フェバル~TS能力者ユウの異世界放浪記〜   作:レストB

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30「オルクロック」

 アルーンは本当に速かった。

 草原を越え、木々を越え、山を越えてぐんぐん進んでいく。

 上空から眺める景色はまた格別だった。

 すべてがミニチュアのように見える世界を遥かに見下ろして、アルーンという箱舟が風を切りながら、空という海をゆらゆらと浮かんでいる。

 これほどまでの躍動感と浮遊感は、同じ空を飛ぶでも、密閉された飛行機に乗っていては決して味わえないだろう。

 空気は澄んでいてひんやりと冷たく、最初は心地良かったけれど、次第に寒くなってきた。

 アリスも同じだったのか、私とミリアに確認を取って熱の火魔法《ボルエイク》を使う。

 するとすぐに寒さは消え、快適な状態になった。

 

 途中空の上で軽い昼食を取るということもしつつ、列車で行くとすっかり夜になってしまうところを、結局私たちは日が落ちる前に到着してしまった。

 それでも結構長いこと動けず、じっと乗っていたのには違いなく。

 地面に降りたときは、何とも言えない解放感があった。

 やっぱり空もいいけど、人は地面に足を付けていた方が安心できるものだね。

 

「お疲れ様。アルーン」

「おかげで早く着けたよ。ありがとう」

「背中ふわふわしてて快適でした」

 

 各々労いの声をかけると、アルーンは自分の仕事を果たしたことに満足したように調子良く鳴いた。

 

「しばらく森でゆっくりしておいで。あたしの魔力をまたこの辺りに感じたら、そのときは戻ってきてね」

 

 アリスがそう伝えると、アルーンはわかったと軽く頭を下げてから、飛び去っていった。

 アルーンは生物の魔力を感じ取ることができる種類の鳥だ。

 特に主のそれを察知すれば、どんなに離れていてもすぐに向かって来てくれる。

 世話が大変な大きさであることさえ抜きにすれば、一家に一羽欲しいくらい優秀な子だった。

 

 さて、演習は翌日の朝から三泊四日で行われる。

 移動だけでほぼ費えるこの日は、日程には入っていない。

 今日はオルクロックの好きな宿に泊まることになっていた。この辺りの手配は、学生の自主性に任せるのが学校の方針だ。

 せっかくだから、行く前に少しこの町を調べてきた。

 それによると、オルクロックはやはりオーリル大森林に隣接しているだけあって、林業が盛んな町らしい。

 大森林から産出される木材は非常に質が良く、特産品としてサークリス及び首都ダンダーマに出荷されている。

 林業だけで町の経済が成り立つので、他には何の特徴のないのんびりとした町ということなのだが。

 なるほど。見回せば、確かに良い感じに田舎臭い雰囲気のところだった。

 石造りの建物が目立つサークリスと違って、そこらの家はすべて木造である。おそらく特産品の木材を、自分のところでも贅沢に使っているのだろう。

 

「ちょっと故郷を思い出すわね」

 

 アリスがしみじみと言った。

 確か彼女の出身は、ナボックっていう田舎だったっけ。

 行ったことないけど、こんな感じの場所なのだろうか。

 

 しばらく三人で歩いて宿を探した。

「木漏れ日」と書いてある看板がかかっているところが、大きくてなんとなく雰囲気も良さそうだったので、話し合ってそこにすることにした。

 宿泊の手続きを行う。

 各自で個室に泊まるよりも、四人部屋を一つ借りた方が一人当たりは安いようだ。

 

「どうする? 一人分余計だけど。私は一緒の方が嬉しいかな」

「当然。三人でわいわいお泊りパーティーでしょ」

「異論なしです」

 

 一言相談の上、四人部屋お泊り会と決まった。

 普段、寮では別の部屋で生活しているミリアが「今日から少しの間は、私もあなたたちと一緒に寝られますね」とかなり喜んでいる。

 

 鍵を受け取り、部屋に向かおうとしたところで、意外な人物と鉢合わせになった。

 私たちに気付いた彼女は、大きく手を振りながらこちらに向かって来る。

 

「やっほー! 久しぶりじゃない!」

 

 カルラ先輩だ。どうしてこんなところにいるんだろう。

 そう思ったときには、アリスが同じ疑問をぶつけてくれていた。

 

「どうしてここにいるんですか?」

 

 すると、カルラ先輩はえっへんと胸を張る。

 

「ま、監督生ですから」

 

 毎年数人ほど付く四年生の演習監督者のうちの一人が、どうやら彼女ということらしい。

 なるほど。納得。

 

「そうなんですか。よろしくお願いしますね」

「よろしくね~」

 

 アリスと挨拶を済ませたカルラ先輩は、今度は私の方を向いてにじり寄ってきた。

 久しぶりと言ってたけど、確かにそうだね。ここ一か月くらいずっと姿を見てなかった気がする。

 

「最近あまり会えてませんでしたね」

「うちの研究室も学会の発表を控えてて、忙しい時期だからね~。結局あなたたち、だーれも来てくれなかったから、人手も微妙に足りてないし」

 

 じろりと嫌味ったらしく見られたので、愛想笑いでお茶を濁しておく。

 カルラ先輩は「ま、いいか」という感じで、明るく笑った。

 

「でも、忙しいところをギエフ先生に無理言って来ちゃったのよ! 可愛い後輩たちと触れ合えるのが楽しみでね~! これも生きがいっていうか。あっはっは!」

 

 私の肩を痛いくらい強くバンバンと叩きながら、カルラ先輩は高笑いした。

 この時々異様に高いテンションには、正直ついていけないときがある。

 そう言えば。

 カルラ先輩がこうなったとき、真っ先に諌めてくれる人物の姿がないことに気付いた。

 

「あれ? ケティ先輩はいないんですか?」

 

 カルラ先輩はふっと笑う。

 

「今回はわたしだけよ。ケティも『あなたが変に暴走しないか心配』とか言って、こっちに来たがってたけど、ちゃんとやるから大丈夫って言ってやったわ」

「あはは……。そうだったんですか」

 

 急募。ストッパーさん。

 

「まったく。人を爆弾か何かみたいに。失礼しちゃうよねえ!」

 

 握り拳を胸の前にぐっと作り、軽く怒りのポーズを取る彼女。

 まさにいつ導火線に火がついて爆発するかわからない爆弾と言うに相応しい有様だった。

 私もめっちゃ心配だよ。どうかこっちに面倒な火の粉が振りかかってきませんように。

 やや現実逃避気味に目を逸らすと、ミリアが妙に難しい顔をしているのに気がついた。

 

「どうしたの? ミリア」

 

 ただ声をかけると、ミリアはすぐ表情を元に戻した。

 

「別に。何でもないです」

「そう? もしかして長旅で疲れた?」

「そうかもしれないですね」

 

 私とミリアのやり取りを見ていたカルラ先輩が、今度はミリアを襲う。

 

「ミリアちゃん。あんまり疲れた顔してると、お姉ちゃんが取って食・べ・ちゃ・う・わよ~」

 

 冗談めいた振りを前にして、ミリアはかわすように笑って返した。

 さりげなく私の袖に腕を絡ませつつ。

 

「ふふ。残念ですが、私に先輩とそうする趣味はありませんよ」

「あら。いい声で啼きそうなのに」

 

 もちろんこれも冗談なんだろうけど、そう言ったカルラ先輩の艶のある表情は、本当にその気があるように錯覚させてしまいそうな何かがあった。

 あれ。なんか私の方も見てる……? 誘ってる!?

 どぎまぎしていたら、突然アリスが思い付いたように声を上げた。

 

「そうだ! せっかくだから夜は四人で過ごしませんか? 部屋のスペースがちょうど一人分余ってるんですよ」

 

 それはいい考えだね。

 でもちょっと、いやかなり危ないかも。あっちの意味で。

 嬉しさ半分怖さ半分で身構えていると、カルラ先輩はパン、と両手を合わせてすまなさそうに断った。

 

「ごめんねー。わたし、今から用事があるのよ。明日からの行動を監督生全員で集まって詰めなきゃならないの」

 

 それを聞いたアリスは、残念そうにちょっと肩を落とす。

 

「そうですかー。そんな大事な用があるなら仕方ないですよね。打ち合わせ、頑張って下さい」

「気持ちはありがたく受け取っとくわね。んじゃ、行ってくるわ!」

 

 元々移動しようとしていた最中に出くわしたからだったのか、カルラ先輩は足早に去ってしまった。

 去りゆく彼女を見送った後、アリスが手を叩く。

 

「はい。じゃ、気を取り直して部屋行こっか」

「うん」

「なんか余計疲れました」

 

 流れで手を繋いで歩いていると、ミリアがぽつりと漏らす。

 

「相変わらず嵐のような人でしたね」

「ほんとそれね」

 

 私も同意してウインクする。

 ミリアはくすりと笑って、耳元で囁いてきた。

 

「先輩とだったら、ユウの方がいいですね」

「ふぇ!? な、なに言うの!?」

「冗談です」

 

 も、もう。変なこと言わないでよ。

 アリスがやたらにまにまして、左右それぞれの手で私とミリアの肩をがっしり掴んだ。

 

「あらあら。仲の良いですこと」

「もう。アリスまで」

「ふふふ。可愛いです。ユウは」

 

 頬がかっと熱くなるのを感じながら、どうにか部屋へ着いた。

 

 

 ***

 

 

 荷物を置いたら、汗を流すためにみんなで浴場へと向かった。

 浴場は宿の一階にある。

 一年も女で暮らすと、それほど意識しなくても、割と自然に女として振舞えるようになっていた。

 正体がバレた後、女の子でいるときはもっと女の子らしくしなさいと言われて、アリスとミリアに散々色々叩き込まれた。

 実はそれが一番大きいかもしれない。

 股広げない! とか、服をすぐ肌蹴させない! とか、もっと慎ましく食べなさい! とか。

 ほんと色々ね。うん。大変だった。

 その代わり二人は、私が女でいる限りは、私のことを本当に女の子として扱ってくれた。正体がバレる前と何も変わらずに付き合ってくれた。

 そのことが、私にとってどんなに心救われることだったかわからない。

 私は、段々とありのままの自分を肯定できるようになってきた気がする。

 男でも女でもない中途半端な自分ではなく、男でも女でもある一人の人間。

 そういうものとして自分を受け入れられるようになってきた。

 姿やそれに伴う心の変化はきっと深刻な問題じゃなくて、私は思うままに自分として生きればいいのかなと、今は何となくそう思える。

 

 浴場で服を脱ぐ。

 Dカップくらいのほどよい大きさの胸を始めとして、一年経ってもまったく成長や変化が見られない裸体が露わになる。

 トーマスの言っていた通り、能力が目覚めたあの日から、完全に時が止まってしまったかのようだ。

 一方でアリスは、ほんの少しだけ胸が成長したと言って喜んでいた。

 と言っても、5Aが4Aになりそうでならないくらいになっただけなんだけど。

 まあ本人にとっては重大な違いだろうし、一緒になって喜んであげたよ。

 ミリアはというと、元々EだったのがFの上になって、もう隠れ巨乳じゃなくなってた。

 胸の格差社会だと、アリスは時々恨めしそうにしている。

 

「ほんと。いつ見ても、元々男とは思えないくらい綺麗な体してるよね」

「羨ましいですよ。そのスタイルの良さ」

 

 アリスとミリアが私の身体をしげしげと見回しながら、感心したように溜め息を漏らす。

 浴場備え付けの鏡を見る限り、確かに綺麗だとは思う。

 私は変に謙遜しないで頷いた。

 

「うん。死んだ母さんに似てるかな」

 

 すると、アリスが食いついてきた。

 

「初耳ね。ユウのお母さんってどんな人なの?」

「強くて優しくて、カッコいい人だった。ある意味、カルラ先輩とかよりずっとぶっ飛んでるところもあったけどね」

「へえ。そうなんだ。詳しく聞かせてよ!」

「私も聞きたいです」

「いいよ」

 

 この世界にとっての異世界である地球のことを、二人にとってわかりやすいように、例えなど上手く交えつつ、母さんについて話していった。

 二人は興味津々に聞いてくれた。

 

 母さんは、中々にぶっ飛んだ人だった。

 何かのエージェントとかで、日本なのに合法的に銃振り回してたり。

 その銃の扱い方を、まだ小さかった私に叩きこもうとしたり。

 しつこくナンパしてきた男に「あんたの股間、二度と使えなくしてやろうか?」と凄んでびびらせたり。

 小さい私をおんぶしたまま暴力団にカチコミをかけたり。

 気が向いたからってだけの理由で、ぽんと百万円くらい寄付しちゃったり。

 たまに父さんも一緒に行動してたみたいだし、私自身が連れられて行ったこともあるけど。

 とにかく世界中を飛び回ってた。

 中国とかカナダとかならまだわかるんだけど、中東やら南アフリカやらブラジルやらグリーンランドからおみやげを持って帰ってきて、びっくりしたことがある。

 さらに驚いたのは、「大統領に会いに行ってくる」とか言って飛び出して行って、テレビで観たらマジでアメリカ大統領の横にちらっと映ってたこともあったっけ。

 しかも母さんの行くところでは、そのとき大抵何かしらの事件が起こってた。

 昔はわからなかったけど、今ならなんとなくわかる。

 母さんはそれらの事件に関わるような仕事をしていたらしい。

 とりわけ、地球ではかの有名なTSG事件とか。

 まあそこまでは置いておこう。

 狭い日本にはおよそ似合わないスケールを持つ母さんの作った数々の伝説は、今も強く心に焼き付いている。

 私にとって母さんは、誰よりも頼れる母であると同時に、憧れの存在でもあった。

 そんな母さんでも事故であっけなく死ぬのだから、人生というのはわからないと思う。

 まあ普通に暮らそうと思ってたのに、いつの間にか異世界で魔法なんか使いこなしちゃって、世界を守ろうなんて分不相応な目的を持って動いてる私も、ある意味相当な伝説ものかもしれない。

 あまり性格は似てないと思うけど、やっぱり血は争えないのかな。

 

 話し終えて、何となくまた目の前の鏡を見つめた。

 瞳の奥が、ほんの少しだけ光ったような気がした。

 男のときも女のときも、この母さん譲りの挑戦的な目つきだけは変わらない。

 母さんに一番よく似ている部分だと自分でも思うし、他人からもよくそっくりだと言われた。

 おかげで、必要以上に生意気だと思われて苦労したこともあった。

 いつも弱くて情けなくて、泣き虫だった私には、あまり馴染まなかったものだったかもしれない。

 けれど今は、この目が似合うような強い人間になりたいと、そう思う。


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