すたれた職業で世界最高   作:茂塁玄格

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今回も宜しくお願いします。


教会の子は鐘の音で目を覚ます

 日が傾いて、見るもの全てがオレンジ色のベールに包まれている。そんな鮮やかな景色の中、倬は小さい教会の鐘楼の上で、新たに出会った精霊と対面していた。

 

「わぁー。おねぇちゃん達とここで会えるなんてっ。えへへ、すっごく嬉しい!」

 

 全体が水色で毛先に黄緑色が差し込まれた、やや癖のある無造作なショートカットは風姫様よりも少し短い。着ている白地のワンピースには、柔らかく波打つような五本の黒いラインが描かれている。

 

「相変わらず子供っぽいわね。“音の精霊”は。……元気そうで良かったわ」

「久しぶり~。“音の精霊”ちゃんもお気に入りの場所見つけたのね~」

 

 出会った精霊は“音の精霊”。

 “風”、“空”、“音”の精霊達はお互いを姉妹として認識しているのだと言う。

 

 “音の精霊”は興味深そうに倬を見回し、他の精霊達にも挨拶をして回る。

 

「“風”のおねぇちゃんと、“空”のおねぇちゃんが新しく契約してたなんてビックリっ! 二人とも前の契約者様の事、ほんとに大好きだったもん」

「うふふ~、まぁね~」

「……別に、断る理由がなかったからってだけよ。それで? あんたはどうする?」

「契約すれば、昔みたいにおねぇちゃん達と一緒に遊べるんでしょ? ……それなら契約しよっかなぁ」

 

 チラチラと倬の表情を窺う“音の精霊”。鐘楼の周りをぐるぐる回って、倬の目の前で停止した。

 

「ちょっとだけ、お願いがあるんだけど……聞いてくれ……」

「もちろん」

 

 内容も聞かず、やや食い気味に即答した倬。彼は兄であるが為か、妹キャラに弱いのだ。

 

 

 大峡谷にほど近い場所にある町、ダンディーン。【ヘルシャー帝国】が強い影響力を有するこの町には、砦が並び、丈夫な防壁で覆われている。

 

 【ヘルシャー帝国】とは、三百年ほど前に魔人族との大戦の最中に、ある傭兵団が築き上げた国である。腕自慢の傭兵、冒険者達を抱える軍事国家であり、“力こそが正義”と言う徹底した実力至上主義に基づいた政治を行っている。

 

 故に、この町ダンディーンにも傭兵やならず者の冒険者、そして亜人族の奴隷が多く見受けられる。控えめに言っても、あまり治安はよろしくない町の一つだ。

 

 その町に大小二つある教会の小さい方で、倬は精霊達と妖精達と共に掃除に勤しんでいる。

 

「――“天幕”。――“水玉”っと」

 

 上から風姫様や空姫様、“音の精霊”が掃いた塵や埃を“天幕”で一ヵ所にまとめながら、浮かべた水で布を濡らし、椅子を水拭きする。その後を、火炎様が乾拭きしながらついてくる。

 

「倬、僕の方に灯りをくれ」

「はーい。じゃあ杖近くに浮かべときますね。……んっと、――祈る者なり、“灯点(とうてん)”」

『なんだよ森司様、かーくんに言ってくれたら良いのに』

「かーくんは三姉妹の方手伝ってたろ。持ち場離れていいのか?」

 

 森司様は隅っこの狭い場所で(つた)で作った箒を駆使している。その背後には錫杖が光を灯しながら浮かぶ。上から風姫様の怒鳴り声が教会に良く響く。

 

「ちょっと、かーくんっ! 天井暗いんだから、サボってないでこっち来なさいっ!」

『うえぇ、……風姫様こえー』

「風姫ねぇ様~。かーくんが“こえー”だってー」

「あぁぁん? 喧嘩売ってんの? 買ってやるからさっさとこっち来なさい!」

「も~、風姫ちゃん、言葉遣いが乱暴よ? “オハナシ、シマショ?”位に抑えないと~」

 

 何故こんな事をしているのか、それは“音の精霊様”のお願いが、“寝床”の鐘楼がある教会の掃除だった為だ。

 

 “音の精霊様”が言うには少し前からこの教会の管理が滞っているらしい。この教会の鐘の音に惹かれてやってきた“音の精霊”は、誰も鐘を鳴らしてくれなくなったので、今まで鳴っていた時間になると自分で勝手に鳴らして音を楽しんでいるんだとか。

 

『『『『つっちー! つっちー! びゅーりふぉー!』』』』

「……つっちー、楽しそう……やりがい、あるな、コレ」

「うむうむ、こういうのも、結構楽しいのぅ! 儂も負けんぞー」

 

 霧司様が湿らせた壁やステンドグラスを土さんとつっちーで一斉に拭いている。数も多いので中々な眺めだ。

 

 どんどん綺麗になる教会に“音の精霊”も嬉しそうだ。ぴゅーんと鐘楼に向かって飛んでいったと思いきや、美しい鐘の音が町に響き渡った。

 

「なるほど……、これは綺麗ですね」

「分かってくれるのー? 嬉しー!」

 

 倬の周りを舞踊るように飛び回る“音の精霊”。他の精霊達もその様子を微笑まし気に眺めている。暫く眺めていると、ガコンッと教会入り口の大きな扉が開いた。

 

「だ、誰ですかっ。今この教会は閉めている……ので、出て、いって……くだ……」

 

 開くと同時に、女の子が精一杯咎めるような声を作って、思い切り叫ぶ。が、教会に浮かぶ精霊達に目を丸くした少女は、その光景を受け止めきれず身体を硬直させてしまう。

 

「あーえっと……」

 

 固まったままの、赤茶色でウェーブのかかったロングヘアの少女は、どうやら先ほどの鐘の音の原因を調べに来たようだ。倬がどう説明したものか頭を悩ませていると、“音の精霊”がさも当然かのように、彼女の肩に立って、その子を紹介し始めた。

 

「えっとねっ。この子はスティナちゃんって言うの! この教会のぼくし様? のお孫ちゃんなんだよ!」

「えーっと、えっと……な、何なんですか、これ~~!」

 

 少女は初めて見る精霊達にどう反応していいか分からず、オロオロするばかりだ。困り果てた彼女は、まだ理解の及びそうな、彼女にとっては不法侵入者である倬に、救いを求めてしまうのだった。

 

 

「旅の祈祷師様に、精霊様ですか……」

「勝手に入ったことはお詫びします。その、出来れば大事(おおごと)にはしないでもらえると助かるんですが……」

 

 姿を隠してなかった為に精霊の姿を見られてしまった事もあって、とりあえず精霊を探して修行の旅をしている祈祷師だと明かした倬は、少女と中央の通路を挟む形で長椅子に座っている。“音の精霊様”が少女の膝の上に座って足をパタパタしているのが見える。

 

「えっと……、“音の精霊様”? が、この教会を気に入ってくれて、お掃除、してくれたんですよね。正直、まだ頭が追い付いてないんですけど、皆さんが悪い人じゃないって事は、分かりましたから……」

 

 膝の上に座る無邪気な精霊に、おっかなびっくりでまだちゃんと触ることの出来ない少女。精霊の小さくて可愛らしい見た目に、そわそわしている。倬は、とりあえず大事にはならなそうだと一安心だ。

 

「ありがとうございます。正直、ホッとしました」

 

 胸を撫でおろす倬を、少女がくりくりした目で見つめ、くすりと笑う。

 

「……どうかしましたか?」

「いえ、修行の旅をしていると聞いたので、もっとこう、“何事にも動じないっ!”みたいな硬い人なのかと思ったんですけど……、何て言うか、普通の人だなぁって」

 

 少女が笑ったのは、倬の雰囲気もそうだが、何よりも現在の倬の状態にある。頭に火炎様、両肩には山さんと森司様、膝の上に風姫様と空姫様が座り、右の二の腕に霧司様が引っ付いているのだ。見ようによっては人形を使った変わり種の大道芸人に見えるだろう。

 

「んん……? その評価は、喜んで良いんですかね……?」

「ふふふ、精霊と契約出来て“普通”でいられるのはいいことよ~?」

 

 そんなもんですかね、と精霊達と話す倬を微笑ましく見てから、少女は教会正面のステンドグラスを思い詰めた様子で眺める。躊躇いがちに倬に質問を始める少女の声音は、どこか諦めが混じっている。

 

「シモナカ、さんは、その、魔法の修行中なんですよね……? 病気とか、怪我とか……、呪いとかに詳しかったりしませんか?」

 

 急に少女の声のトーンが下がった事に驚いた倬は、返答に困ってしまう。

 

「……突然、すいません。その、無理なら無理でいいんです! 今日の事、誰にも言わない代わりに、おじいちゃんの事、診てもらえませんかっ?」

 

 随分無理をして脅すような言い方を選んだ彼女、スティナ・カヴァディルはぽつぽつと語った。

 

 物心が着く前に事故で両親を失った彼女は、祖父でありこの教会の牧師、ディジオ・カヴァディルに育てられたと言う。幼少の頃から体が弱かった彼女は、祖父の懸命な看病によってその体質を克服することが出来た。しかし、その間の無理が祟ったのか、今度は祖父の体調が崩れ始め、今では寝たきりとなってしまったそうだ。

 

 長い間、ベッド暮らしをしてきたスティナも、あまり体力が無く教会の管理が行き届かない。元より傭兵や冒険者の中でも信仰心の薄い連中が多いこの町では、教会の利用者自体が少なく、今年初めに、とうとう、この教会の取り壊しが議題に上がると通知されているらしい。

 

「“音の精霊様”と同じで、私もこの教会の鐘の音が大好きなんです。……ベッドの上で、決まった時間に鳴る綺麗な鐘の音は、私の数少ない楽しみでもありました。時々、誰が勝手に鳴らしているのかっておじいちゃんが怒ってたんですけど、精霊様だったんですね」

 

 顔を俯かせたまま、スティナは“音の精霊”に微笑みかける。対する“音の精霊”は申し訳なさそうに縮こまっている。

 

「うーー。とっても綺麗だから鳴らしてたの……。勝手に鳴らしてたの、ぼくし様、怒ってたんだ……ごめんなさい……」

「謝らないで、精霊様。私が寝坊しても、決まった時間に必ず鳴って、私を起こしてくれました。ずっと不思議だったけど、精霊様が鳴らしてくれてたって知って、私、とっても嬉しいんです」

 

 そう言いながら、落ち込んでいる“音の精霊”の頭を自然と撫でる。

 

 これまで何度も魔法師や、医家、怪しげな呪術師にも頼ったが、祖父が耐え続ける痛みは一向に消える気配が無いと彼女は言った。藁にも縋りたいと思うほど、追い詰められているのだろう。現に、お世辞にも魔法の腕が立つようには見えない若造の倬に、こんな話をしてしまっているのだから。

 

 スティナの視線は足元に落とされたままだ。その少女の心を感じ取ってしまう“音の精霊”の瞳は今にも溢れそうなまでに潤んでいる。

  

 倬は内心で溜息をつく、精霊を探し、戦う強さを求めてばかりの自分が、どこまで役に立てるのか分かったものではない。だが、放っておける訳がないのだ。

 

「…………診るだけみましょう。案内、お願いできますか?」

 

 何せスティナは十四歳。

 妹ちゃんと同い年。

 無視などしたら、兄貴が(すた)る。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 倬が通された部屋の広さは五畳ほど。窓に平行になるように置かれたベットの上には、短い白髪の男性が横たわっている。

 

 その顔は、寝たきりの老人とは思えない位には精悍なもので、その男性が発する声からは荒々しいまでの逞しさを感じた。

 

「スティナっ。また妙な輩を連れて来たのかっ。俺の事はもう放っておけと何度言ったら分かるんだっ。……っ! ぐぅぅ、あ痛だだ……」

「もう! おじいちゃん、怒鳴ると体に響くんだから、一々大声出さないでよっ」

 

 教会の隣にあるスティナと牧師ディジオの家にやってきた倬だったが、既に雲行きが怪しかった。

 

「あー、その、多少の痛みを和らげるくらいなら出来ると思うので……」

「あ゛あ゛ぁ!? “出来ると思う”だぁ!? (うち)にゃあもう金なんかねぇんだ、そんな適当な奴に診せる余裕なんてねぇ。とっとと失せやがれっ!」

「えーっと、お金ならいいので、取り合えず特に痛い所とか診せて貰いた……」

「あ゛あ゛あ゛ぁん!? 金が要らねぇだぁ!? 仕事の見返りを求めねぇ奴なんざ、もっと信用できるかってんだっ! 苦労して医家になって(まんま)食ってる奴を何だと思ってやがんだっ! 施しなら余所でやりやがれっ!」

「うーーんと、そうだ。なら一泊させてもらっても? 場合によっては新しく魔法陣作らな……」

「はぁっ!? くっそっ、てめぇ!? スティナ狙いか!! ふざけろっ! 俺に恩を売ったからって、おめぇみたいな素性の知れない上にパッとしない面の黒髪なんぞに、大事な孫娘くれてやるわきゃねぇだろうがっ! 万が一スティナに手ぇ出してみろっ、ぶち殺すぞっ!!」

 

 散々な言われようである。

 

『どうしよう、早くも挫けそうです……』

『…………が、頑張れ、兄さん』

『ぷっ。“素性の知れない上にパッとしない面の黒髪”だって。いっそ清々しいわねっ!』

『も~、笑ったら霜様可哀想よ?』

『うむ、だが、仕事の話は一理あるな。俺はこの親爺嫌いじゃないぞ』

『僕もだ。勢いだけではなさそうな老人だな』

『めげずに話し続ける他なさそうじゃのぅ』

『ぼくし様、元気そうでよかったー』

 

 激しく捲し立てる祖父の言葉と態度に、スティナは両手で顔を覆ってしまっている。鼻をすすると、涙声で祖父に訴えかける。

 

「無理言って来てもらったんだよっ! なんですぐ、そんな風に言うのぉ……! おじいちゃんだって痛いの辛いでしょぉ? ちゃんと診てもらってよぉ……。私が元気になっても、おじいちゃんがずっと痛そうにしてるの見るの、嫌なんだよぉ! ねぇ! 何とか言ってよぉ」

「……俺はもう七十近いんだ。寿命だって言ってんだろ。……おい、若造、俺の体が診てぇってんなら勝手にしな。俺はもう寝る」

 

 ディジオは痛みを堪えたまま寝返りをして言い切ると、そのままそっぽを向いてしまった。倬はベットの傍で膝立ちになり、念話で精霊達と打ち合わせを行う。

 

「あの、ごめんなさい、こんなおじいちゃんで……」

「いや、あのまま診せてもらえないよりは、全然。……それじゃあ、ディジオさん、少し背中触りますね」

 

 倬は、服の上からディジオの不調を探る。正確には、精霊達に何らかの魔法的な異常が無いか探ってもらっている所だ。

 

 初めから精霊頼りなのも一応、理由がある。と言うのも、全く外傷が見受けられず、既に医家の範疇では無いと判断されている上、スティナが依頼した中には、宮廷魔法師でも名のある“治癒師”がいたらしく、光系魔法での痛み止めや解呪も効果を成さなかったと聞いていたのだ。

 

 その道の専門家が見落とすレベルの異常を、倬の持つ大雑把な魔力感知や未熟な闇系魔法では見つけられる道理が無かった。

 

 五分少々探っていると、倬にも精霊達の感じた異常が伝えられた。皆、一様に複雑な感情を覚えてしまってるのが分かる。

 

『友よ、妙なモノを見つけたぞ』

『僕だけの力だったら、如何ともし難かっただろうな』

『……そうね、人の子ってのは、どうしてこんなもの思いつくのかしら』

 

 倬の表情にも、複雑な感情が滲み出てしまっていたのだろう。スティナに不安そうに見られていたのに気づき、切り替えるために軽く息を抜く。なるべく安心させるため、にこやかさを装う。

 

「ふぅ、とりあえず、痛みを軽くするくらいなら今すぐ出来そうです。完全に取り除くには少し準備がいるので、どこか部屋を貸してもらっても良いですか?」

「は、はいっ! 使ってない寝室があるので、そこを使ってくださいっ! ……ちょ、ちょっと待ってて下さいねっ! 少し掃除してきますのでっ!」

 

 大慌てで少女が出ていった部屋に、暫し静けさが訪れる。この空気に耐えかねたかのように、ディジオが口を開く。

 

「……何か、分かったってのか」

「この痛みについて、お孫さんに聞かせたくない話がありませんか?」

「はっ! 信じられねぇな。背中触っただけで分かったってのかよ」

「気休めですけど、少し痛みを軽くできそうです。詳しい話は、日付が変わる頃にしませんか?」

「断ると言ったら、どうする」

「どうしましょう、そうなると……、困っちゃいますね」

 

 再び寝返りをうち、たはは、と曖昧な苦笑いを浮かべる倬を睨みつけるディジオは、大きく溜息を吐く。

 

「はぁー、あ痛だだだっ! 全く、溜息ひとつまとも吐けやしねぇ……。本当に、少しでもこのイテェのが軽く出来んなら、話を聞いてやってもいい」

「んじゃ、呪いかけますね」

「わかった……っておいっ! ちょっと待てっ! “呪い”ってどういうこったっ!」

「いや、そうじゃなきゃ、ただ痛いままですよ? 大丈夫、“痛いのが時々気持ち良くなる”程度の呪いです」

「なんだそれっ! おめぇ、妙な趣味でも持ってんじゃねぇだろうなっ!」

「失礼な。“私は何時だって大真面目”です。良いですか? 痛みの原因、相当厄介なソレなんですよ? 分かってますよね? 今から使う呪い知っている人なんて滅多に居ませんよ? ぶっちゃけ、こんな下らないけど有用な呪い知ってるの、私以外だと、他に二十人くらいしか知りません」

「くっそ! 微妙な人数だなっ! 少ないような、少なくないようなっ」

 

 文句を無視して懐から取り出した、かなり分厚くなった手帳を開く。そのまま、サラッと詠唱を終わらせる。

 

「我、この身に潜みし闇でもって、彼の者の痛みを和ませんと、祈る者なり、“優痛(ゆうつう)”」

 

 “霊媒師”に伝わる由緒正しい闇系魔法“優痛”。原因不明の痛みの代表、腰痛を緩和するために遥か昔に編み出されたこの魔法は、「なんか痛い」を時々「あっ……イタ気持ち良い」に誤認させる効果を持つ。族長リューレも愛用の魔法である。※効果には個人差があるそうな。

 

 ディジオが驚き、口をパクパクとさせる。かと思えば、ほんの一瞬顔をへにゃっと綻ばせた。

 

「お、おぉぉっ!? おっふ。……ゴホン、……わ、悪くねぇな」

「そいつは良かった」

 

 よっこいしょっと上半身を起こしたディジオが、自身の体を確かめるように触る。寝たきりになってからと言うもの、自力で起き上がることなど出来なかったのだ。痛みが引いたわけではないものの、少しでも自由が利くようになったことに感心した様子だ。

 

「おめぇ、いや、祈祷師様、だったな。名前、もう一度聞かせてもらっても?」

「はい、霜中倬と言います」

「はぁー。霜中様、スティナが寝た頃に来てくれ。その時、話をしよう」

 

 

 日付が変わる少し前、深夜に目が覚めてしまったスティナは、一階の台所でお茶を淹れている。

 

(霜中様なら、おじいちゃんを治してくれるかもしれない。ううん、きっと治してくれる。今だっておじいちゃんの部屋で治療してくれてるみたいだし……うん、大丈夫、お茶持ってくくらいなら、お仕事の邪魔にはならないはずっ)

 

 空き部屋の掃除を終えて、祖父が体を起こしたのを見た彼女は、それはそれは喜んだ。これまで財産を切り崩し、苦労して来てもらった魔法師達でも、痛みを弱めることすら叶わなかったのだ。祖父の体調が回復するかもしれない、と言う期待感に高揚してしまって、上手く寝付けなかったようだ。

 

 お盆に二つお茶を載せて、祖父の部屋のある二階へ向かう。スティナが扉を開こうとお盆を持ち直した時、部屋から話し声が漏れ聞こえてきた。つい気になって、彼女は耳を澄ませる。

 

「……仰る通り、この痛みは俺が手に入れたアーティファクトの効果によるものだ」

「そのアーティファクトは、まだ持っていますか?」

「あぁ、このベットの枠に巻き付けてある。……本当なら、どっかに捨てるなり、埋めるなりするつもりだったんだが、何せこんな有様だ、ソコ位にしか隠す余裕が無かった」

 

 倬がベットの下でゴソゴソやると、長さ三十五センチほどの“焼きごて”に似た道具が見つかった。真円の印面は直径五センチほど、極めて複雑な魔法陣が描かれ、筒状になった金属から伸びる棒は木製の柄に嵌め込まれている。柄にも魔法陣が刻み込まれ、それは丸みを帯びた柄の終わりにまで及んでいた。

 

 倬は、この道具の魔法陣を確かめてから、本題に入る。

 

「……こんなものに頼らざる得なくなった理由、教えてもらえますか?」

「…………もう、十年前になる。孫は、スティナは、両親が死ぬのを目の前で見ちまったんだ」

 

 ディジオは語る。敬虔足る信徒に神が与えたもう試練について。

 

「家は代々この教会を管理する牧師でな、俺も、それを引き継いだ。“傷ついた者に憐れみを”ってんで、魔人族との戦闘で腕やら脚やら無くした奴らの世話をしてたのが、この教会だ。当然、俺も、俺の息子も、教えの通りに働いた」

 

 小さいながら歴史のある教会に生まれた彼は、口こそ悪いが、面倒見がよく周囲からの信頼も厚かった。彼の妻と息子夫婦と共に、沢山の元傭兵や元冒険者の相談に乗って、時に彼らの働き口を探し、忙しないが、でもとても充実した日々を過ごしてきたと言う。

 

 スティナが四歳になり、時折、教会の手伝いをしたがるようになった頃、教会に隻腕の元傭兵が相談に訪れる。彼は、(しき)りに周囲を気にしながら、魔人族に命を狙われているから匿ってくれと言ってきたそうだ。スティナの父親は、終始怯えた様子の彼を落ち着かせる為、その日は家に泊めることに決めた。

 

「窓があると不安だってんで、三日間、そいつは家の地下倉庫で暮らしたよ。地下に入ると、まるで別人みてぇに落ち着いてな。頭も悪くなさそうだったから、息子は事務仕事を紹介しようとそいつを地下から連れ出したんだ……」

 

 その男は、地下から出た途端、発狂した。スティナの父親を突き飛ばし、咄嗟に止めようとしたスティナの母親を殴りつけた。魔人族に売り飛ばされる! 誰か助けてくれ! 死にたくない! そう喚き散らしながら男は暴れ回った。テーブルをひっくり返し、椅子を投げ飛ばした。

 

 騒ぎを聞きつけたディジオの妻が駆け付けたのを、魔人族の襲撃だと思い込んだ男は咄嗟に魔法を使い、炎を投げつけた。

 

 うめき声を上げる夫婦に気付き、部屋に散乱するフォークで滅多刺しにして殺したと言う。

 

「あいつは、俺の妻は体中焦げ付かせて、息も出来ねぇってのに、見たこと全部、俺に教えてくれた。無我夢中で息子達を殺し続ける男を、花瓶を振り落として殺しちまった孫のことも」

 

 ディジオが町の外から家に帰ると、死に絶えた息子夫婦の傍らで泣き喚く孫と、酷い火傷を負いながらその孫を必死に抱きしめる妻がいた。

 

 スティナの祖母は、部屋の片隅で震えている孫に気づき、逃がそうとしたそうだ。だが、四歳児には重いだろう大きな花瓶を抱えて、両親を傷つける男の元に走る孫を、彼女は止めることが出来なかった。そして、それを悔やみながら、彼女は息を引き取る。

 

「スティナは無茶苦茶に泣きながら言ったよ。“かくれんぼ”してたって、お母さんを驚かせようとしたんだって、なのに男の人が、お父さんに、お母さんに酷いことをしたのを見たって。それからだ、あの子は、ベッドの中から出てこなくなった」

 

 涙が枯れて、放心状態に陥ったスティナは、まともに話をすることも、食事を摂る事も出来なくなった。時間をかけて何とかスープだけは飲んでくれるようになったものの、どんどん、スティナの体は痩せ細っていった。

 

「時々な、急に、涙も流さねぇで泣いたんだよ。お父さん、お母さんって呟きながら」

 

 あまりに痛々しい孫の様子に、ディジオは思いつく限りのことをした。光系魔法で精神を鎮めたり、薬や魔法で強制的に眠らせてみた。だが、その全てが徒労に終わった。どんなに外側から癒しを与えても、内側から湧き上がる恐怖や悲しみを克服させるには至らなかった。

 

「だから俺は、スティナの記憶を消しちまうことにした。生きる気力を失うような酷い記憶なんて、無くたっていい。俺はただ、スティナに生きて欲しかったんだ」

 

 記憶を消す方法を探して、沢山の“闇術師”に力を借りた。だが、強烈すぎる記憶を取り除ける者などいなかった。

 

「中でも、名のある男は言ったよ。“孫が、記憶を忘れない為に何度も思い出そうとしているせいだ”ってな。それを言われて思い出したんだ“殺しは慎まれるべし”、あの子は教会の教えを、両親の教えを、俺の教えを真面目に聞いてたって」

 

 幼いスティナは、両親と祖母の死だけで無く、自らの殺しにも苛まれていたのだ。それを知ったディジオは、より強力に、強制的に記憶を消す方法を探し求めた。

 

「馬鹿みてぇな紛い物を何度も掴まされた。だが、六年前だ、やっとそいつを手に入れた。記憶を抜き取って、痛みをもたらす呪いに変えるアーティファクトを」

 

 倬の手元にある“焼きごて”が、そのアーティファクトなのだと言う。倬は、こての精巧過ぎる魔法陣を軽く撫でる。

 

「その呪いを解いたら、どうなるか知っていますね?」

「俺にそれを売った奴に、ニタニタ笑いながら言われたさ。“万が一にも無いと思いうが、呪いが解ければ記憶は戻ってしまうそうなので、お気をつけて”ってな。……祈祷師様よ、痛みを軽くして貰えただけでも感謝してんだ。礼はする。だから、俺の事は放っておいちゃくれねぇか」

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 教会の裏手、物置の陰でスティナは膝を抱えている。祖父と喧嘩したり、怒られた時に彼女が隠れる場所だ。

 

(うそ、ウソだ、ウソだ……お父さんと、お母さんが殺されて、その犯人を私が殺した……っ!? そんなの知らない……、お父さんの事も、お母さんの事も、おばあちゃんの事も何も、知らないっ)

 

 倬とディジオの話を聞いてしまったスティナは、思わず、家を飛び出してしまった。祖父の語った自分が知らない、忘れさせられた過去を、受け止めることなど出来るはずが無かった。

 

 本来、自分のモノである苦しみを、祖父が痛みに変えて耐えていると言う事実もまた、スティナを追い詰めた。

 

(私が弱かったから……、私が弱いせいで、おじいちゃんが辛い思いをしてたの……? )

 

 スティナは自分自身を抱きしめるように服を握りしめて煩悶(はんもん)する。

 

 そのスティナの苦悩など、まるでお構いなしに、嫌らしい声が後ろから近づいてきた。 

 

「ひゃはっ! ラッキーだぜ、ユスリスぅ、人間族の女一人追加だぁ」

「うへへっ! 良い頃合いっぽいじゃんか。ホルガーは本当に目が良いよなー」

 

 咄嗟に立ち上がったスティナの口を、慣れた手つきで覆う男は、ナイフを見せびらかすように弄ぶ。その切っ先をスティナの瞳に突き付けて、愉快そうに耳元で囁いた。

 

「夜遊びする悪い子だから、こうなるんだぞぉ。ママやパパに、教わらなかったかぁ?」

 

 男二人と若い娘を拾った馬車が、静まり返った深夜の町から走り去って行く。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 ディジオの部屋を出て、倬は借りた寝室に向かう。

 

 スティナが用意してくれた“使ってない寝室”には、ベッドが二つ並び、化粧台が備え付けられていた。窓から続くベランダには、小さくて品の良いテーブルを挟むように、二つの揺り椅子があった。

 

 この部屋はスティナの両親の部屋だったのだ。

 

 既に日付は変わっている。今日の昼前まで時間が欲しいとディジオに言った倬が、“焼きごて”の魔法陣を睨みながら廊下を歩いていると、一階に明かりが灯っているのに気づいた。

 

 何となく、本当に、何の根拠もなく、嫌な予感がした。

 

 一階に降りるが、誰もいない。

 

 台所のテーブルにあったお盆には、冷め切ったお茶が二つ並んでいる。

 

 閉め切れていなかったのだろう玄関の扉が、きぃーっと寂し気に音を鳴らして揺れた。




という感じで今回はここまでです。

タイトル元は《商人の子は算盤の音で目を覚ます》でした。

続きは12/29に投稿予定です。

ここまでお読みいただき有難うございました。

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