すたれた職業で世界最高   作:茂塁玄格

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どうかお付き合いの程、よろしくお願いします。



向かうは(さと)

 夜更けの広い庭に敷かれた道を、二頭引きの馬車が迫るたびに灯る橙色の光が照らす。

 

 馬車が止まる大きな玄関前は、白々しいまでの明るさで満ちている。

 

 ガチャガチャと鎖を鳴らしながら、豪奢な馬車から降りて来るのは区長ターブだ。その後ろに、首輪を引かれて奴隷の女性がよろめきながら付き従っている。

 

 嫌らしい笑みを浮かべた赤ら顔は、その男が飲んだ酒量の多さを物語っていた。

 

「ターブ様が帰ったぞー。門を開けろぉ」

 

 大きな扉が内側から開き、五人のメイドが深いお辞儀でターブを出迎える。このメイドは全員魔人族だ。

 

 鎖を引き寄せ、奴隷の肩を一度抱きとめると、まだ若いメイドの一人に柄を差し出す。

 

「湯に入れて念入りに手入れをしておけ。そうだな、一時間後だ」

「……畏まりました」

 

 付き添う五十代のメイド長以外を残し、ターブは執務室へ向かう。その様子を、残されたメイド達は張り付けたような無表情のまま見送る。

 

 メイド長に別の指示を与え、一人執務室に戻ったターブは、大きな机に見合った革張りの椅子に深く腰掛けて書類を眺め始める。眺めている書類は奴隷売買の顧客リストだ。机の上には売約した客からの催促の手紙が重なっている。

 

 ターブはリストをペンで叩きつつ、酔いに任せて苛立ちを露わにする。

 

「ええい、脳無しのギャングどもめっ、もう一週間以上連絡無しか。気味の悪い売買人(ブローカー)も姿を現さんとは……! 前金をいくら積んだと思っているのだっ」

 

 そのままリストを机に放り投げる。

 

 左肩に微かな空気の揺らぎを感じると、突如、()()に視界が覆われた。

 

 突然の事態に混乱するターブ。どうにか人の手で鷲掴みにされているのだろう事だけは解った。

 

「な?! なんだ、これはっ。 何者だ! 私を誰だと思っている! 区長だぞ! 区長ターブ様だぞ!」

 

 聞こえてきた声は、若い男――霜中倬――のものだ。

 

「……疑いようのない屑。罪悪感を抱かなくて済んで、正直助かる。……__“蒙怨(ぼうおん)”」

「何を言って……?! ぅ、うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ」

 

 倬から手を離されたターブは、椅子から転げ落ちると、嘔吐してしまう。今、ターブの体には酷い痛みが襲っている。同時に、彼の思考は自身に対する強烈な嫌悪で支配されていた。

 

「区長ターブ、お前に呪い(闇魔法)をかけさせてもらった。周囲に居る他者の苦痛、負の感情を己のものとして受け取ってしまう、そういう呪いだ。他人から二百メートル以上距離を取り続けるか、他人に苦痛を与えない事だけが、お前の苦痛を和らげる」

「あぁぁあぁあッ!! く……、そ、コロす、コ、ロスッ。わたっ、私を敬わない者など、皆殺にぃ……っ」

「止めた方がいい。苦痛を伴う死であれば、お前もまた同じ苦しみを味わって死ぬだけ。仮に即死させたとしても、その絶望にお前は耐えられない」

  

 この屋敷にいる奴隷や使用人達が向ける激しい嫌悪と、彼らの身に残る痛みに苛まれ、ターブは悶絶し、沈黙してしまう。

 

 ローブを翻して、倬は執務室を出る。

 

 今のターブには、閉じられた扉の音すら届かない。

 

 

 屋敷の地下室、大きなベットだけが置かれている場所で、奴隷にされてしまった人間族の女性、マイヤーが自身の肩を抱きながら震えていた。

 

 地下の廊下に足音が響く、あの魔人族が来た、来てしまったとマイヤーは絶望する。

 

 部屋の前で、足音が止まる。扉をノックする音が廊下に響く。彼女は反射的に返事をする。

 

「……はい」

(……ノック?)

 

 この屋敷の魔人族が、奴隷のいる部屋にわざわざノックすることなど無かったのだ。返事をした後だが、何かが何時もと違う気がした。

 

 扉が開き入ってきたのは、灰色のローブを纏った人間族の男。女性を見ると、目を見開いて驚いた顔を見せる。

 

 直後、地下に女の子の慌てた声が響いた。

 

「霜様、見ちゃだめよ~~っ!!」

「ぐえぇっ」

 

 不自然に頭を百八十度回すことになった倬は、必死で飛び上がり、身体の正面を廊下側に向ける。

 

 倬の後頭部に、ふわふわロングの小さな女の子が張りついているのをマイヤーは目撃した。

 

 空姫様が、タオル一枚しか身に纏っていない女性の姿を見せまいと、無理矢理頭を回そうとしたのだ。技能で痛みを誤魔化して、後ろ向きのまま倬は身分を明かす。

 

「えーっと、初めまして、“祈祷師”の霜中倬と言います。……どちらまで送れば良いか聞かせてもらえますか?」

 

 その言葉を直ぐには飲み込めなかったマイヤーは、何とか言葉を絞り出す。

 

「たす、けてくれ……、下さるんですか……?」

「ギルドまで送るだけです。私は“冒険者”でもありますので」

「わ、私は、その、フューレンの近くの……」

「……では、フューレンのギルドに行きましょう」

「あの、えっと…………」

 

 未だに状況を理解しきれていないマイヤーだったが、倬が頑なにこちらを見ていない事には気づく事が出来た。自分の姿を思い出し、慌ててタオルを固く抱きとめる。

 

 そのマイヤーに、灰色のローブが差し出される。

 

「……先に服を探してきます。それまではこれを羽織っていて下さい」

 

 自分のローブを後ろ向きのまま渡した倬が、そのまま部屋を出ようとすると、その手が掴まれてしまった。渡したローブを抱えたままで、相変わらず薄着もいいところな女性に手を掴まれて、倬は激しく動揺する。

 

「あのっ! 私と一緒に、もっと小さい子も連れてこられていたはずで、だから、その……、その子たちの事も、できる、なら……」

「……わかりました。その子たちも連れて帰りましょう。ですが、まずは自分の身の安全を優先して下さい。……そのままでは体調を崩しかねませんから」

 

 倬は相変わらず廊下側に視線を固定している。咄嗟に手を伸ばした勢いで、マイヤーのタオルがはだけかけていたのだ。彼女は慌ててベットに座り、ローブに手を通す。

 

 音だけで、ローブを着てくれたと判断した倬が、刃様に呼びかける。

 

『刃様』

『お任せあれ』

 

 固く目を閉ざしたままの刃様が、マイヤーの目の前にぽふんと現れる。腰の刀を逆手に掴み、抜刀と同時に、高速で宙を駆け、鋼鉄の首輪と足枷を切り落とした。

 

 一連の出来事に声も出せず驚くだけのマイヤーをそのままに、扉を閉じて廊下に出る。

 

「……強い(ひと)ですね」

 

 すぐにでも帰りたいだろうに、共に連れ去られた子供の心配をした女性に対し、倬は素直にそう呟いた。

 

「そうね。倬も、ああ言う()を嫁にするのよ?」

「風姫様、急に何を言うんです?」

「あら、別に急でもないわよ。契約者の将来の相手を気にするのは精霊として当然だもの」

「……その辺りは、その、()()終わってから考える、と言う事で」

「婚期逃すわよ。アモレみたいに」

「そう言えばアモレ様って独身でしたね……」

 

 

 マイヤーと、地下室に閉じ込められていた他の奴隷達に服を配った後、執務室に向かう。メイド長が困惑したまま扉を叩いてるのが目に入った。

 

「ターブ様、ターブ様! 如何なされたのですか!」

「煩いっ、煩い……ッ。わ、私に、構うな! ぜ、全員だ、この屋敷にいる者、全て解雇だ! 何処へなりとも行ってしまえ!」

「ターブ様っ! ……ッ、お坊ちゃん! どうなされたと言うのですか!」

 

 この区長が幼い頃からこの屋敷に仕えていたメイド長は、廊下を歩いてきた倬に気づき、怯えながらも、扉に張り付くようにして立ちふさがる。

 

「に、人間族……ッ。 ……お前がお坊ちゃんに何かした、のね?」

「……はい。彼に呪いをかけさせて頂きました」

 

 呪いをかけたと聞かされたメイド長は、険しい顔で倬を睨みながらも、必死に冷静さを保とうとゆっくりと呼吸して問う。

 

「何の、ために? まさか、人間族の奴隷を……?」

「それもありますが、彼の振る舞いが気に入らなかったものですから」

「お坊ちゃんをどうするつもりです」

「彼にはもう興味はありません。家に帰りたがっている人達を帰すのに、その部屋に用事があるだけですので」

 

 その答えを、倬の目から視線を外さずに聞くメイド長。

 

「……殺すつもりは無い、と?」

「そのつもりなら、既に殺しています」

「そう……、なら、いいわ。……私達に、何か要求は?」

 

 このメイド長の言葉に対して、倬は直ぐに返事を出来なかった。少し間を空けて、要求を伝える。

 

「…………ここの奴隷と、本意でなく仕えている方を、手頃な部屋に集めておいて下さい。可能な限り、丁重に。あとは、もう少しマシな服も用意してもらえますか」

「わかりました。……馬車の手配は必要ですか?」

「そうですね、荷台だけで構いません。馬は不要です」

「では、そのように」

 

 メイド長は軽く一礼すると、しずしずと扉の前から離れる。逃げ出す素振りも、助けを求めようとする様子も無い。本当に、ターブさえ無事ならばそれでいいと言わんばかりだ。

 

 執務室に入る。部屋の隅で蹲るターブを尻目に顧客リストを掴むと、この部屋の大きな出窓を開く。

 

 夜の曇り空、星は全く見えない。

 

 深い闇の中に、倬は飛び込んでいく。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 顧客リストに記載されていて助け出せたのは、人間族四人と亜人族六人だけだった。屋敷にはマイヤー以外に二人の人間族がいて、更に亜人族が三人いたため、合計は十六人になる。

 

 まず初めに、親の借金のかたに働かされていた魔人族のメイド四人を里に帰した。彼女たちには、債権を放棄する旨の書面と、退職金代わりにある程度の金を持たせてある。

 

 これら全てを、あくまでターブの決定としてメイド長が主導したため、彼女以外の使用人に倬は姿を見せずに済ませることが出来た。

 

 その後、人間族と亜人族それぞれを荷台に乗せ、スティナ達の時と同様に“お山”に“精霊転移”を行った。

 

 “お山”に連れ帰り、子供達の傷を癒したのだが、少なくない子供が酷く精神を病んでしまっている事が発覚した。子供によっては、まともに会話が成立させられないほどの重症だ。

 

 そこで、闇の賢者ミーヤクの遺した精神疾患(トラウマ)への治療法を施す事になった。精神の安定を促すために、まずは一日“お山”での休息が必要だった。

 

「霜中さん、子供達の面倒は私に任せてくれませんか?」

 

 そう言ったのはマイヤーだ。

 

 倬より三歳年上で十八歳だったマイヤーは、攫われた中で自分が年長であることを知ると、率先して子供の相手をしてくれたのだ。種族によって扱いを変えるようなこともなく、子供達の心を落ち着かせるのに彼女の働きは非常に大きな役割を果たした。

 

 丸一日休息をとり、亜人族の子供達九人は森司様と霧司様に“寝床”から【フェアベルゲン】に送ってもらった。人間族の子供達はかなり出身地がばらついており、精神状態を確かめつつ、それぞれの家に近いギルドに一日一人か二人のペースで送り届けていく。

 

 子供を抱きかかえて、空から直接町に降りるわけにもいかない。町の入り口に突如現れると言うのも誰に目撃されるかもわからない。そこで、一度林や森に降りてから徒歩で町に向かうことにしているのだが、今回は何故だか、やたらと山賊等の物盗りに絡まれることが多かった。

 

「おうおう、子連れでこんなとこを通ろうってのは、余程度胸があるか、馬鹿野郎だなぁ!」

「あれあれ、(かしら)ぁ、こいつ噂の男じゃないですかねー」

「おおっ! 言われてみりゃあ、ソレっぽいじゃねぇか! よぉし、おめぇら、生け捕りにすっぞ!」

「「「あいあいさー!!」」」

 

 狭い山道を十人近い山賊に取り囲まれる。

 

「ひうっ……」

 

 賊のギラギラした目を見て、倬の腰にしがみ付く女の子。

 

 その子の頭に軽く手を置いて、倬はおどけて言う。

 

「へーきへーき。怖くない、怖くない」

「きとーしさま……?」

 

 余裕そうな倬の様子に苛立つ山賊達。彼らの後衛が詠唱を開始する。詠唱を聞く限り、土系妨害魔法を使うつもりらしい。お頭が剣を振り上げて、前衛に突撃の合図を出す。

 

「ガキはなるべく傷つけんなよぉ! 男は半殺しにしてやれぇ!」

「「「あいあいさー!!」」」

 

 駆け出す山賊達。

 

 錫杖を足元に突き立て、彼らに向けて倬は穏やかに微笑みかける。

 

「“うん、それ無理”。__“根搦(ねがらめ)”、“植操(しょくそう)”」

「「「「え?」」」」

 

 山賊達の足元から木の根が勢いよく飛び出し、彼ら全員をきつく縛り上げる。倬が祈祷師用の魔法“根搦”に続けて使用した“植操”は技能“植物生育操作”の事だ。山賊達に巻き付いた根の生育が促進され、その太さが増していく。

 

「な、なんだぁっ?!」

「そのまま一時間くらい我慢してて下さい。……あぁ、そうだ、__“蒙怨”。んじゃあ、行こうか、キトリーちゃん」

「はいっ、きとーしさま!」

 

 手を繋いで、山を下りる。こんな風に、五日かけてマイヤー以外の六人を送った。

 

 

 そして、六日目。マイヤーと共にフューレンへ向かう。

 

 中立商業都市フューレンは、二十メートルの高さと、二百キロメートルもの全長を誇る外壁に守られた大陸随一の都市だ。

 

 商売だけでなく観光客も多く、人の出入りも非常に激しい都市でもある。

 

 行政機能を集中させた中央区に、カジノなど娯楽を集中させた観光区、武具や家具の製作と直接販売を行う職人区、様々な業種が立ち並ぶ商業区と言ったように、四つの区域(エリア)に大別されている。

 

 都市の四方から中央区へ向かって伸びる大通りがあるのだが、中心へ進むごとに店の信頼度が上がっていくのだと言う。

 

 翻って言えば、外壁寄り且つ大通りからも離れた所は、ブラックマーケットの様相を呈する。裏ルートで仕入れられた物も並ぶ為、中には普通では手に入れられない逸品が見つかることもあり、冒険者や傭兵、ヤクザ者等が主な利用者になるようだ。

 

 フューレンについてマイヤーに教えて貰いながら、外壁に備えられた門への道を進む。門の前に行列が出来ているのが、離れた場所からでも確認できた。

 

 マイヤーがその行列について改めて説明してくれる。

 

「あそこが東門です。“お山”で言ったように荷物検査に並ぶ必要があるのですが……」

「前もって教えてもらっておいて良かったです。“宝箱”をそのまま見せるわけにもいかないですし」

「あのアーティファクトが知られたら騒ぎになりますものね。精霊様や妖精の皆のことも」

 

 マイヤーには倬が精霊と契約した“精霊祈祷師”であり、自身の力を使いこなすための修行をしているのだと伝えてある。

 

 魔人族領からハイリヒ王国より更に北へ転移している事実を知られてしまっているので、ある程度の事情は教えて置いた方が良いと判断したためだ。一週間近く行動を共にした事もあり、“宝箱”の存在も知っている。彼女は倬の事情について他言しない事を固く誓ってくれた。

 

 荷物検査の列に並び、十分ほどで倬の順番が回ってきた。

 

 検査官の男が“宝箱”を調べ終わり、倬に返しながら不思議そうな顔を見せる。“宝箱”の内側に外見に合わせたサイズの箱を嵌め込んで、小ぶりな魔石と硬貨を入れた巾着袋だけをしまっているように見せかけたので、単純に箱であることを疑問に思ったようだ。

 

「あんた、妙な趣味してんな。色味もアレだけど、そんな箱じゃ大して入れられねぇだろ」

「そうなんですけどね、貰い物で、なんか捨てるのも忍びなくて」

「あ~……、そういうのなぁ。俺のカミさんも一緒だわ。なるほど。よし、行っていいぞ」 

 

 マイヤーは特に荷物もないので、着ていた大きめのローブを脱いで受付に渡す。因みにこのローブは、風の大賢者アモレのものだったりする。

 

 何気なくローブを受け取った検査官だったが、マイヤーの顔を見ると一瞬固まり、続いて首を傾げた。目を何度も瞬かせ、少し距離をとって、再びマイヤーの顔を凝視する。

 

 おもむろに机の下から紙を取り出し、見比べ始める。

 

「……あ~、あんた、マイヤー・スクエさん?」

「は、はい。マイヤー・スクエで間違いありませんが、えっと……?」

「お、おぉぉっ、まじか! ちょっ、ちょっと、近くで待っててくれ。一緒に来た“箱の人”もな!」

 

 席を立った検査官は、奥に控えていた人に受付の代わりを頼んで、何処かに走っていった。

 

 彼が机に投げた紙には、写真と見紛うばかりの筆致で、美しい女性の似顔絵が描かれていた。描かれていた女性の顔は、マイヤーの顔をそのものであった。

 

 五分ほど待たされ、慌ててやってきたギルド職員に冒険者ギルド・フューレン支部まで案内をされた倬とマイヤーの二人。

 

 かなり大きなギルドで、人も大勢いるにも関わらず、何やら緊張感が漂い静まり返っていた。

 

 受付の前、エントランスの中央に立っていた痩せこけた男が、ふらふらの足取りでマイヤーに近寄ってきた。

 

 男は、泣き枯れた声でマイヤーの名を呼び続ける。

 

「あぁ……、あぁ……、マイヤー、マイヤーだ」

 

 にじり寄る男が転びそうになるのを見て、駆け出したマイヤーが抱きとめて支える。

 

「オズマさん……、こんな、こんなに痩せて……」

「マイヤー、マイヤー、あぁ、間違いない。マイヤー」

「私を、ずっと探してくれていたの……?」

「あたりまえだよ、僕には、君が居なくちゃ……」

 

 オズマ・スクエとマイヤー・スクエの若い夫婦がギルドの中央で誰に憚ることなく、固く抱き合って泣いた。

 

 ギルドで見守っていた殆どの人がもらい泣きをして、施設の中にすすり泣く声が響いた。

 

 倬の傍にいた男性職員が涙声で説明してくれる。

 

「マイヤーさんが行方不明になってから一年半の間、オズマさんは必死で探し回っててさ。食事も殆ど喉を通らないらしくて、身体はボロボロで、心もまともじゃなくなりかけてたんだ。もう、見てらんなかった。遠出が出来なくなって、ここ最近は、ひたすらマイヤーさんの似顔絵を書いて、ギルドに来た人に配ってたんだ。…………ホント、よかった。本当に」

 

 職員は涙を堪えられなくなって、号泣しながら受付で手続きを済ませるように促してくれた。

 

 ステータスプレートを提出して受付前で待っている間に、ギルド併設のカフェでお祝いの宴が始まった。冒険者の一人が、倬にジョッキに入れた酒を渡してくる。この辺りでよく飲まれるビールに似た発泡酒だ。

 

「よくやってくれたな若いの! 乾杯してくれ!」

「ほ、ほんとだぜ。ぐすっ。これで、あの辛気臭い面を拝まなくて済むと思うとよぉ……。うぅ、清々するってもんだ。……乾杯ぃ」

「オレらのおごりだ。ぐびっとやってくれ! 乾杯!」

 

 マイヤーとオズマを探すと、既にカフェの中央で冒険者達に囲まれていた。弱っていたオズマであるが、アルコールが入ったおかげか、少し顔色が良くなったようだ。マイヤーはよろよろのオズマを幸せそうに支えている。

 

 ギルド内は、既に職員の声が通らない程の大騒ぎだ。

 

 倬に乾杯をせがむ列が途切れたタイミングで、職員の男性が声をかけてきた。 

 

「霜中様、主な手続きが終わりました。……ここは騒がしくなってしまいましたので、詳細の手続きは応接室でお願いします」

 

 男性に連れられて入った部屋には、金髪オールバックの男性が立ち上がって待ち構えていた。目つきは鋭く、年齢は四十歳前後といったところだろうか。

 

「初めまして、霜中君。私はここの支部長イルワ・チャングだ。君に私から手渡さなければならないものがあってね。あまり人目に触れるのは良くないと思って、部屋に来てもらったんだ。ドット君」

 

 支部長イルワが名を呼ぶと、倬をここまで案内してくれた男性が、何やらカチャリと鳴る袋と書類を倬に差し出してきた。

 

「こちらはミン男爵様よりお預かりしていた金二千枚と、オズマ様が失せ人探しのご依頼に用意していた金二百枚です。計二千二百万ルタになります。また、受け取りを確認する書類がありますので、こちらにはサインをお願いします」

「………………え?」

 

 金額が大きすぎて、思考が追い付かなかった。

 

「お納めください。……と言いたいところですが、あまりに大金です。ギルドでお預かりして、必要な時に引き出すと言う形をお勧めしますが、如何なされますか?」

「えっと、その、すいません。話についていけていないのですが……。ミン男爵と言う方は、もしかして、ピグレー君の……?」

「はい。ピグレー様はミン男爵家の次男で、次期当主として期待されていたため、このような高額の報酬を用意しておいででした。本当なら直接手渡したいとの事でしたが、あいにく男爵は多忙な方で、“冒険者”ならいずれフューレンにも来るだろうと、代わりに渡すように私達にご依頼なされたのです」

「いや、しかし、え~~…………」

 

 ここまで話が大きくなる展開は予想できていなかった事と、提示された大金に素で戸惑う。

 

 その倬に、支部長イルワがステータスプレートを返してくれた。レベルも非表示にしてあるので、名前、年齢、天職、職業のみが表示されているが、冒険者ランクが“白”に変わっていた。

 

「霜中君、君の冒険者としての経歴を調べさせてもらった。冒険者として登録して、ひと月足らずの間に十一人もの行方不明者を救っているとなれば、二千二百万と言うのは、何も多すぎると言うことはあるまい。本当ならランクも“黒”でいいはずなんだが、冒険者としての活動日数が足りなくてね」

 

 倬は驚く。既に十一人を連れて帰ったことが伝わっている事実に、である。

 

 だが、このことで動揺してしまえばあらぬ誤解を招きかねないと、冷静さを取り繕って、銀行の代わりをしてくれると言うギルドのシステムについて尋ねる事にする。

 

「……ちなみにギルドに預けた場合に、引き出す際の手続きと言うのは?」

 

 この質問にはドットが答えてくれた。

 

「ステータスプレートに、金額を書いた小切手を添えて手続きを行うものになりますね。ギルドの規模によっては、百万以上の引き出しとなると、断られるかもしれません」

「なるほど。……では千二百枚はここで受け取ります。残りの千枚を預かって頂けますか」

「一千万、ですか?」

「はい」

「千二百万を手元に……? 何か御入用でも?」

「ここのカフェって、ギルドが経営してると思っていいんですよね?」

「正確には少し違いますが……」

「今やってる宴会の代金、受け取った二百万で支払いをお願いします。お釣りがでたら、それはオズマさんに」

「……承りました」

 

 そのやり取りを見ていた支部長イルワが、口をはさむ。

 

「金千枚を持ち歩くのかい? これまでの報酬を考えれば、蓄えが全くないと言う事はあるまい?」

「あ~……、まぁ、カネで解決できることなら、その方が楽な事もあるのかな、と」

「……また苦労してそうな発想だね。まだ若いのに」

「修行ってものは、苦労してなんぼな所がありますから」

 

 支部長イルワは、苦笑いしながらサインを書きつつ答えた倬の目を真っすぐに見つめる。そして、フッと柔らかい笑みを浮かべた。

 

「必要な手続きは以上で終わりだ。手間を取らせてすまなかったね」

「いえ」

 

 手続きが終わり、応接室から倬が退出するのを見送る支部長イルワと秘書長ドット。

 

 ドットが書類に視線を落とし、なにやら思案顔だ。

 

「本当に、彼に報酬全てを渡して良かったんでしょうか」 

「ん? ドット君、それはどうしてだい?」

「支部長だってご存知でしょう? 彼が冒険者として登録したギルドはクドバン村。北東の外れも外れです。……ひと月でフューレンまで来られるわけが無い」

 

 この指摘は正しい。クドバン村からフューレンまでの道は沢山の山や丘を迂回する必要があり、高速馬車を乗り継ぐ為に大きな街を経由しなくてはならない。どんなに急いだとしても三ヶ月以上かかってしまうのだ。

 

「確かに常識外れだね。でも、それは報酬を渡さない理由にはならないよ」

「クドバン村からどのような移動手段を用いたとしても、移動中に、十一人もの行方不明者を救い出すなんて不自然でしかありません。その内のマイヤーさんを含めた七名に至っては、ここ一週間以内に各地のギルドに送られている。不眠不休で移動すれば何とか可能な距離にある町や村ですが、明らかに異常です」

「それで?」

「彼自身が人攫いの一味である疑いがあると言う事です。もしくはその一味を離反して、ギルドからの報酬得ている可能性が否定出来ません。およそ複数人でなくては不可能でしょう」

「ドット君。最近、裏社会で賞金付きのお尋ね者になっているらしい人物について聞いたことはあるかい?」

 

 急に話を逸らされて、一瞬だけ不機嫌そうな顔になるドット。

 

「あるにはありますが、詳細までは」

「何でも、上納金トップを暫く維持していたチームが壊滅させられたらしくてね。で、その男の特徴が……、“眼鏡をかけ、灰色のローブを身に纏い、金の錫杖を持つ若い男”だそうだ。“通りすがりの祈祷師”――、男は自身の事をそう言ったらしい」

「そんな、そこまでの情報があれば、もはや疑いようもないじゃないですか。彼がその“祈祷師”でしょう、なぜ何も言わなかったんですか?」

「何と言うべきかなぁ……。ドット君、君、【神山道中強者一会】を読んだことは?」

 

 再び話を変えられて、先ほどよりも更に険しい顔になってしまうドット。

 

「幼い頃に読んだきりです」

「そうか、実は私はね、子供の頃から“通りすがりの魔法使い”のファンなんだ。ドット君、“通りすがりの魔法使い”が主人公たちと出会ったきっかけが、“静因石”を仕入れる途中だったの覚えているかな」

「……確か、六日かけて買い付けに行った帰りとか」

「その通り。けど最近、変わった本がハイリヒ王国で出版されたとウィルに教えてもらってね。それによると、元々の話では、買い付けに行った帰りじゃなくて、大火山に直接採掘に行った帰りだったらしいんだよ」

 

 イルワの言った言葉に、ドットは真顔になってしまった。

 

「いや、ちょっと待ってください。主人公たちが彼に会ったのは神山より東の山の中でしたよね。そこから、大火山まで六日間で往復したとでも言うんですか。いくら何でも荒唐無稽過ぎます」

「そうだね。御伽噺らしい無茶苦茶さだ。でも、僕らはそれを出来そうな人物とついさっきまで一緒にいたじゃないか」

「まさか、そんな理由で彼を信用したと……?」

「信用とか信頼とは違うかな。ただね、彼がもし“通りすがりの魔法使い”の二代目だったりするのなら、修行の邪魔をしたくないなと思ったんだよ。それに、なにも悪事の幇助をしたわけじゃない。僕らは僕らの仕事をしただけだ。彼がこれから何をしでかそうと誰の責任にもならないから、安心していいよ」

 

 支部長イルワはおどけた調子で話しながら、楽しそうに書類の確認に戻る。

 

 珍しく浮かれたような上司の顔を横目に見て、ドットは小さく溜め息を吐く。

 

 階下で行われている宴会騒ぎは、まだ治まらないらしい。少なくとも、冒険者に混ざって騒いでいるギルド職員をそろそろ仕事に戻さなくてはならない。

 

(いざとなったら水を差すような真似をするのも、私の仕事か……)

 

 秘書長ドットは二度目の溜息を飲み込み、廊下に出る。その背中は、気合と哀愁に満ちていた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 応接室から出て、スクエ夫妻に旅に戻ることを告げた倬が、大勢の冒険者に囲まれてしまっている。

 

 オズマが、倬の右手を両手で包み込むようにしながら、口を震わせる。

 

「霜中さん、あなたにはなんとお礼を言ったらいいか、言葉が見つからない。本当に、本当にありがとうございました」

「大したお礼も出来ずに申し訳ありませんでした。どうか、お体にお気をつけ下さい。霜中さんの旅の無事を、心からお祈りしています」

 

 マイヤーも名残惜しそうに、そう祈ってくれた。その視線は、倬の背中から顔を覗かせる精霊達にも向けられている。

 

「二人が無事に再会できて本当に嬉しく思います。私も、お二人のこれからが、平穏なものでありますように祈っています。……では、お元気で」

 

 冒険者達にバシバシと背中を叩かれつつ、倬はギルドを後にする。

 

 大勢の冒険者達に見送られてギルドを出てから、同じ距離を保ち続けてついてくる気配が三つあった。

 

『うーん……、ギルドでやたら熱い視線を向けて来てたのは、この三人組みたいですね……』

『物盗りかのぅ』

『アナタ様、如何致しましょうか、凍らせてしまいますか?』

『いや、ここはビリビリに痺れさせる方でいこう』

『耳をパーンッてしよっか!』

『いやぁ、これ以上目立つのはちょっと……』

 

 支部長イルワの話しぶりから、自分が期待のルーキー扱いを受けていると推測した倬は、せめてフューレンを出るまでは大人しくしていたかった。

 

 マイヤーや他の里に連れて行った子供達には、信頼できる人以外に、魔人族領から直接助け出されたことは公言しない様に頼んではある。とは言え、“人の口に戸は立てられぬ”とも、“壁に耳あり障子に目あり”とも言う。大勢の前で目立たないに越したことはないだろう。

 

 東門に向かう大通りから、一本外れて狭い路地に入る。

 

 それを好機と捉えたのか、ついてきていた三人組が駆け出し、建物の壁や屋根をつたって倬を取り囲むように現れた。

 

 倬より背の低いハゲ頭に、赤いツンツン頭と、もじゃもじゃロングな男達が順番に喋りだした。

 

「よぉよぉ、二百万なんて大金手に入れたんだってなぁ、メガネく~ん」

「羨ましいぜぇ~、メガネ君よぉ」

「メガネ君さぁ、有り金全部置いてったら、痛い目見るだけで許してやるぜぇ?」

 

 ザ・チンピラと言った風体の輩に囲まれて、リアクションに困る倬。彼らはオズマ・スクエの用意した報酬についてしか知らないようだ。

 

(え~? 金出しても痛い目見せるつもりなの? それは酷くない?)

 

 正直、この場が収まるなら多少身銭を切るのは覚悟していたのだが、どうやら欲の深い相手だったらしい。

 

 一瞬目を閉じて深呼吸した倬は、目を見開くと、大声を上げた。それはもう、情けなく、弱そうに。

 

「うわぁ~~、たぁすけてぇ~!!」

「「「あ゛!?」」」

 

 てっきり魔法で歯向かってくるのかと身構えていた男三人が、硬直してしまった。

 

 倬は、まだ続ける。

 

「後衛職の俺じゃあ、三人の男に囲まれたらどーしよーもないよー! 助けてくれたら一人倒すにつき二十万出すからぁ~、誰かたすけて~!!」

  

 こんな阿保っぽい真似を事をするにも、一応の理由はある。

 

 実はもう一人、ギルドの中で倬を羨まし気に見る男が居たのだ。その男からは悪意こそ感じなかったものの、倬を見る三人組に気づいていたらしく、その三人組を追ってきていたのである。

 

 倬の叫びを聞いたその男は、目の色を変えて一人のチンピラの頭に飛び膝蹴りをかましてから、仁王立ちして見せる。

 

 筋肉質の巨漢で、腰には体格に見合った大剣を下げている。

 

 その男は、芝居がかった台詞回しで捲し立ててきた。

 

「魔法職の君! 話は聞かせてもらったぞ。なるほど、確かにこんな狭い路地でチンピラに囲まれては戦いづらいな! ならばこの俺、“暴風のレガニド”に任せな! ……ちなみに一人三十万ってホント?」

 

 さりげなく十万多く聞いてきたレガニドと言う冒険者に、倬は耳打ちで返事をする。

 

「……門までの護衛込みで百万」

「メガネ君。いや、メガネ様。俺、いや、私めにお任せを。この程度のチンピラなぞ、一瞬で片づけてみせましょぅ……おらぁっ!!!」

 

 何の躊躇いもなく、言い切る前に腰の大剣の腹でハゲを殴りつけるレガニド。

 

(おぉ……! 凄いかも)

『風で速度上げてるわね、まぁまぁやるじゃない』

『うむ、経験から学んだ実戦剣術でござるな。大剣の重みをよく生かしているでござる』

 

 風姫様と刃様が感心している間にも、突然割り込んできたレガニドに、困惑するチンピラ達は慌てふためいていた。

 

「くそっ、“黒のレガニド”かよっ、やべぇ!」

「こんの、“金好き”が! 邪魔しやがって!」

 

 二人の男が逃走を図ろうとするが、レガニドはその巨漢に闘気を漲らせると、男達の頭を飛び越えて回り込む。

 

(あの体で、なんて身軽な)

『ふわふわね~』

『……あのデカい兄さん、楽しそう、だな』

『………………お金の為なら頑張れるタイプっぽいな』

 

 二人同時に薙ぎ払い、壁に叩きつけてあっという間に戦闘を終わらせたレガニドは、おそらく彼が出来る最大限の丁寧さで倬の前に跪く。

 

「メガネ様、お怪我はございませんか?」

「助かりました。流石は“黒”ですね。とりあえずここで金九十枚渡しておきます」

「もう九十万も!! いいの!? じゃねぇ、いいんですかい?」

 

 金貨を数えながら、倬は続ける。

 

「残りの十万は門の手前で。宜しくお願いしますね」

「あの~、もしよかったら、そのまま雇ってもらえたりとか……?」

「あぁ、いや、決まった稼ぎがあるわけでは無いので、それはちょっと……」

「そうですかい……。はぁ……、あのブタ坊ちゃんとおさらばは出来ねぇかぁ」

 

 レガニドはミン男爵家の長男の護衛をしているらしい。今日はたまたま非番で、ギルドの騒ぎを聞きつけて宴会に加わっていたのだ。

 

 プーム坊ちゃんに対する愚痴を聞きながら門に向かう。気に入った他人の奴隷をすぐに買いたがる、我がまま浪費家坊ちゃんなんだそうで、頭の出来も残念なんだとか。

 

(なるほど、ピグレー君に期待がかかるわけだなぁ)

 

 門の手前まで到着し、十万ルタをレガニドに手渡す。レガニドの目がらんらんと輝いている。

 

「いやぁ、正直申し訳ないくらい割の良い仕事だった。……もしよかったら、これから一緒にオネェちゃんの店に行かねぇかい。観光区の端っこだけど、お気に入りの良い店があるんで、なんなら奢りますぜ?」

「あははは、今日の所は遠慮しておきます。もし機会がありましたら、また今度誘ってください」

「そうかい、残念だが仕方ねぇ。それじゃあ、達者で、メガネ様!」

 

 大きな体で両手を大きく振って見送ってくれるレガニドと別れ、倬は近くの林までのんびりと歩いていく。

 

『……たまには俗物なんて言われそうな人と話すのもいいものですね』

『倬殿はああ言った人の子は苦手なのでは無かったか?』

 

 頭の上の雷皇様がハテナマークを浮かべる。

 

『なんて言うんでしょうね……、なんかホッとしました』

 

 何故だか、肩の荷が軽くなった気がした。ああ言う生き方もあっていいのだろうと、そう感じたのだ。

 

 林から空に飛び立ち、新たな精霊様の気配を探る。

 

 宵闇様が小さな手を南に向けて教えてくれた。

 

「………………倬、ここから少し南に“光の”姉さんに似た気配がある、気がした」

「それじゃあ、そちらに行ってみましょうか」

 

 精霊様探しの再開だ。

 

 




タイトル元は《無何有(むかう)(さと)⦆でした。

因みに闇系魔法“蒙怨”の効果は約半年ほど続きます。

では、ここまでお読み頂き有難うございました。

次回投稿は3/31を予定しています。

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