしても?」

「もっちろんだよ!」

「ふふふ。お安い御用よ~」

 

 音を響きにくくする風系魔法“音凪”の効果を村全体に広げる。

 

 シャアクとアーニェが語らう邪魔をしないようにと必死に口を閉ざしたままの村人達に微笑みかけるのは、遥か昔よりこの地を見守ってきた“海の精霊”海姫様だ。

 

 口を(つぐ)み、座り込んで拝んでいるお婆さんの頭を、まるで我が子を愛でる母かのようにゆっくりと撫でた。

 

「今日くらい、我慢しなくていいんじゃないか?」

 

 この言葉に、村人達は(せき)を切ったように、誰に憚ることなく泣き出した。喜びに雄叫びを上げる者もいる。

 

 暗さも眩しさも無視できる筈の倬なのに、今日の朝焼けは、やけに目に沁みた気がした。

 

~~~

 

 アーニェの回復と倬が申し出た造船依頼の契約成立を記念して、ちょっとした宴を開くと言うことで、アイーマは今、バタバタとお祭り前のような浮かれた雰囲気に包まれている。

 

「快気祝いだ。市場で飛びっきり良いの仕入れてくっから、待っててくれよぉ!」

 

 宴を催すと言っても、まだ近場の海に魚は戻っていない。自慢の魚料理を振る舞うべく、元海賊達が気合い十分に市場へ向かった。

 

 屋敷の前では、明るめの茶色――ダークブロンド――のロングヘアを首元で束ね、頭の天辺でぴょこんと飛び出したアホ毛が特徴の女性が、村人達に囲まれて仕切りに話しかけられている。

 

「アーニェはまだ粥の方がいいかねぇ?」 

「もうすっかり元気だから、レーマおばちゃんの作ってくれるものならなんだっていいわ!」

 

 この女性こそが、シャアクの妻であり、“網元”アーニェ・アイーマだ。

 

 神代の強力な治癒魔法と言って相違ない“再生魔法”によって、アーニェの体調は倒れる直前と何ら遜色ないまでに回復する事が出来た。

 

 治優様によれば、今日までの懸命な治療があったからこそなのだと言う。

 

「そうかい、そうかい! みんなー! “腹ぺこアーニェ”が戻ってきたよ! ありったけでつくってやろうじゃないか!」

「「「おうおうさーーー!!」」」

「もう! 余計な事言わないでったら!」

 

 お互いにさんざん泣いた後なので、皆の表情は実に明るい。

 

 視線をスライドさせれば、砂浜に焚き火の準備を始め、何やら大きな木箱を並べて長い鉄串を取り出す村人達が見える。アイーマで催される宴では、大掛かりな野外調理が定番なのだ。

 

「お料理するなら、ふぅちゃんもお手伝いするねー」

「わたしも品数を増やしたかったのよね。丁度いいわっ!」

 

 風姫様とその妖精ふぅちゃんは、海辺の料理を勉強するつもりらしい。村人達に負けず張り切って、調理道具の使い方を聞き出している。

 

 村の奥、山の方を気にして鼻をクンクンしている“森の妖精”もりくんは、赤ら顔のおじさんの腕にしがみつき、案内をせがむ。

 

「もりくんな! お酒の香りが気になってな!」

「よーし、精霊様も酒を嗜まれるってんなら、アイーマ自慢の蒸留釜を案内させてもらおうじゃあねぇか! うちの蒸留酒(トラッパ)は他所とは全然ちげぇかんなっ」

「とくべつな釜でござるか! それはやっくんも気になるナリ!」

 

 “刀剣の妖精”やっくんもお酒作りに使う蒸留釜に興味を持ったようで、おじさんを追い越して酒蔵に飛んでいった。

 

 そんなやっくん達とすれ違って浜辺にやってきた男女入り混じる一団は、独特な形状の太鼓や笛などを抱えている。砂の上に茣蓙(ござ)を敷き、そこに楽器を並べ、声を揃えて指のストレッチだ。

 

「いやぁ、久しぶりに腕がなるよ!」 

「おうさ、賑やかにやろうじゃねぇの」

「きゃー! “ばんど”? “ばんど”なの!? ねねちゃんも! ねねちゃんも鳴らしてみたーい!」

 

 見慣れぬ楽器にテンションマックスな“音の妖精”ねねちゃんが飛びついて、太鼓を叩かせて貰っている。

 

「倬様、倬様、音々も行って良い?」

「もちろん。後で音々様の演奏、聞かせて下さいね」

 

 村のあちこちで妖精達が楽しそうに飛び回っている光景が微笑ましい。大勢の人の子達と直接会話して、ここまで自由にして居られる土地は現代のトータスでは貴重なので、全力で遊ぶ事に決めているのだ。

 

 アイーマの子供達もまた、“大地の妖精”つっちーと追いかけっこしたり、“癒しの妖精”ちぃちゃんや“光の妖精”ひかりちゃんと貝殻のネックレス作りを楽しんでいる。

 

 この光景に、シャアクが安堵の溜息を吐く。

 

「ガキ共の相手までしてくれてありがたい。……ここ二年、思いっきりはしゃぐような真似させてやれなかったからな」

 

 倬は静かに微笑み返しつつ、アイーマに暮らす人々を眺めた。

 

 特に子供達の外見が各種族の影響をてんでバラバラに発現させており、本当に個性豊かだ。

 

 その多彩さに、海底の大迷宮で見せられた過去がシャアクにとって如何に受け入れ難いものだったかを倬は思い知る。そして、この地の在り方こそが、メイル・メルジーネの大迷宮で見せられた過去の戦争が引き起こされる前、トータスの人々が願ったものなのだろうとも思う。

 

「良い、村ですね」

「……住んでもいいぞ」

「ここに住む、ですか」

「ああ。なんてったって、船造りにはかなりの時間がかかるからな。ある程度作業が進んでから仕様変更なんか言い出されたらたまったもんじゃない。直接仕事を見てもらったほうが話が早く済む。海姫様の“寝床”とやらの近くに別荘建てるってんなら、うってつけだろ?」

「……すみません。住む場所とか別荘については、もう少し考えさせてください」

 

 シャアクの提案は、倬にとっても心を揺さぶられるものだ。シャアク達が海賊を辞めた事で、今のアイーマは“多種族共生の平和な異世界”を体現している。それは、倬がこのトータスに召喚される前、もしも“転生”するならと夢想した異世界の在り方そのものと言って良い。

 

 仮にこのままアイーマで暮らす決断をしたとしても、精霊様達はきっとそれを受け入れてくれるだろう。 

 

 でもそれは、この旅が終えてから決めるべき事だと、倬は首を横に振る。

 

「……自分はまだ、修行中の身なので」

 

 保留の返事を聞かされるのを予想していたのか、シャアクは小さく苦笑いを浮かべるだけ。

 

「まぁ、今すぐ決めろとは言わねぇさ。ただ、旅に戻るまではうちの屋敷に泊まっていけ。それくらいはさせろ」

「では、今日はお願いします」

「ん」

 

 倬とシャアクの会話はそのまま終わってしまう。だが、不思議と無言の時間に気まずさはなかった。

 

 少しして、二人の元に村人達との挨拶を終えたアーニェが戻ってくる。戻ってきたアーニェは、何故かその両手に直径三十センチほどの小盾(バックラー)を抱えていた。

 

「お待たせして申し訳ありません。霜中様」

「いえ、お気になさらず。……あの、それは一体?」

 

 円形で控えめに細かな意匠を施されたバックラーとは言え、戦士とは程遠い清楚な雰囲気のアーニェには似つかわしくない取り合わせだ。

 

「これの説明は実際に見てもらった方が早いかと。まずは“倉庫”へ参りましょう」

 

 回復し、シャアクから自身が倒れた後の事を聞かされたアーニェの行動は素早かった。倬や精霊様達に礼を尽くすばかりでなく、造船依頼の詳細な契約書を即座に纏め上げてみせたのだ。

 

 そして、“倉庫”の奥を見て貰うべきだとシャアクに提案したのもアーニェだった。

 

 その“倉庫”は海から村を見たときに左手側にある剥き出しになった岩盤を土系魔法や“錬成”によって掘った洞穴で、古い海図や舟の整備道具がまとめられていた場所だ。メルジーネ大迷宮の場所を探るべくアイーマの教えを海図に落とし込む際に使った場所でもある。

 

 調べるのに集中していたのもあってか、違和感を覚える事は無かったのだが、倬とシャアクが戻るまでの間に整理を終えた“倉庫”には、更に奥が存在したらしいのだ。

 

 シャアクとアーニェの二人に連れられ踏み込んだ“倉庫”の奥すぐには、岩盤を削った窪みを棚替わりにして大小様々な木組みの船の模型が並んでいた。父親がミ〇四駆や各種プラモデルを自室に飾っていたのを思い出しながら眺めていた倬は、その中で一つ、雰囲気の異なった小舟の模型を見つける。

 

「これ、(わら)で編んでるんですか?」

 

 複雑な木組みの船の中で一つだけ、藁で編み込まれた小舟があったのだ。およそ実用的には思えず、何気なくシャアクに聞いてみる。

 

「ん? あぁ、そいつはシルスフってやたら背の高ぇ藁を編んだ小舟だ。アイーマじゃ、舟の修理を習う前にこれの作り方を教わる」

「普段使いの舟の修理より先に、どうしてこれの?」

「……アーニェ、理由とか知ってるか?」

「ごめんなさい。私達にとっては、これを作って遊ぶのが当たり前だったので……」

 

 シャアクもアーニェも実際に乗れる大きさのこの舟を作ったことも海に出た事も無いらしく、シルフスで編み込まれた舟の作り方が伝えられている理由までは知らないようだ。

 

 そんな二人を見て、舟の隣に泡を割るようにして海姫様が姿を現す。海姫様はどこか寂しげに微笑みながら、その模型を撫でた。

 

「小さな模型とは言え、こんな古い舟の作り方が今も伝わっているとはな。懐かしい」

「昔からあったものなんですか?」

 

 倬の問いに小さく頷いて、海姫様は答えてくれた。

 

「この草は魔物が嫌う匂いを持っているらしくてな、河や湖なんかで釣りをする為の舟に、よく使われていた」

「シルスフに魔物除けの効果が……?」

 

 この説明に一番驚いたのはシャアクで、模型を持ち上げて見回している。

 

「なんだ、知らなかったのか? ここに流れ着いた時なんか、この辺には生き残った強い魔物が多くてな。アイーマの皆は必死でコイツを育てたんだぞ」

「そんな時代があったのですね……」

 

 シャアクが持つ小舟をしげしげと見つめるアーニェは、(いにしえ)のアイーマに思いを馳せて呟く。

 

 シルフスと聞いて懐かしむのは、“森の精霊”である森司様も同じだ。

 

「忘れるのも無理はない。僕が確かめた限り、かつてと比べ魔物除けの効果はかなり弱まってるようだからな」

 

 森司様の説明によると、シルフスは大陸南原産の植物であり、生育環境の違いから長い時間を経て性質が変化しているのだとか。余談だがシルフスと言う名前には、面白いように魔物が避けていく“愉快な草”と言う意味があったらしい。

 

 そんな昔話をそこそこに、模型が並ぶ壁に沿って“倉庫”を進むと、意味ありげな円形の窪みが目に入った。

 

 その窪みの前に立ち止まり、シャアクが倬に振り返る。

 

「アイーマの決まり事の中で、“頭領”と“網元”に託されるのが、サーベルのアーティファクト“シュルッセル”と……」 

「バックラーのアーティファクト“シュロス”の管理です」

 

 まず最初にアーニェが、抱えていたバックラー“シュロス”を窪みに嵌め込んだ。倬は、壁の窪みが盾に反応し、微妙に大きさを変化させる事でぴったりと形を合わせたのをハッキリと目撃する。それは、現代トータスに伝わる属性魔法ではおよそ再現不可能な動きに間違いない。

 

『倬殿、見たか? 今の挙動、オレには大迷宮のそれと遜色無く見えたぞ』

『ええ、雷皇様、私もです』

『うーん、これほどの物を造っていたとはな……』

 

 倬と雷皇様は、目の前で見せられた光景に小さく緊張していた。他の精霊様方、海姫様までも同様に困惑している。海姫様の記憶に、ここまで高度な魔法を用いた“倉庫”の記憶は無かったのだ。

 

 倬達が口を閉ざして見守る中、アーニェは嵌め込まれたバックラー“シュロス”を左に一回転させつつ説明を続ける。

 

「“シュロス”とは“錠前”、と言う意味なんだそうです」 

「霜中はコイツが結界魔法に対抗できるってのを知ってるよな」

 

 続いて、サーベル“シュルッセル”を抜いたシャアクが刀身を壁にはめ込まれた盾に近づけると、盾の中央に長方形の細いスリットが開いた。

 

「対結界の特性はコイツ本来の役割が影響してるだけ。その役割ってのが……、“鍵”だ」

 

 そう言って、盾に開いたスリットへ刀身を差し込む。盾は壁に埋め込まれたかのようにピッタリとはまり込んでいるにも関わらず、刀身は易々と根元まで飲み込まれた。

 

 盾から飛び出した“シュルッセル”の柄を掴んだまま、シャアクはサーベルをドアノブの如く右に一回転させる。

 

 更に左へ百八十度回すと、壁の奥から重々しい音が響き始める。鈍いガチンガチンとした音が収まるのを待ってから、再び右に一回転。すると、柄の装飾が柔らかに発光し、橙色の光が盾の溝を通って岩壁に走るヒビを駆け抜けた。

 

 光が消え去り、バックラーとサーベルを中心に横三メートル、縦二メートルの範囲で壁が四分割され、近未来SFさながらに格納されていく。

 

「oh……。なにこれ、超カッコいい……」

「こりゃ凄いのぅ!」

「「「ひゅー!! “さいえんす・ふぃくしょん”なのかー?!」」」

 

 倬だけでなく、土司様と着いてきていた何匹……、いや、何人かのつっちー達も全身を震わせて興奮している。

 

 “倉庫”の奥に固く閉ざされていた空間から、ひんやりとした空気が流れ込む。そこに待ち構えていたのは、新たな部屋と言うには余りに広い、眼を疑うほどの広大な空間だった。

 

「これはまた……、言葉を失います……」

 

 海に面した扉の小窓から僅かに陽光が差し込むだけで真っ暗な空間だが、“宵目”や“熹眸”の効果により、巨大なクレーンに似た設備や、その先端と高さを合わせた大きな窓のはめ込まれた箱状の部屋が確認できる。

 

「遥か昔、アイーマが最も栄えていた時代の造船施設だ。今はどれも壊れてて、仮に動かせたとしても使い方までは伝わってねぇ。俺も歴代の“頭領”達も色々と調べてきたが、技術の水準が違い過ぎて何一つ直せなかった。俺らが今使ってる舟と整備道具は、五代前の“網元”がこっから運び出したんだと」

「ぼくがこの地を離れてから随分と進歩していたのだな。こんな大きなカラクリは知らないぞ……」

 

 天井にいくつも見える滑車からはチェーンが垂れ下がり、作りかけの小型艇が括り付けられている。常識から外れた複雑かつ奇妙な魔法陣が描かれた台座が点在し、天盤にはスイッチやレバーが並んでいて、どうやらそれぞれの設備に対応する操作盤らしい。

 

「皆様に是非見て頂きたい物がこちらに」

 

 アーニェに先導され、落下防止の手摺に沿って海側へ進むと、そこには高い透明度を持つ深い青色が美しい女性の像が佇んでいた。デザインは海姫様の“寝床”にあった像と同じものだ。

 

 高さ一メートル程度の女性の像は、正面にある扉の小窓から静かに大海原を見守っている。真っ先にこの像に興味を示した“海の妖精”うみちゃんが、つんつんしながらクリクリとした瞳で覗き込む。

 

「……これ、“海”でできてる?」

「ふしぎー……」

 

 “氷の妖精”ゆっきーが不思議がっているのも無理はない。像の素材は岩や粘土、宝石でも無く、中でポコリと泡が踊っていて、氷とも違うのだから。

 

 ぐるぐると立像の周りを回る妖精達に微笑みながら、アーニェがこれにまつわる伝承について説明してくれる。

 

「“海の乙女”美海(みうみ)様の像です。仰られた通り、こちらは何らかの魔法によって海水を固定して作られているそうです」

「元々は“倉庫”の入り口手前に柵で囲って祀ってあったんだが、大時化(おおしけ)でお社が流されてな。無事だった像だけここに移動したんだ」

 

 祠を守れなかった事に申し訳なさげなシャアクとアーニェに対し、海姫様は気にするなと頷く。

 

「“美海”、懐かしい響きだな」 

「美海様の声を聴けなくなったかつてのアイーマは、美海様がアイーマに縛られないようにと(ほこら)を広げたと伝えられています」

「そう。ぼくがよく寝むれるように波の反響が綺麗な場所を探して皆が造ってくれたのが、あそこだ」

 

 海姫様が大切にしてる“寝床”の由来を静かに聞いている倬を気にしつつ、シャアクはアイーマの教えを語った。

 

「……アイーマでは決まり事を覚える為に、唄に頼る。そんな中には【べた凪の唄】なんてのがあってな――」

 

 シャアクが送ったアイコンタクトを受け取り、アーニェと共に歌声を重ねる。

 

――風が凪いで 仕事にならねぇ――

――そん時 海を眺めれば――

――波が鳴いて 見事でならねぇ――

――そん時 産まれを憎むなば――

――美海の(かご)とゆらゆらり――

――泣くしかなかったあの頃を――

――赤子の時分を想い出せ――

――どうあれ美海に還るだけ――

――どうせ後悔に浸るだけ――

――いま時 アイーマに生きるなば――

――生き意地汚く生きてやれ――

  

 ここまで歌って、アーニェは唄を噛み締めるように続けた。

 

「そして、この唄は“美海の籠のその傍で、御心のままに恩返せ”と締めくくられます」 

「ただ歌ってるだけだと何を教えるつもりなのか分かんねぇ唄なんだよな。んで、“網元”と“頭領”だけが意味を教わる。じいさん――先代の“頭領”な――が言うには、美海様と心を通わせる奴が現れたと確信したなら、この場所に案内しろって事だったらしい」

 

 一瞬だけ躊躇いを滲ませて、シャアクは倬と精霊様に向け頭を下げる。

 

「霜中の隣に海姫様の姿を見た時にゃ本気でビビったもんだが、黙ってて悪かった。……“網元”と“シュロス”の引継ぎが出来ないままアーニェが治らなけりゃ、そもそもここまで入れなくなるとこだったんだ」

「霜中様が私を救ってくださった“再生魔法”の存在で、私は確信致しました。その力をお借りして、ここの再生を願うべきなのだろうと」

 

 アーニェが辿り着いた結論に唸るのは、精霊様の中でも最も強く“再生魔法”に親しみを感じた光后様だった。

 

「ふむ……。倬のような者の訪れを予見していたようだな」

「予見とか予知とか、そういった力の持ち主が居たのかもしれませんね。自分としても、ここの機械(カラクリ)には興味があります。再生魔法の練習にもなりそうですから、やってみましょう」

 

 錫杖を持ち直し、工場全体を見渡す。

 

 造船を目的とした作業空間と言うにはあまりにも広い。沢山の扉があり、他にも部屋がある事を考慮すれば、この場所の規模はアイーマの人々が生活する土地よりも広大な可能性すらあった。

 

(効果範囲は今できる最大に……。あとは、どの程度“再生”するべきなのかだけど……) 

 

 “再生魔法”は欠損した肉体すらも治し、物体の損壊までも直す力だが、その効果は必ずしも“治癒”・“回復”に限定されない。与えられた知識から理解した範囲では、対象の人物が過去に負った傷を“再現”する事までも可能なのである。

 

 多量の魔力を用いて“再生魔法”を行使できる倬の場合、どの程度まで“元に戻す”かを決める魔力量コントロールに細心の注意が必要だ。

 

 今回は設備全てを稼働可能な状態までに“再生”するのが目的だが、仮に海姫様がアイーマに居た時期を意識してしまえば、目の前の設備群は元の素材まで“再生”されてしまうだろう。故に、“戻す”範囲を魔法式によって明確に固定し、“戻し過ぎ”を回避する必要がある。

 

『であるならば、わらわとの契約者である倬にはうってつけな方法があるな』

『光景の再現、ですね』

 

 光后様は倬の頭の上にふわりと座り、“光の波”に意識を集中させる。暗がりの中、僅かであっても確かに存在する“光の波”に晒される感覚を共有し、倬はある再生魔法を起動させた。 

 

「____“再影”」

 

 緑の魔力光が錫杖から解き放たれ、“造船工場”全体に広がっていくが、魔法の影響はすぐには現れない。再生魔法の効果を何度か見ているシャアクは、“再影”が単純に物を直す魔法では無いと見抜いたようだ。

 

「霜中、今の魔法は?」

「“再影”は効果範囲の光の動きを“再生”する魔法です。景色を再現するだけなら、戻し過ぎても困りませんから」

  

 暗いの工場の中を、倬、シャアク、アーニェの再生された“像”が後ろ向きで入り口へと戻っていく。“再影”では、時間を遡るように景色が“逆再生”されるのだ。

 

 三人の姿を見れば、ここへ入った時と寸分違わない動きなのが理解できる。

 

 神妙な面持ちで後ろ歩きする自身の姿を見て、落ち着かない様子のシャアクとアーニェ。

 

「なんか妙な気分になる魔法だな」

「やだ、寝ぐせついてる。シャアクも皆も、どうして教えてくれないの?」 

「頭の上で跳ねてるヤツ、ワザとじゃなかったのか」

「……え゛?」

 

 アーニェの頭の天辺でピョコンと跳ねているアホ毛は直したつもりだったらしい。後ろ向きで歩く自分の“映像”を見ながら、両手で頭を押さえつけるアーニェだが、手を離すとたちまちアホ毛が復活してしまう。シャアクが撫でつけるのを手伝ってる様子は、実に微笑ましい。

 

 “映像”の中に現れた先代の“頭領”であるアーニェの祖父の姿を前に、二人は襟を正すように背筋を伸ばした。“再影”は工場を調べるアイーマの村人達を確かに映し出していく。

 

 五分程度の“早戻し”で、大体千年程前の光景まで辿り着いたものの、設備がまともに稼働している様子は確認できない。それどころか、設備の様子はまるで変化が見られなかった。

 

(千年前で今と状態が同じ……?)

 

 設備の様子の変わらなさに不自然さを感じた倬は、更に“早戻し”の速度を上げる。だが、三千年近く遡っても、アイーマの民がこの設備を完全に使いこなす場面には辿り着かない。

 

 シャアクとアーニェも変わらない設備の様子に不自然さを感じたらしい。お互いに目を合わせ、難しい顔になっている。

 

 更に千年ほど“映像”を遡った瞬間の事だ。“再影”による光の再生が倬の意図しないままに停止し、辺りが闇に飲み込まれる。

 

 一瞬の暗転に続いて、空間に光が満ちた。同時に造船設備が動き出し、空間は作業に従事する者達で溢れかえっている。

 

 汗を流す職人達の姿を、漂う闇の中でぽっかりと開いた穴のような目で追いかける宵闇様は、遥か昔の光景を明瞭に再現した“映像”に感心している様子だ。

 

「………………倬の魔法に介入してきたな」

「たぁ様より上手に再生魔法を使える人の子が居たのかな? だったら、すっごーい!」

 

 いくつか並ぶベンチに座って休憩している者の隣に浮かぶ治優様は、彼らが饅頭のようなものを美味しそうに食べているのを見て微笑んでいる。

 

 どうやら、倬が発動した“再影”に割り込み、この設備を利用して造船が行われていた時期まで“映像”が飛ばされたようだ。

 

 あくまで光景だけの再生であるため声や音は聞こえないが、ここで作業しているアイーマの民の表情は真剣そのもの。作られている船は、現在シャアク達が使っている型の舟だけでなく、大型船も含め十隻以上を同時に製造していた。

 

「んー……」

 

 眉間に皺を寄せる倬を見て、シャアクがニヤニヤと耳打ちしてきた。

 

「霜中、悔しいのか?」

「べ、別に? まだ再生魔法に慣れてないだけですし? 大迷宮と似たような仕組みだって事は分かりましたので? 直ぐに対抗してみせますけども?」

「……何だかんだプライドあるのな、お前にも」

 

 自分よりも高度な魔法の運用に悔しい思いさせられてしまったが、ここにある設備がいかに優れた物か知る事が出来た。どの程度まで再生するべきかヒントになりそうな物は無いかと“映像”の動きを停止して目を凝らす。

 

「むむ、何か刻まれとるようだのぅ」

 

 反対側の壁に文字が刻まれているのを見つけた山司様がビヨヨンと体を伸ばしている。

 

 そこに刻みつけられている文字は酷い悪筆で、どうにか一部だけを読むことが出来た。

 

――“再■”の力を■つ者■、アイーマに■を貸■■くれ■■、感謝■■――

――■■の“■生”には、■下の式が必■■■。よろしく■■――

 

 この文字の下には他に複雑な魔法式が浮かび上がっており、これが“再生魔法”に使われるものである事が倬には理解できた。見たことの無い記号もあるが、何らかの意味を持った変数であることは予想できる。空間と時間両方の“戻す”範囲を指定する魔法式なのだろう。

 

(“言語理解”の効果が及ばない記号……、か)

「ここまで来ると本格的に悔しいですが、仕方ない。このまま使ってみます」

 

 “神”や“解放者”以外の“神代魔法”に通じた人物の存在を感じつつ、倬は現れた魔法式を組み込んだ再生魔法を発動させる。

 

 周囲の設備に積み重なった埃や錆が消え去り、天井の照明が灯る。

 

 再生魔法により魔力を与えられ、点在する操作盤が熱を持って待機しているのを感じる。

 

 設備が息を吹き返し、金属がぶつかり合う音が静かに響いた。

 

(ん?)

 

 魔法式が浮かび上がった壁に、刻まれた文字が増えているのに気づく。

 

 だが文字は相変わらずの悪筆な上、完全に再生されていないのか、先程の物以上に読み取りは困難だった。

 

――■■ながら俺×■きてる間に■成×××××かった×、多分×××、■××、俺の弟子××が完■させ××だろう××、×■宛に書×置きを■し×××――

――×、これが出る×××■×、力を使い×な××ない××事になるわ×だが……――

――仕■ない。俺××の壁を■く為のヒント×一つだけ■えて××――

――“神■■法”な××大袈■に呼ばれち×××が、こんな×××、ただちょっと強■な■法に過×ない。“×だの魔■の一つ”、その本質×理■する事×――

――××××開けて■界に見××らかす事を■待して××××――

 

――我■が■■■作を 我×■涯最■×■友へ 親■×■め× モ×ス・×ルグ――

 

 刻まれた文字に触れてみると、これが再生魔法に抵抗している事を直感する。

 

「同じ状態を再生し続けてるんだとしたら……__“覗鏡”」

 

 壁の向こう側を確認しようと空間魔法“覗鏡”を使う。だが、壁を隔てたその先に見えたのは、ごつごつとした山脈地帯。空間魔法についても倬の理解を越えて阻害されている証拠だった。

 

「ふむ、翻弄されてるのぅ」

「ぐぬぬ……」

「俺らからすりゃ、今の今までほっとくしかなかったカラクリを直しちまえるだけでもすげぇんだけどな」

「上には上が居ると改めて見せつけて貰いました。いずれ絶対に開けてみせます。絶対にだ」

 

 壁に遺された謎については神代魔法について理解を深めてから挑戦する事を心に刻み、再生に成功した設備の確認作業に意識を切り替える。

 

 周囲に点在する操作盤には、必要な説明が短い言葉で書きつけられており、試行錯誤の中で使い易さを高めていった様子が想像できた。現代のアイーマが完全にこれらを使いこなすのはまだ難しいだろうが、そう遠くない内に作業場として利用できるだろう。

 

「――今日の所はこれくらいにしませんか。そろそろ宴の準備も出来た頃合いです」

 

 三時間程度の調査をアーニェの一声によって切り上げ、倬達は一度“倉庫”を出る。すると、すぐに独特なツンとした香りが鼻をついた。砂浜に煙が上がっているのも見える。 

 

「おっ! やってやがんな」

「ちょっとこれ炊き過ぎじゃない? ……大丈夫かしら」

 

 シャアクとアーニェにとっては馴染みの光景らしい。そのまま煙の元へ向かうと、大勢の村人達が何かを囲んで騒いでいる。

 

「あんた達は、どうして、こう、いつも極端なのさ!?」

「だ、だってよぅ、デカすぎて買い手がつかねぇって言うしよぅ」

「“山向こう”の連中なら面白がって買うに決まってんだろ! あたしらが買ってやる事なかったじゃないかっ」

「で、でもよ! こいつ合わせて三百だぜ? お買い得だろ? な?」

「三びゃッ……?! 馬鹿ッ! あんたらこれにそんな使ったのかい?! もう、あたしゃ信じらんないよ……」

 

 なんだか険悪な雰囲気だ。

 

 倬が隣をちらりとみれば、誰よりもアーニェの顔が青褪めていた。

 

「三、百……? 待って、三百……?」

 

 その数字が気になったのは倬も同じだが、どうやらアーニェの方はより深刻に受け取ったのだろう。

 

「あ! 聞いとくれよ、頭領、網元! こいつらったらねぇ!」

 

 二人が戻ったのに気づいた村人達が説明した内容を纏めると、以下の様になる。

 

 エリセンで水揚げされた新鮮な魚でも特上のモノを仕入れようと張り切っていた元海賊の男達が目を光らせていると、漁港でどよめきが上がったのを聞いた。 

 

 何事かと見てみれば、魔物みたいな馬鹿でかいボニッタが釣れたらしく見世物になっているではないか。エリセン周辺で水揚げされる中で大きな魚とは、一メートルを超える位のモノを言うのだが、その魚は二メートル以上で胴回りも樽の如く太い。

 

 だが見物客は居ても、誰も競りに手を挙げない。何故かと言えば、ボニッタに擬態した魔物なんじゃないかと疑われていたのだ。魔物が居る海でここまで大きく育つ事はまずあり得ないので、かえって不気味に感じてしまったらしい。

 

 激闘の末に引き上げた海人族は必死になって魔物との違いを説明するが、「そもそもデカけりゃいいってもんじゃないだろう」と取り合ってもらえない。瞳の色も赤くはないし、魔物らしい戦闘に使えそうなヒレでもないから、ただ大きく育ったボニッタなんだとしても、大き過ぎるが故に大味だったら扱い切れないと言う理由もあった。

 

 この様子を見物していた元海賊の男達は、今までエリセンの海を荒らして来たことを思い出してしまう。結果、素通りする事も出来ず、気が付いた時には競りに手を挙げてしまっていたのだ。

 

 自分達以外で唯一競りに参加してきた(うお)ユン――ユンケル商会鮮魚・水産部門――に特大ボニッタと普通サイズのボニッタ二十匹に加え、雑魚も合わせて三百万ルタで競り勝ったんだとか。

 

「……“お化けボニッタ”を買わなかったら、百万もしないわよね?」

「だ、だってよぅ、海人族の兄ちゃん達が不憫でよぅ」

 

 病み上がりのアーニェは、申し訳なさそうに倬の顔色を伺っている。実際、今回の仕入れには倬が造船依頼の頭金一千万から出されている。依頼主としては、造船そのものと関係の弱い出費には小言の一つくらい言っても良いのだろう。

 

「これ、美味しいんですかね? どう料理するんですか?」

「お、おう! ボニッタは燻し焼きにすんだ。なぁ!」

 

 うんうんと大きく頭を縦に振る元海賊の男達。

 

「はぁ~……。ダンナさん、あんまり甘やかさないでおくれよ?」

「あぁ、いや、今日くらいはいいかなぁと」

「……よっしゃ! ならせめて楽しんでっておくれ、あたしらの包丁捌きをさ!」

 

 そう言って村人達は周囲に並べていた箱を開ける。そこから出てきたのは、巨大なサーベル……ではなく、刃長一メートル、身幅十五センチ程で緩やかな反りを持つ馬鹿でかい包丁だった。日本で例えるならば、鯨包丁に近いかもしれない。

 

「なんですか、あれはっ?!」

「ヴァーレヌ包丁。俺も初めて見たときゃ、いよいよ処刑されるのかと肝が冷えたもんだ」

「いやいや、あれはもう包丁じゃないでしょう」

「まぁまぁ、見てろって」 

 

 三十センチはある柄を両手持ちにして、村人たちはヴァーレヌ包丁の背を肩に担ぐ。すると、先ほどからずっと立ち込めている煙の向こう側から、コンガに似た太鼓によるリズムが刻まれ始めた。

 

「せぁッ!!」

 

 そのリズムに合わせ、一糸乱れる見事な動きでボニッタのエラ下に刃を当てる村人達。

 

「はぁッ!!」

 

 ボニッタの頭が切り落とされる。特大ボニッタは四人がかりだが、予めどう包丁を入れるのか打ち合わせしていたようで、太鼓のリズムに合わせて作業が進んでいるのが分かる。

 

 巨大な包丁を老若男女問わずに使いこなしている姿は圧巻だ。見る見るうちに三枚に卸され、肉の厚い部分をさらに切り分けて大きさが整えられていく。

 

 切り分けたボニッタの切り身に長い鉄串を刺し、モクモクと立ち上る煙の中へ。

 

「これが、アイーマ伝統“シルスフの(わら)(いぶ)し”です。今日のは皆大きいサイズだったので燻し上がるのに暫くかかりますから、先にこちらをお召し上がりください」 

 

 アーニェが村の子供達四人と一緒に持ってきた中で特に目を引かれたのは、ジャーキーのような薄くスライスされた肉だった。四人の子供の内、一人の男の子がふらついているのを年長らしい女の子に支えて貰いつつ、皿を頭の上に掲げてジャーキーっぽい食べ物を差し出してくれる。

 

 やや長い尖った犬っぽい耳がぴょこぴょこして、くるっと丸まったしっぽが激しく揺れていた。

 

「ダンナさん、どーぞ!」

「ありがとう。頂きます」

 

 やや酸味を強調して燻製された香りが食欲をそそる。食感は見た目ほど固く無く、柔らかな弾力のある歯ごたえだ。塩気も適度で、“良い塩梅”のお手本と言える味付けに、受け取った五センチ位のそれは瞬く間に口の中へと消えてしまう。

 

 噛めば噛むほどに旨味が沁み出してくる。“ずっと噛んでいたい”そう思った瞬間には、それはもう飲み込んでしまっていた。噛み締めると、肉の繊維が容易く口の中で(ほど)けて、溶けて、胃袋の中に消えていく。

 

 無意識の内に新しい一枚を既につまんでいる自分に気付き、はっとする。

 

「恐ろしい、なんて恐ろしい食べ物なんだ……!」

 

 自然と手が伸びてしまうのは、“おつまみ”の本質そのものと言っていい。倬は本気でそう思って、新しくつまんだ一枚を見つめる。

 

「気に入っていただけましたか?」

 

 感心しきりの倬に、アーニェは柔らかく微笑む。

 

「美味しいです。凄く。これ、ただの干し肉じゃないですよね?」

「うふふ。これもボニッタなんですよ」 

「え、魚なんですか? これが?」

 

 倬が食べたジャーキーに似た何か、その正体は、今まさに作られている“シルスフの藁燻し”を更に加工した保存食だった。アイーマでは藁焼きにした魚介をそのまま食べるだけでなく、特別な原液に浸し、燻製専用の建屋である(むろ)で長い時間をかけてじっくり燻しながら干す料理があるのだ。ある程度柔らかさを残したものを“(なか)干し”、ガチガチに固くしたものを“(なが)干し”と呼ぶそうで、“長干し”は長期保存食として茹で戻して食したり、そのまま削って鰹節の様に使われるようだ。

 

「いいなぁ、これ。皆のおやつだったりするの?」

 

 これを普段から食べられるのだとしたら羨ましいと聞いてみる。これに答えてくれたのは、犬っぽい男子のお皿を後ろから支えていた女の子だ。濃い肌色や紅い髪色は魔人族らしい特徴だが、背中からは髪色と同じ羽色の翼が生えていた。

 

「えっと、子供のおやつには酢昆布の方が多いかもしれないです」

「“豆でも食ってろ”ってよく言われます!」

 

 しっぽをふりふり、男の子が元気よくおっきな声を響かせるが、内容はちょっと切ない。

 

「そっかぁ………。ん? 酢昆布?」

「これー」

 

 ぽやっとした雰囲気で森人族らしい細長い耳を持つ女の子が、肩掛けのポーチから取り出した葉っぱを開いて見せてくれたのは、紛れもなく駄菓子の酢昆布そっくりな海藻だった。

 

「……トータスの人が海藻食べてるのなんか意外」

「ここいらだと結構海藻も食うんだ。俺は今でも得意じゃないがな」

 

 湯呑のような陶器のカップを二つ持ってシャアクがやってきた。カップになみなみと注がれているのは、どうやらお酒らしい。そのシャアクの腕には“森の妖精”もりくんがひっついている。

 

「南大陸だと海が遠いですしね」

「それもあるだろうが、そもそも北ほど海の幸にも味にも拘り無ぇんだ。魔人族にとって飯は飯でしかない。娯楽として食事を楽しむ奴の方が珍しくて、ガーランドの兵舎で出る飯なんか今思うと地獄だぞ。芋、辛くした芋、山盛りの芋、干し肉混ぜた芋、塩かけた特盛の芋のループだ」

 

 兵士時代の食事を思い出し、げんなりした顔でカップを倬に渡してくるシャアクに対し、もりくんはとてもご機嫌だ。

 

「たか! この土地のトラッパだぞ。トラッパって言ってたけどな、ニホンのしょうちゅうっぽい感じだぞ!」

「へぇ、それはまた面白いですね」

「ショウチュー? アイーマじゃあ、普通のトラッパに使う穀物が採れないから、代わりにアーアト豆ってのを使ってんだ。ガキどもが食ってろって言われるのと同じ豆でもある。ま、これも酒のアテなんだがな」

 

 アーアト豆はピーナッツによく似た豆で、アイーマのトラッパはその豆の香りが特徴だ。甘味の強い蒸留酒に、絶妙な塩梅の中干し(ボニッタジャーキー)は悪魔的と感じる程に相性抜群である。

 

「さぁさぁ、ようやくだ。ダンナ、まずは一切れ」

 

 威勢良く呼びかけてきたガデルが、鉄串三本に二リットルペットボトル以上の巨大な魚肉の塊を刺して運んできた。

 

 燻された魚肉に向かって、“氷の妖精”ゆっきーがフー、フーと息を吹きかけ着いてきている。

 

「アナタさまー! ゆっきーが、ゆっきーがキリっと冷ましたお魚をどーぞ」

「ありがとう、ゆっきー。では、ガデルさん頂きます」

 

 見た目は“鰹の叩き”そのものだが、上に振りかけられているのは葱ではなく、パセリに似た緑色の細かい野菜だ。分厚く切り分けてくれた一切れを、用意されていた大きな二股のフォークに刺して豪快に頂く。

 

 真っ先に感じるのは、シルフスの藁が持つ特有の酸っぱいような匂いと炭火の香り。端っこを軽く噛めば表面がホロリと崩れそうになる。だが、熱を加えられた表面との繋がりを保つ濃密なルビー色の赤身が、そっと歯を押し返してきた。新鮮なボニッタの身が持つプリっとした弾力に驚きながら、倬はじっくりと咀嚼して味わう。

 

(振りかけてある野菜の苦味と、強い炭の香りが重なってなんとも爽やかだ…….。厚い身に歯が跳ね返されそうになるこの感じ、これがこれがボニッタ! 刺身のままでこんなにも旨味と香りが広がるなんて……、ジャーキーとはまた違う、これはこれで最高に旨い!)

 

 差し出されるままに、夢中で“シルスフの藁燻し”を食べる倬。その隣に、木箱を砂浜にどかっと置いて、座るように促してきたのは海人族のジャンだった。

 

「……気に入ったか?」

「ふぁいッ!」

 

 口に藁燻しを頬張ったまま大きく頷く。

 

 一瞬、ジャンの頬が(ゆる)む。誤魔化すように顔を逸らして、彼はそっぽを向いたまま呟いた。

 

「……落ち着いて食え。……今日は誰より、お前に食わせる分が優先だ」

 

 もぐもぐしながら、ジャンが自分に慣れてくれたのを感じつつ、五枚目を飲み込んで首の後ろを掻く。

 

「んっく……。いや、そんなに気を遣ってもらわなくてもいいんですが」

「……黙って受け取れ。でなけりゃ、俺らの気が済まない」

 

 ジャンに続いて、アイーマ随一の操舵手であるボルカもシャアクのカップに酒を注ぎにやってきて、にへらっと笑う。

 

「そうだぜぇ? それにダンナさんがノってくれにゃあ、俺らぁ騒ぎにくいからよぉ」

 

 風姫様と雪姫様に挟まれて、藁燻しを食べさせられていた海姫様は、倬と視線を合わせ小さく頷いてくれた。

 

 “網元”アーニェが回復し、倬からの造船依頼で現金も得た。工場も再生されて、アイーマの未来には新たな展望が広がっている。

 

 だが、だからこそ、今日まで行ってきた海賊行為が、村人達の心に棘となって刺さったままなのだ。結果的に未遂に終わったとは言え、多種族の血を受け継ぐアイーマが海人族の少女達を奴隷商に引き渡そうとしてしまったことは、しこりとなって残り続けるだろう。

 

 去来する罪悪感には、償い続ける事で立ち向かう他ない。

 

 彼らが今、陽気に振舞うためには、アイーマの罪と本来関係のない訪問者である倬や精霊様を楽しませると言う名目が必要なのだ。

 

(“貧すれば鈍する”、だったわけだもんな……)

『犯してしまった罪や過去は受け止めるべきだ。だが、例え咎を負う者だとしても、その者にとって寿(ことほ)ぐべき事を素直に祝う瞬間はあっていい』

 

 燻焼きの炎の中から、火炎様の念話が届く。他の精霊様達からも同じ想いが伝わってくる。 

 

「では、遠慮なく頂きます。折角ですし、(うち)で確保してるお肉と野菜を提供しましょう。皆は果物とか焼き菓子とか食べてみる?」

 

 空間魔法で“風の渓谷”にある元アモレの家や、森司様のお社にゲートを繋げて保管していた肉や卵、樹海の果物に、作り置きのクッキーなんかを持ち出す。

 

「「「お菓子ー!!」」」

(ヴォグー)やら(ヴルコ)の肉なんて、いつ以来だろうねぇ!」

 

 アイーマの豪快な調理に負けない勢いで並べられる食材に、村人達の瞳の色が更に輝きを増す。倬が乗り気な態度を明確に示した事で、宴は終始賑やかに行われた。

 

 日が落ちて、夜陰の砂浜に松明や焚火の光が揺れる中、酔いつぶれた村人達の中にはシャアクも混ざっている。介抱していたアーニェが言うには、彼は元々あまり酒が得意な方ではなかったらしい。

 

「この人がこんなに呑んだ所、初めて見ました。霜中様の前でカッコつけようとしたのかもしれませんね」

「屋敷に連れていきましょうか?」

「いえ、このまま皆と一緒に寝かせておいて大丈夫です。アイーマの民にとっては、波音が子守唄みたいなものですから。霜中様は屋敷の部屋に案内させて頂きますね」

 

 アーニェに案内されたのは、“網元”の執務室以上に本が充実した部屋だった。元々は先代“頭領”であるアーニェの祖父の寝室で、いつかの為にと子供部屋として使えるように掃除してあったらしい。

 

 アイーマでは体調を崩している時以外は普段厚い茣蓙の上で寝る事の方が多いそうだが、外からきた“ダンナ”である倬の為にとベッドも用意してくれていた。

 

「すいません、色々と気を遣って頂いて」

「せめてこれくらいの事はさせて下さい。大した物はありませんから、この部屋はご自由に使って下さいね」

「ありがとうございます。それではお言葉に甘えさせて頂きます」

「はい、おやすみなさいませ」

 

 気配りに感謝しつつ、倬はベッドに突っ伏す。この世界にやって来るまで、町内のイベント事でもない限り、基本的に単独行動が多かったのを思えば、ここ最近は一度に沢山の人と関わる機会が多かった。少しばかり精神的な疲労が溜まっていたのか、瞬く間に意識が朧げになる。

 

(そう言えば、ここ暫くちゃんと寝てなかったな………………) 

 

 微睡みの中、さざ波の音にそっと海姫様の鼻歌が混ざるのを聞く。

 

『治優様ではないが、たまにはちゃんと寝るといい。お休み、……倬』

 

 

~~~

 

 

「ふふふん、ふふん、ふんふんふ~ん。仮眠、快眠、開拓民~。朝からお魚、ゴーカイジャーっと」

 

 早朝の屋敷の一室から、意味不明な日本語が漏れ聞こえてくる。意味は特に無さそうだが、誰が聞いたとしても、とにかく機嫌が良さそうな事だけは感じ取れるだろう。

 

「たぁ様ってばごきげんねー!」

「いやぁ、ぐっすりでしたからね。睡眠、大事。治優様の仰ってた通りでした」

 

 枕の上で飛び跳ねる治優様に対して、倬の頭の上に座っている風姫様は呆れ顔を隠そうともしない。

 

「っても二時間くらいしか寝てなかったけどね。ほんとに回復してるんだもの、都合の良い体質だわ」

「回復系の技能が効いているのかもしれません。皆様のおかげです」

 

 アーニェに部屋へ案内されて二時間程度で目覚めた倬は、日の出前に仕事がある村人達とシンプルなボニッタの塩焼きを一緒に食べた後、“工場”に残っていた資料を屋敷へと持ち帰っていた。修行した“寺”と同様に、現代とは異なる文字で書かれたものを数冊発見したのだ。

 

 その本に書かれていた内容の殆どは、木造船の木組みに関する秘伝で、アイーマで現在使用されている舟の役に立てるのは難しそうな内容ばかりだった。

 

 しかし、中にはアイーマの舟における“水車”――スクリュー――の羽の角度の計算式や、機械動力の原理なども説明されており、こういった原理原則はこれからの造船業には必要な知識と言って間違いないだろう。

 

 “海の妖精”うみちゃんが机の角に隠れながら倬の顔をじっと見て、ぶっきらぼうに言う。

 

「タカ、たのしそう」

「ん? そうですね、こうやって資料まとめるの、結構楽しいので。ティネインさん達との“祈祷師”の調査した時に教わったコツがこうやって活かせるのも、ちょっと嬉しかったりします」

 

 ふと王立図書館でお世話になっていた頃を思い出して、借りていた部屋に並ぶ書棚を眺める。図書館で使わせてもらっていた部屋はもっと少し狭かったな、と棚に整列した本の背表紙を目で追っていると、馴染みのあるタイトルで目が留まった。

 

「お! 【オアシス探訪笑遊記】じゃないですか」

 

 “祈祷師”の出番がある作品の一つ、【オアシス探訪笑遊記】。どことなく落語に似た雰囲気のある物語で、トータスでも特に人気のお話だ。倬が図書館で読んだのは小説で、絵本が存在することは司書長ノーベルトから聞いた事があった。

 

 異世界に召喚されてからまだ百日と少ししか経過していないのだが、なんだが懐かしく感じて休憩がてら絵本を開く。

 

「しも様、くぅちゃん、聞きたいな~」

「たか様、ねねちゃんも! ねねちゃんも聞きたーい!」

「分かりました。お任せ下さい」

 

 膝や机に座る妖精達に、精霊様達も思い思いの場所で寛ぎながら倬の音読に耳を傾ける。

 

 手に取った絵本に描かれていたのは、砂漠を歩いている最中、水だと思い込んで酒を一気飲みして倒れた仲間を見捨てるかどうか話し合う話だった。

 

 これだけ聞けばなんだかシリアスな話かと思う所だが、見捨てる事のメリットを列挙する男達がどうやって助けるかを考えているのを感じさせる書き方のお陰で、緊張せず読むことができる。

 オアシスから離れた場所での水分確保の方法や、酒の一気飲みがどれだけ危険なのかまで書かれていたするので、意外と勉強になるのがこの作品の特徴でもあるのだ。

 

「――“元気になったハチヴェは、ぐーっと背伸びをしながら言いました。いやぁ、逸機(いっき)はいけねぇな”」

 

 絵本のオチまで読み終えると、精霊様に妖精達それぞれが感想を言い合い始める。

 

「全く、ハチヴェは困った男ナリよ!」

「売り物にするつもりのお酒だったんだねー」

 

 けらけら笑っている様子を見るに、どうやらお気に召して頂けたようだ。

 

「笑遊記らしいオチでしたね。所で……」

   

 絵本からすっと視線をベッドに移動させれば、目が合った女の子が全身をビクッと震わせる。やけに緊張しているらしい女の子は、音読を初めてすぐ扉の前で聞き耳を立てていたようで、気配に気づいた海姫様によって部屋に招かれていたのだった。

 

 背筋をピンと伸ばして固まっているが、ピンと伸びているのは背筋だけではなく、その背中から生える翼も完全に開いてしまっていた。この翼は、大陸中央ではあまり見かけない翼人族の特徴だ。魔人族と同じ肌色かつ毛色なので、そちらの血も濃く受け継いだのだろう。

 

 確か、おつまみを持ってきてくれた内の一人だった筈である。

 

「えーっと、この部屋に用事が?」

「ッ! き、きゅーぅ……」

(おぉ、リアクションが鳥のそれだ……)

 

 家畜として“ヘルルナ”、魔物として“ヒエドリ”や“てんてー”など、様々な鳥類を育てている倬にこの反応はとても馴染み深く、ちょっと笑いそうになってしまったのを堪える。実際、彼女は緊張してしまって喉が鳴ってしまっただけなので、そこで笑ってしまうのはかわいそうだろう。 

 

 変な声が出てしまったと顔を真っ赤にする少女は、俯いて呟いた。

 

「その、絵本を取りに……」

 

 俯き加減のまま本棚を見る女の子に、どれどれと何冊かの絵本を差し出してみる。

 

「これですか?」

「はぅいっ……ッ?!」

「……うん、いったん落ち着こっか」

「ほら深呼吸だ。吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー」

 

 女の子の背中に手を添える海姫様は、慌てている様子に優しい笑みを浮かべている。

 

「すー、はー……、すー、はー……。その、えっと、私は……、その、子供達に絵本を読み聞かせて文字を教えてて……」

「へぇ、先生なんですね」

「いえいえいえっ! 先生なんて、そんな凄くないんです!」

 

 大陸から離れたアイーマで娯楽と言えば音楽と絵本くらいで、子供達は絵本を利用して読み書きを習うのだ。

 

 大人が漁や保存食作り、仕入れ等で忙しいため、簡単な読み書きを教えてるだけだと謙遜する。少女は開きっぱなしだった翼をゆっくり畳んで、倬が持っている絵本に注目した。

 

「あの……、笑遊記がお好きなんですか?」

「ん? そうですね、知ってる中ではかなり気に入ってますよ。これだけ笑えるお話は貴重で、こっちで読んだ本の中では一番多く読み返したかもしれないです。あとは世界樹とか、強者一会とか」

 

 この返事に女の子の表情がパァッと明るくなる。

 

「わ、私もっ、それ全部好きです! 他にも【トビ・ホームッソの冒険屋】とか、あれ? 知りませんか? 五センチくらいの小人が鳥の背中に乗って旅をするお話で風景の描写が細やかで、ピンチの時の緊張感が真に迫っていて! あっ、この【ランドレディは十二才!?】は主人公の女の子が両親に先立たれてから老舗旅館の店主になるお話なんですけど、私より年下なのにすっごく健気で応援したくなるって言いますか! あと大陸西の定番ですけど、グリブ姉妹の童話も改めて読むと姉妹の恋心と真面目な砂漠の妖精さんの揺れる想いがとっても繊細に描かれてて――」

 

 瞳をキラキラと輝かせ、どの作品がどれだけ好きなのか語り始める少女。

 

 つど相槌を返しながら微笑ましく見守りつつ、トータスの創作物について二人で話していると、突然少女の動きが止まり、頬に朱色が混ざった。

 

「あぅぅ……。すいません、こんなつもりじゃ……」 

「いやいや、読んだこと無い作品も多かったので、楽しかったです。それに、自分が何を好きなのかを知ってて、それを誰かに伝えたくなるのは素敵な事ですよ」

 

 倬に微笑まれて、翼をバタつかせる少女は羽ばたいた勢いを利用して立ち上がり、適当な絵本を二冊抱きかかえて扉まで飛んでいってしまう。翼人族ならではの挙動である。

 

 部屋を出ようとする直前、慌てて扉に体を隠しながら振り返った少女は、倬と精霊達を視界にしっかり納めてから控え目な声で言う。

 

「皆のこと止めて下さって、アーニェさんも助けて頂いて、その、本当にあり……、ありがとうご()()いましたっ!」

 

 言い切ると同時に扉を閉めれば、ドカバキと大きな音を鳴らしながら少女が屋敷から出ていくのが聞こえる。

 

「えーっと……、あの、治優様?」

「ふふふー、あざが出来てたらいけないもんね!」

 

 待ってー、と女の子を追いかける治癒様を見送り、持ち帰った資料を掴むと、今度はニヤニヤしながらシャアクが入ってきた。どうやら一連の様子をどこかから聞いていたようだ。

 

「ルカが羽を散らかしてくとこなんざ初めて見たが、ルカはどうだったよ? ん?」

「……“どう”、とは?」

 

 わざとらしく首を曲げるシャアクから鬱陶しい空気を感じて、倬は回答をはぐらかす。が、シャアクはお構いなしで続けた。

 

「ルカは特に頭が良い子でな。だからガキどもに読み書きなんかを教える教師役をやってもらってるわけだ。今後はアーニェの補佐として“網元”の仕事も手伝わせるつもりでいる。年は確か……、十三。霜中は十五だったろ?」

「なんですか、突然」

「翼人族ってのは戦闘向きじゃないが、亜人族の中でもずば抜けて“眼”が良いらしいぞ。実際、回避に専念したルカには誰も触れねぇ」

「ルカさんも戦闘向きとは思えませんが」

 

 シャアクが言わんとしていることは察するに余りあるが、倬は翼の女の子――ルカにとってもお節介な話だと思ってしまう。彼女が倬に緊張していたのは、倬が“頭領”以上の実力者かつ、“ダンナさん”だからであることが影響している。あの様子をすぐさま色恋沙汰と結びつけるには、立場がフェアではないと考えてしまうのが“霜中倬”だった。

 

 そんな倬の態度をまるっと無視して、シャアクは机に腰を下ろす。とっさにメモ紙をどかす倬の顰め面を視界に収めつつ、愉快そうに小刻みに頷いてみせる。

 

「まー、それはその通り()()があれ()ぞ、自力のある娘じゃなきゃ、お前についていけねぇ()ろ。ルカくらい気立ての良くて頭も良い娘には、良い男に(めと)ってもらいたいじゃーねーのよぉ……」

 

 机に座ったかと思えば、呂律の回らない口調で捲し立て、そのまま項垂れてしまうシャアク。どうやらまだ酔っぱらっているらしい。先ほどから感じてはいたが、お酒の匂いも明らかにきつかった。 

 

「…………まだ酔ってますね? それにこの匂い、向かい酒したんですか?」

「はっ! 馬鹿こくでねぇ! まだ起きてトラッパ一杯も飲んじゃねぇぞい!!」

「うわぁ、なんだこの喋り方………。はいはい、ちゃんとベッドの上でねんねしましょう?」

 

 酔いどれシャアクにベッドを勧めると、口元を両手で覆って青い顔を歪ませる。

 

「おえぇ……。なんでお前なんかにベッドに誘われなきゃならねぇんだ……」

 

 そのくせ、シャアクはぶつくさいいながらもベッドに横になってうんうん唸り始めるではないか、酷い態度に倬の顔が引き攣る。

 

「えぇぇ、酔っ払いって最低……。アルコール、ほどほどにしよ……。いいですかシャアクさん、これをですね、私の故郷では“自業自得”と言います」

「ジゴー・ジトック……? あ゛~、人間族ならどっかに居そうだな」

「トータスってそんな雰囲気の名前多いんですよね、言われてみれば。……いや、そんなことはどうでもいいので、大人しくしててください。酔い覚ましの薬作りますから」

 

 森司様にアドバイスを貰って酔い覚ましの薬を調合しながら、倬とシャアクは適当な話をし続けた。主な話題は昨日の宴で出た話についてだ。

 

 失恋をきっかけに酔って暴れ、エリセンを追放されてしまったジャンの事。彼がアイーマに流れ着いた原因を笑い飛ばしながら、シャアクは近くにある筈の故郷に帰れない特殊な立場を気にかけているのが伝わってくる。

 フューレンの生まれで物心ついた頃から盗みを働き、あらゆる悪事に手を染め、仲間の裏切りによって崖に落とされたガデルの過去。出会った当初は犬猿の仲で、荒れていたシャアクと真正面から戦ったのがガデルだったのだと、脛に遺る傷を見せてくれる。

 

 宴の中で知ったことだが、アイーマは一人ひとりの過去や本音を本人の語れる範囲で共有するのだった。ある者は唄に乗せ、ある者は波や薪の爆ぜる音に紛れ込ませながら、ある者は酒を呑んで酔いに任せて忘れようのない記憶を語る。

 

 海姫様はこう言ったやり取りが、アイーマが流れ者を受け入れる為の儀礼だったのだと教えてくれていた。

 

 酔い覚ましの薬を溜息交じりに飲みつつ、シャアクも自身の過去を改めて語る。内容は前後の脈絡がなく、時系列もバラバラで分かりにくい。それでも、金ランク冒険者の実力を探るために一人の人間族を捕らえ、その護送任務中に逃げられてしまったのが理由で“海洋調査”と言う名目の下に処刑されたのがアイーマに至るきっかけだったのだと知った。

 

「あの冒険者は結局他の班が捕まえたらしい。まぁ、ふざけた戦い方のオヤジでな、本当に厄介なオヤジだったのは忘れられねぇ。…………なぁ、霜中、もう一日くらい泊ってかないのか」

 

 宴の中で、倬は一晩宿を借りた後、すぐに旅へ戻ると伝えていたのだ。

 

 薬が効いて、すでに酔いは落ち着いているはず。だだをこねるようなシャアクの態度は、どこかわざとらしかった。

 

「精霊様を探す旅は、本来一生を費やす覚悟が必要なものです。光后様の元から逃げ出した“光の妖精”に、どこかに居られる“月の精霊様”の御力を借りる為にも、動かないわけにはいきません。“神代魔法”の本格的な調査も必要になりました。それは、“倉庫”の奥に何があるのか知る為にも、です」

 

 シャアクはベッドの上で座り直し、肩を竦める。今の倬にしつこい物言いをしても意味がないのだと理解しているのだ。

 

「なら他の大迷宮にも挑むわけか。次の当ては?」

「山、谷、森のどれかですね。精霊様が絡んでそうな噂話を集めながら、通りがかったら寄るつもりですが」

「はぁー……、大迷宮が寄り道かよ」 

「一度お話してみたい方もいるので、単なる寄り道って事はありませよ」

「メイル・メルジーネの時みたく一方的に昔話を聞かされるだけだろ? 物好きだよな、霜中は」

「物好きってのは否定できませんね」

 

 気が付けば、屋敷の中に差し込んでいる陽光は黄色を強く帯び始めてしていた。昼過ぎに出発するつもりが、少々長居してしまったようだ。

 

 コツコツと控えめなノックに振り向けば、そこにはアーニェがくつくつと笑いを我慢して立っている。アホ毛が激しく震えているのが、声を出さないようにと堪える努力を物語る。

 

 “頭領”になってからと言うもの、普段から真面目ぶった態度を維持しているシャアクの気の抜けた姿が面白くて仕方ないと言った様子だ。

 

「私も混ぜてもらって構いませんか?」

「あ、ちょうど良かったです。持ち出した資料の中に帳簿や契約書みたいなのもありまして――」

「そう言う事なら、“網元”にお任せ下さい」

 

 倬によって簡単に翻訳された資料にざっと目を通すと、アーニェは猛烈な勢いで但し書きを加え始める。その資料を元に適宜内容を補足しながら、専門的なその内容を分かり易くかみ砕いて説明してくれた。 

 

 聡明な女性とは聞いていたが、明らかに現在のアイーマで取り扱う数字と桁の異なる内容にも怯む事無く読み解いていく姿に圧倒されてしまう。何故かシャアクが勝ち誇っているのが気になるが、トータス北大陸で共通して使用される契約書の書き方や、一般的な事務書類の読み方に至るまで解説して貰えたのは、アイーマへ造船を依頼した為に資金を稼ぐ必要が発生した倬にとっては嬉しい誤算だと言えそうだ。

 

「……さて、そろそろ出発します」

 

 色々と教わっている内に、空も海も燃えるような夕陽に染まっている。杖を呼び寄せ、立ち上がる倬を見て、シャアクも背筋を伸ばす。

 

「どうせ転移できるんだろ。いつでも来るといい」

「設置した転送用の魔法陣もありますし、何かあれば手紙でやりとりしましょう。多分、それが一番確実です」

「借りを作りっぱなしってのは嫌なんでな、自分らのことは自分らでやってみせる。あんまり心配すんな」

「ええ、心配してませんよ。シャアクさんは“生還者”なわけですしね」

「お前に言われるとイヤミにしか聞こえねぇんだよな」

「自分、そんな人間に見えます?」

「……ただの僻みだ。気にすんな」

 

 倬とシャアクのやり取りを精霊様達と一緒にくすくす笑いながら見守っていたアーニェは、その表情を真剣なモノに変え、そっと両手を合わせる。

 

「霜中様。海姫様から次の目的地が定まっていないと伺いました」

「その通りですが……?」

「実はアイーマには唯一、“山向こう”で繋ぎの役を果たしている“釣り師”が居るのですが――」

 

 

~~~

 

 

 アイーマから海姫様の“寝床”へ“精霊転移”で移動し、従えた海の魔物であるマクヴァや大鱶(オオフカ)シロの様子を確認した後、倬は現在、北の山脈地帯を眼下に納めながらゆっくりと南下している。

 

 アーニェから伝えられた繋ぎの役を担う“釣り師”が住む村を目指しているのだ。

 

「それにしても“釣り師”ですか……。ミュウちゃん達と会う前に釣り人を見かけてましたが、まさかアイーマ所縁の人だったとは」

「北の果てで生活を成り立たせるにも、色々と限界もあるからな。ぼくが美海と呼ばれていた頃から“釣り”の才覚が飛びぬけている者を外に出していたんだ。その習わしが遺っていたとは思わなかったが」

 

 倬の右肩に腰掛ける海姫様は、細長いポニーテールを気持ち良さげに風の中で泳がせながら、かつてのアイーマに想いを馳せる。

 

 北の山脈地帯で採掘を行う者達に宿を提供する事で成り立っている小さな集落であるらしく、人の気配を慎重に探って空を飛んでいると、空姫様が倬の目の前に躍り出て砂漠の奥を指さした。

 

「あら~? ねぇ、霜様。ず~っと向こう、誰か走ってるわ~」

「ほぅ……。この砂漠を生身で、とはただ事ではなさそうだな」

 

 光后様も薄暮の砂漠を必死の形相で走る男の姿を捉えて、何事かと眉を顰める。

 

 倬もまた、砂嵐とは明らかに違う原因で砂塵が巻き上がっているのを目撃した。現在地からの距離はかなり遠く、男は砂漠の中で人間族領と魔人族領の狭間にあたる場所を駆け抜けようとしているらしかった。

 

(あれは人間族、だよな……。なんて無茶な事を)

 

 感覚を集中し男が振り向いた目線を追えば、四匹のプテラノドンに似た飛竜が魔人族の兵士を背中に乗せて飛んでいるのが視界に入る。

 

 いつも持っている葉っぱを肩に担ぎ、森司様は倬の視界を共有して飛竜を観察している。

 

『倬、あれは確か、“毛無し鳥”じゃなかったか?』

『はい。前に魔人族領で戦った魔物です』

『倬様、倬様、上に乗ってる子達、何か話してるたいだよー』

 

 音々様が両手を“毛無し鳥”に向けると、魔人族四人の余裕に満ちた話し声が倬の耳にまで届けられた。

 

――やれやれ、噂以上の食わせモノだったね――

――いつまで持つか賭けっか?――

――いや、さっさと片付けて適当な町でも潰してから本隊に合流しよう―― 

――あぁ、それは良いな。逃がしたんじゃなく、泳がせたって報告すればいい――

 

 この内容に、倬の表情が曇る。つい先ほどまで多種族が共に暮らすアイーマに居たせいで忘れかけていたが、世界(トータス)は今も争いの中にあるのだ。

 

 強化されたと思しきサンドワームの猛攻を、気合の叫びを上げる男がどうにか回避し続けている。両腕を胸元で拘束されたまま、それでも避け切る男の身体能力は目を疑うほどだ。

 

「はぁッ! ぬぁッ! むぁッ!? るぅッ!!!?」

 

 逃げる男の事情は分からない。追いかける魔人族の兵士に恨みなど無い。

 

 だが、あの男を始末した後で町を襲うと言うのなら話は別だ。

 

 腰に巻き付けるアーティファクト“宝箱”を開け、刀剣“剣断ち”を握り締める。 

 

『……やるのでござるな』

『この程度の距離ならば“雷同”の方が速い。俺に任せてくれ』

 

 刃様と雷皇様に頷いて、倬は魔物達を睨む。

 

 (エヒト神)によって召喚されてしまった()が、戦いに駆り出される可能性を僅かでも減らす為に。

 

 雲一つない山脈の上空に、(いかづち)()ぜた。

 

 

 

~~~

 

 

 

「……あ、アーニェ、そろそろ、休憩、しないか」

「ふふ、もう限界なの? ダーメっ。まだ始めたばっかりよ。私が納得するまで付き合って、ね?」

「だ、だがな? アーニェ、病み上がりでこんなに頑張らなくてもいいんじゃ」

 

 倬がアイーマを立って数日後、“網元”アーニェの使う執務室に、夫婦の声が密やかに響いている。

 

「ふぅー……」

 

 艶のある溜め息を零すアーニェに、“頭領”シャアクが何故か怯える様に肩をビクつかせる。 

 

 さて、二人はいったい何をしているのだろう。

 

「……あなたが二年間、書類仕事を一切してなかったからこんな事になってるのよね? この請求書の山はなぁに? こっちの依頼は二年と少し前、私が倒れる前ね。……どこに隠してたの?」

「そ、それは、だってお前が倒れてから何も手に着かなくてだな?」

 

 アーニェが文鎮をそっとどかして、一番上の書類を眺めて再び息を吐く。

 

「はぁ~。そりゃ、ずっと心配してくれて、頑張ってくれてたのは分かってるわよ。ぼんやりとだけど、あなたが手を握ってくれた温かさは覚えてるもの……」

 

 ペンを置いて、手を包み込むように合わせ、眠りの中で感じた愛する男の温もりを思い出す。

 

「アーニェ……」 

 

 椅子から立ち上がり、アーニェの手に自分の手を重ねるシャアク。

 

 見つめ合う二人は、お互いの瞳に吸い込まれるように顔を寄せ……。

 

「頭領、網元! 聞いてくれ、大量だっ!」 

 

 バンッ! と戸板がへしゃげそうな音を鳴らし、漁に出ていたガデルが駆け込んできた。

 

「ひっくっ!?!?」

「ぬぉッ?! ばっ、馬鹿やろう! ノックくらいしやがれ!」

 

 慌てて顔をお互いに正反対の方向にそらした二人などお構いなし、ガデルはそのまま説明を始める。この所、似たような場面に毎日出くわすので、ガデル達はスルーを決め込んでいるのである。

 

「大量なんだって、一大事だ!」

「なんだってんだ。稚魚は帰せって言ってんだろ」

「いや、魚はちっともかかっちゃいねぇよ?」

 

 てっきり小魚が戻ってきたのを喜んでいたのかと思いきや、どうやら違うらしい。

 

 怪訝な顔のシャアクに代わり、アーニェが真相を尋ねる。

 

「ガデル、それなら何が大量なの?」

「ありゃ間違いねぇ、“同胞”だ」

「“どうほう”?」

「おうよ、シャアクの、な」

「なに?! ……生き残りは?」

「信じらんねぇことに全員だ。それも十五人、まだ息がある」

 

 十五人もの魔人族が生きて流れ着いたと聞かされ、シャアクは万が一に備え、アーニェを執務室に待機させて、“シュルッセル”を持って砂浜に向かった。

 

 屋敷から出てすぐ、立ち上る湯気が目に入る。アイーマの民が漂流者の冷え切った体を温めようと、魔法を使って大量の湯を沸かしているのだ。

 

 湯気の傍ら、砂浜に横たえて並べられていたのは、身に着ける真っ白なローブを藁まみれにした魔人族達。

 

 駆けつけたシャアクは、魔人族の一人がうなされているのに気付き、声をかける。

 

「もう大丈夫だ。今湯を沸かしてるからな。スープも用意してる筈だ。頑張れ!」

 

 魔人族の男は寒さに震えながら、何事かを呟き、必死に天に向かって手を伸ばした。

 

 その手を掴み、シャアクはもう一度励まそう口を開く。が、励ましの声は男の叫びにかき消される。

 

「大丈夫、もう、大丈――」

「かぁみなりぃぃぃぃ、ぃっひぃ!!!」

 

 脈絡もへったくれもない叫びを聞いて呆然とするアイーマの民。

 

 シャアクはまだ知らない。流れ着いた彼らが、“雷力”研究に血道を上げる研究者達である事を。

 

 アイーマの民は思いもよらない。この漂流者達が、アイーマのこれからに何をもたらすのかを。

 

 霜中倬と“世界”がこの結果に驚愕するのは、もう少し未来の話。

 





今回のタイトルは《渡りに船》を元にしました。

スランプが酷くて筆が遅いままですが、書き続けるつもりです。この調子だと完結まで何年かかるか分かりませんが、投稿を辞めるつもりはありませんので、今後ともよろしくお願いします。

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