レインコート、と言う傭兵がいる。
ここ数年、日本の裏業界で活躍している傭兵の一人であり、要人警護や施設防衛でもない限り、基本的に単独で活動している。
その名の通り、普段から雨合羽に似たフードで全身を覆い、その下に防弾・防刃等の効果のある米連製の特殊部隊向けのプロテクトスーツを纏い、顔は各種機能を持ったゴーグルと覆面で隠す等、その素性は一切不明だ。
ただ、その高い任務遂行率だけが知られている。
成功率7割超過と言う数字は、一般的な傭兵としては低いように見えるが、それは彼が常に困難な潜入・破壊工作系の任務を受け、その悉くを成功させているからだ。
無論、そんな悪目立ちする傭兵には所謂「騙して悪いが…」系の依頼が回されるのだが、彼はそれら全て受けた上で雇い主や斡旋した者含む敵を全滅させる事でも有名となっており、今では一種のアンタッチャブル扱いされている。
標的、或は報復の対象となった者には大組織であるノマドの幹部も何名か含まれており、ノマド自体もこのレインコートを探しているのだが、元々容姿も本名も不明、武器類は信頼性の高い米連製の銃火器であり世界中に輸出されている関係で珍しくもないため、特定するには至っていない。
そのため、レインコートの情報には密かに懸賞金が掛かっており、現在も追手がかけられている。
そんな裏世界の恐怖すべき存在の一角であるレインコートだが、普通の依頼以外にも頭の足りない馬鹿や自信過剰な馬鹿が敢えて喧嘩を売ってくる事もあるので、割と休む暇が無かったりする。
……………
今日、また懲りずに現れた馬鹿に対して、姿を偽装した倉土灯は相手をしていた。
対魔忍業の片手で傭兵として働いている灯にとって、傭兵業は当初武器弾薬を調達するための手段でしかなかった。
適当な依頼を受け、敵地に潜入して保管してある重要物資や武器弾薬を能力による実存と虚数の狭間、所謂四次元ポケットに丸ごと収納した後、敵施設ごと標的を爆破して任務を達成する。
まぁ、余りに警備が厳重な場合とか、関係者に死ぬ姿を晒す必要がある場合とかには狙撃等で片を付ける事もある。
中華系?確かに連中はこの国では米連以上の数がいるが、装備の質が基本的に劣悪なので、回収は基本的にせずに爆破時の燃料にするしか使い道がないのでNG。
時々何もしてなくても爆発するし。
なので、灯が直接使うのは専ら米連製の正規品なのだが…今回ばかりは銃火器では相手が悪かった。
東京某所の高層ビル 地下駐車場にて
キン!と言う甲高い音と共に、ビルを支える柱の一つが切断される。
ギリギリでその斬撃を回避したレインコート姿の灯は、例え切り殺されても意味は無いと知りながら、久しぶりに冷や汗を流した。
「レインコート、貴様の命も此処までだ。神妙にしろ。」
目の前に立つ上位魔族の一角、その姿に実に微妙な気分になる。
防御性能を一切考えてなさそうなボディコン染みた格好、片手に持った魔界製の魔剣、そして特徴的な褐色肌にピンクブロンド。
そう、あの魔界騎士イングリッドだ。
エドウィン・ブラックの直属の部下である彼女は、まぁ脳筋ではあるものの、政治・武力・指揮のどれも優れた一角の人物だ。
なんで魔界勢力なの?と問いたくなる程度には騎士然とした価値観を持っているが、そういった点さえ除けば、優秀と称して問題ない人物だ。
だがまぁ、そんな奴をまともに相手にしてやる道理など無い訳で、しかしこちらは現在対魔忍ではなく傭兵として動いている。
そのために能力も殆ど使わずにこうして時間稼ぎに徹していたのだが…それも終わった様だ。
(米連側の要人の脱出を確認…後はこいつだけか。)
既に依頼内容は完遂され、口座への入金も確認された。
米連のこの辺りの金払いの良さは特筆に値する。
となれば、後は長居は無用だ。
「諦めろ。既に周辺は私の部下達が囲んでいる。退路は無いぞ。」
暗に投降を勧めるイングリッドに、しかし灯はゴーグルの奥から冷めた視線を向けるのみ。
この女自身は高潔な人柄なのだが、こいつの主君である吸血鬼の真祖、ガチの不死者であるエドウィン・ブラックが一片も信用できないのでは、無理からぬ事だが。
「ミッション完了。同時に帰還不可能ケースに該当、対処行動を実行。」
「何を…!」
訝しんだイングリッドが問い質す前に、奥歯に仕込んであったスイッチを噛んで押し、全身の防御スーツの内側に仕込んであった爆薬が一気に炸裂、地下駐車場全体に爆風が吹き荒れた。
……………
「ん………。」
パチリ、と寮の自室で目を覚ました。
ヘルシングにおけるシュレディンガーが行った死に戻りによる帰還。
自爆によって肉体の消失を隠蔽した上でのこの撤退は、実は結構久々だった。
最初の本当に実戦慣れしていない頃には三回に一度位の割合でしていたのだが、今となっては滅多にない。
一応、能力無しでもイングリッド単体程度ならギリギリなんとかならない程度には戦えるのだが、それは滅茶苦茶疲れるし、弾薬の消費も凄まじい事になる。
はっきり言って割に合わない。
なので、久しぶりに死に戻りする事にした。
無論、その時装備していた防御スーツにゴーグルに外套、使用した炸薬、装備していたアサルトライフル等の装備は損失したが、予備は幾らでもあるので問題らしい問題はない。
掛け替えのない貞操と言う名の人間としての尊厳を失って生きるよりも、一瞬だけの死の苦痛の方が遥かに楽な事もあり、灯はこの手段を重宝していた。
「眠い…。」
なので、今は取り敢えずこのまま睡魔に身を任せる事にした。
イングリッドらと遭遇し、正体がばれない様に立ち回ったせいで、随分と消耗していた事もあり、灯はあっさりと意識を手放した。
すぅすぅ…と静かな寝息を立てて眠る様は年相応のものであり、彼女が齢17にして歴戦の傭兵であり対魔忍でもあるとは欠片も思わせないものだった。
この時、彼女は無意識レベルで能力を使用する事を体得しているので、彼女を認識し睡姦するには、同格以上の魔眼や魔術での探査や空間操作による認識が必要なため、彼女の寝込みを襲う事は極めて困難だったりする。
……………
「申し訳ありません。命令を遂行できず…。」
「いや、良い。寧ろその傭兵には感心したよ。」
何処とも知れない豪勢な客室で、イングリッドは跪き、報告を行っていた。
その相手は彼女が女としても騎士としても慕う主君、真祖の吸血鬼、不死者にしてノマドの創始者、エドウィン・ブラックだ。
「ブラック様?あの傭兵は確かに自爆しましたが…。」
危うくビルが崩落しそうな程の爆薬を一体どこに忍ばせていたのかは定かではないが、お蔭でイングリッドもそれなりのダメージを受け、部下達も暫くは動かせない。
他勢力は知らないが、灯と言う対魔忍見習いによってノマドの動きが大幅に鈍った事は確かだった。
「いや、生きているよ、その傭兵は。」
ワイングラスを傾けながら、エドウィンは本当に愉快そうに唇の端を曲げながら、確信を持って告げた。
殆ど勘だが、報告書と監視カメラの映像を見るに、何処か手を抜いている印象があった。
そして、永きを生きるノーライフキングの勘働きと言うのも馬鹿に出来ないものがある。
「私も若い頃、不死性任せで無茶をしていてね。その中には自爆によって敵を道連れにする事もあったし、死んだと偽装して後から嬲ってやった事もあった。」
イングリッドの様子から見るに、余程偽装に長けていると判断したエドウィンは本当に愉快そうに笑っていた。
なにせ不死による退屈を持て余している彼にとって、こうして自分と遊べそうな相手は本当に貴重なのだ。
つい最近ではアサギ等がそうだが、彼女は最近は前線に出てくれないので、そろそろちょっかいを出そうとも考えていた所だ。
「我が騎士イングリッドよ。此度の事でお前を罰しはしない。寧ろ褒めてやりたい程だよ。面白そうな者を見つけてくれたのだから。」
「は、ありがとうございます。」
騎士としての礼を決して無くさないイングリッドに、スッとブラックは目を細める。
この優秀な騎士に偶には褒美を与えてやるべきだと思ったのだ。
「来い、イングリッド。偶には君の忠誠に報いてあげよう。」
「あ…ブラック様…。」
こうして、ノマドのTOPとその右腕の夜は更けていった。
※但し知能は含まれない。