俺の容姿が突然変化したことに驚いたからかどうかは知らないけど、とにかく目の前の敵は動きを止め、俺が気剣を向けるまでは何も行動を起こして来なかった。
剣を向けたと同時に、こいつは我に返ったように慌てて、次の攻撃魔法の準備を始めた。
だが、遅い。
こちらは既に動き出していた。身体を強化した状態なら、そこらの魔法使いが対応できるようなスピードではない。
敵の懐に素早く潜り込む。
さすがに殺してしまうのは気が咎めたので、気剣の切れ味はわざとなくしておいた。けれども怒りを込めて、そのなまくらで思い切りぶっ叩いてやる。
鈍い衝撃とともに、敵の胴に剣が綺麗に当たる。敵はそのまま派手に吹っ飛んだ。
そしてどうやら気絶したのか、ぴくりとも動かなくなった。
よし。あの状態なら、後は魔法隊とかの人が捕まえてくれるだろう。
当面の危険を排除した俺は、状況把握のために周りを見回す。
人々の多くは無我夢中で逃げ回り、一部はいくつか存在する出口に向かって逃げようとしていた。だがそこには、最も大勢の襲撃者が集まっており、逃げ道を塞いでいた。
一つの出口の付近で、アーガスがたくさんの敵に囲まれながら戦っているのが見えた。
爆発魔法を使う男は、相変わらず惨い殺戮を楽しんでいるようだ。
見たところ、俺の姿の変化に気付いた様子の者は全然いないようだった。激しい混乱でほとんど俺に注目がなかったのと、砂埃が舞う視界の悪さもあって、そもそも俺の姿自体が大方にはよく見えなかったのが幸いしただろうか。
まあ、それはいい。
まもなくここには、鎮圧のために魔法隊や剣士隊の部隊が突入してくるはずだ。敵の集団とは乱戦状態になるだろう。この場に留まっていては、激しい戦いに巻き込まれてしまう。
そうなれば、俺はまだ大丈夫かもしれないが、一般人同様の状態であるアリスまで無事で済むかはわからない。
幸い今倒した奴を除けば、まだすぐ近くに敵はいない。今のうちに彼女を連れてさっさと逃げてしまった方がいい。
そう判断した俺は、アリスの方に振り向いて言った。
「アリス。ここから逃げるよ」
「あ、うん」
彼女は何か考え込んでいたのか、ちょっと上の空な様子だ。
「それで……嫌かもしれないけど、俺に負ぶさってくれないか」
「え!?」
アリスは、突然の申し出に戸惑いを見せた。
当然だろう。いくら顔見知りでも、異性が自分を背負うなんてかなり抵抗があるはずだ。
もちろん俺としてもそんなことをするのは本意ではないが、手段を選んでいる場合ではない。
「見ての通り、ここは危険だ。ぐずぐずしてる時間はないんだ。俺は気で身体能力を強化できるから、アリスを背負ったままでもかなり速く動ける。一緒に走って逃げるより、そっちの方が安全だ」
俺の説明を聞いた彼女は、少しだけ躊躇する様子を見せた後、意を決したように頷いた。
「わかったわ」
それから、軽く笑って冗談っぽく言ってくる。
「でも、変なとこ触らないでね」
俺も微笑みを返す。
「そんなことしないよ」
アリスの側に寄り、背を向けて屈むと、彼女の柔らかな感触と共に重みがかかってきた。肩に腕が回ってくる。俺は彼女の両足の脛の辺りを掴んで、しっかりと彼女を支えながら立ち上がった。
「行くよ。激しく動くから、しっかり掴まってて」
「オーケー」
動こうとしたところで、アリスが気付いたように声を上げた。
「あ!」
「どうしたの?」
「ミリアは、来てないのかな」
「ミリアか」
調べ物があるからしばらく来られないと言ってたけど、終わったら来るとも言ってたな。
「ちょっと待って。気を探ってみるから」
急いで周囲の人間の気を探ってみたが、ミリアのものと思われる気は感じられなかった。
とりあえずほっとする。
「たぶん、来てないと思う」
「そっか。よかった。なら、あたしたちだけね」
だが安心したのもつかの間、ある可能性に気付いてしまい、ぞっとした。
もし彼女がこの場所に来ており、かつ既に彼女が死んでいれば、当然彼女の気など感じられないということに。
でもどちらにせよ、生きている彼女はこの場所にはいないようだった。切羽詰まった今の状況で、当てもなく彼女を探すという選択は取れない。
とにかく彼女の無事を祈るしかない。いこう。
俺はどの出口に向かうでも、東西にある選手入場口に向かうでもなく、敵が最も少ない方向の闘技場の端を目指して思い切り走り出した。
「どこに向かってるの!? 出口はそっちじゃないわよ。どう逃げるつもりなの?」
不思議に思うだろう。アリスが後ろから心配そうに尋ねてくる。
もちろんちゃんと理由はあった。
「出口の付近は、敵が多いから危ない。ここは観客席の階段を突っ切って、上部から脱出する」
「どうやって? かなり高いよ」
コロシアムの端は別に壁で塞がれているわけではないので、物理的にはそこから外に出ることが可能だ。
ただ、アリスの言う通りかなりの高さがある。おそらく十数メートルは下らないだろう。普通に考えれば、そこから飛び下りて脱出するのは無茶の一言に尽きるし、自殺するのと何ら変わらない。
だがそれは、あくまで普通の人が試みる場合の話だ。高い気力持ちの俺なら、そのくらいはどうとでもなる。
「単純だよ。上から飛び降りるだけだ。足腰を強化した状態の俺なら、無事で済む」
「ふーん。なるほどね。気ってそんなことできるんだ。確かにそれは、あたしを背負ってないと無理ね。あたしも一緒にそんな真似したら、死んじゃうもの」
「そういうこと――跳ぶよ」
闘技場の端まで来た俺は、外壁を軽く一足で跳び越えた。観客席の下から三段目辺りまで、一気に跳躍して危なげなく着地する。
男の姿なら、試合のときみたいに、壁を上がるのに風の力を借りる必要はない。まあ、借りたいと思っても借りられないけど。
こちらの速い動きにまったく反応が追いつかない襲撃者たちを横目に、俺は猛然と階段を駆け上がる。
この調子で行けば、上手く脱出できそうだと思われた――そのときだった。
爆発魔法を使っていた奴の気配が、急速に近づいて来るのを感じた。どうやら俺たちの後を追いかけて来ているようだ。
俺は前を見るのに必死で、後ろを確認する余裕はない。だからアリスに頼んだ。
「ちょっと後ろを見て欲しい。妙な男が近づいて来てないか!?」
言った通り後ろを振り向いてくれたらしい彼女は、すぐに大きな声で耳打ちしてくれた。
「来てるわ! オレンジの髪の男! しかも、あたしたちに負けないくらいのスピードよ!」
「くそっ! やっぱりだ! よりによって一番やばそうな奴が! そいつ中心に囲まれたらおしまいだ! このまま突っ切るぞ!」
俺は焦りを感じて、とにかく全速力で階段を上っていく。一番上はもうすぐそこだ。
「気を付けて! あの人、何か魔法を使うみたい!」
「わかった!」
女のときと違って、俺は魔力を一切感知できない。
直接相手の挙動を見なければ、魔法の種類どころか使用していることすらわからないのだ。
危機迫るこの状況で、アリスからの情報は、まさに命に値するほど重要なものだった。
言われてみれば、前方の空気が嫌に淀み出した気がする。
まさか、あれが来るのか。
嫌な予感がした俺は、進路を瞬時に変更する。そのまま前方に向かってコロシアムから飛び出すのではなく、左斜め前に向かって跳ねた。
直後、俺たちが進む予定だった位置に、轟音を伴った大爆発が起こる。
あのまま進んでいたら――二人とも確実に即死だった。
「うわっ!」
「きゃっ!」
直撃こそ避けたものの、至近で巻き起こった激しい爆風に煽られて、体勢を崩してしまう。
なんとか立て直そうとするが、結局やや前のめりになったまま、遥か下にある地面に到達した。
ダン! と大きな着地音がすると同時に、じーんと強い痛みが走る。やや無理な体勢で着地したので、衝撃も大きかった。
「っ……いたた……」
「大丈夫?」
背中のアリスが、心配そうな声で頬をさすってくる。
「なんとか。それより――」
俺は後方を睨んだ。
そこには、同じようにコロシアムの上から飛び降りて問題なく着地した、奴の姿があった。
「やられたよ。追いつかれた」
「あ……!」
男は目を血走らせながら、ずかずかとこちらに迫って来る。その様子だけからしても、かなりいかれてる奴だとわかるほどだった。
俺は彼に最大限の警戒を向ける。彼が迫るに合わせて、じりじりと後ずさって距離を取りながら、いざというときのために、周りの様子をちらりと窺う。
辺りは既に厳戒態勢になっているのか、人の姿はまばらだ。魔法隊や剣士隊の人たちは入口の方に集まっているのか、ほぼ反対側のこちらにはいない。応援は見込めないということだ。
そして、コロシアムから逃げていく人の数が未だ少ないという事実――つまり、大半の人はまだ中に閉じ込められて襲われているということになる――が、この犯行の用意周到な残忍性を物語っていた。
ここは大通りではあるが、すぐ近くに小さな通りが繋がっている。そこからさらに入り組んだ小道へ逃げていけば、果たして彼を捲けるだろうか。
そうこうしているうちに、彼は俺たちのやや前方で立ち止まって、キレ気味に怒鳴ってきた。
「人様が用あんのに逃げんなよ! コラァ!」
「いきなり殺そうとしてくる奴の用なんか知るかよ」
俺は隙を見せないよう、精一杯の冷静さを装って言った。アリスも「そうよ!」と同調する。
男は不機嫌そうに舌打ちする。
「ちっ。で、おめえよぉ、さっき女だったのに男になったよなあ!?」
言葉こそ質問ではあったが、彼の様子からして確信を持っているようだった。
くそ。覚悟は決めていたけど、やっぱり変身を見ていた奴はいたようだ。それも、最も厄介そうな奴に。
「だったらなんだよ」
男は一転して高笑いする。
「はっはあ! 面白れぇ! 一応あのクソ女から、要注意人物ってことで追ってみたら――おかしな奴だぜ! こいつぁ、あの女も知らねえことだなあ!」
あの女? 他に仲間でもいるのか。
「マスターの実験体にでもしたら、面白いかもなァ?」
実験体。この身体の秘密がばれたときの可能性の一つとして恐れていたことを実際に言われて、悪寒がした。
マスターなる人物が出てきた。この件には黒幕がいるのか。目の前の粗暴な男が主犯格だとして、今回の計画的な襲撃の絵を描けるとはとても思えない。
「マスターって誰のことだ?」
すると男は、激昂した。
「知らねえのかよ! このオレに暴れる力をくれた、かの有名なマスター・メギルをよぉ!」
そこまで言ったところで、男はしまったという顔をした。
「おっと、こいつは今言っちゃあいけねえんだったか!」
「マスター・メギルって! そうか。あなたたち、仮面の集団だったのね!」
アリスが、強い口調で非難するように断言する。
「仮面の集団だって!?」
でもこいつや襲撃犯たちは、話に聞いていたのとは違って、仮面なんて一切付けてないぞ。
「ちっ。うっかり喋っちまったもんは仕方ねえな。こいつぁ、本当の狙いを隠すための偽装みたいなもんさ」
「本当の狙いだと!?」
そのために、こんなひどいことをしたっていうのか!
「さあなァ。そいつまでは、知らされてねぇよ」
男はいらつきを隠さずそう言うと、至極残忍な顔を浮かべた。
「で、だ。秘密を知ってしまったてめえらには、死んでもらおうか!」
放たれた圧倒的な殺気に、ぞくりとした。
こいつは、何が何でも俺たちを始末する気だ。
――戦うか、逃げるか。
一瞬迷ったが、やはりアリスを連れているままでは戦えない。もし彼女が狙われれば、彼女には攻撃を防ぐ手段も、避けるだけの速さもない。あまりにも危険だ。
逃げるしかない。
そう判断した俺は、全開の《身体能力強化》を使い、男に背を向けて弾丸のように走り出した。
「あいつが魔法を使うそぶりを見せたら、すぐに教えてくれ!」
「了解!」
「逃がすかよ!」
男は当然追いかけてくる。それもかなり速くて、中々引き離せない。
《ファルスピード》のような加速魔法を使っているに違いなかった。しかも効果はより上だ。男の身体で強化したトップスピードに追い縋ってくるなんて。《ファルスピード》では、そこまでの速さは出ない。
「魔法、来るわ!」
アリスが告げる。
小さな通りへと続く道角の辺りに、爆発の予兆。敵も簡単には逃がしてくれないようだ。
俺は仕方なく小道へ入るのを諦め、大通りを直進する。
すぐ後方で、大きな爆発音がした。
「またよ!」
今度は、すぐ目の前の空気の様子がおかしい。横に立ち並ぶ建物の屋根に跳び乗ることにした。
再び、大爆発が起こる。近くに設置されていた魔法灯を、丸ごと簡単に消し飛ばしてしまった。恐ろしい威力だ。
そのまま屋根伝いに、建物から建物へと跳び移っていく。
男も、すぐ後から同じように後ろを追いかけてきた。奴が魔法を使った時間の分だけ、少しばかり位置が離れたようだ。
「今度は、二発!」
「なに!?」
目を凝らす。一発目は前方か。だが、二発目の位置を確認している時間がない。
右か左か。どっちだ。
勘で右側を選択し、屋根から飛び降りた。
直後、前と左の方で爆風が巻き起こる。
どうやら助かったが、依然危機的状況にあることに変わりはない。
「くっ!」
爆風に煽られてよろめきながらも、なんとか転ばずに着地した。
驚く人たちに目もくれず、すぐに道を駆け出す。
男は俺たちを決して離さないように追いかけながら、何度も爆発魔法を使ってきた。
俺たちは必死にかわすものの、その度にあちこちが破壊されていく。時折無関係な人までが巻き込まれ、やり切れない気分になる。
馬鹿の一つ覚えみたいに爆発魔法ばかり使いやがって! 無茶苦茶するよ!
単純ではあるが、悔しいが効果的な手だった。発生が早く、範囲が広く、威力も絶大なあの魔法への有効な対処法が見つからない。
こっちは避けるだけで精一杯で、一発でも当たればアウトだ。しかも二人で協力してやっとどうにかなっている。それに、これだけ連発できるということは、おそらく魔力消費量も比較的少ないのだろう。
なんて手強い魔法なんだ。
逃走を始めてから、既にかなりの時間が経過していた。いつやられるかもしれない緊張が俺の精神をすり減らし、試合のときからずっと重ねてきた疲労が、俺の体力を奪っていく。
このままいけばじり貧だ。いずれ奴の魔の手に捕まるのも時間の問題だった。
そこで俺は、賭けに出ることにした。背中で奴への警戒を続けるアリスに声をかける。
「アリス。このままじゃ二人ともやられる。一か八か、試してみたいことがあるんだ」
「なに?」
「次の角を曲がったらすぐに降ろすから、少し離れて目をしっかり瞑ってて」
「わかった」
角を回り、奴に姿が見えない位置まで来ると、アリスを背中から降ろした。
それから、すぐに女に変身する。
魔法を使うためだ。
ふわりと髪が伸び、胸には見慣れた膨らみと、ずしりと重みが戻る。
私の変身を間近で見たアリスから、戸惑いの声が上がった。
「ユウ……それ、どうなってるの……?」
「ほら、早く」
彼女の驚きももっともではあるが、時間がないので振り返らずに諭す。
「う、うん」
どうやらアリスは、言う通りにしてくれたようだ。
私は奴に姿が見えないギリギリの位置で、奴を待ち受ける。
狙いをしくじれば、私たちは捕まっておしまいだ。
失敗は許されない。
死と隣合せの緊張感に、胸が苦しくなってくる。
奴が来るまで、時間で言えばほんの少しのはずなのに。待っている間、それがまるで永遠に続く責め苦であるかのような錯覚を覚えた。
今か今かと身構えて。ついに、私たちを追いかけて奴が姿を現す。
「あぁ!?」
私たちがこれまでと同じように逃げているとばかり思っていたことだろう。
通りを曲がってきた途端、目の前に突然映った私の姿に、男はほんの一瞬だけ戸惑ったようだ。
そのわずかな隙を、逃さない。
私も目を瞑って、狙いの魔法を放つ。
目を眩ませ!
《フラッシュ》
これで、閃光弾が炸裂したときのような強烈な光が、彼の目の前で瞬時に広がっているはずだ。
くらえ!
「うおおーーーっ!」
目を開けると、彼が苦悶の声を上げて目を押さえているのが見えた。
よし、当たった!
すると彼は、目が役に立たない間に己の身を守るためか、彼自身の周囲に向かって、闇雲に爆風を展開し始めた。
巻き込まれないように、慌ててさっと飛び退く。
くっ。攻撃のチャンスだったけど、仕方ないか。
でも時間稼ぎにはなっている。今のうちにアリスを連れて隠れよう。
再度男に変身し、身体能力を強化し直すと、目を瞑ったままのアリスをお姫様抱っこして、その場をすぐに離れた。
***
そして、ようやく簡単には見つからなさそうな場所まで来た。入り組んだ通りの路地裏まで、逃げ切ることができたのだ。
彼の気が近づいて来ないのを確認して、ほっと一息をついて彼女を降ろす。
「ふう。もう安心だ」
アリスも、顔は青いままだったが、一安心した様子だった。
「怖かったね。もうダメかと思った。ありがとう。助かったわ」
「なんとか逃げられてよかったよ」
そのとき。
「どこだあああああーーー! どこへ行きやがったあああああぁぁーーーー!」
遠くからあの男の叫び声が、かすかに聞こえてきた。
さらに、爆発音が聞こえてくる。何度も何度も。
どうやら俺たちが見つからないことに苛立って、数撃てば当たるだろうと、手当たり次第に爆発魔法を使い始めたようだった。外道であり、ゲスの行為に他ならない。
アリスを無事に逃がせたことで心に少し余裕ができた俺は、その分が完全に怒りに回っていた。
なんて奴だ! また無関係な人間を巻き込んで……!
もちろん悪いのは奴だが、俺が逃げ回ったことで、結果としてさらに被害が生じてしまった。現に今も生じている。そのことに対する責任を感じていた。
あの野郎……!
許せない。これ以上暴れさせてたまるか。どうにかしてあいつを止めてやる!
意を決した俺は、女に変身する。
奴の居場所は気でわかっていた。対して奴は、俺たちの居場所を知らない。この利点を生かして、遠くから魔法で奇襲をかけてやる。
そしてアリスにこのことを伝えようと、彼女の方を向いたとき。
アリスは――。
思い切り、私に抱きついてきた。
「ユウは……本当に、ユウなんだよね?」
彼女は不安な表情で、こちらの顔を窺ってくる。
そこでやっと、彼女の抑えていた感情が、とうとう溢れ出したらしいということに気付いた。
そうだよね。不安に思うのも無理ないか。突然こんなことになって、私の姿だってころころ変わったわけだし。
私は彼女を安心させるように、ぎゅっと抱き締め返した。
「うん。アリスのよく知ってる、ユウだよ」
「よかった……ユウは、ユウなのね」
「そうだよ。だから、安心して欲しい」
「うん……」
そのまま彼女の気分が落ち着くまで、少しの間抱き締めていた。
多少はすっきりしたらしいアリスは、抱擁をほどくと疑問をぶつけてきた。
「男の方も同じユウだって言ってたよね? どういうことなの?」
私は手短に説明することにした。
「私は男の身体とこの女の身体と、二つの身体を持っているんだ。それで、どちらにも好きなときに変身できる。姿が違うだけで、どちらも私そのものなんだ」
それを聞いたアリスは、やっと少し合点がいったように頷いた。
「そっか……そういうことだったの。あたしもこの目でユウが変わるところ見たから、なんとなくわかってきたわ。つまりどっちも、ユウってわけね。まだ、ちょっと混乱してるけど……」
「仕方ないよ。いきなりだったからね。他にもあるけど、それは後で説明するから」
「今じゃダメなの?」
アリスは、不思議そうに首を傾げる。
「うん。私は、これからあの男を止めに行くから」
「え……」
彼女にとってはあまりに予想外な話だったのか、最初はぽかんとしていた。それから、やや遅れて言葉の意味するところを理解したらしい。
今にも泣き出しそうな表情になって、私を問い詰めてきた。
「どうしてよ!? あんなに怖い思いしたでしょう! なのに、どうしてユウは戻ろうとするの!?」
心配はわかるけど、ここは引けない。毅然として答える。
「あいつが私たちを探す目的で、人を殺し回ってるからだよ。そんなの、放っておけない」
「だからって! 別にユウは何も悪くないわ! 悪いのはあいつよ! あんなの、放っておきなさいよ! あなたが行くことなんてない! 死んじゃうかもしれないわ!」
彼女の言ってることは、何も間違ってはいない。私に奴を止める義務なんてないし、顔も知らない犠牲者なんて放っておいて、しかるべき者たち――魔法隊とか剣士隊の連中――に任せたって何も問題はない。
助けられるかもしれない人たちを見捨てろと言うアリスが、別に冷たいわけではないだろう。ただ私の身を心配するあまり、そういう言い方になっているだけだ。
私だって、頭ではそれでいいと思っている。もし見知らぬ百人と親しい一人がいたら、私は後者を選ぶだろう。実際、私はアリスを逃がすために他を顧みなかったし、それについては何も後悔していない。
そしてアリスにとっては、その一人が私というだけなんだ。
それでも私は、彼女には従わなかった。
「これは、私のけじめなんだ」
『みんなが死ぬかもしれないってわかってて、それをどうにかできるかもしれない力があって。なのに、どうして何もしようとしないんだ!?』
傍観者を自称するトーマスに対して、自分が抱いた想いを振り返っていた。
私にはまだ、他のフェバルのような絶対的な力はない。
それに敵は、強力な爆発魔法の使い手だ。一撃でもまともにもらえば、命を落としてしまうだろう。絶対にまともに攻撃を食らってはいけない。かなり厳しい戦いになる。
女の私だけでは無理だ。爆発魔法をかわせない。
男の俺だけでも無理だ。奴に接近するためのけん制手段がない。
けれど、私と俺の力を合わせれば。
どうにかなるかもしれない。
この二つの身体に宿る力を最大限に活用すれば、なんとか奴くらいになら届くかもしれない。
だったら私は、自分の想いに嘘を吐かないためにも、戦うべきなんだ。
どうせ死んでも生き返る命なら、なおさら躊躇うべきではない。
――けじめか。
結局私はアーガスと一緒だ。意地で行動しているのかもしれない。
「けじめって! バカじゃないの! ユウのバカ! 一人でなんて、絶対行かせないからね!」
少し前に、私がアーガスに言ったような台詞を言うアリス。
そんな彼女に共感を覚えながら、私は彼女にしっかりと向き合って言った。
「もちろんずっと一人でやるつもりはないよ。アリスには、応援を呼んできてほしい」
「それでもしばらくは一人じゃない! 危険よ!」
「大丈夫。私は――」
死なないから、と言おうとしてやめた。
完全な死ではないとはいえ、奴に殺されてしまえば、この世界にはもういられなくなるらしいから。
そんなことなんて、私も望んでいない。
だから、言い直した。
「私は、絶対に生きて戻るから」
私の固い決意を目のあたりにしたアリスは、呆れ果てた様子で、観念したように頭を押さえた。
こうなるとテコでも動かないことを、彼女は知っている。
「ああもう! わかった。わかったわよ! 急いで助けを呼んでくるから、それまでなんとか持ちこたえてね!」
「うん。じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい。ほんとバカなんだから。もう」
アリスが急いで向こうへ駆け出していったのを確認してから、前を向く。
思いの外時間がかかってしまったので、一瞬だけ男に変身して奴の正確な位置を再確認。そしてまた女に戻り、魔法を撃つ態勢に入った。
やるぞ。散々追いかけ回されたけど、反撃開始だ。