[12月1日 20時08分 QWERTY近辺]
テロ事件の影響で電車が止まり、交通は非常に乱れていた。それでもカーナビを頼りに最適なルートを辿り、手早く母子を拾うと、タクは返す道を安全運転で急いだ。
彼が運転する車は、見た目こそまったく普通の四輪駆動車だが、ある程度の銃弾や砲弾なら防いでくれる特殊装甲車である。最高速度も下手なスポーツカーより飛ばせる逸品だ。某誰かさんが荒っぽい使い方をするため、直しても直してもせっかくの赤のカラーリングが剥げてしまうのが玉に瑕。
運転中、タクはいつもはお気に入りのJ-POPをかけていることが多いのだが、今日はラジオを付けていた。
放送では、官邸が緊急記者会見を開いている。
「どうやら西凛寺の爺さんは『国家緊急事態宣言』を出したみたいですね」
「当然の判断ね。国内じゃかの地下鉄サリン事件を凌ぐ被害が出てるんだ。しかもこれが始まりだって言うんだからな」
苦虫を噛み潰したような顔で、彼女は窓の外の景色を眺める。
目と鼻の先にいても防ぐことができなかったのが悔しかった。
彼女には人の心を読む力などないし、未然に何かを防ぐことは難しい。事件が起こってしまった以上、彼女にできるのはその力で倒すべき敵を討ち倒すことくらいだ。
「僕も一応それですけど、恐ろしいですねTSPは。簡単にえげつない事件を起こしてしまう」
「だな。私ら一般人の事情なんてこれっぽっちも汲んじゃくれない。蟻を踏み潰すように容易くやってくれる。これだから超能力者ってやつは」
「ユナさんを一般人と呼んでいいかは大いに疑問のあるとこですけど、なんだか妙に実感こもった言葉ですね」
「買いかぶり過ぎよあんた。私なんかただのか弱い人間さ。銃弾が急所を貫けば死ぬし、火で焼かれても、溺れても、ちょっとした毒でも、高いとこから無防備に落ちても死ぬ――本当の化け物連中は、そんなのとは無縁のところにいる」
「そういうものですか」
かつて異世界で散々渡り合った
しかし妙な話だよな、と彼女は思う。
なぜこの星にもフェバルもどきがわらわら湧いて出て来たのだか。
それも、長い地球の人類史からすれば、瞬きの間の出来事だ。
何せ最初のTSPの出現は、ユナが生まれるほんの少し前――わずか33年前のことなのである。その日から覚醒者は次々と現れ、現在は推定数千人とも数万人とも言われ……今や明確な世界の脅威となっている。
突然変異や進化にしては、事の進展があまりに早過ぎる。地球という星の自然な活動から発生したものとは、およそ考えられない。
この現象は、外部からの干渉によって起こっている一連の事件ではないか、とユナ自身は踏んでいる。あくまで勘に過ぎないのだが。
「いいかタク。私たちは弱者なんだ。弱者の戦い方ってのはね、なりふり構ってられないのよ。銃でも他の武器でも、どんな技術も、寝技でも、持てるものは何でも使う。持ってるだけで足りないから知恵を絞る。それでも足りないから人の力も借りる。で、最後はここよ」
胸のところを叩いて、彼女はにやりと笑う。
「そうやってどんな相手とも渡り合ってきたんですもんね」
タクはしみじみ思う。
ただ強いだけではない。この人はハートが異常にタフなのだ。
だからこそこの人は、数いるTSPを差し置いて、地上最強の女であり続けている。ただ強い力にかまけて持て余すような連中とは、場数と覚悟が違う。
「この子や世界を守るためなら、私は鬼にだってなるさ」
今は後部座席で膝枕して寝かせている我が子の様子に目をやりながら、ユナはさっぱりと言い切った。
「敵に回したくない筆頭っすね……」
「お、そうだ。大事なこと忘れてた」
ユウの寝顔を見てふと思い出し、彼女はスマホを取り出した。
「ちょっと電話かけるわ。音下げて」
「あいよ」
タクはつまみを回してボリュームを下げる。ユナが電話をかけ、数コール待つと相手が出た。
「もしもし。あなた」
「きもちわるっ」
タクからぼそっと本音が漏れる。
ユナは愛する旦那と話すときだけは声が少し高くなるので、とてもわかりやすいのだ。
ばっちり聞き咎めたユナは、彼の後頭部を(ユナ基準で)軽く殴りつけて、痛がる彼を尻目に何事もなかったように続ける。
『ユナ。大丈夫かい? ユウと新宿の方へ遊びに行ってたから心配してたんだ』
「そっちは何とか無事だったんだけどね。悪い。またしばらく帰れなくなりそうなの。ちょっとばかし色々事情があってさ。ユウも危ないからこっちに預けとくにした」
『……戦うつもりなんだね?』
「ん。ほんと悪いね」
『いいさ。そんな君を僕は選んだんだ。覚悟はできてるよ』
「ありがとう。あなたは……言うまでもないかしら?」
『ああ。僕は待っているよ。君たちが帰ってくる場所をしっかり守っておくさ。それに稼がないといけないしね』
ユナも稼ぎそのものは億万長者になれるほどあるのだが、ほとんどは武器類の購入や設備投資、児童養護施設や青少年教育施設の運用に充ててしまっていた。なので見かけほどは自由に使えるお金を持っておらず、シュウは立派な稼ぎ頭でもあった。
「そっちは任せたわ。あ、しばらくちゃんと料理作ってあげられないけど、身体壊さないようにしっかり食べてね」
『そうか。あの料理を食わずに……食えないのかあ』
まるですすり泣くような声が聞こえてきたので、さしものユナもどぎまぎしてしまった。
「シュウあんた、泣くほど恋しいわけ? そんなウブな反応されると思わなかったわ」
『い、いや。何でもないんだ……。大丈夫だよ。我慢するさ。大丈夫』
「そう? ごめんね」
普段鬼や悪魔と呼ばれているとは思えないほどしおらしく謝った後、ユナはちょっとにやつきながら言った。
「基本ユウ優先だけど、できたらたまには家に帰るわ。そしたらよろしくやろうな」
『そうだね。楽しみだ』
「くっくっく。いつもは誰かさんがべったりしてるから人目を盗んでってわけにもいかないしな」
「ぶほっ!?」
いつの間にか生々しい話をしていたのだと気付き、タクは吹き出した。ユナは呆れた目でタクを見やる。
「それじゃ、うっさいのがいるからそろそろ切るわ。あなた――私、頑張るよ」
『うん。気を付けてね。愛してるよ。ユナ』
「愛してるわ。あなた」
笑顔で電話を切ったユナは、タクから全力突っ込みを受けた。
「ユナさん!? 人前なんですけど!」
「あのなあ。別にいいでしょ。うちはグローバルなの。よくあるだろ海外ドラマとか。そんなんだから相手の一人もできないのよ」
「僕はいいんすよ。仕事一筋なんですから」
「別に恋愛禁止とかはしてないんだけどねえ」
「ああー! 泣かない。僕は泣かないぞ!」
事件の不安を打ち消すようにわいわい話しているうち、車はQWERTY本部に到着しようとしていた。