ラナソール。トレヴァーク。そして、アルトサイド。
世界構造の関係は見えてきた。しかし、未だ見えてこないのはその成り立ちだ。
ラナクリム。ラナ教。聖地ラナ=スティリア。
トレヴァーク世界の守護女神にして、ラナソール世界の象徴。
ラナの名を冠するものが、この世界にもいくつもある。
何か一つでも、世界を理解するためのとっかかりにはならないものか。そう考えて、依頼の合間にちまちまと調べ物をしてきたけれど、あまり大したことはわかっていない。
前に専門家が教えてくれたことだが、歴史を紐解けば、夢想病はほとんど有史以来の長い歴史があるらしい。
しかし、罹患者が急速に増えてきたのは、ここ百年くらいのこと――最後の世界大戦以来であるという。
百年前の当時はコンピュータ自体がなく、ラナクリムというゲームももちろん存在していなかった。
代わりに世界を席巻していたものがラナ教であり、ベストセラーである聖書――やはり題名はラナクリム――だった。
地球のものもそうであるが、聖書は万人に受け入れられるための分かりやすい物語としての性質を持つ。
百年経ち、コンピューターゲームとしてのラナクリムが隆盛を極めるに従って、ラナ教と聖書は、その立場を科学に譲ることとなった。
夢想病の存在とラナソールの存在は、まずにセットにして考えてよいだろう。
そうすると、ラナソールは、遥か昔から存在していたことになる。
そして大昔は、聖書がラナソールの大枠を形作っていたのかもしれない。
ゲームとしてのラナクリムは、今のラナソールを構成する主要素ではあっても、やはりそのものではないという結論になるのだろう。
むしろ、因果関係は逆か。聖書やラナクリムあってのラナソールではなく、ラナソールを成立させるための仕組みが聖書やゲームであるということだろうか。
何が、どうして、何のために。
結局はそこへ行き着く。
わからない。いつまでたっても仮定の話ばかりだ。
世界の穴は、既に各地で頻発し、今も緩やかに綻びは拡大し続けている。
思ったよりも時間はないかもしれないという事実が、俺に少しずつ焦りを生んでいた。
「ラナクリムの発行元。忍び込んで調べてみたい、と」
「うん。もしかすると、ゲームの成立過程に何かヒントがあるかもしれないと思ってね」
シズハの言葉に、俺は頷いた。
表向きの肩書は秘書ということになっている。もっとも、彼女に肩書通りの振る舞いを求めるのは酷だ。もれなく暗黒面が付いてくる。
実態として、彼女は実働部隊であり、戦力にカウントできる貴重な人材である。
ハルはトレヴァークでは動くことすら難しい。リクも志は目を見張るものがあるけれど、純粋に戦う力はないに等しい。
「また、大胆なことを考えるな。お前」
シズハはどこか呆れているが、俺が彼女基準で色々やらかすのには慣れているみたいで、小さく溜息を吐くに留めた。
彼女は、コミュニケーションに難があったのが、少しずつ改善されてきている。
喋り屋のシルヴィアと繋がったこと、そしてメル友であるハルの影響だろう。
アリスに影響されて、言葉が詰まる癖がなくなっていったミリアに近いものを感じて、微笑ましくなる。
それはさておき、俺は意図を説明することにした。
「これまでもひっそり探るのは続けてきたけど、機密情報は中々出て来なかったからね」
ラナクリムの製造業者は、世界一のソフトメーカーにして大企業、トレインソフトウェアである。
本社はここトリグラーブではなく、『世界の道』トレヴィス=ラグノーディスで繋がる先のダイクロップスという都市にある。
ダイクロップスは、工業要塞都市と呼ばれている。地理的に極めて特別な位置にあることが最大の特徴だ。
『世界の壁』グレートバリアウォールにはただ一か所、まるで抉り取ったような裂け目がある。この裂け目を塞ぐようにしてダイクロップスは成立し、発展してきた。
険しく不毛な谷にも関わらず、都市が成立した理由は明白だ。この地を押さえることで、グレートバリアウォールの内側の広大な領域は天然と人工の要塞に守られて、決して攻め入られることがなくなるからだ。
歴史的にも、トリグラーブの防衛地として、戦略上の最重要拠点として、幾度も過酷な戦場となり、常に重要な役割を果たしてきた。
その存在理由から、ダイクロップスではまず軍事産業が発達し、続いて一般に製造業が盛んになった。
約百二十年前の世界大戦を最後に、平和な時代になってからは、戦争のための技術が通信分野に転用された。通信技術の着実な発展は、やがてITテクノロジーへと繋がっていく。
トレインソフトウェアは、そうした現代に続く流れの中で生まれた。ラナクリムの発売を機に世界一の大企業へと成り上がったのは、世界中の誰もが知っている話だ。
「だから、直接入り込むと。うちのときと言い……大胆、だな」
「本当は、強引な手段はあまり取りたくないんだけどね」
問題は、トレインソフトウェアというのは、その徹底した秘密主義で知られていて。
現在では、世界一の資本力を背景に、工業要塞都市の事実上の支配企業であるとも言われている。
これが大変なことなんだ。
ダイクロップスは、今でも世界最強の私兵団を持つ軍事都市としての顔を持っている。ダイクロップス私兵団は、胸に赤バッジを付けているのが特徴で、レッドドルーザーと呼ばれ、恐れられている。
つまりは、一企業が資本力においても軍事力においても最強を誇っていることに他ならない。
まあこういう事情があって、世界有数の裏組織であるエインアークスと言えども、ダイクロップスへはおいそれと手を出すことはできないわけで。下手に突けば、次の世界大戦に繋がる恐れもある。
本で読んだり調べたりで、彼らの強大さ厄介さを知ってはいたから、事を構えると大きくなるのではと恐れて、俺も今までは躊躇していたわけだけど。
もう一つ有名なエインアークスさんには、結局殴り込みをかけてしまったし。だったら、こっちに入ってしまうのももうありかなと。焦りもあったので、心を決めた。
とにかく今は材料が欲しいんだ。リスクを取らなければ、リターンは得られない。
言ってみれば、軍事的にも政治的にもデリケートな領域への潜入調査をしようと。そういうことだった。
「でも行く価値はある、か」
「そうだね。飛んでいくと警戒されるから、陸路でのんびりツーリングといこうか」
これまでも、他の都市に空路で行くときは、ダイクロップスのずっと上空を避けるように飛んでいた。レッドドルーザーが目を光らせているので、空から近づくのは難しい。
また、ダイクロップスにも『アセッド』の支店はあるものの、やはり表立っては活動できず、規模は小さい。残念ながら、パスが通じている人間もいないので、ラナソールを経由して直接飛んでいくのも無理だった。
「ん」
シズハが小さく頷く。彼女は色々と裏仕事に有用なスキルを持っているので、潜入の際の手として力になってもらうつもりだ。
と、冷ややかな目で一言。
「また伝説を作ってしまうわけ」
「言っても、ちょっと忍び込ませてもらうだけだから。君のところのようにはならない……と思う。たぶん」
「フラグ」
「待って。そんなこと言うと余計になっちゃいそうじゃないか!」
「フラグ」
ぼそっと、容赦なく繰り返される。
まさか本当にフラグになるとは、思いもしなかった。