すたれた職業で世界最高   作:茂塁玄格

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お付き合いのほど宜しくお願いします。



闇夜が提灯

 昼下がりの、小さいが鐘の音の美しい教会で、牧師ディジオ・カヴァディルと、その孫娘スティナが祈りを捧げている。祈りを終えたスティナが顔を上げると、ステンドグラスを通って彩られた光に、その真剣な面差しが照らされた。

 

「霜中様、お願いします」

 

 大峡谷から子供達を“お山”に連れて行ったその日の内に、祖父を説得したいと言うスティナの希望もあって、彼女は先にダンディーンの自宅に帰っていた。

 

 今はその翌日、猫人族の双子と兎人族二人、森林族の一人を樹海の【フェアベルゲン】近くまで送り、人間族の子供四人に対してギルドに捜索依頼が来ていたのを確認して、其々の出身地の中間にあるギルドに引き渡した後だ。中でも、人間族のピグレー・ミンと言う少年は位の高い家門の生まれだったそうで、冒険者ランクが一つ上がるかもしれないらしい。

 

 因みに、魔人族の少女二人は倬を信用しきれないようで、何処に送ったらいいのか聞いても教えてくれていない。今は精霊達が彼女たちの相手をしている。

 

「ディジオさん、宜しいですか」

「あぁ、俺からも、お願いします。祈祷師様」

 

 倬は手帳を開いて、錫杖をディジオの頭の上でシャンッと鳴らす。

 

「我、この身に潜む闇をもって、姿なきものに触れんと、祈る者なり、“影撫(かげなで)”」

 

 錫杖の先から、影が延びる。影がディジオの全身を覆う。

 

「“姿なき霊魂をこの身の闇にて包み込まん”、“影は闇を深め、その檻より帰れ”」

 

 二度目の追加詠唱と同時に錫杖を振り上げ、影を引き抜く様に動かすと、その影から鈍い光の塊が飛び出す。それは空中で爆ぜて、細かい粒子となった。

 

 その光の粒子は、吸い込まれるように自然とスティナの体に溶け込んでいく。

 

 祈りの姿勢を維持していたスティナが、蹲る。ディジオが両手を固く握りしめて、その様子を見守る。

 

 勢いよく体を起こし、スティナが天井を見つめて、涙を堪えようする。でも、涙は溢れて止まらない。大粒の涙が、天井を仰ぎ見るスティナの瞳から、何度も何度も零れ落ちた。

 

「……おじいちゃん、今まで、ずっと、ありがとう。思い、出せたよ……? おばあちゃんの事も、お父さんの事も、お母さんの事も、全部、全部、思い出せたっ。私……、私ね? 皆のこと大好きだったんだ。この教会でおじいちゃんたちのお話聞くのも……大好きだったの」

「スティナっ……」

 

 ディジオもまた、涙を抑えられないまま、スティナを抱きしめる。

 

「ごめんね、ごめんね、おじいちゃん、辛かったよね……? おじいちゃんだけが、あんなに辛いこと、全部一人で抱えたまま、私の面倒、見てくれてたんだよね?」

「いいんだっ、いいんだっ、俺なんかどうだって。お前さえ、お前さえ、生きてくれたならっ!」

「おじいちゃん、そんな事、もう、言わないで……? 私は、もう、大丈夫だから、おじいちゃんのお陰なんだよ? だから、おじいちゃんが元気じゃなきゃ、やだ」

 

 ディジオ・カヴァディルは声を張り上げて泣いた。

 

 愛する妻を亡くしても、大切な息子夫婦を亡くしても、スティナの看病を続けていた時も、涙を堪え続けてきた彼は、やっと今日、泣くことが出来たのだ。

 

 

 ディジオ達の家の前で、倬とディジオが向かい合っている。

 

「確かに大した礼は出来ないと言ったが、本当にそんなもんでいいのか?」

「はい、効果は悪意に満ちてますけど、この魔法陣は相当高度な物なのでちょっと調べようかと」

 

 二人からお礼をしたいと言われた倬は、ディジオから“焼きごて”のアーティファクトを貰い受けた。

 

 ディジオの痛みの原因から、この“こて”には、記憶を魂の一部ごと抜き取り、それを痛みを与え続ける“呪い”に転用すると言う機能があると推定できた。

 

 その道のプロが使った光系魔法でも解呪出来なかったのは、“呪い”がアーティファクトによって変質させられた魂を元にしていたからだ。スティナの魂がディジオの魂に隣り合ってくっついていた状態だった為、魂を感知できたとしても、これでは原因の特定自体が非常に難しい。

 

 闇系魔法で魂に干渉することで、スティナの魂だけを抜き出す必要があるが、常識的な個人の魔力量では実践不可能である。出来るとすれば、倬や、他の召喚された生徒達が三人は必要だろう。

 

「あのっ、お待たせしました!」

 

 顔を洗ってくると言って家に入ったスティナが、一時間以上かかってやっと出てきた。

 

 扉を開けて出てきたスティナの様子を見て、ディジオが怪訝な表情を浮かべたまま首を傾げる。

 

「ん? スティナ、わざわざ着替えたのか?」

「……いいでしょ別に。えっと、霜中様、本当に有難うございました」

 

 胸元で両手を抱きとめるようにして、スティナは倬を見つめる。その目元は、まだ赤みを残していた。

 

「いえ、怪我しなくて済んでよかったです」

「それも、全部、霜中様のお陰です」

「あぁ、本当に、迷惑をかけてしまった。改めて礼を言わせてくれ」

「あの、私からも何かお返ししたいんですけど、何もなくて……」

 

 スティナもディジオも、もっと何か出来ることはないかと訊いてくる。すこし悩んだあと、倬は二人に一つ、お願いをすることにした。

 

「それじゃあ、教会の鐘なんですけど、音々様が自由に鳴らすの許してもらえませんか?」

 

 ぽわんっと綺麗な音を鳴らして、倬の頭の上に“音の精霊様”――音々様――が現れた。

 

「えっ! たか様、そんなお願いでいいのー?」

「もっと聞きたいんじゃないですか、音々様?」

「それはそうだけど……」

 

 ちらちらとディジオの様子を伺う音々様。精霊達については、スティナを送り届けるついでに話してあったので、ディジオも教会の鐘楼に音々様がいることは知っている。

 

「そうだなぁ……、しかし適当に鳴らすとなぁ……、うるせぇ奴らがなぁ……」

「いいじゃない、それくらい! 音々様の鳴らしたい時に鳴らしてもらえば!」

「うっし、分かった。それくらい何とかしよう! なぁに、文句言ってくる奴がいたら、俺がぶっ飛ばしてやる」

 

 その言葉に、「わーい」っと鐘楼に飛んでいった音々様が早速、鐘を響かせる。

 

 ダンディーンの町に響き渡る、華やかな鐘の音に見送られながら、倬は遥か上空に消えていく。

 鐘の音と共に見送った少女がポツリ、呟く。

 

「……もっと、お話し聞きたかったな」 

 

 その呟きを、“音の精霊”は聞き逃さない。

 

「ねねちゃんがおしえたげるねー」

「わっ! ……えと、妖精さんの、ねねちゃん? なの? 霜中様と一緒に飛んでいったんじゃ……」

「えー? せいれいとようせい、どっちかはいっつも“ねどこ”にいるよー?」

「じゃあ、いつでもお話しできるの?」

「うん!」

「それじゃあ、……色々教えてくれる?」

「“かしこまー!”」

 

 無邪気な妖精と共に、教会に向かう。

 

 一昨日まで、古びていくだけだった教会には、この日から、楽し気な話声が響くようになるのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 魔人族領西側の上空を、奇妙な物体がふわふわと飛んでいる。

 

 生真面目な魔人族に“未確認が侵攻中”だとでも警戒されそうな存在は、魔人族の少女二人を両脇に抱えて“飛空”している倬である。

 

「あれが雪原なのね! 真横から見るとあそこの雲ってあんなに厚いんだ! あぁっ、ちょっと、ビアンっ! あれ魔王城よ! 凄いわ! こんなに高いお空の上から見られるなんて、手を振ったら魔王様に気づいてもらえないかしら! 」

「なん、なんでカーロラ、あんたはッ! こ、こんな状況でッ! 楽しそうなのよッ! この人が手を離したら、私達、真っ逆さまなのよッ! あの世行きなのよッ! 分かってんのッ!」

 

 精霊や妖精に聞きだしてもらい、ビアンちゃん四歳とカーロラちゃん五歳の家の近くまで送る所だ。

 

 人間族である倬がいつ牙を剥くのかとビクビクしてるのがビアンで、何があっても落とされてなるものかと、倬の腕を押し潰さんばかりにしがみついている。

 

 倬はともかく、精霊達に気を許したカーロラは無邪気に空中遊泳を楽しんでいる。普段見ることの出来ない景色を堪能しようと、時折、倬の腕の中で器用に体を回転させるので、倬の方が冷や冷やさせられていた。

 

「どうかしら~、この辺りだと思うんだけど~」

 

 ある程度目星をつけていた場所にさしかかり、空姫様が二人に確認をとる。

 

 元気よくカーロラが答える。

 

「あっ! あの真っすぐな木が目印! あそこを右に曲がってー」

「ちょっ、ちょっと、あんまり詳しく教えちゃダメでしょっ」

 

 倬に聞かせてはならないと考えたのだろう、囁き声でカーロラに注意するビアン。そもそも二人は倬を挟んで会話するしかないので、当然丸聞こえだが、倬は聞こえないフリをする。

 

「えー、でもあそこから歩いても遠いよ?」

「それは……そうだけど……、じゃあ、次の目印で降ろしてもらお?」

「むー、それだとビアンのお家は近いけど、わたしのお家もっと遠いもん」

「だ、だって仕方ないでしょっ」

「次の目印とビアンのお家の間なら、……いいよ?」

「んもうっ……それ殆ど三つ目の目印じゃないっ!」

 

 結局、三つ目の目印だった大岩で二人を降ろすことになった。しかし、その場で二人はしゃがみ込んで何やら相談し始める。

 

 相談が終わったのか二人で横に並び、ビアンが俯きながら、ズボンの太もも辺りを握りしめる。意を決したように倬の顔を見上げた。

 

「……えっと、き、きとーし様。その、助けてくれて、ありがとうございました」

「えっとね、お話、面白かったです! きとーし様はお話を探してるんでしょ? だからね、えっと、私達、知っているお話、教えてあげます!」

 

 精霊達は家の場所を探るための雑談の中で、ビアンとカーロラに倬の旅を昔話やお伽噺を集める旅だと教えたらしい。彼女たちは、お礼として集落、と言うよりは、ご近所に伝わるお話を教えてくれた。

 

 たどたどしくも、一生懸命に語ってくれたお話は、色んな説明が飛んでいた。それでも、倬の役に立つ内容だったのには違いなかった。

 

 全てのお話が、立ち入り禁止の場所を教える為のモノだ。

 

 悪いことをすると落とされる“大峡谷”、細かい砂に飲み込まれてカラカラに干からびてしまう“大砂漠”、深い雪に身動きがとれなくて忽ち凍えてしまう“雪原”、一度入ったら出られなくて獣人に食べられる“樹海”、愚かな人間族が信じる偽物の神様が住む“偽神山”、魔力の量が増えたり減ったりして魔法がへたっぴになる“零山”、真っ暗で一歩足を踏み出しただけで倒れてしまう“黒穴”。

 

 その“黒穴”の話は、大賢者アモレの研究にあった“闇の賢者”が住んでいたと目される“黒死の洞窟”の特徴を言い表していたのだ。

 

 二人の少女が手を繋いで家に帰る様子を、“真っすぐな木”の上に立って見送る。

 

「となると、このまま西側の山を探す事になりますな。主殿っ」

 

 “刀剣の精霊”――(やいば)様――が、倬の肩に正座して現れた。倬の記憶をどう解釈したのか、お団子だった頭の天辺は、コ〇助っぽくチューリップみたいに変わっている。

 

「……“闇の精霊様”が居るかって、……会わなきゃわからないからな……」

「そんなこと言ったら、向こうに会う気が無かったら、わたし達だけじゃ見つけれないわよ。相手は“闇”なんだから」

「“闇の精霊”は、あれで人の子が好きだからな、会うだけなら問題ないと思うが……」

 

 霧司様、風姫様、火炎様が、“闇の精霊”を見つけられるかどうかを心配していた。“闇の精霊”はその闇属性もあって、認識を反らす類の力の使い方が上手いのだ。“闇の精霊”の気分次第では、どんなに力を使っても見つけられない可能性もあるらしい。

 

「駄目で元々ですからね。何にせよ、洞窟探しと行きましょうか」

「うむ、“れっつ、あんど、ごー”じゃのぅ!」

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 子供達の話を聞いた日から四日後、気がつけば、異世界トータスに召喚されてから六十日が経過していた。

 

「思えば遠くに来たものですねぇ……」

「遠いと言う段階は超えてる気がするぞ、僕は」

「そうねぇ~。長生きしてみるものよね~」

 

 倬は、子供達が語った“黒穴”である“黒死の洞窟”前で、目を細めて遠くを見ている。森司様が倬の言葉に冷静な言葉を返す。空姫様は倬の目を細めた表情を真似しながら微笑んでいる。

 

「たか様、入らないのー?」

「見事に真っ暗ですな。主殿! 如何致しましょう!」

 

 音々様が不思議そうに首を傾げて倬を見る。刃様はノリノリだ。

 

 倬は今、洞窟に足を踏み入れるのを躊躇っていた。既に洞窟の前にやって来てから五分が経過している。

 

 それは“黒死の洞窟”が“黒穴”、“黒死”と呼ばれる原因が判明したからだった。

 

「いや、その、この光景にちょっとトラウマがありましてね……」

 

 明かりを吸収し、まともに先を見ることが出来ない横穴。“大地の洞穴”のゴキ〇リトラップを思い出してしまっていたのだ。

 

「我が友よ、俺が見る限り生き物の気配は殆どないぞ」

「そうじゃのぅ、と言うより、もっと厄介な物が塗られとるな」

「あー、あれね、わたし達が触ってもヤバいやつね」

 

 精霊達曰く、洞窟の床から壁、天井に至る全てに“闇の泥”が塗られているらしい。“闇の泥”とは“闇の精霊”が生み出す力の一つであり、泥に触れた、あらゆる力を吸収・消滅させてしまうと言う。

 

 “あらゆる力”と言うのが厄介で、魔力は当然、熱や物体の強度なんかも下げてしまうらしい。人が触れると、生命力や精神力まで奪われる為、正気を失ってしまうのだとか。洞窟が崩壊しないのは、洞窟全体に“闇の精霊”による封印が働いているためらしい。

 

 【ライセン大峡谷】の魔力分解作用は無視できる精霊達でも、この泥に触れてしまうと、少なくとも縮んでしまうのは間違いないそうだ。

 

「泥に触れない様に飛んでくしかなさそうですかね……」

「僕も同意見だ。泥を対消滅させれるのは“光の精霊”位となれば、それしかあるまい」

「魔力一杯ある霜様ならではよね~」

『やっくん、“剣断(つるぎだ)ち”! “剣断ち”使うといいと思う、……でござる!』

「確かに、アーティファクトとの相性も悪そうですね。そうしましょっか」

 

 “刃様”の妖精――やっくん――の勧めもあり、倬はローブの上から腰に巻いているピンクの“宝箱”に錫杖をしまって、“剣断ち”を取り出す。

 

 “剣断ち”とは刃様が宿っていた刀の名前だ。かつて一人の刀匠がその生涯をかけて打ち出したこの刀は、全く魔力を帯びていない。アーティファクトでも無ければ、魔法陣も刻み込まれていないこれは、尋常ならざる切れ味を誇り、刃こぼれも、歪みも無い。

 

 刀剣のアーティファクトすら“断ち切る”()()()()

 これを生み出した刀匠は、その完成度に、刀剣を新たに作ることを“断ち”、後にこの刀を手にした者達は、皆、これに代わる刀剣など無いと、新たな剣を手に入れることを“断ち”、そして、その刀身の美しさゆえに、剣を振ることすら“断った”。そうしている内に“剣断ち”と呼ばれるようになったと言う。

 

 そんな謂れのある刀を腰にぶら下げて、倬は闇の中に浮いたまま進入を開始する。

 

 暗闇の中、辛うじて感じる空気の流れを頼りに洞窟を進む。

 

『暗いってレベルじゃないですね……。距離感も何もあったものじゃないです』

『うー、静かすぎて落ち着かなーい』

『音の反響すら吸収されてしまうのですか……。むむっ! 主殿!』

『また来ましたかっ!』

 

 時折、真っ黒な細長い魔物が倬に向かって突進してくる。蛇と言うよりも、地球では既にその存在が否定されているUMA(未確認生物)“スカイフィッシュ”の想像図に似ている魔物だ。  

 

 “気配察知”で何となく位置を確認し、回転しながら擦れ違いざまに輪切りにする。切り落とされた魔物の身体が地面に落ちると、音もなく泥に沈んでいく。

 

『しかし、こんな場所で生きてられる魔物も凄いですね』

『草も生えないとこに良く生きてられるよな! もりくんには信じられん!』

『くぅちゃんも“む~りぃ~”。お空見たいもの~』

『音々様! 音々様! ふぅちゃんも、たかの頭のっていい?』

『ふぅちゃん? いーよー、おいでおいでー』

『やったー!』

 

 精霊や妖精達にとっても、あまり落ち着く環境ではないらしく、少しそわそわしていた。

 

 滞空能力に長けた魔物達を切り伏せながら、グネグネした一本道を突き進む。

 

 すると、真っ暗な中に、地面が剥き出しになっている場所にたどり着いた。そこから先は光を灯すことも出来る。そこに降りると、風姫様が“闇の精霊”の力を感じ取ったらしい。

 

「あら? 意外ね、“闇の精霊”ったら、眠ってもいなければ、隠れても居ないわ」

『『『つっちー! なんかひさびさー!』』』

「ほんとじゃのぅ! おーい、“闇の”ー! 儂が来たぞー」

 

 すると、更に奥から空間に空いた黒々とした“穴”が近づいてきた。“穴”から声が聞こえる様子は、なんとも奇妙な絵面だ。

 

「………………? だ、“大地の”?」

「そーじゃ、そーじゃ、久しいのぅ!」

「俺が会うのは“霊媒師”達が喧嘩して以来だな。元気だったか?」

「………………! “炎の”!? …………驚きだ」

 

 その“穴”は、土さんと大きさを合わせるように形を変える。頭部らしき卵型の部分に更に三つの深い穴が空いて、その頭部から地面に向かってラッパ状に胴体が膨らんでいく。胴体の中央には二つの小さな手がちょこんとくっつているように見えた。

 

 その空いた穴を倬に向けた“闇の精霊”は、ただでさえ曖昧な体をブレさせ始める。表情こそ読めないが、なにやら動揺しているようだ。

 

「………………!?!?!?! ……人の子?!」

「えっと、どうか落ち着いて下さい」

「べ、別に……、ぜ、全然、ビックリ、したり、し()ないっ…………“闇の精霊”はうろたえないっ」

「そ、そうですか」

「………………こほん。…………良く来れたな」

「協力してくれた精霊様方のお陰です」

 

 倬の背後から他の精霊達が顔を見せて、手を振る。

 

「………………えと、えと……、こ、ここじゃなんだ、ついて来い」

 

 “闇の精霊”に連れてこられたのは、洞窟を利用して作られた魔法工房だ。周囲の壁には精霊達が彼らの魔法で使う幾何学模様を利用した魔法陣が直接描きつけられていた。

 

「ここが“闇の賢者様”の工房ですか……」

「………………ミーヤクを知ってるのか?」

「ミーヤク様と言う方なんですね。“赤”と“黒”の霊媒師の血族について教えてもらった後、風姫様と契約していた“風の賢者”アモレ様が調べていた資料から、この洞窟にたどり着きました」

 

 風姫様が自慢げに倬の肩の上で腕組をする。それを見た“闇の精霊”の頭にある三つの穴が嬉しそうに細められる。

 

 倬をその目でじっと見て、少し困った様に笑った。

 

「………………そうか、契約、したいんだな?」

「はい。……お願いできませんか?」

「………………けど、辛いぞ?」

「耐えて見せます」

 

 その倬の言葉に、“闇の精霊”は足元の闇を盃の形にして、差し出してきた。それを受け取ると、盃自体から、どろりとした“闇の泥”が湧き上がってくる。

 

「………………“闇の精霊”は食撰の交換を求めない。…………それほどの精霊達と契約を成立させているなら、強さの証なんて、受け取るまでもない。…………けど、そのな? やめてもいいぞ? やっぱ、辛いぞ? ミーヤクも死にかけたしな?」

 

 盃を口に持っていく様子を、“闇の精霊”が心配そうに見つめる。

 

 倬は正座して“闇の精霊”と向き合い、頭を軽く下げて盃を両手で掲げる。

 

「頂戴致します」

 

 ぐいっと、盃の中身を口に流し込む。だが、泥の量は全く減らず、止めどなく倬の体に流れ込んでいく。

 

 直ぐに口から熱が失われた。そして、喉、食道、胃腸の順に冷たいものが通った様な錯覚に陥る。しかし、それはあくまで錯覚だ。正しくは、その全てから熱が奪われたのだ。かと思えば、次第に全身の感覚が遠ざかっていった。魔力特有の不思議な熱も感じることが出来なくなる。

 

 体中から力が抜けていく、何の気力も湧き上がらない。何もかもを投げ出したいのに、投げ出すことすら煩わしい。煩わしいと思う事も、億劫だった。

 

(…………あぁ、俺は、なんでこんな所に来たんだっけなぁ)

 

 気がついたら、盃から流れていた泥は止まったようだった。盃を持つ手に力が入らなくなり、そのまま地面に落としてしまう。正座を維持できなくなり、身体を傾けて重力に従い横向きに寝転がる。視界に何かが映るのが、鬱陶しい。倬は目を開けていられなくなる。

 

 ただでさえ暗いこの場所で目を閉ざせば、本当に真っ暗だ。いや、“真っ黒だ”。

 

 “真っ黒な”閉ざされた世界に、義務とか、責任とか、覚悟とか、そんな堅っ苦しい思考が溶け出していった。

 

(あぁ、楽ちんだなぁ……)

 

 自分が、何を考えてきたのか、もはや分からない。

 

(何の為に、頑張ろうとしてたんだっけ?)

 

――英雄にでもなりたかったんじゃないかなぁ――

 

(それは無いなぁ。そんなガラじゃないし……)

 

――なら、罪悪感かねぇ――

 

(あ~、そうかもなぁ……しっくりくるなぁ。俺は助かっちゃったしなぁ)

 

――俺が死んだ方が良かったんじゃないかなぁ――

 

(そうだなぁ、多分、誰も傷つかないよなぁ……。白崎さんだってあんなには泣かないよなぁ……)

 

――なんで旅なんてしてんだろうなぁ――

 

(逃げたかったからかな……。怖かったもんなぁ……。あそこに居るの)

 

――逃げる為の言い訳だ――

 

(そっか、ただのアリバイ作りか)

 

――卑怯者――

 

(あぁ、糞ったれだ)

 

――人殺し――

 

(そうだなぁ、殺しちまったなぁ)

 

――眠いな―― 

 

(あぁ、眠い)

 

――寝よう。誰も傷つけないし、自分も傷つかなくて済む――

 

(そいつは……、名案かも……しれ、ないな……)

 

 唯一残っていた何かが、“黒”に染められるのではなく、“黒”に同化していく。

 

 何も、無くなる。それが、とても気楽なように思えた。いや、楽になるのだと理解できた。

 

 なのに、何処かから聞こえてくる声が、身体の何処かを揺さぶる声が、身体の何処かをチクリと刺すような声が、無くならない。その声が、気になって仕方ない。

 

 聞こえているのが音ではないと知りながら、それでも耳を澄ます。

 

 何だか最近よく聞いていた気がする。

 

 それは、必死に涙を堪える時の息づかいに聞こえた。

 

 「悲しいことを言ってくれるな」と、「寂しいことを言わないでくれ」と、切ない想いがそこにはあった。

 

 そして、とても大きな想いに触れた。

 

 ごめん、ごめんと自身を酷く責める想いを感じた。

 

 そんな風に、責めさせてしまっている何かに、腹が立った。

 

 その“何か”が自分なのだと気付いた時、“黒”が吸い込むより早く、熱さを増していく想いが湧き上がり始めた。

 

 眠いとか、怠いとか、辛いとかそんなものはどうでもよかった。

 

 今、目の前で自分が悲しませた。悲しませたくない誰かを、悲しませた。その事実が許せなかった。

 

 重い瞼を見開いて、震える腕で地べたを這って、“闇の精霊”の傍に近寄る。“闇の精霊”は俯いたままだ。

 

「……こんな形でしか、力を貸せない精霊でごめんな? ……本当は、こんな精霊は契約しないほうがいいんだ」

 

 上手く声が出ないせいで、何度も咳き込んでしまう。

 

「げほっ……。そんな事は、ありません。そうだ、あなたに、受け取って欲しい名前があるんです」

「…………まだ、“力の受領”は終わってないぞ?」

「先に、聞いておいて欲しいんです。“闇の精霊様”に会うと決めた時から、考えていました。土司様と出会うまで、私は、眠るのが、あの夢を見るのが怖かった。夜が怖かった。闇が怖かった。けど同時に、夜に、闇に助けられてきました。“瞑想”を上手く出来たのは何時も夜で、瞼を閉じた闇の中でした。“闇”は恐怖の象徴ってだけじゃない。“善い闇”に救われてきたから、あなたに贈りたいのです……“宵闇様”、受け取ってもらえますか?」

「自分…………、“善い闇”で…………、“宵闇”…………、いいのか? その、自分には明る過ぎやしないか?」

「“闇”には違いないでしょう?」

 

 どれだけみっともない笑顔なのか知りたくも無いが、必死でつくった笑顔を向ける。

 

 その笑顔に、“闇の精霊”は苦笑いで返してくれた。

 

 そして、闇が再び倬を飲み込む。

 

 だけどもう、眠くなんてなかった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「倬、スープ位なら飲めるわよね?」

「ふぅちゃんが飲ませたげるねー」

「ちょっと! ふぅちゃん、甘やかさないの!」

「じゃあ音々とねねちゃんが“あーん”してあげていい?」

「次はくぅちゃんね~」

「それじゃあその次は私が~」

「何でそうなるのよっ! か、仮に食べさせるとしたらわたしが最初でしょ!」

「「「「「どうぞ、どうぞ」」」」」

「あんたたちねぇ! どっかに訴えるわよっ!」

 

 “力の受領”が終わり、倬は今、寝込んでいた。“闇の精霊”との契約で飲んだ物は、“闇の泥”を何倍にも凝縮した物に近いらしく、受けた影響はそう簡単には回復出来ないそうで、そのまま体調を崩してしまったのだ。

 

 風姫様達が、“寝床”でつくったスープを持ってきて、看病してくれている。

 

「………………その、倬、ごめんな?」

「自分こそ、弱っちくてすいません“宵闇様”」

「………………よいくん、そんなこと無い……と思う……」

 

 枕元には“宵闇様”と妖精――よいくん――も、申し訳なさそうに倬の額を撫でる。よいくんは火の玉を引っ繰り返した様な、人魂みたいな“闇”の姿だ。全身をゆらゆらさせて、宙に浮いている。

 

「ミーヤク様の事、教えてもらっても?」

「………………話、長いぞ?」

「望むところです」

「………………そうだなぁ、ミーヤクは、突き抜けた研究馬鹿でな?」

 

 薄暗い洞窟に作られた部屋に、喋るのは苦手だと言いながら、でも、とても嬉しそうに語る“闇”が揺れる。

 

 倬がこれから進む道を示すのは、この心配性の“闇”だ。

 

 照らすのではなく、寄り添う“闇”が倬の味方だ。

 

 それが何だか、嬉しかった。 

 




 
 工房にあったベットの中で俯せになった倬がステータスプレートを弄っている。

「………………倬、ちゃんと寝ないと、良くならないぞ?」

 宵闇様が枕元にスーッと伸びるように現れる。

「有難うございます宵闇様。その、横になりっぱなしと言うのがどうも落ち着かないので、せめてステータスの表示くらい弄れないものかと思いまして」
「………………表示?」

 倬がステータスプレートの技能欄を指差す。

「項目が増えすぎて見辛くなっちゃってるんですよ。何とかできないかなと」
「………………宵闇たちには、そもそも読めないからな、倬の力を直接感じた方が早い」
「そっちの方が凄い気がしますけどね」

 苦笑しながら、倬はステータスプレートを睨みつけながら魔力を注ぎ込む。

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霜中倬 15歳 男 レベル:1
天職:祈祷師  職業:祈祷師・冒険者(青)
筋力:1095
体力:1280
耐性:1800
敏捷:1200
魔力:181154
魔耐:200072
技能:精霊祈祷・全属性適性[+土属性効果↑][+火属性効果↑][+風属性効果↑][+水属性効果↑][+闇属性効果↑][+発動速度↑]・土属性[+無効]・火属性[+無効]・風属性[+無効]・水属性微耐性・闇属性[+無効]・物理耐性[+衝撃緩和]・耐状態異常・魔力操作[+魔力放射][+魔力圧縮][+遠隔操作]][+効率↑][+魔素吸収][+身体強化Ⅱ]・魔力感知・気配感知・反響定位・錬成・剣術・宵眼・念話・飛空・気配減少[+闇纏]・魔力回復[+瞑想(極)][+瞑想効率↑(極)][+常時瞑想]・土壌回復・範囲耕作・植物生育操作・発酵促進・言語理解
==================
*耐状態異常-あらゆる肉体的、精神的な状態異常――火傷、毒、麻痺、精神汚染など――に対抗することが出来る
宵眼(よいめ)-光の入り込まない無い闇の中であっても、視覚が働く。
*闇纏(やみまとい)-闇を纏う事で気配を“消失”させることが出来る。
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「いま思いつくのはこれくらいですかね。省略出来そうなところは削って、“上昇”を矢印にしてみましたが……。かえって分かりにくくなったような気も、うーむ……、ぐえっ!」

 唸る倬の首に蹴りを入れるようにして、風姫様が現れた。

「いい加減寝なさい。倬」
「……風姫様、もう少し優しく寝かしつけてくれてもいいんですよ?」
「あら、人の子を手っ取り早く眠らせるには、首筋を“トン”ってすればいいって、倬の記憶にあったわよ」
「それ、メルド団長くらいの腕が無いと本気で危ないやつなので、勘弁して下さると嬉しいです」

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タイトル元は《闇夜の提灯》でした。

今回はいかがでしたでしょうか。

ちなみに技能“宵眼”は、暗がりで明るく見えるのではなく、視界は暗いままなのに、周囲の様子を視覚的に知覚できるものです。

霜中君のレベルが未だに“1”であることを感想でご指摘頂いたので、こちらにも書いておきますが、このレベル表示自体がバグってるものと思って頂ければ間違いありません。

なぜ“???”のようなエラー表示にならないのかと言う理由については、本編で言及するまでお待ちくださると助かります。

次回は1/6に投稿予定です。では、ここまでお読みいただき有難うございました。

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