すたれた職業で世界最高   作:茂塁玄格

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今回もよろしくお願いします。


酒入れたれば下手が出る

 とある村の片隅で、垢抜けてはいないものの、美人と言って差し支えない魔人族の娘二人がベンチに隣り合って座り、空を眺めている。

 

「はぁ……、今度はいつ、フリード様のご尊顔を拝見できるのかしら……」

「……ねぇ、聞いて。私ね、考えたの。会いに来てくれるのを待っているだけじゃダメだって。だから私、これから本気で勉強して、お城勤めになってみせるわ。こんな田舎に居たら、チャンスなんて巡ってこないもの」

「……そうね、その通りだわ! こうなったら“二号さん”でも“三号さん”でもいい! フリード様からの寵愛を賜るために!」

「ええ! 頑張りましょう!」

 

 彼女たちは手を取り合ってお互いを見つめ合い、すくっと立ち上がると、競い合うように走りだし、村の中に消えていった。

 

 このやり取りを聞いて、糞がっ! と内心で悪態をついてしまった倬を、誰が責められようか。

 

 倬は今、南大陸でもかなり南側の、シュネー雪原とほど近い位置にある村を歩いている。時折、通りにある店の軒先で立ち止まり商品を眺める。そうやって、魔人族達の何気ない日常の様子を目に納めていた。

 

 シュネー雪原南端、海と樹海が一望できる場所に“雪姫様”の新たな”寝床”として氷の城を造った後、そのまま大陸南端の村々を巡っているのだ。

 

 訪れた全ての村に魔道具の店と、それらの修理屋が複数軒存在したのが不思議で、倬の興味を誘った。

 

 当然、人間族が魔人族の集落を普通に歩くことなど許されないので、技能“闇纏”の効果を宵闇様が調節し、認識阻害の魔法を重ね合わせることで、他の魔人族から注意深く見られたとしても魔人族としか認識出来ないようにしてある。

 

 こうして村々を巡っている一番の目的は、これまで名前だけを耳にしていたフリード・バグアーと言う魔人族についての情報を集めることだ。

 

 フリード・バグアーなる人物が【氷雪洞窟】を攻略し、変成魔法を手に入れた事で、魔人族に強力な魔物を使役する(すべ)をもたらしたのは間違いない。この事実については改めて確認するほどの事でもないのだ。故に、倬の関心は、極寒の迷路の中で火系魔法の使用を妨害され、夥しい数の魔物との戦闘を生き抜き、己と戦う試練を乗り越えたバグアー自身に向けられている。

 

 倬にしてみれば、精霊様の御加護も無しに、どうすればあのシュネーの大迷宮を攻略できるのか、想像も出来なかったのだ。

 

『やっぱり中心地から遠すぎましたかね。フリード・バグアーについて大した話題が聞こえてこないです』

『そうじゃのぅ、有名すぎて逆に踏み込んだ話題にならん感じかのぅ』

『今まで聞こえてきた限りでは、相当な偉丈夫(いじょうふ)のようですな! 主殿!』

『そうですね、まだ会っても居ないのに酷いリア充臭が鼻につきます』

『ア、アナタ様? お顔が怖いですよ?』

 

 倬の中に燻るリア充への僻み根性が漏れてしまった。その表情に雪姫様が少し引いている。

 

 ここまで苦々しげに言ってしまうのは、(くだん)のフリード・バグアーについて話す人の九割九分が女性で、ファンクラブのようなものまであると知ってしまったからだったりする。

 

 “フリード様”のファン以外の話を求め、あてどなく村落を移動している内に日が傾き、濃い青色の空が、燃えるような朱色に移り変わる。既に片づけを始めている店が殆どだ。どうやらこの辺りでは、日暮れと同時に早々と店じまいをしてしまうらしい。

 

 人通りが極端なまでに少なくなり、空の鮮やかな朱色が深い藍色に変わり始める。すると、真っ黒なローブのフードを深く被る者が三人、同じ方向に歩いているのを見かけた。

 

『? 何かの儀式でもするんでしょうか』

『………………ああいう恰好を見ると“黒”の皆を思い出すな。懐かしい』

『“黒の血族”は夜中に儀式するの好きだったな。似たようなものか?』

 

 宵闇様と火炎様が昔を懐かしがっているのを聞きながら、コソコソ歩く魔人族三人の後を追う。

 

 途中でお互いに気付いた三人が合流し、大きなレンガ造りの建物と建物の狭い隙間に入っていった。

 

 倬の肩に立つ森司様が感心するように、大きな建物を見上げる。

 

『こっちの、この辺りにしては大きな建物は図書館のようだな。ふむ、勉強会か?』

『どうでしょう、何だかそんな雰囲気でもなさそうですが……。あの隙間、魔法で音漏れ対策してますね……。音々様、奥の音、聞いてもらっても?』

『音々の出番? んーっとねー……』

 

 彼らが図書館側の壁を開いて中に入り込んでいく時の言葉を、音々様に聞いてもらう。技能“気配感知”も使いつつ、倬もその隙間の奥へ進んで行く。

 

 先程の魔人族が壁を開けた辺りに手を触れると、壁から声が聞こえてきた。

 

――“今際(いまわ)(きわ)に呑むべきは?”――

 

 いわゆる合言葉らしい声に、音々様に聞いてもらった言葉で返す。

 

「“そうさトラッパお前だけ”」 

 

 すると、レンガが動き出し、アーチ状の入り口が姿を現す。その奥は足元が辛うじて見える程度に最小限の灯りが宙に浮かぶ空間だった。

 

 アーチの前に立ち尽くしてしまった倬から見て左側には、地球で言うところのワイン樽が衝立で仕切られながら、奥に向かって三つ並ぶ。一番奥には、その樽を囲むように魔人族が座っている。どうやらテーブル代わりにしているようだ。

 

 右側に視線を移せば、ぶ厚い一枚板で出来たカウンターの前に背の高い椅子が六脚ほど並んでいた。更にカウンターの奥には棚があり、色とりどりのボトルが所狭しと置かれているが、不思議と雑多な印象は受けなかった。

 

 高校生の倬には馴染みこそ無いが、バーやパブのような店であることは何となく分かった。

 

 予想と大分違う場所に惚けてしまった倬。

 

 カウンター側の一番奥、カーテンで仕切られた部屋から、大男がのっそりと出てきた。ゴリラの如き腕の太い男だ。

 

 その大きな手が持つお盆の上には、こんもりと盛り付けられた揚豆と、長いグラスが乗っている。そのグラスの中には、くるくると螺旋を描く様にカッティングした、赤みの強い柑橘系の果物が入れられている。

 

 ここの店主らしい“ゴリラ”が倬に気づいて、店の中で良く響く、低い声で話しかけてきた。

 

「……見ねぇ顔だな。そんなとこに突っ立ってねぇで、適当に座れ」

 

 そうぶっきらぼうに言いながら、奥の樽テーブルに豆とグラスを置いていく。「きたきたー」と楽し気な女性の声に続いて「待ちくたびれたぜ」とか、「最初っからそんな面倒なもん頼むなよなぁー」とか、「まぁまぁ良いじゃねぇか」なんて声が聞こえてくる。どうやら奥のテーブルは四人組のようだ。

 

 どこに座るべきか悩んでいると、森司様がハッキリと席を指定してきた。心なしかテンションが高い。

 

『倬、カウンターの真ん中だ! 客が少ない今がチャンスだぞ!』

『……兄さん、嫌じゃなきゃ、そうしてくれ。……森司様の、趣味、だからな』

『分かりました。そう言う事なら、そうしましょうか。……正直、緊張しますけど』

 

 霧司様が言った森司様の趣味とは、お酒造りの事である。薬作りがきっかけで、お酒以外にも調味料を作ってみたりと、色んなものを自分で作っているらしい。現代のお酒にも興味があったようで、ワクワクしているのが伝わってくる。

 

 まだ高校生かつ未成年な倬だが、この辺りに年齢によって飲酒を制限する法律は無い。そもそも、“神”なんてものに対抗しようと旅をしているのだ。仮に年齢制限があった所で、異世界の法律に付き合う必要も、今となってはあまり無い。そう考えて、森司様の趣味に付き合う事にする。

 

 情報収集と言えば酒場と言うのも定番なので、倬としても悪い気分ではなかった。

 

 頼まれた通りにカウンターの真ん中に座る。カウンターの内側に立った“ゴリラ”マスターが視線で注文を促してくる。

 

(えー……、メニューとか無いのか……、トータスどころか地球のお酒もあんまり知らないんですが……)

 

 父親の持っていた酒漫画の知識だけでなんとか出来るかと悩んでいると、そもそも南大陸のお金を持っていない事に気づいてしまった。

 

 黙りこくった倬を見つめる“ゴリラ”マスターが、首を傾げる。

 

「……どうした?」

「あー……、その、今、ルタしか持ってない事を思い出してしまって……」

 

 その言葉を聞いた“ゴリラ”マスターが、何故か感心した顔をする。

 

「ほーっ、北からの仕事帰りってことか、そいつはご苦労だったな。誰に聞いてここに来たのかは知らねぇが、ここの支払いは向こうの金でも構わねぇよ」

「え? それは、自分としては助かりますけど……」

「うちみてぇな“モグリ酒場”ってなぁ、どこの酒でも仕入れてんのが売りなんだよ。北の酒仕入れる時はルタで支払う方が間違いねぇのさ」  

 

 “ほー、そういうのもあるのか”と納得して、注文に悩む。精霊様も現代の、それも魔人族の飲むお酒についてはあまり知らないのだ。

 

「えっと、おまかせって言うのは……」

 

 倬がそう言うと、露骨に顔を顰めて見せる“ゴリラ”マスター。

 

「……初めて入った店で“おまかせ”ってんなら、好みくらい自分から言いな。甘ぇのがいいのか、さっぱりしてんのがいいのか、つえぇ酒がいいのか、よえぇ酒のがいいのかってな」

「は、はい。すいません。えっと……」

 

 倬の頭に乗っていた森司様が、倬に向かってお酒の名前と頼み方を囁く。

 

『倬、トラッパは大昔からある酒の名前だ。今はどんな風になってるのか気になる、それを頼んでみてくれ。そうだな、飲み慣れてないんだから、初心者向けの、甘い匂いの強いやつでいこう』

「あー、えっと、それじゃあ、初心者(ビギナー)向けのトラッパで、甘い香りが強めなのってお願いできますか?」

 

 その注文に、“ゴリラ”マスターが目をぱちくりさせた。

 

「急にこなれた感じの注文してきやがったな、まぁいいけどよ。……“そのまま”でいいか? “指一”か、“指二”か、どうする」

『この辺りも変わってないんだな、“そのまま”の“指一”でいいと思うぞ』

「えっと……“そのまま”? の、“指一”? でお願いします」

 

 これも森司様の指示通りに返事をする。

 

 森司様の説明によると、“そのまま”と言うのは、言葉通りに、水で薄めたり、氷を浮かべない飲み方の事で、地球で言うところの“ストレート”の事らしい。また、“指一”、“指二”とは、グラスに注いだ時の水面の高さを、指の本数で表現した事に由来するんだとか、地球では“シングル”、“ダブル”などと言ったりするものだ。

 

「……ん」

 

 ゴトリと、“ゴリラ”マスターが大ぶりな豆をこんもりと盛った器を、倬の前に置く。どうやら、居酒屋で言うところの“お通し”のようだ。

 

「頂きます……」

 

 そら豆に似た大きな豆で、炙った訳ではなさそうだが、しっかり乾燥させてあるためか、とても香ばしい。その香ばしさと共に、主張を抑えた山椒に似た香辛料と塩が振られてる。

 

 艶々としている豆を指でつまむと、見た目の印象よりも柔らかそうに感じた。

 

 つまんだ一粒を、口に放り込む。

 

(っ?!)

 

 口いっぱいに広がる、香り高い風味は胡桃に近いだろうか。僅かに香る香辛料が、その風味を引き立てていた。

 

 食感は落花生とカシューナッツの丁度中間くらい。一粒が大きいので、中々に食べ応えがある。

 

 豆を噛みしめるごとに現れる甘味とコク。まるで上質なバターの如き深みがあった。まぶされた塩が、甘みとコクを適度に引き締める。

 

 この豆の味を一言で表すとしたら、次のようにしか言えないだろう。

 

「うまっ!!」

 

 結構な声量になってしまい、店の中に声が響いてしまった。

 

 マスターがビクッとしたのが見える。後ろの四人組の会話も止まってしまったようだ。

 

 我に返ったマスターがガハハと笑い出す。続いて、四人組も膝を叩いて大笑いだ。

 

 羞恥で目線をそらす倬の前に、脚があり、飲み口の狭くなったグラスを置くマスター。グラスに注がれた琥珀色のお酒が揺れている。

 

「ガハハハ! うめぇだろ? ハーシバ豆はよ」

「……はい。こんなに美味しい豆は生まれて初めて食べました」

「そりゃあ人生損してんな。北から戻った連中が来るとよく言うぜ。“他はともかく、豆は南が最高”ってな」

 

 これはホントに美味しいと、倬はひょいひょい投げるようにしてハーシバ豆を口に運んでいく。ボリボリ食べてから、いよいよグラスに手を伸ばす。

 

(おぉ……、手元に持ってきただけなのにアルコールの匂いがキツい……)

 

 トラッパはウイスキーに似た、穀物が原材料の蒸留酒だ。蒸留酒なので、アルコール度数も高めである。

 

『トラッパは大体半分が“あるこーる”だからな。先ずは舌を湿らすくらいにして、“あるこーる”の匂いに慣れるんだ。(むせ)ない様に、ゆっくりだぞ』

『ふむふむ、承知しました』

 

 森司様に言われた通り、ゆっくりとグラスを傾ける。

 

 トラッパがほんの少し触れた唇と舌が、ビリビリと痺れる。常温の液体であるはずなのに、トラッパが通った口や喉に、焼ける様な熱さを感じた。口元に手を当てて、この感覚を今までの経験と照らし合わせる。

 

『……なんていうか、“食饌の交換”思い出します』

『こら。あたしたちの力をお酒と一緒にしないっ』

 

 風姫様が“力の受領”とお酒を比較された事に苦言を呈すると、妖精達が酒の匂いにふわふわし始めたのが伝わってきた。

 

『『『つっちー! たか、“どらんかぁー”?』』』

『へへへ、かーくんも酒好きだぜ? リューレもイケル口でさ』

『らいくんはシュワシュワしてるのが好きだなぁ』

 

 そんな言葉を聞きながら、ハーシバ豆で口の痺れを休ませつつ、トラッパを舐める続ける。ちびちび飲んでいると、新しいグラスが豆の隣に置かれた。

 

「……“やわらぎ”だ。豆もいいが、酒を味わおうってんなら、あった方がいい。ま、白一枚貰うがな」

 

 “やわらぎ”と呼ばれたのは、ただの水である。地球のバーなら舌を休めるために出される“チェイサー”と呼ばれるものだ。白一枚は五百ルタなので、水だけに約五百円支払うことになる。

 

 果たしてこれは親切なのか、押し売りなのかと首を傾げてしまうが、慣れないお酒で舌がおかしくなっていく気がしたので、有難く頂戴する。適度に冷やされた水は、なんとなく口当たりが優しい気がした。

 

(なんだろう、何時もより水が美味しい……)

『霜様、慣れてきたら香りを楽しんでね~』

『空姫様もお酒詳しいんですか?』

『お酒は(ささ)げ物の定番だもの~。詳しくもなるわ~』

『うむ。よく嗅げば、甘い香りに、色んな果物のような香り、香ばしい豆の香りも見つかる筈だぞ。僕もそう言うのを探るのが好きでな』

 

 空姫様と森司様の言う通りに、グラスを軽く回して、匂いに集中してみる。まだまだ慣れが足りないので、アルコールの匂いにクラクラしそうになるが、ふと、その奥に熟れたバナナのような香りが潜んでいることに気付いた。

 

『おぉっ……! こう言う事ですか、これは面白い』

『だろうっ! 醸し方に、どうやって熟成させるかって条件の違いで、同じ材料でも香りが変わって来るんだぞ!』

 

 趣味を理解してもらえたとあって、森司様のテンションが最高潮に達していた。妖精であるもりくんも、気分良さそうに顔を赤らめて倬の膝の上で眠っている。

 

 風姫様が森司様のご機嫌な様子にハテナマークを浮かべて呟く。

 

『“森の精霊様”ってこんなキャラだったかしら……?』

『昔からこうだったのぅ。魔物の肉で薬を作る相談に行った時も、最初はともかく、最後はノリノリだったぞ』

『えへへ~、風姫ねぇ様ー、音々ちゃんもいい気持ちになってきちゃった~』

『あっ、ちょっとこら、音々、急に抱きつかないの! 匂っただけで酔ってんじゃないわよ、あんた精霊でしょ!』

 

 他の精霊達も何だか普段以上に騒がしい。どうやら倬に回り始めた、ほんのりとした酔いが影響しているらしい。

 

 このまま精霊様や妖精達とお酒を楽しむのもいいが、当初の目的を忘れてしまっては本末転倒である。今の自分は魔人族としてここに居るのだと意識して、“魔人族シモナカ”の設定を考えてから、マスターに話しかける。

 

「あー、ま、マスター。その、フリード様って知ってますか?」

 

 すると、再び店内に静寂が訪れた。後ろの四人組から視線を感じる。

 

 不味いことを聞いてしまったのかと、冷汗をかきそうになる倬に、マスターが眉根を寄せて怪訝な顔を見せる。

 

「知らねぇ訳が無ぇだろ。俺みてぇな落ちこぼれと違う、正真正銘のエリート様だぞ?」

 

 一般常識と化しているらしい“フリード様”について知らない“魔人族シモナカ”は、でっち上げた設定をその口から零す。視線はグラスのトラッパに落として、それはもう、言いにくそうに。

 

「その、実は、生まれも育ちも北なもので……。全然、こっちのこと知らなくて……」

 

 その言葉に、マスターがうーんと真剣な顔で唸る。

 

「ってこたぁ、潜入任務中に生まれちまったガキだったのか……。道理でルタしか持ってない訳だ。……戻ってきたのは最近なのか?」

「はい……。両親宛てに帰還の辞令が届いたのは、一年前の事でした」

「その言い方ってことは、お前ぇの両親は……、いや、言わなくてもいい。……そうか、よく帰ってきたな。谷越え、したのか?」

「いえ、砂漠の近くに家があったので、そこから……」

「そんなとっからここまでって、お前……」

「……辞令を持って中央に行ったんですが、入れさせてもらえませんでした」

「そいつは……」

「いえ、当然の処置だとは理解しています。……任務よりも、子供を優先した両親を、国が認めるわけがありませんから」

 

 親身になって聞いてくれるマスターに、良心が痛む。罪悪感が凄かった。

 

 二人の間に産まれた数秒の沈黙に割り込むように、倬の左後ろから、揚げ豆を盛った小皿とグラスがカウンターに置かれた。

 

 左側を見れば、淀みのない所作で魔人族の女性が倬の隣に移ってきたらしかった。襟足より少し高い位置で束ねられたセミロングのポニーテールが目に入る。

 

「悪いね。話、聞かせてもらったよ」

 

 そう言った女性の年齢は、二十代前半と言ったところだろうか。切れ長の猫目で、きつそうな印象もあるが、身長が高く、椅子に座る姿勢が良いのもあって、凛々さの方が上回っていた。

 

 倬と目を合わせて、果物の皮が浮かぶグラスを、視線の高さに持ち上げる。

 

 すぐそばに女性が座った事で動揺してしまうが、それを抑え込んで、お互いが持つグラスをそっと合わて、音を鳴らす。

 

 その音をきっかけに、何とか言葉を絞り出すことが出来た。

 

「い、いえ、別に隠すつもりも無かったので」

「……そうかい。あんた、フリード様について聞きたいんだろ? 確かに今時、フリード様を知らないってのは世間知らずもいいところだからね。そう言う事なら、この私、“フリード様のお側付きになり隊”隊長のニトナ様に任せなっ!」

 

 クール系の顔立ちなのに、最高にキュートな笑顔で、パッション溢れる台詞を言ってのけたニトナ隊長。

 

 その言葉を聞いて、大きな手で顔を覆い隠すマスター。何も言わずに、ハーシバ豆を追加してくれた後、新しいグラスに注いだ“やわらぎ”を置いてくれる。何やらボトルを二本ひっつかむと、一本を空のグラスと一緒にニトナ隊長の前に置いてから、後ろの男達の方に歩き出した。どうやら逃げ出したようだ。

 

 ニトナ隊長は、持ってきたグラスの中身をぐいーっと飲み干すと、高らかに言ってのけた。

 

「フリード様と言えば聡明で、気高くて、慈悲深くて、強くて、そして何より美形!! 全てにおいて完璧なのがフリード様さ!」

 

 求めていたのはコレジャナイ感が凄かった。

 

 後ろの男達からも「すまねぇなぁ」、「黙って聞いてやってくれ」などと声をかけられる。そんな状況を歯牙にもかけないニトナ隊長は、楽し気に語り始めた。

 

「……実はね、私はフリード様の同期だったんだ。ここのマスターみたいに、魔法よりも体術のが得意って言う、落ちこぼれ組だったのさ。大抵のヤツからは馬鹿にされちまう体力馬鹿にも、フリード様は態度を変えずに真剣に向き合ってくれたよ。……あぁ、今でも思い出すよ、“君の方が槍の扱いが上手だ。もしよかったら、指南をお願いできないかな?”って言われたのをさ」

 

 彼女が長々と話してくれたフリード・バグアーは、本当に出来た男だった。

 

 王国と魔人族の将来の為に自分は存在しているのだと、本気で言ってしまうような、何事にも真剣に取り組める、絵に描いたような好漢。それが“フリード様”だ。

 

 魔物を使役する術を手に入れた後も、僻地の村などにも気を配り、優先して魔物を送り込んでくれるなどしたそうだ。魔物の扱いを教えるために、自ら僻地に赴いた事もあったと言う。

 

 一通りの話を聞いて、倬はその人物像を一言でまとめる。

 

(なるほどなぁ、ウチの“勇者”(天之河君)の上位互換か。……出来る事なら、相手したくないでござるなぁ)

『あるじどの、“りあじゅう”苦手でござる?』

『真面目なリア充って、心からは嫌えないのが質悪いんですよねぇ……。どちらかと言えば“ウェイウェイ”してる“パリピ”な人達の方が苦手なので』

 

 豆の隣に正座で現れたやっくんが悩まし気な表情を浮かべる。

 

『“うぇいうぇい”、“ぱりぴ”……? あるじどのの言葉は時々むずかしいナリ』

 

 暫くの間、ハーシバ豆を抓みつつ、フリード様について話し続けるニトナ隊長に付き合っていると、入り口のレンガがガタガタと鳴り出した。どうやら新しい客が来たようだ。

 

 レンガがアーチを作り、その音が止まると、ジャラリと重い金属が複雑にぶつかり合う音が響く。

 

 その音に、ニトナ隊長の表情が不愉快を露わにして歪んだ。

 

「ぶへへへへ! おい、店主! この俺様が、区長たるターブ様が来てやったぞ!」

 

 その下品極まりない声の主はオーク……ではなく、丸々と突き出した胴体を持つ男だ。油で撫でつけた様な、べっとりした髪を頭に乗せ、両耳にはギラギラと輝く数種類の宝石を嵌め込んだイヤリングをぶら下げている。特別暑くもない筈なのだが額には汗が浮かび、その汗がギトギトした顔から滑り落ちていく。

 

 革を巻いた棒を弄びながら。店内をジロジロと眺める区長ターブ。棒の先には金属製の鎖が伸び、ターブの後ろに立つ長髪の女性の首元に続いていた。

 

 ターブ以外の声がしなくなった店の中で、男達が小さく舌打ちしているの聞く。ニトナ隊長も舌打ちをしてから立ち上がると、倬に耳打ちをした。

 

「アレが来ちまったなら、あんたもとっとと帰った方がいいよ」

「……アレが何なのか聞いても?」

 

 倬の問いに、ニトナ隊長はカウンターのボトルを掴み、口を付け、喉を鳴らして飲み始めた。いわゆる“ラッパ飲み”だ。

 

 ぷはっとボトルから口を離し、どさりと倬の背中に覆いかぶさる。

 

 背中にニトナ隊長の体温を感じた。同時に、お酒の匂いとグレープフルーツを思い出す甘酸っぱい香りにドキリとしてしまった。そのまま耳元で囁かれて、とてもくすぐったい。

 

「ここいらの区長だよ。糞ったれの人間族、それも若い女を奴隷にして見せびらかしたがるビチ糞野郎さ。関わらないのが一番なんだよ。……私みたいな美人は特にね」

 

 へらへらと笑いながら、ゆらりと背中から離れるニトナ隊長。「わるいわるい、飲み過ぎたよ」と倬の肩をバシバシ叩いて、店の奥に続く通路にふらふらとした足取りで消えていった。後ろで飲んでいた内の一人も、その通路に向かっていくのが見える。

 

「ったく、相変わらず色気の無ぇ店だ」

 

 わざとらしく音を立てるように二つ椅子を引いて、その椅子を両方とも使い、カウンターに座る区長ターブ。

 

 席に着くと鎖を鳴らして、奴隷の女性を引き寄せる。首輪が引っ張られて転びそうになる女性が、どうにか堪えて椅子に触れる。

 

 椅子を動かそうとしたのを見たターブが、勢いよく鎖を引き、顔を寄せて怒鳴った。

 

「人間族の奴隷如きが、椅子を使おうってかぁ!? あ゛ぁ!? 奴隷ってのは黙って床に這いつくばるもんだろうが、身の程を弁えろ!」

 

 女性は震えるか細い声で、ただただ謝り続けるだけだ。

 

「すいません、すいません、すいません……」

 

 怯える女性が床に直接座るのを満足げに眺めたターブが、下品な笑みを浮かべて倬に体を向けた。

 

「わりぃなぁ、兄ちゃん。こないだ仕入れたばっかで教育が行き届いてなくてよぉ」

「……いえ」

「ふん? ここら辺じゃ珍しい恰好してんな、兄ちゃん。どこの所属だ? 兵隊は金にならねぇだろ? 兄ちゃんも俺様を見習って上手く世渡りした方がいいぞぉ。上手くやりゃあ、奴隷の十人や二十人、余裕で買えるくらいの甲斐性を持てんだからなぁ! ブッハッハッハッハッ!!」

 

 泡立った唾が飛び散り、立派なカウンターを汚していく。

 

 マスターが、穏やかな顔つきでターブの正面にやってきた。だが、その瞳は嫌悪を主張するかのように淀んでいる。

 

「……“いつもの”でよろしいですか」

「おおよ! ボトルでよこせ!」

「畏まりました」

 

 丁寧な所作でボトルとグラスをターブの前に置き。流れるように、倬に紙片の乗ったトレイを渡してきた。

 

「飲み慣れてないお前さんは、それくらいで止めといた方がいい。明日の任務に響くぞ」

「……そうします」

 

 受け取った紙には今日の代金と一緒に文字が書かれていた。

 

===================

 

 3000ルタ

 お前さんの生まれが知られて区長に絡まれると面倒だ。

 通路の先、正面が便所で、右に裏口がある。そっから帰れ。

 酒が飲みたくなったらいつでも来い。できれば区長が居ない日にな。

 

===================

 

 黒の硬貨を三枚、トレイに並べて立ち上がる。

 

「ご馳走様でした」

「おう」

 

 短い挨拶をしてから、倬は“モグリ酒場”を後にする。

 

 奴隷にされた女性の首から垂れ下がる鎖が鳴らす金属音が、まだ耳にこびりついたままだ。

 

 フリード・バグアーの為人(ひととなり)を知ることは出来た。このまま旅に戻ってもいい。だが、まだやることがある。

 

「……いい店、でしたね」

 

 そう呟いて、倬は魔人族領の夜に溶け込むように、その気配を消すのだった。

 

 




 
 補足ですが、霜中君の“耐状態異常”は、とある理由から“酔い”を完全には防ぎません。その代わり、いくら飲んでも飲み潰れたり、意識を失うことは無いと言う特徴があります。

 タイトル元は《酒入舌出(しゅにゅうぜっしゅつ)》(酒入れば舌()ず)でした。

次回投稿は三月十六日を予定しています。お待たせしてしまいますが、次回もどうかよろしくお願いします。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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