アカネさんは、複雑な表情で聖書を見つめて言った。
「ラナソールで見つけたものなんだけど、普通にこっち送れちゃったのよね。それだけ夢想と現実の境界が曖昧になっているってことなんでしょうね」
そして、ポンと俺に手渡す。俺は両手でしっかり受け取る。
「ラナさんに会いに行くんでしょう? ならたぶんそれが必要よ。次の聖書記になるべき人はもういないけど……あなたに預けるわ」「ありがとうございます。ラナにはどうすれば会えるでしょうか」
「私の予想なんだけどね。結局トレインの力が頼みだと思うの」
「やっぱりそうでしょうね」
「彼は常にラナさんを構築している。でもこれまでは中身が空っぽだった。本物の彼女に限りなく近づけるとしたら、その聖書にあなたたちが集めた彼女の記憶を合わせたものが基礎になるはずよ。あとはそれを持って、しかるべきところに行けば」
「浮遊城ラヴァークですか。でもあそこは、ラナがやられるときに燃えてしまったはずだけど」
「それならボクの――あ、レオンの聖剣が役に立つはずだよ。あれは浮遊城に行くためのカギになるものだからね。ラナが蘇っているなら、きっとあの場所も――剣が導いてくれるはず」
「根元から折れちゃったけど、大丈夫かな?」
「えっと……たぶん?」
首を傾げながらも、聖剣を信じて頷くハルが可愛かった。まああんな状態でも剣は力を貸してくれたからな。大丈夫だろう。
「あたし、レオンさんにお願いして借りてきますね」
アニエスがラナソールに向かった。戻ってくるまでの間、情報共有を行うことにした。
「そっか。やっぱりランドさんは……」
リクは薄々予想していたようだが、ショックが大きかったらしい。深刻な顔で続ける。
「ユウさん。もしかしたら、本当に……」
「まだそうと決まったわけじゃない。まだ……」
俺は自分に言い聞かせるように言った。そうでもしないと挫けてしまいそうだった。
「ボクは何となくそうじゃないかなって思ってたし、レオンも自分の正体には納得しているけど……他のみんなはどうなんだろうね……」
「だよな……」
ハルもまた思い悩んでいた。答えは出そうもない。
本人たちに話せるだろうか。こんなこと。
すっかり重たくなってしまった空気を振り払うかのように、アカネさんは明るい声で言った。
「まーせっかくだし、これまでのこと、話しておこうかしらね」
「気になります。あの日から何をしていたんですか」
そしてアカネさんは話してくれた。第一次ミッターフレーションというべき滅びの日から、今日までのことを。
あの日から、アカネさんはトレヴァークとラナソール、二束のわらじを履きながら、現実世界の再建と夢想世界の維持に携わってきたらしい。
「ラナソールを造ったのがトレインであると推定するまで、そう時間はかからなかったわ。ただ、ラナソールが発生した原因はわかったけど、私ではそれ以上どうしようもなかったのよ。ただの人間である私じゃ、彼のいるところに辿り着けなかったの」
どこがただの人間だよと思わなくもなかったが、あえて突っ込むのはやめておいた。無敵のように思えるお姉さんにも、限界はあったのだ。
「ラナさんも抜け殻みたいになっちゃってるし。それに当初のラナソールは、とても状態が不安定でね。人々のイメージがバラバラだったから。だから下手すると簡単にナイトメアが溢れるわ、トレヴァークまで巻き込んで世界丸ごと破裂しそうになるわ」
「大変だったんですね……」
「マジやばかったわ」
やばいと思った彼女は、不本意ながらラナソールという虚栄の世界を維持すべく動いた。それが彼女に打てる最善の策だったのだ。
ラナ教と自作した聖書によって、信仰という形でラナソールのイメージを固定化させ、安定させることに成功する。
さらに近年では、トレインソフトウェアの裏オーナーかつトッププログラマーとして、ラナクリムの開発にも携わっていたそうだ。これもラナソールの安定化のためだった。
「お姉さんの力作ゲーム、いっぱい楽しんでくれてありがとね♪」
「マジですか。俺、完全にお姉さんの掌の上だったんですか……あの、俺のステータスをほとんど完全に読み取った謎装置も、お姉さんが?」
「あれはかざりみたいなものかな。ユウくんのデータはラナソールでばっちり収集済みだから。ちょちょいっと照合すれば、ね」
なるほど。そういうからくりがあったのか。
「本業たる受付のお姉さんをしながらね。私は待っていたのよ! ユウくんやハルちゃんのような、聖剣を持つに足る英雄が現れてくれるのを。滅びへの漸進状態を打破してくれる者を!」
ギルドという最前線で可能性のある者を探し求め、有望な者にはハードなクエストを与えたり、こっそり支援するなどしていた。
行く先々でお姉さんの司会・実況に遭遇したのも偶然ではない。彼女がイベント好きなのは元々の性格だけど、そうやって日々俺たちの動向を見守っていたのだ。
しかしそこまであらゆることをこなしていたなんて。すごすぎるよお姉さん。本当にみんなの笑顔のために頑張り続けてきたんだなあ。
一見ノリと勢いだけで動いているように見えたアカネさんを、俺は心から尊敬した。
やがて、折れた聖剣を携えたアニエスが戻ってきた。
聖剣は、今は落ち着いた光を湛えているが、力は失われていない。大丈夫そうだと感じた。
「剣も簡単に持ってこれちゃいましたね。いよいよ境界が曖昧になってきてるのかも」
「まずい状況だな。でもこれでアイテムは揃った。行こうか。ラナに会いに」
「うん」「はい」「そうですね」
ハル、リク、アニエスがそれぞれ頷く。
そこへ、滑り込むようにランドとシルヴィアが戻ってきた。
良いタイミングなのか、悪いタイミングなのか。
「なあユウさん。ラナさんに会うんだろ? ピンと来たぜ。俺たちも連れてってくれよ!」
「私もせっかくだから女神様に会ってみたいわ」
「そう、だよな……」
つい躊躇いがちになってしまう。二人を避けようとしていた自分に気付いて、自分が嫌になる。
「どうしたんだよユウさん。やけに歯切れが悪いぜ?」
「……もしかして私たち、いない方がよかったり?」
シズハとの関係を知っているシルヴィアは、探るような目をこちらに向けた。
俺は思わず、リク、ハル、アニエスと顔を見合わせる。誰も答えなど持っていない。
なんて言えばいいんだ。わからない。でもここで二人を省く正当性なんてないのだ。
「いや、大丈夫だよ」
だから、そう答えるしかなかった。
「なんだよ。変なユウさんだな」
「なんか元気なくすようなことでもあった?」
「何でもないんだ。何でも」
……今はやるべきことをしよう。ラナさんに会う。会えばきっと何かあるはずだ。きっと。
外に出て、折れた聖剣を天に掲げる。浮遊城への道のりを祈って。
聖剣フォースレイダーは、一筋の光を放った。それは真っ直ぐ天を貫いて、空の向こうまで、一本の光の道を作り上げた。
現実世界と浮遊城が繋がった。
「これなら、あたしの転移魔法で飛べそうですね」
アニエスが自信ありげに頷く。
いよいよラナに会えるのか。ここまで本当に長かった。
アカネさんは、ここまでのことを労うように、優しく俺の肩を叩いて言った。
「きっとあなたにしかできないことがあると思うから。ラナさんと同じ心の力を持つ、あなたにしか」
それが自分でないことに悔しさを滲ませながら、彼女は続ける。
「ここまで来たらもう、あなたたちに任せるわ。受付のお姉さんは、段取りを整えるところまでが仕事だから。この二つの世界をどうするのか。ラナさんに会ってどうするのか。まさに世界の運命をかけた最後の依頼ってやつかしらね。頼んだわよ」
「はい。行ってきます」
アカネさんに見送られて、浮遊城へ転移する。
階段を登り、歩いた先のバルコニーには、ラナが待っている。