ドゴン、バコン、ズゴン、と飛来する岩が地面に激突し、地形を変えていく。
左側一本だけの立派な角を振り回し、サボアティルロが固有魔法“弾岩”を繰り出して、獲物を仕留めんと暴れていた。
それを危なげなく避け、手に持った燃え盛る櫛型の骨、否、対面する魔物が失ったはずの角の片割れを振り回すのは倬だ。
寝起き直ぐに身体強化魔法と角に火系の初級付与魔法“帯火”をかけ、今や好敵手とすら思える魔物との戦いに挑んでいた。
サボアが距離を取ろうとするが、倬はそれを許さない。
横腹めがけて角で殴りつける。皮膚が焼焦げ、サボアが叫び声を上げる。両前脚を振り上げ、後ろ脚だけで立つ姿勢になると、そのまま倬めがけて振り落とす態勢になった。
しかし、熱さに冷静さを失い丸見えになった胴体に、火を纏った角が突き込まれる。その勢いで背中から地面に倒れたサボアは、頭を強く打ち付け、遂に、その命を落とした。
(やっと、くたばったか……)
火が消えた角を横たわったサボアの腹にそっと乗せ、その背中に、自分の背を預けて座る。
暫く、青空に浮かぶ雲を眺めていると、自分に向けて呼びかける声が聞こえた。
「倬、思ったよりは元気そうだねぇ」
師祷ソルテだ。いつの間にやら倬の横にやってきて、崩壊した崖を目を細めて眺めている。
「“目覚めてからの十分間”……上手く使えたかい?」
「……使わなきゃ死んでます」
その返事に、満面の笑みを浮かべて大きく頷くソルテ。
「そりゃそうだ。しかし、派手にやったねぇ」
「いやいや、師祷様程ではないですよ」
「あっはっはっはっ、あたしがぶっ壊したって分かったのかい」
「いえ……、やっぱり、奥の湧き水のあたり師祷様が犯人でしたか」
「おやおや、カマぁかけられちまったかぁ」
わっはっはっはと上機嫌に笑うソルテが、機嫌はそのままに、ただ口調は真剣に告げる。
「霜中倬、お前の第三の試練、その全てを“お山様”が見届けて下さった。合格だ」
この瞬間、五日間に及んだ第三の試練が終わった。深い溜息を漏らすと、全身の力が抜けてしまった。
「お、終わったぁ」
ソルテは懐かしそうに崖下全体を見回すと、しゃがみ込んで倬と目線を合わせる。
「さて、倬。どうするね、
揶揄う様に言ってのけるソルテに、倬は一度頭をがくっと下げて、項垂れる。正直を言えば休みたくて仕方がない。が、がばっと顔を上げて、ニヤリと口角を上げて、倬は言ってのける。
「もちろん。……次の試練、挑戦させてください」
治療と湯浴みを済ませ、倬は再び“寺”の伽藍堂で胡坐をかいている。ニュアヴェルとフルミネは“山駆け”の真っ最中で、試練から戻っても挨拶すら出来なかった。
(うーむ、ニュア姉にどう話しかけたものか……)
あれだけ心配させておいて、戻ったらすでに四つ目の試練を受けてます……というのは、正直どうかと今更ながらに思い始めていた。うーんと、頭を悩ませている所に、ソルテが戻ってくる。
「倬、まずは第四の試練の説明からだ」
「はい」
居住まいを正して、一度、心配事を頭の隅に追いやる。
「実のところ、今までの試練ってのはねぇ、この四つ目を受けるための素地を確認する為のものだったのさぁ」
そういうと、丼に山盛りになった直径二センチ大の黒々とした丸薬と、水が入った大きなコップを倬の正面に移動させる。
「この丸薬こそが、“寺”における“真の秘薬”。こいつを全て飲み込み、身体の変化が終わるまで“瞑想”を保つ。それが第四の試練だ」
「“身体の変化”……?」
「そうだよ。倬、お前さん、魔物の肉を喰うとどうなるか、知っているね」
「は、はい。臓腑が侵食され、その身はボロボロに砕けて死に至る、と聞きました」
魔物の肉は人体にとって猛毒である。魔石を介して、体中に魔力を巡らせることが出来る魔物は、その過程で魔力を変質させている。その変質した魔力が、肉や骨などを強固にし、その個体の本能に働きかけ、固有魔法をもたらすと考えられているが、正確なことはいまだ解明されていない。
「そうさ、魔物の肉というよりは、魔物どもの体ん中で変質した魔力が良くないんだねぇ……。元々変質した魔力に適応してる魔物はともかく、人の身じゃあその魔力の働きに耐えきれなくて、腹ん中から肉やら骨やらが壊されちまう」
「……まさか」
「そのまさかさぁ。この丸薬は、干した魔物の肉やら骨やらを粉々にして丸めたもんだ」
まぁ、もちろんそれだけで出来てるわけじゃないがねぇ、と笑って、更に説明を続ける。
「歴史上、魔物の肉を食って生き延びた人間などいないとされている。けどね、薬にしようとした者たちがいたのさ」
「それが
ソルテは軽く頭を横に振って、語る。
「いいや、ここ“祈祷師の里”とは別さ。多少、血は混ざってんだろうけどねぇ。ただ、言い出しっぺは“お山様”だそうだ。“お山様”に力を求める“祈祷師”に、まずはその薬を受け入れて見せろってさ」
何時もの如く“瞑想”を維持しながら、大量の丸薬を渡された水と共に次々と飲み込む、これはこれで、中々の苦行である。その上、妙に意識が冴えるのだ。体の感覚が鋭くなって、喉、食道、胃に向かう丸薬と水の動きが手に取るように感じられる。
「その水も、神水を三倍に薄めたものでねぇ。あぁ、神水ってのは神結晶って珍しい石っころから魔力が液状になって流れ出てきたものなんだがねぇ」
【神結晶】をソルテは“珍しい石っころ”と言うが、実際には歴史に残る究極の秘宝の一つで、世界から失われたとされている伝説の鉱物である。自然界に時折現れる“魔力溜り”、そこに千年かけて蓄積した魔力が結晶化して【神結晶】となる。
その結晶が直径三十から四十センチ位になると、今度は結晶自体が魔力を蓄積し始める。数百年かけて飽和状態になった魔力が液体となって溢れ出したものが【神水】と呼ばれるものだ。
【神水】は“不死の霊薬”とも言われ、あらゆる怪我、疾病を癒し、飲み続けることで命を保ち続けるとされている。トータスの神話には、この神水を用い人々を救うエヒト神のエピソードがあるほどだ。
一心不乱に丸薬を口に放り込み続ける倬を、ソルテは楽し気に眺めて話を続ける。話し方こそ違うが、目を細める仕草は、なるほど、ニュアヴェルとの血縁を感じさせた。
「神水ってのは無くなった指とかは直しちゃくれないんだが、それでもとんでもない即効性があってな、身体の治癒能力を亢進させて直す治癒魔法だと間に合わないような大怪我も癒しちまう。だからこそ、魔物の肉が蓄えた変質した魔力が、内側から肉を引きちぎるのに抵抗する為にゃあ、必要なんだろうな」
漸く、すべての薬を飲み終え、重くなった腹をさすっていると、次第に、腹の奥が熱くなっていくのが分かった。
「うッ? ――ッ!? ぐぅううっ!!!」
熱を感じたと思った瞬間、全身を炎が駆け巡るような感覚に襲われる。体の奥が焼けただれ、崩れ去るかの如くに感じられた。
暑いのに、熱いのに、酷い悪寒で体の震えが止まらない。
「あ、う、ぅあぁぁぁぁぁぁぁぁっっっーーーーーー!?」
猛烈な吐き気を、両手で頭を掻きむしって耐える、耐える、耐える。
汗が吹き出し、涙が止まらない。
第一、第二の試練で与えられた苦痛を煮詰めて、一瞬のうちに与えられたような、そんな辛さだった。
横たわり、のたうち回る。
激しく床板に全身を打ち付け、内から襲う痛みを、外からの痛みで誤魔化そうとする。
額を、かつてやった様に、床板に叩きつけた時だった。
すべての感覚が失われ、吐き気も、痛みも、熱さえも、何処かへ消えていった。床に触れているのか、いないのかすら分からない。そもそも何処までが体で、何処からが空間なのかが曖昧だった。見えているものが、闇なのか光なのかまで判断が出来ない。
その状況に身を委ねて、どれくらい時間が経ったのだろうか、急に熱を感じ始めた。と言っても、“温かくて冷たい”と言う奇妙な“熱”だ。その“熱”を意識すると、それはゆったりとした動きで移動を始める。“熱”が何かの管の中を壁に沿って駆け巡る様子を眺めていると、通った跡が右手になった。
(もう、一本……)
そう思うと、世界に滲み出るように左手が現れた。
(あぁ、そうか……
今度は“熱”を移動するのではなく、器に満たしていくように意識する。
ゆっくりと目を開ける。床板の木目が目に入る。床板がぬるくなっているのを頬で感じる。涼やかな空気と暑すぎない陽光で、朝になったのだと分かった。
「おばあちゃん! 倬、起きた! 起きたよ!」
頭の上で、ニュアヴェルの騒ぐ声が聞こえてきた。
「……はぁ、ニュア、師祷様と言え。こないだ叱られたばかりだろ」
「今、そんなのどうでもいい、弟が頑張ったんだから、おばあちゃんに褒めてもらわないと」
あのなぁ……と呆れているフルミネの声が聞こえてきた。
このやり取りに、何だか全身が暖かくなっていくのを感じた。
「はいはい。ばぁちゃんが今来ましたよぉ」
「まったくもう、師祷様まで……」
機嫌良く返事をするソルテに対して、再び大きな溜息をつくフルミネ。
その様子に我慢しきれず、倬はつい、吹き出してしまった。
「ぷ、くくくっ」
「おやおやぁ? なんかいい事でもあったのかい?」
ソルテの反応に、なんだか懐かしいセリフを思い出してしまった。よっこいしょっと体を起こし、足を伸ばして座る。
「こほんっ、まあ、えっと、今の自分はちょっと……“元気良い”気がします」
その返事にフルミネとニュアヴェルが、ポカンとして倬を見つめる。
「な、なんですか? 二人とも」
「だって、……ねぇ?」
「あぁ、……お前、そんな顔出来たんだな」
何を言われているかわからず、適当に顔を触る。眼鏡が無かった。
「あれ? 眼鏡かけてない?」
「あぁ、危ないから外しといたのさぁ。はいよ」
ソルテから眼鏡を受け取りかけると、視界が歪み、目に強烈な違和感が襲ってきた。
「ぅぉっ……!?」
「ほう、視力まで上がったのかい。そりゃ面白いねぇ」
仕方なく眼鏡を床に置き、辺りを見回してみた。裸眼では視力検査の一番大きい記号すら、ぼやけて丸にしか見えなかったのに、遠くの葉の葉脈まではっきり見えた。
「これなら期待できそうじゃないか。ほれ倬、確かめてみなさい」
ソルテが渡してきたのは銀色の板、倬のステータスプレートだ。言われるがまま、倬はステータスを表示させる。
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霜中倬 15歳 男 レベル:36
天職:祈祷師 職業:祈祷師
筋力:340
体力:460
耐性:480
敏捷:330
魔力:620
魔耐:620
技能:全属性適性・物理耐性 ・魔力操作 ・魔力感知・魔力回復[+瞑想(極)][+瞑想効率上昇(極)][+常時瞑想]・言語理解
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「…………へ?」
間抜けな声が出た。
倬は目を白黒させて、プレートをコンコン叩いたり、光にかざしてみたりしている。
後ろから覗き込んだニュアヴェルとフルミネも常識外れの変化に言葉を失ってしまった様子だ。唯一冷静だったのは師祷様だけだった。
「ふむ、ステータスの上昇っぷりを見るに流石は“勇者の同胞”だねぇ。うんうん」
「いやいやいや、そんな馬鹿な……」
あのメルド団長のレベルが六十台で平均三百前後のステータスだったことを思い出し、頭を抱える。これはもはや“勇者”に匹敵するステータスだ。確かに苦労はしたが、ステータスに見合った強さを得た気がまるでしないのだ。反則もいいところじゃないかとクラクラしてしまった。
そんな中、師祷ソルテは、満足げに第四の試練について、改めて語り始める。
「さて、ステータスに目を奪われがちだがね、試練の真の目的は他にある」
「んー? 強くなるため、じゃなくて?」
ニュアヴェルが素朴にハテナマークを浮かべる。
「単にステータス上げたいだけなら、わざわざ“瞑想”維持しなくてもいいじゃないさ」
「……ごもっとも」
倬がなるほどと納得する。
「真の目的はねぇ、“瞑想”の派生技能“常時瞑想”を得ることさ」
「“常時瞑想”……」
フルミネが倬のステータスプレートを見つめて復唱する。
「技能自体は文字通り、常に発動し続ける“瞑想”さぁ。これまで相当意識して維持してただろうけど、これからはかなり楽に“瞑想”を保てるようになるはずだよ」
ソルテが言うように、常時発動型の技能である“常時瞑想”は、“瞑想”を無理に維持しようとしなくても、余程動揺でもしない無い限り、眠っている間ですら発動し続ける。
“魔力回復”と“常時瞑想”が同時に働くと、上位の技能である“魔力高速回復”を凌駕する回復量が見込めるのだ。“祈祷師”の泣き所である魔力の浪費を補う為に、これほど都合の良い話は無いだろう。
「更に言うとねぇ“お山様”に拝謁するための条件が、“常時瞑想”を持つ“祈祷師”であることなのさぁ。だからこそ、“お山様”を拝む私たちは、必死になって修行をしてるんだよ」
そんな理由があったとは……と感心している倬の隣で、ニュアヴェルとフルミネも声を合わせて驚いていた。
「「し、知らなかった……」」
「そりゃ言ってないからねぇ」
けらけらと笑うソルテにジト目で抗議するニュアヴェルが、あれ? と首を傾げた。
「……おばあちゃん、“お山様”と会ったの、小っちゃい頃だけって、言ってなかった?」
「……そう、実を言うとね、あたしは四つ目の試練を失敗しちまったのさぁ。“真の秘薬”の効果は一人につき一度だけ。失敗すればステータスは上がっても“常時瞑想”は永久に手に入れられなくなるんだよ」
どこか寂し気に言うと、右手を伽藍堂の天井で浮かぶ球体にかざす。
「まぁ、“師祷”は一族の血統で世襲するもんで、“師祷”を継げば“お山様”の声を聴けるようになるからねぇ、あんまり気にしちゃあいないが。実際、直接“お山様”と会えたのは直近だと先々代くらいってはなしさ」
ふよふよと、灰色の球体が床すれすれまで降りてきた。更にソルテが手を横に振ると、一瞬回転が速まる。ぱんっと手を叩いたら、球体が動きを止め、上半分がシュルシュルと下半分に収納されていく。
露わになった半球の真ん中には、灰色のローブが飾られていた。ローブ自体はシンプルなデザインだが、手元の裾に小さく幾何学模様の刺繍が施され、魔力感知を得た倬には、それが強力なアーティファクトであることが実感として理解できた。
「倬、もうこいつはお前さんのだ。着てみなさい」
半球の上でローブに手を通す。すると、周囲の空気が優しく自分を包み込んで来た。改めて見回し、“鼠色のローブ”に覚えがあったことを思い出した。
「“通りすがりの祈祷師”……」
「ほぉ、よく知っているねぇ。まさにそのローブこそ、彼が着ていたものさぁ」
「実際に居た人なんですかっ!?」
創作上の人物だとばかり思っていたため、本気で驚いてしまった。
「遥か昔の“師祷”だって聞いたよ。そして、そのローブは、“常時瞑想”を得た者に与えられる事になってるのさ。……当然、先着一名までだがね」
神山道中での描写があながち大袈裟でもなかった可能性に、惚けてしまう。身に着けたローブが下手をすれば国宝級アーティファクト以上の代物である疑いもあるのだ。とんでもない話だった。
「あぁ、そうだ、フルミネ、あれ返してやりなさい」
「はい、ただいま」
ソルテに命じられてフルミネが持ってきたのは、倬がここに来た時に持ってきた杖と手帳だ。修行中はフルミネが管理していたのだ。
久しぶりに触った手帳の革表紙を撫でていると、半球が球体に戻り、いつもの位置まで移動する。
師祷ソルテがその球体の真下に移動して、倬に語りかける。
「“お山様”の住まう“お
“寺”の周囲の木は柔らかく揺らいでいるのに、不思議と葉擦れの音が遠ざかっていくようだった。
「“お山様”に拝謁する資格を得た“祈祷師”霜中倬に問おう。“大地の洞穴”に、最後の試練に、……挑戦するかい?」
何かを待ち構えているかのように、山全体が静まり返る。
「最後の試練、挑戦させて下さい」
突風が吹いたわけでもないのに、ガサガサと木が揺れ、葉が震える音が幾重にも重なって、山に木霊した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
倬、ニュアヴェル、フルミネが肩を並べて、横長の机の前に座っている。
倬は肘をついた左手で額に手を当て、右手は忙しなくペンを走らせる。
ニュアヴェルは机に突っ伏して、小さな声で「ぁーーーー」と唸っている。
フルミネは背筋をビシッと伸ばしたまま、書き上げたものを見比べている。
倬が“大地の洞穴”に挑むに当たって、全員で“寺”に伝わる独自の魔法理論などを中心にソルテから教えを受けることになったのだ。今は、一通りの講義が終わり、夕食の準備前の休憩中だ。
「はぁ……、ニュア、唸ってないで、少しは真面目に復習くらいしたらどうだ」
「机で勉強、久しぶり……。なのに、三時間、休み無し……。無理。頭。割れる」
「お前なぁ……」
フルミネのお小言が始まりそうな雰囲気を察知して、ニュアヴェルが倬に水を向ける。
「倬、よく平気。……疲れない?」
「疲れはしましたけど、それより面白い話聞けましたからね。“追加詠唱”とか、あと“連鎖魔法技術”! あれなんかもう、名称からしてたまらないです」
「……ぉ、弟が、遠いぃ。……男の子って、ああ言うの、好きなの?」
純然たる感覚派のニュアヴェルは、理論云々が苦手なのだ。自分の苦手分野で、なんだかテンションが上がっている倬に軽く引いていた。
「自分は楽しいですけど……、一般的にはどうなんでしょう?」
「……俺も嫌いじゃないな。楽しいかと聞かれれば少し違うが」
フルミネからしてみれば知識を学ぶことも修行の一環であり、務めである。真剣に臨むことはあっても、“楽しむ”ものではなかった。
仲間が居ないことを知って軽く拗ねたニュアヴェルが、再び机に突っ伏す。長時間座りっぱなしで勉強と言うのが、本当に堪えたようだ。
「……仕方ない」
そう呟いて、フルミネが立ち上がる。
「折角だ、二人とも、少し付き合え」
夕焼けに彩られた境内で、三人の影が躍動している。
“寺”の正面に敷かれた石畳がゴトゴト音を鳴らし、杖と棍棒がぶつかり合う音が反響する。
フルミネとニュアヴェルで組み、倬と二対一の地稽古が行われていた。
筋力値に倍近い差があるにも関わらず、フルミネは倬の杖を易々と撥ね上げて、突きの連撃を打ち込んでくる。急激に上昇したステータスに翻弄されながら、倬は躱すことに専念して、なんとか、直撃を免れた。
「霜中っ! そんなものかっ!」
容赦なく攻勢を強めるフルミネは、一気に距離を詰めてくる。倬の膝めがけて棍棒が迫る。
真後ろに跳び退き、それを回避するが、着地地点の真横にニュアヴェルがあらわれ、棍棒を片手で突き込まれる。
「…………しッ!」
「うわっ」
しゃがんで避けたところを、突きの姿勢のまま、頭めがけて棍棒を振り下ろされる。
「くそっ!」
距離を取ろうとして横に転がったものの、振り下ろされたはずの棍棒は、くるりと縦回転して倬を追いかけてくる。滑らかな動きで棍棒を両手に持ち直し、ニュアヴェルが再び棍棒を振るう。
杖を横に棍棒を受け止め、力任せに跳ね返す。
「ぐッ」
「…………ふっ!」
せめて体勢を崩したかったが、バク宙で返しの衝撃を殺されてしまう。
倬が攻めあぐねているところに、連携した突きが休みなく打ち込まれる。
防戦一方。こればかりは積み重ねてきたものの差だ。
フルミネは直線的な動きが多く読みやすいかと思えば、フェイントを上手く織り交ぜ、鋭く速い突きに、反撃の機会を与えない。
ニュアヴェルは動きの緩急が自在で、相手の視線を外すのに長けている。いつの間にか見失ってしまい、判断が遅れてしまう。
十分間、二人の突きをどうにか往なし続け、一瞬、ほんの一瞬、杖を持ち直そうとしたその時だった。
フルミネに、杖を撥ね飛ばされる。無防備になった倬に向けて、ニュアヴェルの棍棒が勢いよく振り落とされる。
あっ……、っと言う呟きと共に、その棍棒が倬の額にゴツリ、音を立てて当たった。
「痛だっ!」
「……コツン、のつもりだった……、失敗。ごめん、倬」
倬はおでこを擦り、苦笑いだ。
「あぁ、大丈夫です、ニュア姉。“物理耐性”のお陰か、思ったよりは痛くなかったので」
「……ほんと?」
「はい」
その返事にホッとしたのか、ニュアヴェルはバトントワリングの如く棍棒を振り回し、投げ飛ばし始める。ニュアヴェルにとっての“ペン回し”のようなものだ。
「よかった。……それにしても、……強くなった」
「いや、でもなぁ……。数字的には、もっとやれるはずなんですけどね」
悔しさを滲ませる倬の元に、杖が投げ飛ばされてきた。それを両手で危なげなく掴み取る。
「来た頃のお前なら、今の、取れなかっただろうな」
「……ちゃんと強くなれたんですかね」
「はぁ……、師祷様に“祈祷師”として認められたんだ。当たり前だろう」
まぁ、でもな。そう呟いて、フルミネが棍棒を構える。
「使いこなせないんじゃ無理もない。もう一戦、やるか? 今度は魔法、使ってこい」
「……怪我、しないでくださいよ」
倬は見せつけるように懐から手帳を取り出す。
ニュアヴェルは高らかに投げた棍棒を、流れるように受け止めて、けらけらと笑う。
「もしもの時は……、倬が、治せばいい」
結局、その地稽古は夜中まで続いた。三人の代わりに師祷様が腕を振るった夕飯は、食材は普段と変わらないのに、今まで“寺”で食べた中で、一番の美味しさだった。
霜中君、なんだかんだ鍛えてるので修行者らしい筋肉質な、無駄な肉の無い外見になりましたが、“真の秘薬”による外見的な変化は、眼鏡を外した以外、全くありません。
また、魔物の肉を消化できる体にはなっていないので、【神水】無しで魔物の肉を食べたら普通に死にます。
次回は十月二十日(金)夕方までに投稿予定です。