すたれた職業で世界最高   作:茂塁玄格

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大変お待たせ致しました。今回もよろしくお願いします。


山居の傍で癒しを怠らず

 星空の下、山々の合間を縫うように通る道をなぞって、目的の山小屋へ飛んでいると、倬の目に奇妙な物が飛び込んできた。正面に向かって右から二番目の山に、灰色に淡く発光した糸の如き()()が、グネグネしながら夜空目掛けて伸びていたのだ。

 

『あれが“力”……? まるで山から白髪でも生えているみたいな……』

『主殿、あれはつっちー達でござるよ。よく見るでござる』

 

 刃様に言われて目を凝らしてみれば、“大地の妖精”つっちー達が縦に連結していたのが分かった。必死でバランスをとっているらしく、忙しくなく体を震えさせているせいで、グネグネしてしまっていたようだ。

 

 つっちー達は目的地を分かりやすいように、旗代わりをしてくれているのだ。“蟲”みたいだなと思ってしまったのは内緒だ。

 

『……“わぁお”。あれ、他の人には見えてないんですよね?』

『…………安心、しろ。…………よいくんが保証、する』

『それなら安心です。つっちー、ちゃんと見えてますよー』

 

 倬の為に頑張っている、と言うよりはただ遊んでいるだけではあるが、つっちー達のお陰で直行できそうだと“念話”を送る。すると、百を超えるつっちー達の、思惑が上手く行った事に対する言葉にならない喜びが伝わってきた。倬までこそばゆい気持ちになってしまう。

 

 天辺のつっちーに近づいて視線を合わせる。

 

『つっちー! “べりーろんげすとー”!』

「ちなみにどこまで伸ばせるので?」

「「……このばい?」」

「「それが“りみっと”なー。した“ふろっぴー”になるなー」」

 

 積み重なったつっちー達の根元に向かって、生い茂る森の中へ降りていく。周囲の木々はハルツェナ樹海を思い起こさせる程に背の高いものばかりだ。

 

 ここ最近の倬は、人目を避けるためによく山や森の中にいた。直近でも“露店街道”真横の森を中心に素材収集をしていたため、この世界の植物の様子はそれなりに見慣れている。それ故に、この場所の木々の様子に違和感を覚えた。

 

「木の種類が違うので単純な比較は出来ないでしょうが、大陸真ん中で樹海並みに植物が育ってるのは、やはり“お力”の影響でしょうか?」

「いや、僕と似た力の“花の精霊”でもここまでの影響力は持たない。第一、彼女は深く眠っているしな。別の要因がある筈だ」

「別の要因ですか……。先にお会いした方が早そうですかね。ここに居られる精霊様がご存知かもしれないですし」

 

 頭の上に座る森司様と大木を観察しつつ、小屋の前に着地する。

 

 “掘っ立て小屋”とはこれの事だと言わんばかりの簡素な造りだが、腐敗している様子はない。周囲には落ち葉なども堆積しておらず、誰かが住んでいると言われれば信じてしまいそうだった。それほどには小屋の管理が行き届いているように見える。

 

「中々に奇妙な事になってとるのぅ」

 

 小屋の扉をすり抜けて土さんが現れた。ぐにょー、ぐにょーっと体を曲げ伸ばして周囲を見渡している。

 

「小屋探し有難うございました、土さん。確かに年代物の山小屋にしては、状態がかなりいいですね」

「同様の状態を保つ小屋が他に八か所。全てが木造だが、異なる様式で造られとる。どうにも、造られた時代もバラバラのようだのぅ」

「こんな状態を八か所……、あのオジサンのお父さんが興味を惹かれるのも納得です」

 

 小屋に入ってみれば、中には小さなテーブルを挟むようにして揃いの椅子が二脚と、二人掛けのベンチにベットの木組みが備え付けてあった。流石にふかふかベットとはいかないようだ。

 

「その気になれば住めますね」

「駄目よ。台所が無いじゃない。却下」

「そうだな。我が友には本棚も必要だろう、あるいは書庫か。およそ一部屋では足りまい」

「そうね~、霜様、モノ捨てるの苦手だものね~」

「くそぅ、反論出来ない……」

  

 風姫様、火炎様、空姫様の順に倬の呟きが否定されてしまった。貧乏性の自覚はあるので、収納スペースの足りなさについては特に言い返す言葉が無かった。実家の部屋も本が溢れ返っているので、棚に入りきらない分は納戸(なんど)に避難させているのだ。トータスに召喚される前、本格的な電子書籍への移行と、持っている本のデータ化――所謂“自炊”――を検討していた程度には“本の虫”である。

 

 一度外に出て周囲の散策を行う。キノコ等の山菜、薬草なども豊富に自生しており、素材集めにはうってつけの環境だ。これだけ環境が良いのにも関わらず、魔物は小型で弱いモノにしか遭遇しなかった。

 

 野草以外に夜行性の鳥を食材として確保して、小屋の近くで風姫様指導の下、調理の支度を始める。“露店街道”で仕入れた調味料類を早速試してみることにしたのだ。

 

「たか様、何か聞く~?」

 

 シャラランっと透き通った音を伴って現れた音々様が、倬の左腕にしがみ付く。

 

「そうですね、何か雰囲気にあったインストでお願いします」

「ん~、それならね~……」

 

 音々様は倬の記憶の中から曲を聞き取って、インストゥルメンタル(歌詞の無い曲)()()()()()始める。森の中に柔らかで、楽し気なメロディーが広がっていく。

 

 音楽と共に、鳥の丸焼きニルシッシル風味と、適当野菜のサラダボウルを精霊様と妖精達と一緒に味わう。

 

 食事を終えても周囲の様子に変化は無かった。とりあえず焚火の始末をして、小屋の中で古の賢者二人の研究資料を読むことにする。

 

 採取した毒キノコを“森の妖精”もりくんと一緒に調べていた森司様が、何かを思い出したように顔を上げた。

 

「そう言えば倬、ダークズの連中に副作用について教えなくてよかったのか?」

「あ゛っ……。すっかり忘れてた……。ま、まぁ、長くてもひと月しか効果ありませんし、何とかなるんじゃないかと……」

「それはどうだろな。あの赤髪は何だかんだ言ってモテるだろ。かーくんにはそう見えたぜ」

「くぅちゃんはあの男の子きら~い」

「そうね~、私はあんまり好きじゃないけど~。自信があって堂々としてる男の子って、根拠の有る無しに関係なく女の子に人気あるわよね~」

 

 実は傭兵団ダークズの団長ルノに飲ませたものには、別の薬を混ぜていたのだ。その薬には、ナニがとは言わないが“元気が出なくなる”効果があった。

 

 ナニをとは言わないが、いざ使おうとして使えなかった時の絶望感は男性にとって大変なものであるらしい。実際、遠からずルノは“元気の出る薬”を探し求める事になる。いい気味である。

 

 もしも今度会ったら一応謝ることにして、倬は資料を読み進める。アプローチこそ異なるが、風の賢者アモレと闇の賢者ミーヤクは、それぞれに闇系魔法における催眠や洗脳によって魔物を操る術について記述していた。それらをエアリルから貰ったペンを使ってメモ帳にまとめていく。

 

 ボールペンみたいと言うとかなり異なる書き味だが、今まではガラスペンに近いものと筆を使い分けていたので、かなり使い勝手がよく、メモの速度が僅かに上がったようだ。

 

「賢者のお二人とも変成魔法と言うか、神代魔法の実在を確信してますよね……? アモレ様の時代は事実として“神”が居るんだから当然と言えば当然ですが、何と言うか、“いずれ辿り着けるもの”として研究してる感じが」

「………………契約者達、特にその二人が観測しているのは、多分、宵闇達、精霊だ」

「でしょうね。あたし達、精霊の“力”も魔力によるものなら、魔力の運用次第で実現可能だろうって。まぁ、そのせいで、大嵐引き起こして大変なことになった訳だけど。倬はあんな馬鹿な真似しちゃダメよ? 今の倬の魔力なら、あれ位の魔法余裕で使えちゃうんだから」

「心に刻んでおきます」

 

 調べものを始めて、かれこれ三時間程が経過した所で、周囲の魔力濃度が変わる。体感としては、落下系アトラクションの落下中に覚えるものに近かった。

 

 倬の胸元で、自身の妖精であるゆっきーを抱えたまま目を閉じていた雪姫様が、すっと立ち上がる。

 

「アナタ様、封印が一部開放されたようです」

「のようですね、これを隠してたとは」

「こんなものに今日まで僕らは気づけなかったのか……、少し落ち込むな」

「……森司様、これは仕方ない。……この魔力を使って、隠してたんだ。意識してなきゃ、気付けない、と思うぞ」

 

 霧司様の言う通り、精霊が膨大な魔力によって隠蔽すれば、それは他の精霊にとっても感知が困難なのだ。

 

 多量の魔力の噴出に続いて、壁の隙間から光の帯が入り込む。小屋の中からも外に光が満ちている事が容易に予想できた。

 

 外に出れば、地面自体が淡く光を放っていた。放たれる優し気に揺れる光から、綿帽子を思わせる、小さな光の玉がぽわりぽわりと浮かび上がる。

 

 小屋の影が正面に見えている事から、特に強い光源が真後ろにあるらしい事も判断がつく。

 

 ここまで距離が近いと意味があるかどうか怪しいが、再び隠れられない様に、息をひそめて小屋の裏手に回る。幅の広い段差をいくつか下ると、その先に楕円形の泉が出現していた。

 

 探索した時、この場所に泉は確かに無かったのだ。だが姿を現した泉の長径は六メートル、短径でも四から五メートル程とそれなりには大きい。溢れんばかりの水が光っているせいで、目視ではその深さこそ分からないが、ただの水溜まりで無いのは間違いない。

 

 木の陰に隠れて泉の様子を伺っていると、あちこちの方角から大型も、中型も、小型も分け隔てなく獣達がやって来た。縄張りを主張し合うでもなく、泉の水を奪い合うこともない。ただ喉を潤したり、泉にその体を浸すだけだ。

 

 そこに、おぼつかない足取りで鹿に似た獣が現れた。削げた耳の根元からは酷い出血をしている。ジャブっと頭を泉に突っ込み、泉の中から引き戻すと、耳こそ欠損したままであるものの、流血が止まり、傷は綺麗に塞がっていた。

 

(オジサンの言ってた通りだ……)

 

 獣達が傷を癒していくのを陶然と見守っていた倬の頭を、宵闇様が意識に介入して動かす。動かされた視線の先、泉の端の岩の上に、いつの間にか女の子の精霊様が座っていた。その精霊様は、自分を囲む小鳥やリスに近い小動物を愛おし気に撫でている。

 

 ピンクがかった金色の髪。腰まである真っすぐなその金髪は、大きな鼈甲(べっこう)の髪留めを使って首の後ろでまとめられている。服装は古代ギリシャを連想させる一枚布の服に似ていた。肩から肘辺りまで生地に隙間が出来る、ドリス式キトンに近いだろうか。

 

「あれぇ?」

「あ……」

 

 優しい空気を壊してしまいたくないと思い、静かに精霊様の様子を見ていたら、ふと顔を上げた精霊様と目が合ってしまった。

 

 視線が交差した瞬間、ギリシャ風衣装の精霊様が岩の上から姿を消した。

 

 驚かせてしまったかと焦る倬が立ち上がろうとした所で、後ろから思い切り突き飛ばされてしまう。

 

「えーいっ」

(……っ! 反応でき……ッ)

 

 背後からの圧力に対応できなかった倬は、そのままドボンと泉に落ちてしまった。泉はあまり深くは無く、五十センチ程度の深さで溺れることは無かったが、鼻に水が入り込んだせいで、鼻の奥が痛い。

 

(う、鼻がツーンって。これ、今のステータスでも無視できないのか……)

 

 四つ這いになって泉の中から顔を上げると、目の前に金髪の精霊様が浮かんでいた。右眉の上で前髪を分けて、花びらで装飾したヘアピンによって毛束の少ない右側の前髪を留めている。

 

 その精霊様は、左手の人差し指をピンと伸ばし、倬の鼻に触れてきた。左手首の金色に輝く腕輪が、グルンと一回転したのを目で追ってしまう。

 

「あなたっ! 最近ちゃんと寝たのはいつっ!?」

「え?」

「いつなの!?」

「えーっと、……“ちゃんと”ってなると宵闇様との契約後に寝込んだのが最後なので……。ひの、ふの、みの……、二十日くらい前でしょうか」

「やっぱり、うちの思った通り! もう、どんなに体が丈夫でも寝なきゃダメ~。身体は平気でも心は疲れてるんだから! お休み、大事、絶対! まずはこの泉の水にゆっくり浸かること。い~い?」

「は、はい」

 

 初めて会った精霊様にお説教をされてしまった。他の精霊様も挨拶のタイミングを逸してしまったらしい。

 

 そんな中、倬の黒髪から這い出るようにして、宵闇様が姿を見せる。

 

「………………懐かしいな。“光の”姉さんに引っ付いて飛んでた精霊だ」

「まぁ、“闇の精霊様”!? えーっと、お久しぶりです!」

「………………ん、山を幾つも“寝床”にしてるなんてビックリしたぞ」

「えへへ、実は山を全部じゃなくて、山の中にある泉とその傍だけなんだけどね。って、それはそうと! 宵闇様って“闇の精霊様”の事だったのねっ。まさか今の時代に精霊契約してる人の子に会えるなんて、うちってば、おっどろきー」

 

 ギャル一歩手前みたいな喋り方の精霊様にあっけにとられてしまった倬だったが、泉の中で正座して、改めて向かい合う。

 

「初めまして、精霊祈祷師の霜中倬と申します。お会いできたこと、嬉しく思います」

 

 畏まった倬の挨拶に、目の前の精霊様があわあわし始める。何とか倬と目線を合わせようとするが、すぐに目を逸らしてしまう。

 

「え、えーと、うちはね。えーっと、なんかこう……、その、怪我したりしたコに、優しくしてあげるのが好きな精霊……、なんだけど……」

 

 随分とアバウトな自己紹介だった。

 

 そのアバウトさに、刃様が肩の上で正座してゆっくり頷いていた。

 

「うむうむ。分かるでござる、分かるでござるよ。自分は何の精霊なのかはっきり言えないもどかしさ、分かるでござる」

 

 もどかしさを理解してもらえたとあって、精霊様の困り顔は一転、眩しい笑顔に変わる。

 

「ほんと? 分かってくれるの? あなたは、えっと“金物(かなもの)の精霊様”だっけ?」

「そんな風に名乗っていたこともあったでござるなぁ……。拙者は最近になって“刀剣の精霊”だと自信がついてきた精霊でござるよ」

「あれ、刃様、自信ついたの最近なんですか?」

「うむ、如何にもでござる」

 

 昔を懐かしむ刃様は、両手を組んで頷きながら倬の問いに答えた。

 

 優しくしてあげるのが好きな精霊様は、もっと詳しく聞きたいと前のめりなる。

 

「なんでなんでー? どうして自信満々になれたの?」

「それは……」

「それは……?」

「主殿がそうだと、拙者を“刀剣の精霊”だと信じてくれているからでござる」

 

 それは説明になっているのだろうかと思ってしまう倬に対して、真剣に聞いていた金髪の精霊様は刃様の真似をして両手を組み、目を瞑ってから一言だけ呟く。

 

「なるほどー」

「あ、今の説明で納得するんですね」

「ま、そんなもんよ。わたしは最初っから自覚あったけど、若い精霊はどうしてもね。音々も少し時間かかってたわよね」

「そーそー、懐かしいねー」

 

 風姫様が音々様を後ろから抱っこしながら、よくあることだと教えてくれた。

 

「自身が何の精霊なのか自覚が芽生えるにも個性があるんでしょうかね……。だとしても、“怪我したりしたコに、優しくしてあげるのが好きな精霊様”とお呼びするのも違う気が……。“癒しの泉”を管理しておられた精霊様で、これだけ騒いでても獣達は警戒してないみたいですし、“癒しの精霊様”って感じがしますが」

「うち、“癒しの精霊”……」

「雰囲気がそんな感じかな、と思っただけなんですが」

「いいっ!! なんかこう、こうなんて言うか、こう……、ぴったりきた!! あぁ……っ! 今まで何で思いつかなかったんだろって位にしっくりくる! うち、“癒しの精霊”! ……ごほん。初めまして、精霊祈祷師・霜中倬。うちは“癒しの精霊”。どうやら二十日あまりの間、真っ当に睡眠をとっていないと見える。この泉は汝の心身の疲れを解きほぐす効果がある。その身を泉の水で清め、休んでいきなさい。……なんちゃって! どうどう? 今のうち、すっごく精霊って感じじゃなかった?」

 

 “癒しの精霊”は凄いはしゃぎっぷりだ。今の今まで“癒し”を思いつかなかったと言うのは不思議な話だが、精霊様本人が納得しているのなら問題ないのだろう。

  

「今日はうちが“癒しの精霊”になった記念日ね! それじゃあ、疲れが溜まっている祈祷師様の為に、特別に“ボトル”を開けちゃうね!」

 

 言うが早いか、山の中に潜り込んでいった“癒しの精霊様”。

 

 ふわふわっと光の玉を振り撒きながら泉の縁に戻ってきたその手には、宝石のアクアマリンを思わせる深い青色の瓶が握られている。一升瓶よりも少し小さいその“ボトル”と、中身の液体が強烈な魔力を内包しているのを、技能“魔力感知”が知らせてくれる。

 

「それー」

 

 “癒しの精霊様”が傾けた“ボトル”から、ドボドボ音を立てて泉にその液体が注がれていく。泉の輝きがより一層強いものになり、全身に力が漲るのを感じた。

 

 呆然と口を開けたままの倬と、驚きに唸る山司様。

 

「うーむ、()()そのものを瓶に加工する者が居たとは信じがたいのぅ……」

「土さん、アレ、やっぱり、今で言うところの神結晶なんですか……?」

「純粋なソレではなさそうだがのぅ。そこら辺の石ころが混ざってるように見える」

「いやいやいや、神結晶って人類からしたら失われた世界の秘宝ですよ? 適当な石を混ぜ込んで瓶に加工するってそんな馬鹿な事、精霊契約してる人間なら精霊様に叱られそうなものですが」

 

 倬の言葉を聞いた森司様は、呆れ顔だが理解できないわけでは無いらしい。

 

「人の子と言うものは、僕らでは考えも及ばない馬鹿な事をするものだ」

「しかし、“癒しの泉”の正体、神水って事になるんですかね……。こんなものが世間に知られたら争いの原因になるのは必至です。それで“癒しの精霊様”がお隠しになってたんですか?」

 

 倬は泉の水を手ですくって、そこにある魔力の濃さを確かめる。

 

 瓶の形にされた【神結晶】が、【神水】を確保するのにどれほど有効なのかは分からない。だが、【神結晶】が長い歳月を経て魔力を蓄積した果てに流出するのが【神水】だ。瓶に【神水】を溜めることが出来るとしたら、合理的な発想とも言えそうだった。

 

「んーっとね。コレは今の人の子が呼ぶ神水ってのとはちょっとだけ違うんだって」

 

 倬の正面にやってきて浮かぶ“癒しの精霊様”が、瓶を両手に持ってちゃぷちゃぷと揺らす。瓶には三分の一ほど液体が残されていた。

 

「純粋な神水では無いんですか?」

「そー。“光の精霊様”が言うにはね、魔力と一緒に周りの空気も集めてるんだって、だから“ボトル”に()が溜まるのが早いみたい」

「周囲の空気……、となると窒素とかの気体も混ざった混合水って事なんですね。興味深いです」

「“光の精霊様”と一緒に星のあちこちを見て回ってた時に、凄い魔力を山の中に感じて調べたのがきっかけなの。“光の精霊様”も“ボトル”を見つけて、“どこの馬鹿者がこんな真似を”って呆れてたけど、人の子同士の喧嘩で、すっごく傷ついたこの辺りの山を回復させるにはここに有った方が都合がいいからって頼まれて、うちが隠してたんだー」

「“ボトル”一本でこの周辺を癒せる程とは……」

「ううん、違うよ? 大きさも形もバラバラだけど、“ボトル”は全部で九本あったの。八本は山の深い所に埋めて、一本だけうちが持ち運ぶ用にとってあるんだー」

「こんなものが、あと八本も?」

「うん。泉になる位に染み出るタイミングがバラバラで隠すのが大変なんだよー。場所とか量の調節もしないと動物さん達で喧嘩になっちゃうから」

「この辺りの植物が樹海並みに育っているのは、その影響なんですね。……あのっ、もしよかったら“ボトル”の調査させてもらえたりとかっ」

「ダメ! “光の精霊様”との約束で、山から持ち出さない事になってるんだからっ」

「やっぱり駄目か……、いっそ自作に挑戦するべきか」

「霜様~、少し落ち着きましょうね~」

 

 “ボトル”に関心を持っていかれてしまった倬の頭を、空姫様が静かにポンポンして窘める。当初の目的を忘れる所だった。

 

 “癒しの精霊様”は、“光の精霊様”との関わりが深いのは分かった。現在の居場所に思い当る節もあるかもしれない。それに、出会うことが出来たのなら、お力を貸して頂けないかお話をしなければ、それこそがこの旅の目的なのだから。

 

「“癒しの精霊様”、不躾な申し出だとは承知の上でご相談があります」

「……なぁに?」

「私と契約して、お力を貸して頂けませんか?」

「うーん、うーーん。どうしよーかなー」

 

 他の精霊様もやっていた様に、倬を三百六十度ぐるぐる見回す“癒しの精霊様”。顔の前で止まり、倬の瞳をじっと見つめる。

 

「……祈祷師様、不思議で凄そうな力を持ってるのね! もしも、あのコの足を元気にしてくれたら、考えてもいいよ?」

「あのコ……?」

 

 “癒しの精霊様”が指差したのは、カモノハシのような独特な獣だった。体中あちこち傷だらけで、全身を泉に浸して、それでも震えていた。恐らく出血量が多すぎたのだろう。【神水】に限りなく近い泉の水と言えど、流れ出た血液を即座に補う事は難しいのだ。

 

「あのコはね、産まれた時から後ろ足が弱くて、殆ど前足だけで歩いてるの。この泉でも、うちの力でも、産まれた時から弱い所は、癒しても弱いまま。とっても賢い子だから今日までなんとか生き抜いてきたけど、このままだったらそう長くは無いと思うの」

「あの動物を護ってあげたいんですか?」

「違うよ。ただ、一度でいいから、思いっきり走らせてあげたいなって。あのコはね、ホントはすっごくすばしっこいんだよ」

 

 回復魔法や【神水】は、魔力を持って肉体の治癒力に働きかけることで傷を癒す。完全に断たれた指や腕等の欠損は、傷を塞ぐことはできても、再び生やすような事は出来ない。また、あくまで“回復”である以上、生まれつきの身体的特徴もまた同時に回復してしまう。身体に現れた障害を克服するのに“回復”は役に立たないのが常識なのだ。

 

 倬は“癒しの精霊様”の言った“不思議で凄そうな力”が何を指してるのか分からなかった。どんなに馬鹿げた魔力を持っていたとしても、通常の回復手段では、障害の克服は出来ない常識を知っていたからだ。仮に“逞熱”や“疾駆”と言った付与術でその足を強化した所で、その場しのぎにしかならない。

 

 その程度の事を、“癒しの精霊様”が知らないわけが無いのだ。そこまで思考が追い付いて初めて、“癒しの精霊様”が、現代の常識から外れた魔法――神代魔法の一つである変成魔法――に可能性を見出したのだと察することが出来た。

 

「変成魔法で足だけに影響を与える事が出来れば、もしかして……。髪だけに魔法が使えたんだから、出来ない道理が無い、と」

「その力、変成魔法って言うのね! うちもお手伝いするから、お願いできる?」

「勿論です。魔法陣を一から組み立てなきゃならないので、少し時間はかかると思いますが、やってみましょう」

 

 泉から出て、火炎様と風姫様にローブの下の服を乾かしてもらい、倬と精霊達は一度近くの小屋に戻った。

 

 “癒しの精霊様”の願いは、あくまで足だけを不自由から解放してほしいと言うものだ。大迷宮で得た変成魔法の基礎知識に従えば、動物に魔力を与えることで魔物に“変成”させる事は問題なく可能である。今回の目標は、魔物化を回避し、足を本来的な状態にする事になる。変成魔法の一要素である、“身体的特徴の調整作用”に対し、更に深く踏み込む必要があった。

 

「“成増”と“彩変”の発想を活用できそうなんですが……」

 

 対象の肉体へ強制的に魔力を注ぎ込む“成増”。この魔法の特徴は、魔力の強力な増強のみに効果を制限している所にある。つまり、魔物以外の動物に変成魔法を使用した際の、魔石形成が発生しないのだ。

 

「やっぱりすごい魔法ね! ならなら、脚に魔力を集中させて、強くする魔法をそこにじっとさせれないかしらっ」

「肉体そのものに強化魔法を定着させる事で、筋繊維を直接強化できるか否か、ですね。なら“教成(きょうせい)”を応用すればあるいは……」

 

 テーブルを部屋の隅へ移動させて、床にまきちらした紙に基礎の変成魔法である“教成”に使用される大量の魔法式を書きつけていく。

 

 この“教成”は獣から魔物にした際に、任意の固有魔法を覚えさせる魔法である。

 

 本来、獣から魔物になった時、獲得する固有魔法は魔物自体の性質に由来したものになる。この固有魔法が発現する段階で“教成”を使用すると、獲得する固有魔法に対して、様々な魔法をベースに出来るのだ。ただし、人の使う魔法をそのまま使えるわけでは無く、魔物によって発現する固有魔法の特徴は異なってしまう。

 

 床の上に紙を散らかしながら、倬は変成魔法の膨大な魔法式一つひとつを読み解き、抜き出し、一般の肉体や感覚強化に使用される様々な魔法式を書き足して、新たな魔法陣を構築していく。

 

 二時間かけて出来上がった直径一メートル弱の魔法陣の上に立ち、ローブを捲り、左腕を突き出す。

 

「よしっ。まずは試しに……____“補成(ほせい)”」

 

 “高速詠唱”を利用しても五秒を超える長い詠唱に続き魔法名を告げると、紙を何枚も利用した大きな魔法陣が淡い緑色に輝き始める。魔法陣を書きつけた紙が、魔力に耐えきれず燃え尽き、灰へと姿を変える。

 

 左腕の血管が太く膨張し浮き出て、その血管は一瞬だけ赤黒く変色し、色が戻ると(たちま)ち左腕全体がその太さを増した。変成魔法による直接的な筋肉強化に成功したのだ。

 

 アームレスラー顔負けの左腕を“癒しの精霊様”がキラキラした瞳を向けてノックする。

 

「すごーい。カッチカチねー!」

「左腕だけゴリゴリに、両腕にやればよかった……。魔力使いすぎっぽい、後で戻そ」

「これであのコの脚も元気になるわね! 早く早く、祈祷師様!」

「承知しました。では、あのコに与える魔力量の調節はお任せしますね、“癒しの精霊様”」

「はーい!」

 

 

 ガサガサッ、バシュッ、メキメキッと泉の周りが騒がしい。

 

 先天的に脚の弱かったカモノハシに似た獣が、強靭さを得た脚を使って、全力で走り回っているせいである。

 

「はぁー、アノ子、とっても嬉しそう!」 

「いや、ホントに速い。ホントに魔物じゃないのだろうか。自信無くなってきた。あの動物、皆こうなんですか?」

「そー! 結構昔っから居るのよ! クチバシミズバシリちゃん」

「ズバリすぎる名前だぁ。嘴、水、走る……ですか」

「うちがここを隠すようになった頃に住みついたの」

「随分昔から居たんですね、って、うおっ」

 

 倬の背中に物理的な衝撃が()()()()()。走っていたクチバシミズバシリが飛びついてきたのだ。そのまま、首元にふにふにした嘴を擦りつけてくる。

 

「フガッ、フガッ」

「あ、いや、礼なんていいよ。お礼なら俺より“癒しの精霊様”にしてくれ」

「フンッ、フンッ、フス~」

「お供もいりません。魔物になりたいわけじゃないんだろ?」

「ス~~、フンッ、ス」

「なに、名前? ……ダッシュとかでいい? 足早くなったわけだし」

「フンッス!」

「名前ってそんなに嬉しいもの?」

「フンッ、フンッ、フスー、フスーッ」

「うん、だから、君――ダッシュ――はお供に連れて行きません。……そんなにお礼したいなら、“癒しの精霊様”のお手伝いしてくれると嬉しい」

「フンガッ!」

「じゃあ、精霊様と一緒に泉の管理を頼んでもいいか?」

「フンッス! フンッス!」

 

 声帯を持たないクチバシミズバシリ特有の、鼻息での感情表現を、精霊達も和やかに見守る。“癒しの精霊様”は倬に懐いたダッシュの後ろ脚を嬉しそうに撫でていた。

 

「すっかり仲良しねー!」

「意思疎通が成立しているな。倬由来の魔力を変成魔法経由で注いだのが一因のようだ」

「たか様から伝わってくるお陰で、音々達にもダッシュ君が言っている事が分かるの、面白いね!」

 

 ごく当たり前に会話している様子を分析する森司様。ダッシュから伝わってくる歓喜に音々様は上機嫌だ。

 

 ご機嫌な音々様を撫でる風姫様は、なんだかくすぐったそうな顔をしていた。

 

「今ままでも何となく感情は感じとれてたけど、ここまでハッキリと伝わってくるのは変な感じするわ」

「………………ダッシュの知能が、そもそも高いのもある。脚の弱さを補うために発達させてきた、んだろうな」

「ヒエドリ達の時も驚きましたが、ダッシュは特に意志が明確です。宵闇様の言う通り、生き残るために随分頑張ってきたんだろうなって、自分も思います」

 

 倬の右太ももに嘴を乗せて、フス~っとリラックスしているダッシュを撫でていると、左太ももに“癒しの精霊様”がちょこんと座って、見上げてきた。髪色に近い金色の瞳が、倬の心の奥深くを射抜くかのようだ。

 

「祈祷師様は、“光の精霊様”を探しているのね?」

「はい。“光の精霊様”にお力を貸して頂くお願いをしたいと考えています」

「そっかぁ……。なら、“光の精霊様”にも契約をお願いするのよね」

「許して頂けるなら、ですが」

「うん、大丈夫、祈祷師様の事ならきっとお認めになるわ! うちが太鼓判を押してあげる!」

「そう言っていただけると励みになります」

「でもでも、“光の精霊様”との契約はすっごく大変みたいなの。だから、うちとの契約は“光の精霊様”の契約と一緒にやった方が良いと思うよ」

「同時の方が良いとはどういう事でしょうか?」

「うーーん、それは“光の精霊様”と契約する時になってから説明した方がいいかな~」

 

 答えを先延ばしにされてしまったが、どんな理由があるにせよ倬のやることは変わらない。

 

 “光の精霊様”の居場所について手がかりが得られそうだと、左手を硬く握りしめる。

 

「ところで、“癒しの”は“光の精霊様”の居場所を知っているのか? さっきから心当たりがある口振りだが」

 

 握りしめた拳の横に浮かんでいた雷皇様が、倬に先んじて聞いた。

 

「少し前にね“光の()()”ちゃんを探して、うちの所まで来たの」

「妖精を探して……?」

「そう。なんでも、力をあげ過ぎた幼精ちゃんが、帰ってこなくなったらしいの」

「そんな事あり得るんですか? 妖精って突き詰めれば精霊様の一部って話だったような……」

「……珍しい事だけど、な、無い事も無い、ぞ、兄さん。……霧司は、元々、“雲の精霊”の妖精だったしな」

「わぁ、初耳ぃ」

 

 今の今まで倬も知らなかったことだが、妖精の中には独立して新たな精霊となるものが稀に存在する。基本的には、元の精霊の許し無しに独立は不可能で、“霧の精霊”霧司様は“過ち”の直後に“眠る”事に決めた“雲の精霊様”の許可の下に精霊となったのである。

 

「つっちー! “いんでぃぺんでんすー”!!」

「うむ、つっちーにも儂の感覚から離れたのが、大地のあちこちに潜んどる筈だからのぅ」

「今更ながら、皆さんって大概自由ですよね……。それで、“光の精霊様”がこちらに来た後は、どちらに向かわれたのか、ご存知なんですか?」

「うんとね、ここの泉でちょっと休んで、その後、いい加減探し疲れたし、麓に新しい国が出来た“奴の山”の適当な所を“寝床”にして暫く不貞寝するって言ってたよ?」

 

 “癒しの精霊様”の説明に、周囲の気配がシンッとなる。

 

 倬とこれまで契約してきた精霊達は、ちょっと、ほんのちょっとだけ、“癒しの精霊様”の説明を理解するのに抵抗があったのだ。

 

「“奴の山”、え、“奴の山”って、え、まさか……、神山?」

「そー、そー、神山」

 

 あっけらかんと肯定する“癒しの精霊様”。

 

 倬は狼狽えるのを抑えられないまま、“大地の精霊”土司様を探す。

 

 先程まで獣達に乗っかって遊んでいた百ぴ……人前後のつっちー達は、縮こまって獣や木の陰に隠れながら、頭の先だけをのぞかせている。

 

 泉の反対側で倬に見つかった“お山様”は居心地悪そうに、そのディ〇ダみたいな胴体を捩じる。

 

「土さぁん……」

「……情けない声を出さんでくれ、倬。儂だって驚いとるんだぞ? まぁ、その、なんかすまんのぅ」

 

 ハイリヒ王国から出発し、北東方向に“寺”、オソレの荒山、カドバン村と巡り、樹海を通って南下して、大峡谷を飛び越え、南大陸を飛び回ってから北大陸中央の山に、今、倬は居る。

 

 次なる目的地【神山】と旅の出発地である“寺”はこの世界の馬車で一週間とかからない程度の距離にある。倬にとって、トータスに来てから二度目の“灯台下暗し”であった。

 




今回のタイトル元は《病は癒ゆるに怠る》でした。

第二章もようやく佳境です。読んでくださっている皆様にはお待たせして申し訳ないですが、次回投稿は5/26を予定しています。

では、ここまでお読みいただきありがとうございました。

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