すたれた職業で世界最高   作:茂塁玄格

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大変長らくお待たせいたしました。

毎回の事ですが、今回も文字数が多くなっておりますので、目を休ませながらお読みいただければと思います。

では、よろしくお願いします。





メルジーネ海底遺跡の声・前編

 

 トータスの大陸最西より遥か遠く北西の海中に、海水を()()()潜る空気の塊があった。

 

 ただでさえ洋上へ戻ろうとする浮力に対抗して不安定に揺れてしまう風系魔法“風固(かぜがため)”は、中で二人の男が取っ組み合っているせいで、ぐわんぐわんと落ち着く気配がまるで無い。

 

「――村の仕事はどうするつもりですかっ」

「ガデル達にはちゃんと言ってある。あいつらに任せとけば問題無ぇ! 精霊様がお許し下さってるってのに“祈祷師”殿は逆らうって言うんですかぁ? それでいいんですかぁ?」

 

 まるで日本の小学生みたいな煽り方をしてくるアイーマの頭領シャアク。精霊様達がシャアクの同行を修行に丁度良いと話しているのを聞いて、強気の姿勢を崩さない。

 

 “海の精霊様”である海姫様の海流操作によって、既にまともに陽の光が届かない深さまで来てしまっている事もあり、倬は苦虫でも噛んだかのように口を曲げる。

 

「……はぁ。海姫様に感謝して下さい。本来なら絶対に連れて行ったりしませんよ」

「なぁに、もうアイーマにこの命を捧げてる身だが、それでも生粋の魔人族だ。そこいらの人間族よりは役に立つって。そんなに心配するな」

「駄目だ、安心できる要素が見当たらない……」

 

 シャアクは確かに強い。とは言ってもあくまで現代のトータスにおいて常識の範疇で、である。“解放者”達が造り上げた大迷宮の難易度の高さを考えれば、シャアク程度のステータスでは攻略には到底足りないのが現実なのだ。

 

 仕方なく、倬は魔法陣を束ねた手帳を取り出し、身体強化魔法に類する付与術を検討し始める。精霊契約を重ねてステータスを上昇させてきたのが理由で、付与術に頼る機会が減っていたので、復習にはなるかとこれ以上の文句を飲み込んだ。

 

「雷皇お兄ちゃん、何か見つかったー?」

「いや、それらしいものは見当たらないな。音々は変わった音とか感じないか?」

「うーん、特におかしな音は聞こえないかなぁ」

 

 精霊様達が積極的に海底を見回って人工物や魔力を放っている場所を探ってくれているのだが、今の所、大迷宮らしい建築物の発見には至っていないようだ。

 

 強引についてきて何もしないのも居心地が悪いと眼を凝らすシャアクだが、もはや自分の手の輪郭すら確認出来ない程の暗さに顔をしかめる。

 

「しっかし、暗すぎて何も見えないんだが、霜中は見えてんのか?」

「ええ、問題なく。自分は宵闇様と光后様との契約者なので、普通に」

「スゲェな、精霊契約ってのはよ」 

「ふふーん、凄いでしょう、精霊様は。もっと褒めてください。なんなら崇めてもいいですよ。“精霊祈祷師”の私が許可しましょう」

「お、おう……、なんかスゲェな、お前も」

 

 早朝にやっと現在居る海域を調査範囲に定め、お昼頃まで休憩。食事をとってから転移を繰り返して舟でここまでやって来て、かれこれ一時間は経過しているのだが、倬と精霊達の視界には海底に連なって(そび)え立つ岩壁しか入ってこなかった。

 

 岩肌を海水越しに撫でる海姫様も、思わぬ苦戦に悩んでいる様子だ。

 

「ぼくには何となくこの辺りの岩場が不自然に感じるんだが、どうにも決め手になるような入り口が見つからないな……」

 

 “海の精霊様”でも所在が掴みきれない事に、シャアクは苛立ちを滲ませて歯噛みする。

 

「くそ……、空振りだったか?」

「情報が足りてませんでしたね。となると、後の頼みですが」

「ふむ、そろそろだとは思うんだがな」

「? 何の話を――」

「むむっ、主殿! 魔物の群れにござる!」

 

 焦る様子を見せない倬と海姫様が話す“後の頼み”についてシャアクが聞こうとしたその時、魔物の気配を一足早く察知して、刃様が注意を呼び掛ける。

 

 増え続ける気配を追えば、夥しい数の赤黒い瞳が深海の暗黒を照らさんばかりに集まっているのが分かった。赤黒く浮かび上がるシルエットに、羽のようなヒレを目撃したシャアクが、驚きのままに声をあげる。

 

「うわっ、リューゲルじゃねぇか! 何だあの数!?」

「“リューゲル”?」

「“つばさ(うお)”の事だ! 矢みたく突き刺さって来んぞ!」

 

 魔物の名前を聞き返した倬に、シャアクは現れた魔物の別名と習性を告げて、警戒を促す。“つばさ魚(リューゲル)”はその名の通り、日本で言うトビウオにそっくりな魔物達だ。こちらの存在に気付き、海の中を跳ねるように向かってきていた。

 

「ほぉー、中々に大量だな」

 

 密集しながらも互いにぶつかり合うことのない、高度に統率されたリューゲルの動きに海姫様は感心しつつ呟く。

 

「何を呑気な!?」

 

 舟に頼って漁を行うアイーマの民にとって、数に任せて突撃を繰り返すリューゲルは特に嫌われる魔物の一つ。シャアクからすれば、遭遇したら退避にせよ攻撃にせよどちらかの対応を一刻も早く決めるべき魔物であり、のんびりと構えるなどあり得なかった。

 

 それでも、倬も海姫様も他の精霊様も特に何かをしようとする様子をみせないのだ。シャアクが焦るのも無理からぬことだった。

  

「そう慌てるな、丁度“後の頼み”が来たみたいだからな」

 

 海姫様がこう言い切ったのと同時に、“風固”が大きく揺さぶられた。

 

 思わぬ方向からの衝撃に振り返ったシャアクの視界を、掌程の大きさの、赤々とした瞳が通り過ぎる。

 

「……ッ!」

 

 リューゲルとは比較にならない程の巨大な魔物に、シャアクは声すら出せなかった。

 

「おぉ、流石は海の生き物ですね、“寝床”からここまで結構距離ある筈なのに」

「治優は、たぁ様が優しく強くしてあげたお陰だって思うなー」

  

 “風固”を横切った巨大な影が、猛烈な速度を保ったまま魚群に(かぶ)りつく。

 

「どれ、いい加減シャアクにも見えるようにしてやろうか」

 

 ゆったり広がっていく光后様の光が深海をそっと照らすと、巨大な影の正体が明らかになる。

 

 それは、頬の丸く白い模様が特徴の、巨大な鮫だ。

 

「おぉ、シロ! よーしよし、よく来たな!」

 

 海姫様が嬉し気に呼びかけると、その鮫はリューゲルの残骸をまき散らしながら、“風固”の周りをぐるぐると回り出した。この鮫は、かつて海姫様の“寝床”の隣でシャアクとガデルが遭遇した、“大きな(フカ)”と同じ個体である。あの洞穴に住みついていた鮫達は、海姫様が飼っていたペットだったのだ。

 

 飼い主である海姫様に呼びかけられ、機嫌よく体を捻らせるシロの背後では、シロの顎門から逃れた生き残りのリューゲル達が態勢を立て直し、再突撃の準備に取り掛かっている。

 

 だが、そのリューゲルの再突撃は、怪しげに赤っぽく鈍い光を放ちながら揺れる、直径一メートル超えの()が殺到した事で中断を余儀なくされてしまう。

 

 赤っぽく発光する五十以上の“傘”の正体。それは、シロの巨体が発生させた潮流に乗ってやってきたクヴァーザ(くらげ)達だ。

 

「これは、クヴァーザ(くらげ)なのか……?」

「魔物のクヴァーザで、マクヴァって名前にしました」

「変成魔法って言ってたか。……大鱶(オオフカ)と言い、いつの間にこんなことを」

「皆さんがお昼に休んでる時にちょちょいと。海を自由に泳げる彼らの知恵も借りられるかなと思いまして」

 

 “魔物や動物に知恵を借りる”と言う発想に言葉を失うシャアクだが、シロと呼ばれた鮫の口元が、悪戯っぽく笑みを浮かべているように見えてしまい、話を聞く意味があるのかと問い質す気にはならなかった。

 

 相変わらず、さも当然のように鮫に話しかける海姫様。

 

「どうだ、シロ。“あいつ”は見つかったか?」

 

 この質問に、シロは全身を左右に振って“No”を伝えてきた。

 

「そうか……、“あいつ”なら何かしら知ってるんじゃないかと期待したんだがな」

 

 残念そうに俯く海姫様に、シロは陸に向かってヒレをツンツンと動かしてみせる。

 

 その方角には、シロよりは小さいが同種と(おぼ)しき鮫が六匹と、二十匹近いマクヴァが何かを中央に庇うようにして、こちらへと向かって来ているではないか。

 

 行列から抜け出して、全長十センチぐらいの魚が一匹、倬の正面までやってくる。

 

 やってきた魚は、あどけなさを感じさせる人の子供によく似た顔を持っていた。

 

『ねぇねぇっ! 人間さんがシロさんを強くしたってホントなの!? 人間さん! オイラも強く出来る? ねぇねぇっ、オイラの事も強くしておくれよー!』

 

 前もってその特徴を聞いていたとは言え、愛嬌のある子供の顔を持つ“シー○ン”みたいな魔物の登場に驚いてしまった倬だったが、技能“常時瞑想”によってすぐに気を取り直し、送られてきた“念話”に返事をする。

 

『“念話”出来るだけでも十分凄いと思うけど?』

『うわうわうわっ! すごーい! 人間さんなのにオイラの考えてること、ホントに分かるんだ!』  

『精霊様のお陰でね。それにしても、どうして強くして欲しいのか聞いてもいい?』

『オイラね! たまにしか帰ってこないとーちゃんより強い男になって、かーちゃんとかねーちゃんとか、家族の皆を守ってあげたいんだ! だからお願い! オイラを強くしておくれよ!』

『……そっかぁ、立派だなぁ』

 

 胸ビレをバタつかせ瞳を輝かせる人面魚と、何故だかホロリとしている倬を交互に見るシャアクは唖然としている。

 

「おいおい……、“リーマン”の稚魚だと……?」

 

 この人面魚は一匹ではなく、更に二匹がこちらに“念話”を送ってやって来た。

 

『もー、勝手に泳いで行ったら駄目でしょー!』

『“海の精霊様”ーっ。お久しぶりですー』

『ふふ、遠くまでわざわざすまないな。息災だったか?』

『はい。母子(おやこ)共々、何とかやっておりますー』

  

 弟を叱るお姉ちゃんに、海姫様へ挨拶をするお母さん。海姫様とはずいぶんと親しい間柄のようである。

 

「リ、“リーマン”の雌が二匹!? こんな外洋に出てくるもんなのかっ」

 

 人面を持つ魚型の魔物“リーマン”。固有魔法に“念話”を発現していると言われ、非常に知能が高い事で大陸西の町では知る人ぞ知る珍しい魔物だ。

 

 先程からシャアクが一々驚いているのは、知能の発達した“リーマン”は危機回避能力に長けており、滅多にその姿を見られないからと言うのが主な理由である。特に雌の“リーマン”や稚魚は、人が訪れる様な場所にやってくる事は無く、そもそも雄雌の区別は無いとの説を唱える学者もいる程なのだ。

 

 これは余談だが、アイーマでは“リーマン”の雌の存在が古くから言い伝えられており、(つがい)を持つ前の雌を“オーエル”、雄と行動を共にして子供を授かる前を“ニーズマ”、子育て中になると“カーサン”と呼び方を変えていたらしい。

 

『初めまして、“海の精霊様”の契約者、霜中と申します。突然呼びつけた上にこんな所までご足労頂いて、申し訳ありません』

『あらいやだ、いいんですよぉ。“海の精霊様”には嵐の日なんかに匿ってもらったりして、沢山助けて頂いてるんですからぁ。これくらい苦労でもなんでもありませんよぉ』

 

 完璧にコミュニケーションが成立している事実に、倬は内心で舌を巻いた。大陸中央で出会ったダッシュの思考の明確さとは異なり、リーマンの知能は人間のそれと全く遜色を感じなかったのだ。

 

「おい、霜中、会話してるってんなら俺にも聞かせてくれ」

「そうですね、色々と方法はありますが……」

「はーい! そう言う事なら音々におっまかせー!」

 

 むんっと張り切る音々様が機嫌よく倬の頭に乗っかると、“念話”を音に変換して、シャアクにも聞こえるように“風固”の中で響かせてくれる。 

 

「せーれー様、せーれー様! 聞いて聞いて! オイラね、オイラね! こないだ他の魔物を追っ払えたんだよ!」

 

 リーマンの子供が普通に喋っているのを聞いて、小さく「うおっ……」と声を漏らすシャアク。本当に驚いただけで、ダシャレのつもりは無いらしい。

 

「おー、そーかそーか。少し見ない間に坊やも成長したなぁ。ところで“あいつ”、坊や達の父ちゃんはどうした? もしや、またいつもの悪い癖か?」

 

 穏やかな表情にほんの一瞬だけ怒りを浮かべ、“カーサン”が頷く。

 

「……はい、またです」

「やれやれ、“あいつ”の放浪癖にも困ったものだな」

「何時もの事ですから、もう慣れっこですわ」

 

 どうやら、夫であるリーマンは放浪癖を持っているようだ。海姫様も呆れているが、同時にそんなリーマンだからこそ、何かしらの情報を持っていないかと期待していたのだった。

 

「しかし、そうか。“あいつ”ならこの辺りで建物か何か見たことがあるかと思ったんだがなぁ……」

「この辺りですか? アタイ達、とーちゃんと一緒に来たことあるけど、何にもなかったですよ?」

「そうですねぇ。……そもそもどういった建物をお探しなので?」

 

 大迷宮について説明すると、“カーサン”は少しの間()()()()()()()から、パッと明るい顔を見せてくれた。どうやら何か思い出してくれたようだ。

 

「そう言えば、私の母から聞いた話に、“月夜の晩には行ってはならぬ。海に真っすぐ光が刺せば、アレが()()()と目を醒ます。腹を空かせたアレが来る”――なんてモノがありましたわ」

 

 シャアクはこの話に何か思い当たる節があると、顎に手を触れてアイーマの教えを思い返し、その内容を語る。

 

「今の話に似た内容の教えがアイーマにもある。“万が一、夜の海で光線を見たら何を捨ててでも逃げろ”ってな。てっきり、舟で光系の攻撃を避けるのは厳しいって程度の話なのかと思ってたんだが……」

 

 “光線”と言う単語に、“光の妖精”ひかりちゃんが輝きを振り撒きながら、倬の肩によじ登ってきた。

 

「ふむふむ、となると“月”と“光線”が大事なんだなー?」

「月が関係するとなると、夜まで待つ必要があるんでしょうか……、ちょっと面倒ですが」

 

 海面を見上げれば、僅かにだが陽の光が揺れているのが確認できる。夜の訪れまではまだまだ時間がありそうだと倬は溜息を吐いてしまう。

 

 零された溜息の隣ではシャアクが指を折って何かを数え始め、次第に顔色を青くさせていた。

 

「あ゛ッ」

「シャアクさん?」 

「駄目だ、霜中。今日は……、月が光らない」

「え゛……?」

「今日は“影月(かげづき)”だ。月は浮かんでんのに、影にでも包まれたみたいに少しも光らねぇ」

 

 よりにもよって今日は、現代日本においては“新月”と呼ばれる月が完全に光らない日なのだと言う。シャアクは肩をがっくりと下げ、手で顔を覆って落ち込んでいる。

 

 あまりのタイミングの悪さに、倬も思わず顔を顰めてしまう。

 

「こ、ここまで来て出直せと……? それはちょっとイヤだなぁ」

「うーむ、“月の精霊”が居れば月明かり位一発だったんだがのぅ……」

 

 土司様も、これからの旅で探す予定だった“月の精霊様”の不在を残念がって、体を縮ませている。

 

「月の光か……」

 

 出直す必要に気分を落してしまった一同を見回していた森司様が、土司様のつるりとした灰色の頭部を見つめて、くるくると回していた葉っぱを止めた。

 

「なぁ、皆、僕にちょっと考えがあるんだが」

 

 

 深海の暗がりを、“暗闇”が塗り替えていく。

 

 “暗闇”の中にはつるりとした丸い物体が浮かび上がり、その球体から放たれる柔らかな光が、心を穏やかにしてくれるかの様だと倬には感じられた。

 

「宵闇、もちっとわらわの光を絞れるか」

「………………こう、か?」

「…………よいくんも、手伝う」

「もう少し……、そうそう、良い感じじゃないか? どうだ、空姫」

「そうね~、夜空としては少し暗すぎるかしら~。霜様、“キラキラ”を足してもらえる?」

「この辺りですね? では、__“輝粉(きっぷん)”」

 

 その身の闇を海中に広げる宵闇様と“闇の妖精”よいくん、光の強さを細かく調整している光后様。夜空らしさを監修する空姫様とその“空の妖精”くぅちゃんは、倬が呼び出した“輝粉”を海に散りばめて、星々の演出に利用している。

 

 周囲に広がる闇の外から頭部だけを内側に突き出す“大地の精霊”土司様は、この状況を最高に楽しんでいるらしかった。

 

「どうかのぅ! 今儂、輝いとるかのぅ!」

「ああ、凄いぞ。凄い輝いている。“月の精霊”にも負けていない。僕が保証しよう」

 

 “土司様のつるっとした頭部に、光后様が闇に隠れながら光を当て、月光を再現する”。森司様が提案した内容を端的に言えばこんな感じだった。

 

「「「「つっちー! “むーんらいと、でんせーつ”!」」」」

「すごいや、すごいや! せーれー様ってやっぱりすごいねっ、ねーちゃん!」

「ホントね! 流れ星も流れるのかな! アタイ、流れ星見たい!」

 

 土司様の頭部から照り返される光は、想像以上の月光らしさを見せ、つっちー達も“リーマン”の姉弟も大はしゃぎである。

 

「いや、こんなんで良いのか?」

 

 ただ一人、シャアクだけは怪訝そうな表情を浮かべている。妻アーニェを回復させる可能性に賭けて一秒でも早く大迷宮に挑みたいシャアクからすれば、目の前で行われている冗談のような発想を受け入れるのは、少々難しかったのだ。

 

「まぁ、駄目で元々ですから。それに理屈は通ってますよ、月ってのは太陽の光を跳ね返してるわけで」

「……なんの話だ、それ」

「あれっ、伝わりませんか?」

 

 月照の仕組みについて、倬から簡単な説明をされたシャアクの表情は悩まし気なもの変っていく。

 

「魔人族の間じゃ、“闇を恐れる幼き我らを哀れんだ神によって、夜を照らす月が(もたら)された”って言われてるだが……」

「あー……、そう言う感じですか。まぁ、天体の運動と信仰が結びついちゃうの、トータスなら尚更仕方ない気もします」

 

 魔法が常識として存在するトータスには、“占星術”も当たり前に存在する。“占星術”の結果に対する信頼は占う者の力量によるのだが、占いに関係する天職持ちともなればその占いの的中率は跳ね上がる事が知られているのだ。

 天体を魔力的・霊的な存在と認識して、神との繋がりを想起するのは、現代の地球でも根強く残っている感覚である事を考えれば、“ファンタジー”と共に生きるトータス人であればごく普通の感性と言っていいだろう。

 

「キレーだけど何も起きないねー」

「かーちゃん、オイラもう飽きたー」

「こら! 精霊様に失礼でしょっ。もう、うちの子達ったらごめんなさいね~」

 

 十分少々、“精霊プラネタリウム”でお月見を続けても、どこからも光線が出る事は無かった。大きな変化の無い景色に、“リーマン”の姉弟は早くも飽きてしまっている。

 

(月が出るだけで入り口が現れるってのは、条件としては弱い? そう言えば、大樹(“世界樹”)と【神山】の迷宮に挑むには証が必要だったけど……)

 

 条件が揃っていない可能性に思い至り“宝箱”に手を伸ばすと、倬の手がふにっとした感触に阻まれた。

 

「うみ゛ゃッ!」

「お、おぉっと。うみちゃん? ごめんなさい、大丈夫ですか?」

 

 “宝箱”の中から出てくる所だった“海の妖精”うみちゃんを抑えつける形になってしまったらしい。咄嗟に謝る倬に対して、うみちゃんは乱れた髪を急いで直して、つんとそっぽを向いたまま、淡い光に包まれた丸いペンダントを頭の上に掲げて、倬に渡してくれる。

 

「……ふ、ふん! へーきだ。それより、探そうとしたの、なんか光ってるコイツだろ?」

 

 うみちゃんは倬に先んじて“宝箱”の中を調べ、精霊様達によって再現された月光に反応したグリューエン大火山攻略の証を持ってきてくれたようだ。

 

「ありがとうございます、うみちゃん。……これはこれは、また手の込んだ仕掛けですね」

 

 証に刻み描かれているのは、ランタンを持ち上げて周囲を照らす仕草の女性。ランタン部分だけがくり抜かれ空洞になっているのだが、ペンダントを覆っていた輝きが、ランタン部分に集まり、底の方から少しずつ光が溜まっていた。

 

「上手くいったみたいだのぅ! 儂の輝きが集まっとるのぅ!」

「ああ、僕の勘もまだまだ鈍ってはいないようだ」

 

 元来実験好きの土司様と森司様は、月明りの再現に成功したとあって、非常に満足そうい笑い合っている。二人を遠巻きに見る風姫様は、土司様の美しく光る頭部に何だかげんなりしていた。

 

「ほんとに成功しちゃったわね。まぁ、確かに輝いてるわよ土司様。……“大物感”はゼロだけど」

「でもでも、ふぅちゃん、このペンダントは好きー!」

「……ま、ペンダントが綺麗はなのは認めるわ」

 

 他の精霊様もカーサン達も、この仕掛けに感嘆の溜息を漏らす。中でも、魔道具に関する知識を多少なりとも持つシャアクは興味が尽きないようだ。

 

「“解放者”ってのはスゲェんだな。どうしたらこんな小さいペンダントに魔法陣を打ち込めるんだか」

「攻略の証自体がアーティファクトなんでしょうね。“解放者”オスカー・オルクスさんはアーティファクトを作れたらしいので。ちなみに自分の持ってるローブと杖、あとこの箱はオスカーさんによるものです」

 

 倬は“悠刻の錫杖”を手放しで操作して、シャランシャランと音を鳴らして見せる。触れていなくても使用者の思考を読み取り、空中を自在に飛ばすことが出来るばかりか、魔法発動の起点にまで出来るアーティファクト。特に魔法陣を内部で構築する機能の凶悪さは、実際に立ち向かったシャアクにとって恐るべきものだった。

 

「納得した。常識って何だろうな」

「あははは。自分も最近よく考えますよ。“常識ってなんだっけ?”って」

「……非常識の塊のくせに?」

「何をおっしゃるんですか、僕の半分は常識で出来ていますよ」

「半分は非常識だってのは認めてんのか……」

 

 皮肉めかした言葉をさらりと受け流されたシャアクが呆れていると、ペンダントのランタンが光で満たされ、全体に光を放ち始める。

 

 一瞬、戸惑ったようにペンダントが震える。震えに続いて、ランタンから“光線”が放たれた。宵闇様が用意した海中に広がる“暗闇”の中を、“光線”は三百メートル程真っすぐに突き進み、途中で急なカーブを描いて、海底の山脈を巻き込むように死角に入って行った。

 

「ぼくらが探していたのは、入り口の反対側だったみたいだな」

「挑戦する為の条件がノーヒントってのは結構酷いですね……。リーマンの皆と、森司様が居なかったら普通に出直すしかなかったかもしれません」

「本当だな。お前達のお陰だぞ。ありがとうな、カーサン」

「いえいえ、“海の精霊様”のお役に立てて光栄ですわ」

 

 リーマンの姉弟も、お母さんが褒められているのが嬉しいようで、ニヨニヨしながら背ビレを激しくパタパタさせている。そんな姉弟の泳ぐ速さに合わせて、従えている魔物達と共に“光線”を追いながら、倬は弟君に話しかける。

 

「強くなりたいって言ってたけど、弟君はどんな風に強くなりたいのかな?」

「! えーっとね、えーっとね! オイラね、家族皆でとーちゃんと一緒にほーろーしても大丈夫なくらいに強くなりたいな!」

「ふむふむ……。それじゃあ、防御メインで攻撃にも応用効く感じが良いか……」

「いーの!? 本当に強くしてくれるの!?」

「お母さんとお姉ちゃんから許してもらえたらね」

「絶対だよ! 今すぐ聞いてくるからっ! かーちゃーん! ねーちゃーんっ!」

 

 ぴゅーんとお母さんとお姉ちゃんの元へと泳いでいく弟君の後姿を見ていると、眼下の岩壁にランタンから放たれる“光線”が触れ、深海に鈍い地響きが轟いた。ゴゴゴと海に震動を伝えながら、岩壁が二つに裂けるようにして左右に分れ、その先を見ることが出来ない程の漆黒の如き入り口が出現する。

 

 入り口が開いた事で、僅かに潮流が変化し流れも速くなる。これがきっかけだったのか、再びトビウオモドキの魔物“リューゲル”が姿を見せ始めた。集まったリューゲルの数は、先程の群れよりも三倍近くに膨れ上がっている。

 

「どうやら、こっちが“本隊”のようだ。オレが視た限り、まだまだ増えそうだぞ」  

 

 腕を組んだまま閃光を走らせ、周辺の様子を確認した雷皇様が、物陰に潜み攻撃の機会を窺っているリューゲル達について教えてくれた。

 

「かなり多いけど、シロ、マクヴァ、強化魔法の必要は?」

 

 新しく仲間とした魔物達に、どこか試すような口調で倬は訊ねる。

 

 これに、シロはガチンと顎を閉じ、凶悪な歯並びを倬に見せつけた。両方の胸ビレをくいっと捻り、アメリカンなおどけた態度を示した巨大な鮫は、そのままミサイルもかくやと言わんばかりの速度で、敵集団目がけて突撃を敢行する。

 

 シロの後を追い、他の鮫とマクヴァ達も飛び出していった。

 

 巨大な鮫がその体を激しく回転させ、リューゲルの群れの中心を貫く。中央の仲間達が突如として抉り飛ばされ、リューゲル達がほんの数秒動きを止めたところに、後続の鮫が襲来する。深い海の底が瞬く間に赤黒く色を変えていった。

 

「なんだありゃ……」

「いやぁ、あんな使い方は教えてないんですが、こっちが思った以上に使いこなしてて驚きますね」

 

 シロを始めとする海姫様のペットの鮫達は、水系魔法“削水”に由来する固有魔法“鑢革(やすりがわ)”を発現していた。この固有魔法は全身に細かな“削水”に相当する水流を発生させ、触れたものを削る事で傷を負わせる効果を持っているのだが、シロ達はこれを体当たりや噛みつきと組み合わせて活用し、ただ発動しているだけでも相当な威力を誇る固有魔法に回転を加えることで、貫通力を持たせたのである。

 

 シロ達の猛攻から後退する他ない一部のリューゲル達だったが、ぶよぶよとした赤っぽい“傘”に遮られてしまう。膨らみ上がった一匹のマクヴァの大きさは、直径五メートルはあった。これがマクヴァの固有魔法”膨水(ぼうすい)”だ。自らに取り込める水分量を高め、取り込んだ分だけ体を大きくすることが出来る。

 

 “傘”に触れただけのリューゲルが何故かそのまま動きを停め、海の中を漂う。マクヴァがクヴァーザ(くらげ)であった時から生来持つ“痺れ毒”が、“傘”に触れた外敵の自由を次々と奪っているのだ。気がつけば、大迷宮への入り口周辺は、まさに死屍累々と言った様相へと変貌を遂げていた。

 

「アタイ、シロさん達よりマクヴァさん達の方が、ちょっとだけ怖いかも……」

「大丈夫だよ、ねーちゃん! オイラはもっと強くしてもらうもんね!」

 

 リューゲルが誇る数の有利を物ともしないシロ達の戦いっぷりを見ながら、リーマンの母子が倬の傍へとやって来る。期待に胸を膨らませている弟君の様子を見る限り、変成魔法で強くしてもらう許可は貰えたようだ。

 

「念の為確認しますが、お母さん、本当によろしいんですか?」

「はい。と言うか、私からもお願いしたい事がありまして」

「と言うと、お母さんも強化を?」

「出来れば、でいいんですが……」

 

 カーサンは、神妙な面持ちで躊躇いを滲ませ、少しだけ言葉を溜めて――。 

 

「その……、ウチの人が返ってきたときに、思いっきり引っ叩けるような力が頂ければなー、なーんてっ」

 

 語尾に「キャハッ☆」とでも付きそうな、ギャルっぽいテンションで言い切ったカーサン。その表情は凄く明るい。

 

「おっと、これは想定外。自分は構いませんが、本気です――、ね、本気なんですね。分かりました」

 

 表情は明るいのだが、倬の顔に詰め寄って来るカーサンの瞳は笑っていない。そこに見える言い知れぬ気迫に、倬は二の句を繋げることが出来なかった。

 

 まだ見ぬ放浪お父さんの行く末に合掌しつつ、大迷宮入り口へ移動しながら、リーマンの母子に変成魔法による強化を施していく。

 

 大迷宮入り口すぐの洞窟には、シロ以外の鮫達が押し流されてしまう程の猛烈な激流が待ち受けていた。マクヴァ達に至ってはただただ流れに身を任せる他ないらしく、もはや洗濯機にでも入れられてしまったかのようだった。

 

「入ってすぐこれですか、海姫様が居なかったら空間魔法以外の選択肢が無いような……」

「ああ、光系の結界をただ球状に展開した所で、ここまで潜ってこれねぇしな。属性天職持ち十人集めても厳しい」

 

 海姫様の助力で、激流を無視してゆっくり潜航出来るからこそ、倬とシャアクはこんな風にここまで来ることの条件の厳しさを話し合えているのだ。どう見積もっても、五人前後の冒険者パーティーでは洞窟内部に侵入する以前に魔力枯渇に陥りかねないと言うのが、倬とシャアク共通の見解だった。

 

 その上、洞窟内にもリューゲルや他の魔物達が生息しており、流れに乗って攻撃を仕掛けてくる。激流を利用した魔物達の攻撃は強烈で、並みの防御結界では容易く貫かれてしまう事だろう。

 

 しかしながら以上の見解は、あくまで一般論に過ぎない。今回の迷宮挑戦者である倬とシャアクには、精霊様を始めとする一般的ではない心強い味方が居るのだ。

 

「あわわッ、こっち来たぁっ。アタイに近づくなってのにーー!」

 

 三匹のミノカサゴみたいな魔物に迫られたリーマンのお姉ちゃんが、“念話”で叫びながらぎゅっと眼を瞑る。すると、お姉ちゃんの泳ぎ去った場所に突如として小さな、だが強力な“渦潮”が発生し、ミノカサゴモドキ達は“渦”に巻き取られ、ミキサーにかけられたかのように滅茶苦茶に攪拌(かくはん)されてしまう。

 

「うひゃー、姉ちゃんすごいや! よーし、オイラだってぇ……」

 

 流れに逆らってスイスイ泳ぐ弟君は、自分より二回り以上も大きなウツボに似た魔物に堂々と向かい合い、海に対して鼻先でツンツンと突つくような動きを繰り返す。

 

 弟君の仕草に馬鹿にされたとでも感じたのか、ウツボモドキはその口を大きく開き、全身に力を込めて水をかく。高速で泳ぎ、弟君を襲わんとしたウツボモドキだったが、何も無いはずの海中で不可視の何かに衝突してしまう。頭部を強かにぶつけ、意識を飛ばしかけるウツボモドキの眼は、まだ幼い少年だが、確かに勇ましい表情の“リーマン”を目撃した。

  

「ここからッ、いなくれー!」

 

 掛け声とともに、ウツボモドキの身体がぶわりと持ち上げられ、洞窟の壁に叩きつけられる。弟君は、圧縮した複数の水の塊を操り、この洞窟の激流まで利用して相手の巨体を投げ飛ばしたのだ。

 

「ふふふ、子供達には負けていられないわね!」

 

 我が子の活躍をにこやかに見守るカーサンの背後には、既に百匹を超えるリューゲルがただ激流に翻弄されているのが見える。

 

 明らかに戦闘向きの外見ではないリーマンの雌に、理解できないまま倒されるものかとでも思ったのだろうか、リューゲル達がその赤黒い魚眼を濁らせて殺到する。

 

「お、今日のカーサンはいつにも増してモテモテだな。“あいつ”が妬くぞ?」

「やだもう、“海の精霊様”ってば。私はもう、あの人と子供達で十分満足しています……――わッ!」

 

 バチンッ! 海中ではおよそ聞くことの無いはずの、何かを叩いた音が洞窟に響き渡る。たった一度、ただ一度だけのカーサンの攻撃がリューゲル達を壊滅させしまった。

 

 これには海姫様も苦笑いだ。

 

「お前達三人とも、見事に使いこなしているじゃないか。驚いたぞ」

「いえいえ、私なんか操った水で軽くビンタしてみただけですから」

 

 謙遜するカーサンの台詞に、シャアクの頬はヒクヒクと引き攣った笑いを浮かべる他なかった。

 

「……アイーマの教えに“リーマンには手を出すな”ってのを追加しねぇといけねぇ。あんなの恐ろしすぎる」

「うーむ、三人とも“流体操作”が出来るようにしただけだったんですが、同じ魔物でも個性によって発現する固有魔法が変わるんですかね……? あるいはリーマンの知能の高さが影響してたり……? これはメモしとかないと」

 

 リーマンの母子に施した変成魔法は、海姫様との契約で得た技能“海共(かいきょう)”に含まれる“流体操作”を元にしたのだが、三人が得意とする操作はそれぞれ違うものになった。

 

 お姉ちゃんは水の中で任意の場所に“渦潮”を発生させられる。それもただの渦ではなく、超々高速回転の渦である。この渦に囚われた魔物達は、たちまち体をねじ切られてしまう程だ。

 

 触れた水を自在な形に圧縮し、意志によって操る事が出来る様になったのが弟君だ。海水でつんつんして水の塊を創り出し、不可視の壁を出現させたり、ボール状に固めた水を複数同時に動かして、自分より大きな魔物だって軽々と投げ飛ばしてしまう。

 

 カーサンに発現したのは純粋な“流体操作”だったのだが、扱い方が非常に独特かつ強力だった。胸ビレから水の鞭を伸ばした先に、自由な大きさ、自由な厚みの水で再現した()()によって、群れごとビンタしてしまうのである。リューゲルを始めとする、集団で戦闘を行う魚型の魔物達はカーサンのビンタになすすべが無かったのだ。

 

 新たな固有魔法を得たリーマンの母子とシロが大活躍に、洞窟内の魔物を蹴散らしてもらいながら、周囲を確認しつつ潜航を続ける。

 

 洞窟に侵入して百メートル手前で、“癒しの妖精”ちぃちゃんが「あっ」と声を漏らした。

 

「たぁさま、たぁさま! またペンダントが光ったよー! きれーねー」

「あれ、ここでも証が必要って事でしょうか、どんな仕掛けが……」

 

 ちぃちゃんに見せられた証のランタンには、確かにまだ光が残っている。倬が証を受け取り、観察しようと少しだけ持ち上げると、ランタンから再び“光線”が放たれた。光が向かう先には、大樹の傍や氷雪洞窟の扉で目にした、紋章の一つが刻まれていた。 

 

 紋章の大きさは五十センチ程。五芒星に似た図形の頂点から、ぶら下るようにして中央に三日月が配置される意匠の紋章は、ランタンからの光を受けて、僅かにだが光を放っている。証にくり抜かれたランタンに残された光の量が、先程よりも少しだけ減っている事から、紋章が複数あるのだろうと予想できた。

 

「こんな洞窟の中で、こんな小せぇ紋章探さなきゃならねぇのか、普通ならキツイなんてもんじゃねぇぞ?」

 

 シャアクがぼやくのも無理はない。ただでさえ視界の悪い海底の洞窟で、やはりと言うかヒント無しで紋章を探せと言うのは相当な難易度と言って良いのだから。

 

「まぁ、たまたまとは言え紋章を探せってお題が分かっただけ良しとしましょう。これも日頃の行いですかね」 

「自分で言ってんじゃねぇ」

 

 精霊様や妖精、魔物達とも協力して、メイル・メルジーネの紋章を探し出す。五つ目の紋章にランタンの明かりを向けると、ドーナツ状に繋がった洞窟の中央の一部が割れ始める。

 

 割れた岩壁の先に出現した下へと向かう新たな通路を、倬達は警戒を強めながら進んでいった。周囲には特に罠らしいものも見当たらない。少々拍子抜けしていると、誰よりも早く通路に飛び込んでいったシロが、慌てた様子で戻って来た。

 

 戻ってきたシロは、鮫特有の厚みのある胸ビレを必死に折りたたんで何やら伝えようと頑張っている。どうやら、“×(バッテン)”を表現したいようだ。 

 

 海姫様が少し残念そうに、頑張ってくれたシロの鼻先を撫でている。

 

「どうやら皆はここまでのようだな。倬、シロが言うには、ここから先で一度海水が途絶えるらしい。この先には、空洞が広がっているようだ」

「そうですか……。残念ですが、皆にはこの辺りで引き返してもらいましょう。この先にどんな罠が待ってるか分かりませんしね」

 

 倬がそう言うと、リーマンの弟君がウルウルした目を向けてきた。

 

「オ、オイラはへーきだよ! ほらっ、こうやって、きとーし様がくれた力で水を体中に貼りつければ――」

「よしなさい! “海の精霊様”も祈祷師様も、私達の事を想って、帰るように言ってくれてるんだから」

「でもでも、せっかく強くなったのに! ねーちゃんだって一緒に戦いたいよねっ?」

 

 弟君に頼られたお姉ちゃんは、眼を瞑ったまま全身を横に振る。

 

「“海の精霊様”を困らせちゃダメ。ダメったら、ダメなんだよ……」

「ねーちゃん……」

 

 姉弟は“海の精霊様”だけでなく、力をくれた倬にも懐いてくれた。変成魔法に備わっている主従に対する刷り込み効果は出来る限り抑えているので、純粋な形で倬に親しみを覚えていたようだ。

 

 リーマンはあらゆる魔物の中でも特に知能が高い。同程度のコミュニケーションをとれる魔物は同じリーマンくらいなもので、()()()()()()()()()()人間でも“念話”で話が出来る者と言うのは倬が初めてだった。魔物であると理解しながらも、意志あるものとしてちゃんと会話した倬は、姉弟にとって貴重な存在だったのだ。

 

「海姫様の“寝床”になら何時でも行けるから、皆で遊びにきてくれると嬉しいかな」

「ほんとに? オイラのこと、また強くしてくれる?」

「これ以上はちょっと、どうかなぁ……。けど、“流体操作”の練習は一緒にできるよ。お姉ちゃんもね」

「アタイ、もっと上手に渦を巻けるように頑張るっ」

 

 ぐずっていた弟君も納得してくれたようで、姉弟はお母さんに引っ付いて泣きそうになるのをこらえている。カーサンは姉弟の頭をヒレで優しくポンポンして微笑んでいた。

 

「それでは海姫様、うみちゃん。皆の事、“寝床”まで送ってもらっていいですか?」

「ん、わかった。こどもたちはうみちゃんが連れてく」

「なら、シロ達はぼくが転移させよう。すぐに戻るから先に進んでてくれ」 

「では、皆様、祈祷師様、お体にお気を付けて。また会える日を家族ともども楽しみにしていますね」 

 

 細かな泡がリーマンの母子と、シロやマクヴァを包み込んでいく。海姫様の“精霊転移”を見送った倬は、足元に揺れる水の境界線に飛び込んだ。

 

 バシャッと“風固”を解除し、地下に広がる空洞の中空に倬は浮かぶ。

 

「さて、皆のお陰でここまでかなり楽をさせて貰えました。ここからは頑張っていきましょう! ね、シャアクさん」 

「うるせぇ、この持ち方っ、なんとかならねぇのかっ!」

 

 しんみりした気分から明るくしようと振舞う倬の手元には、襟首を掴まれて猫みたいにぶら下げられたシャアクが文句をつけている。実は弟君達にもらい泣きしそうになっていた所だったので、ぞんざいな扱いを受けている落差にご立腹なのだ。

 

「ここでただ着地しちゃうと()()の餌食になっちゃうみたいなので、すいませんけど我慢して下さい」

「アレ……? ……ぅげッ」

 

 倬が操作する錫杖が差す天井を見れば、そこにはフジツボに似た貝類がびっしりと張り付いている。

 

「一つひとつはあまり大きくはありませんが、しっかりと魔力を感じます。あの見た目からして、なにかしら噴き出す類の魔物でしょう」

「どうすんだよあの数……」

「悩みどころですが……。ふむ、__“惑霞(まどいがすみ)”。“先を見据えぬ霞は色濃く、覆いて到るは然るに任せん”」

 

 天井が濃霧に包まれたのを確認し、倬は音をたてないよう静かに地面へと降りる。

 

「__“燃維”、“我が身の熱を更に織り上げ、猛る灯はその射光を強めよ”っと」

 

 部屋の中央に“燃維”の火の玉を出現させ、追加詠唱により、その炎を大きくしていく。

 

「この後は?」

「いえ、これで終わりですよ?」

「あ゛? いや、まさか」

「そのまさかです」

 

 この会話の直後、ボトっと鈍い音が一つ広い部屋に響いた。落ちてきたのは紛れもなくフジツボ型の魔物。これをシャアクが理解すると、部屋の中に大量のフジツボ達が降り注ぎ始める。

 

 “燃維”の熱を“惑霞”に伝え、天井丸ごと蒸し焼きにしたのだ。

 

「ひでぇ倒し方しやがる」

「きっちり蒸し上げましたが……、食べます?」

「いくら貝っつっても魔物だぞ、殺す気か!」

「漂う匂いは貝らしさがあってと悪いモノでは無い故、これらが魔物なのが悔やまれる所にござる」

「攻略終わったら、また貝串食べに行きましょうね、刃様」

 

 加熱されたフジツボモドキの独特な良い香りを嗅ぎながら歩き、部屋から伸びる通路の手前で倬はシャアクを呼び止める。

 

「忘れる所でした。シャアクさん、この先へは強化魔法付与してからにしましょう」

「実力を信用されてねぇってだけじゃねぇんだよな? 正直言えば癪だが、その辺は霜中に従うさ」

「素直に聞いてもらえると助かります」

 

 シャアクに様々な強化魔法を重ね掛けし、万一に備える。耐性強化の“硬々”、全体の身体強化の“逞熱”、随時傷を癒す“恒癒(こうゆ)”、同じく随時魔力の回復と移譲を可能にする“贈照(ぞうしょう)”等々、使用した魔法は多岐に渡り、倬は満足そうに鼻をならす。

 

「ふー、こんなもんでしょうか。さぁ、シャアクさん、どんどん魔法使ってください。自分が傍に居る限りどれだけ魔力を無駄遣いしようが魔力枯渇になんかさせませんよ」

「何か妙に張り切ってないか、お前」

 

 錫杖をシャカシャカ振る倬を訝し気に見るシャアクに、空姫様は幸せそうな微笑みを浮かべて耳打ちをする。

 

「霜様、久しぶりに他の人の子と一緒に後衛職らしい仕事が出来て嬉しいみたいね~。最初に“祈祷師”を調べてた頃を思い出しているんじゃないかしら~」

「俺も別に前衛ってわけじゃねぇんだが……。まぁ、魔力の随時完全回復なんて魔人族にとっちゃ夢みたいなもんなので、有難く使わせてもらいます」

 

 先に歩き出した倬がシャアクに振り返り、真剣な眼差しを向ける。意識が切り替わったのかと思い、少し背筋を伸ばすシャアクに対し、倬は堂々と言い放った。

 

「それでは、作戦は“いのちだいじにがんがんいこうぜ”で」

「唐突にボケ挟むのマジで止めてくれ……」

 

 

 通路を進むと、途中から足元を海水が満たすようになり、既にその水位は倬の膝上まで上がっていた。脚の長いシャアクにとってはこの水位で膝下なのだが、その辺を言及するのは優しさに欠けていると言えよう。

 

「シャアクさん、次、二匹です」

「――“風刃”ッ」

 

 高速で回転し飛来してくるヒトデ型の魔物を、シャアクの“風刃”が一匹を両断し、もう一匹の触腕先端を切り落とす。倒し切れなかった一匹は、回転速度を落としながらもシャアクの脚に狙いを定め、体当たりで一矢報いんと攻撃を続ける。

 

「チッ、めんどくせぇ!」

 

 舌打ちと共に、横薙ぎに抜き放たれたサーベルが、今度こそヒトデモドキを完全に切り裂いた。

 

「奥から三匹、“長いヤツ”来ます」

「くそッ、詠唱してる暇がねぇ! 援護頼むぞ」

「了解です」

 

 奥から足元の水中を泳いでくるのは海蛇型の魔物達が中心だった。シャアクが言うには、西の海辺で見かける強力な毒を持った蛇型の魔物と特徴が似ているらしい。

 

 毒に警戒するシャアクはサーベルの間合いギリギリをまで魔物を引きつけ、水面を掬い上げるようにして斬り付ける。 

 

 サーベルが一匹の海蛇モドキの鼻先を掠め、隣で泳いでた仲間達を僅かにだが押し戻す。

 

 そこへ倬が錫杖を構えて飛びかかり、魔力刃で一匹を串刺しにして、そのままもう一匹を切り払った。倬が自分より前に移動したのを確認したシャアクは、サーベルを突き出し、腕とサーベルの長さを利用して魔法に必要な距離を測る。

 

「――“破断”」

 

 シャアクが素早く詠唱を終え魔法名を告げると、“破断”の中に三匹目の海蛇が囚われて鞭のように伸びていく。シャアクは、逃げ出そうとした最後の一匹の位置を確認し、瞬時に魔法に利用する海水の位置を指定して、海蛇モドキを捕まえてみせたのだ。

 

「喰らいやがれっ」

 

 魔物を捕らえたまま、壁に“破断”が叩きつけられ、海蛇モドキはぐったりしたまま水に沈んでいった。

 

「うし。面倒は面倒だが、これくらいなら強化魔法無しの素の俺でも何とかついてけそうだ。霜中、心配し過ぎだったりしないか?」

「思ってたより魔物の数が少ないんですよね……。ここまで来るのが大変なので、その配慮でしょうか」

「これで少ない、のか……?」

 

 襲って来る魔物の勢いの無さに、倬はここが深海であるのが理由かと考えたのだが、胸元から顔を覗かせる雪姫様は疑問符を浮かべていた。

 

「アナタ様、“解放者”がそう言った配慮をなされる方々であれば、“極”の雪原を抜けた後で洞窟に用意されていた魔物の群れは度が過ぎているかと」

「火山とて普通の人の子がただ歩いて登るには十分厳しかろう。“解放者”達がそんな生易しい事をするとは到底思えんが」

「確かに、大迷宮に挑戦するのがそもそも難しいんでしたね。さて、となると……」

 

 雪姫様に同意する火炎様の言葉を裏付けるかのように、通路を歩いた先で待ち構えていた広い空間に、倬は異様な魔力の気配を感じていた。

 

「この先、ヤバそうなのか?」

「具体的には分かりませんが、”魔力感知”の効きが急に鈍くなりました。ヤな予感がします」

「色々視えるってもの大変そうだな。つってもよ……」

「はい、行くしかありませんね。“虎穴に入らずんば虎子を得ず”です」

 

 空間に足を踏み入れると早速周囲の壁から、どろどろとした物体がじわじわと滲み出だした。そのゼリー状の物体はたちまち入り口を塞いでしまう。

 

「何でもない粘液って事はなさそうか。不定形の魔物ってとこか?」

「入り口を通せんぼってのは基本として、出口らしい道が見当たらないです。倒さないといけないパターンでしょうか」

「この手の魔物、スライムやらパチュラムやらってのは厄介だぞ。戦闘訓練中だって遭遇したら退避が定石なんだが」

「そりゃ戦わなくていいならそうしますが、どうにも見逃す気はなさそうですよ?」

 

 中央で背中合わせになって周囲を警戒する倬とシャアク。それぞれの正面へ目掛け、ゼリーが触手状になって迫ってきた。

 

「__“疾駆”」

「うおぉあッ!」

 

 二人それぞれに触手から跳び退こうとする直前、倬が唱えた“疾駆”がシャアクの移動速度を上昇させ、シャアクは真横に五メートル程一度に跳ね飛んだ。それに追従する形で回避する倬は、転倒しそうになるシャアクの腕を引っ張り、強引に立ち止まらせる。

 

「なんかやんなら先に言ってくれっ」

「文句は後。慣れて下さい」

「くっそッ」

 

 一度回避を成功させた事で、ゼリー状の触手による攻撃のペースが更に加速していく。必死に避けるシャアクだが、次第に避け切れなくなり、倬による防御系の強化魔法が易々と貫かれ、マントの端が溶けてしまっていた。

 

「ちっ。やっぱ溶解能力くらい持ってやがるか」

「これも定番ですね。しかし、自分達みたいな野郎二人じゃ絵面が残念です。何のサービスにもなりません。これ以上服は溶かされないで下さい」

「ほぉー、さっすが、余裕じゃねぇか。誰に向けて何のサービスするつもりか聞かせてくれるか、祈祷師様」

 

 軽口に軽口で応じるシャアクだが、どうにか致命傷を回避するのが精一杯で、長々と詠唱している余裕はなさそうだ。シャアクが使う魔法陣は殆どをマントの裏地に縫い付けてある為、マントがこれ以上ダメージを受けるのも避ける必要があり、これもまた動きが制限される原因になっている。

 

(戦闘を長引かせるのは良くないか……。不定形で面倒なんだから)

「__“凍気”」

 

 自分とシャアクを中心に、凍える冷気を広げる。“凍気”は極寒に適応した魔物すら瞬時に凍り付かせる程の魔法だ。それが粘液状の魔物なら、容易く氷結出来ると踏んでの攻撃だった。

 

「マジか。氷系をこんな一瞬で使えんのか」

 

 氷塊を出現させずに、冷気だけを操る倬の氷系魔法に戦慄を覚えたシャアクを他所に、当の本人の表情は優れない。

 

 確かに空間全体を凍らせる事は出来た。触手の動きも止めた。だが、魔物を殺すまでには至っていなかったのだ。

 

 ゼリー状の魔物の動きから一時的に機敏さこそは奪えたものの、あっと言う間に()()()()()()()()()()()()()()()

 

 殆どのゼリーがその動きの自由を取り戻すと、ドロドロとした粘液が集まり、二足歩行のヒト型を形作り始める。宙に浮かび上がった魔物の大きさは十メートル程。極めて小さな赤い斑点が散らばった半透明な胴体から伸びる手や足は、五本指ではなく、魚のヒレを模している。大きな頭部には触角が二本伸びており、形容し難い姿はさながらミュータントと言った容貌である。

 

 そのヒト型となったゼリー状の全身が波打つのを見て、倬はシャアクに向けて叫ぶ。

 

「シャアクさん、回避!」

「うおッ」

 

 ゼリー状の身体のあらゆる所から触手を飛ばし、壁や天井からも触手が伸び、二人を襲う。倬は技能“先読”と派生技能“瞭顕(りょうけん)”を活かし、最適な位置に移動して回避出来る。シャアクも右に転がるようにしてなんとか回避を成功させたが、かなりギリギリだった。

 

 シャアクが立ち上がり、態勢を整えるまで待ってくれる様な相手ではない。ヒト型は逃げ場を奪わんとするかのように、頭部からゼリーを拡散するように噴き出した。

 

「……ッ! __“際巡(さいじゅん)”」

 

 ヒト型が撒き散らす飛沫からの防御に、倬は空間魔法“際巡”を唱え、自身とシャアクそれぞれの全身表面に、極めて薄く、かつ弱い結界を貼りつける。これが状況に即したベストな魔法かと言えば違うが、それでもどうにかゼリーを全身に被ってしまう最悪の事態を(しの)ぐ事には成功した。

 

「悪ぃ。助かった」

「あんな攻撃されちゃ仕方ないです。“際巡”だとゼリーが少しでも触れただけで突破されます。このドロドロ、ヤバい奴ですよ」

 

 どうにか触手からの回避を継続していると、神妙な面持ちの海姫様が倬の肩に踊り乗って現れた。

 

「悪いなシモナカ、今帰った」

「おや、お帰りなさい、海姫様。お見送り有難うございました」

「なに、何でもないさ。……それにしても、ぼくが居ない間に妙なのと戦っていたんだな。コイツの能力(ちから)、感じたか? あの、魔力が溶け出してしまったかのような能力だ」

「コイツの事ご存知なので? ……“魔力が溶ける”、もしくは“魔法が(ほど)ける”って感じがありました」

「この能力、ぼくはよーく覚えてるぞ。ぼくらがかつて“うわばみ”と呼んでいた、“魔獣”だ。カーサンが言っていた“アレ”とは、リーマン達が“悪食(あくじき)”と呼ぶコイツの事で間違いない」

「コイツが“魔獣”……、アーニェに寄生してるヤツと同じ古代の魔物だってのか……?」

 

 反対側の肩に雷皇様もやってきて、真剣な表情で魔獣“うわばみ”を睨む。

 

「コイツが“うわばみ”だとしたら、かなり力を強くしているぞ。オレが初めて見た時は、人の子の姿を真似するなんて出来なかったが……」

「これが“魔獣”なら、何か弱点とかご存知ありませんか?」

「“うわばみ”の溶解能力を超えて攻撃し続けてやっと黙らせられるって事ぐらいしか分かっていないんだ。それでオレ達も苦労させられた」

「精霊様を苦労させた相手ですか……。なら止むを得ません。__“拒境(きょきょう)”」

 

 倬達が閉じ込められている空間は洞窟内としてはかなり広いが、相手が魔獣“うわばみ”であると判明した今、まともにやり合うには狭すぎる。倬の発揮できる最大火力で吹き飛ばそうとすれば、シャアクの安全は保障できなかった。

 

 そこで、倬は独自の空間魔法“拒境”を発動、倬とシャアクを不可視の立方体の中へと匿った。

 

 “拒境”は、現状の倬が使用できるに空間魔法の防御結界の中で最も堅牢な結界だ。さしもの“うわばみ”と言えど、この結界は容易には超えられない。だが、倬が構築した自慢の神代魔法であっても“魔力を溶かす”能力の影響は逃れられず、結界の維持に膨大な魔力が消費されていく。

 

 ひとまず安全地帯を確保できた事に安堵するシャアクだが、同時に“うわばみ”に対して何も出来ていない事実に唇を噛む。

 

「これから、どうする」

「まぁ、色々方法は思い付くんですが……。光后様、“拒境”の維持ってお任せ出来そうですか?」

「どれどれ……、うーむ、わらわだけではちと難しいが……。空姫、確か“空間魔法”とやらを何となく好きと言っていたろ? 手伝ってくれるか」

「はいは~い、光后様に私が頼られるなんて、不思議な感じするわ~。えっとね~……」

 

 神代魔法を直接使う事は出来ない精霊様だが、一度魔法として発動してしまえば、追加で魔力を注ぐのは可能なのだ。ただし、“何となく解っている”事が干渉するのに必要らしい。

 

 結界の維持を光后様と空姫様にお願いし、倬は自分の手の平に意識を集中させる。

 

「えーっと、__“空箱(からばこ)”、からの__“界穿”っと」

 

 立て続けに空間魔法を唱えた倬の手元には、不可視の“箱”が創りだされ、その中にびちゃっと音を立ててゼリーが転移してきた。勿論、このびちゃっとした物体は魔獣“うわばみ”の一部である。

 

「お、おいっ! 何のつもりだ!」

「まぁまぁ、たぁ様に任せておけば大丈夫だから、落ち着いて。ね?」

「何か音楽でも流そっか? “りらっくす”しないとねー」

「いや、別に音楽は、その、……間に合っていますので」

 

 治優様と音々様に毒気を抜かれたシャアクは、問い質すのを諦め、倬がブツブツと何かの魔法を連続使用する様子を黙って見ることにする。

 

 倬の手元で今もウニョウニョしているのは触手を切り分けた一部でしかないのだが、それでも本体との繋がりは残っているらしい。これに対して、倬は変成魔法を試みているのである。

 

「う~ん……、お? おお!? これは凄いっ!」

 

 深く悩んでいた倬が、瞳を輝かせて顔を上げる。

 

「どうだ! もしかしてこんな魔物でも操れるのか!?」

「凄いですよ、全く変成魔法を受け付けません! 何だコイツ!?」

「ぬか喜びさせんじゃねぇっ。何で嬉しそうなんだ!」

「どうにも、今の自分が使える程度の変成魔法では、従える為の効果を発揮する大本の魔力を溶かす事で無効化してしまうみたいです。仮に従えられても一時間と持たないでしょう。もっと言うと、多分“解放者”でしょうが、誰かに単純な命令を埋め込まれた形跡がありました。これを上書きするには簡単に見積もって丸一日かかります」

 

 長々と解説され、結論が“操れない”だと把握したシャアクは、顔を覆って嘆く。

 

「それじゃあ駄目じゃねぇかよ」

「……うーん、普通に戦ったら倒せる相手じゃない魔物をこんな序盤に置いときますかね?」

「何が言いたい」

「いや、だってやっと侵入してすぐ全滅しかねないって、いくら何でも酷いじゃないですか」

「大迷宮ってのはそう言うもんだってお前が言ってたじゃねぇか」

「いや、もっと別の意図があるんじゃないかと。コイツ、“解放者”達でも完全には倒し切れない可能性ありますし」

 

 物質も魔力も分け隔てなく、あらゆるものを“溶解”する不定形の魔物。“溶解”する速度そのものは目を見張る程に速くはないが、それでも欠点や弱点と言えるような特徴ではない。倒して始めて先に進める部屋のいわゆる“中ボス”だとしたら、あまりに厄介過ぎるのだ。

 

「ね~ぇ、霜様。ここに来るためには火山を攻略してなきゃいけないのよね~? 関係あったりしないかしら~」 

 

 対処に悩み、既に“拒境”を飲み込む勢いで囲む“うわばみ”を観察している倬に声をかけてくれたのは空姫様だった。これに“炎の妖精”かーくんが倬の頭で燃え上がって頷いている。

 

「かーくんもあると思うぜ、関係。“空間魔法”を使いこなせるかって試されてんじゃねーか?」

「ふむふむ、一理ありそうです。状況を見極めて“逃げ”を選べるかってのもあり得ますね。となると“界穿”で脱出するのが手っ取り早いですが」

「なぁ、壁の中に転移。何てことにはならないんだよな?」

「嫌ですね、そんな雑な使い方はしませんよ。それに……__“覗鏡(しきょう)”」

 

 転移の失敗を気にするシャアクに、倬は空間魔法”覗鏡“を発動し、周囲の壁の向こう側を覗き見る。この魔法は、離れた所を自由に見る空間魔法“仙鏡”を改変したもので、半径百メートルの範囲で、障害物を無視してその先の様子を確認出来る程度に効果を限定したものだ。

 

「おっ。左奥の壁の先、道が続いてます」

「……やっぱとんでもねぇな、神代魔法。こんな魔法なら“直す”ってのがあってもおかしくねぇ」

「ほら、ぼさっとしてないで先に行きますよ」

「おうさ!」

 

 神代魔法の影響力をすぐ隣で実感し、俄然やる気を漲らせるシャアクと共に、“界穿”で壁の向こう側へ転移する。魔獣“うわばみ”は転移の直前まで部屋の中を所狭しと激しく暴れ回っていたものの、壁を溶解してまで追撃を仕掛けてくる事はなさそうだった。

 

 森司様は想像以上に容易く逃げられた事に、かえって首を傾げている。

 

「思ったよりもあっさり逃げられたな。僕はてっきりこのまま逃げ続ける展開かと思ったんだが」

「倒せないまま移動させて貰えるのも、大迷宮としては少し不気味ですもんね。空間魔法を阻害される事が無かったのも、裏を勘ぐってしまいます」

「……この先も大変なんだろう、な。……兄さん、頭領の事、少しくらいなら、援護だって出来るぞ?」

「では万が一の時はお願いしますね、霧司様」

「……へへ、任せといてくれ」

 

 

 “うわばみ”から逃れ、岩盤を削って掘られた跡のある道を三分少々歩くと、壁や天井、足元まで濁った海水に囲まれたチューブ状の通路が見えてきた。

 

 足を踏み入れても、壁を押しても海水に濡れることもなく、手触りは水風船に似ている。

 

「空間魔法の亜種でしょうけど、ちょっと面白い使い方ですね。自分でも出来ないかな?」

「何をまたメモしてんだよ……」

 

 真剣に警戒を続けるシャアクに溜息を零されながらも観察した所、海水に囲まれている通路ではあるが、触れて投げ出されるような心配はないらしい。足元以外がマグマで囲まれた道まで用意されていた【グリューエン大火山】と比べれば、見た目の恐ろしさは段違いだ。

 

 シャアクも倬を真似て壁に触れながら歩いていると、僅かに硬い部分があったことに気づく。そっと手を離し、その場所を確認すると、ブツっと厚い皮に針を通した時に近い音を聞いた。

 

 次の瞬間、ギィーンと甲高い音をけたたましく鳴らしながら、チェーンソーの如く刃が回転する扁平な棒が壁を突き破り、シャアクの耳を掠める。

 

「ひぃっ?!」

「シャアクさん!」

 

 倬も精霊様も全く気配を察知できなかったが、突き出ているのは、魔物の一部のようだった。濁りの影響で詳しくは確認できないが、のこぎりのような扁平な鼻を持つ魔物による攻撃だったらしい。

 

 この攻撃に続いて、通路の外側から軟体動物のそれに近い触手が巻き付いた。倬の顔程もある不規則に並ぶ吸盤が、本体の魔物の巨大さを物語っている。

 

 通路を締め上げる触手の根元に視線を向ければ、濁った海水の奥に、人間そっくりな嫌味なまでに並びの美しい歯が震えていた。

 

「うお゛……ッ。これは気持ち悪い」

 

 あまりにも気色の悪い見た目に、倬は思わず軟体動物の魔物から目を逸らしてしまう。だが、倬の生理的な拒否感などお構い無しに、通路外からの攻撃は激しさを増し、遂には大穴が開けられてしまった。

 

「あちゃー、やられた……」

 

 鉄砲水なんて言葉では例えとして足りない程の勢いで、海水が通路へと噴き込んでくる。対処しきれなかったシャアクが流されてしまうのを、倬がなんとか受け止め、海面に顔を出させる。

 

「がはっ」

「まだ何か来ますよ。そこそこデカいです」

「ち、畜生……。なんつー罠だ」

 

 通路が破壊された事で、通路外の魔力を感知出来るようになり、シャアクに左肩を貸しながら魔物の侵入を知らせる。 

  

 海水の流入が止まらない穴を無理矢理押し広げて姿を表したのは、通路の広さと同程度の大きさを誇る魔物。円筒状の口腔に、鋭い牙がどこまでも続いているかのようだった。地球上の生き物で例えるなら、ヤツメウナギが近いだろう。

 

 円形の口に牙が剥き出しになった姿に、倬は目を瞑ってしまう。

 

「む~りぃ~……」

「倬はこの手の生き物も苦手だったのぅ。まだ克服出来そうに無いか?」

「土さん、正直ちょっと……、いえ、かなり辛いです。ここはシャアクさん、自分あれを直視したくないので頑張って貰っていいです?」

 

 肩に担がれてなされるがまま運ばれるシャアクは、倬が荒っぽく移動するので何度も海水を飲んでしまっていた。倬が居なかったら流れに吹き飛ばされていた事実は分かっているが、文句の一つでも言わなければやってられない気分だった。

 

「こんッ、こんな状態で、どうしろってんだ」

「大丈夫、フォローはします」

「てめッ、……なら詠唱終わるまで邪魔させんなよ!」

「それくらい――」

「「「つっちー! “ぴーす、おぶ、けーく”、なー!」」」

 

 技能“海共”によって海水を操り、リーマンのお姉ちゃんがやった要領で“渦潮”を発生させる。ここで呼び出した“渦潮”には魔物を殺し切れるような威力は無いが、ヤツメウナギモドキ以外に侵入してくる魔物を足止めするには、これで十分。

 

 前に使った時よりも長い詠唱を終えたシャアクが、倬の肩をそっと叩いて合図を送る。

 

「――“波蛇”!!」

 

 ヤツメウナギモドキに目掛け、激流を押し込めて創られた二匹の蛇が向かう。

 

「やっぱり良い魔法です。そこに……、__“風陣”、__“雷込(らいこ)”」

 

 通路を塞ぐ形に呼び出された“風陣”が、強引に海水同士を隔てる。うねる“波蛇”に雷属性が付与され、海水に電撃が広がった。

 

 電撃に触れ、痙攣するヤツメウナギモドキ。閃光を纏う“波蛇”が鋭くその胴体を穿つと、魔物は全身を真っ白に変えて、動きを止めた。

 

「へっ、大迷宮の魔物がどんなもんだ! やってやったぞ!」

「浮かれるには早いですよ、シャアクさん」

「なにを――ッ?! ぐわばっ」

 

 どうにかヤツメウナギモドキを倒すことは出来たのだが、海水の流入が止まった訳ではないのだ。“風陣”の効果が切れると、再びシャアクは海水に押し流されてしまう。

 

 通路を塞ぐのは諦め、シャアクの頭を水面に出しつつそのまま流れに身を任せる事にすると、その先には海水に満たされた球状の空間が広がっていた。

 

「__”風固”」

 

 シャアクを空気の塊で包み込んで、倬は激流が渦巻く球状空間を見回す。暴れる複雑な激流は、不規則に空けられた複数の穴へと向かっているようだ。

 

「はぁ、はぁ……。霜中、お前、マジでそのままでも何ともないのかよ」

「何と言っても、“海の精霊”であるぼくと契約しているのだからな、当然だ」

「水に押し流されないってのも不思議な感覚なんですけどね。それよりも、流れの向かう穴が複数ってのが気になります。ここでパーティーを分断する仕掛けっぽいですが……」

 

 倬は技能“海共”によって、特に他の魔法を使用することなくこの激流にも逆らうことが出来る。ここから先のどの穴に進むべきか悩む倬に、“風固”をノックするように叩く風姫様が決め方を提案してくれる。 

 

「考えてもこの先がどうなってるのかなんて分かりっこないし、いっそシャアクの運に任せたらいいんじゃない?」

「おい、霜中、こちらの精霊様は何を仰っておられるんだ……?」

 

 「その発想は無かった!」と、手を叩く倬に、シャアクが怯えた目を小刻みに揺らす。

 

「シャアクさん、大丈夫です。“風固”を信じて下さい」

「……大丈夫だ、頭領。霧司はどんな頭領だって応援してる、ぞ?」

「いやいやいや、待て、待てって、おい、ちょっ、待てよ! ……あ゛っ!」

 

 倬は満面の笑みでシャアクの入る“風固”をぐっと押して、そのまま激流渦巻く空間へと放流する。

 

「ふむ、あれですか」

 

 激流に翻弄され、空気の中でシェイクされるシャアクが、そのまま一つの穴へと吸い込まれたのを確認し、その後を追いかける。

 

 シャアクを追いかけて穴を通った先に辿り着いたのは、白化して色褪せたサンゴ礁が沈む、深さにして一メートル程しかない遠浅の海だった。

 

 立ち上がり周囲を見渡せば、真っ白な砂浜との距離もそう遠くない。横倒しになって激しく損傷した小船の傍に、シャアクが立ち尽くしているのが確認できた。

 

「怪我はしてませんね?」

「人をサイコロ代わりにしやがって、いつか覚えてろよ」

「分かりました。今日の事は忘れるまで忘れません」

「チッ。まぁいい、あれ見てみろ。海の底に煙突だとよ」

「何かしら建物があるって事ですか……。何が待っている事やら」

 

 海岸に沿って煙突に向かって歩き続けると、徐々に消波ブロック――いわゆるテトラポット――の形に手を加えられた石塊によって護岸された場所に辿り着く。

 

 積み上げられた石塊を登ってその先に見えたのは、アイーマとは少し形式の違った船着き場と、根元からひしゃげた鉄骨を繋ぎ合わせたような設備群。

 

 船着き場には酷く破損した小型艇の残骸が打ち上げられ、どうにか停泊しようとしたのか、半壊状態の中型船が斜めになって朽ちていた。

 

 船着き場から陸地に視線を移せば、平坦に整地された広大な敷地に、三階建ての建築物が四棟立ち並んでいる。

 

「海底遺跡の内部にこんなモノまで再現しちゃうのか……」

「う~む、改めて“かいほー”達は凄いのぅ」

 

 感心して辺りを見回す倬と精霊様に対し、シャアクだけがきょろきょろと落ち着かない。

 

「どうかしましたか?」

「奥を見ろ。砂塵が上がってんだろ」

「まぁ、西の海辺を再現してるんでしょうから、大砂漠の風くらい見えてもおかしくないでしょう」

「俺が見てもらいたいのは砂塵の奥だ。積み重なってるあの雲、霜中、お前にも見覚えあるんじゃないのか?」

 

 言われた通りに砂塵の遥か向こう側に浮かぶ厚い雲を見れば、それは紛れもなく【シュネー雪原】特有の、世界を隔てるかのような壁の如き雲だった。

 

 シャアクは、目に映る景色一つひとつをゆっくりと確認しながら言う。 

 

「規模が桁違いなのと、細かい趣味の違いも気になる。だが、波から設備を守るブロックに、急ごしらえの兵舎……。あれ全部が土系魔法で創ったモノ。もうかれこれ十年ぶりではあるが、間違いない。ここが再現してやがるのは、魔人族領の、前線基地だ」 

 

 





はい、メルジーネ海底遺跡挑戦の前編でした。

例によってオリジナル要素が多くなっておりますがいかがだったでしょうか。

今回のタイトルは【遺跡の声】(創元SF文庫、堀晃著)を参考にさせて頂いております。

次回投稿についてですが、次回分ではホラーが苦手なのにも関わらず、ホラー描写をする必要や、オリジナル設定の詰め等の関係で、現状では12月中に投稿出来るように頑張るとしか言えず、再びお待たせしてしまう事になってしまいます。

どうか呆れず投稿を待って下さると嬉しいです。

では、ここまで読んでいただき有難うございました!

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