フェバル~TS能力者ユウの異世界放浪記〜   作:レストB

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266「ヴィッターヴァイツの悪夢 3」

 オレは住民どもを寄せ集め、目の前で【支配】を行使して雨を降らせたり、大地を揺らせたりした。

 それだけのことで、連中はオレを神かそれに近しい存在だと認めた。

 愚かな連中だと思う。こいつらがイルファンニーナにしていたことを思えば腹も立つが、ここは彼女の想いに免じて堪えた。

 数十日ほどかけ、丹念に豊饒化事業を行った。見違えて豊かになっていく土地に、決して豊かとは言えなった彼らは大いに感謝した。思った通り、すぐに崇拝されるようになった。

 イルファンニーナには新たな家を建ててやった。建築に詳しい奴に協力させ、力作業は主にオレがやった。彼女の希望もあって無駄に大きくはしなかったが、無邪気に喜んでくれたものだ。

 あらかた事業を終えたオレは修業に戻ることとし、最後に一言添えた。実にそれを言うだけのために、面倒な仕事をやり抜いたのだ。

 

「この娘は邪悪なる者ではない。ただ生まれ持った姿が特殊なだけの善良な娘だ。イルファンニーナがオレを連れて来たのだ。この言葉、ゆめゆめ忘れるなよ」

 

 ヴィッターヴァイツ様などという鬱陶しい歓声を背に、勝手にオレのもとに来ぬよう言い含め、村を去る。

 去り際、彼女とも話をした。

 

「オレは行く。貴様はあの家で暮らせ」

「えー。ヴィッターヴァイツ、もう行っちゃうの? 結構楽しかったけどな。家作ったり地を耕したり」

「身体が鈍ってしまった。修業をせねばならん」

「そうだった。武人さんってやつだもんね。ふふ。あんなにヴィッターヴァイツ様ーって騒がれたら嫌だよね」

「やめろ。真似するんじゃない」

「あはは」

 

 やはりこの小娘は、無邪気に笑っている姿がよく似合う。

 

「もう毎日オレになど構うな。いい加減、己のための人生を送るがいい。貴様は幸せになって良いのだ」

「そっか……。じゃあ、また気が向いたら行ってもいい?」

「どうせ来るなと言っても来るのだろう? 勝手にしろ」

「うん! 私が行ってあげないと飢えて困っちゃうものね」

「オレは貴様などいなくても平気だ」

「そういうことにしとく。ねえ、ヴィッターヴァイツ。ちょっとこっそり言いたいことがあるんだけど、耳を貸してくれる?」

「なんだ。二人なんだから普通に話せばいいだろう」

「いいから」

 

 オレは背がでかいから、彼女では背伸びしても顔までは届かない。仕方ないので耳を寄せると――。

 

 柔らかいものが頬に触れた。キスされていた。

 

 唖然とするオレに、恥ずかしそうに笑って彼女は言った。

 

「またね。ありがとうね。ヴィッターヴァイツ」

「……フン。もう修業の傷だらけで来るなよ」

 

 こっちも恥ずかしいので口に出しては言えないが、できることならば、こいつには辛いことがあった分、最上の幸せを歩んで欲しいものだ。そう強く願う。

 

 

 そして、修業を再開した翌日とその翌日。

 イルファンニーナは来なかった。

 二日連続で来ないことは初めてだった。

 

「それで良い。それで良いのだ」

 

 彼女は来なかったが、寂しい気分はなかった。むしろ清々しい気分だった。

 黙々と修業に打ち込む静かな時間は、久々に心から充実したものだった。

 

 ……ただ一つ難があるとすれば、飯の当てがなくなってしまうことだが。

 

 翌日。さらに翌日。

 イルファンニーナは来なかった。

 そんなものか。今頃は新しい生活を楽しんでいるところか。

 ただ四日となると、痩せ我慢も辛くなる頃だ。

 体の良いことを言い残して去った手前、餓えて死ぬというのはあまりに格好が付かん。

 

「やむを得ん。少しばかり顔を覗いてやるとするか」

 

 小娘の足であれば一刻よりもかかるところだが、オレの足ならば、衝撃派が発生しないよう注意を払ってもほんの数分で村まで行けた。

 

「ほう。何やら騒がしいな。祭りでもしているのか」

 

 村は盛況だった。

 とりわけ大きな音が聞こえてくるのは、村の憩いの場として新しく作った石造りの広場だ。村の景観に合うよう、イルファンニーナと知恵を合わせてデザインしたものだ。

 住民どもは儀式的な剣を持ち、中心に掲げた何かを取り囲むようにして踊り続けている。

 

 フェバルの優れた視力は、その何かの正体を捉えた。見てはならぬものを見てしまった。

 

 

 全身磔にされ、血を抜かれ。ただでさえ白かった素肌は蒼白となり。

 

 

 口元を糸できつく縫い付けられて。

 

 

「笑顔」にされた彼女が、事切れていた。

 

 

「おい……どういうことだ……」

 

 目の前の光景が、ただただ信じられなかった。

 

「貴様ら……何をした……」

 

 オレの姿に気付いたとき、住民どもは一様に目を輝かせた。満面の笑みを湛え、敬愛する素振りを見せた。

 

「ヴィッターヴァイツ様だ!」「ヴィッターヴァイツ様が来られた!」

 

 口々に歓迎の言葉なぞ述べて。

 誰一人として自らの行為に疑いを持たぬ。本当に素晴らしいことをしているのだと心から思っているに違いなかった。

 おぞましい。吐きそうだ。

 

「何をしたと言っているのだッ!」

 

 怒りが沸騰した。

 よくもイルファンニーナを。

 許さん!

 返答次第では皆殺しにしてくれる!

 

 村長が歩み出てきた。彼はニコニコと不気味に笑っていた。

 

「これはヴィッターヴァイツ様が望まれたことですので」

「なんだと!?」

「我々にとって最上の喜びとは、神の供物として捧げられることなのです」

「ふざけるなッ! オレがいつそんなことを――」

 

 はたと気付き、愕然とする。

 

「そんな、ことを……」

 

 そうだ。

 確かにオレは願っていたのだ。彼女に「最上の幸せ」と、願っていたのだ。

 

 この古臭い村に生贄の風習が残っているのは知っていた。

 こいつらにとって、最上の幸せがそんなことなのだとしたら。

 

 いいや。違う。あり得ない!

 オレはこいつらに命令などしていない! 人に【支配】を使ったことなどない!

 

 住民どもには、オレの怒りの原因が皆目わからないようだった。寒気がした。

 

「何かいけないことをしましたでしょうか」

「黙れ!」

 

「「はい」」

 

 すると、村長だけではない。

 皆が一様に頷き、押し黙ったではないか。まるで機械のごとく従順に。

 

 これではまるで、オレが【支配】を人に向かって――。

 

 ――まさか。まさかそんなことが。

 

 ある可能性に思い至る。どうしようもない真実に。

 

【支配】の真の効力とは――。

 

 たとえオレが明示的に使用していなかったとしても、強く望んだだけのことが――。

 

「馬鹿な……」

 

 混乱と衝撃で立ちつくす中、無数の瞳が感情なく、そして容赦なくオレを射抜いていた。

 これは貴様の命令なのだと。

【支配】は勝手な気を利かせて、実に恐ろしい命令を遂行していたのだ!

 

「あ、ああ……」

 

 おかしいとは思っていたのだ。

 なぜ今まで誰もオレを恐れる者がいなかったのか。

 なぜ都合良く皆が歓迎したのか。

 

 そうだったのか。

 

 誰一人。誰一人として。

 

 フェバルになったあの日から。

 

 

 オレは最初から、人間など相手にしていなかったのだ。

 

 

 誰もかも。只人は皆、無意識の【支配】の下にあったのだ。

 

 オレが望めば、その通りに人は動いていたのだ……!

 

「ふざけるな」

 

【支配】の下、真の自由意志など存在せず。

 

「ふざけるなよ……」

 

 あらゆる人間関係は、【支配】によって形造られていたなどと。

 

 そんなことが、あってたまるものかッ!

 

「ならば」

 

 壊れかけた思考は、激しい怒りのままに。混乱のままに。

 否定してくれと、縋るかのように。最後の確認をするかのように。

 オレの口から残酷な命令を紡ぎ出す。

 

「貴様らは――オレが死ねと言えば死ぬのか」

 

「「はい」」

 

 住民どもは、操り人形のごとく肯定した。

 

 そして手にしていた剣で――一斉に子たちの首を刎ね、自らの首を刎ねた。

 

 幾多の首が宙を舞い、人だったものの胴体から紅い血潮が噴き出す。

 地を真っ赤に染め上げていく。

 

 心ここにあらず。自らの手で招いた凄惨なる光景を、最後の答え合わせを、ただ茫然自失と見つめていた。

 

 やがて。どれほどそうしていたのか。

 

 誰一人生ける者のなくなった血溜まりの中心で、磔にされた彼女だけが、無理やりに形作られた笑みを張り付けている。

 おぼつかない足取りで彼女の下へ向かう。変わり果てた彼女を、それでも少しでも目に焼き付けておきたかった。

 

「すまなかった」

 

 それだけしか言えなかった。

 オレも随分永く生きてきた。人の死と向きあったことは少なくない。無残な死体を見たことも、少なくはない。

 だが不幸な身の上の彼女を、さらに悲惨な結末に追いやってしまうなど。最低だ。最低にもほどがある。

 

「すまない」

 

 オレはこんなどうしようもない人間だというのに、貴様はいつも良くしてくれた。

 

 オレのために、ほとんど毎日――。

 

 オレの、ために――。オレの――。

 

 ――――。

 

 おい。待て。

 

 イルファンニーナ。貴様もなのか……?

 

 途端にわからなくなってくる。あらゆることが嘘に思えてくる。

 

 なぜ彼女の善意だけが、そうでないと言い切れるのだ。

 果たしてあれは。今までのことは、本当にこいつの自由意志だったのか?

 オレを好いてくれた。それはこいつ自身の本心からの好意だったのか?

 

 オレは……心のどこかで寂しかったのではないか。いみじくも救いを求めていたのではないか。

 そんな心根が作用して、【支配】が彼女を遣わしたのではないか。

 

 彼女だけではない。

 これまでの親切は。愛は。すべて。

 

 だとすれば。

 

 徹頭徹尾、彼女の運命を弄んだのは、このオレだ……!

 

「おい。イルファンニーナ……」

 

 頼む。違うと言ってくれ。

 

 だが物言わぬ骸となった彼女は、何も答えない。

 

「イルファンニーナ。答えろ。答えてくれ……」

 

 もう一度笑ってくれ。馬鹿な心配をする奴だと笑い飛ばしてくれ!

 

 つい激しく揺さぶってしまったとき。

 ああ、フェバルの力はなんと残酷なのだろうか。

 

 腐りかけていた彼女の首は、馬鹿力によってあっけなく取れてしまった。

 そこらの村人どもと同じように、血だまりにごろりと転がって。

 真っ赤な瞳が、開き切った瞳孔が、オレを無機質に見つめていた。

 

「う、ぐ……!」

 

 視界がにじむ。乾いた口から、血と酸っぱいものが混じった味がした。

 途端に、すべての生首が意識に映った。全員がオレの方を睨んでいる。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーっ!」

 

 オレは慟哭し、自らの手で己の首を刎ねた。

 

 もはや一刻たりとも生きていたくなどなかった。彼女と同じように死んでしまいたかった。

 

 だのに。

 

 無情にも、流れ人は次の世界へと送られるのみだった。

 そしてフェバルの精神修復作用が働いてしまう。

 オレは心の底から狂えない。また首を刎ねようとしても、無意味だと諭す冷静さが既に呼び戻されてしまっている。

 ああ。憎い。フェバルの身の上が憎い。運命が憎い。

 

「なぜだ。なぜ死ねんのだ……。こんな人生など、無意味だ……。あの日からずっと、何の意味などなかったのだ……」

 

 どこへ行っても操り人形ばかりの世界で。そうとも知らず、オレは愚かな道化を演じ続けていた。

 愚かにも人助けなどできると信じていた。人助けに疲れても、人と触れ合うことはできるのだと信じていた。

 彼女たちに心から喜ばれているのだと、無垢な乙女のように信じていた。

 馬鹿だ。馬鹿なことだ……。

 すべては必然。【支配】による当然の帰結だったというのに。

 

 オレが望めば、オレはどんなに強くとも恐ろしくとも、必ず受け入れられる。

 オレが心のどこかで救いを求めれば、善意の誰かが必ず手を差し伸べる。

 男も女も、老いも若いも皆歓迎し、あるいは媚びへつらい。

 さらに女は自ら心の内をさらけ出し、好意を示し、抱かれに来る。

 

 イルファンニーナも……。

 

 っ……。

 

 永き旅の中で一際輝いて見えた彼女ですら。巨大な【支配】という力の流れの上のことでしかない。

 彼女はオレの内なる望みに翻弄され、そしてこの上なく残酷に死んだ。

 

 オレの力が。運命が彼女を殺したのだ!

 

「おお。おおお……!」

 

 ――世界は、残酷だ。

 

 只人はオレたち超越者の都合に振り回され、超越者もまた運命に翻弄され。

 死にたくなるほど素晴らしく完璧で。自由などどこにもない。

 

 そんな人生、何の意味がある。すべてはただ虚しいだけだ……。

 それでもオレは、生き続けなければならない……。

 

「頼む。殺してくれ。死なせてくれ……」

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 地に伏せ、涙にくれるオレの目の前に、誰かが現れた。

 顔を上げて声のした方を見やる。

 雰囲気は、彼女に少しばかり似ていた。

 

「辛そうでしたので。良かったら、お話を伺いましょうか?」

「……なぜだ。こんな男、捨て置けばよかろう。なぜだ!」

「なぜでしょう。あなたを見ていたら、何となく放っておけなくて」

「そうか。『何となく』か。くっくっく……はっはっは……」

 

 オレは笑った。これが笑わずにいられようか。

 この期に及んで救いなど求め。また凝りもせず寄越して来るとは!

 

「はっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは――」

 

 狂ったように。だが到底狂い切ることもできず。

 

 そうしてひとしきり、飽きるまで笑い続けて。

 

 すべてに疲れ切った後――深い絶望だけが心を支配していた。

 

 オレの能力は、どうやらオレ自身さえも支配してしまったようだ。

 

 目の前に女がいる。

 

 オレが笑い続けていた間、逃げもせず、おかしな扱いもせず。甲斐甲斐しくも心配し、寄り沿い続けた素晴らしい女。

 そんな素晴らしく都合の良い女に、オレは問うた。

 

「――なあ、女。教えてくれ。貴様は人間か。それは貴様自身の意志なのか? それとも――ただの操り人形なのか?」


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