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ここで一度、魔法の基礎についておさらいしておこう。
魔法は、魔法陣に対して詠唱でもって体内の魔力を注ぐことで、その運用が可能となる。
例え全く魔法適正が無かったとしても、必要な魔法式が組み込まれた魔法陣、魔法式に従った詠唱、それに見合った魔力があれば、魔法を発動させることが出来るのだ。
一般に魔法式は“基本五式”の属性、威力、射程、範囲、魔力吸収と“追加式”の誘導性、持続性等が必要となるのが知られている。魔法の熟練者ほど忘れがちであるが、速度、弾道、拡散率、収束率等と言った魔法式が魔法適正により“思い描く”事で省略されていることは覚えておいて損はない。
自身の運用する魔法が如何なる要素で構成されているか理解することは、より具体的に“思い描く”事の足掛かりとなる。これは魔法上達の常套手段と言えよう。
だが世の中には、祈祷師・霊媒師などに代表される例外が存在する。
祈祷師・霊媒師は、全く同一の魔法陣を使用しているにも関わらず、倍以上の魔力量を消耗してしまうのである。酷いものでは五倍以上の消耗を要したこともある。魔法式に指定されていない魔力の消費について、原因は未だ解明されていない。
そう言った事情が理由なのかは定かではないが、古くから祈祷師には専用の魔法陣と詠唱に使用する呪文が伝えられている。これらによって初めて、一般と同程度の魔力消費に抑えることが出来る。しかし、伝えられている全ての魔法が初級・低級魔法程度の影響力しか持たない上、不可解な事に、適正に従い魔法式は省略出来るが、詠唱の短縮は出来ない。
よって現実には、一般の魔法に頼らざるを得ない場面が殆どだ。戦地に赴くとなれば尚更である。
祈祷師が、その職を全うせんとするならば、如何なる時でも“瞑想”し、魔力と冷静を保つことが求められる。
祈祷師とは“瞑想”と共にある天職と心得よ。
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これまで述べてきたように、祈祷師は一般の中級以上の魔法をまともに使うことが困難である。それ故に、伝えられている魔法陣と呪文に拘らず、自然の中に潜む原理、原則に対する理解を深める努力を怠ってはならないのだ。
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諸兄らは燃やすものによって、炎やその煙が呈する色の違いを意識したことがあるだろうか。私が儀式を華やかにする為に重宝しているモノを以下に示そう。
・赤茶色の金物 鍋や木桶の枠など 青緑色
・貝殻・卵の殻 陶器などの素材 赤色
・釉薬(粉末にする) 陶器などに光沢を与える 白色
・柑橘類の果皮油 香水など 橙色
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「俺、なんで異世界で“炎色反応”習ってんだ……」
ステータスプレートが配られた次の日、今は午前中に行われた座学後の休憩時間だ。
倬は王立図書館に設けられた小部屋で、背表紙に【祈祷師の手引き】と書かれた本を読んでいる。教官から祈祷師の魔法書を探す依頼をされた際に「良い機会だから関連資料を整理してしまえ」と言う司書長の思い付きで、その部屋の隅には整頓前の大小様々な本が乱雑に積み重ねられている。
本来、四、五人で小規模な会議や研究会を催す為の部屋なのだが、倬がそこで資料を読むことは、なし崩し的に黙認されている。“勇者のご同胞”の役得と言うやつだろう。
ちなみにこの本、司書たちが図書館をひっくり返す勢いで探して出して来た貴重な一冊である。
貴重な一冊ではあるのだが、その内容の大半は演出で役立つ魔法の使い方と、その工夫で占められており、花火の解説が始まった辺りで、うっかり声を出してしまったのだった。
なんだかなぁと思いつつも、収穫が無いわけでは無かった。当然ながら、教官たちの誰一人として祈祷師専用の魔法陣も呪文も知らないのだ。資料が残されていたことは僥倖と言えるだろう。何かしらの解説書を読むのが割と好きな倬は、知らず知らず夢中になって読み進める。
「――――霜中様、こちらが主だった魔法陣の資料になります」
とすん。と日本で言うところの
“エヒト神”直々に召喚した勇者の仲間に粗相があってはならないと、図書館の関係者は皆、丁寧な言葉遣いを心がけている。
びくっと、肩を小さく跳ねさせて、あっ、ありがとうございますと控えめにお礼を言う。その羞恥でうっすら赤くなった顔を見ながら、ティネインは身に覚えのある少年の反応に苦笑している。
「すいません、ちょっと夢中になってしまって……」
「いえ、私もよくやりますので。わかりますよ」
人の足音どころか、扉が開く音にも気づかなかった事に若干焦る倬。青年司書のくすりとした人好きのする微笑に気を持ち直し、箱の中身を確かめに傍まで移動する。ティネインが箱を開けると、均等に丸められた羊皮紙がぎっしりと敷き詰められていた。
「随分と古い時代のもののようです。羊皮紙は今でも儀礼や手紙などで使いますが、これは、羊皮紙が出回り始めた時代のものではないかと」
「そんなに古いんですか?」
「この羊皮紙保管用の箱と言うか、この籠自体、最近ではあまり見かけませんから……羊皮紙を保存するにしても近年では、この様に丸めたりせず、更に軽くて丈夫な上、湿気に強い特別な木箱が用いられています」
言いながら、倬に薄手の手袋を渡す。続いて、羊皮紙の一つも渡してくる。
羊皮紙の両脇が必死に元の様に丸まってやろうと抵抗し続けるのを感じながら、描かれた魔法陣を確認する。一般的な魔法陣との違いは、書きつける魔法式の順番と、円環の繋げ方など非常に地味、且つ細かなものであることが今の倬でも予想できた。
「これで全部なんですか?」
「いえ、他にもいくつか同型の籠がある事が資料で確認できました。既に探索班の編成も終了し、現在は、そこまでの道のりを確保する下準備の最中です」
「……あの、迷宮にでも挑むみたいに聞こえたんですが」
「我が王立図書館地下倉庫は、最も人里に近い迷宮であると自負しています」
どんな倉庫だ。とは口に出さなかったが、この図書館ですれ違う司書が九割方男性で占められている理由が分かった瞬間だった。
(通りで図書委員的な美少女との邂逅イベントが無いわけだ。……まぁね、たか君知ってるよ。司書が結構な肉体労働なの、知ってるよ。……悔しくなんかないぞぅ。ないもん)
初めてティネインの後姿を見た時に湧いた、淡い期待を思い出しそうになって、遠い目をしながら自分を無理やり納得させる。羊皮紙を元通り丸め直し、箱に戻す。戦闘訓練の時間が、すぐそこまで迫っている。
王立図書館は王宮の目と鼻の先と言うほど近くに建てられている。それでも、図書館と王宮との往復は王都に暮らす人々の日常を垣間見ることが出来る。そこからは、大戦が近いことも、人間族の滅びも、それを憂う気配も感じられない。
王宮内にある訓練施設には、既に殆どの生徒が集まり、教室でよく見られたグループを維持したままお喋りに興じている。生徒達の集まりの良さは、慣れない環境に緊張しているのが原因だろう。
こちらにやってきて、まだ三日目であることを考えるに無理からぬことだ。
(……あっぶねぇ。自分のステータス、生徒の中じゃ平均以下の疑いあるからなぁ。遅刻には気を付けないと)
悪目立ちしない為の自分の立ち振る舞いについて考えながら、施設の入り口付近で壁に寄りかかり、メルド団長と他の教官達を待つ。途中、檜山達四人組と他数人がやってきたことで、生徒全員が集合したことが分かった。
「よーし。全員揃っているか? とりあえず全員共通の訓練について説明する所から始めるからな」
訓練の予定より僅かに早い時間に現れたメルド団長は、開け放された扉を通りながら声を響かせる。そのまま施設の中央付近まで歩くと、「声が聞きやすいところまで集まって来てくれ」と一言付けたし、生徒達を改めて集合させる。
まずは天職に関係なく格闘の基礎訓練を施すとの事だ。
いざ目の前に敵が迫ってきた時、短剣の一本位扱えなければ、世界を救うばかりか自分自身すら守れない可能性だってある。戦闘では、魔力切れに、魔法陣の喪失、詠唱が封じられることも平気で起こりうる。
さらに言えば、後衛職に該当する天職の持ち主は大抵、多くの魔力量を保持している。それ故にある程度以上の耐久力は兼ね備えているものだ。ほんの少しの心構えが、その耐久力を活かし命運を分けることも少なくない。
よって、魔法職、後衛職であっても格闘戦についてある程度の心得は必要とされるのが、この世界の常識なのだ。
結局、訓練前半は、短剣や細身の剣など一通りの武器に触れ、握り方から始まり、基本の型で素振りの稽古に終始することになった。
真剣を持つことなど滅多にないこともあり、特に男子生徒は妙に興奮気味だった。やはり、武器の類に憧れを抱くのは男子共通の感覚なのだろう。倬とて例外ではない。
(むふふ、やっぱテンション上がりますねぇ。……刃は怖ぇし、祈祷師だと実戦じゃ殆ど使わないんだろうけど)
はしゃぎ気味の男子たちとは対照的に、殆どの女子生徒はおそるおそる剣を振っている。身体から刃の距離を極力離そうとしているせいで、腰が引けて握りが甘く、剣を落としてしまいそうだ。かえって危険な姿勢である。
最も、自覚がないだけで男子も七割方へっぴり腰になっている。当然、倬もその七割の方だ。ちなみにへっぴり腰になっていない残りの三割は怖いもの知らずのやんちゃな奴らか、元々心得がある光輝位のものだ。
そんな中、教官たちの注目を集めたのは八重樫雫だった。真剣を前にして集中力を切らさず、先ほど教わった基本に忠実に、寧ろ、より鋭い素振りをして見せたのだ。
「ほぉ~。さすがは“剣士”だな。見事なもんだ」
「い、いえ。そんな大したモノでは……その、実家が剣術道場なだけで……」
「道理で……。正直、ウチの新兵達に稽古をつけてもらいたい位だぞ。全く、俺達で教えられることがあるか心配になるな」
わっはっは、と豪快に笑いながらメルド団長が雫をべた褒めにする。他の教官も皆、期待に満ちた眼差しを向けながら、同意のうなずきを交わし合う。渦中の雫と言えば、ほんのり顔を赤らめさせつつ「やってしまった……」と後悔の呟きを零していた。注目を集めたくなかったのに、真剣を前して、真剣になってしまったらしい。
(ほえ~。八重樫さんて本当に凄かったんだなぁ。剣道部の試合なんて見ないし、剣持ってるとこなんて見ることないもんな。流石は“お姉様”である)
普段見ることの無い雫の剣士らしい姿に見蕩れる倬だった。雫の傍では、香織や谷口鈴が自慢げな笑顔を浮かべている。
「どう? どう? カオリン、あの子。私の嫁なんですよ?」
「ちょっと、鈴ちゃん? 聞き捨てならないよ? 雫ちゃんは私のなんだからね?」
「……適当な事言って揶揄わないでちょうだい」
もうっ、と怒って見せて素振りに戻る雫。その照れた様子に二人はニヤニヤしながらも、雫の仕草を真似するように素振りに励む。
暫く、メルド団長を含めた教官たちのアドバイスを受けつつ素振りを続ける。途中、「筋がいいな!」だの「やはりモノが違うな!」だのと矢鱈と生徒達を褒める場面が見られた。どうやら、戦闘経験の無い子供であることを加味して、褒めて伸ばす方針らしい。
特に“勇者”たる光輝には露骨なもので、かわるがわる教官がやってきては高い評価を口にしてから去っていく。当の本人は照れてはいるものの、こういった扱いに慣れているのか疑問に感じたりはしていない様子だ。
(やっぱ、勇者の扱いは別格か。……ん? 端っこでメモってる騎士が居るな。適正検査か?)
倬が見た騎士がメモしているのは、現時点での生徒の個人差等、所感である。天職とその体格に合わせて生徒達に貸し付ける武具、アーティファクトの参考にする為だ。
必要な情報が集まったのか、メモしていた騎士がメルド団長に耳打ちをした。それを受けて、機嫌良さげに話し出した。
「うっし、とりあえず素振りはこれくらいでいいだろう。次は、魔法の実技訓練だ。こっちで適当に班を振り分けてある。呼ばれた奴から順に並んでってくれ」
彼らにとって忌み言葉たる“二人組作って”ではなかった事に、倬、ハジメ、幸利あたりが揃って安堵の溜息をひとつ零す。……もっとも、明日以降、その忌み言葉に悩まされることになるのだが。
縦横一メートル以上はあろうかと言う魔法陣が描かれた紙を地面に敷きながら、とんがり帽子に黒ローブの、如何にも魔女な姿の中年女性がゆったりとした口調で話し始める。
「さて……こいつを見てくれ、どう思う?」
(……すごく、大きいです)
つい小ネタに走ってしまう倬に対して、大体の生徒達は質問の意図を掴みかねているのか、答えに窮している様子だ。すると教官は生徒の一人を見つめて、無理やりに答えを引き出そうとする。
目を合わせられている事にあわあわしながら、園部優花が躊躇いながら答える。
「えっ、あの、えーっと……すごく、その、大きい、かなって」
(おぉ! 大体合ってる! しかも何だろう、なんかヤラシイな!)
倬がとんでもなく下らない理由で喜んでいると、教官が優花の答えに満足したのか、カラカラ笑いながら説明を開始する。
「そう、でかいよな。およそ実用向きじゃあ無い」
だが、と一言おいてから、巨大な魔法陣に手をかざして詠唱を始めた。
「求めるは火、其れは力にして光、顕現せよ、“火種”」
すると、魔法陣の中央に拳大の炎が出現する。同時に、描かれた魔法陣が紙を侵食するようにボロボロと崩れていく。生徒達は真剣な面持ちでその光景を見守っている。
「詠唱の通り、こいつはちょっとした炎を灯すためだけの魔法だ。魔法の段階で言うなら初歩の初歩だな」
その言葉に、生徒達の中から「初歩であんな魔法陣使うの?」と疑問の声が聞こえてくる。その声を待っていたかのように、うんうんと頷く教官。
「さっきのは本来必要な魔法式の全てを組み込んだ魔法陣なのさ。どんな魔法であれ、一から十まで魔法式を書いちまうと魔法陣は馬鹿にでかくなる。だが、普通は皆“適正”があるからな、色々式を略して、さっきの十分の一位くらいの大きさにまとまるもんさ」
ここまで語ったあと本題に入る。これから生徒達の魔法適正を確認するらしい。どの魔法式をどれだけ省略できるかは“技能”だけでは正確に判断できない。かなりの割合で個人の資質に依るのだ。
生徒達は班ごとに分かれ、教官たちと自身の適性を見極めていく事になった。
倬は滅多に無い、衆目に晒される立場に、とても居心地の悪い思いをしていた。
「ほー。“祈祷師”と聞いていたから、どうなることかと思ったが、凄いもんだ」
中年魔女の教官は、判明した適性の高さに対し、いささか大袈裟とも思える驚きようだ。倬は“基本五式”の内、魔力吸収以外の四つを省略出来る上、他にもいくつかの適正を持っていた。よほど複雑な魔法でもない限り、魔法陣の規模を直径五センチ以内で収める事が可能だと発覚したのだ。
「こりゃあ、アーティファクトに悩むねぇ。こんだけ才能があるってのに“祈祷師”だってんだからなぁ……」
手数で攻めるか、それとも効率重視のがいいのか……等と唸る教官は、倬をその眼中に入れると、何やら思いついたらしい。
「ちょっと適当な杖持ってこさせるから、あんたは待機しててくれ」
「あ、ハイ」
返事を聞くや否や、訓練の補助をしている教官の一人に指示を飛ばす。待機を命じられた本人は手持無沙汰な状況に戸惑うほかなかった。
(何なんだ急に。っていうか、祈祷師ってそんな面倒な扱いなのか。……才能あるって言われる分には悪い気はしないけど)
待っている間、何気なく周囲を見渡す。すると、妙な雰囲気が漂っている班がある事に気が付いた。その中心に居る人物はハジメだ。顔を真っ青にしながら、虚ろな目で与えられた魔法陣に対して詠唱をしている。
詠唱を終えたハジメは、更に顔色を悪くして、いつ泣き出してもおかしく無いと思えるほど憔悴している。ハジメと対面している教官も「え? え? なんで? 発動しない? なんで?」と酷く狼狽えている。適性を測る為に用意された、魔法式を少しずつ変えた魔法陣全てで、魔法が発動しなかったのだ。
(アイエエエ……。なんで南雲君ばっかり悲惨な目に。慈悲は無いんですか!)
この様子を見るに見かねた中年魔女教官が、どれどれとハジメの元へ向かう。そのまま手早く足元に魔法陣を書き始め、五分少々かかり完成した魔法陣は、訓練開始時に見せられたものと寸分違わぬものだ。
よしっと言った後、目でハジメに詠唱を促す。意思を持たない人形の如き機械的な動きで、もう何度目なのか分からない詠唱を始める。その声は非常に弱々しい。
「……求めるは火、其れは力にして光、顕現せよ、“火種”」
ぼうっと炎が空中に灯る。「で、出来た……は、ははは出来た」と乾いた笑いを零すハジメ。頭痛でも感じているかの様に、こめかみ辺りに手を添える教官たち。この瞬間、ハジメの魔法適正が確定したのだ。人間族において非常に珍しい魔法適正ゼロである。
(上位世界出身者の強い力とは一体何だったのか……。南雲君と比べれば、祈祷師の厄介さ位マシなもんだ。我が侭言ってられないわ)
あんまりな結果に目を逸らして、倬が心を新たにする。すると、背丈ほどの長さがある杖を携えて中年魔女教官が戻ってきた。
「魔法名は“嵐空”。あたしに続けて詠唱してみてくれ」
杖と魔法陣が書かれた紙を手渡しながら言うと、さっさと詠唱を始めてしまう。慌ててそれを復唱すると、途中、経験したことの無い倦怠感と虚脱感に襲われる。が、どうにか杖を掲げて最後に魔法名を口にする。
「嵐くぅ――――ぅがぁっ」
杖の五メートルほど先に、嵐の如き風が吹き荒れ、空をかき乱す。と同時に、倬は目の前が真っ暗になっていくのを感じた。
(い、き。でき、な……ぐっ)
そのまま、受け身も取れずに地面めがけて顔から倒れてしまう。痛みを感じる暇もなく、倬はその意識を手放す。
「あちゃ~……かなり強力な魔力補助の杖なんだがなぁ。駄目か」
あっけらかんと言う中年魔女教官と、その態度に戦慄を覚える生徒達、他の教官達が大慌てで駆けつけて、その日の訓練は終わることになるのだった。
「はぁ、酷い目にあったでござるな……」
現在は訓練後の自由時間だ。診療所に運ばれ十分程度で目覚めた後、王立図書館で【祈祷師の手引き】を読みながら、魔力枯渇で倒れた時のことを思い返して溜息をつく。“火種”で適性を確認していた時から力が抜けていくような怠さは強く感じていたものの、中級魔法“嵐空”でのそれは一線を画すモノだった。
(中級魔法以上がまとも使えないって、
再び溜息をつきながら本を読み進め、祈祷師用の魔法陣構築について解説する内容をメモしていく。この世界で紙はそこそこ高いのだが、生徒達には座学に必要だろうとメモ用紙が配られた。中でも倬は教官に頼み込んで、余分に貰っている。
役立ちそうな所を粗方書き写し終えて、手引きのあとがきに苦笑してしまった。
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この本を読み終え、戦闘系天職に分類されながら、まともに戦闘に参加できない祈祷師の在り方に疑問を持つ者もいる事だろう。そんな時は祈祷師が登場するお伽噺でも読むと良い。日々の鬱憤を晴らしたい祈祷師の心が反映されているのか、中々に痛快なものが多い。
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「……“きっと気休めになることだろう”か」
後で試しに聞いてみようと考えつつ、今度は羊皮紙に描かれた魔法陣に対し、メモを活用しながらの確認作業に移る。
「見事なまでに
属性も効果もばらばらだが、“周囲の気温をちょっと下げる”、“ちょっとした
「手引き読む限り、祈祷師って全属性適正持ってるもんらしいけど、これじゃあなぁ……」
属性に拘らず様々な魔法が活用できるのは祈祷師の強味であると言えよう。しかしながら、その魔法の悉くが低級なものであることをいよいよ実感させられてしまった形だ。
「もしや祈祷師って器用貧乏ってやつなのでは。……いやいや、それはどうなの?」
胸中に生じた不安を押し込めようと、別の羊皮紙に手を伸ばしたその時。小部屋にノックの音が響く。「どうぞ」と言う倬の返事を聞いてティネインが入ってくるなり、やれやれと頭を左右に振って見せる。
「霜中様、もう皆様は夕食を始めておいでですよ。熱心なのは結構な事ですが、教官やメイド達が探しております」
訓練が終わってから既に二時間以上が経過していた。中々姿を見せない倬は迷子扱いされてしまっているらしい。あちゃー、すいませんと頭をかき、いそいそと軽く机の上を片付ける。去り際、ティネインに出来ればでいいんで、と頼みごとをして急ぎ食堂に向かうのだった。
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日没後のどこか厳粛な雰囲気を感じさせる王立図書館は、ひっそりと静まり返っている。所狭しと立ち並ぶ本棚の間から、ごくごく控えめに息を抜くのが聞こえてくる。二冊の本を片手に抱えながら、ゆっくりと歩き回っているのは若手司書ティネインだ。思うような成果が得られていない事に、普段は冷静沈着な彼も、若干の苛立ちをおぼえていた。
「おやおや、こんな時間に何をやっておるのかね?」
明かりも灯さず、音も立てずに突如現れた老人に声を掛けられ、ティネインは叫ぶこともできずに身体を硬直させてしまった。その老人はノーベルト・W・ホンスキト。ティネインの上司たる司書長である。
「し、司書長。驚かさないで下さい」
「すまん、すまん。で? お前さんがそうも苛立つなんて珍しいじゃないか。どうしたね、こんな時間に」
「え、えぇと、少々頼み事をされたんですか……」
そう言ってティネインは、倬から祈祷師の登場する物語を探してほしいと頼まれたことを説明する。
言葉にすれば大した依頼に聞こえないものだが、実のところ、これが中々に面倒な仕事だった。なにせ祈祷師が主人公の物語など聞いたことも無いし、記憶にあったお伽噺の中で祈祷師は、ちょい役もいい所だったのだ。
「ほぅ……。なるほど、そいつは面白いじゃないか」
薄い白髪、長い鼻に小さな四角いレンズの眼鏡をのっけた司書長ノーベルトは、曲がった腰をそのままに、ニヤリと口角を上げて見せた。