今回、二万文字を超え、約三万文字です……。休みながらお読みくださればと思いますので、どうか宜しくお願いします。
打ち寄せるさざ波に、桟橋にそって並ぶ舟が上下に
潮風を受けて騒めく紅色の長髪をかき上げ、頭領と呼ばれた男は口元を苦々しげに歪ませた。
「先走った結果が、
倬を眼中に入れず顎だけを動かし、招かれざる客の訪れに不快感を露わにする。ミュウちゃん達を捕まえようとした男共は意気消沈したまま、顔を上げられない。
ベテランらしい雰囲気を持つガデルだけは、失態を取り繕わなかった。
「仕事中に、コイツ……、この“祈祷師”に見つかっちまって、俺らぁ、
眉一つ動かさず報告を遮ることもしなかった頭領だったが、この地を最初から知っていたと聞かされ、遂にその鋭い視線を倬に向けた。
「これはこれは、ようこそアイーマへ祈祷師殿。この度は仲間が世話になったようで。……その
頭領シャアクは、取って付けた様な丁寧な言葉遣いで挨拶をして見せる。身振り手振りもやや大袈裟だ。
相手が何を企んでいようとも、倬のやる事は変わらない。しがみついたままのミュウちゃんを一度抱え直し、ふわりと桟橋に降りる。
「では、手短に。私はここに、海賊なんて真似を辞めさせにきました」
辞める意志を問わず、辞めさせるのは決定事項だと告げた倬に、訓練をしていた海賊達がわなわなと歯を剥き出しにする。
波音に紛れ、囁かれる詠唱を倬の耳は聞き逃さない。
「やれやれ、とんだお客様だな。寄せ集めだと思って舐めてんなら構わないが……、精々子供に怪我させないように努力してくれよ?」
「「「――――“波城”ぉ!」」」
シャアクが背を向けたと同時に、圧縮された海水が三枚の壁となってそそり立ち、倬を取り囲む。斜めに出現させられた“波城”が桟橋ごと倬に向けて倒れ掛かる。
「おじさんッ!」
迫りくる津波と見紛ごうばかりの魔法を目撃したミュウちゃんが、恐怖のままに叫んだ。
「なんのなんの、これくらい“なんくるないさぁ”。――“螺炎”」
『どれ、俺が軽く手を加えてやろう』
手を離した錫杖を宙に浮かべ、ミュウちゃんの頭にそっと手を添えて、倬は火炎の渦を呼び起こす。倬を中心にして燃え広がる螺旋に、火炎様が溶けるように消えた。
“炎の精霊”によって操られた“螺炎”の火勢は、正しく激烈。大火炎に触れた“波城”は、爆発を起こし刹那の内に蒸発させられてしまう。
膨大な量の海水が急激に熱せられ、瞬く間に水蒸気の爆風となって周囲に吹き荒ぶ。
周囲が白く濃い湯煙と、桟橋の木組みが燃えて立ち昇る黒々とした煙に包まれる。
大きく揺れる舟の上で、海賊達は必死に連携を維持するべく、腕を伸ばしていた。
「こなくそっ、手ぇ止めんなよぉ!――“波断”っ」
「「「――“波断”!」」」
「「「――“風槌”っ」」」
攻撃目標である倬を視認出来ない状況でありながら、がむしゃらに撃ち込まれる水系魔法“波断”と風系魔法“風槌”。
この攻撃の対処に倬が選んだのは、現代のトータスに生きる者達にとって、絶対的な結界魔法だった。
「――“聖絶”」
倬とミュウちゃんを包むドーム状の輝きが、放たれた全ての攻撃魔法を易々と受け止める。
障壁が湛える光と漂う煙の合間に、目を
上級光系結界魔法“聖絶”は、現代で広く知られている結界魔法の中で最も強力な魔法なのだ。【オルクス大迷宮】の訓練で、万が一の為に生徒達を護るべくメルド団長も用意していた魔法であり、この魔法の準備がなかったら、ベヒモスとトラウムソルジャーとの戦いでの犠牲者は南雲ハジメ一人では済まなかったことだろう。
絶対の信頼を寄せられる上級魔法である“聖絶”を、たった一人、まともな詠唱も聞かせないまま展開する相手に対抗する術を《彼らは》持たなかった。
「おいおい、嘘だろ」
(“螺炎”に“聖絶”だってのは分かった。それにしたって……)
距離をとって訓練の成果を確認するつもりでいたシャアクもまた、倬の魔法に驚きを隠せない。使用されたのが“螺炎”と“聖絶”だと言う事はすぐに判断できた。それも、それぞれの魔法は何らかの手を加えられ、効果を高めたものだと言う事も理解できる。しかし、そんな魔法の連続使用など、高い魔法適性を誇る魔人族ですら長い詠唱が必要になってしまうのが常識なのだ。
(杖か、ローブ……。いや、両方か……?)
自然、倬の聞き取れない詠唱と、魔力の消耗を感じさせ無い態度の正体を強力なアーティファクトの補助によるものだと考えたシャアクは、あえて桟橋を軋ませて距離を詰める選択をした。
倬の意識を自分に集中させようとしているのだ。複雑な指先の動きに意味を持たせたハンドサインで、仲間達には距離を広げ静観するように指示を出す。
(せめてどっちか……)
未だ晴れない煙と“聖絶”に包まれた倬は、その場に立ったまま、シャアクを真っすぐに見据えている。アーティファクトの効果を取り除くのを第一目標に定めたシャアクは、再びハンドサインで指示を残し、身体をギリギリまで低くして駆け出した。
桟橋に向けて両手を突き出したまま走るシャアクが、同時に詠唱を始める。
宙に浮かぶ錫杖が回転し、煙を払ってその先端が向けられた。
(くそ気味の
「撃たせるかよッ、――“
桟橋を突き破り、鋭い激流がうねりながら錫杖に襲いかかる。
“波蛇”は“波断”の応用によってシャアクが独自に開発した水系魔法だ。高い貫通力と複雑な操作に耐えるこれは、彼の最も得意とする自慢の魔法だった。
「__“風刃”」
倬によって呟かれた魔法名は、なんの変哲もない基本の風系魔法“風刃”。その風の刃が“波蛇”を容易く両断し、シャアクに迫る。
魔人族としてのプライドが易々と砕かれても、シャアクは止まらない。優先すべきは、目の前の男に隙を作ることだと理解しているのだ。
迫る“風刃”を真横に避けたところで状況は好転しない。それではこの“祈祷師”の予想は超えられない。故にシャアクは飛んでくる“風刃”への対処をしないまま、全力で踏み切った。
決して自暴自棄による行動ではない。仲間を信頼しているからこその選択だった。見守る海賊達からシャアクに付与されていく、強化魔法の数々。そして、階段のように足場として展開される複数の“光絶”。
「うおおぉッ!」
連なる“光絶”を踏みしめ、駆け上がり、腰の後ろに携えていたサーベルを抜き、シャアクは倬に――より正確を期すならば倬を包む“聖絶”に――飛び掛かった。
“如何なる衝撃からも一度ならば必ず耐える”絶対の護りと信じられる“聖絶”に、飾り刀と言って差し支えない程の、精緻な装飾を施された刀身が突き刺さった。そればかりか、ガラスを引っ掻くようなけたたましい音を鳴らし、光の結界が縦一文字に切り裂かれたのである。
斬られた周辺の性質が歪み、結界に隙間が生まれる。そこから内側へと入り込んだシャアクは倬との肉薄に成功する。
手が届く距離まで迫り、倬と視線を交差させたシャアクが覚えたのは、近接戦闘に持ち込めた達成感でも、勝利を確信した喜びでも無く、ただただ本能的な恐怖だけだった。
(コイツ……ッ)
全力を賭して結界を破り、間合いを詰める事に成功した先で待ち構えていた“祈祷師”の顔には、驚愕も焦燥も浮かんではいなかったのだ。意識の殆どを、抱きかかえる少女に向けている様にさえ思えた。
湧き上がる恐怖を捻じ伏せ、シャアクは猛然とサーベルを振りかぶる。
だが、その刃が倬に届くことは無い。
「__“爆嵐壁”」
風の塊によって創られた壁が膨らんでいく。爆風の壁を呼び出す“爆嵐壁”を自分を中央に指定し、筒状に展開。“壁”に触れた海水と舟諸共に、海賊達が吹き飛ばされる。最も近くに居たシャアクは、桟橋にしがみ付き辛くも致命傷を免れていた。
霞む視界に、影が近づいてくるのに気づいたシャアクは死を覚悟する。自分は死を覚悟していると言うのに、“祈祷師”の表情からは殺意を読み取ることが出来ない。
(意味が……、わからん……)
シャン、と軽やかな金属音が聞こえたかと思うと、荒々しい波の音が鼓膜を打つ。海に投げ出されながら「頭領ー!」と叫ぶ仲間達の声も届いた。
目を閉じ、独り言のように呟く。
「……お前が回復させたってのか」
「あのままじゃ話も出来ませんので、仕方なく」
「お前と話すことなんかねぇ。…………村の全員が海賊を認めてるわけじゃない。気にくわねぇってんなら、今外に出てる連中さえ皆殺しにすれば、もう海賊は終わりだ。好きにしろ」
どこまでも頑なな海賊達に、ここまで観察に徹してきた倬は大きく溜息を吐く。
「ごめん、ミュウちゃん」
「……“きとーし”さん?」
「ちょっとだけ眠っててね」
必死で倬にしがみ付いていたミュウちゃんの体力は、そろそろ限界が近かった。ここから先はあまり見せたくない場面も起こりえるかもしれないと案じて、ミュウちゃんに眠りを促す魔法をかける。
寝息を立て始めたのを確認しておんぶすると、倬は“海の精霊様”に協力を願う。
『申し訳ありません、海賊達を砂浜に集めるのに力を貸して頂けますか?』
『律儀にも程があるぞ、シモナカタカ。お安い御用だ』
『ワタクシも引っ張り上げる位は出来ますよ?』
『もちろん拙者も手伝うでござる!』
“海の精霊様”は海を操って浮かんでいた者達を砂浜に流し、溺れかけていた者を雪姫様や刃様達が引き上げて、海賊達全員を一ヵ所に集めた。
海賊達は一様に真っ青な顔をして体を震わせている。これは、海に投げ出された為だけではなく、改めて全員に“
「どんな魔法をかけたのか、説明が必要ですか?」
痛みと寒気と、何よりも自分達に対する失望に打ちひしがれている彼らの中に、すぐに答えられる余裕のある者はいなかった。
どれだけの間、沈黙が続いただろうか。
ただ一人だけ立ち上がった頭領シャアクが、おぼつかない足取りで倬の胸倉を鷲掴みにする。
「……こんなもんで俺を止められると、本気で思ってんのか」
“蒙怨”の呪いを受けながらも、揺らぐこと無いシャアクの紅い瞳に、倬は僅かにたじろぐ。
「俺らがやろうとしてることが、他人に痛ぇ思いさせんのも、他人の人生台無しにさせるってことも、全部知ってんだ。お前みてぇな糞ガキなんぞに、わざわざ教えて貰うまでもねェんだよ……!」
この言葉に、倬は何も言い返せない。
歯を喰いしばり、喉を震わせて、呪いによる苦痛に耐えるシャアクの姿に、彼らの唄を思い出した。あの歌を聞いて「自分は悪い子だと言い聞かせてる」と音々様は言った。覚悟を持って“悪党”になろうとしている彼らには、他者の痛みや苦しみを自分のモノとして感じさせる程度では、足りないのだ。
胸倉を掴みかかるのに全力を振り絞ったシャアクの息は荒い。
「はっ、本気で止めたきゃまず手始めに俺を殺せばいい。……他の連中なら、お前の命令に従うかもしれねぇぞ?」
これを聞きつけた海賊達に動揺が走る。これが遠回しな言葉で告げられた命令であることは、彼らにはすぐ分かった。殺しによって“頭領”を交代させられた場合に、少しでも長く生き延びる道を選べと、そう言っているのだ。
(そんなのは認めらんねぇ!)
頭の中でこう叫んだのは、ガデルだった。他の仲間だって同じ考えの筈だと信じるガデルは、倬の言動を振り返る。
(あんにゃろうは何時だって俺らを殺せてた。“殺し”を知っている眼ぇしてやがんのに、それをしねぇ。そうだ、何よりもあいつはアイーマを知ってやがった……!)
ガデルが倬との対話に意味を見出そうとした時、手首を激痛が襲った。
顔を上げれば、シャアクの手首が倬に握られているのに気づく。シャアクの痛みが、“蒙怨”を通じて海賊達に伝播したのだ。
「ぐッ……」
「私に、あなた達を殺す覚悟が本当に無いとでも?」
全く感情を感じさせない倬の声音に、シャアクもガデルも、他の海賊達も凍りついた。倬が殺しを避けているのは、今までの戦闘から感じていた。だから、勝手に“不殺”を信条に掲げている者なのだとばかりに思っていたのだ。
この想像自体が、的外れと言うわけでは無い。精霊契約によって、精霊の記憶を己の物として受け入れいている倬は、人同士の殺し合いもまた自然の一部であると感じてしまう。“殺し”を許容出来てしまうからこそ、倬は感情のままに殺す事を避けると決めているのだ。
ガデルは焦る。このままでは頭領を失う。誰も望んでいない結末になってしまうと。
だから、恥じも外聞もかなぐり捨てると、そう決めたのだ。
「痛ってぇえええええええーーーーーーーー!」
そびえ立つ山々に囲まれたアイーマに響き渡る、情けない絶叫。
砂浜を転がり、砂まみれになりながら、ガデルは大声を上げた。
睨み合っていた倬とシャアクが、共に目を丸くして痛みに騒ぐ大の男の姿を目撃した。
「ぐわぁーー。野郎ッ、“ぼーおん”の効果を下っ端にだけ強く設定しやがったなぁー! ぐわー!」
「え、いや、そんな事してない……」と固まる倬に、ガデルがもう殆ど両目を瞑ってしまっている下手くそなウインクを向けてきた。
他の仲間達は長い付き合いだ。ガデルが何を企んでいるのか、察することなど造作もない。
男達全員が、まるで駄々をこねる子供のように転がって、痛みを訴え始め出す。
「いてーよー! 死んじまうよー!」
「ひぎぃいいっ! 腕掴まれてるだけなのにぃ!」
「こんなんで頭領が殺されたら俺たちどーなっちまうんだー。うぎゃーー!」
再び、ガデルが倬にアイコンタクトを求めてくる。鬱陶しい。凄く鬱陶しい。とりあえず、せめて無理のあるウインクだけでも止めてもらいたい。
心から鬱陶しいが、倬にとってもガデル達のやろうとしている事は“助け舟”に違いなかった。こんなものは“茶番”だ。でも、“茶番”で何が悪いと言うのか。彼らは仲間を失いたくないと、プライドを捨ててみせた。この不格好で“泥舟”みたいな“助け舟”に、倬は全力で乗っかることに決める。
「く、くくッ……」
「お、おい、どうした、殺らねぇのか!?」
「気じゅっ……、ゴホン、気づいちまったみてぇだなぁ」
「……はぁ?」
「“オラァッ”!」
力強い言葉と同時に、ぽんっと軽くシャアクの胸元を押す。
きょとんとしている海賊達に、煽るように反対の手を振って反応を催促する。
「あ、そう言う感じ……」と頷いた後、海賊達が胸を抑えて暴れ出した。
「ぬぺらぁッ!」
「めぎゃんッ! なんつー痛みだ!?」
「この痛み、例えるなら……、そう、“緋槍”に貫かれちまったって位に
ついさっきまでのシリアスな雰囲気は何処へ行ったのか、大袈裟に騒がれて嫌でも仲間達の思惑を悟ってしまったシャアクは、痛みも忘れて怒鳴りつける。
「お、お前ぇらにはプライドってもんがねぇのか!? んなみっともねぇ真似、今すぐ止めろ!」
頭領の怒りを無視して痛がり続ける男達の中で、叫び過ぎて息を切らし、仰向けになっていたガデルがニィっと作り笑いをしてみせる。
「【べた凪の唄】で言ってるじゃねぇですか」
「あ゛ぁ?」
「“生き意地汚く生きてやれ”って。たぶん、今がそん時だぜ、
「……こんなどこの馬の骨とも分からねぇ奴に頼れってか」
「確かに得体は知れねぇ不気味な野郎だが、コイツは最初からアイーマを知ってやがった。しかも、コイツは当たり前に“あの洞”の奥まで入れたんだ。もう、俺ら全員でかかっても勝ち目はねぇって分かっちまった。なら、答えは一つじゃねか」
シャアクは唇を噛んで、逡巡する。アイーマに流れ着いた者達は、ここので決まりを習う中で、“あの洞”をみだりに
“洞”の奥に辿り着いたアイーマを知る者。魔人族の自分を容易くあしらう実力者。アイーマが現在抱えている問題に協力を願う相手として、これ以上の条件を持つ者が居るとはシャアクも思えなかった。
それでも、突然現れた人間族の子供に根本的な解決を望めるとも思えない。シャアクはそのまま何も言わずに、首を横に振った。
「シャアク……」
「俺らに出来ることなんざ、もう裏稼業ぐらいなもん。そう結論出したばっかだ。ここまできて虫の良い頼みなんか、できっかよ」
口を挟まず、様子を伺っていた倬は考える。
ガデルと海賊達は今を生き延びる為に“ひとまず”倬に従うつもりだ。シャアクはアイーマの頭領として、村を未来に存続させるのに海賊を維持するしかないと考えている。倬を敵に回さない為には海賊を辞める必要がある以上、シャアクの立場では、倬との和解は成立しえない。
(それにしても……)
倬は、海賊達がミュウちゃん達を捕まえようとした時の必死さが気になった。彼らには何かを焦っている雰囲気があったのだ。思えば、彼らの訓練の様子も戦い方も、決着を急いでいた様に感じる。
仮に常識に
ミュウちゃん達をエリセンに帰す約束もある。あまり時間をかけて問答をしたくは無い。だから、倬なりの“悪党”の流儀に従って、無理矢理聞き出す事にした。
「はっ! おいおい何を勝手にくっちゃべってやがるんでぃ!」
『!? シモナカタカ、急にどうした!?』
『“海”、そっとしてやって。こんなんでも“倬はいつでも大真面目”なのよ』
突然べらんめぇ口調になったせいで、“海の精霊様”に心配させてしまった。呆れ顔の風姫様がフォローしてくれているのがちょっと申し訳ない。
「あのよぉ、茶々入れるにしたってもうちょい言い方あんだろ……」
さっきまでふざけた感じで騒いでいたガデルから、もっともな指摘を受けてしまう。
慣れない“悪い奴っぽい喋り方”を再現するのに必死な倬は、その指摘を突っぱねる。
「う、うるせぇ! えーっと……、どうやら俺には聞かせたくねぇ話があるみてぇだなぁ。ははーん、さては“お宝”を奪われるのに怯えてやがんな?」
「“お宝”ってお前、いつの時代の話してんやがんだ」
現代のトータスにも、
これをシャアクも知っているので、“お宝”なんて言葉に真顔になってしまう。
「だ、だまらっしゃい、この“スカポンタン”! まだ俺が喋ってる最中だろうが!」
“スカポンタン”って何? と周囲の海賊達も戸惑っている。倬もいよいよ自分が何を言っているのか分からなくなりそうだったので、正直早く終わらせたい気持ちで一杯だった。
「俺の魔法はちょーっと凄い。お前さん達が話したくねぇことだろうが、かるぅく聞き出してやろうじゃあねぇの」
「あのよ、そろそろ怒っていいか」
「頭領シャアク。いつまでその余裕を保てるのか見物だぜぃ」
懐に手を突っ込み、分厚い手帳を取り出し、倬はシャアクに向けてびしっと指を差す。そして、“祈祷師”霜中倬にとって、始まりとも言える魔法を口にする。
「__“絞答”」
深碧の魔力光が色を変え、濃い紫色の霧となってシャアクを包み込む。
「なん、だ……ッ!?」
心の奥深くから強制的に膨らまされる負の感情に、シャアクが膝を折る。頭の中を暴れ回る激しい不快感が、“蒙怨”を介して海賊達をも襲う。
「“汝、何事を求め海賊とならんや”」
「ぐ……っ、黙れっ。そんな事知って、どうしようってんだ」
一度目の“問いかけ”を、シャアクは耐えてみせた。この魔法をかけられた状態で、問いの内容に全く触れないのは、並の精神力では不可能だ。これだけでも、彼が
「……“再び問う、何事を求め海賊とならんや”」
「がぁっ……! あ、アーニェのた、為に、“治癒師”を……。――ッ!? 止めろッ、聞き出して、お前に、何が……、何が出来るっ!」
おそらく女性だろう名前を聞いて、倬の表情がほんの少し和らいだ。
「全くもう、その手の大事な事は早く言って下さい。……じゃなかった、早く言いやがれってんでぃ。……んで、他には?」
「ア、アーニェの事が、あってすぐ、ち、近場から魚が消えて、漁が出来なくッ。……糞ッ! いい加減しろ! このふざけた魔法を止めろ! ……殺す、ぶっ殺すぞ、テメェ!」
“闇の精霊”と契約している倬の闇属性適正の高さが、闇系魔法“絞答”が持つ精神汚染の効果を最大限に引き上げる。シャアクが倬に向ける嫌悪感は、既に憎悪、殺意へと変わっていた。
「う、うーん……、“絞答”は試練用だもんな、尋問には向いてないのか……。ま、事情はなんとなく分かったから良しとしますかね」
「なんなんだ、テメェはよ……」
「私が何者だって今はどうでもいいでしょう? ……じゃないな。あー……、
シャアクに案内させて向かったのは、アイーマにある家屋の中で最も大きな屋敷だった。
二階の無い平屋造りだが、内部はかなり広く、部屋も複数あるらしい。入ってすぐの大広間には、大きな魚拓が壁一面に並んでいる。
無言のシャアクを追いかけ、両開きの扉をくぐった先の部屋でまず目に付いたのは、中央に据え置かれた広い机だった。机の上は几帳面に整頓がなされている。二十センチ程の高さに積み重ねられた書類の上には、二枚貝を
右手側の壁板には、羊皮紙を用いて描かれた巨大な船の図面が貼りつけられている。細かく注釈が書き込まれた設計図は、資料などで見かける地球の書き方と遜色なく感じられた。
「こっちだ」
ぶっきらぼうに言うシャアクが、立ち並ぶ背の高い棚で仕切られた先の空間に倬を招き入れる。
そこに備えられたベットには、痩せこけた人間族の女性が複雑な魔法陣を施されたシーツに包まれ、静かに眠っていた。
「こいつはアーニェ・アイーマ……、ドライゴン。首が痛ぇって倒れてから二年、アーニェはずっと目を覚まさねぇ」
「二年、ですか……」
彼女の頬骨は浮かび上がり、シャアクが優し気に触れる手は、骨に直接皮膚が張りついているのかと思ってしまう程の状態だった。
アイーマの民は、出来得る限りの治療を施して彼女の延命を続けてきた。しかし、北の山脈地帯に阻まれ、他の集落との交流も制限してきたこの地で出来る事に、限界があるのは分かり切っていた。
長く様々な種族の血が混ざり合ってきたこの地には魔法適性の高い者が多いのだが、肝心の治癒魔法に特化した“治癒師”は居なかったのだ。
根本的な治療に
報酬を用意しようにも、アーニェが倒れたのと時期を同じくして周辺の海から魚が姿を消し始め、魚介の取引でも日銭を稼ぐだけで精一杯になってしまっていたのだ。
「……オメェが俺ら全員合わせても蹴散らせちまう位に強ぇとして、一体、何が出来るってんだ」
愛する妻の、小さくなった手に視線を落として、シャアクは
天職持ちの実力者とは言っても、“祈祷師”など知らない。“治癒師”でないのなら、完全に癒すことは無理だと、当然にそう考える。死期を遅らせる協力をしてくれれば十分。あるいは、“治癒師”の知己を紹介してもらうだけでも助かる、そんな事を言おうとして顔を上げる直前だった。
「………………呪いでは、なさそう、だな」
「ふむ、わらわが視ても宵闇と意見の相違はないな。容態にもよるが、“光の精霊”としては情けない限りだが、今のわらわの力では大雑把に過ぎるやもしれん。ここは“癒しの精霊”である治優の出番だろう」
「よぉし! たぁ様、“海の精霊様”、治優頑張るねっ!」
倬と倬に背負われている少女と自分、そして、寝たままのアーニェの四人しかいなかった筈の部屋に、全く別の“何者か”の声が聞こえてきた。
「シモナカタカ、治優様、“海の精霊”にも手伝わせてもらえるか。専門でこそ無いが、治療には多少の心得がある」
「是非お願いします、“海の精霊様”。……シャアクさん、少しアーニェさんの手に触れても構いませんか?」
「あ、ああ……」
シャアクは突然姿を現した“何か”について、問いただす事が出来なかった。単に、倬と一緒に得体のしれない人物がアーニェに触れようとするのであれば、激高してしまう所だっただろう。だが、自身を何らかの精霊と言った“何か”の、可愛らしい姿を見て、不安を覚えるどころか、不思議と希望が湧き上がった気がしたのだ。
ベットの傍に両膝をつき、アーニェの手をそっと持ち上げて、倬は目を瞑る。持ち上げられたアーニェの手に、治優様と“海の精霊様”が額を触れさせる。
倬の魔力を受け取り、二人の精霊様の“意志”が病に眠るアーニェの体を駆け巡る。
診るまでもなく、彼女の栄養状態は最悪と言って間違いなかったが、不可解な事があった。深く眠ったままの彼女は、二年もの間、食べることはおろか水すら飲めていないにも関わらず、生命を維持する最低限の栄養を得ている痕跡があったのだ。
『たぁ様、これ普通じゃないよ。何かに宿られてるみたい……』
『だとしても寄生虫による影響がこんな風に出るものでしょうか?』
『治優にもまだ分からないけど、でも、嫌な気配があるの』
“嫌な気配”を追って、この異常の原因を探り続ける。
『……妙だ。血に溶け込む力の量がおかしい』
“海の精霊様”が言う“血に溶け込む力”とは、各種栄養素の事を指している。栄養素の吸収はそれぞれの消化器官によって担われている為、大抵の場合、血中の栄養素濃度は血液循環の終盤に差し掛かる程に低くなる。
それがアーニェの体内では、出鱈目な場所から栄養素が取り込まれ、血管内においては循環途中でありながら急激に栄養素濃度が上昇していたのである。
『“海の精霊様”、この流れの先って……』
『あぁ、首に向かっている』
栄養素濃度の変化を手掛かりにして二人の“意志”が辿り着いたのは首元だった。それも単に首全体ではなく、脳と脊椎とを繋ぐ生命維持に欠かせない部位である脳幹に、その栄養が集中していたのだ。
その上、脳幹に到達した栄養素の殆どがその場で消費しつくされ、頭部の細胞を死なせないギリギリの量だけが供給されているのを、治優様は直感していた。
そして遂に、極小の生命の姿を“海の精霊様”が発見する。
『治優様、シモナカタカ! 見つけたぞっ』
『この魔力……、たぁ様これって!』
伝えられる小さな生命の影、その影から生み出される確かな魔力。
そう、シャアクの妻アーニェは、極小の魔物に寄生されていたのである。
その姿を脳裏に焼き付け、一度アーニェから手を離す。
「光后様」
「“像”を結べばよいのだな。任せておけ」
倬の頭に座り込んだ光后様は、自身の髪飾りから額に垂れ下がる宝石に触れて、指で虚空に四角形を描かく。
中空に板状の白く淡い光が現れ、そこに全身の殆どを巨大な顎が占める異形の魔物が映し出された。
「シャアクさん、これがアーニェさんが眠り続ける事になった原因の、魔物の姿です」
半身になって横目を向けて告げた倬の説明に、シャアクはどうにか唾を飲んで、やっと返事をする。
「聞きたい事は山ほどあるが、今は止めておく。……本当に、こんなもんがアーニェの中に居やがんのか」
「これが二匹、首の奥で生きているのが分かりました」
「なら、こいつらを殺せばアーニェは……!」
喜色ばんだシャアクに、倬は首を横に振って答える。
「……落ち着いて、私
倬と治優様は、アーニェが置かれている状況について、一つひとつ説明を始めた。
倒れた原因が魔物に寄生された為である事。寄生した魔物は宿主であるアーニェを死なせない為に最低限の生命維持を続けている事。その魔物が全長にして二ミリにも満たない極小の大きさである事。魔物が寄生している脳幹をこれ以上傷つければ、治癒魔法でも取り返しがつかない可能性が非常に高い事。そして、寄生している魔物が出来る生命維持の限界が差し迫っている事実。
握り込んだ拳を震わせるシャアクは、全ての説明を受け入れた上で、倬の瞳を射抜かんばかりに見つめる。
「俺に、出来ることは」
「……あのね、今日まであなた達が頑張ってきた事を続けてあげて欲しいの」
アーニェを優しく撫でながら言うのは治癒様だ。アイーマの民が続けてきた延命治療が彼女の魂を繋ぎとめてきたのだと、そう微笑む。
「……食事も摂らず、まともに水も得られていないままのアーニェに治癒魔法だけでは限界がある。“海の精霊”は“
すっと伸ばされた“海の精霊様”の右手から滴るようにして生み出されたエメラルドグリーンの水が、直径五センチ大の球体になって宙を漂う。
“水元”とは“海の精霊様”が持つ力にカタチを与えたモノの一つ。“生命の起源”として、様々な物質が交ざり合っていた時代の海を再現したモノだ。これを生き物が飲むことで、その生命力を強力に高める事が出来る。
倬の肩辺りに、僅かに緑色が混ざった黒の長髪を揺らして、森司様が現れる。その両手には、小瓶が抱えられていた。
「僕も栄養剤を用意してきた。治優様、“水元”に混ぜて使ってくれ」
「ありがとうございますっ、森司様!」
治優様は“
「たぁ様、お願いします」
「かしこまりました」
今、倬達がやろうとしている事は、地球の医療行為で例えるなら“中心静脈栄養”あるいは“高カロリー輸液”と呼ばれるものが近い。食事が摂れない状態の患者の栄養確保に選択される手法だが、異世界であるトータスに、カテーテルのような衛生的な人工の管を作る技術など存在しない。
故に、倬は精霊によって創り出された“輸液”をアーニェの体内へと転移させる事を選んだ。
転移場所は何処でも良い訳ではない。“癒しの精霊”である治優様の感覚を信じ、心臓に近い太い血管に意識を集中させる。
一度に全ての“輸液”を送り込めば終わりではない。二年以上、外部から栄養を得てこなかったアーニェの肉体は、常に飢餓状態にあった。治優様によれば、急に栄養を与えた場合に、肉体が栄養を正常に処理し切れず、体調が悪化する危険があるのだと言う。
これらの条件を加味し、倬は“悠刻の錫杖”に膨大な数の魔法式のイメージを読み取らせていく。
絶大な影響力を誇る神代魔法の一つ、空間魔法の効果範囲を狭めて、縮めて、細める方向に制限をかけ続ける。“輸液”を清浄なまま保つため、新たに創り出した空間に格納する必要もあった。そこから少量ずつ、一定の速度で転移させる為に、
神代魔法は、その影響力を高める時だけでなく、抑える場合にも魔力の消費量が増大する事が多い。“界穿”をベースに新しく組み上げた魔法の負荷は、元の五倍に匹敵した。
「____“
深緑の魔力光が治優様が持つ“輸液”を覆い、世界に吸い込まれるように消えていく。アーニェの様子に劇的な変化こそ認められないが、生命の起源に近い性質を持つ“
錫杖を背中に回して、背負っていたミュウちゃんの位置を少し直す。よく眠っているようだ。
「……アーニェちゃん、もうちょっと待っててね?」
シーツをかけ直し、治優様はもう一度頭を撫でる。
横で膝をついているシャアクは黙ったまま、次の倬の行動に注目した。“精霊”を自称する存在に、倬が使う理解を超えた魔法。分からない事だらけで、何から確認すべきなのか分からない。ただ一つだけ、“精霊”達の仕草や態度から確信を得た事がある。それは、“祈祷師”
「後は、今まで通りでいいのか」
「はい。……ところで、このシーツの魔法陣は、シャアクさんが?」
「ああ、書いたのはな。刺繍は手仕事が得意な連中に任せた。どっか直した方が良い場所でもあるか?」
「いえ。ただ、ここまで無駄のない魔法陣、自分にはまだ書けないなと」
シャアクは立ち上がった倬の背中を眼だけで追いかける。
「? シャアクさん、これからの事を相談しなきゃならないので、アーニェさんは治優様に任せて早く来てください。あ……、と、頭領が“
「……“ぽんつく”だの“ぞい”だのって、ガラの悪ぃ喋り下手くそ過ぎんだろお前」
~~~
屋敷の前でオロオロしながら待ち構えていた海賊達に、倬の協力によってアーニェが倒れた原因が判明した事をシャアクから伝えられると、彼らは期待の眼差しを向けて背筋を伸ばして話を聞いた。
この辺りの海で魚が獲れなくなった原因も、同じ魔物によるものかもしれない。この可能性を真っ先に危惧したのは“海の精霊様”だったのだが、これを調査する間、誰も海に入らない事を約束させる。
砂浜に立つ“祈祷師”の背中を、海賊達のみならず、アイーマに生きる者達全員が見守っていた。
アイーマに生きる者達は、沢山の“人の様で人でない何か”が倬の周りを漂い、足元につるりとした灰色の奇妙なモノが体を反らして海を見回しているのを目撃する。
「あの小さい魔物の姿になにやら見覚えがあったんだが……。ありゃおそらく“やまつみ”だ」
「土司様、それ本当~? 大きさ全然違うわよ~?」
「山を喰ってた魔獣が、眼も鱗も無くしてあれだけ縮んでしまうとは驚きだが、儂はあの顎だけは忘れられん。空姫と儂らが追い払ってから長い時の中で生き延びたモノが、あれなのだろう」
魔獣“やまつみ”。エヒトらがトータスに降り立つ以前に大陸の外から現れ、精霊様やその加護を受けた者達によって退けられた巨大な魔物の名だ。
山の如き巨体を大量の魔力消費によって維持していた“やまつみ”は、全身の殆どを占める口を活かし、魔力を補うべく北方の山を丸ごと食べたそうだ。
大地から追い払われ、エネルギーを確保出来なくなった“やまつみ”が進化の末に獲得した姿が、アーニェに寄生しているモノの正体だと“大地の精霊”は結論付ける。
「まさか今の時代に魔獣退治とはね。ま、ミュウはあたし達で見とくから、存分にやんなさい」
「風姫姉さまと一緒に、音々もばっちり守っちゃうよー!」
背中から精霊様達総出で受け取られたミュウちゃんは、柔らかな風の上に横たわり、寝返りをうっている。魔法で眠らせたとは言え、中々の大物感があった。
「それは頼もしいな。……シモナカタカ、“海の精霊”はその本分を果たしたいと思う。力を、貸してくれ」
倬の顔の前にやってきた“海の精霊様”は、控え目に手を差し出す。
その手を指先で受け取り、倬は
「私の力がお役に立てるなら、如何様にもお使いください。“海の精霊様”」
この言葉に頷く“海の精霊様”に誘われるまま、倬は海へ入っていく。
爪先から頭の天辺までが完全に沈む沖で海に潜り、二人は向かい合う。
『流石は“風”の姉弟達の契約者だな。水の中でも呼吸は問題ないか』
『この使い方を試したのは初めてなので、正直、楽ではありませんけどね』
たははと笑う倬は今、普段空を飛ぶのに使っている技能“飛空”が持つ、風を呼び出す力を利用して水中で呼吸をしている。変則的な使い方であり、普通に呼吸するのとは異なるので、多少の息苦しさはあった。
『さて、シモナカタカ、“海の精霊”との“契約の儀”はこのまま海の中で受けて貰う事になる。いけるな?』
『これが求められる試練であれば』
『なら……』
“海の精霊様”が重ねた掌の上に、海が集まっていく。最初はエメラルドグリーンに煌いていた球体が、徐々にその色を濃くして、深い深い藍色に変わった。
ちょうど鶏卵に似た形となった“力”が、倬に贈られる。
なんとなく割ってしまわないように気を付けながら、それを口元へ運んだ。
『では、頂きます』
食感はグミに近かったが、噛み切れる気がしない程の弾力がある。倬は顔を上に向け、一息で“力”を飲み込む。
するりと食道を通り、胃に
一秒の空白があってから、体内に残る空気が口から抜け出した。体の隅々が“海”に満たされているのだと分かる。空気を取り込む為の空間が失われ、呼吸を行う余裕などどこにも無い。
酸素が欠乏し、意識が遠のく。苦しさに噴き出る汗の代わりに“海”が滲む。海と自分との境界が曖昧になり、海底に蠢く生命が囁く声を、聞いた気がした。
(――聞きたいのは、そうじゃない。知りたいのは、海で何が起こったのかだ)
ぼんやりと掠れる視覚を、遥か深みに感じる手触りによって補う。手どころか、光すら届かない筈の深海の在り様を、倬は明確に感じ取っていた。
『“受領”の
額を重ね、倬に助言を与えてくれる“海の精霊様”。
おぼろげに薄れかけの意識に沁み込んでくる、温かな“海”の記憶。
巨体を保てず弱っていく魔物が、それでも尚、命を繋げんと魔力を
悠久の時の中、連綿と繰り返された営みの果てに、彼らはか弱くも
(これが、今の“やまつみ”。“
『そうだとも。ぼくら精霊は、その強さに憧れたんだ』
『それでも、ただで喰われる訳にはいきません』
『それでいい。それが生きると言う事だと、ぼくは思う。……やれるな、シモナカ!』
『勿論です。……我が名は霜中倬、“海の精霊”海姫様の契約者にして、祈り捧ぐ者なり――――』
倬が海に潜って四十分、アイーマの者達は固唾を呑んで海の様子を見守っていた。
「あっ……!」
魔法の効果が切れ、目を覚まして倬が戻るのを待っていたミュウちゃんが小さく声を上げる。
海の底が赤黒く濁り始めたのだ。あまりの不気味さに、ガデルも思わず零してしまう。
「こんな赤潮、見たことがねぇ……」
海水中に生息するプランクトン等の微生物が大量発生した時に起こる赤潮とは、まるで別物。見守る者達の心配をよそに、赤黒く発光する海に、緩やかな渦潮が出現する。
赤黒い光がその渦の中心に巻きとられ、周囲の海が元の色を取り戻し始める。
渦潮の中心から赤黒い光達が水の塊に押し込まれ、天高く打ち出された。
「あいつ!」
水塊の真下に、激流によって編み込まれた弓と矢を持ち、空を仰ぐ倬を見つけたシャアクが、声を張り上げる。
『シモナカは使いこなせるかな』
『弓って持つのも初めてなので、今回は威力重視でどうか』
『仕方ない、後でぼくがみっちりしごいてやろう。さぁ、引き絞れ』
二メートルを超える和弓に似た形に押し込められた海水を、水平に掲げる。右手に持つ矢を弓に
「ふー……。“
真上目掛け、静かに透き通る流水の矢が放たれる。真っすぐ真っすぐ風を切って飛ぶ矢は、赤黒い水塊を貫き、そのまま自らに取り込んで遠く天空に消えていった。
海に、清らかな雨が降る。
沢山の小さな命が、海へと還っていく。
陽光に鱗を黄金色に輝かせ、魚が一匹、
~~~
“精霊祈祷師”としての魔獣退治を終えた倬は、アイーマの民に遠巻きに観察されながら、海賊達の前に立っている。
「さて、これで半年もすれば魚も戻って来るはずです。海賊、まだ続けますか?」
アイーマ近海に潜んでいた微小の魔獣"やまつみ”達は、“
お互いに顔を見合わせる海賊達、その中で、海人族の大男ジャンが厳しい表情を見せた。
「……半年は長ぇ。あれだけのものを見せられて、もう“祈祷師”を疑うつもりはない。人攫いをする程焦る心配は無くなった。だが“網元”……アーニェさんがいつになったら治せるのか分からない以上、食い扶持は必要だ。“はい分かりました”で、海賊を辞めて良いとは思えん」
ジャンの考えは、アイーマの状況を思えば簡単に否定できるものではない。海賊を辞める方向に考えが傾いていた男達の意志が揺らいでいるのを感じる。
ガデルもまた窮状を再確認して、悔しげに頭を掻きむしる。
「元々エリセンの取引で競り負ける連中を相手に稼いでたからな……。魚が獲れねぇのはマジにイテェんだ」
ざわざわと、「エリセンの漁場を荒らすのはなぁ、仕方ねぇって」、「漁の時間を上手くずらせば平気なんじゃねぇか」、そんな声が上がり始めてしまった。
雰囲気が悪くなり、エリセンでの海賊行為について聞き取ったミュウちゃんが、不安げに倬の手を握りしめる。
全体が生き残る為に、必死なのは分かる。この土地を知られないように金を稼ぐのは容易ではないのだろう。なにせ、トータスにおける漁業は、実質的にエリセンを介して教会が独占しているのだから。
ならば、彼らが金を稼ぐ為の、漁業以外に最も得意な事はなんだろうか。
倬は改めてアイーマを見回す。砂浜に、平屋が多い木造家屋、干してある海藻に、海へと伸びる船着き場――。
そして、おもむろに腰に巻き付けた“宝箱”に手を突っ込む。
取り出したのはなんの変哲もない麻袋。
「頭領シャアク、ちゃんと受け取ってください」
「あ゛……? 重っ……!」
シャアクの手に落とすように渡された麻袋の中から、ガチャリと金属のぶつかり合う音が聞こえた。重さを聞かれれば、実のところ大した重さでは無い。ただ、シャアクは見た目で想像したより重かったので驚いただけ。それはそうだろう。何せ中に入っているのは、トータス特有の軽い硬貨である、ルタなのだから。
「おいおい、なんだこのカネっ」
麻袋の口を開けたシャアクが驚愕に目を見開く。
「金で千枚、一千万ルタあります。これを頭金に、アイーマへ造船を依頼します」
金額もさることながら、倬の言い出した依頼を理解しかねた者達の口は半開きになってしまう。
頭領であるシャアクは、理解に苦しむと言わんばかりに片手で頭を抑えて倬に向き直る。
「待て待て待て、そりゃ大昔は船作ってたらしいが、俺らはまともな造船技術なんて受け継いでねぇんだよ。無茶を言うなっての」
大金を見せつけられながら、達せられる可能性の殆どない依頼を断ろうというのだから、シャアクの返答は誠実なものだ。
常識的な反応に対して、倬は所々焼け焦げた桟橋の隣に浮かぶ舟に振り返って、事も無さげに言ってのける。
「舟なら乗り回してたじゃないですか」
「あれだって手入れの仕方くらいしか知らねぇんだよ」
かつてのアイーマが製作した舟をメンテナンスしながら使ってきただけ、シャアク達は一から舟を作った事など無い。それを聞いても尚、どこまでもわざとらしく、やれやれと両手を上げて、倬は譲らない。
知っているのだ。“海の精霊”海姫様と契約を終えた倬は、アイーマがかつて高度な造船技術を有した土地であった事実を。
「まず、アイーマに残る技術の復元から始めましょう。最終的には、屋敷にあった設計図の船を私が買います。材料費というか、必要な材料があれば私が集めてここに送りましょう。ついでに魔石も付けます。魔石の換金については私なんかより皆さんの方が得意でしょう?」
「本気で言ってんのかよ……」
村の言い分を聞くつもりは無いのだと察したシャアクは、顔を手で覆う。頭領として、古のアイーマについて少しは教えられている。倬の依頼をその通り実行する場合に、何から手を付けるべきか考えた時、真っ先に思いついたのは“倉庫”の大掃除。その後は、資料の回収に、整理、解読と、片づけなければならない事が山積みだ。
現実として、今のアイーマに可能な段取りを頭の中で組み立て始めている辺り、シャアクは既にその気になっているのかもしれない。
「“シモナカはいつでも大真面目”、だそうだぞ?」
倬の耳に足を引っかけ、頭の上に座っていた海姫様は楽しそうだ。
「…………あぁ、まいりました」
少しの躊躇いの後、シャアクは倬ではなく、海姫様にだけそっと頭を下げる。
シャアクが海姫様に示した態度に、海賊を名乗っていた者達がバンダナを脱ぎ始めた。
「いやぁ、まいっちゃったな」
「全くだぁ、まいったまいった」
そんな囁き声が聞こえ出す。
ガデルが、海人族の大男ジャンの背中を叩いた。
「痛ってぇな」
「これから忙しくなんぞ」
「ふん、俺はまだ信用はしてない」
「さっき疑わねぇって言ってたじゃねぇか」
「それとこれとは別の話だ」
ちょいちょいと、ローブの袖を引かれた倬が視線を移すと、ミュウちゃんが目をキラキラと輝かせていた。
「“きとーし”さんってお金持ち……、なの?」
ちょっとだけ、ギラギラが混ざっていたかも知れない。
「えーっと……、他の人には内緒ね」
「はいっ、約束するの!」
ミュウちゃんは元気に手を上げて約束してくれたが、下ろした両手の指を折り曲げ、ぶつぶつ数を確認し始める。
「
「うん、そのミルクパンで考えるのやめよっか?」
「く、
「毎日ケーキは食べません。それよりも、そろそろお家に帰ろっかミュウちゃん。もうお昼過ぎちゃうし」
お昼過ぎちゃうと言われ、ハッとした顔になったミュウちゃんはキョロキョロして太陽を見る。大体の時間は太陽の位置で判断しているらしい。割とトータスの子供達、特にその子が亜人族だとよく見かける仕草だったりする。
「ま、まずいの、もうママ達が帰ってきてる時間なのっ」
海人族の子供がエリセンから出て、泳いでいける範囲にある砂浜で遊ぶのは別に珍しい話ではない。ただ、保護者同伴が条件なので、子供が四人同時にエリセンの中で見当たらないとなれば、誰かしらが砂浜を確認しに向かわされるのだ。今頃、近場の砂浜でミュウちゃん達を探し回ってる大人が居ることは間違いない。
お説教される未来を想像して、頭を抱えしゃがみ込んだミュウちゃんを見て、“元”海賊達がバツの悪そうな顔になっていた。
「まぁ、お説教はしてもらうとして」
「え゛っ! “きとーし”さん、お説教されないようにするって言ってたの!?」
「いや、そこまでは言ってない
"ガーン”とショックを受けた顔になるミュウちゃん。倬自身はあまり長いお説教をしたくない方だが、お説教せずにはいられない気持ちも想像がつくのだ。妹である尋ちゃんの無茶なピクニックを止められなかった時、父親が必死で怒鳴らないように我慢して教え諭そうとしていたのを思い出していた。
「子供達を帰す前に、皆さんは最低限のケジメはつけて下さい。__"
言いながら錫杖を振ると、ピシリと音を立て、なんでもない砂浜の上に縦横二メートル強の"
"界門”によって、砂の上が湿った岩場と繋がり、奥からは少女達と妖精達の話し声が聞こえてくる。
「お、二回目のクッキー、いい感じに焼き上がったじゃねぇか?」
「これも良い匂ーい! かーくんスゴイね!」
「当然だぜ、なんたって"炎の妖精”だかんな。火加減の調節はお手の物だ。ほらっ、ルーちゃんが型とった星もキレイに焼けてるぜ」
なんだか甘い匂いも漂ってきた。ミュウちゃんの鼻がひくひくしている。
「もりくん、まだー?」
「このおちゃはな、"むらし”が大切なんだ! ……よし、今だ! ミーちゃん注いでみてくれ」
「少しずつ、少しずつ~。だよね!」
「うんうん、イイカンジだなっ!」
ほうじ茶に似た、香ばしい空気がこちらまで広がってくる。隣から、ぐぅ~っとお腹が鳴るのも聞こえた。
「はーい。ふぅちゃん、あーんしてー」
「あーん……、モグモグ。むふー、おいしー! さすがふぅちゃんね」
「ホントだよー。ふぅちゃんってちっちゃくって可愛いのに、お料理まで上手なんだもん。憧れちゃうなー」
「んふふー、キーちゃんってばぁ! ふぅちゃんてれちゃうなぁ。ほらほら、キーちゃんも、あーん」
少し待ってもらっている間に、子供達と妖精達は随分と打ち解けていたようだ。この様子にほっとする倬のローブが引っ張られ、ミュウちゃんがローブの袖で口元を拭っていた。
和やかな雰囲気とお菓子に引き寄せられるように、海姫様の"寝床”へと歩き出すミュウちゃんの肩を捕まえる。
「ミュウちゃん、もうちょっとだけ頑張って」
海賊に捕まった時より深い絶望を宿した瞳を倬に向けるミュウちゃん。
「
「あ、おじさんに戻っちゃったかぁ……。そっかぁ……」
呼び方が“きとーし”さんから、おじさんに戻ってしまった事に少しだけダメージを食らいながら、倬は子供達をアイーマに招いた。
誘拐を実行した十五人を手前に並ばせ、残る仲間達も列を形成させる。シャアクとて伊達に頭領を担っているわけではない。倬の言った"最低限のケジメ”の意味は理解している。シャアクが跪くと全員がそれに習い、彼らは五歳くらいの少女達四人に
これには、他のアイーマの民も加わった。
「許してくれとも言わない。見逃してくれとも言えない。ただ、聞いて欲しい。君達に怖い思いをさせた事、謝罪させて欲しい。本当に、申し訳なかった……!」
海賊行為も誘拐も、それが未遂であろうと決して見逃されるべき行為ではない。アイーマには、何らかの罪を犯して流刑に処された末に流れ着いた者やその子孫も少なくない。もしもこの土地やその在り方が知れ渡れば、聖教教会は彼らを一網打尽に処刑する事だろう。
それを知っていても、今回の一件はアイーマ全体の罪に他ならない。シャアクも、ガデルもジャンも、海賊を止められなかった者達も、子供達に口止めを願う立場には無いのだ。
謝罪を受ける彼女達はまだ十歳にも満たない子供で、百人近いの大人に頭を下げられるという事態に困惑するばかり。仲立ちが必要だと判断した海姫様は、藍色の細長いポニーテールを振り乱して、アイーマの民に代わり、子供達に願う。
「虫の良い話だと、ぼくも思う。だがどうか、彼らについて人に話すのは待ってもらえないだろうか」
子供達は四人で目配せをして、一度倬の顔を見て、相談を始める。
相談が終わり、ミュウちゃんが倬のローブを掴み、足元の砂だけを視界に入れて、小さな声で呟いた。
「もう、酷い事しない?」
「……アイーマは海賊を辞める。人攫いなんてのもしない。この命に賭けて誓う」
村全体に言い聞かせるかのように、頭領シャアクは答えた。
「おじさんは?」
どう考えるのか聞かせてほしいと、ミュウちゃんは倬をじっと見上げる。キーちゃん、ルーちゃん、ミーちゃんも倬の返事を待った。彼女達は、助けてくれた倬の考えを確認すべきだと、幼心に感じたのだ。
片膝を付き、子供達よりも目線を下げて、倬は答える。
「"海の精霊様”と同じ。“きとーし”のおじさんは、本当に約束を守れるって信じられるかどうか、待ってみようと思うよ」
すると、ミュウちゃんはキーちゃん達に耳打ちしてから、側にいた海姫様を抱き寄せる。海姫様も黙ってミュウちゃんを抱き返した。
「おじさんがそう言うなら、ミュウ達は"せいれいさま”と"ようせいさん”を信じる事にするの」
「……ありがとう。ミュウ、皆も」
海姫様にお礼を言われて、中でもミュウちゃんはテレテレしながら冗談めかして続けた。
「えへへ。だって約束破ったら、おじさんは
「確かに、戦ってる時のシモナカはちょっと怖いもんな」
これにはガデル達もひっそり頷いている。基本的に戦闘中は無言かつ無表情な倬の戦いっぷりは、彼らにとって若干トラウマものだったのだ。
「……兄さん、あんまり落ち込むな、な?」
「いえ、良いんです。目的さえ果たせればそれで……。ホント気にしてませんよ。ホントです」
「主殿、拙者は戦場での主殿も"くーる”で良い思うでござるよ! "くーるくる”にござる!」
霧司様や刃様に慰められている倬の事を、"祈祷師”として話していた時とはまるで別人のようにアイーマの民は感じていた。
そんな風に見られている事など露も知らぬまま、何やら思いついた倬は"宝箱”に手を入れて、大きな木の実を四つ取り出した。その木の実には昔ながらの鍵に似た形の金属がねじ込まれ、その輪っかからは括り付けられた紐が伸びている。
「ついさっき手持ちのお金殆ど使っちゃったから、こんなものしか無いんだけど……」
子供達一人ひとりに倬が手渡したのは、スティナに贈った物とはまた別のバードコールである。
【神山】での精霊魔法"護光”発動後の準備期間に、樹海でこれまで帰してきた亜人族の子供達に再会した時、皆で遊びながら作ったバードコールが木の実を使ったこれだ。不思議と魔物以外の鳥類だけを呼び寄せる性質を持っているので、トータスでのバードウォッチングには最適な代物であり、これならどれだけ鳴らしても危険はない。
布で優しく磨いてニスを塗った大きなどんぐりに似た木の実は、少なくともキーちゃんの心には響いたらしい。
「ピカピカしてるー……!」
「精霊様達と仲良くなってくれた皆にお土産です。そして、__"界門”」
海姫様の"寝床”へ通じる
作っていたクッキーやお茶もお土産に受け取って、子供達は新たな
「ミュウちゃん、早く帰ろ? ママ達に怒られちゃうよ?」
「おじさん、困ってるから……」
ルーちゃんと、ミーちゃんが声を掛けるが、ミュウちゃんはますますローブを握る手に力を入れてしまう。
「……おじさん」
「何?」
「ミュウ、また“うみ”ちゃんと会える?」
すぅっとミュウちゃんの腕の中からすり抜けた海姫様は、ミュウちゃんのエメラルドグリーンの髪を柔らかく撫でる。
「シモナカの旅は世界中を巡るものだ。いつかきっと再会の時は巡ってくるさ」
「ほんと?」
「本当だとも。……ただし、あの“洞”――ぼくの“寝床”には、もう来ちゃだめだぞ? 約束できるなら、“海の精霊”の方からお前に会いに来ると約束しよう」
「我慢、するの」
「よしよし、ミュウはいい
とん、とミュウちゃんの背中を押し、海姫様は倬と共に
咄嗟に追いすがろうと
かき消えた
――やっぱりお説教されるのも親孝行かもしれないと、おじさんは思います――
残された声音は慈愛に満ちているが、その内容は子供達にとって残酷なものだった。
遠くの方から、喉を枯らして自分達の名を呼ぶ声が聞こえた。
「うぅー……。おじさん、やっぱり意地悪だったの……」
「言いつけ破ったの私達だもん。我慢しよ?」
「今の内にふぅちゃんのクッキー食べちゃおっかぁ」
「はい、ミュウちゃん。もりくんのお茶もおいしーよ?」
「……いただきますなの」
口の中が涙で塩っぱくなる前にと、急いでクッキーを食べる子供達。今回の"冒険”のオチは、ちょっぴり苦い思い出になりそうだ。
だけどたまに読んでる絵本より、少しだけ凄い"冒険”だったと自信を持って言える。
次に“海の精霊様”と会った時は、一緒に泳いで遊ぼうと心に決めるミュウちゃんなのだった。
~~~
「案外あっさりしてるんだな、お前」
エリセン近くに繋げた
「あまり深入りさせたくないので、特にミュウちゃんには。……まぁ、今更かもしれませんが」
「……そうか。んで? 直ぐにこっちに戻ってきたってことは俺達に何かやらせるつもりなんだろ?」
倬との戦闘そのものは短時間で終わり、治癒魔法もかけてある。しかし、“蒙怨”の呪いと“絞答”による尋問を受けながら、疲れを見せないどころか先回りして指示を要求してくるシャアクに、倬は若干ビビる。
「あの、つかぬ事を伺いますが、アイーマに来る前から何か役職持ってたりしましたか?」 「あ? ……そんなのどうでも良いじゃねぇか」
どうやらあまり触れて欲しくない話題だったようだ。そのうち聞ける機会も来るかもしれないと、ひとまず置いておく事にする。
「それもそうですね、失礼しました。船造り
「あー……、本当に精霊様なんだな。いや、それよりも本題だ。どんな噂なのかお聞かせ願えますか? 海姫様」
シャアクは精霊様に対して、礼儀正しく振る舞う事にしたらしい。ガデル達もそれに従ってか、非常に大人しい。
「ちょっと前にぼくが聞いた噂話だな。どんな傷でも“
「“直す"……? そんな噂を知ってたら俺らが飛びつかないわけないが」
「シャアクさん、精霊様の“ちょっと前”はうっかりすると一万年位前だったりするので、言葉通りに受け取らないで下さい」
「一万って、そりゃスケールが違いすぎるだろ。どう参考にしろってんだ」
倬とシャアクのやり取りに、海姫様が心外そうに口を曲げる。
「むっ。シモナカ、ぼくの言ったちょっと前はそんなに昔じゃないぞ。大体千年とか三千年とか、それくらいちょっと前の話だ」
「はい、存じておりますよ、海姫様」
笑顔で“ちょっと前の千年”なる感覚を受け入れている倬に、子供達からおじさん呼ばわりされていた原因を垣間見るシャアク達。
「海姫様が“ちょっと前に”聞いた噂の“直す聖女”。実は自分に心当たりがあるんです」
「なに?」
「七大迷宮ってご存知ですよね――」
この後、倬は七大迷宮と解放者、そして神代魔法について彼らに説明する事になった。
本来ならば、“神”の真実を無闇に広めるのは得策とは言えず、避けるべき話題だろう。だが、アーニェに寄生した“やまつみ”を摘出した後の対処は、既存の治癒魔法は勿論の事、“癒やしの精霊様”の御力でも困難を極めると発覚している。確実な回復手段として神代魔法の可能性を知ってもらう必要があったのだ。
既に精霊様の存在と、空間魔法による転移を目の当たりしているシャアク達の理解は実に早かった。
「――つまり、大迷宮に備わってるっていう自己修復機能が、“直す聖女”の神代魔法かもしれねぇってことか」
「その通りです。海にあるはずの大迷宮に"直す”神代魔法があるとは言い切れませんが、どちらにせよ、大迷宮を攻略していけば獲得出来るでしょう」
「しかし、西の海に大迷宮か……。言うまでも無く、海は広いぞ。それこそ海姫様は何か知りませんか」
「うーん、やたら騒がしい時期が何度かあったのは覚えてるんだが……。アイーマの子らがリバ
倬が読んだオスカー・オルクスの手記によれば、解放者達が西の海で大迷宮を造っていたのは予想出来る。だが、問題は海の何処なのかだ。“海の精霊様”にとっても、この惑星の海は広く深い。場所を探るにしても何か取っ掛かりになる情報が欲しかった。
「あのよぉ、大迷宮ってなぁ、危険地帯って教えられるよな?」
何かを思いついた様子のガデルが、誰とは決めず、全員に向けて聞いた。どの種族であっても、七大迷宮は世界でも選りすぐりの危険地帯であると教わるのだ。“勇者とその同胞”である倬も、王国の座学で聞いたのを思い返す。
「自分もその通り習いましたが……」
「アイーマにゃ、舟で行っちゃならねぇ海域ってのがあんだよ。やたら魔物が多いとか、岩礁が密集してるとかで危ねぇからってんで。……そん中によ、混ざってねぇかな、大迷宮」
あまりにも単純な発想に聞こえるかもしれないが、倬は馬鹿に出来るものでは無いと感じていた。なにせ、倬にとっては他ならぬ"海の精霊様”が見守っていたアイーマによって継承されてきた知見なのだ。
「誰か海図って書けますか?」
再び倬の雰囲気が変わる。何かスイッチが切り替わったような、シャアク達にはそんな風に見えた。
「霜中、俺達は海賊名乗ってたんだぞ。海図の一枚や二枚、軽く書けるに決まってんだろうが。誰か屋敷から紙集めて来い。ついでだ野郎共、“倉庫”開けて掃除始めとけ!」
「「「おうさー!」」」
シャアクの号令に元海賊達は走り出す。
古い海図を集め、そこに記された注意書きや今日まで受けた教えを、新たに書き出した海図に書き込んでいく。
海姫様がその御力で、大迷宮と関係のない場所を洗い出し、候補地を絞る。
彼らが遂にその場所を導き出す事に成功した時には、既に新しく昇った朝日がアイーマを照らし出していた。
~~~
大陸最北にあるアイーマから千キロメートル以上離れた西の海上に、剣と魔法の世界であるトータスでは珍しいスマートな外観の舟が一隻浮かんでいる。
「舟に乗るのは随分と久しぶりだが、やはり悪くないものだな。雪姫はどうだ?」
「潮風が心地良いですね、海姫様。ワタクシも嫌いではありません」
「そうか、なら良かった。ぼくも初めて見る舟だが、これは相当に揺れが少ないみたいだからな」
どこか自慢げな海姫様と微笑みを浮かべる雪姫様は、それぞれ倬の肩に座ってクルージングを楽しんでいた。
「えっと……、うみちゃん、どうかしましたか?」
背中をつんつん突つかれて振り返れば、“海の妖精”うみちゃんがローブにしがみついている。
「なっ、なんでもなーいっ」
「そうですか……」
倬と顔を合わせようとしない割に、傍から離れようとしないのがうみちゃんの特徴だった。“光の妖精”ひかりちゃん曰く、「うみちゃんはすごい恥ずかしがり屋さんだからなー」との事である。
「ダンナー! ここらがポイントでさぁ!」
「お、もう着いたんですか?」
「そりゃ、ちょこちょこ転移してんだからすぐ着くさぁ。ダンナの使う空間魔法、ズルだなぁありゃあ」
アイーマでも随一の操舵手ボルカは、もう倬を警戒することなく、ここまでのショートカットに使ってきた空間魔法の途方もなさを笑い飛ばした。因みに、元海賊の男共はシャアク以外の全員が倬を“ダンナ”と呼ぶようになっている。
ガデルが「おじさんより良いじゃねぇか。俺らに金払って船造らせようってんだ。依頼人のダンナで間違ってねぇだろ?」と広めたのがきっかけだった。
「それじゃあ行ってきます。アイーマへ繋がる
「ああ、了解した。無事に帰ってこいよ、霜中」
「ええ。“直す”神代魔法だったら、急いでアイーマに転移するつもりです。では……」
「おうさー、ダンナ。くれぐれもお気を付けてー」
かつて“大地の洞穴”で行ったのと同じ方法をあえて選び、倬は“風固”を呼び出して、水を掘り進めるように海底へ向けて潜っていく。
バシャン! 一メートル程度海に潜ったタイミングで、真上の海面に何かが落ちた音がした。
違和感を感じて見上げれば、紅色の長髪が海の中で揺らめいている。
「はあっ!?」
ブシャン! 風の塊に突っ込み、倬の足元に転がってきたのは他の誰でもない、アイーマの頭領、シャアク・アイーマ・ドライゴンだった。
「ちょっと、頭領が何やってんですかっ」
「大迷宮に眠る神代魔法とやらでアーニェが救えるかもしれねぇんだろ。ならやっぱ、俺も行く」
「馬鹿言わないで下さい」
ため息交じりに錫杖を振ろうとする倬の腰に、シャアクはしがみつく。
「うわっ……!?」
「いいじゃねぇか減るもんじゃなし! 元海賊の前で“お宝”を独占しようなんて許されねぇ!」
「いやいやいや、大迷宮舐めちゃダメなんですってば! 魔力とか神経とか色々とすり減るんですよあそこは!」
“風固”の中で取っ組み合う二人を見て、海姫様は肩を竦める。その表情はどこか楽し気だ。
「“誰かの面倒を見ながら攻略する”と言うのは、修行になるんじゃないか?」
「あら、海姫ってばご機嫌ね」
海流が倬とシャアクを包む風の塊を押し流し、潜航速度が上昇し始める。
仲間とも言えない同行者にしがみ付かれたまま、新たな大迷宮を探すべく、倬は遥か海の深みへと向かうのだった。
はい、と言う訳で三問目、いかがでしたでしょうか……。
三ヶ所目の大迷宮挑戦にしてついに同行者が現れました。
せっかくの大迷宮なのに色気のある展開はありません。そのあたりも重ね重ね申し訳ないです。
11月中に予定していた投稿を12/2(日)としています。投稿ペースが乱れて続けていて心苦しいのですが、少しでも完成度を高める為に頑張りますので、今後とも本作とお付き合いして頂けると大変有り難いです。
では、ここまでお読みいただきありがとうございました!
海姫様契約後ステータス
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霜中倬 15歳 男 レベル:1
天職:祈祷師 職業:祈祷師・冒険者(白)
筋力:1673
体力:1700
耐性:2141
敏捷:2149
魔力:644538(-250990=393548)
魔耐:215900
技能:精霊祈祷[+護光]・全属性適性[+全属性効果↑][+発動速度↑]・全属性耐性[+全属性限定無効]・物理耐性[+衝撃緩和][+絖衞]・耐状態異常・痛覚麻痺・魔力操作[+魔力放射][+魔力圧縮][+遠隔操作][+効率↑][+魔素吸収][+吸収速度↑][+身体強化Ⅲ]・魔力感知・気配感知・反響定位・錬成・剣術・弓術・先読[+瞭顕]・念話・飛空・気配減少[+闇纏]・宵眼・熹眸・雷同・氷同・海共[+射澄]・魔力回復[+瞑想(極)][+瞑想効率↑(極)][+常時瞑想]・土壌回復・範囲耕作・植物生育操作・発酵促進・魔力変換[+治癒力変換][+優癒]・変成魔法・空間魔法・言語理解
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ちなみに、“弓術”は、かつての契約者から教わった海姫様の特技。その知識が倬に受け継がれた結果、技能として発現している。