『……ぁ、アモレ……? アモレなの……?』
風を纏いながら現れたのは、土さんよりはやや小さい大きさの人形みたいな女の子。淡い水色のワンピースをふわりと着ていて、毛先が銀色になった青髪は肩にかかるギリギリ程度の長さだ。
『そうですっ! アモレです! あぁ、よかった“姫様”。私はてっきり体調でも崩されたのかと……』
心から安堵している様子の大賢者に“風の精霊”がふよふよと近づいてくる。
短い手を伸ばし、大賢者の頬を撫でるように動かす。霊体になった彼に対して、まるでそこに実体があるかのような手つきだ。
『あぁ、ホントね……。アモレなのね……。ぐすっ。夢でも、見てる気分よ』
『ええ、私もです。“姫様”』
“風の精霊”はポロポロと涙を零しながら、アモレを見つめる。その涙は地面に落ちるその前に、そよ風となって芝生を撫でた。
なんだか、おいそれと割って入れる雰囲気ではない。しかし、そんな空気をぶち壊してしまう男がこの場に居合わせてしまったようだ。
『そうだっ! “姫様”っ! 私がここに来られたのは、あちらに居る青年のお陰なのですっ! なんと驚いたことに二人の精霊様と契約している青年でして、私が闇魔法の実験の為に石碑に残していた魂の一部を見事に呼び起こして、言ったのです。“風の精霊様”を探しているとっ! いやぁなんたる偶然っ! 否、必然かもしれませんね、そう、まさに運命っ! 運命ってやつですよ! “姫様”! その後も凄かったんですっ! 私が教えた魔法を正しく理解してゴーレムを創り出したかと思いきや、自ら着込んだのです! 私はてっきり、こう、座る感じで乗り込むのかと思ったんですがね? だってそうでしょう! あれでは関節の操作を誤れば身体を痛めかねませんからな。それをなんと精霊様に意識を読んでもらった上で動かしてもらおうなどとはっ! 私では何を言われるのか恐ろしくって“姫様”にそんなこと頼めませんものっ!』
まさかの当事者だった。
霊体だから呼吸が要らない為なのか、それとも生前からなのか、息継ぎなしで捲し立てる大賢者。
さっきまで美しく泣いていた“姫様”だったが、今の表情にはイライラの青筋が浮かんでいるかのように見えた。俯いてプルプル震えているが、少なくとも、感極まって泣いている訳ではないようだ。
『あんたって男は~…………』
『おや? どうかなされましたか“姫様”?』
「ちったぁっ雰囲気察しなさいよっ! この唐変木っ!!」
バウゥンッ! “風の精霊”が手を振ったかと思ったら、凄まじい突風が大賢者めがけて吹き付ける。霊体なのに、見事に吹き飛んでいく大賢者。
あっけにとられて見ているだけの倬と精霊達。中でもつっちー達は、背筋を伸ばして飛んでいくのを見送っている。
『『『“やなかんじ~”?』』』
「……“そーなんす”」
つっちー達の台詞に、倬もやや躊躇いがちに続けた。
「悪かったわね。変なところ見せたみたいで」
“風の精霊”に通されて家に入ると、長らく誰も使っていないとは思えない綺麗さだ。塵も埃も落ちていない。かと思えば、“風の精霊”は手慣れた手つきでお茶を淹れ始める。ティーセットが風で宙に浮いていた。
『驚いたかい? “姫様”は風の扱いだけでなく、家事全般まで得意なんだよ』
「……凄いですね」
ぶっ飛ばされたまま放置されたはずの大賢者が、いつの間にかテーブルの隣に座っていた。なんか色々凄いなと言う他無い。
「……なんでアモレが得意げなのよ。あたしが家事出来るようになったのは、アモレがからっきしだったからじゃない」
倬と精霊達にお茶を渡しながら、“姫様”は不満げな表情だ。“姫様”と呼ばれているのに、なんだか妙に所帯じみている精霊である。
「あの竜巻を見た時は驚いたが、思ったよりは元気そうだのぅ」
「うむ、てっきり萎んでいるのかと思ったぞ」
「何よそれ。魔力の使い過ぎで萎むとか、産まれたての精霊じゃないのよ? 当たり前でしょ?」
その台詞に火炎様が萎んだ。
「あぁっ、火炎様っ! 大丈夫、ちゃんと理由解ってますから、落ち込まないでっ」
慌てて慰める倬。
「何? まさか“炎の精霊”ったらいい年こいて縮んだわけ? 呆れた。……まぁ、理由もあるみたいだし、これくらいにしといてあげるわっ! 感謝しなさいっ!」
中々手厳しい精霊のようだ。火炎様がしゅんとして倬の体に“引っ込んで”しまった。因みに精霊は、契約者の体内に入り込んで休むことが出来る。身を隠すときには力を使うより、こっちの方が楽なのだとか。
「相変わらず口が悪いのぅ、“風の”」
「えー、ホントの事言っただけじゃない。それはそうと、“大地の精霊”が山から人里に降りてくるなんて珍しいじゃない? 何か一大事でも?」
倬が“風の精霊”の言った言葉に引っ掛かりを覚える。
「あれ? “大地の精霊”って? 土さん?」
「はぁ? “土さん”ってあんたそんな名前付けたわけ? 信じらんない! “大地の精霊”なのよ? 超大物なのよ? “光”とか“闇”とかとタメ張る位の立ち位置なのよ!?」
凄い勢いで責めらてしまった上に、倬にとっては衝撃の事実を知ることになった。
「おぉっ、思い出した。そうだ儂、“大地の精霊”だったのぅ! 倬には“土の精霊”と教えたんだが」
「……あぁ、忘れてたわ“大地の精霊”ってそこら辺ホントにテキトーだったわね。ごめんなさい、霜中。あんたは悪くないわ」
呆れた顔の“風の精霊”に謝られてしまった。ちゃんと謝れる精霊ではあるようだ。
そんな様子をニコニコと見ている大賢者。
暫く、“風の精霊”と大賢者アモレとの昔話を聞いて過ごした。“風の大賢者”アモレは、子供の頃から魔法が得意で、現代に伝わる魔法式や魔法陣の体系化や簡略化を成し遂げたのだと言う。そんな彼が最も得意としていた風魔法に魅せられた“風の精霊”が、その魔法を褒めたのが契約に至るきっかけだったそうだ。
「なんかいつの間にか“大賢者”なんて呼ばれるようになったみたいだけど、この大地ですっごく珍しい“賢者”の天職持ちだったのよ。アモレは」
ふふんっ! と自慢げに言う“風の精霊”。
『いやぁ、照れますねぇ。そうだ、旅の目的を聞く限り、霜中君は魔法の勉強もしたいんだろう?』
「はい。精霊様の力を借りるにも、先ずは自分で出来ることを増やさないといけませんので」
『では私の書斎にいこうっ! いやぁ、魔法について踏み込んだ話が出来る相手が死んでから見つかるとはっ!? 君の得意分野は何かな? 若いのに魔法陣書くの早かったから“魔法陣構築学”かい? それとも“呪文理論”? “祈祷師”に詠唱は必須だもんな! あ、マニアックな所で“魔素学論”とか、その応用学なんかかね? あれは“精霊様”の存在を知ると俄然興味湧くからなぁ!』
ハイテンション爺に、返事に困る倬。さっきから並べられた科目のどれも習ったことなど無かった。
それもそのはず、王国での講習では生徒達のトンデモスペックを生かすために、基本の他は理論体系や小手先のテクニックよりも、高い威力の魔法や技の運用の注意点しか教えてもらわなかったのだ。
「落ち着きなさいアモレ。……はぁ、霜中、悪いけど暫く相手してやってちょうだい。こうなると止まらないのよ。その間に、わたしは寝室掃除してくるわ。んで、あんたはその寝室で寝なさい。いいわね?」
言い終わると、倬の返事も聞かずに二階に飛んでいく。
『さぁ、さぁ書斎は一階です。わざわざ二階に資料を持っていくが面倒ですからな。私は無駄が嫌いなのです』
『『『“むだむだー?”』』』
『“お、青ざめたなTAKA……”』
「かーくん、マニアックな所できましたね。二部ですか」
その日は深夜まで賢者アモレと魔法談義で盛り上がることになるのだった。
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クックドゥドゥドゥ―! 間違いなくそんな鳴き声が家の外で響き渡っているのが聞こえた。一匹が鳴いたのにつられて、他の鳥も鳴きだした。凄く騒々しい。布団の中に頭まで潜り込む。
「ほら、庭の鳥たちも鳴きだしたわ。起きなさい霜中」
女の子の声に起こしてもらうと言うのが、なんだか懐かしかった。そう言えば、妹の尋ちゃんは日本で元気にやっているだろうか。ぼんやりとそんなことを考える。
「……早く起きないとベットごとぶっ飛ばすわよ?」
「おはようございますっ! 今起きました!」
跳ね起きてリビングに降りると、正しく“ねんどろ〇ど”サイズの“風の精霊様”が、食器を並べていた。倬に気づくと、食器を放り投げて顔の近くまでやって来る。よく見ると、起こしてくれた“風の精霊”より更にあどけない顔をしている。
「あー、たか、おはよ。お寝坊しないのね、もしかして、いい子?」
「あっぶな! ちょっとお皿投げんじゃないわよ!」
「きゃー、“わたし”が怒った、たか助けてー」
倬の頭の周りで追いかけっこが始まってしまった。どうやら、小さい方は妖精のようだ。精霊が妖精を捕まえると、二人で朝食の支度を始めた。手持無沙汰なのもなんなので、一応手伝いを申し出る。
「何か手伝いますか?」
「えー、何々? たか、お料理できるの? 」
「別に大した料理も作らないし、座ってなさい。あんたには、まぁ、感謝してるし、その、今はお客様だし……」
後半なんだか上手く聞き取れなかったが、とりあえず言われた通りに席につく。なんか静かだなと思えば、アモレの姿が無かった。“譲霊”の際に割と魔力を使ったので、まだ魔法の効果は切れていないはずなのだが。
「アモレなら外を見て回っとるぞ?」
「まぁ、何だかんだ景色も変わっているからな、思う所もあるだろう」
二人の精霊が、何処かしんみりした口調で教えてくれた。そこに完成した料理を取り分けに、“風の精霊”とその妖精がふわっと現れる。
「なに静かになってんのよ。あいつはもう何も食べられないんだからほっときなさい。……わたしは飼ってる鳥に餌やってくるわ。食べ終わったらテキトーに寛いでていいわよ」
そう言って“風の精霊”は壁を透り抜け、外へ飛んでいく。
芋と野菜の具だくさんスープ、そして味の濃いスクランブルエッグがちょっぴり、しょっぱい気がした。
ゴツゴツと節くれだった杖が、草原に突き立てられている。奥に続く山脈は何処までも続いているかのように果てが見えない。
大きくて、強い風がこの場所を吹き抜けていく。
「こんなトコに居たのね……」
『おぉ、“姫様”。……やはり、この場所は素晴らしいです。風は強いのに、通り道にある物を吹き飛ばすような事は無いですから』
アモレは、感慨深そうに遥か山々を見つめる。
「そうじゃなきゃ、わたしはココを“寝床”に決めたりなんかしないわ」
『ここを気に入って頂けて嬉しいです。頑張った甲斐がありました』
「そうね、やっと完成したと思ったら、すぐ、死んじゃうんだから」
家は早いうちに建てたが、庭や野原の整備には時間がかかってしまったそうだ。アモレは周囲の嫉妬などもあり、世間に実力を認められたのが遅く、晩年の方が“賢者”の仕事は忙しかった。
『それについては、不甲斐ないです。……それにしても、いくら気に入ったと言っても、何も隠すことは無かったのでは?』
「……最初の内は、ちゃんとお墓参りに来る人の子も多かったのよ。でもね、どんどん減っていったの。偶に来たかと思えば、お墓を荒らそうとしたり、家探ししようとしたりだったわ。そんな奴らを追い払っている間に、皆、アモレの名前すら忘れて、“大賢者”、“大賢者”って……」
悔しそうに、涙を流す“風の精霊”。彼女はアモレとの大切な思い出の場所を、土足で踏みにじられるのが我慢できずこの場所を封印していたのだ。
『嫌な思いをさせてしまったんですね……』
「別に、アモレが悪いわけじゃないもの。それに、こうやってまた会えたわ。もう、細かい事なんてどうでもいいくらい、嬉しいの。……あの子のお陰ね」
『……もうそろそろ、時間のようです』
アモレの霊体が少しずつその色を淡くしていく。ごしごしと目を拭ってから、“姫様”が笑顔を見せる。
「最期の時も言えなかったから、今、言うわ……アモレ、あなたの事、心から愛していたわ」
『“姫様”……。過去形なのが気になりますが、本当に嬉しいです』
「あんたって、ホント、いつも一言余計なのよ。気にしないで素直に喜びなさいっ」
そして、アモレが光の粒となって散り始める。
『それでは、お元気で、“姫様”』
「ええ、じゃあね、アモレ」
光の粒が、谷に向かって飛んでいく。
風の妖精が何処からか精霊の胸元に飛び込んできた。
「なに泣いてんのよ。しょうがないわねぇ……」
目に沢山の涙を溜めて、泣きつづける妖精の頭を撫でながら、舞い上がっていく輝きを見送る。この場所に吹く大きくて強い風が、その輝きを村にまで届けようとしたように彼女には思えた。
両脇に本棚が幾つも並ぶ廊下の先にある四畳ほどの小部屋が、アモレの書斎だ。本棚と机と椅子で殆どのスペースが埋め尽くされている。その椅子に座りながら、倬は分厚い本を読んでいた。
「“譲霊”、効果切れちゃったか……」
アモレの書斎には専門書や研究資料が大量に置いてあった。アモレからは全て好きにしていいと言われているそれらの資料は、今の倬にとって宝の山に間違いない。
“祈祷師”・“霊媒師”が一般の魔法を使用した際の魔力消耗の原因を、魔法適性事体のルーツに求める見解。魔法陣無しの魔法を実現させる為の基礎理論なども興味深い。
それらの中でも今の倬にとって特に重要だったのが“闇の賢者”の研究だ。アモレよりも更に古い時代の賢者で、闇魔法に精通していたと言う。
「昨日、アモレの相手を結構楽しそうにしてたから、もしかしてと思ったけど、あんたもあっち側なのね。正直キモイわっ!」
突然現れた“風の精霊”から、凄く機嫌良さそうな満面の笑みで酷いことを言われた。
「えー……突然ひどい……」
「まぁ、そんなあんたにもちゃんと感謝してあげるわ。という訳で、魔石よこしなさい」
はりーはりーと急かしてくるので、魔石を取り出すと、シュパッとひったくられる。
「うーん、中途半端なサイズだけど……まぁいいわ」
そう言って魔石を風で包み、精霊の体の中に取り込んだ。そのまま両手を突き出し、風を綿菓子のような状態まで圧縮する。
「知ってるわよね? 食べなさい」
「ですよねー」
重みは無いが、触れた手の平に切り傷が出来てしまった。持っているだけで、どんどん傷が増えていく。
痛みに耐えて、その風に齧り付く。殆ど硬さは無い。咀嚼するより、吸い込んだ方が速そうだ。
既に口はズタズタになっていて、血の味と匂いと共に風を吸い込んでいく。
風が通る場所全てが、内側から切り付けられていった。残り三分の一まで受け入れたところで、上手く呼吸が出来なくなった。肺に沢山の
“精霊契約”は、途中で気を失ってはならないのだ。このまま呼吸困難が続けば、いつ意識を失っても不思議ではない。倬は、残る風の塊を無理矢理口に押し込み、舌と喉を必死に動かして強引に嚥下する。
アモレが使っていただろう立派な椅子の上で蹲るようにして、手放しそうになる意識を手繰り寄せ続ける。
かすみ始めた意識の中に、見たことのない景色が入り込んできた。
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ゴツゴツした岩場に植物がしがみつくかの如くに生えている。とても空が近い場所だった。
「ね~え? 本当にあの子と一緒の家に住むの~?」
“風の精霊”と似ているが、ふんわりとした長髪で少し大人っぽい見た目の女の子――この子も精霊のようだ――がのんびりした口調で訊いている。
「わたしが決めたんだからいいでしょ。後悔なんかしないわっ!」
今度は“風の精霊”の声だ。つんけんしているが、離ればなれになる寂しさを押し殺しているのが伝わってきた。
傍には他にも、ギザギザしたアホ毛のある短髪の男の子と、やや無造作なショートカットの女の子が見える。
「おねぇちゃんと、もう遊べないの……?」
「何、時間ならいくらでもある、その内また会えるさ。“風の”姉さんが頑固なのは今に始まったことじゃないだろ?」
「なに偉そうに大人ぶってんのよ。……けどまぁその通りよ。じゃあ、挨拶しに来ただけだから、もう帰るわね」
浮かび上がって飛び去ろうとする“風の精霊”。後ろから、のんびりとした声が届いた。
「私はここでお昼寝しているわ~、いつでも遊びにきてね~」
その優しい声は、空に何処までも広がってくように聞こえた。
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(今の、“風の精霊様”の記憶……?)
その記憶を見ている間に、身体を傷つけていた風が収束していったのが分かった。“風の精霊”が倬の額に手を当てて撫でている。どうやら、“力の受領”が終わったので体内の傷を癒してくれているらしい。
「こんなもんね。ホントならすぐ名前をよこしてもらう所なんだけど、ちょっと付き合いなさい。……土司様と火炎様もね」
立派な杖を墓石代わりにしたアモレの墓の隣に、倬は立たされている。
足元には大量のつっちー達に、火炎様が気合を入れるように腕を振り回している。土さんと“風の精霊”が何やら、角度について話し合っていた。
「よしっ。そういうわけで行きましょうかっ!」
どういうわけだろう。
「うーむ、やはりこう言うのは胸が高鳴るのぅ!」
「違いないなっ! 俺は思いっきりぶっ放すだけと言うのが実に良い」
『『『いえーい!』』』
置いてきぼりの倬。精霊も妖精も、何故か考えていることを教えてくれない。寂しい。
「んじぁカウント五秒前からね! 五、四、三、二……」
「「「一、ゼロっ」」」
『『『りふと、おーふっ!』』』
『熱いぜぇ……!』
ひゅごぉっ! 今まで飛ばされてきたのとは桁違いの衝撃が倬を襲う。
『風圧平気なのが余計怖い! 高い! 怖い! 高ぁぁいぃ!』
“風の精霊”の力で顔が風圧に煽られることは無くなったが、目を瞑らなくても平気なので、今度は真下の景色がはっきり見えてしまう。あまりの高さに気を失いそうだった。
『心配しなくても、今のあんたなら、落ちてもそう簡単に死にゃあしないわ。良かったわね!』
『それっ、簡単には死ねないの間違いではっ!?』
『“……君のような勘のいいガキは嫌い”よ?』
何時かこの精霊に泣かされる。そう、確信してしまった瞬間だった。
ぶっ飛んでやってきた場所は、この北大陸で【神山】に次ぐ高度を誇る岩山だ。非常に空気が薄いが、飛ばされているよりはマシである。
「こっちよ。どっかに祠があるはずだから探して頂戴」
“風の精霊”に指示されて、祠を探す。倬は何となくこの場所に見覚えを感じていた。その感覚を頼りに辺りを捜索すると、見たこともない金属で作られた丈夫そうな祠がガッチリと固定されていたのを見つける。
『皆さん、見つかりましたよ』
『今行くわ。多分寝てるから起こしていいわよ』
そう言われたものの、どう呼び掛けたものか。とりあえず、挨拶してみる。
「おはようございます、霜中倬と言います。何方かいらっしゃいませんか?」
すると、祠の扉が上方向に収納される。昔の流行だったんだろうか。
眠そうに眼をこすりながら顔を覗かせたのは、群青色のワンピースを着た、青いふわふわロングの女の子だった。艶々した髪の証拠、いわゆる“天使の輪”は白い雲のようだ。雰囲気こそ違うが、顔は“風の精霊”とどことなく似ている。
『ふぁ~あ。まぁ、珍しいっ! 人の子ね~。何か私に用なの~?』
『えっとですね……』
『それについてはわたしから説明するわっ! かくかくしかじかよっ!』
バッと割り込んできた“風の精霊”が無茶な説明の仕方を実行した。漫画じゃないのだが……。
『あら、そう~。まるまるうまうまなのね~』
通じたらしい。精霊凄い。漫画みたいだ。
『うふふ、久しぶりねぇ、“風の精霊”ちゃん。遊びに来てくれて嬉しいわぁ。アモレ様がうっかり大魔法発動させて大嵐呼び出して以来かしら~。あの時は大変だったものねぇ~』
「え、なんですかその話。嫌な予感するんですが」
『あらぁ~? あなた知らないの? アモレ様が“大異変”を研究するのに作ってた魔法陣をね、寝ぼけて発動しちゃったのよ~。しかもアモレ様は魔力空っぽにして倒れちゃってて、気づいた時には町が大変な事になってたんだって~』
衝撃の事実に、倬が“風の精霊様”を見ると気まずそうに眼を反らされてしまった。
「いや、そのね? わたしは止めたのよ? 調べるにしても魔法で再現しなくても良いじゃないって。でも、ほら、あの子、夢中になると周り見えなくなるし、まだまだ子供だったの。……あの時、魔法発動して雲が大きくなってから泣きつかれて、ホントに焦ったわ。今思うと、死人が出なくてホントによかった」
お伽噺にあった“豪嵐”の原因が、大賢者その人だったらしい。
「え、それってつまり、マッチポン……」
「マッチもポンプもないわっ! いいわねっ! 別に見返り何て求めてないもの! ちゃんと断らせたものっ! 向こうが勝手に持ってきただけよ!」
それを受け取ったらアウトだと思うのだが、勢いに押されて言えなかった。
「また久しいのぅ“空の”。こんな立派な山に居たのか」
「うむ、最後に気配を感じたのは随分前だった気がするぞ」
『あらあら、まぁまぁ、久しぶりね! “大地”と“炎”の精霊様まで一緒に来たの? 凄い顔ぶれねぇ~。あらぁ……じゃあこの子、“風の精霊”ちゃんも合わせて三人も契約してるの~?』
“空の精霊様”が驚いたまま倬をぐるぐると見回し始めた。
「そうよ。まだまだ余裕ありそうだし、“空”も契約しちゃいなさい」
「あら~、そうなると最多契約記録更新じゃない? 凄いのねぇ……」
普通、精霊との契約は一対一なのだ。かつて神が降りてくる以前の世界では最も多くて三人までが人類の限界だったらしい。
“空の精霊”は契約するかどうかで、少し悩んでいるそぶりを見せる。
「そうねぇ……。じゃあ“雷の精霊”君を探す約束してくれたら、契約してもいいわよ~?」
すると、“風の精霊”が眉根を寄せて聞き直した。
「……えぇ? 何、アイツどっか行ったの?」
「そうよ~、随分前に南側に遊びに行ったっきり帰ってこないよ~。遊びに来ないにしても、あの子の雷が鳴れば分かるのに、最近あの子の雷聞いてないのよね~。ちょっと心配だわぁ……」
言いながら、倬に目配せしてくる“空の精霊”。倬にしても、断る理由もない。
「自分としても、是非“雷の精霊様”とお会いしたいですから、一緒に探しましょう」
パァァッ! っと表情が明るくなった“空の精霊”が、倬と目線を合わせるように浮かび上がる。
「それじゃ、“食饌の交換”からね~。久しぶりでドキドキしちゃうわ~」
倬が取り出した魔石が空に浮かび上がり、青空の一部となって消える。
“空の精霊”が天に向けて手を掲げると、空の青さが切り取られ、倬の手元で圧縮されていく。
倬の手元に現れたのは、直径二十センチ大で青空色のビー玉のような物体だった。
「召し上がれ?」
「……い、頂きます」
しっかり重みもある。風船からゴムの感触だけ無くしたような不思議な触り心地だ。意を決して噛み千切る。
(……あれ? 特に痛くない……?)
ここまで受け入れてきたものが基本、口に運ぶことすら抵抗のあるものばかりだったので相当な痛みを覚悟していたのだが、特に痛くも痒くもなかった。倬は、そのまま全てを食べきった。
食べる様子をニコニコ見ていた“空の精霊”が、びっしっと親指を立てる。
「……頑張ってねっ!」
「……え? ――ん゛ッ!?」
ボンッ! 倬の腹の中から、爆発音が響いた。
倬の体がまるで強烈なボディーブローを喰らったかのように軽く浮き上がる。
ボンッ! ボフンッ! ボコンッ! 立て続けに鳴り響く炸裂音。
倬の体内で、極限まで圧縮された空気が、その体積を取り戻そうと暴れているのだ。
身体が破裂しないのが不思議だった。ギリギリ意識こそ保っているが、体中、膨れ上がっていくばかりで、新しい空気を取り込む容量など何処にもありはしなかった。故に、倬は今、肺の空気を入れ替えることが出来ない。
喉元にある、ひゃっくりが出かかる直前の様な違和感と、体中で起こる爆発的な膨張に耐え続ける。
四十分ほど、四つ這いになって苦しさと戦っていると、ウソのように膨張が治まっていく。心なしか、視力が少し上がったような気さえした。
「はぁ、はぁ、はぁ……。よかった……自分で吸う空気って、こんなに美味しいんですね……」
「うふふ、お疲れ様ぁ~。えっと、霜中倬様って言ってたわよね~? そうねぇ……、うん、霜様ね。お名前つけてくれる?」
「わたしの分も一緒よっ! 忘れてないでしょうね!」
二人から期待の籠った目で見られてしまい。プレッシャーが増していく。
「そうですね……、“風の精霊様”は“姫様”って呼ばれてたんですから……。……“
「……へぇ、悪くないじゃない」
「私はそれでいいわよ~。お揃いね~」
安直だと怒られなかった事に、心底ホッとする倬。その周りで、かーくんと、つっちーが何か言いたそうにうずうずしていた。
「んじゃ、妖精の名前だよなっ! “かーちゃん”と“そーちゃん”何てどうだっ!」
「「「“ざっひー”、“らっひー”! “ざっひー”、“らっひー”!」」」
二人がそれぞれ自信ありげに提案してきたその名前に対して、空姫様は「うーん」と微妙そうな顔だ。風姫様に至っては思いっきり顔を顰めている。
「“そーちゃん”は嫌いじゃないけど、やっぱり霜様に付けて貰いたいわ~」
「何かよくわかんないけど“かーちゃん”なんて嫌! 却下よ、却下。あと“ざっひー”とか全然可愛くないじゃない! 論外だわ!」
かーくんと、つっちーがショックに顔を濃くしている。そんな顔できるのかと倬がギョッとしてしまった。
「うーん、“かぜちゃん”、“からちゃん”……は無いなぁ」
「あら~? “空”って文字なのよね? 他にも意味があるの?」
「はい、意味もそうですけど、読み方もいくつかありますよ。“そら”、“くう”、“から”とか」
「難しいのねぇ~。それなら“くう”って音は好きよ?」
今のやり取りに、風姫様も何やら“ティンときた”ような表情を浮かべる。
「“風”って文字はっ! 他に何て読むの?」
「えっと、“かぜ”、“かざ”、“ふう”、“ふ”が一般的かと」
「むーん、じゃあ“ふう”ね」
「となると……」
倬が提案しようと口を開きかけたところに、言葉をかぶせられてしまう。
「うんっ! “ふぅちゃん”に」
「“くぅちゃん”ねぇ~。うふふ、可愛いわ~」
「えっと、いや、自分もそんな感じで考えていたので良いんですけどね? 何て言うか、何て言うんだろう、この気持ち」
今のところ妖精の名付けはさせてもらっていない気がした。二人はそれぞれ自分の妖精を撫で繰りまわしている。
「うふふ~。なんだかとっても気分がいいわぁ! 私の“寝床”は特に何もないし、風姫ちゃんのお家に帰りましょっか~」
そう言って、下から上へ、えいっと両手を振る。
すると、倬は何の反応もできないまま、ポーンっと空高く投げだされた。
仰向けのまま飛んでいく身体には全く衝撃を感じない。瞬きをした次の瞬間、視界に広がったのは星空だった。
(……は? え?)
『霜様~。高い高~い』
『生身でここまで来れるなら上々ね。ま、わたしと空姫の二人と契約してんだから当然だけど』
倬が身を捩ると、正面の上側には星が瞬く濃い紺色の空と、下側には澄み渡る青空と大陸、そして広大な海原が見える。大陸を見渡せば、山脈を越えた遥か遠くに島があるのも見えた。
『とんでもない景色ですね……。言葉が……見つからないです……』
『私のお気に入りなのよ~。空が茜色の時も素敵なの~』
『もう、今の倬に空は怖い所じゃないわよ。しっかり楽しみなさい』
そう言うと、風姫様と空姫様が手を繋いで気持ちよさそうに飛行し始める。
続いて、ぽぽぽ~んっと妖精達が倬の頭を挟むように現れた。
『くぅちゃん、空の飛び方教えてあげる~』
『ふぅちゃんもっ! ふぅちゃんもおしえるー!』
『『『つっちー!』』』
『よしっ、加速ならかーくんにまかせな!』
賑やかさに包まれて、吹く風に逆らわず穏やかな空に遊ぶ。
理不尽な“神”が居ようとも、この世界の美しさは本物なのだと、倬は改めて確信するのだった。
・風姫様と空姫様と契約後
==================
霜中倬 15歳 男 レベル:1
天職:祈祷師 職業:祈祷師・冒険者(青)
筋力:770
体力:800
耐性:1000
敏捷:750
魔力:35694
魔耐:32356
技能:精霊祈祷・全属性適性[+土属性効果上昇][+火属性効果上昇][+風属性効果上昇][+発動速度上昇]・土属性耐性[+土属性無効]・火属性耐性[+火属性無効]・風属性耐性[+風属性無効]・物理耐性[+衝撃緩和]・耐火傷・魔力操作[+魔力放射][+魔力圧縮][+遠隔操作][+効率上昇][+魔素吸収][+身体強化Ⅱ]・魔力感知・念話・飛空・魔力回復[+瞑想(極)][+瞑想効率上昇(極)][+常時瞑想]・言語理解
==================
*飛空:風を纏い空を飛ぶことが出来る
飛空は魔力による“舞空術”だと思っていただければ。
タイトル元は《臆病風に吹かれる》でした。
次回は12/15に投稿予定です。引き続きお読みいただけると嬉しいです。