[12月2日 8時15分 QWERTY本部]
結局昨日のうちに追加の事件は起こらなかった。
ユナは肉体的には十分な休息を取って朝を迎えることはできたが、気の方は張り詰めたままだ。
さっとシャワーを済ませると、足元から肩まで覆う黒のぴっちりスーツに身を包み、中央のジッパーを窮屈そうに上げた。
均整の取れた全身のラインが、くっきりと浮かび上がっている。
「やっぱちょっときついのよねえ。しゃーないか」
無造作に胸を押し込む。彼女はしおらしさや恥じらいとはほとんど無縁の女である。
ちなみに16歳で成長の止まってしまった後のユウより、一回りほど大きい。これも放っておくと作戦中に激しく揺れて邪魔になるため、きつめに締めるのは仕方がないところ。
特殊な繊維でできた薄手の布地は、軽く、防刃性こそ備えているが、銃弾や特殊攻撃には無力である。
TSPとの戦いでは、半端な防御力はほぼ意味をなさない。抵抗の少ない軽装が最適解であると結論付けた、彼女の戦闘ユニフォームである。
胸元にはネックレスがきらりと光っている。これは、レンクスが最後の別れ際に贈っていったものだ。
彼女も鈍いわけではないので、それに込められた彼の好意には気付いていた。結局何も言わなかったヘタレではなく、男らしく告白してくれたシュウを選んだのであるが。
彼女がいつもこれを身に付けるのは、絆の証であり、また一種の義理のようなものだろう。
最後に髪をしっかり後ろで留め、着こなしを確認してから個室を出る。
廊下には同様の個室がずらりと並んでいる。メンバーが少ないということもあり、地下本部には全員分が宛がわれている。
一番奥はクリアの部屋で、ユウも一緒にいるだろう。
少しだけ様子を見ていくかと考えたユナは、そちらへ足を向けた。
「あ、おかあさんだ」
ややおぼつかない足取りで歩み寄るユウは、屈託のない笑顔を浮かべている。昨日は心配したが、案外平気そうで安心する。
「気分はどう? 具合悪いところはないかい」
「だいじょうぶ。ねえねえ。あのね、おきたらクリアおねえちゃんがいてね」
嬉しそうに目を向けるユウに対し、ベッドでくつろいでいるクリアハートは、任せておけという顔をしている。口数は少なくても、慣れてくると表情はわかりやすい子である。
「おれ、クリアおねえちゃんとあそぶから」
「ん。いっぱい遊ぼう、ね」
「よかったね。好きなだけ遊んでもらうといい」
「だからね。おかあさん、がんばってね。わるいやつから、みんなをたすけてあげて」
その小さな手がぎゅっと握られているのを、母は見逃すわけがなかった。
やはり一見無邪気のようで、とても敏い。自分のことは気にしなくていいからと、この子なりに送り出してくれているのだ。
「おう。クリアといい子で待ってるんだよ」
「うん」
我が子からエネルギーをもらったユナは、バチっと頬を叩いた。
「クリアは後でちょっと出番があるから、心の準備だけしておいてくれ」
「らじゃ」
「じゃあお母さん、行ってくるからね」
「いってらっしゃーい」「てらー」
***
一方、タクを中心とするバックオフィス組は、夜通しの監視作業に追われていた。
タクのデスクには、飲み終わったエナジードリンクの缶が並んでいる。
そこへユナがやってきて挨拶すると、夜勤で疲れた空気にも喝が入る。
「おはよう」
「「おはようございます」」
ユナは隊員の一人に尋ねる。
「警備の方はどうなってる」
「警察や自衛隊は既に全国で厳戒態勢を敷いています。ただ手続き上の関係で、自衛隊は災害派遣扱いとなっており、完全武装配備にはもう数日かかるかと」
「そこまでがいったんは正念場か。大変だろうけど引き続き頼むわ」
「はい」
自衛隊にもTSPはいないが、対TSP用に訓練された部隊はある。彼らが多数警備に就けば、さすがにやりにくくはなるはずだ。
そもそも敵の数は、さほど多くはないと考えられる。
TSPは世界で数万人~十数万人程度と推計されており、またその中でもTSGに加担する者となれば、極めて数は限られるからだ。
世界各国で同時にテロを起こしたが、場所は宣伝効果が派手な首都クラスの巨大都市圏に限られていた。
逆に言えば、それ以上の人員余力がないという見立てもできるのだ。
そして、あくまで彼らが国家転覆を目論むならば、政府機能の集中する首都圏を集中的に狙うはず。
そうした推測の下、東京交通網を重点的に見張っていたのであるが。
8時35分。第二の事件は起こってしまう。
今度は、東京駅が火に包まれた。
モニター越しに炎上する駅構内を目の当たりにし、ユナもタクも悔し交じりに吠えた。
「また炎上テロか……!」
「やられた……! あいつら、わざと人の多い時間を狙ってるんだ! 通勤ラッシュに一人ぽっち紛れ込まれたら、さすがに判別はきついっすよ」
「見た目じゃまるで見分けがつかないもんね。わかっちゃいたけど、もどかしいな。ちくしょう」
未然に防ぐことにかけては、どうしても後手に回ってしまう。
彼女は力任せにデスクを叩いたが、どこか割り切った冷静さを失ってはいなかった。
「けど現場は押さえたな?」
「ええ。これはでかい。もう好き勝手にはさせないっすよ」
タクはチーフチェアーをくるりと回すと、若い女性に向き直って言った。
「ケイラさん、解析を頼めるかい?」
「もちろんや。秒でいてもたる!」
木田 ケイラは、タクの部下に当たる二十代の関西人女性である。
彼女の特殊能力は【
彼女いわく、TSPが能力発動する際のわずかな『揺らぎ』をも観測し、その性質を分析できるという。
映像さえあれば、宣言通り秒で見破ってみせた。
「わかったで。どうもパイロキネシスに類する能力が使われとるようや。遠隔操作で非能力者を起爆し、生じた炎をさらに操っとるみたいですわ」
「パイロキネシスねえ」
ユナは記憶の彼方に引っ掛かりを覚えたが、「まさかね」と流した。
隊員の各々が呟く。
「自爆テロやってたのは、能力者ではなかったのか……」
「そりゃTSPは希少だからな」
「そもそもTSPでないなら、見分けもつかないわけだ」
「動きを操ってるのか、非能力者にも協力者がいるのかはわかりませんが」
「とにかく、次はないぞ。僕が許さない」
タクはメガネをくいっと上げ、目を瞑り全神経を集中して、特殊能力を発動させる。
約三分間だけの――彼の絶対時間が始まる。
【知の摩天楼(インテリジェンス=スカイスクレーパー)】!
彼は直接、情報世界の海へと意識をダイブした。
ケイラの脳内という一種の情報空間とも繋ぎ、彼女からパイロキネシスの波長――そのイメージを得る。
さらに東京のあらゆる場所のカメラ、PC画面にすら繋ぎ、人知を超えた恐るべき速さで検索を始めた。
『どこだ。どこにいる……?』
極めて強力だが、ダイブ可能な時間は限られている。
懸命必死な捜索は、ついにターゲットを割り出した。
「見つけたぞ、クソ野郎……!」
再び目を開けたとき、彼は勝利を確信していた。
「ユナさん。敵はここだ。品川駅付近の廃ビルに潜んでます」
キーボードで
「なるほど。新宿、東京ときて品川か。やっぱハブを狙ってんな。大丈夫か?」
人の情報処理能力の限界を超えた代償として、タクは息が上がり、目はひどく充血している。
また過集中のためか、使用後は毎度鼻血を垂れ流してしまうところがしまらないのだが。
ここのメンバーに『名誉の負傷』を嗤う者はいない。
「でかしたタク。あとは私に任せとけ」
「頼みますよ。ちょっと、こっちは……休ませてもらいます」
「おっと。しっかりしいや」
その場でぐったり倒れ込みそうになる彼を、ケイラが真っ先に寄って肩を担いだ。
「いつも悪いね」
「ええて。いくで」
小柄なタクは女性一人でも支えられるほど軽く、二人は連れ添ってメインルームを後にする。
いつも息の合った仕事姿やこの後姿を見るに、中々にお似合いとは皆思うのだが。タクがよほど鈍感なのかケイラが意外と奥手なのか、恋愛事には発展していないようだ。
続いて連絡を受け、ユウのお世話を中断してクリアハートがやって来た。
ようやくお鉢が回ってきたと、彼女は無表情で意気込んでいる。ぐっぐっと何度も拳を閉じたり開いたりしているからわかるのだ。
「おし。シゲル、クリア。行くぞ」
「はい」「ん」
三人連れ立って、本部の屋上へと向かう。
普通に移動していては間に合わないため、ユナには彼女だけの特別な移動手段があった。
大野 シゲルが誇る【イクスシューター】は、本来物資を撃ち出すための能力だ。
範囲はほぼ日本全域をカバーでき、音速を遥かに超える速さで、狙ったところへ大型トラック一台分までの対象を射出することができる。
ただし転移能力ではないため、行きのみの一方通行となる。
加減速はある程度制御され、到着時にブレーキがかかるとは言え、相当な衝撃がかかることから、本来人の移動に使えたものではないのだが。
気力強化によって肉体の耐久力を底上げできるユナだけは、問題なく撃ち出すことができた。
これを高速移動に利用しようと最初に言い出した彼女には、狂気の沙汰だと皆どん引きしたものである。
彼がGoodleマップを見ながら射出準備をしている間、クリアがユナの手を握る。
彼女の能力は【
自分や人、そしてものを誰からも何からも感知されないように隠すことのできる、最強のステルス能力である。
ただし、制限距離は本人から数十メートルと、かなり限られていて。
「わたしから離れると、数分で解除される。人多いから、気を付ける、こと」
「りょーかい」
ユナが移動の際クリアの力を併用するのは、フライングヒューマン目撃情報を避けるためという単純な理由である。
あとはユナの後始末要員(主に隠滅作業)として駆り出されることもあるが、TSGとの戦いはさすがに危険なため、現場に立たせることはしないだろう。
いきなり姿も気配も消えるため、シゲルは辺りを見回した。
「どちらにいらっしゃるのかな」
「ここ。わたし、手握ってる」
「お、いたいた。相変わらずすごいな、嬢ちゃん」
「ん。ほめるがいい」
口はぶっきらぼうだが、やはり子犬がぶんぶん尻尾振ってそうな得意顔をキメている。
そんな彼女へ目を細めつつも、
「危ないから手を離しときな」
「おけ」
クリアがさっと離れると、シゲルは虚空を(実際にはユナを)掴んで声をかけた。
「では、3カウントで発射します。準備を……3、2、1。シュート!」
轟音とともに、透明なユナが空を飛んでいく。
彼には撃ち出した感覚が、またクリアだけは隠した者を見ることができた。
「いった。がんば」
「ご武運を」
星海 ユナ、出撃。