ニザリーの一件は心に重いしこりを残すことになった。
ただ、その後、彼女はあの一家と上手くやっているようだ。それがまだ救いだった。
……どうしようもないこともあるけれど。ふさぎ込んでいてもどうにもならないよな。
そろそろ仕事を再開しないと。
朝、身体を起こすと、隣で寝ていたユイも一緒に目を覚ました。
「おはよう。ユウ」
「おはよう。ユイ」
「……元気出さないとね」
「ああ。行こう」
顔を洗って一階に下りると、ミティが朝の掃除を進めていた。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはよう。ミティ」
「ユウさん、ユイさん。もう大丈夫なんですか?」
「二日も休みもらっちゃったからな」
「ごめんね。任せちゃって」
「いいんですよぉ。二人とも、お疲れのようでしたし。ミティも役に立てて嬉しいですよ」
安心したように口元を綻ばせた彼女は、懐から一枚のメモをぴっと抜き出した。
「ところで。ユウさんに知り合いから言伝がありまして」
メモを受け取り目を通すと、こう書かれていた。
『ユウさん ちょっと個人的な頼みがあるんだ
シルには内緒の話さ
明日も来るから、よろしく頼むぜ!
ランド・サンダイン』
「ランドが俺に用?」
「何かまでは言ってくれませんでしたけどね」
「へえ。何だろうね」
ユイが面白そうな顔をしている。
「まあ今日も来ると言ってるし、待ってるか」
昼前に、周りをきょろきょろ警戒しながら(シルはシズ由来の隠密術があるため、生半可な注意では悟られる。道理で神出鬼没なわけだ)、ランドがやってきた。
内緒の話というので、ユイには感知魔法を展開してもらって、シルが引っかかるとすぐ教えてもらうようにした。
ランドを二階へ案内し、席を勧めながら用件を伺う。
「で、俺に頼みってなんだ」
「いやあ、最近。シルが一段と輝いてるっていうか。そんな気がするんだ」
「へえ。どうしてそう思うんだ」
「なんていうか。よくわかんないだけどさ。生き生きしてるんだよなあ。前は時々、なぜか元気ないときもあったんだけどな」
暴れるシルの姿を思い浮かべているのだろう。彼は苦笑いを浮かべた。
「魔法のキレもますます上がっているし、明らかに強くなってる気がするんだ」
なるほど。思い当たる節はある。
シズは今暗殺業から離れて、俺の仕事の手伝いをメインでやってくれている。嫌な仕事をしないで済む分、心が軽くなっているのだろう。
さらにシズとシルのリンクが結ばれ、ありのまま団長の話も伺ったことで、シズもシルも、ラナソールという世界における力の根源を――夢想の強さこそが源であると――意識している。二人の相互協力によって力を高めていることは容易に想像がつく。
「それっていいことなんじゃないか?」
「そりゃあもちろん、あいつが輝いてるのは嬉しいさ! 嬉しいけど……俺も、その……」
もじもじするランドを見て、用件が何であるかは自ずと察せた。
「相棒として遅れを取りたくないってわけだ」
「さっすがユウさん! 察しが早くて助かるぜ!」
もうずっとランドの呼び方が「ユウさん」で安定してしまったことが面白くて、俺はくすりと笑った。リクがそう呼んでいるのが知らずのうちにうつったんだろうな。
「ワールド・エンドに向かって進むにつれ、一段と魔獣も強くなってきていることだしさ。足手まといにはなりたくないんだ」
ランドはぱんと両手を叩いて、調子良く俺に頭を下げた。
「てわけで、頼む! ユウさん、俺を鍛えてくれ! こっち寄ったときでいいからさ」
頼みの内容は予想通りだったものの。
いざ言われて、すぐに首を縦には振れなかった。
別に俺が教えてもいいんだけど……。
「なるほどね。君の頼みはわかったよ。シルに内緒っていうのは?」
「へっへ。こっそり力を付けて、見返してやりたくってさ」
いたずらを企てる子供みたいに無邪気な顔で、ランドはウインクした。
「で、どう? 引き受けてくれるかい?」
「うーん。ちょっとだけ待ってくれないか。考えておくよ」
「そっかー。ユウさんも色々あるもんな」
「明日までには返事出すから」
「わかったぜ。楽しみに待ってるぜ」
期待半分の顔で、ランドは勢いよく店を飛び出して行った。
そうだな。どうしようかな。
少し待って欲しいと言ったのは、俺が教えることが果たして最善なのかと考えてしまったからだ。
わざわざ俺じゃなくても、この世界にはうってつけの師匠がいる。
そうだ。その人に相談してみよう。
「……ということなんですけど。俺と一緒にランドを鍛えてやってくれませんか」
俺から相談を持ち掛けられたジルフさんは、どこか面白がるようにふっと口元を緩めた。
「そうか。坊主も人から教えを乞われる立場になったか」
落ち着いた物腰でテーブル向かいに座るジルフさんは、こうして向かい合っているだけでも、温かい雰囲気の中に力強さ、強者の風格というものをありありと感じさせて、俺は自然を息を呑んでしまうときがある。
神妙にしていると、ジルフさんは穏やかに尋ねてきた。
「人に何かを教えたことはあるのか?」
「多少は。でも本格的な剣を教えたことはないですよ」
エスタやアーシャには、ほぼ一年付きっきりで教えたことがあった。あったが、内容は生活の知恵であったり、あの星特有の大型生物と正面きって戦わないための方法――例えば見つからないための用心や、見つかったときの逃げ方などが主だ。二人に教えたのは、生きるための力だった。
戦いの技術としての剣を教えたことはない。そもそもあの無人の世界では、剣を造ることもできないのだから、教えても意味がなかった。
俺の返答を受けて、ジルフさんは少しばかり思案すると、静かに言った。
「坊主。お前が教えてやれ」
「えっ?」
思わぬ言葉に虚を突かれて、戸惑う。
「どうしてですか。ジルフさんの方がずっと強いし、経験も豊富でしょう?」
「確かに俺の方が強いのは認めよう。これでもフェバルとして長年経験を積んできたからな」
ジルフさんは自負しつつも、瞳は心を試すように俺を真っ直ぐ捉えていた。
「だがな。ランドの坊主が頼ってきたのはユウ、お前だろう?」
「でも、俺なんかでいいんでしょうか。ジルフさんの方が……」
あの美しいほど完成された技と圧倒的な強さを知っている身からすれば、俺が教えるよりもこの人が教える方が、ずっと正しい選択のように思える。学べることも多いのではないだろうか。
しかし、ジルフさんは頷かなかった。
「そんなことはない。フェバルなんてチートを勘定に入れれば、確かに俺の方が強いかもしれん。だが持てる力の使い方、それに剣の技なら、お前だってもう十分立派なもんだ。教えるに不足はないと俺は思うぞ」
「そうでしょうか」
「そうだ。謙遜するな。許容性やフェバルの力を抜きにしても、お前はもうイネアにだって負けちゃいないさ」
「先生に……?」
言われて、はっとさせられた。
先生の厳しさと温かさ、強さは今も。俺の振るう剣の中に息づいている。思い出の中に鮮明に残っている。
結局、あの人に剣が届くことは一度もなかった。
サークリスを離れてから八年以上。色々な戦いを経験してきた。死闘と呼べるものもたくさんあった。
あれから、少しくらいは追いつけただろうかと思っていたけど。俺と先生を師として平等に見守ってきたこの人の口から、太鼓判を押してもらうまでとは思ってもみなかった。
ジルフさんは深く頷いて、俺の頭をぽんと優しく叩いた。
「自信を持て。ユウ。お前なりにやってみろ。人に教えてみることで、自分が教えられることもある。良い経験になるはずだ」
「……はい。わかりました。やってみます!」
ジルフさんから背中を押される形で、俺はランドに教えを付けることになった。