すたれた職業で世界最高   作:茂塁玄格

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大変お待たせいたしました。
今回も少々情報量が多いかもしれません、どうかお付き合いの程よろしくお願いします。





海辺の悪事を海賊に問え・一問目

「“灰色”さーん、そろそろですよー」

 

 まだ若い、駆け出しの商人である青年が、御者台から荷台の中の人物へ向けて声をかける。

 

 荷台を覆う、分厚い布地の隙間から顔を出した伊達眼鏡の少年――倬は、そのまま青年の隣に座り、感嘆の声を上げた。

 

「おぉー……、あれがアンカジですか」

「はい。我が自慢の、故郷(ふるさと)です」

 

 二人は御者台に並んで、【アンカジ公国】の独特な外壁を見つめる。

 

 国全体を囲んで(そび)え立つ乳白色の外壁は、かの【中立商業都市フューレン】の物よりも高く、その所々からは強い光が緩やかな放物線を描いて伸びている。光の放物線は中央で交わり、国全体を包み込むドームを造っていた。

 

 周囲に舞う砂埃の中に混ざって飛来した石が不可視のドームにぶつかると、ドームは小さくたわんで波紋を広げ、その石はそっと外の砂漠へと戻される。

 

「凄いでしょう? あれのお陰で、月に何度かある酷い砂嵐でも、外が暗くなるだけで済むんですよ。丁度、“灰色”さんが使ってた“天幕”って魔法の大規模版って所ですかね」

「……いや、あのドームは光系統っぽいので、使った中で言うと“帛懸(はくがけ)”の方に近いかもです。でも、それだけじゃ説明できないような……、んー?」

「またメモですか? “灰色”さんは本当に勉強熱心だなぁ」

 

 合計六台の荷馬車が二列になって、眩く光る入場門をくぐっていく。この入場門にも、ドームと同種の障壁が展開されているのだ。

 

 乗っていた馬車が門の手前まで辿り着いた所で、倬は御者台から降り、若い商人に向き直って会釈をする。

 

「それじゃあ、私は入国審査を受けてきます。ありがとうございました」

 

 頻繁にアンカジを出入りする隊商(キャラバン)の商人達は、前もって発行した入国許可証を示せば、簡略審査で入場できる。初入国となる倬は、一通りの審査を受けに門番の所へ行く必要があった。

 

「お礼を言うのは我々の方です。あ、“隊長”からちゃんと報酬受け取って下さいね」

 

 若い商人が後ろの馬車に居る“隊長”に親指を向けると、倬の視線に気づいた丸顔の“隊長”もサムズアップを決めて倬に笑いかけてくれた。

 

 風のカーテンを呼び出す“天幕”や、光系で柔らかなベールを展開する結界魔法“帛懸”等、地味な魔法を組み合わせて使い、砂埃を防いだり、砂丘を固めたりして移動の補助をした倬を気に入ってくれたらしく、「今はランク“白”かもしれねぇけど、すぐに“黒”になるだろ? だから“灰色”だ。“灰色のシモナカ”、“灰色の祈祷師”とかでどうよ。ローブも灰色だし、丁度いい。よし、決定」と言い出した張本人だ。若い商人が、倬を“灰色さん”と呼ぶ原因の人物である。

 

「それもそうですね、先に貰ってきます」

 

 支払いを渋るような“隊長”では無いとは思うが、その方が後腐れが無くて済む。倬は若い商人の言葉に従う事にした。

 

「そうだ、今日これからの予定は?」

「手持ちの素材を売って、少し良い宿にでも泊まるつもりです」

「それは良い。折角です、“灰色”さん、もし夜に暇があったら私達と呑みませんか? 一杯くらいは奢りますよ。“隊長”が」

「夜、ですか……?」

 

 お酒の席に誘われて、倬は返事に悩む。積極的にお酒を飲むと言うのには、まだ若干の抵抗があるのだ。

 

『僕としては、この国の酒にも興味がある。一杯くらいならいいんじゃないか?』

 

 森司様は割と容認派らしい。自身でお酒を作ってる事もあり、お酒自体に関心が強いのも理由のようだ。

 

『治優はあんまり酔っ払って欲しくないかなぁ。たぁ様はまだお酒に慣れてないでしょう?』

 

 対して治優様は、お酒は飲まなくて平気なら飲まない方が良い、と言った立場らしい。倬の身体が技能“耐状態異常”によって酔い過ぎる事が無いと知っていても、より健康を意識するならアルコール摂取は勧めないのだそうだ。

 

 治優様に心配をかけたくはないが、森司様の好奇心も理解できる倬の頭に、ワザと勢いよく風姫様が座ってきた。

 

『ま、断る理由も無いし、少しなら付き合ってもいいんじゃないの。昔、アモレが言ってたわ、“全く趣味嗜好の異なる人と共にする酒の席は、別の視点を得る絶好の機会なのです”って』

 

 右手の人差し指を立てる倬の真似をしながら、前契約者であるアモレの言葉を語る風姫様。

 

『大賢者アモレ様がそう仰っていたなら、試しに私も実践してみましょうか。奢りなら懐には痛くないですし』

 

 そうして、倬は改めて若い商人に視線を戻す。

 

「では、一杯だけ」

「本当ですか! なら、日暮れ前にこの入場門を出て直ぐの高台に迎えに行きますので」

「この先の高台ですね。分かりました」

 

 隊商(キャラバン)の商人達と一度別れて審査を受け、倬は適当な魔石やサンドワームの牙と言った素材を売りに、アンカジでも老舗の商店を訪ねた。この店は、個人での素材取引で一番割が良いと商人達から教えて貰った冒険者ギルド加盟店だ。

 

 実際に目利きの正確な店主で、倬が持ち込んだ静因石は、その純度の高さから相場より三割程の値段で買い取ってもらうことが出来た。結果的にオアシスで出会った男に売ったのと同じ金額になり、倬はあの男の悪運に苦笑させられてしまった。

 

 その後、アンカジに短期出向で滞在する貴族や教会関係者向けの宿――例えるなら、清潔さが売りのビジネスホテルと言ったところだろうか――に部屋を借りて、倬は暫しアンカジ観光に興じる事にする。

 

 

 砂漠の真ん中にありながら、国中を流れる涼やかな川のせせらぎが耳に心地良い。せせらぎに寄り添う清らかな女性の声に、倬と精霊様達はすっかり和んでいた。

 

「――中央部と南側の商業区画に続いて国の西側、右手に立ち並ぶ、ともすれば無表情に感じてしまうかもしれません真っ白な建物達が見えてまいりました。これらは、この国の実務を担っている行政施設群でございます。観光中、何かお困りの際には、あちらに相談窓口が設けられておりますので、どうぞご利用下さませ。……さて、飾り気のない建物の中に、一際目を惹かれる立派な純白の宮殿が御覧になられますでしょうか。あれこそが我らが領主、ランズィ・フォウワード・ゼンケン公がお住まいになられ、日々執務に励んでおられる宮殿で――」

 

 倬は現在、水路を活用した観光用の手漕ぎゴンドラに乗って、乳白色を基調にした美しい街並みを眺めている。この“水先案内”は観光客に非常に人気が高いそうで、精霊様達――特に“空の妖精”くぅちゃん――にせがまれた倬は、六人乗りのゴンドラに相乗りさせてもらっているのだ。

 

 ゴンドラの先端では、妖精達が楽しそうに戯れている。

 

 舟が国の北側に広がる農業地帯に差し掛かり、水先案内人の女性が名産品の各種フルーツを紹介し終えてから、一度ゴンドラを停止させた。真横にあった青果店から出てきたおばさんが、カットフルーツの盛り合わせを持ってきて、ゴンドラの利用客に振舞ってくれる。名物の試食サービスまであるらしい。

 

『考えてみると、こうやって普通に観光するのは初めてかもしれませんね』

『そうね~、霜様ってば何時も忙しくしてたものね~。……ん~! これ美味しいわ~』

 

 膝に座って、倬から手渡されたフルーツを食べる空姫様はご満悦の表情だ。果物の爽やかな香りに誘われてやってきたくぅちゃんも、ビワに似たフルーツをモグモグしている。

 

『くぅちゃん、しもさまと、も~っと、のんび~りしたいな~』  

『そうですね、日暮れまでまだ時間はありますし、今日くらいは“のんび~り”しましょう』

 

 ゆったりと国を巡るゴンドラは、東側にある豊かな水源のオアシスへと向う。オアシスからの水の流れと逆行して進んでいるようだが、緩やかな下り坂の水路を通ることで、ゴンドラは柔らかに水の上を滑っていった。

 

 ゴンドラでの国内一周を終えた頃には、すっかり日も傾いていた。一足早く入場門のある高台に到着し、色彩が落ち着き始めた国を一望しながら、若い商人を待つ事にする。

 

 ベンチに座り、国を護るドームを見上げれば、水中から雨が落ちて波紋を広げる海面を見るかのような、そんな幻想的な光景が、アンカジを訪れた者達を飽きさせない。

 

『美しい、眺めだな』

 

 倬の太腿に背中を預けて、アンカジの空を見つめる光后様が、そっと呟いた。

 

『……ええ、本当に』

 

 夕暮れ時でも、門を通る者達が途絶えることは無い。引っ切り無しに出入りする人々の表情は、どれも明るく見えた。平和そのものだ。

 

「あっ、居た。“灰色”さーん! お待たせしましたー!」 

 

 高台に来てから三十分程経った辺りで、若い商人が迎えに来てくれた。もうどこかで飲んでいたのか、若干顔が赤い。

 

「さぁさぁ、“隊長”イチ押しの酒場に招待しますよー。もう皆は始めちゃってますので、急ぎましょう!」

「分かりました。……そんなに引っ張らなくてもついていきますよ? あの、あのー?」

 

 

 若い商人にぐいぐい引っ張られて到着した酒場では、三人の奏者が隅に座り、この地域特有の楽器を用いたアラビアンな曲を演奏していた。中央にかなり広いスペースが開いている不思議な造りで、壁に沿う形でボックス席が六つあり、大きなカウンターの奥には、酒瓶が乱雑に並べられている。

 

 魔人族領で見た“モグリ酒場”とは、かなり違った雰囲気だ。

 

「“灰色”さん連れてきましたよー」

「おっ、来やがったなー! どれ、こっちに座りな。この“隊長”様が一杯奢ってやるぜぇ~」

 

 倬がやってきた事で、店に集まっていた商人達は更に大騒ぎを始める。もうボックス席が埋まっていたので、“隊長”に言われるがまま、若い商人と一緒にカウンターに座った。

 

 席に着いたと同時に、大きな銅のマグカップに並々と注がれた、きめ細やかな泡が特徴のお酒が“隊長”の前にドカリと置かれる。

 

「ここで飲むならこれよー、特製シャオルだ!」

 

 その特製シャオルを倬の前に置き直し、更に新しく受け取ったマグを頭より高く掲げる。これに気づいた商人達も続き、倬も同じように銅マグを持ち上げる。

 

「よーし、お前達、改めてやんぞー」

「「「「うぇーい!」」」」

「大砂漠往復の成功を祝って……、乾杯っ!」

「「「「かんぱーい!!」」」」

 

 商人達のハイテンションに圧倒されながらも、倬はこの店の特製らしいシャオルに口をつける。

 

 泡が弾けると共に立ち昇る香りは、新鮮なリンゴを思い出させた。口の中に流し込めば、シュワシュワと強い炭酸が暴れ回るかのようだ。炭酸の刺激を際立たせるのは、生姜に似た独特な辛味。

 

 最初の爽やかなリンゴの印象からは、意外なまでに甘さは控え目。僅かに残された苦味が後を引き、疲れた体に染み渡っていくかのようだった。

 

 あまりの飲みやすさに、倬は軽く銅マグの半分を飲んでしまった。

 

「ぷはっ。(うんま)っ!」

「だろぉー? ココのは採れたてのヴェアブル使ってるからな、余所じゃあこの味は出せねぇ。どら、折角だ、もう一杯奢ってやろう!」

「えーっと……、では、お言葉に甘えて」

 

 追加分を待っている間、残りのシャオルをちびちび飲みつつ、倬は商人達と色んな話をした。

 

 旅から帰ったら恋人が他の男と結婚していた話、逆に旅先で浮気してしまって本気になりそうで悩んでいるなんて話や、仕事中に産まれた子供が懐いてくれなくて不貞腐れている話等々、人によって話題は様々だった。

 

 中でも若い商人は、何時の日かお金を貯めて、故郷のアンカジに自分の店を構えたいと夢を語って聞かせてくれた。

 

「まぁ、そんな感じで、自分はまだまだ今の仕事を頑張りますが……。“灰色”さん、次の目的地は?」

「次はエリセンにでも行こうかと思ってます。海の幸に興味がありまして」

 

 現在一番と言える目的は、西の海に居るらしい“海の精霊様”を探す事だ。ただ、亜人族で唯一、教会から保護されている海人族が住む、【海上の町エリセン】をついでに観光したいと言うのは、嘘偽りのない倬の本音である。

 

「ふーむ……、“エリセンを観光”と言うのは、君には少々難しいやもしれないね」

 

 こう言ったのは、共に飲んでいた商人達ではなく、たまたま席が隣になった白髪のご老人だった。一見すると使い古されたみすぼらしいガラベーヤを着て、浅黒く日焼けしているだけの只のお爺さんでしかない。

 

 だが、柔和な微笑みと、細められた眼差しの奥に見える翡翠の瞳が気品を感じさせる。何よりも、この場に居合わせた、倬を除く誰よりも多く保有してる魔力が、このご老人が只者ではない事を雄弁に語っていた。

 

『不思議な雰囲気の御仁(ごじん)でござるな』

『悪い人ではなさそうですから、ここは無難にやり過ごしましょう』

 

 刃様も、この老人から特段の敵意や、何かを探ろうとしてくる気配は感じていないようだ。恐らく教会関係者だろうと踏んで、当たり障りの無い会話を心がける事にする。 

 

「私がエリセンを観光出来ない理由を伺っても?」

「なに、理由としては大したモノでは無いよ。あそこはあくまでも海人族に漁をして貰う為の場所だからね。“一人で訪れて見て回るだけ”となると、入場許可はまず下りないのさ。……特に最近は、ね」

 

 ご老人の言う通りで、【海上の町エリセン】は聖教教会と王国が特例として海人族に自治を許している場所であり、人間族と海人族の交流そのものは推奨されていないのだ。

 

 少しの間ボックス席で騒いでいた“隊長”が、カウンターに戻ってきて会話に混ざる。

 

「ほー、爺さん詳しいんだな。“特に最近”ってぇこたぁ……、あの噂は本当(マジ)なのか?」

「どうやら本当らしいね。私も人伝(ひとづて)に聞いただけなんだが」

 

 ご老人が“噂”を肯定したのを聞いて、近くに居た商人達の表情に険しさが浮かぶ。

 

「あの、”噂”って――」

 

 話についていけなくなった倬が、噂について聞こうとした時、突然店の照明の殆どが落された。倬は技能に“宵目”と“熹眸”を持っている為、この程度の暗転で動じる事は無い。例え完全な暗闇の中であっても、倬の瞳はモノの在り様を視ることが出来る。

 

 しかしながら、(こと)この事態において、倬は持ち前の“眼の良さ”故に衝撃を受けてしまう事になった。

 

 暗がりの中、身を屈めて店の中央まで移動し、ポーズを決める二人の女性の姿を視た。

 

 店に残る僅かな灯を頼りに、軽やかにカウンターの上へと飛び乗った一人の女性の姿を、視てしまった。

 

 あっけにとられ、呆然としている倬を放置して、店の天井からぶら下っているスポットライトが女性達の姿を浮かび上がらせた。

 

 照明の点灯と同時に、扇情的な曲の演奏が始まる。その曲に合わせ、女性達は艶めかしく踊り始める。

 

 ベリーダンス用の衣装、と言って伝わるだろうか。彼女たちが身に着けるアンカジの伝統的なダンスに用いられる衣装は、地球のそれと酷似していた。

 

 店の中央で踊る女性二人は、首から鳩尾よりも上までしか丈の無い上衣“チョリ”と、ゆったりとした“サルワール”と言うパンツを着ていた。口元を隠すマスクも含め、全ての布地が、紫や赤色のシースルーだ。

 

 カウンターの上で踊っている女性の衣装は、更に刺激的だった。

 

 “チョリ”よりも更に布地の少ない細かな飾りを施されたブラトップ、腰元のベルトから脚へと流れるロングスカートには、腰から始まっているスリットが存在し、脚全体が露出してしまってる。

 

 店内の商人達は、目の色をギラギラと変えて、女性達の登場を拍手や指笛で出迎えた。

 

「待ってましたーー!」

「「「「ひゅーーー!!」」」」 

 

 言葉を失っている倬を置き去りにしたまま、何人かの商人達は席に備え付けられていたらしい布切れ――この布も何故かシースルーだ――にいそいそとルタを包み始める。

 

 満面の笑みで金一枚(一万ルタ)を布切れに包んでいるご老人に、倬はどうにか訊ねる。

 

「ナニヲ、ヤッテルンデス、カ?」

「ほほほっ、何って勿論“おひねり”だよ。いやぁ、眼福、眼福。お嬢さーん、こっちこっちー」

 

 ご老人は“おひねり”を軽く振って、カウンターで踊る女性に呼びかける。

 

 ご老人の目の前、つまり倬の眼と鼻の先まで移動した女性が“おひねり”を受け取ると、その場であられもなく踊り出してしまう。

 

(……ッ?!?!??!?!?)

 

 あまりにも衝撃的な光景に、思考を放棄した倬は、普段使い用の巾着袋から金一枚をそっとカウンターに置いて、そして……、“逃げる”を選択した。

 

 

 店から一番近い公園の片隅で、倬は膝を抱えて縮こまり、今にも泣き出してしまいそうな状態で鼻をすすっている。

 

 トータスに召喚されてからと言うもの、かなり濃い経験を積んできたと自負していた倬ではあるが、それでもまだ、義務教育を終えたばかりの、十五歳の少年に先程の店は刺激が強すぎたようである。

 

『…………たか、げんきだせ、な?』

『たぁさま、たぁさま、もうねんねしよ? ね?』

『なにかききたい曲はなーい? ねねちゃんがながしたげるっ』

 

 よいくん、ちぃちゃん、ねねちゃんが一生懸命に倬を慰めてくれている。

 

 その様子を、火炎様と土司様、そして他の精霊様達は遠巻きに見守っている。あまり大勢で慰めても、倬の中の惨めさが増してしまって逆効果なのを知っているのだ。

 

『何時の時代も、人の子の男はあの手の店を好むのだな』

『だがのぅ、倬にはちと早かったようだのー』

 

 更に倬から離れた場所では、風姫様とふぅちゃんが適当な木を殴りつけて八つ当たりをしていた。

 

『ふぅーーーーっ!!』

『全くもう! あんな店だって知ってたら、わたしが止めてたわよ! 全くこれだから男は! 全く!』

『あのな、風姫様。そのな、木には罪は無いから、そのな……』

『なに!? 文句でもあんの!?』

『……いや、いいんだ。何でもない。僕が治すから、うん』

 

 木を傷つけるのを止めたかった森司様だが、自分に矛先が向いては困ると、諦めて木を撫でている。

 

 公園の街灯に座る光后様は、案外落ち着いた様子だ。 

 

『まぁ、唯一安心と言えば、倬がアレにのめり込む者でないと分かったのは、一つ発見だったな』

『そうね~、もし普通に楽しんじゃってたらと思うと……。ちょっと困っちゃうわね~』

 

 空姫様も、どこかホッとした表情で空を漂っている。

 

 公園まで逃げ出してきて、五分くらい経ったところで、倬の傍へ駆け寄って来る人物が居た。

 

「よかった、見つかって。“灰色”さん、探しましたよ。……あの、大丈夫ですか? 水飲みます?」

 

 どうやら、逃げ出した倬に気づいて、若い商人が追いかけて来たらしい。

 

 倬は目元をローブの裾で拭って、のろのろと顔を上げる。

 

「……すいません、あんな感じの店に慣れてなくて」

「あぁいや、そんな、謝るような事では。女性が苦手だったりしましたか?」

「何と言うか、あんまり露骨なのは、ちょっと……、苦手だったみたいです……」

 

 別に女性恐怖症を患っているわけではないし、グラビアアイドルの水着姿にだってドキドキするのだが、露出過多の女性が目の前で踊ると言う光景が、とにかくショックだったのだ。

 

「あれは、わかりません……。目のやり場、目線は、どこに置けば……? 安全地帯はドコなんです?」

 

 抱えた膝に顔を隠すようにして零す倬の台詞に、若い商人は、堪え切れず笑ってしまう。

 

「……ん゛ん゛ッ、ぶふっ!」

 

 笑われた事に気づいた倬は、恨めしそうに若い商人を睨んだ。

 

「……なんですか」

「ん゛、ぶふふふっ……。いやいや、そう言えば()、まだ十五だったなってさ」

 

 笑いを抑えられないまま、若い商人は倬に手を差し伸べる。

 

「ほら、“灰色”()。宿まで送ってくよ。“隊長”には俺から適当に言っとくから」

 

 何だか納得できない倬だったが、素直に伸ばされた手を取って立ち上がる。

 

「だけどあれだね、あれを楽しめないなんて勿体ない」

「……良いんですよ。自分は重ね着してお洒落してたり、モコモコした服の方が落ち着くんです」

 

 強がっている倬を見る若い商人は、さっきからずっと笑ったままだ。

 

「“灰色”君。キミ、思った以上に面白いな」

「あの、もしかしなくても馬鹿にしてます?」

「そんな事ないって、なんなら絶賛してるまであるよ」

 

 二人でこんな風に話しながら公園から出ると、慌てた様子できょろきょろしているローブ姿の女性にぶつかりそうになった。

 

 倬は、技能“先読”を活用して何気なく避ける。ローブ姿の女性の方は、まるで自分の動きを知っていたかのような避けられ方に驚いて、ピタリと動きを止めて倬に振り向いた。

 

「あ、あのっ……!」

 

 何を思ったのか、意を決して話しかけてくる女性。フードを目深に被っているので、ハッキリと顔を見ることは叶わないが、ローブが魔力を帯びた上等なモノであることは分かる。フードからは美しい金髪と、日に焼けた口元が覗いている。

 

「えっと、どうかしましたか?」

「この辺りで、変わったお爺さんを見かけませんでしたか? 肌色は濃くて、白髪(しらが)頭の無駄に元気な、瞳の緑色が特徴の祖父なのですが……」

 

 思い当たる節しかなかった。間違いなく、あの楽しそうに“おひねり”を用意していたご老人の事だろう。

 

(この人にあの店教えるの、凄い抵抗があるんだけど……)

 

 教えるべきかどうか悩んでいるのに気づいて、若い商人が倬の肩に手を置いた。「任せろ」と囁いた後、倬より一歩の前に歩み出る。

 

「そのご老人なら、すぐ近くの“ダンスバー”に入っていくのを見かけましたよ。もしよろしければ、ご案内しましょうか?」

「いえ、そこまでして頂かなくても大丈夫です。教えて頂いて、感謝いたします。では……」

 

 丁寧なお辞儀をして、女性はあの店に向けて駆け出していった。

 

 やり切った感を醸し出す若い商人の背中に、倬は胡乱(うろん)な目を向ける。

 

「良いんですか、“ダンスバー”なんて教え方で」

「ま、彼女が入った時に“ダンスタイム”中じゃない事を祈ろう。“灰色”君は“祈祷師”なんだろ?」

「そんな事を祈祷したら怒られそうなので止めておきます」

 

 偶々席が隣になっただけのご老人でしかないが、お年寄りにだって、羽を伸ばしたい日もあるのだろう。そう考えると、あまり怒らないであげて欲しいなと思ってしまう。

 

 お孫さんに見つかった後のご老人を心配していたら、“ダンスタイム”のせいで聞きそびれていた事を思い出した。

 

「あー……、そう言えば、エリセンの話題の時に聞いた“あの噂”ってどんなモノなんですか?」

 

 若い商人は、そんな話題出たっけかなと、こめかみを指でぐりぐりしてから、拳でポンっと軽く手を叩いた。

 

「あぁ、あの話か。あれはね、ここ一年、海で漁場を荒らし回ってるって言う、“海賊”の噂の事さ」

 

 

~~~~

 

 

 遥か彼方まで続いているかのような水平線、まだ暗さの残る空には、魚群を追う海鳥達が大きな円を描いて滑空している。

 

「さぁさぁ、ボニッタ一番からっ! あー……、紫一(むらヒト)紫二(むらフタ)紫三(むらミツ)紫四(むらヨツ)……、紫四(むらヨツ)! 後はー? はいっ、紫五(むらイツ)! 後はー? はいっ、紫五で(うお)ユンさん! 二番のボニッタ――」

「次の来んぞー! ……ああんっ! ばっきゃろう、そんなとこ突っ立ってんじゃねえ! (フカ)の餌にされてぇか!」

「す、すいやせーんッ」

 

 【アンカジ公国】に一泊した後にやってきた、エリセンから運び込まれる殆どの魚介類が水揚げされると言う大きな港町は、まだ日が昇ったばかりの早朝だと言うのに、大変な賑わいを見せていた。

 

 鰹に似た海魚のボニッタが次から次へと競り落とされ、貝類が入った巨大なザルが舟から滑るようにして市場へと運ばれていく。

 

 “カンジェルの貝柱串”と言う、“CD”程もある巨大な貝柱を二個、串に刺して炭焼きにした名物を食べながら、倬は護岸に座って遠く沖に浮かぶ【海上の町エリセン】を望む。

 

「デカ過ぎるホタテかと思ったら、味はシジミ寄り……? 食べ応えのあるシジミ、最高かよ……」

「あるじどの! やっくんも! やっくんも一口!」

「お、やっくんは貝が好きなんですか、通ですねー。はい、あーん」

 

 ホタテの様に、ほぐれやすいカンジェルの身を一口大に裂いて、“刀剣の妖精”やっくんにあーんしてあげる。貝柱を噛みしめているやっくんは幸せそうだ。

 

「表面上は特に海賊とやらの影響はなさそうに見えますが……」

「けど、噂はあちこちから聞こえるねー」

 

 音々様と一緒に市場の喧騒の中から、海賊の噂話だけに聞き耳を立てて見て回った所、結構な数の人が被害を被っている上に、人によって海賊の姿を目撃している事が判明した。

 

 聞こえてくる、市場で少しでもお得に買い物をしようと張り切る奥様達の声。

 

――ホントに困るわねぇ、一昨日なんて、小魚一匹で六百ルタだったのよぉ?――

――あらぁ、ホントに? わざわざ市場まで来てそれじゃあねぇ――

 

 休憩中の職人達がぼやく声。

 

――また海人族が漁の最中に襲われたってよ――

――俺こないだ、馬鹿みてぇに速ぇ小舟を見たぜぇ。いくら“海人”ってもあれは追いつけねぇって分かったなぁ――

 

 苛立たし気な、大きな舌打ちも聞こえた。

 

――チッ、今日の水揚げは去年の二割減ってとこか?――

――ええ、これでも、ここ一ヶ月では一番の量になります――

――糞がッ、一体どこのどいつだ、海賊なんて時代遅れな馬鹿な真似しくさりやがてッ――

 

 エリセンからやってきた小舟を出迎えるおばちゃんの、ハツラツとした声に何だかホッとする。

 

――ほい、お疲れさん。……ありゃー! レミアちゃんじゃないっさぁ。久しぶりだねぇ!――

――あらあら、まぁまぁ。セワさん、お久しぶりですー――

――港まで来るなんて珍しいじゃないっさぁ!――

――キリナちゃんが風邪ひいちゃって、その代わりに――

――そうかい、そうかい。……ぐすっ、ほんと、レミアちゃんが元気そうで、おばちゃん安心したよ――

――もう、セワさんってば。あれから、もう五年ですよ?――

――五年……、そーう、もうそんなに経ったんだねぇ。赤ちゃんは元気かい?――

――はい。皆に可愛がってもらって、元気に育ってくれてます――

――じゃあ今日は、一人でお留守番?――

――ちょっと心配ですけど、お友達も一緒ですから――

――アタシからすると、小っちゃかった頃のレミアちゃんみたいに“冒険”してやしないか心配だけどね!――

――あらあら、うふふ、セワさんってば意地悪なんだから――

 

 何となく嬉しくて、人間族のおばちゃんと海人族の女性の仲睦まじい会話に集中してしまったが、海賊達は港に住む人々ですら見たことの無い速い舟を使い、漁場を荒らしまわっているらしい。

 

 今の所、船足が速すぎて逃げられてしまう為、大きな戦闘には発展してはいないが、そうなるのも時間の問題と言えそうだ。

 

「町での略奪はしてないみたいですが、如何にもな海賊まで居るとは、流石は剣と魔法の世界ですね」

『今から海の上を探すとなれば、もしかしたら見かけるかもしれませんね、アナタ様』

「まぁ、もし見つけたら、ちょっと“蒙怨(ぼうおん)”残すくらいはしていきますか」

 

 

 雪姫様が感じ取った精霊の気配は、今いる場所よりも更に北から潮に乗って流れてきたものだった。倬は海岸線をゆっくりとなぞりながら、精霊様の気配を追っていく。

 

 真っ白な砂浜、丸々とした石が敷き詰められた渚、岩石が剥き出しになった磯には釣りを楽しんでいる者も居た。

 

 海賊が出没すると言う割には、いたって平穏な様子の海辺を見下ろしながら北上して三時間程が経っただろうか。人里が見つけられなくなり、北の岩石地帯にほど近い場所に差し掛かった時、遠く海の上から男達の声を聞き取った。

 

 より正確に言うなら、野太い男共の歌が聞こえてきたのだ。

 

――俺たーちゃ 海賊ッ 大悪党(だいあーくとう)ッ! ほっほっ!――

――漁場(りょうば)も 仕掛けも 撒き餌だって 金になるなら奪い取れ!――

――稚魚でも 雑魚でも 関係ねぇ ぶっ殺してでも奪い盗れ!――

――俺たーちゃ 海賊ッ 大海賊(だいかーいぞく)ッ! ほっほっ!――

――男も 女も 同族だって 金になるなら売っ払え!――

――ガキも 年寄(としょ)りも 関係ねぇ 取っ捕まえて売っ払え!――

――俺たーちゃ 海賊ッ 大悪党(だいあーくとう)ッ! ほっほっう!――

 

 陽気に歌われる内容に、倬は不快を覚え、眉を顰めてしまう。

 

 そんな倬の左肩にしがみついていた音々様には、少し違ったように聞こえたらしい。

 

「寂しい、歌だね……」

 

 今の歌から、“寂しい”と言う感想を漏らした音々様に倬は少し驚いてしまう。

 

「そう、聞こえましたか?」

「うん。だってね、“自分は悪者だ”って言い聞かせながら歌ってるんだもん」

 

 自分達を悪党だと言い聞かせる為の歌。何となくだが、倬にはそうしなければならない状況と言うのが存在するのだと、理解できる気がした。精霊様と契約して、大地と人の歩みを見たからこそ、かもしれない。

 

 今まさに悪事を働いているわけでは無い。技能“熹眸”を利用した視力強化で見る限り、どうやら、普通に漁をしているだけらしい。間違いなく王国から漁の許可など取ってはいないだろうが、それは磯釣りに興じていた者達だって同じだ。

 

 そう思って、見逃そうと視線を離した直後、海賊の叫びが“反響定位”の応用で強化していた耳に轟いた。

 

――お、おいっ! あれ見ろぉ! こんなとこにガキんちょが居やがるぞ!――

 

 ここはまだ西の海であるとは言っても、既に人里からはかなり距離がある海域だ。普通の子供が泳いで来られる訳がない。もしここが地球の海洋上ならば、予め海難事故の情報でも得ていない限り、何かの見間違いだと断定してしまう所だった。

 

 だが、ここは海と共に生きる、泳ぎの得意な種族が居る。そんな、異世界なのだ。

 

 視線を戻し、その周辺の音を集中して拾い上げる。

 

 三隻、十五人からなる海賊達が、唾を飲み込む音を聞いた。

 

「お前ぇら、覚悟決まってんな!」

「「「おうさー!」」」

 

 覚悟を問うた古株らしい男が指した先、そこには、四人の少女達が身を寄せ合って浮かんでいる。

 

 舟が波を荒立たせ、少女達を囲んで円を描いて回る。

 

「いい加減時間が無かったんだ。海人族のガキ、それも生娘とならぁ、かなりの値がつく。これなら頭領だって……」

「……四人とも、大人しくしていろ。下手に暴れさえしなければ、傷つけるような真似はしない。いいな」

 

 バンダナで頭を覆う大男は、静かにそう言った。

 

 海人族の少女達は、異様な速さで海の上を動く舟と、海賊の男達に怯えて、声を出すことすらままならない。

 

「おい、そっち大網あったろ、網ぃ打って潜れなくしてやれ」

「おうさ!」

 

 周囲に(おもり)がぶら下る、直径四メートル程の網が斜め上方へ目掛けて投げられると、ぶわりと広がって、子供達の頭上に粗い影を落す。

 

 バシャッと海に落ち、子供達を捉えるはずだった網。だが、大網が音立てることも、海面に落ちることも無かった。

 

 子供達は見た。頭の上の、何もない空間から飛び出してきた、重たそうなブーツを。

 

 海賊達は見た。宙に浮かび、網を頭から被る、無表情な眼鏡の男を。

 

 空間魔法“界穿”によって転移した倬が、無言で網を力任せに引き寄せる。

 

「……うおっ!?」

 

 ドポン。網を投げ、引き戻す為の手綱を持っていた海賊の一人が、荒っぽく海に落とされた。

 

 倬以外の誰もが、現状を理解できずに固まったままだ。

 

 誰も動かないのを確認して、投網(とあみ)を手元にまとめ始めたのを見て、舟の上に居た海賊が叫ぶ。

 

「あ!? こら、網返せ、この泥棒っ!」

 

 この台詞に、声の主が乗る舟に目掛けて網を投げる。投網を打った経験などない倬では、先程の海賊のように網を綺麗に広げて目標の上へ落とす事は難しい。故に、倬は続いて魔法を唱える。

 

「__“風爆”」

 

 投げられた網の内側に風魔法が撃ち込まれ、舟ごと海賊達に網がかけられた。

 

「ぐわッ! くっそ、こんの……」

「まったく、誰が泥棒ですか、失礼な」

「テメェ、舐めた真似しやがって!」

 

 ここに来て、海賊達は操船する者以外の全員が、携えていたサーベルや短剣を抜き始める。三隻の舟、その後方で機械的な音ががなりを上げると、船首が持ち上がり、ウィリーの様な状態で倬と子供達を囲む円を狭めていく。

 

 倬は目を細め、舟の動きを全身で感じながら、錫杖の先を子供達へと向ける、

 

「……__“風固”、“吹き荒ぶ大気は阻むを退け、旅路の一助とならん”」

「え? え? え? 何……!?」

 

 子供達は空気の塊の中に包み込まれ、海の中へと沈んでいく。光系魔法や空間魔法を選択しなかったのは、“風固”であれば、彼女達自身の意志で逃げ出す事が可能だからだ。

 

 海人族の子供達が視界から消えていくのに焦る海賊達だが、激しく上下している舟の上にありながら、それでもしっかりと立ち上がり、倬を睨むのを止めることはない。中には、ブツブツと詠唱している者までいた。

 

「畜生、逃がして溜まるかってんだ! “足場”の準備は!」

「「「おうおうさー! “光絶”」」」

 

 三人の海賊が、光系障壁魔法を海面に対し平行に展開し、新たな足場を作り出す。

 

 舟から足場に乗り移り、倬へ目掛けてサーベルを振り上げる海賊達。

 

(うぉっ! マジか、何だこの連携!?)

 

 想像を超えて冷静かつ正確な攻撃に、倬は驚きつつ、海賊が唱えた“光絶”を利用し、宙返りで攻撃を躱す。倬に斬りつけた仲間を受け止めるべく移動していた舟にそのまま乗り込み、杖を振るって、そこに居た海賊達を殴りつける。

 

「ぐあッ」

「ギャッ……」

 

 大きく揺れる舟の上、杖で突き飛ばされ、海賊達は次々と海へ投げ出されていった。

 

 舟を取り返そうと必死に泳ぐ海賊達だが、舟に辿り着く直前、海の上に出現した“穴”に落ちてしまう。これは、海賊達を投げ飛ばしながら設置した“界穿”による“落とし穴”だ。

 

 ごつごつごつと、“落とし穴”から舟の上に叩きつけられる海賊達。舟にあった荒縄で、一人ひとりを縛っていく。

 

 古株らしい海賊が、血走った眼で倬に睨みを効かせる。

 

「げほッ、げほッ、何だってんだ、テメェは」

「通りすがりの“祈祷師”です。さて……、貴方達を王国に引き渡せば、いくらになりますかね?」

「ひぃっ! 人を売って金に換えるだとぉ! それが人間のする事か!? こん畜生!」

「あの、どの口でそれを言うんです……?」

 

 三隻の舟を並べて、真ん中の一隻に海賊を投げ捨てるようにして集めていく。

 

『ん……? 倬殿、一人足りないぞ』

「えっ……」

 

 雷皇様に指摘されて海賊の人数を確かめる。海賊の数は十五人だった。だが、舟の上には十四人しかいない。

 

 慌てて周囲を見回す、南へおよそ二百メートル先に海人族の少女達を確認する。

 

 ここまでは倬の思惑通りだ。

 

 しかし、その少女達の進行方向に、海の中から大柄な男が立ち塞がるようにして現れた。

 

 頭を覆うバンダナが落ち、露わになるエメラルドグリーンの髪に、扇状の耳。海賊の一人は、少女達と同じ海人族だったのだ。

 

 海人族の男が、一人の少女を抱えて、持っていた(モリ)を首筋に突き付ける。

 

「イヤぁーーっ!?」

「やっ、駄目っ、ミュウちゃんっ!」

 

 捕まえられた友達の名前を叫んで、必死に取り返そうと引いた少女の腕が、乱暴に振り払われる。

 

「……聞こえているな。仲間を解放しろ。さもなければ、このガキがどうなるか……、想像できるだろう?」

 

 どんな理由があってこの海人族の男が海賊となったのか、今となってはもう、どうでもいい。それでも、亜人族の、同種族間での仲間意識が非常に強い事を知っている倬には、受け入れ難い状況だった。

 

 その感覚は子供達の方が強いらしく、友達を捕らえている者が海人族であることに酷く戸惑っている様子だ。

 

 倬は、どうやって少女達を逃がすかに集中する。どうであれ、少女達の目の前で同族の男を殺すのは避けたい。水系魔法で縛り上げる、闇系魔法で眠らせる、空間魔法でこちらまで転移させる、選択肢は無数にあった。

 

 使用する魔法を決め、海人族の男に睨み返す。

 

 その時だ。

 

 ここよりやや北の岩礁地帯に、膨れ上がる静謐な魔力を感じ取った。

 

 次の瞬間、海人族の男のこめかみが、強力に圧縮された水流の“矢”によって射られる。

 

 完全に意識の外から加えられた衝撃に、大柄な海人族の男は、そのまま気を失って倒れてしまう。

 

 宙に投げ出される格好になった“ミュウちゃん”と呼ばれた少女が、“矢”の飛んできた方向を指さして先程までの恐怖を忘れたかのように、嬉しそうな声を上げた。

 

「あっ! あの子! 皆、あの女の子なの!」

 

 “ミュウちゃん”が指し示した先、その岩礁の上には、確かに“女の子”がいた。

 

 弓兵が利用する革製の胸当てを身に着け、軽装の戦士然とした佇まい。矢を放った後、弓を構えたまま残心を保つその姿は、凛々しくも涼し気だ。

 

 頭の後ろで細く結わえられた深い藍色の髪が、潮風を受け、さらりと揺れた。

 

『倬、居たわ』

『風姫様、それじゃあ、あの方が……?』

 

 確認する倬の真横に現れた風姫様は、“女の子”から目を離さず、ゆっくりと頷く。

 

「そ、あれが“海の精霊”。ま、あの子にしては、随分な登場の仕方だけどね」

 




はい。という訳で“一問目”はここまでとなりました。

今回のタイトル元は《海のことは漁師に問え》でした。

次回の投稿は10/21(日)には出来るように頑張ります。

では、ここまでお読みいただき、有難うございました。

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