[1月20日 12時00分 国会議事堂]
衆議院の通常国会(常会)は、普通13時から開始される。だがこの初日については、正午から動き始める。
なぜならば、年最初の国会では、13時より開会式が執り行われるからである。
開会式では、衆議院議員も参議院議員も参議院議場に集まる。これは帝国議会時代からの習わしとされている。
そして、国家憲政の象徴たる天皇陛下もご出席なされることになっている。
陛下のお席等が参議院議場にしかないことも、開会式が衆議院でなく参議院で行われることの実際上の理由であった。
先立って、12時からは両議院の議長や副議長等が参集していた。
12時30分。
内閣総理大臣その他の国務大臣、最高裁判所長官及び会計検査院長が参議院に参集する。
12時45分。
天皇陛下が国会議事堂にお着きになる時刻である。
衛視が中央玄関の扉の前に立つ。
ブロンズ製で1トンもあるこの重厚な扉は、開会式の日を除いては年数回ほどしか開けられることはなく、開かずの扉と言われる。
定刻になり、合図と同時に開かずの扉は開け放たれた。
扉より入ったところの脇に、両議院議長を始め、多くの者がずらりと参列する。
ついに、陛下が議場へお入りになった。
衆議院議長が前行し、陛下を式場までお連れする。宮内庁長官その他の供奉員も随行する。
次に参議院議長、衆議院参議院の副議長、常任委員長、特別委員長、参議院の調査会長、衆議院参議院の憲法審査会会長、情報監視審査会会長、政治倫理審査会会長、議員、内閣総理大臣その他の国務大臣、最高裁判所長官及び会計検査院長が式場に入り、所定の位置に着く。
国家の重鎮が揃い踏みし、陛下のおことばをもって通常国会が幕を開ける。
日本の国家憲政にとって象徴的な式典が、近づこうとしていた。
***
[1月20日 13時00分 参議院本会議場]
天皇陛下は既にお席につき、衆議院議長が式辞を述べる。
続いて、所定の所作に則り、おことばの書かれた紙が侍従長より陛下へ手渡される。
おことばは、政治色を排するため、天災被害への言及など一部の例外を除き、毎回同じ文章として閣議決定されている。
ただ今年に関しては、痛ましいTSG事件に一切触れぬわけにはいかないだろう。
陛下がかの事件について一言触れようとした、そのとき。
本会議場の後方より、火の手が上がった。
直後、銃を持ち、防火マスクを被ったフル装備のテロリストがぞろぞろと入り込んでくる。
一体どこから湧いてきた。
突然の炎と襲撃で、大混乱に陥る議場。
事の真相は難しい話ではない。短距離の転移能力者を利用して、警備の網をすり抜けたのである。
そして一息遅れ、大柄の男が堂々たる登場を果たした。
『炎の男』アクレセイ・ダナフォードその人である。
彼は最奥にいる陛下に、不穏な指先を向ける。
間もなく、一発の強烈な炎が弾けた。
陛下に危機が迫る。
だが、異変を察知した勇敢な衛視の一人が飛び出し、身を挺して陛下を庇った。
発火能力に巻き込まれた衛視は、哀れ火だるまとなり消し炭と化す。しかし、大切な御方を守り抜いたのである。
侍従長に連れられる形で、陛下はお席の脇の扉へと避難を開始する。
そこには、天皇がお休みになられる御休所へ繋がる扉がある。
当然、逃がすわけもない。
アレクセイは再び、指先を陛下へ向けようとして。
そこに、議員の一人が果敢にも彼に組み付いた。必死に狙いを逸らそうとする。
アレクセイは鬱陶しげに腕を振り払い、議員が机に叩きつけられたところへ炎を飛ばす。
彼は無残に焼殺されてしまったが、そのわずかな時間が命運を分けた。
陛下と含む数名が、御休所に繋がる扉へ入り込む。
その扉を覆うように、紫色の結界が張られていった。
【皇国の守護者】
実は衛視の一人がTSPであり、御休所全体を覆う防御結界を張ったのだった。
発動中は結界の外へ出ることはできないが、炎でも銃弾でも打ち崩すことはできない。
攻撃が通じないのを見て、アレクセイが忌々しげに顎を撫でる。
「なるほど。結界の能力者がいたか」
「どうしましょう」
慌てる部下の一人へ、彼は落ち着き払った声で告げた。
「狼狽えるな。周りを抑えておけば逃げ場はない。いずれ衰弱するのみ」
もしのこのこ出て来たのならば、それが貴様の死ぬ時だ。
不遜極まる笑みを見せたアレクセイは、手駒の部下たちへ檄を飛ばす。
「殺せ! 国家の犬どもを皆殺しにしろ!」
国会議事堂は三権分立の下、警察組織とは独自の警備体制が敷かれている。
当然、警察や自衛隊が入り込むのも致命的に遅れてしまう。
事態を察知してやってきた衛視たちも、完全武装のテロリストに比べればあまりに貧弱である。
為すすべもなく殺害されていく。
そうして。
報道陣を含め、国家重鎮をほぼ皆殺しにしたTSG軍団は。
御休所を銃口の網で取り囲みつつ、高らかに野蛮な勝鬨を上げた。
それから冷静に、血の惨劇の場を検める。
どうも様子がおかしい。
陛下の他にもう一人、最も重要な人物の死体が見つからない。
「西凛寺のジジイも逃げたか」
「やってくれましたね」
部下の溜息に、男は鼻息を鳴らす。
「あの狸め。何が『隔離声明』だ。きっちり身内は能力者で固めていやがる」
『炎の男』の読み通り、西凛寺首相は彼らとは別の転移系能力者を秘書として抱えていた。
能力の行使により、国会議事堂の外へと逃れていたのである。
陛下を始め、他を逃がす猶予がないのであれば、限られた中で最善手を打ったと言えるだろう。
たとえ内閣総理大臣であっても、天皇陛下の前ではワンオブゼムに過ぎないため、議場では適当な席に着く。
事前に着座位置を知ることは、さすがのTSGにもできない。
初手で狙い撃ちにされなかったことが、功を奏したのであった。
すべてが理想通りとはいかなかったが。とりあえず狙いの片方は押さえた。
舞台は整ったと言えるだろう。
アレクセイは、歯を剥き出しにして嗤った。
「さあユナよ。決戦の舞台は整えてやったぞ。来るがいい」
国会議事堂の中までは、狙撃の弾も届かない。
かつて己を倒した女との直接対決こそが、彼の望みであった。
***
混乱のどさくさに紛れ、辛うじて難を逃れた西凛寺首相は、秘書に声をかけられる。
彼こそが転移系能力を持つTSPであった。
「陛下はご無事でしょうか」
「おそらくはな。しかしいつまでもつか」
不安を込めて、国会議事堂の方角を見やる。
「外部へ連絡は取れるか」
「ダメです。通信がジャミングされているようです」
二人は知る由もないが。
入念な下準備を済ませていた、トゥルーコーダの面目躍如である。
「どうにかして連絡を取れ」
「どなたへ」
「星海氏と――ゴールマン大統領だ」
国会とは国の最高機関であり、天皇は国の象徴である。
それがとうとう脅かされた。
すなわち、今の事態こそは国家の危機である。
『TSP保護隔離声明』を始め、日本は人道的配慮という看板を掲げ、彼らに徹底して蓋をしてきた。
そのツケが回ってきた。平和ボケし過ぎていたのかもしれない。
やはり――使うしかないのか。
西凛寺首相は、昏い決意を固めていた。